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2008年04月02日

「取り上げない」ことより「取り上げ方」の方が問題

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080331-00000144-mai-soci
 靖国神社を描いたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」をめぐり、4月12日からの上映を決めていた映画館5館が31日までに上映中止を決めた。相次ぐ自粛で、当面、公開のめどが立たなくなった。

 中国人のリ・イン監督が、10年間にわたり、終戦記念日の靖国神社などを取材した映画で、軍服姿で参列する人や、台湾や韓国の遺族が抗議する姿も描いている。今年の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。

 映画は文化庁が管轄する「日本芸術文化振興会」から約750万円の助成を受けていた。週刊誌に「反日的内容」との記事が掲載され、自民党議員の一部から助成の妥当性を疑問視する声が上がり、全国会議員を対象とした異例の試写会も開かれた。

 3月18日に東京・新宿のバルト9が上映取りやめを決定。その後、銀座シネパトス、渋谷Q−AXシネマ、シネマート六本木、シネマート心斎橋も中止を決めた。銀座シネパトスを経営するヒューマックスシネマは「上映中止を求める電話がかかったり、周辺で抗議行動があった。近隣や他の観客に迷惑がかかるため、中止を決めた」としている。一方、Q−AXシネマの営業責任者は「具体的な抗議や嫌がらせはないが、不特定多数の人が集まる施設なので、万が一のことがあってはならない」と、上映見送りの理由を語った。

 映画を配給するアルゴ・ピクチャーズは「上映中止になったことに憤りを感じる。言論と表現の自由の危機。大阪市の別の映画館と名古屋市内の映画館が上映の意向を示しており、都内についても引き続き上映館を探していく」と話している。

日本映画監督協会も、「表現の自由が侵されかねない」とする抗議声明を出した。

 ▽鈴木秀美・大阪大法科大学院教授(憲法)の話 原則自由である映画館だからこそ、政治的言動であれ性的表現であれ上映できる作品は少なくない。映像で社会に訴えて論争を巻き起こしたいという表現者たちにその機会を保障するのが映画館の本来の役割だろう。映画館側が、作品が問題視され、近隣施設への迷惑や混乱が予想されるという抽象的な危険だけで、毅然(きぜん)とした態度を取らずに上映を中止するのでは、日本の映画界における表現の自由の幅を狭めると批判されてもやむを得ないのではないか。
 「反日作品」でも上映の自由を保障するのが民主主義。最近はケツの穴の小さい「愛国者」が増えて困る。

 ところで、コメント欄に香しい書き込みがあったので保存。
中国製作の「反日的」とされる映画の上映中止には「言論、表現の自由の危機」「表現の自由が侵されかねない」と抗議するが、その中国政府による報道規制・人権蹂躙・チベット民族虐殺などに対してはまったく抗議しない日本の映画人たち。他の日本のマスコミ人たちもみな同類。矛盾も甚だしい。

要するに、「人権」とか「自由」とか「いのち」などの「キレイゴト」を隠れ蓑にして反日的政治活動をしたいだけ。明白。
 こういう、問題の論点を全然掴んでいないどころか、論点をずらす言説は最近、よく見られるようになって来ました。先日のチベット暴動に際しても「日本の平和団体はチベットについて言及しない偽善者」みたいな書き込みが良く見られました。
 しかし、こういう言説については、「じゃあ、あんたはルワンダ虐殺のときに声を上げたか?」とか「コンゴ民主共和国(旧ザイール)における内戦は?」みたいに反論されるのがオチです。

 私としては、誰しも専門分野があり、そして1日24時間しか持っていない以上は、全ての問題について関わることは出来ないので、ちょっと乱暴な言い方で語弊がありますが、「取り上げない」というのは、ある意味仕方なく思います。むしろ問題なのは、たとえばチベット問題やザイール内戦といった「重大な人道的危機」に対して、「これは内政問題だから日本人は口を出すべきではない」というような、正しくない「取り上げ」方をする人だと考えます。

 もちろん、自分には関係ないからといって放置していると回りまわっていつか自分に降りかかってくるというのは、歴史上よくあることであり、だからこそ私は、光市事件や福岡3児死亡事故など、明確な殺意があるとは思えない事件裁判の追っかけや、児童ポルノに対する狂信的規制について監視しているのですが、先ほども書きましたが、誰しも専門分野があり、そして1日24時間しか持っていない以上は、「取り上げない」というのは、ある意味仕方なく思うので、「××問題について声を上げないのは何故か」というような問いはナンセンスです。そんなこといっている暇があったらお前がやれ。

 それ以前に、チベット民族虐殺などに対してはまったく抗議しない日本の映画人といいますが、3月23日の記事にてご報告したように、日本の文化人・映画人のなかにも、中共覇権主義のチベット弾圧について抗議する人がいるので、この書き込みは二重に頓珍漢ということになります。
posted by s19171107 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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