当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年04月30日

おこちゃま的思考回路

ちょっと古いネタで恐縮。後で使おうと思っていたら、時間が経ってしまいました。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008042000071
 時事通信社が11〜14日に実施した4月の世論調査結果によると、首相にふさわしい政治家は、自民党の小泉純一郎元首相が21.2%でトップだった。2位は16.0%の麻生太郎前幹事長。民主党の小沢一郎代表は7.2%で3位、福田康夫首相は7.1%で4位と、ともに振るわなかった。
 小泉氏自身は、再登板の可能性を否定しているが、衰えぬ国民的人気を見せ付けた。麻生氏も現在は無役ながら、小沢、福田両氏の倍以上の支持を集め、次期首相の有力候補として存在感をアピールした形だ。福田氏は、自民党支持層でも12.5%にとどまり、小泉氏の31.3%、麻生氏の28.3%を大きく下回った。
 麻生氏とともに、「ポスト福田」として取りざたされている谷垣禎一政調会長は2.4%、小池百合子元防衛相は1.5%、与謝野馨前官房長官は0.7%といずれも低かった。
 「衰えぬ」新自由主義者・小泉純一郎人気の一方で、、、
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080419AT1G2504V19042008.html
 日本型雇用慣行を支持する勤労者の割合が高まり、9割近くが「終身雇用」に賛成していることが、独立行政法人労働政策研究・研修機構の調査で分かった。「年功賃金」も7割以上が支持しており、同機構は「安定を求める保守志向が強まっている」と分析している。

 同機構の勤労意識調査は5回目。昨年9―10月、全国の20歳以上の男女4000人を無作為抽出して訪問調査し、約2300人から回答を得た。
 新自由主義以前の日本資本主義体制を支持する人が9割。

 以前の記事で、私は日本国民は国家の「子供」ではなく「主人」であると、あたりまえのことを敢えて書きました。この意図は、(何でも他人に丸投げする割には)不利益をこうむるとすぐに他人のせいにするといった、都合のよい思考回路をしているところにあります。
 今回の矛盾する二つの調査結果においても、手厚い保護が売りの日本型資本主義体制にとどめの一発をかました小泉を支持しながら、一方でその日本型資本主義体制の最たるものである終身雇用は欲しているという都合のよさを見せつけています。

 また、この記事に対する某SNSにおける書き込みも、、、
特に格差云々言ってるやつ。

なんで今の生活を自分で良くしようかを考えないのか・・・。
他人のせいにする前に自分に100%落ち度はないのか?
少しでも落ち度があるならまず自分自身を見直し努力なり何らかの対策すべき。

正直なところ日本人は現状の自分自身がいかに危険なのかをしっかり認識すべきだと思う。
「ミスれば死ぬ」 これくらいの認識で行動してれば多少のことがあっても大丈夫な気がする。

簡単にいうと(法律の違反とかは抜きで) 自分の身は自分で守れ、生きていくのが苦しいのを他人のせいにするなということ。

いくら頑張って稼いでも税金で取られて再分配されるくらいなら
税金少なくて、自分が危険な状態になってくたばるほうが100パーセントマシなわけです。
後者なら確実に自分の責任なわけですし。

まあ、これもかなりのエゴですけど。
 きっと、労使の力関係をいいことに低所得労働者に対する「搾取」なんか考えたことも無いような方なんでしょうなぁ。。。「ワーキングプア」にいたっては、丸一日働いてアレなんですから、もう本人としてはどうしようもないでしょう。

 それはさておき、この方は良く見られるタイプの自己責任論者です。しかし、「自分の身は自分で守れ」とか言う人に限って、風邪引くとすぐに保険指定病院に行くんですよね。そして医療費7割負担してもらうわけです。

 これも一種の子供の表れであります。すなわち、子供は自分ひとりで生きていると錯覚しがちです。しかし、ご存知の通り、病気になれば医療保険、職場で怪我をすれば労災保険、失業すれば失業保険と、我々はあらゆる社会生活において社会保障制度の恩恵を受けております。また、保健所の活動、ゴミ収集車の清掃活動、疫病が流行った時の消毒活動などの公衆衛生なども、社会保障制度の欠かすことの出来ない重要なポイントです。

 それ以前に、そもそも人間は社会的な生き物です。共和国の指導思想であるチュチェ思想においては、人間の本質は、世界と自己の運命の主人として自主的に生きようとする意識性をもち、目的意識的に発展志向で世界を改造・創造することによって自主化を達成するものであるとしています。つまり、人間の本質は自主性・創造性・意識性であるとしています。そして、これらの「本質」は人間が労働を通じた協力において社会的に獲得した「本質」であり、この3大性質を持つからこそ、人間は人間であるのだとしています。

 とすれば、人間は社会集団の一員としてのみ「人間」として生きられることを意味します。だからこそ、人間は社会集団の秩序を守らなくてはならない。そして、社会集団を維持することは即ち、「社会集団の構成要素」である個人を社会集団から欠落させないことも含みます(構成員のいない「社会」なんて「社会」ではない)。なお、チュチェ思想においては、こういう社会のあり方を「集団主義」と定義しています。(日本における「集団主義」とは若干、意味が違うっぽい)

 私は、このチュチェ思想の人間観・社会観を基本的に賛同する立場であります。ゆえに、社会秩序の維持、すなわち、今にも欠落しそうな「社会集団の構成要素」である個人を社会的にバックアップする必要があると考えております。そして、「生きるも死ぬも自己責任」という考え方に反対するものであります。

 ちなみに、こういう「社会秩序の防衛」とか「集団主義」とかを主張すると、すぐに「全体主義だ!」と脊髄反射反応を起こす方がいらっしゃいますが、所謂「全体主義」とチュチェの「集団主義」の違いというのは、前者は社会秩序の防衛・社会の利益を名目に個人の基本的人権をも侵害してもよいとする立場であるのに対して、後者はそれを許さないという立場であります。

 その点、集団主義的社会観をもつチュチェ思想を「革命」の中心理論にすえながら、実際には全体主義体制をしいている共和国については、現在の金正日指導部は「反革命分子」「反革命宗派」ということになると思われます。
posted by s19171107 at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

「痛み」が分かりすぎると社会が成り立たない

 今回は、何かとお騒がせなきっこについて。

 きっこの言説、特に裁判関係の言説については、当ブログでもコメント欄で何度か「感情屋」の一例として、皆様からご紹介いただいて来ましたが、私としては、あの糞長い記事を読む気にはとてもなれなかったので、今まで殆ど読むことはありませんでした。

 しかしながら、私も大変お世話になっている某掲示板の某スレにおいては、よくきっこの感情的扇動記事が話題になっており、殊に最近は酷いとのことでしたので、珍しく読んでみましたところ、なるほど酷い。

 というわけで、先にも述べたとおり、本当に長文で読むのも大変ですが、4月28日づけ「人の痛みが分からない人たち」をちょっと取り上げて見たいと思います。

 まず最初にこの点を指摘。
今回の事件の被害者を「1.5人」とした意見だ。ようするに、大人を2人殺したワケじゃなくて、1人は幼児なんだから、奪った命は「1.5人ぶん」にしか当たらない。だから、死刑は重すぎるっていう理屈だ。
 原文に当たれば分かりますけど、件の言説における「1.5人」のうちの「0.5人」というのは、まだ判決が出る前、すなわち犯行事実が「確定」していなかった段階においてであり、その言説の真意は、乳幼児は意図せずとも簡単に死んでしまうので、殺意の可能性は、成人よりも慎重に審理しなくてはならず、まだ判決すなわち犯行事実の確定がなされていない段階においては、「殺意可能性50パーセント」として考えるべきだ、という意味であって、決して「乳幼児の命の価値は0.5人分である」という意味ではありませんよ。

 続いて以下。
死刑判決を不当とする多くの人たちが、「2人しか殺してないのに」とか、「この程度の事件なら他にもあるのに」とかって平然と言ってることに、あたしは、とても恐怖を感じた。「2人しか」とか「この程度」とかって言える人たちって、自分の家族を2人殺されても、おんなじセリフを言えるのだろうか?
 ここだけ切り抜かれると困るんですよね。ある事件が「重すぎる」というのは、裏を返せば、別の事件が「軽すぎる」という意味でもあるんですから。
 きっこをはじめとした感情屋の方々におかれましては、「この判決は重すぎる」という声に対して、よく「被害者の気持ちを考えろ」みたいな批判をされますが、我々が使う「重すぎる」という言葉を省略なしで正確にいうと、「別の事件があんなションベン刑ですんだのに、なんでこいつだけ無期/死刑なのよ。これは重すぎるだろ。」という意味であります。つまり、非難の対象はその判決ではなく、以前のほかの事件の判決についてであります。

 というわけで、「こういう感覚の人が、他人が大切に育てたチューリップを傘で叩き切りながら歩いてるんだろうね。」という一節について謝罪と賠(ry
 いやでも本当に、この一節については、私としては言われ無き批判だと思っていると同時に、きっこの、人の話の省略部分を分析しようとせずに、勝手にその真意を悪いほうに悪いほうに引っ張ってゆき、結果的にシャドーボクシングに励んでいるという、「日本語の読めない」感情屋的な所がよく表れていると思います。

あたしの感覚だと、この犯人を死刑にするだけじゃなくて、こんな凶悪犯を育てた親も一緒に死刑にすべきだと思うんだけど。
 あら、子供って社会全体で育てるもんじゃなかったんですか。不都合の責任はなるべく狭い範囲内に押し込めて、全体の問題点については分析すらしようとせず、死刑という「その場しのぎ」で解決しようとする。
 こりゃ、第二第三の光市事件が起きても不思議じゃありませんね。そもそも、実際に起きてしまった事件を裁判を通して解き明かし、その教訓を、明日の国家・社会全体のありかたに生かそうとする意欲が無いのかもしれませんが。

沖縄で、14才の少女が、野蛮なアメリカ兵に騙されてレイプされた事件の時も、「あんな時間に繁華街をうろついてた少女のほうにも問題がある」って言ってた人たちがいたけど、鈍感さで言えば、まったくおんなじレベルだろう。被害を受けた少女は、一生癒えない心の傷を負ったのに、本来なら少女を守るべき立場の大人たちが、よってたかって傷ついた少女に責任を問いかけるなんて、なんて心無い人たちなんだろう。
 そーいや、沖縄のレイプ事件について、被害者自己責任論を振りかざす連中ほど、光市事件については「死刑!死刑!」と喚いていた気がする。

だけど、あたしをレイプしたコイツラは、この国のファッキンな法律によって、保護されて、「更生のため」ってことで、何の罪にもならなかった。そして、この時の主犯格の男は、あたしをレイプしたあとも、同じことを繰り返して、成人したあとに犯したレイプで、実刑を食らった。これは、完全に遅すぎる実刑だ。あたしをレイプした時点で、ちゃんと裁いて刑を科していれば、何人もの女性が被害に遭わずに済んだのだ。
 きっこが被害にあった事件については詳細は全く分かりませんが、たとえ、きっこが被害にあった時点で実刑をと食らっていたとしても、いつか出てくるわけですよ。強姦は有期刑ですから。
 となると、やはり「更生」させなきゃならない。4月8日の記事でも書きましたが、「更生」させるというのは社会の利益にも適っているものです。
 「更生」させることの利益というものが分からず、「犯罪者」は旧政権関係者をはじめとする「反革命分子」から、餓死するほどの極度の空腹の余り、サハコーの畑にあった小指程度の芋を盗んでしまった人まで皆排除すれば理想的な社会ができると信じ込んでいたポル・ポト一味による政治によって、カンボジアの社会システムと経済システムがわずか1年で完全に崩壊したことを忘れてはなりません。
 単純な厳罰化では解決しないのです。

あたしは、常に、被害者の立場からモノを言ってる。法律なんか関係ない。政府の立場も関係ない。1人の人間として、正直な気持ちを言ってるだけだ。そして、あたしが何よりも重要視してるのは、その事件でもっとも傷ついた人をどうしたら救えるのかってことだ。だから、その事件の元凶である加害者なんかに、かけてやる情けなんてゼロだ。何よりも重要なのは「被害者の救済」であって、加害者のことなんか考えるのは、被害者の救済が済んでからの話だ。
 『週刊朝日』5月2日号の「いま死刑を考える 存続か廃止か7人の死刑論」における原田正治氏の発言を読んだらいかがですか。
 原田氏というと、死刑制度に反対する犯罪被害者として、死刑制度存廃論議によく引っ張り出される方で、「被害者の為に死刑を!」が合言葉の存置論者にとっては目の上のこぶみたいな存在らしく、氏について「そういうのは例外」とか「原田氏にとって弟(被害者)は本当に最愛の人だったのか」みたいな恥知らずな罵倒を浴びせかける既知外がときどき沸いてくるのですが、『週刊朝日』5月2日号の原田氏のコメントは、森達也や保坂展人といったほかの廃止論客のコメントなんかよりもずっと「重い」内容でした。特に「重い」部分を抜粋してご紹介します。全文気になる方は図書館へ。
私たち家族は長谷川君(注:氏の弟を保険金目当てで撲殺した犯人)らの手で崖下に落とされました。世間の人たちは私たちに、「引き上げてやるぞ」と手を差し伸べる代わりに、崖の上から「こいつも落としてやるからな、それで気が済むだろう」といっていたのです。(中略)でも、それは、実は被害者の救済ではありません。
 さて、被害者の救済が先決であるというのは、きっこの言う通りですが、それは加害者を抹殺しないと出来ないことなんですか。加害者を「崖の下」に突き落とさないと被害者は救われないんですか。
 原田氏の言葉は本当に重く、深いです。

 ちなみに、原田氏は長谷川死刑囚に死刑が執行されないよう求めてきましたが、処刑されてしまいしました。「被害者感情」は「踏みにじられた」わけです。

 ところで以前、死刑廃止論者に対する以下のような批判を目にしました。
死刑反対派が見ているのは「被害者」でもなければ「加害者」でもない。

罪を犯した少年に「不幸な境遇がある」と決め付け、そいつらを庇っている「己の姿」だけを見ている。
今まで平和な人生をすごしてきたのか、「大事な家族を強制的に奪われた悲しみ」
というものがいまいち理解できない。想像できない。

×:罪を犯した人間→悪いヤツ→復讐したい→そいつも悪
○:罪を犯した人間→不幸な境遇がある→本当はイイ人→擁護する自分→サイコー

↑奴らの脳内がコレ。ドラマや映画の主人公にでもなったつもり。
必然的にこういうバカほどなぜか行動力がある。
自分達の主張の先に何が待ち構えているかを深く考えない。深く考えないから苦悩しない。苦悩しないかいつもポジティブ。
 実際こういう思考回路だと思われる死刑廃止論者に出合ったことのある身としては、なかなか鋭い視点だと思いますが、これって逆に死刑存置論者にも当てはまるんじゃないかと。すなわち、気の毒な被害者の立場に「共感」し、その人の気持ちを「代弁」して、「被害者という弱者の立場を支援・擁護するワタシサイコー」みたいな。
 分野はちょっと違いますが、昨今のチベット情勢をネタに北京オリンピックの聖火リレーの妨害をしている人なんて、こんな思考回路なんじゃないんですか。ダライ・ラマをはじめとする当のチベット人たちは「北京オリンピックボイコットにご協力ください」なんて言っていませんよ。

 話を元に戻します。
あたしは、人を殺しても情状面で酌量できるのは、あまりにも酷い仕打ちを受けたことに対する恨みによる殺人とか、愛する家族が不治の病で苦しんでて、見るに見かねて生命維持装置を外したことによる殺人くらいで、それ以外の私利私欲による殺人に関しては、すべて死刑にすべきだと思ってる。
 それなら比較的「犯罪者」に厳しい自民党に一票を。民主や社民じゃ半万年かかっても無理でっせ。

そして、レイプ犯に関しては、オチンチンをちょん切った上で、顔面に赤い文字で大きく「レイプ野郎」ってイレズミを彫って、一生、自分の犯した卑劣で最低なクソのような犯罪行為を後悔させてやるべきだと思ってる。
 4月2日の記事でも書きましたが、昨今の再犯の背景は、定職に就けず、生活苦から犯罪に走るという悪循環があるそうです。
 その点、アレを切り落とすのはアリかもしれませんが、顔面に赤い文字で大きく「レイプ野郎」ってイレズミなんて彫れば、当然、表の世界では暮らせなくなり、またひとり、この悪循環に陥る人間が増えるわけです。こんなことしていると、特に窃盗や強盗が増え、今以上に治安は悪化するでしょうね。

だから、あたしは、人の感性や考え方は十人十色だと思ってるし、自分と違う感性の人を否定するつもりはないけど、被害者の心の痛みが分からない人たちは、無神経なことを言わないで欲しいと思う。人の痛みの分からない鈍感な人たちの言うことなんて、所詮は、すべて観客席からの言葉、動物園の檻の外からの言葉なんだから。何か言いたいんなら、自分がレイプされたり、自分の家族を殺されたりして、人の痛みが分かるようになってから言うべきだと思う。
 二点指摘。

 一点目は、きっこの言うとおりにすれば、今まで指摘してきたとおり、社会は崩壊します。
 こういうこというと「キレイゴト言うな!」という批判がすぐ来そうですが、そもそも、何処までも利己的な人間が、他人と共存しているという「社会」というモノ自体が「キレイゴト」で出来ている以上、やはり「キレイゴト」は大切です。
 日本国憲法にも定められており、その理念については最早、誰も異議を唱えることはないであろう「公共の福祉」なんて概念は、良く考えてみれば噴飯モノですよ。赤の他人の為に我慢しろだってさw

 第二に、当事者以外口を挟むなという論理は、過去には部落問題に際しても語られました。しかし、結果はどうでしたか? 被差別者の一部が「同和利権」なる甘い汁を吸い、差別解消どころか「逆差別」にも等しい事態になり、それゆえに、被差別者のうちの一部腐敗分子のおかげで、被差別者全体のイメージが一層悪化しました。
 きっこはまた利権でも作るつもりですか。犯罪被害者だからって善人だとは限りませんよ。
 だからこそ私は、以前より、被害者の落ち度の可能性などを研究する試みそのものや、あるいは被害者の言説のうち、明らかにおかしいものに対する批判を封じようとする動きには反対してきたのです。常に自由に批評する。批評行為そのものではなく、その内容を検討する。これが「利権」を生まない大前提であります。その点、「当事者以外口を挟むな」という論理については、反対する立場を明確に示すものです。

もしも死刑がなくなったら、ビルの屋上から、人だらけの渋谷のスクランブル交差点の真ん中に爆弾を投げて、マトメて何百人も殺すようなキチガイも出て来るだろう。
 「死刑になりたいから人を殺した」というのはスルーですか。

 しかしまあ、「被害者の権利確立」という方向性は絶対に間違っていないと思うのですが、現実の現代民主法治国家の社会体制として如何に組み込むかというときになっても、こんな内容ばかりだと、なかなか前に進まないでしょうなぁ。

 本記事を読んで、「s19171107はキレイゴトを弄している!なんて冷たい奴だ!」と熱くなっている方々もいらっしゃると思いますが、繰り返しになりますが、そもそも、何処までも利己的な人間が、他人と共存しているという「社会」というモノ自体が「キレイゴト」で出来ている以上、やはり「キレイゴト」は大切です。
 被害者とその関係者の方々におかれましては、大変申し訳ないのですが、国家・社会の制度を考える上では、ある程度「冷たい」必要もあると思っています。そうじゃないと社会は成り立たない。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本・映画の次は政治ですか

ご遺族って忙しいんですね。

http://www.zakzak.co.jp/top/2008_04/t2008042830_all.html
 27日の衆院山口2区補選の惨敗で、福田康夫首相の「死に体」化が加速してきた。総力戦で臨んだ補選は、自民新人の山本繁太郎氏(59)が民主前職の平岡秀夫氏(54)に約2万2000票差で大敗したが、それでも首相は選挙結果で示された「民意」を無視して、ガソリン税などの暫定税率復活や後期高齢者医療制度の継続に突き進む。内閣支持率のさらなる低下は必至で、7月のサミット後に退陣というサミット花道論が現実味を帯びてきた。

 「あれだけやって勝てないのだから、福田さんでは次期総選挙は絶対に戦えない」。27日夜、補選の結果を受け、自民党中堅は沈痛な表情だった。

 今回、自民党は空前の総力戦で臨んだ。地元選出の安倍晋三前首相が密着したほか、国民的人気のある麻生太郎前幹事長や小池百合子元防衛相らが何度も駆け付けた。地元入りした秘書団は連日100人。大企業の現地工場には古賀誠選対委員長が出向いた。

 米軍岩国基地には選挙期間中の戦闘機などの離着陸に自粛を申し入れたうえ、平岡氏が支援を求めた工場には、日本経団連から東京の本社を通じてクレームをつけた。最後は、山口県光市の母子殺害事件の遺族である本村洋さんまで応援に引っ張り出したほどだ。

 死力を尽くしての大敗を受け、福田首相から発せられたのは「なかなかうまくいかないようですな」。お得意の「他人事」発言に、ベテラン秘書は「国民の目線ではない。暫定税率や医療制度への怒りを理解していない。早く辞めてほしい」と言い放った。

 先の中堅は今回の選挙結果から、(1)自民党が圧倒的に強かった補選での敗北(2)首相8人を輩出した保守王国での大敗(3)自民支持だった高齢者の離反−を取り上げ、「自民党の基盤が完全に崩れている。この路線を続ければ福田内閣どころか、自民党が崩壊する」と危機感を募らせる。

 だが、福田首相は平気の平左だ。28日午後、公明党の太田昭宏代表と党首会談を行い、暫定税率復活のための租税特別措置法改正案を30日に衆院で再可決することを確認。27日、フジテレビ系「報道2001」の世論調査では、再議決に対して「賛成」だったのは32.6%で、「反対」は2倍近い58.2%だった。

 民意無視の「福田大増税」が実行されれば、原油価格の高騰による調達コストの上昇分などを合わせて1リットルあたり30円前後も値上がりし、160円を超える史上最高の価格になる。容量60リットルの乗用車の場合、満タンにすると約1800円も余計にかかる。

 「平成の姥捨て山」と悪評の高い後期高齢者医療制度も、福田首相は民意を無視する構えだ。26日、外遊中のモスクワ市内で「考え方は悪くない」と、改めて見直しに慎重姿勢を示した。

 現在、福田内閣の支持率は「危険水域」の20%台だが、このまま「他人事」「民意無視」が続けば、10%台に突入するのは確実だろう。

 閣僚経験者は「7月の北海道洞爺湖サミット後はどうなるか分からない」と語るが、別の中堅は「サミットまで持つのか。支持団体の突き上げで公明党が厳しくなっている」と語る。

 自民党内には、サミットを花道に福田首相に退陣を迫り、自民党総裁選を行って局面打開を期待する声が浮上している。その際、福田首相に「暫定税率問題」「後期高齢者医療制度問題」「消えた年金問題」の責任も背負わせるという。現時点で、福田首相に「死に体」状態を打開する手は見当たらない。
 呼ぶほうも呼ぶほうですが、呼ばれて行くほうも行くほうです。

 死者とその友人への配慮の欠片も無い書籍出版、その書籍の内容すら無視して、もはや捏造の域に達するほど原作を歪曲した映画の次は政界ですか。「遺族の戦いは判決では終わらない」とは言いますが、本村氏におかれましては、次は政治ですか。

 光市事件裁判を通して、特に本村氏シンパ(本人ではない)がやってきたことは、まさに法廷の政治利用であり、先の判決にしても、「死刑が止むを得ない場合もある」から「原則死刑」という、判例違反ギリギリなものでした。これは偏に、シンパの政治活動によるものですが、法廷は本来そういうものではない以上、私は当ブログを通して、「裁判はそういうもんじゃないだろう」と主張してまいりました。その点、シンパ共の首領に(勝手に)担ぎ上げられた本村氏が、自ら政界に進出するというのは、「ほら、本村さんは裁判の政治利用は良しとせず、政界という正攻法で変えようとしている。あれだけ本村さんを拝めていたそこのお前、場外乱闘している暇があったら本村後援会の荷物もちでもやれ」といった具合に、場外乱闘に対する「鎮静剤」として使え得るというメリットがある反面、どうも「シンパ」ってやつらは、「首領」の言っていることとは一定の距離を置いた活動を「首領」の名の下で行っているらしい(光市裁判然り、原田正治氏に対する罵倒然り、昨今のチベット問題に絡む北京五輪ボイコット運動然り。ダライラマは「北京五輪をボイコットせよ」なんて言っていない)ので、実際のところは本村氏がいくら政界に進出しようとしても、昨今の場外乱闘の風潮は余り変わらないようにも思います。

 それよりも心配なのは、どうも日本人は気の毒な境遇にある人に甘く、批判などを加えることに躊躇し、また、ある人物に対する評価が全体的すぎるという点であります。前者については、「気の毒」な境遇とは直接関係のない問題についての批判すら白眼視する風潮、後者は、たとえば朝鮮労働党の金正日総書記に対する評価、すなわち「独裁者金正日」と「思想家金正日」が全くのイコールでつながれてしまっているという点です。チュチェ思想の本を読んでみてください。「独裁者金正日」とは別の「金正日」の一面が見られますよ。

 つまり、何を危惧しているかというと、もし本村氏が本当に政界に進出した日には、恐らく犯罪被害者の権利を中心に活動なさることと思われますが、たとえば、明らかに現代民主法治国家における裁判には馴染まないおかしいことを口走ったとしても、「ご遺族」の威光で批判が封じられてしまうのではないか、ということです。
 当たり前ですが、「犯罪被害者遺族」と「政治家」というのは、いくら活動範囲が重なったとしても、決してイコールでは繋がらず、両者は基本的に個別の肩書きです。しかし、先にも書いたとおり、日本人はある人物に対する評価が全体的すぎるがゆえに、「政治家本村洋」に対して批判しているのに、「遺族本村洋」を盾にその批判が封じられないか、ということであります。

 もちろん、ご本人がそんな露骨なことはやらないでしょうが、心配なのはやはりシンパの動向。そして、シンパの攻撃によって、「政治家本村洋」に対する批判が萎縮しないか、という点が心配であります。

 もっとも、まだ補選の応援演説に出ただけなので、本当に政界に進出するかは全くの未知数ですが、やるときはやりますからね、彼。

 しかし、少なくとも自民党とのつながりはこれで見えましたね。


※追記
 なんか勘違いしている方がいらっしゃるようですが、私としては、本村氏に限らず、「犯罪被害者」の方々におかれましては、法廷の外で色々されるよりは、政治という手段で自己の要求を実現されるほうがずっと良いし、それこそ正攻法だと思っておりますので、別に本村氏が政界に進出することについては反対はしません。特別、応援もしませんが。
 ただ、何故、別に少年法が焦点でもない今回の補選で、ある特定政党の応援演説に出たんだろうと思った次第であるとともに、もし本当に本村氏が政界に進出した場合の、シンパ共の動向が心配だ、という思いから、この記事を書いた次第であります。
posted by s19171107 at 08:47| Comment(9) | TrackBack(2) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

「人が人を弁護することが出来ない」なら「裁くこと」も「罰すること」できないのでは?

 『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』という本が何だかちょっとした人気なようです。著者は今枝仁氏。途中解任された光市事件元弁護人です。
 私も光市事件関係資料の一つとして今読んでいるところなんですが、弁護活動の問題点について、世論(笑)とは別の角度、すなわち、更生という点に関して、弁護団内部の視点から指摘しており、大変面白い内容であると思います。今枝氏の回し者ではありませんが、皆様も是非お買い求めいただきたい。

 ところで、この本の帯は宮崎哲弥が書いています。その内容が以下。
97.4.28-1.JPG(クリックで拡大できるけどしなくても読めるでしょ)
「本当は、人が人を弁護することなんかできない。それをわかっている弁護士こそが、真の『人権派』だ。この男、わかっている。」 ですって。

 ふむ、確かに面白い視点ですが、それをいうなら「人が人を裁くこと」も「人が人を処罰すること」もできないんじゃないですかね?

 まあ、こんなこと言うと裁判なんて成り立たなくなるので、その辺は割り切って考えなきゃいかんのでしょうが、それにしても宮崎の言葉の軽さにはいつもいつも、ある意味「感心」しますねぇ。

 それはさておき、「人が人を処罰すること」ができないのではないか、という論点は、死刑制度についての討論においても良く出てくるように思います。すなわち、国家が人の死にまで関与することができるのか、というような感じです。

 当方が、死刑制度についての明確な意見を未だ確立していないというのは、以前から書いている通りですが、こんだけ裁判関係の記事を書いてきている以上、そろそろ固めの作業に入り始める時期ではないかとも思っています。もちろん、そう簡単にはいかない難しい作業ではありますが、「被害者遺族の感情」だけではなく、様々な角度から、時には被害者遺族におかれてましては、「冷たい」と思われるようなことも覚悟で、考えてゆきたいと思う次第です。

 なお、先に書いておきますが、昨今は「心情的に理解できるから正しい」という、妙な、論理にもならないような論理が幅を利かせています。また、感情屋の皆様の言説を分析してきた経験上、「常識的に考えて」という言葉も、数え切れないほど見てきました。その点、死刑制度について考えようとすると、「常識的に考えて死刑存置だろう」というようなご意見を戴くものと存じますが、私としては、所謂『常識』を「常識だから」として検証しないでいる限りは、死刑制度に限らず、あらゆる問題について進歩は無いと考えます。そして、死刑制度というのは国家の刑罰システムである以上、色々な視点で語られてしかるべきではないでしょうか。

 そういう観点から、今、私は死刑制度の是非以前に、「なぜ最愛の人を殺した人間を殺したいと思うのか」という点について考えています。

 もちろん、心理的・感情的には「殺したい」気持ちは分かりますよ。しかし、なぜ、数多ある方策の中から、あえて「殺したい」と思うのか。現実に死刑制度と「被害者遺族感情」が切っても切れない関係にある以上、「心情的に理解できるから正しい」などという思考停止にも近いものではなく、真に論理的に考えなくてはならないと思います。

 ちなみに私としては、加害者を本当に苦しませたいのならば、一瞬で終わる絞首刑ではなく、手足の指を一本ずつ切り落として切り口に丁寧に塩を塗りこむといった、古代の拷問みたいなことの方が苦しむと思います。しかし、それだっていつかは体力の限界が来て死ぬし、刑務官も発狂しかねませんので、死刑判決によって死の恐怖を感じさせながら、実際は絶対に処刑はせず、発狂しない程度に狭い部屋に隔離して、日中は本当に何もさせずにただ正座させ、独り言を禁止し、病気になれば全力で治療して回復させ、寿命が来るまで生き延びさせるほうが「苦しむ」のではないかと思います(少なくとも私は死刑よりこっちのほうが怖いです)が、やはり世間では「殺したい」という意見の方が根強いようです。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 21:26| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オーストラリアじゃなくてオーストリアですよ

http://mainichi.jp/select/world/news/20080428dde041030030000c.html
 オーストリア東部アムシュテッテンで、女性(42)が24年間にわたって実の父親に自宅地下室に監禁され、父親の性的虐待を受けて子ども7人を出産していたことが分かった。実の父親による前代未聞の事件に、地元メディアが「想像を絶する」と報じるなど、オーストリア国民は大きな衝撃を受けている。

 19〜5歳の子どもたちも女性とともに監禁され、19歳の長女が意識不明の重体で病院に搬送されたことから発覚した。地元警察当局は、監禁の疑いで父親のヨーゼフ・フリッツル容疑者(73)を逮捕。DNA鑑定で血縁関係の確認を急いでいる。

 地元メディアによると、女性は18歳だった84年から行方不明とされていた。閉じ込められていた窓のない地下室には、寝室と調理用スペース、便所はあったが、地下室の入り口は小さく、鍵を開ける暗証番号はヨーゼフ容疑者だけが把握していたという。
 栃木の実父殺し事件も、殺していなかったらこんなことになったんだろうなぁ。。。

 ところでこの事件、オーストリア(墺)での出来事なんですが、ν速+見ていると、オーストラリア(豪)だと勘違いしているアホが思いのほかいて藁田wwそして、捕鯨論争以来、オーストラリアに対して妙な敵対心を持っている方が増えているようで、鯨と絡めているアホもいますね。。。
posted by s19171107 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月27日

ある意味「奴隷」より劣悪な「労働者」

http://www.j-cast.com/2008/04/26019537.html
連合(日本労働組合総連合会)の高木剛会長は2008年4月26日、東京都内で開かれたメーデー中央大会で、「休みたいなら辞めればよい」と発言したとされる日本電産の永守重信社長を強く批判した。高木会長は「言語道断。労働基準法が雇用主に何を求めていると思っているのか」と、同社長の姿勢を非難。大会に出席していた舛添要一厚労相は「きちんと調査する」と応じた。

舛添厚労相「きちんと調査し、指導すべきは指導する」

永守社長は4月23日の記者会見で

「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」
と発言したと報道され、論議を呼んだ。この「経営最優先」の発言については、高木会長も労働団体のトップとして黙っていられなかったようだ。

高木会長は、「仕事と生活の両立」を指す「ワーク・ライフ・バランス」の必要性を強調する中で、反面教師として日本電産社長の発言に言及。「休みたければ辞めればいい」発言については「この会社の時間外・休日労働の実態を調べてみたい」とした上で、「休日返上で働くから成長できる」との発言に対しては

「まさに言語道断。労働基準法という法律があることを、また、労働基準法が雇用主に何を求めていると思っているのか、どのように認識されているのか。ぜひ問いただしてみないといけない、そんな怒りの思いを持って、この日本電産のニュースを聞いたところであります」
と憤りをあらわにした。

これに対して舛添厚労相は、直後の来賓あいさつで

「労働関係法令はきちんと遵守してもらわないといけない。きちんと調査し、指導すべきは指導し、法律にもとるものがあれば厳正に処分する」
と応じた。

「非正規労働はホームレス問題と直結」

この日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれたメーデー中央大会には約4万5000人が参加(主催者発表)。中央大会に続いて、パートや派遣など非正規労働者の待遇改善を求める「非正規労働メーデー」も開かれた。

「ワーキングプアの反撃」などの著書で知られる作家の雨宮処凛(あまみや・かりん)さんと高木会長がトークライブに臨み、「非正規労働の問題は、ホームレスの問題と直結している」などと訴えた。

雨宮さんは

「非正規労働についての取材をしていると、今(非正規雇用で)起こっている問題は、ホームレスの問題と直結していることがわかります。ちょっとした怪我や病気で契約を切られてしまって、すぐに収入がゼロになってしまう。雇用形態によって、生存が脅かされる状況になっています」
と、非正規労働者がちょっとしたきっかけで「ネットカフェ難民」に転落しがちだと指摘した。

一方、高木会長は「連合は、正規労働者しか守ってこなかったのではないか」と問う声があることについて、これまでは非正規労働者への取り組みが不十分だったことを認めた。その上で「主犯は経営者、従犯は労働組合」との認識を示し、経営者の姿勢をただしていく構えを見せた。
 当方としましては、以前の記事でも書いたとおり、適切な休息こそが効率的労働に不可欠であるのは人間も機械も同じという観点から、「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」というこの発言については批判的立場をとります。

 ところで、コメント欄に以下のような書き込みがありました。
経営者の本音なんてこんなもんだ。
休みなしでもいいが、その分給料は支払うつもりがあるならともかく、休みなしで働け!金も出さん!というのであれば、奴隷制度そのものだよな。
 いえいえ、奴隷制度とはかなり違いますよ。
 奴隷というのは、多くは主人が奴隷商人から買い取った「所有物」である以上、その生存は保障されています。確かに頭の悪い奴隷所有者なら、休みなしで働かせるでしょうが、ある程度、考える頭のある奴隷所有者なら、どれだけ長く奴隷を「保たせる」かというのを考えるので、ある程度の「メンテナンス」をします。所謂古代の「奴隷」というのは、現代で言うところの「製作機械」です。

 一方で労働者は、仕事のあるときだけ雇い入れられる。そして、雇用期間以外の暮らしについては全くのノータッチであり、これは主人の「所有物」である奴隷とは異なります。もちろん、労働者は使用者の所有物ではないので、雇用期間以外の暮らしについてノータッチであることは当然ですけど。

 ですから、労働者というのは、ある意味において奴隷よりも劣悪な環境にいると思うのですが、どうでしょうか。
posted by s19171107 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光市事件:まだ続く意味不明な場外乱闘

(もう5回目くらいの繰り返しになりますが、先日の光市事件差し戻し控訴審については、変な先入観などを抱かないために、判決分析が終わるまで報道や世論などを一切みないように努めていたのですが、ひょんなことで以下の報道を「目にしてしまいました」ので、これに関してだけは、例外的に判決分析完了前に書きます)
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/080426/its0804260042000-n1.htm
 青山学院大学(伊藤定良学長、東京都渋谷区)は25日、同大学の教員が個人HP(ホームページ)に記した記述が不適切だったとして、学長名義での謝罪文を大学HPに掲載した。

 問題となった記述は、国際政治経済学部の瀬尾佳美准教授(環境経済学)の個人HP内のもの。この中で「私は死刑廃止論者ではない」としつつも「少年に対する死刑には原則反対」と主張、山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦致死などの罪に問われた元会社員の被告(27)=犯行当時(18)=に死刑を科すのは重すぎるとして、「最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ」「まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので『傷害致死』の可能性は捨てきれないと思っている」などと持論を展開した。

 さらに、被告弁護団に対する懲戒処分請求を呼びかけた現・大阪府知事の橋下徹弁護士について「大阪府知事なんかエロノックだって務まったくらいですから誰でもかまいません。ま、人間の廃物利用ってところでちょうどいいじゃないですか」と述べたり、差し戻した最高裁の判事の妻について「おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」などと書き、ネット上で批判の声が上がっていた。

 この騒動を受け、伊藤学長は「当該教員の記述は適切でなく、また関係者のみなさまに多大なご迷惑をおかけしたことはまことに遺憾であり、ここに深くお詫び申し上げます」と謝罪、「今後このようなことが繰り返されることのないよう努めてまいります」とする声明を大学HPに掲載した。
 本件は、当ブログでも4月25日づけ現代日本の文化大革命的熱狂にて取り上げた『おいしいものが食べたい』さんのブログ記事が発端であるようです。

 私も問題の記事にトラバを送った関係上、件の記事は一応読みました。瀬尾准教授が、光市事件被告人に対して死刑を科すことに反対する理由のひとつとしてあげていた「日本では18歳になっても選挙権がないから。選挙権もないのに、義務だけあるのは気に入らない。」という視点については、私も一考の価値があると思いますし、「国が死刑という形で犯す殺人には、熟慮が必要」という主張や、あるいは下記主張には、全く異論ありません。当ブログにおいても、チュチェ96年10月8日づけ裁判:署名で罪が決まるときをはじめとして、再三、主張してきたことであります。
 刑事事件の場合、遺族感情が量刑に影響するのには違和感がある。遺族感情が激烈でテレビの前で泣き喚けば罪が重く、タネ馬として用済みになっちゃったそのへんのお父さんみたいに、殺せば家族から礼状が届くような場合なら罪が軽い・・なんて刑事としてはおかしくないか?民事なら別だ。民事なら価値の高い人を(交通事故とかで)殺せばそれだけ賠償額も大きくなる(専業主婦なら安くて済む、本当)。が、刑事の場合は、家族なんかあってもなくても、一人を殺したら同じ刑にすべきではないのか。
 一方で、「対してこの事件は1.5人」という、本場外乱闘でも殊のほか叩かれているくだりについては、乳幼児は簡単に死んでしまうので、乳幼児に対する「殺意」については、成人に対する「殺意」よりも慎重に分析する必要があるという点についてはその通りだし、文脈的に、この「1.5人」のうちの「0.5人」というのは、恐らく「殺意可能性50パーセント」という意味での「0.5人」という意味であるように読めたんですが、それでも流石に「1.5人」という表現の仕方は、読み手の誤解を招く良くない表現の仕方かと。

 それはさておき、このように良い視点を持ちながらも、大切なところで、言わなくても良いようなことを書いたり、あるいは拙い表現をしてしまったがために、産経にまでネタにされてしまうくらい炎上してしまった瀬尾准教授の記事ですが、これ瀬尾准教授の個人ページでの出来事じゃないんですか? 小学生の問題行動じゃあるまいし、なんで青学の学長名義で大学サイトのトップページに謝罪文が掲載されるんでしょう。
 別の通信社の記事で読んだ覚えがあるのですが、なんでも、准教授個人ページでの出来事であるにも関わらず、青学の事務室に抗議電話が殺到したからだとか。青学トップページに掲載されている「謝罪文」の、いい具合にやる気の無い文面から見るに、おそらく、いくら学校関係者だからといって、准教授の個人ページでの出来事に関してまで大学の事務に電話かけてくるようなアホには、形式的にだけでも謝罪しとけば気が済むだろう、というような感じで書いたんでしょうね。
 そして日本人は、とにかく批判に対して「そうです仰るとおりです」と言っていれば「反省」したとみなす方々ですので、このような中身の無い完全な形式的謝罪でご満足するんでしょうかね。もしもし電凸抗議者さん?あんたらバカにされているんですよー

 ところで、本場外乱闘に対する「世論」として、以下のようなものがありました。
瀬尾の発言について
名古屋アベック殺人事件や
女子高生コンクリ事件並に 凶悪な犯罪・・・

光市母子殺害事件に対して瀬尾佳美の ブログでの心無い言葉の数々
私たちは決して忘れません
青山大学の品位を問います

公式発表をして処分なり、厳罰なりを与えてほしいです。
 昨今流行の「厳罰」です。しかし、この「厳罰」の目的って何でしょうか?社会に対して?社会に対しては迷惑かけていないでしょう。遺族に対して?遺族は何も言っていませんよ。勝手に「代弁」するな。
 昨今流行の「厳罰化」について、当方が極めて慎重な立場を取っていることは、当ブログを以前からご訪問いただいている方々におかれましては、ご存知かと思います。これは、余りに厳罰化に偏向すると逆に社会的不利益が起こる可能性があるからでありますが、それと共に、昨今の「厳罰化」志向は、その目的が何なのかいまいち判然とせず、単に気に入らない奴に対して苦役を科し、苦しむ姿を見て、黒い欲望を満たすためなのではないかという予感がするからであります。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 11:10| Comment(6) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

八戸家族殺害事件:家裁送致

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20080426-OYT8T00018.htm
 八戸市のアパートで母子3人が殺害、放火された事件で、青森地検は25日、殺人や死体損壊、現住建造物等放火などの非行事実で無職の長男(18)を「刑事処分相当」の意見書を付け青森家裁に送致した。同家裁(小川理佳裁判長)は同日、長男の2週間の観護措置と審判開始を決定。長男は青森少年鑑別所に収容された。今後、〈1〉検察官送致(逆送)〈2〉医療施設などでの保護処分〈3〉児童相談所長などへの送致〈4〉不処分――のいずれかを判断する。

 長男側の関係者によると、長男は弁護士に対し、「どのような処分も受け入れる。鑑別所は本が読めるので楽しみ」と話しているという。

 同家裁は同日、5人の調査官による共同調査を決定。観護措置期間は最大8週間で、長男や保護者などの面接を行い、殺害動機や家庭環境などを調べる。

 少年法は、16歳以上の少年が故意に人を死亡させた場合、原則逆送と定めているが、保護処分になったケースもある。福島県会津若松市で昨年5月、少年(当時18歳)が母親を殺害した事件では、2件の精神鑑定の結果が、「軽度の障害はあるが責任能力に問題はない」(検察側)、「明らかな精神疾患があり責任能力はない」(付添人側)として、真っ向から対立。福島家裁会津若松支部は「責任能力はあるが、軽度の精神障害があり、治療が必要」として、医療少年院送致の保護処分とした。

 今回の事件では、検察側の精神鑑定で「責任能力はある」との結果が出たが、長男側は再鑑定を申請する方針。

 一方、青森地検は同日、審判への検察官の立ち会い(検察官関与)を青森家裁に申し入れた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080425/trl0804251907010-n1.htm
 青森県八戸市で1月、母子3人が刺殺され、アパートが放火された事件で、青森地検は25日、殺人と死体損壊、現住建造物等放火などの非行事実で、無職の長男(18)を青森家裁に送致した。意見書の内容について、同地検は「審判に影響を与えるおそれがある」として明らかにしていない。

 同家裁は同日、2週間の観護措置を決定し、少年を青森少年鑑別所に収容した。観護措置は最大8週間まで延長可能。今後、少年審判(小川理佳裁判長)を経て、検察官送致(逆送)や少年院送致など、少年の処分を決定する。審判には、地検が検察官立ち会いを申し入れている。

 観護措置の間に、5人の家裁調査官が少年や父親らと面接し、非行の動機や態様、少年の性格と心身の状態、家庭環境などを調べる。

 少年は殺害した母親の腹にオルゴール付きの人形を入れるなど、異様な非行態様だったことから、同地検は約2カ月間にわたって少年の精神鑑定を実施、「刑事責任能力に問題はない」との結果を得た。
 当ブログにおいては、本件事件は2月16日づけの記事にて光市事件報道との比較という形で一度取り上げたきりでした。これは、光市事件と福岡3児死亡事故の追っかけで精一杯だったためです。
 しかし、先日判決のあった光市事件が再度差し戻される可能性は余り無さそうですし、福岡3児死亡事故についても、しばらく音沙汰が無さそうです。つまり、余裕が出来ました。また、極めて個人的感想に過ぎないのですが、本件と光市事件は何となく似ているところが幾つかあるように思え(理由は2/16の記事に書きました)、光市事件が死刑ならば、本件はどうなるのかということに興味を感じます。
 ゆえに、今後は当ブログの裁判関係の記事は、福岡3児死亡事故関係と本件の2つについて、特に「世論」と「メディア報道の仕方」をメインに編集して参ります。

 なお、本件事件は、メディアなどでは「八戸母子殺害事件」というふうに表記されることが多いですが、当ブログにおきましては、本件が「家族殺し」という点に注目しておりますので、あえて「八戸家族殺害事件」という風に表記して参ります。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

現代日本の文化大革命的熱狂

 さて、当ブログは一応アクセス解析をつけているのですが、「光市バブル」と言ってよい事態となっております。グラフをご覧ください。
97.4.25.JPG
(クリックで拡大)
 通常の数倍もご訪問を頂いており、そして、リンク元統計によると、その大部分がおいしいものが食べたい 光市母子殺害事件:元少年に死刑は重すぎるの記事に対して当方が送信した、光市事件:真に法廷を死刑制度闘争に利用しているのはどちらなのかのトラックバックリンク経由でお越しいただいております。

 前掲の『おいしいものが食べたい』さんの記事は、内容が内容だけに、Gogleで検索してみると、「基地外」だとか罵倒されております。当方の記事に関しては、幸いにして、確実に間違いないことを書いておりますし、裁判そのものとは殆ど関係ない「場外乱闘」のひとコマに対する指摘記事だったので、罵倒されることも無く、荒らされることも無く、今のところ平穏であります。

 ところで、リンク元統計を詳細に分析すると、件の記事経由の訪問数と日付に関して、ある興味深いデータが取れました。端的に言うと、判決後に訪問数が急増しています。4/18〜本日現在までのデータをご覧ください。

4/18       
4/19       1
4/20       1
4/21       
4/22(判決日)  7(7件全て判決終了後の訪問)
4/23       529+82(元記事+「魚拓」)
4/24       549+99+18(元記事+「魚拓」+「魚拓2」)
4/2521時45分 184+29+3(元記事+「魚拓」+「魚拓2」)


 判決翌日の4月23日になって跳ね上がっているというのがお分かりいただけると思います。また、4月23日から見られるようになった「魚拓」経由の訪問についても、あの魚拓自体が、4月23日になってから取られたものであります。

 つまり、例の「基地外」という罵倒は、判決によって自身の主張について裁判所による「お墨付き」を得た方々が、得意になって「そらみたことか、やっぱり基地外だ」と騒いでいらっしゃるということになると思われます。

 そして、皆様もご経験あると思いますが、あるブログ記事を閲覧したとき、必ずしもトラックバックされている記事まで見ようとは思わないんじゃないでしょうか。少なくとも私は、本当に興味ある分野の記事でもない限り、トラックバックまでいちいちクリックしません。つまり、たとえば4月24日の「549+99+18」という数値は、すなわち、リンク元のブログ記事にはもっともっと沢山、数倍の訪問があるということになります。そして、それらの訪問の多くは、裁判所の「お墨付き」でkskした方々によるものと思われます。

 私は、光市事件については、「世論」の収集・分析から関わるようになったと以前の記事に書きましたが、その過程で、熱狂的且つ狂信的な内容に何度も背筋が凍るような思いをしてまいりました。本差し戻し控訴審に関する世論は、先に書いたとおり、判決分析研究が終わるまでやらないことにしていますので、どんな状況になっているのかは具体的には分からないのですが、今回ご紹介したこの数値を見るだけでも、本判決によって「お墨付き」を得た方々による「世論」が、いかに沸騰しているかというのは、容易に想像がつきます。

 そして、公権力だとかカリスマ的権力といったものの「お墨付き」によって、不満分子が熱狂的・狂信的に騒いでいる(らしい)という現状は、文化大革命的熱狂を感じます。

 本件裁判は、日本の刑事裁判が抱える問題の大半を包含していた上に、裁判員制度直前の重大事件ということもあって、歴史的にも注目すべき一件でした。その裁判の判決に対する世論が文化大革命の熱狂そっくりなものになってしまったということは、いよいよ日本も恐ろしい時代に入りつつあることを示しているものと危惧します。
posted by s19171107 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月23日

戴いたコメントへ返信しました

 以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。

反省って何だろうね (「amanoiwato」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/57020658.html

 光市事件差し戻し控訴審判決については、判決文がアップされるまで待つということは、先に述べたとおりです。まあ、判決文を見ずに報道や世論の分析もできないこともないのですが、「amanoiwato」さんから頂いたコメントで、「素直に反省の弁だけ述べていれば死刑は免れたかもしれないのに。あの弁護団が余計な事を被告に焚きつけたせいで心証が悪くなった」というものが多かったと教えていただきました。

 そのコメントに対する当方の返答コメントにも書きましたが、本差し戻し控訴審は、最高裁が破棄差し戻しをした時点で、従前(1審・控訴審・上告審)の弁護方針・弁護内容ならば死刑にするほか無いという前提がついていたわけです。本裁判では、特に1審・2審においては情状弁護が中心でした。つまり、本差し戻し控訴審で情状弁護しかしなかったのならば、確実に死刑だったわけです。

 まあ、はっきりいって、こんなのはちょっと考えれば「庶民の感覚」でも簡単に分かるはずなんですが、それでもあのような「世論」があるということは、いかに本裁判の内容が、最高裁判決の意味すら省みられていなかったのかの証左であります。となると、やはり本差し戻し控訴審についても、全ての根幹である「判決文」を読まない限り、その批評は絶対に出来ません。

 先ほど、裁判所の判例検索で本判決を検索しましたが、まだあがっていないようです。ゆえに、当ブログにおける本判決関係の記事は、今しばらくお待ちいただきたいと思います。
posted by s19171107 at 05:50| Comment(3) | TrackBack(0) | 運営連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

光市事件判決@携帯から投稿

光市事件に死刑判決がでたようです。

携帯電話のニュースサービスで見ただけなので、詳しいことは分からないのですが、強姦の計画性が否定できないからだとか。

このくだりに違和感を感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、少し説明致しますと、基本的に、刑事裁判では、挙証責任は検察官が担い、その主張が確実だと思われない限り無罪になるというもの(推定無罪)なんですが、本差し戻し控訴審は、死刑前提(「推定有罪」)のだったので、挙証責任は逆転して弁護人にあり、その主張は、強姦の計画性を否定していた。それが確実に否定できないがゆえに、死刑判決でたわけだと思われます。

その判断が果たして妥当なのかについては、判決文と各種資料を比較・分析・研究しなければならず、そのためには、判決文全文が裁判所のサーバーにあがるまで待たなくてはならないというのは、昨日の記事にて書いた通りです。

ちなみに、新聞などに掲載される判決「要旨」は、かなりはしょっているので、使わないほうが無難です。
posted by s19171107 at 13:21| Comment(1) | TrackBack(2) | 携帯端末より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月21日

明日の判決を前に

 さて、光市事件差し戻し控訴審判決が明日に迫りました。

 当方は本件に関しては、昨年7月ごろから本格的に取り上げるようになりましたが、実はそれ以前は本件に関して余り興味はありませんでした。強いて言えば、「屍姦って、変わった性癖の人もいるんだなぁ」程度。良くも悪くも、数多ある殺人事件の一つとしてしか見ていませんでした。

 しかし、7月の集中審理期、yahooニュースからリンクされているブログなどを見ていると、どうも刑事裁判に対する認識からして誤っている人が多い。中学校公民で習った記憶によると、裁判は「検察主張の事実が正しいかどうかから審理を始め、検察主張が正しいと認められる場合にのみ、刑罰を検討する」だったはず。とすれば、2009年から始まる裁判員制度によって、実際に国民が裁判員として刑事裁判の量刑検討にまで関わる現状においては致命的大問題ではないか、という危機感から、とりあえず今のところ、どういう情勢になっているのかを調べるために、本件裁判に対する「世論」収集という形で本件に関わり始めました。

 そしてその後、福岡3児死亡事故にもちょっと首を突っ込み、光市事件に対する「世論」と福岡3児死亡事故に対する「世論」をあわせて「感情屋習性研究」という形で、今日まで司法関係の記事を編集してまいりました。また、「感情屋習性研究」の過程で、感情屋の皆様におかれましては、メディアによる決め付け報道によって感情屋となられているらしいことを見出し、「感情屋習性研究」と並行して、当ブログでは、「メディアにおける裁判報道研究」として、そのほかの刑事裁判報道と光市裁判報道を比較してきたりもしました。

 さらに、刑事裁判の内容について批評するならば、裁判で何を争われているのかを知らねばならないという、まあ当たり前といえば当たり前の見解から、メディアでは殆ど報じられることの無い弁護団主張を知るために、弁護団が出した本や弁護資料の収集、2月2日に東京阿佐ヶ谷で行われたジャーナリストの綿井氏と差し戻し控訴審弁護人の河井氏のトークショー、また3月15日に東京四谷で行われた弁護団も参加するシンポジウムなどにも参加し、それらの内容のご紹介をしてまいりました。それらは明日、一応のひと区切りを迎えることになります。

 私は、最近はちょっと省略させていただいておりますが、昨年9月くらいまでは、本件裁判関係記事のどこかには、以下のようなことを添え書きしておりました。
この被告の「元少年」に死刑判決がでても、司法の判断ならば構いません。(私は日本の司法については行政裁判以外の場面では基本的に信頼する立場であります。死刑制度についてはまだ意見の形成が出来ていないので賛成でもないし反対でもないです。)
(上記は07年7月28日づけの記事から転載)
 この認識は、今も変わっていません。ゆえに、明日の判決がどのようなものであっても、検察側・弁護側双方の主張をきちんと踏まえた上での判決であるならば、それを支持する立場をとるつもりです。

 明日の判決は、これだけ注目された事件ですので、皆様色々な思いでいらっしゃることと存じますが、私はこういう思いで今晩すごす方針であります。

 また、明日の判決が「検察側・弁護側双方の主張をきちんと踏まえた上での判決」なのかを私なりに考えるために、明日の判決については、判決文と、いままで収集してきた本件裁判資料を突き合せて分析する方針です。明日の判決について、当方の見解はいかなるものなのかということを気になさっている奇特な方がいらっしゃいましたら、私としては、判決分析をしてから本件裁判判決についての記事を書こうと考えていますので、多分22日中には講評できないと思われますので、最長で今週末くらいまでお待ちいただけるとありがたいです。急かされても困るので急かさないでくださいねww
posted by s19171107 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新潮の恣意的記事について(今更)

 明日に迫った光市事件差し戻し控訴審判決を分析するための弁護団側の資料として、新たに光市事件弁護団は何を立証したのかを取り寄せました。この本は、私も参加した、3月15日に東京四谷で開かれたシンポジウムの内容を文字起こししたものです。今読んでいる最中なのですが、今のところ、「あれこんなこと言っていたっけ?」みたいなことは無く、内容に一部注釈が加わった編集となっています。

 さて、件のシンポジウムといえば、週刊新潮4月3日号が恣意的記事を書いていることは、皆様ご存知かと思いますが、当日参加していた私としては、シンポジウムの主題である「検察主張と客観的証拠の矛盾」について一切触れずに、当日の会場の雰囲気だとか、あるいは弁護人の発言の前後の文脈関係を全く無視した、発言の恣意的切抜きばかりやっているなあ、と思うと共に、ある記事のコメント欄においても書きましたが、これこそ、逆説的に新潮が追い詰められている証左なのかもしれないと思う次第です。

 件のシンポは5時間近くの長丁場でした。一応、全て録音してあるのですが、あれを全部文字起こしするのは、給料でももらえない限りなかなか出来ない仕事です。ゆえに、新潮の恣意的記事発売からかなり時間がたったものの、検証記事が書けずにいました。

 しかし、今回、弁護団の方から文字にしてくださいましたため、面倒な手間なしで検証記事を書くことができるようになりました。今回はこのうち、特に2点について指摘します。

 なお、現在ご覧になっているこのブログ記事は、元ネタこそ光市事件ですが、私としては、『週刊新潮』という雑誌のデタラメ性を指摘するためのものとしています。ゆえに、カテゴリは、テレ朝の電波報道をネタにするとき中心に使っている「メディア報道を見て思ったこととか」に設定しております。

 まず、本文の問題箇所に赤傍線を引き、問題点を箇条書きにしたもの
97.4.21-1.JPG
(クリックで拡大)
 では第一に、「死刑廃止論者が集まっただけ」という部分について。

 当方は、今年2月2日に東京阿佐ヶ谷で開かれた、ジャーナリストの綿井氏と差し戻し控訴審弁護人の河井氏のトークショーに参加しました。そして、その内容を2月から3月にかけて全5回に分割してご報告しましたが、そのうち第5回報告記事においてもご紹介したように、弁護団の一員である河井弁護士は、本村氏が死刑を求める気持ちは分かるし、自分がそのような立場に置かれれば、本村氏と同じく死刑を求めるかもしれない、という発言をなさいました。

 件の報告記事においても書きましたが、ガチの死刑廃止論者というのは、「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いに対して、かなりの確率で、「死刑は誰も救わない」とか「たとえ凶悪犯でも、殺してよいわけではない」などのような、お説教を始め、明確に答えようとしないんです。私も以前、光市事件とは無関係の死刑制度に関するシンポジウムに行って、死刑に反対する立場を取る参加者の話を聞いたことがあるのですが、「本当に幸せな思考回路した方々だ」と思わざるを得ないような「ありがたい説教」を賜り、それ以来、私の脳内における死刑廃止論に対する評価というのは、かなり落ちています。(もっとも、私は今現在は、死刑制度に対する明確な意見を確立するにいたって居ませんが 死刑制度についてじっくり考える時間が無いのです)

 しかし、河井氏は2月2日のトークショーでは、本当に死刑廃止論者なら当然するはずの、死刑廃止論の「崇高さ」を説くお説教はせず、それどころか、本村氏の気持ちは理解できるし、自分もその境遇になれば本村氏と同じ行動を取るだろうと、本当に確固たる死刑廃止論者であるならば絶対に言わないであろう発言をされました。

 そして、その河井氏もこのシンポジウムに参加されました。ということは、「死刑廃止論者が集まっただけ」という部分は誤りになります。


 2点目。「ただ2人の方がなくなっているというだけで、死刑を適応してよいというわけではない」の部分。これは前後の文脈を見れば、主語が全然違うということがお分かりいただけると思います。というわけで、件のシンポの文字起こしである光市事件弁護団は何を立証したのかの69ページより、前後の文脈を引用します。
従前の最高裁の死刑の適用基準では、犯行の罪質、態様、あるいは故意はどの程度の故意だったか、計画性はあったか、こういった点を総合的に考えた上で死刑の適用を許される場合もある、こう言っているわけですね。ですから、ただ2人の方が亡くなっているというだけで、死刑を適用していいのではない。
 はい、この部分の主語は「最高裁の死刑の適用基準」であり、河井氏独自の法哲学ではないことは、小学生だって分かります。

 ちなみに、2月2日のトークショーにおいても、河井氏は、「民主法治国家においては、被害者が求めているからといって、ハイと決めてよいわけではない。永山事件判決においての判示では、死刑を選択するか否かのときは、被告がどういう経緯、どういう対応、どういう心境で犯行に及んだのかについて分析しなくてはならないとしているので、法改正するならまだしも、現状においての手順はこうであるのだから、法律実務家たる弁護士は、この手順に従わなくてはならない」という、シンポジウムにおいて発言したのと同趣旨の発言をなさっていました。
 
 別に難しい言い回しをしているわけではなく、ごく普通の現代語を使っているに過ぎない河井氏の発言の主語を取り違えるって、『週刊新潮』編集部って本当に雑誌編集部ですか?それとも、あのシンポジウムが定員先着120名であったのにいい気になって、どうせ適当なこと書いてもバレやしないだろうということで、わざと主語を摩り替えたんでしょうか。

 どちらにせよ、『週刊新潮』はアサヒ並みに捏造がお好きだということですね。

2008年04月20日

光市事件:鑑定書おいておきますね(3)

 今回は大野教授による鑑定をご紹介します。『光事件弁護資料(差戻控訴審)』のp46-p55より。日付は2007年4月19日づけ。差し戻し控訴審段階におけるものです。

 ただ、ちょっと今日は時間が無いので、スキャナで取り込んだもので失礼させていただきます。

97.4.20-1.jpg 97.4.20-2.jpg 97.4.20-3.jpg 97.4.20-4.jpg 97.4.20-5.jpg 97.4.20-6.jpg 97.4.20-7.jpg 97.4.20-8.jpg 97.4.20-9.jpg 97.4.20-10.jpg
10枚全てクリックで拡大します。下にページが書いてありますし、画像ファイル名も「97.4.20-X」という風に、ページ順にしてありますので、読む順序が分からなかったら参考にしてください。

 当ブログにご訪問いただいている皆様におかれましても、22日の差し戻し控訴審判決を注目していらっしゃるものと存じます。そして、当ブログのような辺境の地にわざわざいらしてまで光市事件関係の情報収集をなさっている方におかれましては、まさか「死刑か否か」という結論だけを追い求めているわけではなく、どういう判断によって判決が出たのかまで、確りとチェックなさる方々であると信じております。
 そういう方々におかれましては、22日の判決に際しては、当ブログにおいて今までご紹介してきた、弁護団の主張の根拠のひとつである、上野鑑定・大野鑑定の両方と照らし合わせて、果たして判決は妥当なものなのかについて、個々で思索していただけると宜しいかと思います。当方も、裁判所のサイトに判決全文が掲載されて、それを読んでから差し戻し控訴審判決についての記事を書きたいと思っております。下手すると26日とか27日くらいになるかもしれませんが。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 23:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戴いたコメントへ返信しました

以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。


さて、あと2日となりました (「テレビ大嫌い」さん、「mash」さん、「名無し」さん、「amanoiwato」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93960470.html

光市事件報道:ダメだこりゃw (「名無し」さん、「けら」さん、「テレビ大嫌い」さん、「五葉」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93509790.html

死刑 (「amanoiwato」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/24525183.html

日本語の読めないひとたち (「五葉」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93733096.html
posted by s19171107 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 運営連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

派遣労働

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=465609&media_id=2
 民主党は格差是正を目的とした労働者派遣法改正案(要綱案)を固めた。仕事がある日だけに呼び出される「日雇い派遣」の全面禁止や、派遣労働者の賃金や年金保険料の支払いに関し派遣業者と派遣先企業が連帯責任を負うことなどが主な柱だ。23日にも「次の内閣」で正式決定し、今国会への提出を目指す。【小山由宇】

 現行法では日雇い派遣が認められている。しかし、働いても貧困から抜け出せない「ワーキングプア」の温床になっているとの批判が強まっており、改正案では全面禁止を打ち出した。

 また、現行制度では、労働者の社会保険などを派遣業者が負担することになっているが、派遣業者が違法に支払わないケースが発生しているため、派遣先の企業にも連帯責任を持たせるよう改める。

 企業が人件費抑制のため人材派遣の子会社を作り、親会社や関連会社に限定して派遣するなどの「専(もっぱ)ら派遣」も規制する。現行制度が「派遣先拡大の努力が客観的に認められない」などとあいまいな規制にとどまっているのを見直し、「提供する労働者の5分の4以上を特定の1社に派遣してはならない」と明確化する。

 罰則も強化する。現行法は港湾運送業務、建設業務などへの派遣を禁止し、違反した場合は派遣業者に100万円以下の罰金を科しているが、これを1億円に引き上げる。派遣先の企業についても、懲役1年以下または100万円以下の罰則を新設する。

 労派法の派遣対象業種は99年に原則自由化され、03年に製造業でも解禁された。企業は労働力の弾力化のため、派遣労働を増やし、これが若年層などの「ワーキングプア」増大を招いたとされている。

 今国会でも共産、社民両党が日雇い派遣を「人間の使い捨て」だと激しく非難。公明党の北側一雄幹事長も国会質問で「日雇い派遣の原則禁止」を福田康夫首相に提案している。

◆民主党の労働者派遣法改正案(要綱案)骨子◆

・日雇い派遣の禁止

・専ら派遣の規制強化

・派遣元(業者)の情報公開義務を追加(派遣労働者に対し、賃金、マージン比率、派遣元の負担する社会保険料の明示を義務付け)

・就業時間数の確認を派遣元に義務付け

・社会保険料や賃金を派遣元が支払わなければ、派遣先(企業)が支払う責任を負う

・育児休業や性別を理由とした差別の禁止

・罰則の強化(罰金の最高額引き上げ)

・均等待遇原則の徹底
 派遣労働というのは、たとえば学生・主婦など、時間的余裕のある人がちょっと働こうかというときには、結構使い勝手がよいらしいです(と中の人が言っていた)。
 一方で、企業としても、本当にネコの手も借りたいような時期もあれば、暇な時期もあるわけで、年間通して同じ労働力が必要であるとは限らなく、そういう労働力需要が時期によって異なる企業としては、ある意味、「短期雇用で成り立っている」ともいえます。

 となると、安易に労働者派遣を全面的禁止するのは別の問題が生じうるように思えますし、そうじゃなくても、少なくとも、政治がこのように先走っても、では今実際に派遣労働者として生計を立てている人をどう処遇してゆくかのめどを立ててから実施しないと、派遣業者が廃業になって職を失った派遣労働者は、それこそ野垂れ死にということになりえます。

 さて、派遣労働の問題点というのは色々ありますが、『赤旗』なんかを読む限り、何よりも短期契約、すなわち解雇が不安定であるがゆえに不当な扱いにも強く要求できず、またそれゆえに、生活まで不安定になってしまい、結果として長期的な生活の展望が見出せないというのがあるようです。

 私としては、派遣労働の利点と欠点の双方から考えるに、労働者派遣を全面的禁止するのではなく、同一労働同一賃金保障や解雇された場合の社会的な生活扶助などの強化、あるいは、派遣先に解雇されることはあっても、派遣元からは滅多なことでは解雇されず、また派遣元は派遣先を責任もって探し、派遣労働者を自宅で待機させることが無いようにすることを一層求めるなど、少なくとも、雇用は不安定でも生活は安定させることが必要ではないかと。

 ただ、この方策では、派遣労働者は専門的な労働訓練がいつまでたってもされず、持続的な「製造業国家」が危うくなりつつあるという風潮は止められないんですよね。この辺も課題のひとつです。


 光市事件の追っかけはあと2日で一区切りつき、きっとある上告審だって来年までは音沙汰無さそうなので、4月22日以降は、この問題について考えたいと思います。
posted by s19171107 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さて、あと2日となりました

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804190117.html
 山口県光市で99年に起きた母子殺害事件で殺人、強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われた元少年(27)の差し戻し審判決が22日に広島高裁で言い渡されるのを前に、事件で妻子を奪われた会社員本村洋さん(32)が19日夜、光市内で記者会見した。「9年は長い歳月だったが、遺族全員の希望だった死刑という判決が出ることを信じている」と話した。

 焦点となる量刑について「死刑でも無期でもいずれも重い判決だと思っている」と発言。無期懲役の場合の「重さ」について「社会も遺族も『(各判決が)なぜこれほどまでに揺らぐのか』と司法に対する不信が募ると思う」と述べた。また、死刑判決だった場合の重さを「厳罰化が進むだろう」とする一方、「判例主義はよしとしない。個別の事案で世情に合った判決を出す司法になってくれれば」と語った。

 元少年については「反省にまだ真剣さが足りない」と話した。そして「死刑が内省を深める契機になると思っている。死刑以外で生き永らえるより、胸を張って死刑を受け入れ、社会に人を殺(あや)めることの愚かさを知らせるのが彼の役割」と述べた。

 この事件では一審と同じく無期懲役とした二審判決を、最高裁が「死刑の選択を回避するのに十分な、特に酌むべき事情があるかどうか審理が尽くされていない」として破棄。死刑を求める検察側が「年長少年による計画的な強姦目的の殺人」としたのに対し、弁護側が「精神的に未成熟な少年による偶発的な事件」と主張して争っている。
判例主義はよしとしない。個別の事案で世情に合った判決を出す司法になってくれれば
 それやっていると、司法の公平性が怪しくなるから判例が大切なんですよ。

 そういえば、本村氏におかれましては、たしか以前に「死刑は武士道に合致する」みたいなことおっしゃっていたように思いますが、武士の時代である江戸時代は、それこそ判例主義の時代だったんですけどねえ。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/hanzai.htm
 江戸時代の司法制度については、今と比べてお話にならないほど酷いものでしたが、判例に従って処罰していた点に関しては評価してよいと思います。

反省にまだ真剣さが足りない
 手紙よんでないのに反省が足りないと分かるのは結構凄いことだと思います。エスパーですか。

 また、もう何度も書いていますが、反省とか更生ってのは刑務所で更生プログラムを受けて初めてできるものです。裁判の段階で「反省」できているから、そもそも税金かけてまで収監する必要ないでしょw

死刑が内省を深める契機になると思っている
社会に人を殺(あや)めることの愚かさを知らせるのが彼の役割
 なんか矛盾しているような気がする。。。前者は被告の反省を期待しているが、後者は、究極的には反省していてもしていなくても、見せしめ的に処刑されるのが被告の役割としている。
 また、最初から捕まる気で死刑になるような刑法触法行為をする人はまずいないので、見せしめ処刑にどれほどの意味があるんでしょうかね。。。

 検死結果等については、いかがお考えなのかとても気になるところですが、昨今は、検察も「傷害致死」として求刑する事件にも死刑を求める風潮です(18日の記事参照)から、とにかく被害者が死亡したのなら、関係ないのかもしれませんね。


 ところで、4月22日のテレビは凄いことになってます。
http://tv.yahoo.co.jp/vhf/tokyo/2008042204.html?c=0&g=0
テレビ東京以外(さすがテレ東w)、全てのチャンネルが9時55分から特番ですよ。どれ録画しようかね。

 また、ちょっと気持ち悪い事態が。なぜか産経が頑張っています。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080418/trl0804182136008-n1.htm
 山口県光市の母子殺害事件で、殺人や強姦致死などの罪に問われ、最高裁が無期懲役の2審・広島高裁判決を破棄した元会社員の男性被告(27)=事件当時(18)=に対する差し戻し控訴審の判決が22日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で言い渡される。12回にわたって開かれた公判では、情状面にとどまらずこれまでに裁判所が認定した犯罪事実をめぐり検察側と弁護側が正面から対立。弁護側が主張する事実誤認が認められなければ、極刑が言い渡される可能性が高い。事件発生からすでに9年。4度目となる判決を前に争点をまとめた。

 事件は平成11年4月14日に発生。光市の会社員、本村洋さん(32)方で、妻の弥生さん=当時(23)=と長女の夕夏ちゃん=同11カ月=が遺体となって発見され、その4日後に近くに住んでいた男性被告が逮捕された。

 被告は罪状認否で起訴事実を認め、検察側は死刑を求刑。

 1審・山口地裁、2審・広島高裁はともに、被告が事件当時、死刑を科すことのできる18歳になってから30日しか経っていなかったことを重視し、無期懲役を選択した。

 しかし最高裁は18年6月、「18歳になって間もなかったことは、死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない」と判示。

 無期懲役の量刑は不当として2審判決を破棄し、「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」の有無を審理するために広島高裁に差し戻した。

 このため差し戻し控訴審では、情状面を中心に「酌量すべき事情」が審理されるとみられていた。

 しかし、弁護側は1、2審から一転して犯罪事実を全面的に否定。被告人質問に加え証人5人への尋問も行われ、検察、弁護側双方による激しい攻防が展開された。

 弁護側は「弥生さんへも夕夏ちゃんへも殺意はなく、傷害致死罪にとどまる」と殺人罪の成立を否定。強姦致死と窃盗についても無罪を主張した上で、「被告の反省は深まっており、更生可能性はある」と訴えた。

 結審から3カ月余りが経過した今年3月13日にも弁論補充書を高裁に提出し、執念をみせる。

 これに対し検察側は、最高裁が「揺るぎなく認めることができる」とした犯罪事実に誤りはなく、弁護側の主張を「荒唐無稽」と指弾。

 「遺族の感情を踏みにじって顧みないことが明らかとなり、差し戻し前よりも死刑に処すべきことが明らかになった」とした。

 最高裁が量刑不当を理由に無期懲役の2審判決を破棄したのは、光市事件で3件目。連続4人射殺事件の永山則夫・元死刑囚=平成9年執行=と仮出所中に再び強盗殺人事件を起こした西山省三死刑囚には、ともに差し戻し審で死刑が宣告されている。



 「被告に殺意はなかった」。その主張の論拠となっているのが、上告審段階からの被告の供述と、弁護側の依頼で新たに被害者2人の死因を分析した法医学者2人による鑑定書だ。

 これまでの判決は、弥生さんと夕夏ちゃんが死亡した状況を、遺体の所見などに基づき次のように認定している。

 「被告は弥生さんに馬乗りになり、首を両手で強く絞め、窒息死させた」

 「被告は夕夏ちゃんを床に叩きつけた上、首にひもを巻いて強く引っ張り、窒息死させた」

 ところが弁護側依頼による鑑定は、これとは異なる結論を導き出した。

 弥生さんの首には右側のみに、強く圧迫された痕跡が4本残されていた。4本は胸元に近づくにつれて長く、2人とも「右手の逆手による圧迫とみるのが相当」と判断。

 弁護側は「弥生さんに抵抗され、いつのまにか右手を逆手にした状態で首を押さえつけていた」との被告の新供述と一致し、殺意はなかったとした。

 また夕夏ちゃんについても、鑑定書は「頭部の外傷は強い力で生じたものではない」「首にひもで強く絞められた痕跡はない」と指摘。弁護側は「被告はひもを緩く結んだが、その後むくみによって締め付けられた」と主張した。

 一方、検察側も新たに鑑定を依頼し、「遺体の状況は判決の認定事実と矛盾はない」とする鑑定書を提出。「片手では抵抗する成人女性を押さえ続けることは不可能」「弁護側の鑑定は、小児の皮膚の弾力性や頭蓋骨の柔軟性を考慮していない」と反論した。

 3人の法医学者が作成した鑑定書はいずれも証拠採用され、証人としても出廷。高裁がどちらの鑑定を妥当と判断するかが、判決の行方を大きく左右する。



 もちろん、これまでの判決が、遺体の所見だけをもとに事実認定したわけではない。その結果とも一致する被告の供述調書があったからだ。しかし弁護側は、この内容に疑義を唱える。

 捜査段階の供述調書は、取り調べの際に「容疑を認めないと死刑になる可能性が高い」と誘導されて作成されたと主張。

 公判に入ってからも当時の弁護人から適切な弁護を受けられず、真実を供述する機会が与えられなかったが、上告審の途中で現在の弁護人に交代し、殺意や強姦目的がなかったことを打ち明けることができたと説明した。

 また、現在の供述内容の片鱗(へんりん)は捜査段階や家裁の調査にもあり、「弥生さんに実母の姿を重ねていた」など突飛にみえる供述も、弁護側が依頼した心理鑑定や精神鑑定によって不自然ではないことが裏付けられているとした。

 これに対し、検察側は真っ向から反論した。

 捜査段階の供述も否定するところは否定しており、捜査側による誘導はありえないと主張。

 現在の供述は「弁護側依頼による法医学鑑定の結果に合致させるための虚構」で、さらに上告審以降も心理鑑定を受けてからその鑑定結果に触発されて供述を大きく変遷させており、「事実を捏造(ねつぞう)・歪曲(わいきよく)して死刑を逃れようとしている」と非難した。

 差し戻し控訴審では6開廷、計17時間に及んだ被告人質問。

 弁護側の質問にはよどみなく供述した被告だが、検察側の質問には、答えに窮する場面もあった。
 なんか朝日とか読売とかが簡単に流すことも、産経が詳しく報じていることが最近多い気がする。。。私も最近は、産経記事を引用することが増えてきました。


司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 00:53| Comment(5) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

誰のための死刑

 4月17日づけ『日本語の読めないひとたち』においてご紹介した感情屋の方のコメントには、以下がありました。
じゃあ他に誰がいるって言うんだっ!!
知らない奴がこっそり入ってきて暴行して行くって言うのかっ!!
この裁判官狂ってる!!
こう言う事を無くす為にも俺は裁判員に選ばれた時に
こんな事例に関わらせてもらった時はたった一人でも
極刑を貫くよ!!
 まあ、裁判長の判断理由も読まずに勝手にファビョっている典型的感情屋の方でありますので、先の記事では深くはツッコミませんでしたが、よくよく読んでみると、2つの点(厳密には3つの点)において「深い」コメントです。

 といいますのも、本件における検察主張は「4歳の次男が、両親から受けた折檻により死亡した」とした傷害致死事件でした。「いよいよ殺人のみならず傷害致死にも死刑を求めるような"世論"になりつつあるんだなあ」とか「過失致死にも波及する時代も近いだろうなあ」と思うのもそうなんですが、それ以上に、これは「誰のための死刑なのか」という疑問を感じます。なぜなら、本件は身内間の事件であります。つまり、加害者も被害者も身内です。

 いくら自分を殺めた張本人だからといって、肉親が、ワイドショーによるストーカーまがいの報道を受け、あることないこと言いふらされた挙句に、「人殺し」として処刑されるのは、余りよい気分では無いように思います。

 果たして「4歳の次男」は死刑を求めるでしょうか。もちろん、死人に口なしなんですから、そんなこと確認できるわけないし、たとえ出来たとしても、私は署名だとか遺族感情だとか、そういうもので量刑を決めるのではなく、ひたすらに罪刑法定主義による量刑検討をすべきだという立場を取る者ですので、実際の裁判という実務面においてこういうことを深く考える必要の無いことですが、少し気になる次第です。

 二つ目(三つ目)に、本件被害者は「次男」です。つまり「長男」がいることになります。もし本件被告夫妻を処刑した場合、長男は弟を亡くした上に両親まで処刑で亡くすことになります。

 被害者遺族の精神的ケアというものが、昨今とかく注目されがちですが、加害者遺族についても加害者本人の自業自得とはいえ、やはり肉親を失っているわけですから、少なくとも加害者に子供がいる場合は、その辺についても考える必要があるのではないでしょうか。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

日本語の読めないひとたち

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=463640&media_id=4
 東京都品川区の自宅で次男=当時(4つ)=をせっかん死させたとして、傷害致死罪に問われ、一審で無罪判決を受けた米国籍の武術家(52)と妻(48)について、東京地検は17日、控訴しないことを決めた。18日午前0時、無罪が確定する。

 東京地裁は3日、「夫妻以外の者が暴行した可能性を否定できない」と判断した。
 時事通信記事については、以前の記事でも書きましたが、あまりに省略はすぎていて、逆に分かりにくいです。ゆえに、産経記事もあわせてご紹介。ただし、この記事は4月3日配信です。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080403/trl0804031517004-n1.htm
  東京都品川区の自宅で平成6年、次男=当時(4)=を木の棒などで殴って死亡させたとして、傷害致死罪に問われた米国人の格闘技講師、ビーモン・テリー・イ(52)と妻のカーチス・ジュエル(48)両被告の判決公判が3日、東京地裁で開かれた。波床昌則裁判長は「死因となった暴行を両被告が行ったと判断するには合理的な疑いが残る」として両被告に無罪を言い渡した。

 検察側はビーモン被告に懲役5年、カーチス被告に懲役4年を求刑していた。

 波床裁判長は、死因を外傷性ショックによるものと認定したが、「被告の自宅に出入りしていた格闘技の生徒との練習で、次男が致命傷を負ったことも考えられる」などと、第三者による暴行の可能性を指摘。また、「巨漢のビーモン被告が暴行を加えたとすれば、次男の骨に異常が見られないのは不自然。母親がわが子を鈍器でたたいたり、踏みつけることも想定し難い」と述べた。

 両被告は6年10月、自宅で次男を木の棒で何度も殴るなどして死亡させたとして、12年7月に起訴された。公判で両被告は無罪を主張。通訳が正確かどうかなどをめぐり裁判が長期化した。

 また、昨年4月の公判では、ビーモン被告の支援者の男が警備員に殴りかかるなどした。男は、引き続き開かれた男への制裁処分を決める裁判の最後に、裁判長に襲いかかって法服を破ったとして、公務執行妨害容疑で逮捕された。

 渡辺恵一・東京地検次席検事の話「検察官の主張が受け入れられず、遺憾。判決内容を詳しく検討して適切に対応したい」
 さて、今日の「世論収集」は某SNSから。
せっかん死だか何だか、
自分にはわかりませんが
殺人には変わりありませんよね??

なのに無罪…
外国だと有罪になりそうですけど…(´v`;)
 日本語が読めないようですね。せっかん死だから無罪になったんじゃなくて、被告が殺したとは言い切れないから無罪になったんです。
被告の犯行であるとゆるぎなく認められる場合以外では無罪放免とする。刑事裁判の鉄則です。
せっかん死だと断定しているんだから

両親からの暴行的要素満載ってことなのに無罪ってあり得ない

濃厚な容疑者だっ!!!
 産経記事参照。
おかしい、狂ってる・・・・
 狂っているのはあんただよ
単純に考えれば両親だけどさ…
 単純すぎますね。単細胞というべきか。
子供に実際そんなことをするのは絶対に許せない。
親は悪いっていうか、病気なのだと思う。

普通の神経じゃ絶対にそんなことはできないはずだからね
だから、してねぇってのw
ホントなんですか?
夫も妻も無罪になっちゃうの?
本当に他の人が暴行した可能性もあるの?

確かに、人の人生がかかってる。
人の命もかかってる。
可能性が残っている限り、簡単に有罪にはできないですよね。

でも…分かってる?
一度、無罪になった事件では
後で犯人だと分かっても有罪にはできないんですよ?
本当に…本当にそれでいいんですか…?

これでもし、本当はこの夫妻が犯人だったら…。
酷すぎる。許せない。
あとはもう、この夫妻が犯人じゃない事を祈るのみですね…。
 なにこの女子高生のイタタポエムみたいな文体。
刑事裁判の鉄則は、先にも書きましたが、犯行が被告によるものであるとゆるぎなく認められる場合以外は処罰しちゃいけないんです。それに、これ地検が控訴を取り下げたんであって、裁判制度上は控訴審・上告審とあと2回裁判できたんです。そこを取り下げたというのは、現段階では被告の犯行であるということを立証するできるだけの証拠がないということなんですから、仕方ありませんよ。
うちの父は空手の有段者です。
むかーし私が小さい頃、
飲み屋で喧嘩の仲裁に入っただけなんですけど
有段者という事で、警察から事情徴収を受けました(笑)
父は止めに入っただけで、喧嘩中の人達を殴ったり
暴れたりした訳でなかったので、すぐ警察から帰ってきましたが。
子供心に父を心配した覚えがあります。
今はそんなの無いのでしょうか?
昔は、そういうの厳しかったらしいですけど。

武道家の親が、年端もいかない子供を
亡くなるくらい折檻したというのは。。。
程度はどうであれ有罪なんじゃ?と思いました。

うぅ〜。亡くなったお子さんが可哀想でなりません。
ご冥福をお祈りします
 だからしてねぇってんだよ馬鹿かおまえ
無罪であるということは。

僕が理解できる内容としては、事故で

防ぐことができなかったということなのだろう。

せっかんで死なせたという情報からは理解しにくいけど。

事実も証拠も一切の情報を見ていないので判決は支持しにくい。

正しい判決だとしても。

せっかんにより子供をしなせてしまった事実は
罪の無いことなのだろうか。

せっかんは、親の保護権の一部で死を招いてしまった
国の宝である子供の命をうばった責任はあると思う。

そういう印象をこの報道からうける。

報道の情報が不十分なのか
法律が不十分なのか

取替えしない事実に対して罪をとわなければ
その犯罪の抑止にはならないと思う。
 だから(ry
じゃあ他に誰がいるって言うんだっ!!
知らない奴がこっそり入ってきて暴行して行くって言うのかっ!!
この裁判官狂ってる!!
こう言う事を無くす為にも俺は裁判員に選ばれた時に
こんな事例に関わらせてもらった時はたった一人でも
極刑を貫くよ!!
 産経記事参照。
 同じ目に合わしたい。

なんでいつも弱いものが傷つくんだろうか?

夫婦で狂ってる。

普通どっちかがきつくても片方が優しいはずなのに。

どんなにむかついても思いっきり叩いたりできない。

だって壊れそうなんだもん。

それを死ぬ程なんて・・・

ありえん。

人を殺したら死刑で良いと思うけど・・・

正当防衛は別として・・・

人を殺して普通に生きてはいけないと思うけど・・・

違うんかな?

なんか、そのかわいそうな魂を成仏させてあげたい。

江原先生になってそこに行って助けてあげたい。

そういうのもやりたかったんだ。

生きてる人だけでなく、亡くなった人も助けたい
 狂っているのはあんたです。
それで魂が安らかに成仏出来るとでも思ったか!頭狂ってんじゃねぇの?
久々にブチ切れたぞ。こういう死に方した魂がどれだけ苦しむかわかってんのか?!
解る訳ないよな、死んでしまえばそれでお仕舞いか?冗談じゃない。

死んでも死に切れない魂は現世に残るんだよ、地縛霊になっちゃうんだよ。
子供の叫びが聞こえないか?子供の嘆きが聞こえてこないのか?

何が”法の下の平等”だよ、んなもんこの国にあるか。
あぁwムカムカする。
 感情屋の面目躍如w
被告人の利益に・・・


検察官が証拠によって、違反事実の存在を合理的な疑いを入れない
程度にまで証明しようとする。
被告人のほうは、違反が存在しないことまで証明する必要はない。
裁判官に対して、検察官の立証が合理的な疑いを入れない程度に
までは証明されていないと考えさせるだけで十分である

という刑事裁判の原則がここにも生きて”しまって”いるのか・・


それにしても「他のものが折檻した可能性を否定できない」とは・・
「物は言いよう」な世の中という市民感覚と思潮が広がりそう。

馬鹿役人や馬鹿政治屋が会見やインタビューで追及されたときの答弁が齎す反射的効果と相俟って・・・
 裁判制度を知ってはいるようですが、理解はしていないようで。。。
こういうのが一番厄介なんですよね。先ほどからご紹介している「日本語の読めない方」や「刑事裁判の仕組みの分かっていない方」については、「出直せ素人」で一蹴できますが、こういうのは確信犯的な方ですからねぇ。なかなか手ごわいですよ。


 さて、ある記事のコメント欄でも書きましたが、今日の一件にせよ、先日の光市事件報道問題にせよ、あるいは昨年10月に取り上げた福岡3児死亡事故における弁護側弁論に対する罵声にせよ、当ブログにおいて「感情屋」と呼ばせていただいている方々は、どうも「感情」というより「脊髄反射」で動いているように見えてきたのは私だけですかね。
 また、先日の光市事件報道問題についての記事において、私は「裁判員制度以前に、日本人自体がもうダメですなこれwwwwwww」と書きました。ちょっと言い過ぎたかなあ、と思いましたが、こうも人の話を聞いていない勝手な「世論」を見ると、やはり、もうダメっぽいなぁと思ってしまいます。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戴いたコメントへ返信しました

以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。

正当な休息にすら「楽している」と非難する世論に殺される (黒的九月)
http://s19171107.seesaa.net/article/92945213.html

さあ始まりましたよ (mashさん、RYZさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93198790.html

死刑 (うーんさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/24525183.html

光市事件報道:ダメだこりゃw (ニュースコープさん、衒学鬼さん、RYZさん、ポールさん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93509790.html
posted by s19171107 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 運営連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。