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2006年03月25日

高挙毛沢東思想偉大紅旗

(タイトルに関して)
そんなことを考えていた時期が私にもありました。(あのAA風に)
それより大変ですよ共産趣味の同志諸君。あの「日本共産党(行動派)」がサイト閉じちゃいましたよ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/
行動派はスターリンや毛沢東の肖像画を掲げる連中(http://web.archive.org/web/20050227201530/www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_6.htm /web.archive.orgに保管されているミラー)だし、以下のようなことを口走るトンデモ連中だから、思想的には全く波長は合わない、宗教や「宗教かがった反共」の連中へより嫌悪感を感じるけど、単純に見ていて面白かったから、ちょっと残念。
http://web.archive.org/web/20050225221736/www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_12.htm /web.archive.orgに保管されているミラー)

論点の2 「スターリンの暴力と大量虐殺は許せない」ということについて。

 暴力とは国家と権力そのものである(国家論と人民戦線綱領をみよ)。殺すのが悪いというのであれば人間の歴史は戦争と殺人の歴史であり、この世の中に国家の指導者でよい人は一人もいない。二十世紀は大量破壊兵器による戦争と殺りくの世紀であったというこの歴史をどうみるのか。古代奴隷国家ではどれだけ奴隷が殺されたか。キリスト教徒はあの十字軍戦争でイスラム教徒をどれだけ殺したか。第一次世界大戦と第二次大戦で六千万人が殺された。第二次世界大戦以後ですでにもう二千万人も殺されている。

 二十世紀は一億七千万人が殺された。ヒトラーはユダヤ人を六百万人も殺し、日本軍国主義は中国侵略の十四年間に三千五百万人を殺し、日本人もまた三百十万人が殺された。アメリカは原爆で日本人の五十万人を死傷させた。

 暴力と戦争と殺人というものはそれなくして歴史は存在しなかったのだ。このことを理解できない人物はとうてい歴史を語る資格はない。そういう人物はしょせん観念論の世界、空想と妄想と幻想の世界をさまよいつつ歴史的に価値なき人生をおくる徒食家にすぎない。問題の本質は、どのような歴史的時代に誰が何のために、誰のために誰に対して行った暴力と殺人だったのか、ということなのだ。

 スターリンは階級的殺人者たちに対して階級的殺人をおこなったのだ。十月革命の前後ロシア皇帝はどれほどの人民を殺したか。あの外国干渉と国内右翼反乱軍はどれほど人民を殺したか。一九三〇年代に帝国主義陣営とナチスはどれほどスパイとかく乱を展開したか。スターリンは人民のため社会主義と人類の歴史の開拓者としての使命と責任にもとづいて殺人者を殺した。それは歴史上の英雄たちがみんなそうしたように、そうしたのだ。これが分からない人たちは、自らが資本主義と帝国主義と独占支配の側・その陣営に立っているからわからないのであり、われわれはそういう人たちに期待はしない。


論点の4 「スターリン時代は怖くて何もいえなかった。スターリンが死んではじめて自由になったからスターリン批判を提起した」というフルシチョフの言い分について。

 こういう言い分はまさに裏切り者、背教者、臆病者のせりふである。怖くてものが言えないのは小人物だからである。人民と歴史に忠実な革命家は生命を賭して闘うのだ。卑怯者の小唄とはこのことである。裏切り者はいつでも自分を高く見せるために前任者をたたく。過去を否定することによって自分を正当化する。組織人として、組織の一人として、当時の総意にもとづく決定に従った自分の行動に責任を感ずることなく、あっさりと過去を否定するのは、まさに歴史の否定であり、自分の過去もまた否定されるということである。否定するものはやがて歴史によって自分そのものが否定される。フルシチョフの死後はそのようになっているではないか。これは人間性の問題、人間としての良心、人間のあり方の問題である。こういう人間に歴史は何も期待しないであろう。フルシチョフは完全に抹殺されているではないか。こういう犯罪人の言うことをまだ信ずるのか。信ずるものはやがて自分自身が歴史に抹殺されるであろう。ここできわめて重要なことは組織人としてのマルクス主義党と党員の行動規範についてである。党の組織と機関においては「批判の自由と行動の統一」がはっきりとうたわれている。そのうえで個々の人間が何も発言することなく決定や議決を承認した場合、それは発言する必要もなく承認したということ。つまりそれほど積極的に賛成したということなのだ。党というものはそのように積極的にものごとを判断するものなのだ。したがって何人も、その決定と決議に責任を負わねばならない。これは党と組織体にとっては生命であり、個人と組織の相互関係のイロハである。このようなことすら自覚しないフルシチョフが如何に程度の低い人物かがおわかりであろう。こういう人物の言うことを信ずる人物もそれ以下の程度の低い人間だということになる。いずれにしてもフルシチョフ的非人間性、非組織人、非マルクス主義的党員の運命とは、それが実際に教えているとおり、歴史を否定するものは自分が否定され、組織原則を否定するものは組織によって否定され、マルクス主義を否定したものはやがて人民にとって無価値な人物と断定されるであろう。否定の否定(弁証法)である。


しかし、気になるのは「こちらはBIGLOBEカスタマーサポートです。このアドレスの個人ホームページは主催者の都合により閉鎖されました。」って部分。
サイトのキャッシュ見ると、今年の1月にも新年の挨拶みたいなことを書いていた連中が、「主催者の都合で閉鎖」することなんてあるのかねぇ。


posted by s19171107 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 共産党とかそっちの方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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