当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年03月30日

戴いたコメントへ返信しました

以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。

「日本ユニセフの児童ポルノ規制要望書について」(天性の庇護者さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/89336929.html

「「チベット武力弾圧に対する中国大使館前アピール&周辺デモ」参加記録」(放蕩息子さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/90633339.html

「朝日がダライラマ暗殺指令!」(放蕩息子さん、パルミーロさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/90958061.html

「買ってきた」(黒的九月さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/73349536.html

「警察が優先すべきこと」(天性の庇護者さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/91138927.html

「綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(2)」(amanoiwatoさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/91401449.html
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光市事件場外乱闘最終ラウンド

 4月22日の判決まで3週間あまりとなり、27日あたりには、週刊新潮が恣意的な記事を書きましたが、ついに以下の報道をもって、光市事件の場外乱闘の最終ラウンドが始まったようです。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08032905.htm
 山口県光市の母子殺害事件の主任弁護人、安田好弘弁護士(60)に対する懲戒請求で、日本弁護士連合会(日弁連)は、懲戒しないとした第2東京弁護士会の判断を支持し、遺族の本村洋さん(32)の異議申し立てを棄却した。決定は24日付。

 決定によると、安田弁護士は2006年3月、「日弁連の研修リハーサルがある」などとして最高裁の弁論を欠席した。

 日弁連の綱紀委員会は「弁論欠席は被告の権利や利益を擁護するためやむを得ず行ったもの」と判断した。ただ、委員15人中5人は「品位を失うべき非行に当たる」などの反対意見を付けた。
 この記事は29日に発信されたものですが、なぜ24日づけの決定が29日になるまで「眠っていた」んでしょうね。電報なら即日、郵便でも速達なら翌日、普通郵便でも3日もあれば着くと思うんですがね。

 まあ、そんなのはどうでもいいんですが、とにかく最終ラウンドが始まったようです。4月22日までは、当ブログでも光市事件関係の記事を最優先で書く予定です。
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綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(5)

 第5回は質疑応答です。Q&A方式で報告します。

 最初に浦安市から来たという「サトウ」氏から質問がありました。

Q1―1
 2人の死因について鑑定書ではどうなっているのか、もう少し詳しく知りたい

A1―1.
 二人とも窒息死となっている。

Q1―2.
 被害者女性については、頚部への攻撃によるものか

A1―2.
 そうである。頚部圧迫による窒息死であると特定されている。しかし、被害女児については法医学的見地から行くと、窒息の原因は分かっていない。
 自白では頚部を強く絞めたとなっているが、その痕跡は無く、ただ弱い「ちょうちょむすび」の跡しか無い。上野氏の分析によると、赤ん坊の首はむくむので、弱い「ちょうちょむすび」が二次的に頚部を圧迫したのではないかとしている。しかし、それであっても、呼吸不全による窒息死なのか、血流不全による窒息死なのかまでは、やはり分からない。

Q1―3.
 スリーパーホールドの痕跡はあるのか

A1―3.
 ある。しかし、スリーパーホールドで死亡したわけではないことは、重ねて申し上げる。

 「サトウ」氏からの質問はここでおわりました。
続いて、50代くらいの青い服を着た男性が、司会担当の綿井氏から指名されたのちに、名乗りもせずにケンカ腰で質問をはじめました。

Q2―1.
 先ほど話題に上った「ちょうちょむすび」について、「ちょうちょむすび」であると分かる痕跡はあるのか。すなわち、普通に絞めたときと「ちょうちょむすび」で絞めたときの違いというのは分かるのか。

A2―1.
 「ちょうちょむすび」の状態で死体が発見された。

Q2―2.
 別の殺し方をして、そのあと「ちょうちょむすび」をしただけではないのか。

A2―2.
 法医学的には、首を10分ほど絞めないと絞殺できないのだが、10分も絞めれば当然、表皮剥奪や皮下出血がおきるのだが、そのような痕跡は無く、ただ「ちょうちょむすび」の痕跡しかなかった。

Q2―3.
 たとえば、手で口を覆って殺した可能性は?

A2―3.
 そのような痕跡は無い。

 つづいて、「チョウ」さんからの質問。
Q3―1.
 原告(原文ママ)の男性は死刑を求めているが、弁護団の「ゴール」はどこなのか。本件は少年に対する裁きとして活動しているのか、死刑問題として活動しているのか。

A3―1.
 まず、「原告」ではないことを指摘する。
 弁護団は、明確に少年事件としており、過去の少年事件の判例から、死刑ではなく無期懲役を求めて活動している。

Q3―2.
 綿井氏が光市裁判の取材をしようと思ったのは何故か。

A3―2.
 所謂「最高裁ドタキャン問題」以降、

1.何故「ドタキャン」したのか
2.最高裁以降の弁護活動を見て、それまで認定されてきた「事実」が客観的証拠と異なるのではないか
3.2人の人を殺した経緯を差し戻し審を追うことによって知りたい
4.「被害者遺族の男性vs弁護団」の構図の中で、被害者遺族男性側の情報が過多であり、場外乱闘が激しい一方で、裁判そのものの中身がいまいち分からない

以上の4点から、本件に関わることにした。

男性。
Q4―1.
結果的にふたりを殺めたのだから、そんな奴は裁判なんてなくても死刑で良いとする世論が大きいが、それについては?

A4―1.河井
 裁判は事実を確定させる。何があったのか確定させるのは人を裁く大前提である。Q4―1のような言説は裁判ではない。民主法治国家において、人一人を処刑台に送るかというときに、Q4―1のような発想は裁判では許されない。

 また、永山事件判決は総合的判断の下で、なお死刑が止むを得ない場合のみに死刑を認めるとしている。つまり、死刑を選択するか否かのときは、被告がどういう経緯、どういう対応、どういう心境で犯行に及んだのかについて分析することが不可欠である。法改正するならまだしも、現状においての手順はこうであるのだから、これに従わなくてはならぬ。弁護団は法律実務家なのだから、手順に従わなくてはならない。

綿井
 今の質問は本件に対する典型的反応である。たとえば、公判の日の広島高裁前での大騒ぎのとき、通行人は私(=綿井氏)に「これ何ですか」と聞く。「光市事件裁判です」と答えると、通行人は「判決は?」とか「死刑?」とか、結論ばかりを聞いてくる。傍観者は結果・判決にしか興味が無いが、これは裁判なのだから、死刑か否かという量刑の前に、事実関係の検査が先ではないのか。

 死刑か否かという量刑にばかり目が行く問題について、綿井氏が以下のように、河井氏に話を振りました。
 以前、会見で記者が弁護団に対して、弁護団は遺族の男性に対してどういう気持ちかと問うたことがある。そのとき、弁護団は事実を解明したいだけだと答えた。弁護団に対して遺族について問うというのは、立場上どうなのか。

 対して河井氏は、以下のように答えました。
 本村さんが死刑を求めるのは自然の感情としては良く分かる。「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いは、今まで何度もされてきた。もし自分なら、本村さんと同じく死刑を求めるかもしれない。しかし、やはり民主法治国家においては、被害者がそういっているからといって、決めてよいわけではない。
 また、「もし自分が」というのならば、もっと想像力を働かせて、自分が逆に心ならずも2人の人を殺めたときに、どうするのか。それも想像すべきだ。そのときには、きちんと自分の言っていることを伝えてほしいと思うはずである。
 自然の感情としての本村氏の主張は理解できるが、だからとって、弁護しなくても良いということにはならない。

 いやはや、感服しました。感情や思想と実務を峻別する。以前、安田弁護士も「法廷で思想闘争したら弁護士失格」と言明されていた東京新聞記事をご紹介しましたが、やはり弁護士というのは、こうでなくちゃいけません。

私は、第1回の記事において、以下のように書きました。
氏の死刑制度への賛否については、このトークショーにおいては明確に立場表明をしませんでした。今回の言動を聞く限り、私見では廃止論者ではないようなんですが、確実なことはいえません。
 この根拠というのが、上記太字部分です。
 といいますのも、ガチの死刑廃止論者というのは、「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いに対して、かなりの確率で、「死刑は誰も救わない」とか「たとえ凶悪犯でも、殺してよいわけではない」などのような、妙な人道主義に基づくお説教を始めるんですよ。で、明確に答えようとしないんです。
 しかし、今回のトークショーにおいて、河井氏はそういう死刑廃止論者的なお説教は一切せず、むしろ被害者遺族の男性の気持ちは理解できるし、自身もそういう境遇に陥れば、被害者遺族の男性と同じ行動をとるかもしれないと自らの口で仰いました。私には、河井氏が死刑廃止論者であるとは思えません。

 さて、ここからがリアル感情屋の発狂のお時間です。
 この発言について、先の「サトウ」氏が、「自分が加害者ならどうするのか」、名乗らない青服の中年男性が「心ならずもでなかったらどうするのか」と同時に、手も挙げずに発言しました。

 まず後者については、自分の言い分をきちんと主張したい、明らかにしたいと思うはずだと答えました。

 これに対して、「サトウ」氏が、自身に科されるべき量刑については如何思うかと問い、河井氏は、同じく、自分の主張に基づいて判断してほしいと思うはずであるとしました。

 「サトウ」氏しつこい。「それは自分に死刑を求めないということか」と食い下がります。河井氏は、死刑は嫌だという気持ちはあるだろうと答えました。

 さーまだまだ行きますよー「サトウ」氏。死刑になるべき犯罪を犯した場合、事件の重大性について「まともな倫理観」があれば「更生したのならば」、食事も喉を通らないだろうし、自分なら壁に頭をぶつけて自殺を図るかくらいのことは当然するはずだ、と自身の美学をご披露なさいました。つまり「サトウ」氏は自身に「まともな倫理観」があると思っているみたいです。

 えー、私から突っ込ませていただきますと、被告は検察官から再三の「生きての償い」の重要性を吹き込まれており、事件以前からの自殺願望や、逮捕直後の自殺計画については凍結したということは、当シリーズでご紹介しました。また、更生とかそういうのは、実際に禁固刑や懲役刑になって、更生プログラムを受けて初めてはじまるものです。このトークショーにおいても指摘されたように、被告は9年間も刑務所ではなく拘置所にいるため、更生プログラムは一切受けておらず、現に例の「不謹慎な手紙」を出した。しかし、差し戻し審弁護団との共闘によって「事実と向き合う」という更生の前提・スタートラインに今やっとついたばかりです。
 人間の更生や矯正というのは生半可なもんじゃありません。一種の思想改造であり、ある意味での「洗脳」なんですから。ゆえに「まともな倫理観」とかそういうの以前に、更生のプロたる刑務所の指導員の援助無しに、自力で更生できるなんてことはまず無いと考えたほうが良いです。
 それに、そもそも拘置所内で壁に頭なんてぶつけていたら巡回員にすぐに見つかるでしょう。刑務所・拘置所の自殺なんて脱走と同じくらいの大恥なんですから、そうそうさせませんよ。あんたアホじゃないですか。

 これに対して、ある参加者が「今法律の話をしているんだろう」と口を挟んだところ、「サトウ」氏火病。「あんたは司会じゃないんだから黙ってろ!」と怒鳴り始めました。また、仲介者が論点整理を試みると、それに対しても「勝手に整理すんなオラァ」と火病。質疑応答の時間に火病起こすような奴に「まともな倫理観」を語ってほしくねーなーw

 このやりとりについて、河井氏は「どちらの方が話されているんですか、、、」とかなり困惑気味。答えようとしても、答えきる前に「サトウ」氏がドンドンまくし立てて、それに対して仲介しようとした人に対して怒鳴るんですから。

 会場のしらけた雰囲気にちょっと気がついたのか「サトウ」氏、ちょっと冷静な口調で、以下のように続けました。

 曰く、マスメディアの演出については、今回のトークショーで良く分かった。事実関係についても綿密に審査すれば、傷害致死になるということは分かった(←今回のトークショーではそんなこと言っていない)。しかし、この犯人は死刑にすべきだ。傷害致死では10年程度で出てきてしまうが、何の罪の無い女子供を殺しておいて10年そこらの小便刑で出てくるというのは、市民社会的・一般的常識(←でました)から考えておかしいだろうと思うので、もし被告が死刑にならなかった場合、それは裁判所と弁護団が道徳的に間違っていると思う。(←道徳根拠の処罰は俺様正義の典型例で、歴史上、さまざまな恣意的処罰がなされました。だから法律ができたのを知らないんですか。)
 弁護団は事実関係どうこう言っているが、安田弁護士は「手段を選ばない死刑廃止論なのは周知」なので、安田氏の言う「事実関係の重要性」は方便にしか聞こえない(←はいはいわろすわろす)
 復活の儀式のよな、セクハラオヤジの言い訳みたいなことを公言することは性差別である。それについて綿井氏も問題にしないのは男としての性差別意識に無自覚なんじゃないか(←「女子供」という言葉も文脈次第では性差別ですよ。一方的な弱者認定はある意味の逆差別だって知らない?)。
 当裁判は死刑か否かの構図で世間を通っており、「良識ある」(本文ママ)マスコミ人は、死刑にしようということで活動している。確かに誇張はあるが、こいつは死ぬべき人間なのだから、結果的に正しい。自分は被告死刑の側に加担する。こいつが殺されることこそ正しい。

 私から一言。「ポル・ポト乙」。
「故意」と「未必の故意」(あるいは「過失」)の区別を敢えてつけず、民主法治国家の論理で動いている弁護団の主張をよく踏まえながらも、やはり死刑にすべきだという、狂信的な考え方、安田氏について「手段を選ばない死刑廃止論なのは周知」と、肝心なところを妄想で穴埋めして自論を正当化する、その独特の思考回路、そして何よりも邪魔者を殺すことには手段を選ばない、その反民主主義・反法治主義の考え方こそ、カンボジア200万人民を3年8ヶ月という短期間で虐殺した、稀代の凶悪殺人鬼集団ポル・ポト一味の思考回路と全く同一です。

 当ブログでは、私が「感情屋」と呼ばせていただいている、この手の方々の主張は、稀代の凶悪殺人鬼集団ポル・ポト一味の大虐殺の原動力となった極めて攻撃的な思想と類似していると再三、指摘してきましたが、今回もその現象がよく見えました。この方は、被告を処刑台に送るべきだと主張していますが、私に言わせれば、鏡に向かって「死刑だ死刑だ」と叫んでいるように見えます。

 さて、河井氏は時間がなくなってきたので手短に答えるとして、以下の返答をしました。

 そもそも、弁護団は政治活動ではなく、実際の法律に基づいて、判例に基づいて活動しているに過ぎない。傷害致死ならば、最高で無期懲役刑なので死刑は回避されることになるのは確かである。仮に傷害致死でなかったとしても、未必の故意ならば、永山判例基準から言うと、死刑にはならないと指摘しました。

 対して「サトウ」氏が割り込む。曰く、それはやはりあなたの政治判断であり、あなたは弁護団に入らないという選択肢もあったはずだ、とのこと。

 本当にこのひと狂信的ですね。河井氏が弁護団に入ったのは、前提となる事実の異なる状況において人一人を処刑台に送ることは民主法治国家においては許されない・看過できないからだと言ったじゃありませんか。

 河井氏、「サトウ」氏がホンマモンのアレであることにやっと気がついたらしく、「えー、分かりました。そういう風に受け取られるということは理解いたしました。よろしいですかね。」と打ち切りました。「サトウ」氏のほうは、「あたりまえでしょ」という、もう突っ込む気力すらなくなるような発言をしたものの、なんか納得したようです。もしかして、勝った気でいるのかな?悪いけど、「感情屋」を飛び越して、アレとしか思えないんですがね。

 さて、ここで綿井氏が来年から始まる裁判員制度について話題を振りました。このトークショー(2月2日)の直前、1月31日に『光市事件裁判を考える』という本が発売され、このトークショー会場でも何冊か売られていたのですが、その帯には「光市母子殺害事件裁判は裁判員裁判の実施前の大試練である」という風に書いてあります。
 さっきのアレを見る限り、「大試練」どころの騒ぎじゃないのですが、まあ正しい認識だと思われます。
 今回の裁判の法廷は、広島高裁ひとつのはずなのに、各地で私的裁判がなされている。しかし、公式の裁判の法廷である限り、双方の主張を公平にジャッジしてほしく思う。だから、被害者遺族の声だけが基準になることは果たしてよいのだろうか、と如何しても思う、とのこと。

 ここで時間、、、と思ったら、、暫く静かだった例の、名乗らない青服の中年男性が最後に質問とか言い始めました。
 曰く、アベック事件の元被告に対して、償いの仕方を教示してもらうために文通をしているということは、このトークショーのなかでもふれられましたが、それについて、どの段階から始めたのか、すなわち、死刑が見えてからなのか、それ以前からなのか、とのこと。
 河井氏返答。最高裁弁論開催決定前(=「死刑公算」についてまだ分からない時期)からとこたえました。
 男性、「あぶなくなってからってことですよね」。違いますよー最高裁で弁論が開かれることを以って、この事件の無期判決破棄が見えてきたのだから、それ以前ということは、まだ分からない状況ですよ。

 最後に、判決をどう受け止めるべきかという点について。
 既に法廷における活動は終了しており、弁護団としては判決を待つだけ。その前段階として、集会などに呼ばれれば参加してゆきたいと考えている。被害者遺族の男性は、殺害行為などについて議論すること自体に相当に不快感を示されていたので、河井氏としても、遺族男性の気持ちは理解するよう努めてきた。この事件が痛ましい事件であるということは、弁護活動をやってきた中で、よく分かっているつもりであるが、だからこそ、事実に真面目に取り組んできたつもりである。遺族の男性におかれては、こういう話をすること自体が不快感を与えているとしたら、それについては申し訳ないのだが、報道が余りに事実を伝えていない、誤った前提の下で議論されているがゆえに、こういう形で事実関係について話をすることについて、お許しいただければと思う。こういう形でしか、弁護団は遺族の方に向き合うことはできないと考えているそうです。

 おわり、、、と思ったらまた質問だよ、おっかさんwwwww

 1・2審の弁護方針について、今の弁護団の中で議論はあるのか、とのこと。
 河井氏は、当時の弁護人から話を聞いたことが無いので良く分からないので、コメントする立場に無いのだが、結論から言うと無期懲役ということで来ており、下手に争って批判を浴びるより、情状一本に絞ったのではないかと思うが、それが良いかどうかはクライアントたる被告人次第なので、やはり河井氏にとっては答えづらく、コメントする立場にないようです。
 綿井氏によると、1審当時の弁護人は父親がつけた私選弁護人で、事実関係について争わず早く終わらせるために情状弁護とするとように依頼されており、また、遺族から民事告訴されたないようにしてほしいとの要望だったそうです。

 別の男性から。
 この裁判の問題は、1.最高裁以前の弁護 2.検察がストーリーを作り上げた 3.被害者感情に便乗するメディア の3つがあると指摘した上で、もし裁判員になったときに、被害者感情に便乗するメディアの暴走を、裁判員が負う羽目になるのではないか、すなわち、メディアの恣意的報道によって形作られた「世論」の批判が、正しい判断を下に過ぎない裁判員に集中するのではないか、という危惧が述べられました。
 それに対して綿井氏は、被害者感情と処罰感情が一体化しうることは事実で、被害者にそれを区別しろというのは酷な話であるが、伝える側としては、これを一緒にして果たして良いのか。そして、事件がおきてから裁判が始まるまで相当期間があり、裁判員は裁判が始まるまで、自身が裁判員になることが分からないシステムなので、この間に犯罪報道を目にすることは当然ありうる。果たしてどのようにすごせばよいのか、という重大な問題があると指摘しました。

 以上、今度こそ、トークショーは終了しました。
2月2日のトークショーの報告記事完成が3月30日。。。本当に申し訳ありませんでした。改めて謝罪すると共に、深く自己批判します。

本トークショー関連の記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/97.2.2.talkshow.html

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2008年03月29日

綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(4)

 第4回は所謂「不謹慎な手紙」について報告します。

 手紙の背景として、文通相手について説明がありました。曰く、相手は先に出所していた元同房者であり、度々被告を煽り立てる内容の手紙を送っていたそうです。被告は犯行当時18歳で、以降ずっと拘置所に収監されており、友人がおらず、唯一自分の相手をしてくれる、この元同房者に相手にされたいが為に、被告もその煽りに乗ったものであると考えているそうです。

 しかし、この手紙が不謹慎であり、酷い内容であることは確かであると言明しました。河井氏自身は、あの手紙が書かれた時点ではまだ弁護団にはいっていなかったので、あくまで推測に過ぎないが、という断りの上で、当時被告は所謂「反省」というものはしていなかったと思われるとし、その理由として、被告はあの段階では事実と向き合う機会を与えられていなかったからであるとしました。

 あたりまえですが、ある出来事に対して「反省」するということは、その出来事に対して真摯に向き合う必要があります。しかし、被告は当時18歳、精神年齢に至っては12歳以下程度と鑑定されていました。筆者自身が12歳だった時節のことを思い出すと、私も当時いろいろ「悪いこと」をやっていましたが、所謂「良心の呵責」による自主的な生活総括・自己批判よりは、親類や教師など、外部からの圧力による生活総括・自己批判の方が圧倒的に多かった記憶があります。少年事件における被告人については、弁護団も更新意見陳述書において、「少年はその能力の未発達から、自分の行為を正確に認識し理解することはもとより、これを表現し説明することも困難である」としているように、外的要因によって「事実と向きあわせる」ことが必要であります。

 その点、1審における被告人質問は20分余りと極めて短く、特に犯行についての質問は5分あったかないか程度であり、これでは「反省」の前提たる「事実と向きあわせる」としては、全く不十分であると言わざるを得ません。

 では、あの「不謹慎な手紙」からかなり時間のたった現時点では、被告はどの程度まで「反省」できているのでしょうか。

 その点について河井氏は、まず今回の最高裁審理・差し戻し審を通じて被告は初めて、自分の言葉で話すことによって、事実と向き合うことができ、更生の大前提には至っているとしました。今まで決して語らなかった、昔日に実父から受けたDVについて語り、あれが自分の人格形成に大きな悪影響をもたらし、今回の事件もあのDVの経験が影響していることを認識したが、しかし、いかなる理由があろうとも、人ふたりを殺めたことは許されないことであるということも認識したといいます。

 では、被告は現時点で既に真人間になったかといえば、そうではないく、被告は18歳の犯行当時からずっと拘置所におり、更生プログラムは一切受けていない。また、安田弁護士らが当裁判に弁護人として名乗り上げるまでは、裁判関連の資料を殆ど所持しておらず、全く裁判から疎外され、また「疎外された」裁判においても、「反省」の前提たる「事実」と異なるストーリーを軸として長いこと進んできたのだから、そう簡単に「反省」できるものではなく、今回の差し戻し審で初めて、反省のキッカケを得、償いの仕方を今まさに考え始めた段階にあるとしました。

 被告は死ではなく、生きることを望んでいます。その生きる目的については、まだ発見には至っていないようですが、今の段階においては、何故このような事件がおきたのかを示す生き証人となりたいそうです。そして、生きる目的を探し・贖罪の仕方を見つけるために、名古屋のアベック殺人事件の実行犯と文通をしているとのことです。

 ここで綿井氏も、自身が被告と接見した経験から、話をされました。
 曰く、被告は自身についての報道は、ラジオや新聞を通じて良く知っているとのこと。流石にテレビは無いそうですが。そして、そういうメディア報道を目に・耳にすることによって、自分の考えを如何伝えるべきか、何をやっても正しく伝わらないのではないか、またメディアの方で改変されてしまうのではないか、と悩んでいるそうな。

 最高裁弁論直前に安田弁護士らと接見し、その場において殺意の否定など、それまでの裁判の前提となっていた検察調書における「自白」と根本的に矛盾する発言を行ったことによって、当裁判は新しい局面に入ったことは皆さんご存知でしょうが、その前にまず教誨師に対して自分の行為を告白していたらしいことを明らかにしました。

 また、綿井氏は被告の内面について、小難しい用語を使う「大人の部分」と自分の言動に対する無防備さなどの「子供の部分」があると指摘。前者については拘置所房内における読書の賜物であろうとし、後者については、18歳の犯行当時からずっと拘置所にいることによって社会経験が無いことによるものであると推測しました。

 被告は自殺については何度も試みています。母の自殺後より自殺願望があり、事件直後も父親にバレるのが怖くて自殺を図ろうとしています。このように、自身の「生」についての意識が希薄であったのですが、取調べ官や検察官などから、生きて償うことの重要性を説かれたそうで(その検察官から今死刑を求刑されているのは、なんともまあ)、また判決が近いからか、「死」とは何かというようなことについて考えてるようです。

 これ以降、質疑応答に入りました。質疑応答の模様については別記事で。

本トークショー関連の記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/97.2.2.talkshow.html

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(3)

 検察主張と客観的証拠の乖離については、第2回の記事で報告しましたが、これらの情報についてメディアで報じられることは、まずありません。

 河井氏によると、弁護団はこの手の説明を今までメディアに向けてやってきたそうです(その点、橋下の懲戒請求は全く根拠が無かったことになります)が、報道関係者曰く、これを掲載すると視聴者の理解が得られず、社が攻撃の対象になってしまうため、幾ら現場記者が記事にしても、上層部がカットしてしまうそうです。
 この点について河井氏は特にコメントはしませんでしたが、弁護団が依頼した法医鑑定などの翌日はメディアは殆ど報じない一方で、被告人質問など翌日は洪水のように報道されることだけは事実であると仰いました。

 ここで、「洪水のように報道される」一例として、昨年9月の集中審理のときの、「私をなめないで戴きたい」のところを執拗に取り立てる、日テレの『ザ・サンデー』が参考資料として放映されました。

 これについて、実際に法廷で一部始終を見ていた河井氏は、「相当の脚色」があるとしました。

 まず、VTRでは被告が「全てにおいて証明しましょうか!」と怒鳴っているが、実際のセリフは「では、証明します」であり、怒鳴ってもいない。「異例の行動」というアナウンスがあったが、裁判長も制止しない程度の穏やかなものであったとか。(VTRどおりにやったら制止される)一方で、こういう発言をしたことは事実であると言明しました。

 その上で河井氏は、弁護団が後日、被告人と接見したところ、被告は反省の弁を述べていたとか。18歳からずっと拘置所に収監され、未熟なまま26歳(07年9月現在)になった被告であるが、反省の弁を述べられる位には成長したようです。

 なお、綿井氏がついでに、カメラアングルに噛みつきました。
 件のVTRでは、全ての視点が裁判長からの視点で撮影されていましたが、記者を含めた傍聴者は全員、被告人の背中しか見えないはずなので、一体、あのVTRにおける目を剥いた表情はどうやって「再現」したんだろう、とのことです。
 一見してどうでもいいことですが、こういうセコイ印象操作の積み重ねで今の被告の劣勢が形作られ、どっかのだれかさんはそれに便乗して言いたい放題言っているので、この事件の裁判においては、こういう印象操作こそ、見逃すことが出来ません。

 ここで10分間の休憩に入りました。
休憩時間中、何人かの参加者が綿井・河井両氏へ要望などを伝えていたらしく、休憩時間後は、所謂「不謹慎な手紙」について話が及びました。こういう、参加者の要望で色々と話が聞けるのが「トークショー」の良いところなのですが、結局、強姦の計画性の有無については、話すのを忘れてしまったようですね。。。

 続きは、日曜日に取材に行く関係で、今晩徹夜で書きますね☆
でもその前にちょっと一服。。。(←この「一服」が厄介者)

本トークショー関連の記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/97.2.2.talkshow.html

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(2)

 私は大変なことを忘れていました。「綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(1)」の続きを書くのをすっかり忘れていました。

 もう2ヶ月も前の出来事で、実は報告記事の原稿も出来ていたのに、なんか欲張って、別資料を織り合わせた「総合的な記事」とかいうのを書こうと思っていたんだっけ(←そこすら覚えていない)、3月の忙しさと「振られちゃった(´・ω・`)」で、すっかり忘れていました。申し訳ない。
 
 ということで、2ヶ月も前のトークショーの報告記事、誰も期待していないような気もしますが、とりあえず報告記事の続きを書いておきます。

続きを読む
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2008年03月28日

チベット問題の社会主義的・チュチェ思想的解決

 昨今話題のチベット問題に関して、以前の記事で「今回のチベット民衆蜂起は「中共覇権主義vsチベットの被抑圧民」という構図で考えると余りにスケールが大きすぎて自分の脳では処理しきれないので、単純に「強盗殺人犯vs被害者」という構図で理解しようと努めている」と書きました。もちろん、この問題をそのような視点だけで理解できるものではないということは当たり前であって、これは、あくまで現実に起きていることの表層を認識する上での単純化にすぎず、その深層・本質を探る上では、もっと別の視点に立たなくてはなりません。

 では、どのような視点を持たなくてはならないのでしょうか。「中国vsチベット」の構図でしょうか。違います。中国の文化政策、異民族文化に対する無理解でしょうか。はたまた、中国の体質に根付く問題でしょうか。確かにそういう側面はありますが、それだけではありません。

 この問題を考えるには、まず、そもそも中国は如何にしてチベットへ進出したのかについて知らなくてはなりません。
 中国のチベット進出は1950年の人民解放軍派遣から始まることは皆さんご存知かと思いますが、それ以上に、その後の軍事力を背景とした道路建設・空路開拓・鉄道敷設など、経済的進出の基盤作りと中国内地の特に漢民族地を中心とする入植という経済的進出によって決定的になりました。

 実は今現在、中国はチベットに対する進出と類似したやり方、すなわち軍事力と経済力を背景に、東南アジア(南シナ海・インド洋方面)やパキスタン(アラビア海方面)への食い込みを進めています。また、ウイグルなどの他の地域に対する「占領政策」についても、軍事力と経済力を背景とした経済的膨張姿勢が見受けられます。

 このように、広い視野から見ると、「中国vsチベット」という構図が単独であるわけではなく、中国による周辺国に対する経済的膨張主義・覇権主義の一環としてチベットが飲み込まれているわけであり、「チベット問題」はチベットで起きていても、チベットだけの問題ではないのです。

 同じく経済的な観点からいうと、今回のチベット人民による抗議活動の直接の原因として指摘される、チベット域内における非チベット族(主に漢民族)の経済的利益の独占という問題についても検討が必要となります。

 外部の人間による経済的利益の独占というのは、確かに青海鉄道の開通と中国中央政府の入植扇動などの要因も大いにありますが、既に資本形成をしている外部の人間が、ある遅れた地域に入り経済活動をした場合には、多かれ少なかれ、どの国にも起こりうる問題であり、中国固有の問題であるとは言えません。

 もちろん、昨今の「チベット問題」を全てを経済的問題として認識することは誤りです。チベット問題の根底に確かに存在する、チベット文化に対する中国の無理解と漢民族化政策や「文化的虐殺」や、あるいはチベット族の抗議活動に対する血の弾圧などは、全くを以って中国固有の問題であることは間違いありません。しかし、全てを中国独自の問題として片付けることは、これも誤りです。

 どこまでが中国固有の事情・中共の体質によるものであって、どこからが普遍的にありうる一般的な経済的問題なのか。見極めることが必要です。

 さて、ではこの問題についてどのように対処すべきでしょうか。もちろん、どっかの誰かさんみたいに、ノーテンキに「打倒中国共産党」とか「中国はチベットから出て行けー」とか「チベット独立!」で解決するわけありません。「中華人民共和国体制」が崩壊しても解決しません。先ほども書きましたが、チベットは中国の圧倒的な経済力を背景とした経済的覇権主義に組み込まれているため、現状において突然、政治的に独立したところで、経済的にはなおも中国経済圏に組み込まれ続け、非チベット族による経済的利益の独占という構図が崩れることは無いからです。

 この問題は極めて難しい問題で、私ごときがスパッと回答を出せるような問題ではないのですが、以前の記事でも書きましたが、チベットは未開発であります。今の段階で独立しても先行きは深い霧に覆われています。つまり、チベットにとっては中国を含めた外部の援助が必要不可欠なのです。

 しかし、先ほども書きましたが、既に資本形成をしている外部の人間が、ある遅れた地域に入り経済活動をした場合には、多かれ少なかれ、どの国においても、部外者が地元経済を牛耳り、経済的利益を独占してしまい、これでは真の意味での自治、真の意味での自主化にはなりません。真の意味での自治は、政治的自主と経済的自主が必要です。

 以前から書いているように、私は社会主義的傾向のある人間であります。ゆえに、民族問題を考えるということは自主化の問題を考えることであり、自主化の問題を考えるということは、経済の自主化を考えること(真の意味での自治には経済的自主が必要だから)であり、経済の自主化を考えることは、経済体制における生産者個々人が経営に参加することであり、最終的には生産手段を社会化することに繋がるのではないか考えると同時に、民族問題を、民族の自主性を最大限擁護する形での解決については「資本主義の枠内では解決できない」のではないか、と考えます。

 社会主義は自主化の思想です。その中でも特にチュチェ思想は、金日成同志が1988年9月8日の『チュチェの革命の旗を高くかかげ、社会主義共産主義偉業を最後までなしとげよう』のなかで、「自主性は個々人にとって生命であるばかりでなく、国家と民族の生命であり、ひいては人類共同の生命であります。人々の自主性を保障するためには国家と民族の自主性が実現されなければならず、国家と民族の自主性を保障するためには全世界の自主化が実現されなくてはなりません」とか「全世界の自主化を実現するためには、帝国主義者の支配と従属に反対し、自主性にもとづく平等な国際秩序をうち立」てることが必要としていたり、あるいは金正日同志が1991年5月5日の『人民大衆中心の朝鮮式の社会主義は必勝不敗である』のなかで「人民大衆は、国家と民族をはなれてはその自主的要求を実現してゆくことはできません。チュチェ思想は国家と民族の自主性を擁護することを、人民大衆の自主性を実現する基本的要求としています。(中略)国家と民族の自主性をしっかりと擁護することは、人民大衆の自主的要求と利益を実現するうえで死活の問題となります」としているように、人々が幸せに、生きがいを持って、創造的に暮らすための必須条件である自主性を確保するためには、国家と民族の自主性を擁護することを必要としています。

 もちろん、資本主義をやめて社会主義にすれば万事解決かと言われれば、それはそれで別の問題が生じるでしょう。しかし、それでもやはり私は民族問題について社会主義的解決の仕方を模索して行こうと思い、そのためにマルクス主義と、マルクス主義をより人間中心に発展させたチュチェ思想、さらにマルクス主義と仏教思想を融合させた「社会主義へのビルマの道」(通称:「ビルマ式社会主義」)について学習したいと思っているんだけど時間が無い(´・ω・`)
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2008年03月27日

警察が優先すべきこと

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2008032501003
2008/03/26-00:19 刑事以外を配置、拳銃携行せず=「連続殺傷、想定できず」−茨城県警

 茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅周辺で8人が殺傷された事件で、同駅に配置された警察官の数はほかの駅の倍だったが、凶悪事件などを捜査する刑事部門の捜査員が1人もいなかったことが25日、分かった。配置された8人は拳銃も携行しておらず、県警幹部は「駅での通り魔的な連続殺傷は想定外だった」としている。
 県警は金川真大容疑者(24)が「早く捕まえてごらん」などと110番し県警を挑発してきた22日以降、170人態勢で捜査。同駅など20駅や常磐線などの電車内、東京・秋葉原などに警察官を固定配置した。
 ほかの駅は4、5人で警戒したが、荒川沖駅は同容疑者の自宅の近くだった上、同駅付近から最初の110番をしていたため、土浦署の警備、地域、生活安全部門の8人を配置していた。
 8人は私服姿で警棒と手錠を持ち、防刃衣を着用。拳銃は携行せず、無線も笛も持っていなかった。
 金川容疑者が乗っていた常磐線には警察官は同乗しておらず、同容疑者は改札を通り抜け、凶行に及んだ。
 当ブログでは、この手の事件についてはいつも裁判所管轄の範囲内を書いてきましたが、今回は警察管轄範囲内で考えてみます。

 さて、時事通信は配置された警察官が刑事部門ではなく、また拳銃を携行していなかったことにご不満なようですが、無線を持っていないようじゃ刑事だろうが警備だろうが同じだし、拳銃にいたっては、雑踏のなかで拳銃なんか使えるわけ無いわけであって、あってもなくても同じではないでしょうか。

 今回の失態の最大の問題は、もちろん犯行を許してしまったことですが、その原因としては、制服警官がいなかったことでしょう。25日の朝日新聞朝刊1面では、当初、犯人は小学校を襲撃する予定だったそうですが、教師が居たからあきらめたとのことで、そんなヘタレならば、制服警官を配置しておけば、あるいは駅前での通り魔的犯行は防げたかもしれません。

 私服警官というのは、犯人に気がつかれないで接近し、逮捕するための一種の変装です。今回、駅前配置警官が全員、私服警官だったということは、逮捕が最優先で犯行抑止は二の次であったことを示しています。

 そもそも、犯罪者を根絶やしにすることは無理です。しかし、犯罪準備者が犯罪を断念するように誘導することは可能です。すなわち、警察は犯罪者の検挙以上に、犯罪抑止を最優先にする必要があるのではないでしょうか。結局は、被害が無ければ何でも良いんですから。
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「日本共産党宣言 志位和夫共産党委員長 資本主義を叱る」(『週刊朝日』)について

 24日あたり発売の、『週刊朝日』に「日本共産党宣言 志位和夫共産党委員長 資本主義を叱る」という記事が掲載されました。

 現代日本の情勢と、その根本原因である資本主義の病理について批判し、そこから目指すべき社会の輪郭みたいなのが書いてあり、全部で5ページの記事ですが、日本共産党の立場を簡単に知るには丁度良い内容と分量だと思います。
 発売中の雑誌の記事をスキャンするのは流石にどうかと思うので、今回は、要点をまとめ、それに対する私のコメントを書きます。


 まず記事は、当ブログでもちょっと取り上げた2月8日の志位質問への反響や、「R25」へのマルクス紹介記事など、日本国内でも共産主義再評価の動きがあるのではないか、という編集部の質問に対する志位氏の返答から始まりました。
 志位氏曰く、米英のメディア調査などでも、マルクスを3大哲学者するなど、マルクスの人気は世界的に急上昇していると指摘しました。

 つづいて、「資本主義の本家本元」である米英で、どうしてこのような動きが見られるのか、という編集部の質問に対して、志位氏は、貧富の格差の世界的広がり、投機マネーの国民経済破壊、不況・恐慌の制御不可など、資本主義の矛盾が深化しており、これらの解決が資本主義の枠内においては難しいという認識が広まりつつあるのではないかと指摘し、これが資本主義の本質を明らかにしたマルクスを再評価する動きに繋がっていると推測しました。
 そして日本については、労働基準法に残業上限時間がないなど、更に特殊な「ルール無き資本主義」であり、また、非正規雇用が全体の3分の1まで増え、その7割強が仕事のあるときだけ雇用される登録型派遣という不安定な状態(欧州においての派遣労働は本当に一時的なものであり、正社員と同じ労働内容の場合は均等待遇のルールが定められている)におかれており、特にここ十年、人間使い捨て型の19世紀的な野蛮でむきだしの資本主義が新たな残酷さをもって復活していると批判しました。

 つづいて、これらの問題は「資本主義の本質」に根ざしたものなのか、という編集部の質問に対して、志位氏は、資本主義の本性は利潤第一主義であり、この立場が労働者絞り上げと、それに伴う貧困化をもたらす。昨今の結婚・出産もできない若者の増加などは、この資本主義の本性に根ざした現象であり、これを放置すれば今後の日本社会は成り立たないと主張しました。

 さて、そもそも労働って何なんでしょう。この質問に対して、志位氏は以下のように答えました。
 曰く、「人間らしい労働」とは、労働を通じて自己実現をし、自分の能力を豊かにする要素が必要と。しかし実際は労働者の給与は減り続け、ついに年収200万円以下の労働者が1000万人を越えた。昨今の「格差問題」の本質は「貧困」であると指摘し、この情勢を変え、「人間らしい労働」を実現するには、まず資本主義の枠内で、たとえば、正社員化など、向きの直接雇用を進め、使い捨ての最悪形態である派遣労働のような間接雇用をなくしてゆくなど、「人間らしい労働・経済」のルールをつくることが必要だと訴えました。

 ところで、昨今は正社員の地位もあやうい情勢です。この点に関して志位氏は、現状は「板子一枚下は地獄」という正社員のあやうい立場が、正社員の際限の無い長時間労働に駆り立てており、それが過労死・過労自殺の元凶になっている。これを解決するには企業に雇用を維持する社会的責任があるとしました。また、大企業の多くは目先の利益追求に熱中しており、中長期的な社会・経済への責任を負わなくなり、結果、技術・知識の蓄積が停滞している。企業活動を無制限に自由化すれば、社会全体が不自由になり、持続可能な社会ではなくなることを自覚しなくてはならないと指摘しました。国民の暮らし自由の保障が社会の発展に寄与し、長い目で見れば企業にとっても利益であると指摘しました。

 つづいて、ライブドアや村上ファンド(M&Aコンサルティングなど)の隆盛から、社会に「競争で活力が生まれ、勝ち組が全体を引っ張る」とか「自己責任だから自由にやらせろ」などという考えが蔓延った件について、志位氏は投機荒稼ぎの原資は「人間としてのまともな生存条件さえ保障されていない人たちから搾り取ったカネ」であり、そういう人たちの痛みが分からないのは経営者として失格であると断じました。

 ライブドアや村上ファンドなどの投機・M&Aは日本だけの問題ではありません。今や世界中で投機マネーが飛び交っています。編集部は、国際的投機マネーの時代はマルクスの時代とは異なるが、昨今の投機マネーの問題についてはどうかと話題を振りました。
 志位氏は、マルクスの「資本主義は株式会社を発展させるが、それは巨大なギャンブル制度を作り出す」という『資本論』の一節(そんなくだりあったか良く覚えていないんだが)を引用し、短期の利益を最も極端な形で追い求めるのが投機マネーであり、これらは実体経済とかけ離れたところで利益を上げようとする、「商売の邪道」で「資本主義にとっても先の無い末期的症状」であり、カネもうけこそが目的の全てである資本主義の行き着く先であると断じました。

 つづいて、ちょっと哲学的な話から社会主義の展望へ。
 「人にとって幸せな生き方とはどのようなものか」という問いに対し志位氏は、本来、様々な形の発展の可能性があるはずの人間は、資本主義社会においては一部の人以外は長時間労働や雇用不安定によって発展が自由にできないでいる。社会主義社会では生産手段の社会化によって搾取を廃絶し、労働時間を抜本的に短縮することによって社会全ての人の人間的発展を保障できるようになり、それが人類全体の財産であり、社会全体を豊かにする原資となると主張しました。

 対して編集部は、「多くの人の心には、怠けたいとか、自分だけ得をしたいといった利己的な部分もあります。仮に生産を社会化しても、みんなが「誰かがやってくれる」と、あぐらをかいてしまったら仕組みは壊れませんか?」という、妙な質問をぶつけました。
 対して志位氏は「社会の発展に即して、人間の意識も変わってくるでしょう」とし、モーツァルトが作曲し、ピカソが絵を描くのは苦役ではなく喜びだったと指摘。もともと人間は、労働を通じてサルから進化してきたのだから、真の自発的労働は喜びになるはずだと反論しました。

 さて、社会主義者・共産主義者に対する風当たりは尚、強いものがあります。その原因として、ソ連や東欧など、「20世紀社会主義」が派手にぶっこわれ、それら全てが資本主義に転向したことが、人々の間に社会主義に対する悪い印象の原因になっていることは無視できません。この点について編集部は問いました。
 志位氏は、ソ連は生産手段の国有化はあったが、実際の生産者は生産の管理・運営から排除され、抑圧されており、これでは本来的な意味での「生産の社会化」とは言えず、ゆえにソ連社会は社会主義・共産主義とは無縁の社会であったと厳しく批判しました。

 20世紀社会主義については、ソ連・東欧のほかに中国もあります。編集部は、社会主義市場経済の建前を持ちながらも、それこそ「むき出しの資本主義」といっても過言では無い中国について、「貧富の差の拡大や公害など資本主義的な問題が深刻化している」と指摘しました。
 対して志位氏は、中国の「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みは、普遍性と合理性があり、市場機構は経済の弾力的・効率的運営を可能にし、うまく使えば経済発展のテコになると認めた上で、現状においては様々な矛盾も生じているが、それらを無視することなく、調和の取れた発展を図ろうとしているのではないかと分析し、政治上・社会上の未解決問題を残しながらも、全体的には社会主義の方向に向かいつつあるものと捉えているとしました。また、日本共産党も「市場経済を通じて社会主義へ」という路線を綱領で定めていると紹介しました。

 昨今の世界情勢について。
 経済については、冷戦崩壊後の国際情勢は米一極化でしたが、近年はEUやBRICsの重要性が増していることについて、IMFの『世界経済見通し』の統計数値を見る限り、先進国は投機マネーにのめりこんで躓く一方で、内需実物経済中心の新興国が発展しており、今や世界経済の推進力となっていると指摘。世界経済の力関係は大きく変化しているとしました。
 政治についても、ASEAN諸国が1970年代に締結した、戦争放棄と紛争の平和的解決を明記した東南アジア友好協力条約がイラク戦争を契機に参加国を増やし、EUも加盟申請しており、ユーラシア大陸全体の平和共同体になりつつある。また、他の地域でも平和共同体づくりが進んでおり、北米でもカナダは戦争反対であるから、最後はアメリカが残る形になる。このように、政治的にもアメリカは孤立化している。日本はどうするべきか、いつまで付き合うのか、と指摘しました。

 今後の運動について。
 「万国のプロレタリアートよ団結せよ!」という『共産党宣言』のスローガンは今尚有効か、という問いに対し志位氏は、国際連帯の旗印としては、「反資本主義」「反帝国主義」よりも更に広範に人々を結集できるものが必要だと指摘。「新自由主義を押し付ける経済的覇権主義は許さない、国連憲章を踏みにじる軍事的覇権主義は許さない」という旗印なら、更に広範に人々を結集できるものとなるだろうとしました。

 ブルジョアとプロレタリアの階級対立とは異なるあたらな軸が生まれたのかという編集部の問いに対し、志位氏は、根底には資本と労働の対立があるが、同時にもっと広範に人々を結集できる旗印が見つかったのだから、そのなかから資本主義から社会主義・共産主義に向かう前進が必ず生まれてくるのが21世紀という時代だと考えていると訴えました。

 志位氏自身が生きている間に資本主義から社会主義・共産主義に向かう前進が生まれてくるかという問いに対しては、「わからない」と正直に返答しました。

 先進国ではどこも共産党は振るわないことについて、日本共産党に未来はあるかという問いに対しては、社会主義・共産主義の原点は資本主義批判である以上、世界的に行き詰った資本主義には共産主義の未来があると訴えました。

 党名変更について。
 「これだけ共産主義の理想を語ったじゃないですか(笑い)。そんな間違った道は取りませんよ。」


 内容は以上です。

 私としては、この記事について、社会主義論・共産主義論に関するやりとりと、近年の中国に関する認識の2点について気になりました。

 社会主義論・共産主義論に関するやりとりに関して、志位氏の発言ではなく、編集部の、「多くの人の心には、怠けたいとか、自分だけ得をしたいといった利己的な部分もあります。仮に生産を社会化しても、みんなが「誰かがやってくれる」と、あぐらをかいてしまったら仕組みは壊れませんか?」という質問について。

 志位氏も言っているように、社会主義社会は生産手段の社会化・生産者自身による自主管理・自主運営により搾取が廃絶されるとしています。逆に言うと、生産手段が私有化されている資本主義社会では搾取が存在するわけであります。あたりまえだけど。

 で、搾取というのは、要するにピンハネと同じようなもの。つまり、搾取のある資本主義社会というのは、労働者は自分のために働いているつもりでも、実は搾取者のためにも働いているということになります。

 その点、さっきも書いたとおり、搾取の廃絶された社会主義社会というのは、労働の成果が横取りされることはないので、労働の果実が全て自分のものになる。つまり、社会主義社会における労働というのは、資本主義社会のそれとは異なり、完全に自分のための労働ということになります。論理的には

 ところで、社会主義配分原則というのは、大辞泉によると、「各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる」とあります。簡単に言うと労働比例配分ですね。そして、先ほど書いたように、社会主義社会における労働は完全に自分のための労働である以上、配分についても自分のための配分ということになります。

 したがって、自分のため労働・自分のための配分を社会制度として定式化した社会主義社会においては、「誰かがやってくれる」という期待をもつことは無いとおもうんですがね。たしかに「誰か」やるでしょうけど、それは「誰か」自身のための労働であるんですから。

 もっとも、「誰かがやってくれる」ことに期待して、結局誰も働かないという危険性は、共産主義においては考えられます。共産主義の配分原則は、またも大辞泉によると、「生産力が高度に発達」するという留保つきですが、「各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」とありますから。

 そして、この危険性についての回避を「社会の発展に即して、人間の意識も変わってくるでしょう」というふうに、人間意識の変化に期待してしまっているところは、確かに時代と共に人間意識は大きく変化してきていますが、旧時代的意識だって潜在化しつつも健在である以上、何かの拍子で旧時代的意識が表面化した場合、人間の善意性に期待する経済システムは、ちょっと「危ういなぁ」と思う次第です。

 私自身は以前より、自身に社会主義的傾向があることを表明しておりますが、共産主義的傾向はありません。これは、今申し上げたように、人間の善意性に期待する経済システムには今ひとつ、信頼が置けないからです。


 近年の中国に関する認識について。

 志位氏の「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みは、普遍性と合理性があり、市場機構は経済の弾力的・効率的運営を可能にし、うまく使えば経済発展のテコになるという認識については、私もユーゴ型社会主義の教訓を踏まえた上で、独立採算制の労働者自主管理企業が市場機構を通じて経済活動を行う体制の現実性について、暇なときに考えている人間であるからして、異論はありません。

 しかし、果たして中国はそういう国でしょうか。そういう意思があるでしょうか。そういう環境にあるでしょうか。

 下記は、今年2月28日の東京新聞朝刊記事です。クリックで拡大します。
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 「社会主義」中国における農村地域の土地私有宣言。背景は開発業者と結託した中国共産党地方幹部による集団所有地の不法占用にあります。

 私としては、農村の土地は集団所有だからこそ、公的機関、たとえば比較的真面目な党中央の介入が受けられるのであって、これを私有化してしまったら、今度こそ開発業者の地上げに対して公権力が介入できなくなるため、土地の私有宣言は土地防衛の手段としては逆効果なんじゃないかとも思いますが、それだけ農民も追い詰められているということでしょう。

 まあ、それはさておき、この現象において重要なのは、中国共産党地方幹部が開発業者と結託しているところにあります。そして、さらにこれが全国化しそうな情勢です。

 果たして、こんな国が全体的には社会主義の方向に向かいつつあるといえるでしょうか。もちろん、法的には農村の土地は集団所有であると明記されていますが、形式的な社会主義では意味がありません。

 また、昨今のチベット情勢について考えてみても、3月23日の記事の最後のほうにも書いたように、中国の言い分はもはや覇権主義者の言い分と瓜二つであります。この記事において志位氏は「新自由主義を押し付ける経済的覇権主義は許さない、国連憲章を踏みにじる軍事的覇権主義は許さない」という立場を新時代の旗印とすべきだとしていますが、それならば、まさに今、我々の立ち向かうべき相手は中国に他ならないのではないでしょうか。それとも、中国は「新自由主義を押し付」けないから「経済的覇権主義」にはあたらないとか?それは流石に詭弁ですねー

 また、関連して中国の民族政策について考えてみても、レーニン主義的な民族平等政策というよりは、辛亥革命以降、国民党が主に主張してきた「中華民族化」の路線に沿っているように見え、やはり中国は社会主義とは相容れない国であるといわざるを得ません。


 以上2点について疑問を感じたので、メモしておきます。

posted by s19171107 at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 共産党とかそっちの方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

橋下が代用監獄体制を支持【ちょっと追記】

http://www.asahi.com/politics/update/0324/OSK200803240055.html]
 大阪府の橋下徹知事は24日開かれた府議会警察常任委員会で、警察の留置場を本来の拘置所の代わりに使う代用監獄制度について、「治安維持などの点から考えると、実務上の必要性もある」との考えを示した。代用監獄制度は「冤罪の温床になっている」との批判が根強く、昨年5月には国連の拷問禁止委員会が日本政府に改善を求めている。

 「国の拘置施設の整備が遅れているので、警察の留置施設を代用しなければいけない実態がある」という委員の指摘に対し、橋下知事は「単なる収容能力の問題に限らない。事案の真相解明という観点からも考慮する必要がある」と述べた。
 代用監獄は冤罪の温床、すなわち事案の真相解明の妨げだから撤廃しろって言っているのに、この人は言葉が分からないんですか?

3.27 5:54 追記
 それ以前に、冤罪という公権力による「人権蹂躙」と「治安確保」について、後者を優先させるという思考、近代民主国家の弁護士資格を持っている人間とは思えないないなあ。

裁判とか司法制度とかの関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html

橋下府政ヲチ関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/osaka-hashimoto.html
posted by s19171107 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝日がダライラマ暗殺指令!

http://www.emaga.com/bn/?2008030065867387001387.yasukuni
件名:「靖國の友」朝日新聞のダライラマ法王暗殺指示

「五輪前どうにも邪魔な生き仏」これは3月20日朝日新聞朝刊に川柳として掲載されたものです。投稿した人物は風刺のつもりか何か知りませんが、所詮朝日に投稿するような人物です。そしてこのようにチベット仏教最高指導者ダライラマ法王を「邪魔」と断ずる嫌らしさ。どれだけダライラマ法王がチベット人の虐殺で心を痛めているか、どれだけチベット人が苦しめられ実際殺されているか、世界中の正しい「心」が支那中共を怒っているか少しでも理解できれば、少しでもチベット人の立場で物を考えれば解るはずです。いやいや、解っていたはずです。解って支那中共のためにメッセージを発信したのです。

 私は、この「川柳」というメッセージがダライラマ法王を取り除けという暗殺指示にしか見えません。チベット人にとってダライラマ法王とは日本人にとっての「天皇陛下」です。

 現在チベットで行われている虐殺、民族浄化は他人事ではありません。台湾が支那に落ちた今、チベットは明日の日本です。
支那中共が行っていることは、「真実の南京」です。ここで奴等の嘘を見逃してはなりません。そして支那中共に媚びへつらう朝日は日本の害毒です。


朝日新聞への抗議はこちら フリーダイヤルもあります。
http://www.asahi.com/reference/form.html
(^ω^;)
 2chでも似たような書き込みがありました。『土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。』さんとこの水俣病と人権とチベットと朝日---さて今日は何の映画を見るかでは、私なら「バーカ」で済ます程度のこれらの言説に対して結構、真面目に批判しています。そのなかで、この手の言説について、(ガチで言っているとしたら)三浦朱門センセイが推進邁進された「ゆとり教育」とやらは絶大な効力があったことになるなとあって、私もそう思っていたんですけど、どうもガチで言っているらしく、三浦センセーの目論見はホームランだったみたいですね。。。
 川柳って皮肉を以って間接的に現実批判を楽しむもののはず。「靖國」の名を冠する団体が、こういう頓珍漢というか、日本文化に対する根本的誤解をしているとしか思えない、訳わかんない記事を発信するってあんた。。。米国の手から銃後の国民と日本の伝統文化を守るために死んだ英霊が泣いているよ。。。「我が子孫、ここまで堕ちたか」って。。。

 そろそろ寝ようかと思ったんだけど、とんでもないメルマガを見て目が覚めちゃった☆
posted by s19171107 at 01:17| Comment(3) | TrackBack(1) | ウヨがウヨウヨ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロフトの非正社員正社員化の背景

 3月4日の記事にてご紹介した、ロフトの非正社員の正社員化について、25日のBS1「経済最前線」にて、その背景が特集されたので、内容を要約してお送りします。

 ロフトはもともと創業以来、非正社員の活用で増収増益一直線だったものの、非正社員を機械のように利用してきてことによりパート労働者の士気が低下し、年に1700人ものパート労働者が辞めてゆくという現象が発生。そのため、慢性的人員不足により、補充人員確保のための年間4000万円もの広告費をはじめとした各種出費で、収益が低下しつつあったそうです。
 今回の正社員化は、優秀な人材の長期的雇用を促せるため、その手の問題の解決に期待されているそうな。
 一方で、労働者の側としては、正社員化により給与は10パーセントほど上昇、60歳定年制の導入、正社員相応の社会保険など利点も多い一方で、8時間フルタイム労働を求める人は全体の2割弱と少なく、多くは主婦など、昼間の時間帯をパートタイムとして利用したい労働者でありました。そのためロフトは、働き方の柔軟性確保のために、新しいコンピューターシステムの導入による迅速なシフト割り出しを推進、また、給与についても計算しやすいように時給制を取り入れたそうです。


 さて、労働者保護は長期的な視野から言えば企業の利益にもなり、持続可能な社会の必須の要素であるというのは、左翼にとっては当たり前の認識なのですが、どうやらやっと企業の側もそれに気がついたようです。ロフト幹部も、「人間を機械のように扱うのは間違い」みたいなこと言っていましたし。もっとも、収益が大幅に減ってやっと気がついたみたいですが。
 この風潮、認識が広まることを願っています。
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2008年03月23日

「チベット武力弾圧に対する中国大使館前アピール&周辺デモ」参加記録

 3月17日の日記のコメント欄にてちょっと触れた、3月22日に東京・六本木近辺で行われた「チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン」主催、「アムネスティ日本」・「チベット問題を考える議員連盟」などが参加した抗中援チベットデモに参加しました。

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posted by s19171107 at 22:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月20日

戴いたコメントへ返信しました

以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。

チベット暴動と印象操作 (mashさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/89946565.html

今回は早かったでしょ☆
posted by s19171107 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 運営連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

各種運営連絡

 まず、戴いたコメントについて。
 コメント返信を余りに先送りにしすぎて、自分でもどの記事に対して返信をしたのか忘れてしまいましたが、分かった範囲内で返信しました。最も古いもので1ヶ月以上前に戴いたものもあって、本当に申し訳ないと思う次第です。

143冊 (amanoiwatoさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/82418014.html

女子中学生強姦事件から見る性教育の重要性 (amanoiwatoさん 天性の守護者さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/85547568.html

ウヨさんによる現在の自衛隊に対する評を「失礼」だと感じるのは、私が左翼だからだろうか (放蕩息子さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/88027478.html

非正社員の正社員化? 殿ご乱心ですか?! (mashさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/88163172.html

お得意の「被害者の人権」はどうされたんですか (五葉さん ニュースコープさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/84419978.html

劇場版『天国からのラブレター』が尻すぼみ→消滅へ (黒的九月さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/62255079.html

橋下府政ヲチ (放蕩息子さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/89483403.html

最大の問題は警察の取調べ手法 (ニュースコープさん amanoiwatoさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/89478568.html

日本ユニセフの児童ポルノ規制要望書について(天性の庇護者さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/89336929.html

沖縄少女強姦事件に対する世論と福岡3児死亡事故に対する世論の類似性 (amanoiwatoさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/85547908.html

「光市事件」と「八戸事件」のメディアにおける扱いの違い (amanoiwatoさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/84254069.html

そもそも何が問題なのかを踏まえないといけない
http://s19171107.seesaa.net/article/89840089.html

今後はもっと、頻繁に返信して参ります。
 最近、ブログ執筆に限界を感じてきた件について。

たとえば、2月22日の女子中学生強姦事件から見る性教育の重要性の記事なんて、結局、産経に嫌味が言いたかっただけなんですよ。
また、産経あたりは、米兵ではない誰かの落ち度を必死になって探していますが、強いてあげるとするならば、適切で十分な性教育を怠った教育現場と家庭の落ち度を責めるべきかと思いますが、産経には無理でしょうな。
 で、この部分が言いたいがために、産経に嫌味が言いたいがために、色々と取ってつけたもんだから、なんか話の流れが自分でもつかめていなくて、コメント欄ではちょっと誤解させてしまったようなコメントを戴きました。

 あの記事をはじめとして、どうも最近、文章構成と論理の内容の両面が以前にも増してボケているようで、何を書いていたのか、何を書きたかったのかが分からなくなることが増え、ブログ執筆に限界を感じています。そのため先日、「小論文の書き方」みたいな本を買ってきたんですよ。大学受験向けの。

 で、その本を読んでみたところ、私にかけているのが分かりました。要するに構想メモを取っていなかったんですね。今までの私のブログ執筆の方法というのは、ある話題について脳内で展開した思考をそのまま文章化していたんですよ。思いついたがままに書く。そうすれば一応オチがつくし、そもそも今までは記事自体がそんなに分量が無かったので、忘れる前に書ききれたんですよ。

 ただ最近、特に今年に入ってから文章量がどんどん増えて、思いついた先から打ち込んで行くというやり方だと、文章表現の仕方についてちょっと考えていると、途中で何考えていたのか忘れてしまう事態が起きていました。それが、前述の何を書いていたのか、何を書きたかったのかが分からなくなることが増えた原因だったわけです。

 それ以降、構想メモを取ってから、それを並べなおして文章を書くというやり方にしてみました。その第一号が、実は好きな同務に対する恋文ww

 というのも、3月というのは別れの季節じゃないですか。私も3月一杯で今の所属から離れ、同時に同務ともお別れするんです。でまあ、最後に一筆と思ったんですが、なんか振られちゃったみたいw

 せっかく論理構成の比較的確りしたのを書いたのに残念☆無念☆

 でまあ、失意の中、でも立ち直るために書いた、3月17日のそもそも何が問題なのかを踏まえないといけない。頭の中、相当カオスな状態で書いたので、論理構成については注意して書いたのですが、「救急車のタクシー利用」の論点について深い考察無しに書いてしまいました。まあ、素人の愚考として読んでいただければよいのですが、それにしても我ながら酷いなあ。

 そんなこんなで、振られちゃった精神的負担と、書いても進歩的な意味で余り意味の無い現状から、なんとなくブログ更新に対する革命精神が低下しております。ゆえに、今後暫くは更新頻度を下げ、書くためのネタ収集を中心にしてゆく所存です。振られちゃった精神的負担は、失恋板でこんな書き込みを見たのがキッカケで快方に向かいつつありますw
146 名前: 名無しさん 投稿日: 2008/01/06(日) 20:02:09
ここ読んでたらげんきになったわー!
一人の男に振り回されるなんてもったいないよー!
そう、わたしはもてるー
きれいーかしこいーすばらしいー
さあみんなもご一緒にやっほう!
そーそー 、わたしは(脳内では)もてるー
(言われたこと無いけど)きれいー(小学校のとき先生に一度だけ言われた)かしこいー(田舎の祖母に一度言われた)すばらしいー
あいつは私の魅力に気がつかなかっただけだよね☆ きっと後悔するよー

 とまあ、こんな風に、幸せ回路全開で超解釈しまくっていたら、なんかどうでも良くなってきましたwwww馬鹿って楽しいなぁwwwwwwwwww

 ところで私mixiもやっており、そっちでもこことは別に日記書いているんですよ。mixiやっている方ならお分かりいただけると思いますが、マイミクが日記を更新すると、標準設定では、自分のホーム画面の「マイミクシィ最新日記」の欄に更新通知が出るじゃないですか。私も月に4・5回くらい更新するんですが、ごく親しいマイミクを除いて、更新しても見に来ないんですよ。なんですが、「恋」とかそういうタイトルで更新すると、なんかほぼマイミク全員が見に来る不思議現象w 今回の振られちゃった一件についても「敬愛なるあの方のための恋文を送ろうとした」というタイトルで一部始終をつらつらと書いてみたら、やっぱり皆見に来たwww

 198x年生まれの人間、それも性別すら明かしていないような人間の失恋話なんて誰が聞くんだろうと思っていたけど、みんな結構興味あるんですねww
posted by s19171107 at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 運営連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月19日

改憲派論理研究:「非武装中立派」は護憲陣営の多数派ではないことをやっと分かってくれたらしい

 当ブログにて昨年10月から進めてきた「改憲派論理研究」シリーズに際してヲチしてきた討論会場では、私は繰り返し繰り返し「非武装中立平和主義者は護憲派であるが、護憲派は非武装中立平和主義者であるとは限らない」と主張してまいりました。しかし、1月11日の記事などでも書いたように、何度言っても改憲派論客の皆様は分かってくれず、今年も年初から、「自衛隊を解散せよ」系の護憲論者は護憲陣営の多数派かどうかという議題で、非・非武装平和主義の護憲派論客と改憲派論客が自身の実感(=客観的根拠無し)をもとに繰り広げてきていました。

 これらの討議は本当にくだらなすぎるので、この場においては取り上げませんが、この議題について数値資料を投下したところ、やっと改憲派論客の方も、「非武装中立平和主義者は護憲派であるが、護憲派は非武装中立平和主義者であるとは限らない」ということをご理解いただけました。

42 s19171107
 「"9条実現"や"軍隊をなくす"系の護憲派」、私が「社民党型護憲派」と読んでいる連中は護憲派の多数派がどうかという論点に関して。
 双方とも、「実感」と「経験」をもとに話しているおり、一行に平行線なので、数値資料を燃料として投下いたします。

 「マガジン9条」という、まさに「社民党型」な方々が2年前に行ったネットアンケートです。
http://www.magazine9.jp/vote/index.html
 ちょっと選択肢が悪い気もしますが、このうち、選択肢4は「現状支持」、選択肢5は「自衛隊解散」、選択肢6は「憲法はそのままに最小限の抵抗力を保持する」であります。日本共産党の見解なんかは選択肢6に近いんじゃないですかね。便宜上、「共産党型護憲派」と呼ばせてもらいます。

 さて、今、その存在について討論している所謂「社民党型」は、選択肢5に当てはまるかと思いますが、この統計上では、「社民党型」は「共産党型」の65%くらいなので、私としては「社民党型」が一定数いることは紛れも無い事実ですが、それが多数派であるとは言いがたいと思っています。
48 改憲派論客
s19171107 さん>

 とある護憲派コミュに資料をお見せしたところ、計算すると護憲派の三分の一が「非武装中立」支持者ではないかと反撃されました。

 やはり護憲派にはある程度の非武装中立論者が多いようです。

 私にはとても理解できませんが。
50 s19171107
>>48さん
 お久しぶりです。
 そうですね。1705/(499+1705+2552)*100≒35.8ですね。65%って私は一体何の計算をしてたんでしょwwwwサッパリ覚えてません。
 まあ、結論としては「一定数いるのは確かだが、多数派とは言い切れない」というのに変わりありませんが。
51 s19171107
 あ、65%って何の65%か分かったww
選択肢6(「共産党系護憲派」)を基準としたときの、選択肢5(「社民党系護憲派」)の割合ですね、これは。そうじゃないと数字が合わない。

 >>50にて改めて算出した「35.8」といのは、護憲派全体(選択肢4+選択肢5+選択肢6)を基準としたときの選択肢5の割合。

 数字的にはどちらも間違ってはいませんが、資料としては>>50の方が妥当でしょうね。
 ちょっと計算の仕方がまずかったですが、結論は同じなので気にしないw

 まあそういうわけで、昨年10月から一貫して主張してきた、「非武装中立平和主義者は護憲派であるが、護憲派は非武装中立平和主義者であるとは限らない」という私の持論については、やっとご理解いただけたようです。実際は全体の3割強に過ぎないのに、あんだけ大々的に「護憲派は丸腰志向!」と言いふらしてしまったんだから、誤りを認めざるをえなくても、「やはり護憲派にはある程度の非武装中立論者が多いようです。」と書かざるを得ないよね☆

 2chなどでは、昨今話題のチベット問題に関連して、改憲派が中心になって護憲派サイトなどへの突撃が繰り返されていることは、以前の記事でご紹介しましたが、当シリーズの討論会場については、私をはじめとした数人の非・非武装平和主義の護憲派による積極的な言論活動の成果か、改憲派による嫌がらせはまだ受けていません。恐らく今後も来ないでしょうし、もしノコノコとやってきて「非武装では中共に対抗できない」と口走っても、「誰も非武装にしろなんて言っていない」と反論しますし、「殆どの護憲派は丸腰志向じゃないか」と反論されても、今回ご紹介した数値資料を挙げて更に反論する所存です。

関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/kaikenha-ronri.html
posted by s19171107 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どこの工作員だ

http://www.asahi.com/politics/update/0318/OSK200803180103.html
 大阪府の橋下徹知事に批判的な発言をすると、抗議が殺到する状況になっている。朝礼で橋下知事に直接意見を言った職員には、18日までに1000通を超える抗議のメールが府に届き、府議会での野党議員の発言にもクレームが相次いだ。

 「府民の代表に対し礼儀がなっていない」「あんな職員はクビにしろ」

 13日、府民情報課に苦情電話が殺到した。その日、若手職員を集めた橋下知事の朝礼で女性職員が「あなたがやっていることは府職員と府民を分断している」と発言。昼のニュースが放映し、スポーツ紙には「あんた呼ばわり」「知事に下克上」の見出しが躍った。

 府の公式HPの「知事への提言」のコーナーには翌14日朝までに、1日では過去最高の409通のメールが届いた。9割以上が抗議や非難で、18日朝までに合計1091通に達した。

 一方、11日の府議会。民主党の中野隆司議員が橋下知事の著書の一節を批判しながら答弁を求めなかったところ、橋下知事が「答弁の形も与えないようなひきょうな大人にはなってほしくない」と反論した。

 これが新聞やテレビで取り上げられると、翌12日以降、事務所に「知事をいじめるな」などと約50通の非難のメール。匿名の抗議電話も約30本あったという。こうした状況に、与党の自民党府議からも「怖い。自由な議論ができなくなる」と心配する声があがっている。
 馬鹿じゃねえのか
posted by s19171107 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月17日

チベット暴動と印象操作

 チベットでの暴動については、中共覇権主義による現在進行形の弾圧が今日も続いております。

 一方で、今回の一件について、日本語ネット界隈では、報道収集による事実確認と平行して、日本の「平和団体」がチベット暴動について抗議声明を発表していないという言説が出回り、その手の言説を要約したコピペがあちこちの板に絨毯爆撃の如くされています。
 しかし、このコピペは本当に正確なものなのでしょうか。検証した反論コピペが出回っています。
904 名前: 文責・名無しさん [sage] 投稿日: 2008/03/17(月) 08:12:14 ID:TmZbB8DK0
九条の会 → 無視 → 最終更新3月11日でしたが?
http://www.9-jo.jp/
9条ピースウォーク → 無視 → 歩く日程を書くだけのサイト 印象操作の為に水増し?
http://homepage3.nifty.com/peace_walk/Welcome.html
ピースウォーク → 無視 歩く参加者募集のサイト 印象操作の為に水増し?
http://pwkyoto.com/
ピースウォーク金沢 → 無視 → 無視 歩く参加者募集のサイト 印象操作の為に水増し?
http://ameblo.jp/yes-peace/
平和を望む東大生の会 → 無視  → 最終更新2005年だけど?
http://peacetea.hp.infoseek.co.jp/
ストップ!「報復」戦争・市民の会 → 無視  → 最終更新2006年だけど?
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/stophoufukuwar.htm
不戦のネットワーク → 無視 → 最終更新3月12日
http://www.jca.apc.org/~husen/index.htm
反戦・平和アクション → 無視 最終更新 2004年 ですが?
http://peaceact.jca.apc.org/
反戦な家づくり → 無視  → 最終更新 3月12日
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/
反戦共同行動 → 無視  → 最終更新 2006年
http://www.anti-war.jp/
反戦と生活のための表現解放行動 → 無視 → 最終更新 3月5日
http://d.hatena.ne.jp/posada/
反戦塾 → 無視 → 3月17日に取り上げている
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/

結論印象操作乙!リンク先くらい確認してコピペしたら?
 確かに沈黙しているところもありますが、そもそも死んでいるサイト、ただ単に「ピースウォーク」の告知をしているだけのサイトも含まれており、水増しが印象操作の意図がみえみえです。

 また、同時に「中国のチベットに対する行いを如何思いますか」というような、妙な論点誘導手法もよく見られるようになって来ました。しかし、彼らは一体、どういう答えを望んでいるんでしょうか。単に妙な質問を大量にぶつけて、管理者が処理に困るのを見て楽しんでいるようにしか見えません。

 彼らの言動を見ていると、現実にチベット自治区内で何が起きているのかを追いかけるよりも、日本の「平和団体」を攻撃するコピペ作りや「平和団体」のサイトへの突撃を繰り返しているように見え、彼らの真の目的は中共覇権主義の侵略に晒されるチベット人民との連帯と言うよりは、むしろ、便乗して騒ぎたいだけなのではないか、とも思えたりします。

 ちなみに、当ブログでは、15日の日記において、中共覇権主義のチベット占領正当化論理はウヨさんたちの朝鮮併合正当化論理と同一のものである以上、日帝覇権主義の朝鮮植民地化政策に厳しい態度をとる人間として、同様に中共覇権主義によるチベット侵略には厳しい立場をとるものであると言明しました。

 また、この場において「護憲派」の立場をとるものとして更に付け加えると、私の場合、現在の改憲論議はアメリカの要求が深く絡んでいるため、現状での改憲策動への支持は、たとえ自衛隊を専守防衛のための軍事組織として正式に認めたいが故の支持であっても、その支持の意義は自衛隊の立場の法的定義づけには止まらない可能性が高いという観点、軍隊というのは本質的に厄介な存在であるため、できる限りの「歯止め」を規定する必要があり、その「歯止め」は、やはり「硬性憲法」という、そう簡単には変えられない国家の最高法規にも概要(すなわち、専守防衛だけに限るか、国連議決に伴う行動も良しとするか、はたまた二国条約程度でも良しとするか)だけでも明示しておく必要があるのではないかという観点から、護憲派の立場をとっており、日本の独立を維持するために必要な軍事力を否定するつもりはなく、また、中国がチベットで何をやっていようとやっていなかろうと、あくまで自国の軍事組織に対する法的な「歯止め」を求めているに過ぎないので、はっきり言って関係ありません。また、「自衛隊」が「自衛軍」だろうが「日本国軍」だろうが「日本人民軍」だろうが、法的な「歯止め」があれば何でも良いです。
posted by s19171107 at 22:50| Comment(2) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そもそも何が問題なのかを踏まえないといけない

http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0000876506.shtml
 患者や家族の57%が救急車の有料化に賛成-。こんなアンケート結果を、姫路聖マリア病院(姫路市仁豊野)がまとめた。同市では昨年十二月、男性患者が十七病院から受け入れを断られるなど、救急医療体制の弱体化が進んでおり、同院は「タクシー代わりに救急車が呼ばれないように、有料化の議論も必要ではないか」と提案している。

 アンケートは、公文啓二副院長や医師、看護師らでつくる院内の救急災害医療委員会が二月十九、二十日に外来を受診した患者や付き添いの家族五百七十二人に配布。四百七十人が回答した(回答率82%)。

 それによると、救急車の費用について53%が利用者の一部負担、4%が利用者の全額負担を容認していた=グラフ。

 一方で、救急車を呼んだ経験のある百八十三人に一一九番した理由(複数回答)を聞くと「交通手段がなかった」が十人、「救急車は無料だから」が二人おり、少数とはいえ“タクシー代わり”の利用を明らかにした。

 救急外来患者七十六人に聞いた受診理由でも、“コンビニ受診”と批判される「救急外来の方が早く診察してくれるから」が一人、「昼間は仕事や用事があった」が三人いた。

 同委員会は「通報理由一位の『早く運んでほしかったから』を選んだ中にも、病院を探す手間を省いたり、気軽に呼んだりした人がいる可能性がある。救急医療の崩壊を止めるため、市民はマナーを守ってほしい」としている。
 論考は結構頓珍漢ですが、資料的にはある意味において、意義がありますね。

 まず、この部分の論考について。
 一方で、救急車を呼んだ経験のある百八十三人に一一九番した理由(複数回答)を聞くと「交通手段がなかった」が十人、「救急車は無料だから」が二人おり、少数とはいえ“タクシー代わり”の利用を明らかにした。
 「交通手段がなかった」から救急車を呼ぶってのは当たり前すぎると思うんですがね。。。「タクシーでも呼べ」と言いたいのかもしれませんが、ほかに交通手段も無いような地域の人が、都市部に営業所のあることが多いタクシーを呼びつけて、更に病院まで運んでもらって、また帰宅するというのは金銭的に相当な負担になるでしょうから、せめて往路だけでも救急車を呼ぶってのは、何の問題も無いように思うんですが。同じく、「救急車は無料だから」という理由も、金銭的な余裕の無い病人なんかにしてみれば、仕方の無い話です。
 そもそも、昨今の救急車タクシー利用問題は、ほかの交通手段や金銭的・病状的余裕があるにもかかわらず、不必要に救急車を呼びつけることである以上、「交通手段がなかった」というのは理由として十分ですし、「救急車は無料だから」という理由も、出動要請者の経済状況次第では十分に納得できる理由であり、「“タクシー代わり”の利用を明らかにした」という分析の仕方は、いささか的を外しています。
 一方で、昨今騒がれる「救急車のタクシー利用」というのが「少数」であることを認めている点は大きいですね。

 次。
 救急外来患者七十六人に聞いた受診理由でも、“コンビニ受診”と批判される「救急外来の方が早く診察してくれるから」が一人、「昼間は仕事や用事があった」が三人いた。
 患者の病状について書かれていませんし、病気に伴う苦痛なんて患者自身の痛みに対する許容能力次第なんですから、客観的には軽症でも、患者本人としては耐え難い痛みである場合がありますので、何ともいえませんね。殊に、患者本人と出動要請者が違う場合、本人が痛い苦しいと訴えたり、あるいは出血していれば、周りの人に医学知識の無い場合、あわてて救急車を呼ぶというのは極めて人間心理的に妥当な行動だと思われます。
 それに大体、183人中の1人ですよ。統計的に何の意味があるのやら。
 また、「昼間は仕事や用事があった」という理由も、「昼間は仕事や用事があって病院にいけなかったために、症状が重症化してしまった」という可能性もあり、一概には何とも言えません。それ以前に、そもそも、こういう理由による救急搬送診察を根本的に断ちたいなら、もっと病気や身体的故障を理由に従業員が昼間から病院に行きやすいような社会的・企業的風土を培うほうが、よっぽど効果があると思うんですが。
 え?言い出さない本人の問題だって?あんだけ「あいつはKY」だとかなんだとか言っている日本人が、こういうときだけ自己主張の大切さを訴えるなんて、どうしちゃったんですかwwwwww自らの身体的不調すらも「空気を読んで」我慢しているだなんて、日本人美徳からすれば素晴らしいことじゃないですかwww私にはサッパリ分かりませんけどね、日本人的美徳ってwwwww「痛みに歯を食いしばって仕事にかんばるワタシ」ってあんた馬鹿じゃないですか。作業効率悪いからさっさと病院にいきなさい。「こまめに病院に行くことは周りの人に迷惑をかけることだ」とか思い込んでいる方もいらっしゃるかも知れませんが、作業効率が悪いくせに給料だけはキチンと持って行って、取り返しのつかないときになってから「入院するので後は頼みます」とか「医療費ください」なんて逆に迷惑ですよ。

 次。
同委員会は「通報理由一位の『早く運んでほしかったから』を選んだ中にも、病院を探す手間を省いたり、気軽に呼んだりした人がいる可能性がある。
 可能性と現実は別物ですし、先ほども申し上げましたが、「救急車のタクシー利用」の問題は、不必要に救急車を呼んでいることにある以上、出動要請者の出動要請理由について切り込まない限り、全く意味の成さない分析です。

救急医療の崩壊を止めるため、市民はマナーを守ってほしい」としている。
 結論自体は間違っていないけど、こんなに幅の広いアバウトな結論なら、はっきり言って、どんなすげえ論理を振りかざしてもたどり着くようなものである以上、救急車タクシー利用の問題に関してもっと関連性の高い、掘り下げた結論にしないと。
 こんなありきたりの結論を導くために、無茶な資料分析したんですかね、この人。
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2008年03月15日

古今日中覇権主義

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080314-00000135-mai-cn
 中国のチベット自治区ラサ市中心部で14日、独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが警官隊と衝突。AFP通信は数人が死亡、負傷者も多数にのぼると伝えた。ロイター通信などによるとデモ隊は警察車両に向け投石し放火。付近の車を横転させ複数の店舗にも火を付けた。北京五輪を約5カ月後に控え、デモ弾圧で死傷者を出したことで、中国政府への打撃は避けられない。

 米政府系「ラジオ自由アジア」は同日、目撃者の証言として少なくとも2人が死亡したと伝えた。在中国米大使館は「銃声が聞こえた」との情報を得た。

 報道によるとデモには300〜400人が参加。デモ隊は車やバイク、バスに放火した。逮捕者は10人以上にのぼっている。

 人権団体によると僧侶にはハンガーストライキや自殺を図って抗議する者もいるという。デモは中国国内の他省にも広がったとの情報もある。インドでも抗議行動が行われた。

 ラサでは10、11日に300〜600人の僧侶らが抗議デモを実施。市中心部数カ所で火災が発生し、武装警察は催涙弾を発射し、約70人を拘束した。

 インドに亡命中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は14日、「デモはチベット市民の怒りの表現だ。中国政府に市民との対話を求める」と語った。

 14日は、台湾やチベット独立を05年に非合法とした反国家分裂法の採択日で、中国の国会にあたる全国人民代表大会も開会中。デモは中央政府の動きに合わせたと見られる。

 市民団体によると暴動は、胡錦濤国家主席がチベット自治区共産党委書記だった89年、ラサ暴動が発生して戒厳令を敷いて以来、最大規模という。
 ラサでの死傷者も出たらしい暴動に隠れてしまっていますが、インド北部でも、前後して亡命チベット人によるデモが発生しました。

http://news.www.infoseek.co.jp/world/story/13kyodo2008031301000354/
 AP通信によると、インド北部ヒマチャルプラデシュ州ダラムサラから中国チベット自治区を目指しデモ行進していた、インドで亡命生活を送るチベット人ら非政府組織の100人余りが13日、インド警察に拘束された。北京五輪を前にした中国のチベット政策に抗議するデモ。今後、抗議行動は活発化するとみられる。インドは亡命チベット人による国内での政治活動を認めていない。
 この報道だけだと、ラサでの出来事も、インドでの出来事も、どちらも前後関係が全く分からないので、その辺が分かる報道が出るまで静観します。

 ところで、中共チベット自治区委員会書記は、以前、下記太字部分を発言しました。
http://www.daily.co.jp/newsflash/2008/03/07/0000865395.shtml
 中国チベット自治区トップの張慶黎・同区共産党委員会書記は七日、北京で開会中の全国人民代表大会(全人代=国会)で記者会見し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世について「北京五輪を破壊しようとしている」と非難した。

 張書記は「ダライ・ラマは毎日(中国からの)分裂活動を行っている」と批判。「求めているのは高度の自治で中国からの独立ではない」と再三述べているダライ・ラマの発言は信用しない考えを強調した。

 また、アイスランドの女性歌手ビョークが二日、上海のコンサートで「チベット独立」支持を示唆するような発言を行ったとされる問題について「発言したのが事実とすれば“たわ言”」と切って捨て「チベット自治区の人民の生活は日々改善している。独立を唆しても永遠に実現しない」と強調した。
 中共のチベット支配が覇権主義によるものであるという論に対して異論を唱える人は、少なくともウヨさんたちの中にはいないでしょう。今回のデモ弾圧についても、ウヨさんたちは、中共覇権主義の正体が再び姿を見せた、としています。
 しかし、「チベット自治区の人民の生活は日々改善している(だから俺たちの統治は間違っていない)」という中共側の妄言は、ウヨさんお得意の「日本人は朝鮮を近代化しました」「だから日本の植民地化は悪くありませんでした」というのと瓜二つであり、「中共のチベット支配正当化論理=ウヨさんの朝鮮植民地化正当化論理」という等式で考えると、中共のチベット支配が覇権主義によるものであるという論を支持することは、同時に朝鮮植民地化も覇権主義に基づくものであると認めるのに等しいです。
 にもかかわらず、どうもウヨさんの中には、その辺を棚上げした対中批判が少なくないように思われるのは気のせいでしょうか。気のせいですか。そうですか。

 なお私は、旧日本による覇権主義に厳しい立場をとるため、同様に中共によるチベットなどに対する覇権主義を厳しく糾弾するものです。
posted by s19171107 at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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