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2008年04月28日

「人が人を弁護することが出来ない」なら「裁くこと」も「罰すること」できないのでは?

 『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』という本が何だかちょっとした人気なようです。著者は今枝仁氏。途中解任された光市事件元弁護人です。
 私も光市事件関係資料の一つとして今読んでいるところなんですが、弁護活動の問題点について、世論(笑)とは別の角度、すなわち、更生という点に関して、弁護団内部の視点から指摘しており、大変面白い内容であると思います。今枝氏の回し者ではありませんが、皆様も是非お買い求めいただきたい。

 ところで、この本の帯は宮崎哲弥が書いています。その内容が以下。
97.4.28-1.JPG(クリックで拡大できるけどしなくても読めるでしょ)
「本当は、人が人を弁護することなんかできない。それをわかっている弁護士こそが、真の『人権派』だ。この男、わかっている。」 ですって。

 ふむ、確かに面白い視点ですが、それをいうなら「人が人を裁くこと」も「人が人を処罰すること」もできないんじゃないですかね?

 まあ、こんなこと言うと裁判なんて成り立たなくなるので、その辺は割り切って考えなきゃいかんのでしょうが、それにしても宮崎の言葉の軽さにはいつもいつも、ある意味「感心」しますねぇ。

 それはさておき、「人が人を処罰すること」ができないのではないか、という論点は、死刑制度についての討論においても良く出てくるように思います。すなわち、国家が人の死にまで関与することができるのか、というような感じです。

 当方が、死刑制度についての明確な意見を未だ確立していないというのは、以前から書いている通りですが、こんだけ裁判関係の記事を書いてきている以上、そろそろ固めの作業に入り始める時期ではないかとも思っています。もちろん、そう簡単にはいかない難しい作業ではありますが、「被害者遺族の感情」だけではなく、様々な角度から、時には被害者遺族におかれてましては、「冷たい」と思われるようなことも覚悟で、考えてゆきたいと思う次第です。

 なお、先に書いておきますが、昨今は「心情的に理解できるから正しい」という、妙な、論理にもならないような論理が幅を利かせています。また、感情屋の皆様の言説を分析してきた経験上、「常識的に考えて」という言葉も、数え切れないほど見てきました。その点、死刑制度について考えようとすると、「常識的に考えて死刑存置だろう」というようなご意見を戴くものと存じますが、私としては、所謂『常識』を「常識だから」として検証しないでいる限りは、死刑制度に限らず、あらゆる問題について進歩は無いと考えます。そして、死刑制度というのは国家の刑罰システムである以上、色々な視点で語られてしかるべきではないでしょうか。

 そういう観点から、今、私は死刑制度の是非以前に、「なぜ最愛の人を殺した人間を殺したいと思うのか」という点について考えています。

 もちろん、心理的・感情的には「殺したい」気持ちは分かりますよ。しかし、なぜ、数多ある方策の中から、あえて「殺したい」と思うのか。現実に死刑制度と「被害者遺族感情」が切っても切れない関係にある以上、「心情的に理解できるから正しい」などという思考停止にも近いものではなく、真に論理的に考えなくてはならないと思います。

 ちなみに私としては、加害者を本当に苦しませたいのならば、一瞬で終わる絞首刑ではなく、手足の指を一本ずつ切り落として切り口に丁寧に塩を塗りこむといった、古代の拷問みたいなことの方が苦しむと思います。しかし、それだっていつかは体力の限界が来て死ぬし、刑務官も発狂しかねませんので、死刑判決によって死の恐怖を感じさせながら、実際は絶対に処刑はせず、発狂しない程度に狭い部屋に隔離して、日中は本当に何もさせずにただ正座させ、独り言を禁止し、病気になれば全力で治療して回復させ、寿命が来るまで生き延びさせるほうが「苦しむ」のではないかと思います(少なくとも私は死刑よりこっちのほうが怖いです)が、やはり世間では「殺したい」という意見の方が根強いようです。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 21:26| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オーストラリアじゃなくてオーストリアですよ

http://mainichi.jp/select/world/news/20080428dde041030030000c.html
 オーストリア東部アムシュテッテンで、女性(42)が24年間にわたって実の父親に自宅地下室に監禁され、父親の性的虐待を受けて子ども7人を出産していたことが分かった。実の父親による前代未聞の事件に、地元メディアが「想像を絶する」と報じるなど、オーストリア国民は大きな衝撃を受けている。

 19〜5歳の子どもたちも女性とともに監禁され、19歳の長女が意識不明の重体で病院に搬送されたことから発覚した。地元警察当局は、監禁の疑いで父親のヨーゼフ・フリッツル容疑者(73)を逮捕。DNA鑑定で血縁関係の確認を急いでいる。

 地元メディアによると、女性は18歳だった84年から行方不明とされていた。閉じ込められていた窓のない地下室には、寝室と調理用スペース、便所はあったが、地下室の入り口は小さく、鍵を開ける暗証番号はヨーゼフ容疑者だけが把握していたという。
 栃木の実父殺し事件も、殺していなかったらこんなことになったんだろうなぁ。。。

 ところでこの事件、オーストリア(墺)での出来事なんですが、ν速+見ていると、オーストラリア(豪)だと勘違いしているアホが思いのほかいて藁田wwそして、捕鯨論争以来、オーストラリアに対して妙な敵対心を持っている方が増えているようで、鯨と絡めているアホもいますね。。。
posted by s19171107 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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