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2007年02月12日

分解しはじめていない?保守陣営

ヘタレウヨの「主権回復を目指す会」の掲示板が面白いw
日本会議に噛み付いたり、「一国平和主義」と「天皇制男系堅持」は同列である、という書き込みがなされたりしていて、なんか内ゲバの萌芽が見える気がする。

http://hpmboard2.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ICB63781
1325. <安倍政権と共にシナ・中共に屈服する神社本庁と日本会議> 主権回復を目指す会  2007/02/12 (月) 10:17

声  明  文
<安倍政権と共にシナ・中共に屈服する神社本庁と日本会議>
     −「保守」に浸透したシナ・中共の精神侵略−

平成19年2月12日
主権回復を目指す会
〒101-0065
東京都千代田区西神田1−1−2
     パトリス26−502

神社本庁や日本会議などで構成する「日本の建国を祝う会」(会長・小田村四郎)は11日に建国記念日奉祝中央式典を開催、これに駐日中共大使館の劉勁松参事官が招待を受け、夫人同伴で出席した。

シナ・中共は世界最大の人権蹂躙国家であり、且つ現実の侵略国家である。すでにチベット、東トルキスタン、内蒙古等を手中に収め、尖閣諸島への領有宣言を発したばかりである。つまり日本に対する侵略宣言である。一方では、南京大虐殺と慰安婦強制連行の歴史偽造を国策の中心に据える反日国家、それがシナ・中共、中華人民共和国だ。

その反日を国是とする中共大使館を祝典に招く愚かさに、シナ・中共の進めてきた精神侵略の完成が「保守」にまで行き渡った現実を認めざるを得ない。

祝う会によると、毎年全ての大使館に招待状を送っているが、中共大使館からの出席は初めてとしている。つまり出席は、安倍政権で以て日本に対する精神侵略が完成した事の証であり、日本がシナの冊封であるとの宣言を「保守」に示したのである。国家でもない一民間組織が招待状を出してまで出席を要請し続けていた。そして祝う会の「保守」はそれを受け入れたのである。

同祝典を構成する組織は毎年、8月15日に靖國神社境内で「戦没者追悼中央国民集会」を開催しているが、今年は中共大使館がこの国民集会に招かれる可能性が否定できないし、大いにあり得るだろう。

既存の「保守」と称する組織が炎上している。それも今、音を立てて崩落している。


1327. 恥辱を感知できない精神侵略の完成 石井金一  2007/02/12 (月) 12:20

日中友好(精神侵略)を推進する安倍政権の支援中核「保守」組織がいわば日本会議である。

よって、日本会議の主催する催し物に、シナ・中共が来賓としてリボンを付けて参上するのは当然であって、全く無理のない出来事である。

小田村四郎会長のアリバイ作りめいたシナ批判など、シナ人からすればただの「小言」くらいしか耳に入っていない。安倍にすがっている連中など、彼らからすれば眼中になどない。

役員、会員らスタッフは恭しく頭を下げてお迎えする。冊封国家としての仕来り従った。これを恥辱として感知出来ない。見事な精神侵略の完成と言わざるを得ない。

この光景が靖國神社でも実現できる可能性が浮上した。すでに、朝鮮人らが靖國神社に乱入して来ている。「保守」は知っていながら抗議すらせず、指をくわえて黙認している。

朝鮮人らは、シナ人が靖國神社にお出ましになる露払いをしたのだ。シナという主役が控えているのだ。

鎮霊社に「A級」戦犯を分詞して後、中共大使の「参拝」があり得るかも。すでに日本はシナの地方に参入されたということで。


1326. 一国平和主義と男系天皇主義者との相違は? こぬま  2007/02/12 (月) 11:47

一国平和主義と男系主義者との相違は?
自称保守義者たちは一国平和主義者を、
『無防備では、国は守れない。あらゆる危機に対して準備を怠るな。まして他国に自分の生命を委ねるなんて事は恥である。』
『口で平和、平和と唱えても平和は守れない』と嘲笑ってきた。

一方男系主義者は、
『伝統だから男系天皇継承以外は認めない』
『伝統破壊になる』
『先人が守ってきた男系継承を変えることは歴史と伝統を踏みにじることになる』
とおっしゃる。

『口で平和、平和と唱える』
ことと、
『伝統、伝統』
と唱えてあらゆる危機に備えることを怠っている自称保守主義者との相違が見えないのは面白い現象だと思う。

岡崎氏の遊就館展示改編事件など見ていると戦後民主主義の生温いお利口さん主義育ち。とどのつまり誰かに、いつでもお利口さんと言われたい人。『褒めて育てるのが一番、怒っては駄目。怒りそうになったらよく考えて違う手段を使って褒めるようにして正していきましょう』と育てられた王様たちが学校を無茶苦茶に破壊した。そんな人なんだと思う。

今は『少しでも他人と違うところがあれば(悪しき平等主義)それは異常だから排除してもいいんだ、と教師が先頭に立って虐めのススメを教え込んでいる。』

他人と違って当たり前。まして歴史認識などその時代の人々だって千差万別。まして独立国の神社展示であれば誰がなんと言おうと無関係。それでよいはずだ。

『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』

人生は変転する。個人の人生など虫けら(比喩的な表現であり、女性を生む機械と比喩しても怒られるような恐ろしい世の中なのだが許してほしいものだ。比喩が分からないほど今のマスコミの読解力が恐ろしい。)となんら相違がない。されど天皇家は特別なのだ。それが大事なことであり、継続していかなくてはいけない。さて今の現状で『伝統、伝統』と叫んでいれば継承の危機に備えることができ得るのだろうか?

怒りを忘れた戦後民主義育ち。自称保守主義者と一国平和主義者と相違が見られないのは当たり前、か。今保守主義が流行だが、少し前は一国平和主義が流行りだった。流行に乗り遅れるな、バスに乗り遅れるな、か。

支那の足音が聞こえる。今の保守主義『流行』も支那の策謀に思える今日この頃。
 「保守としての筋の通り具合」としては、日本会議よりは主権回復を目指す会の方が通っているっぽいけど、それでも昨年8月の体たらくさ(1 2)からみると、「対立軸」の左翼が瀕死であるのに隠れてよく分からなかったけど、保守陣営もかなりガタガタじゃないのw
 保守陣営は結構「大同団結」できているなぁ、と思っていたけど、最近、闘争相手が瀕死なもんだから分解しはじめているねw
 また、自称保守主義者と一国平和主義者の本質は同じと断ずる、最後に紹介した書き込みには笑った。
 山崎行太郎氏が、10日付けの日記(http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20070210)で以下のように書かれているけど。本当にその通りだと思うよ。
最近の保守思想は、誰にでも分かるような軽薄なイデオロギーとして流通しているので、馬鹿でもサルでも保守思想を語っている。保守思想家にも値しないような、流行に弱いジャーナリストや評論家や政治運動家たちが、さかんに保守思想を語り、保守思想家を気取っている時代だが、僕は、その手の論文や書籍をまともに読んだことは一度もない。せいぜい立ち読みするぐらいだ。申し訳ないが、学問的にも思想的にも程度が低すぎるのだ。僕は、保守関連の会合や勉強会でも、いつも僕の愛読書は、大江健三郎であり、柄谷行人であり、マルクスであると、皮肉交じりに語ることにしている。最近の軽薄この上ない痴呆的な低脳保守には、僕の皮肉さえも理解できないらしく、保守論壇で活躍する人の中にまで、本気で怒る人がいる始末だから、昨今の保守論壇と言うものの知的レベルがどの程度のものかは理解できるというものだろう。
posted by s19171107 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ウヨがウヨウヨ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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