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2008年04月29日

「痛み」が分かりすぎると社会が成り立たない

 今回は、何かとお騒がせなきっこについて。

 きっこの言説、特に裁判関係の言説については、当ブログでもコメント欄で何度か「感情屋」の一例として、皆様からご紹介いただいて来ましたが、私としては、あの糞長い記事を読む気にはとてもなれなかったので、今まで殆ど読むことはありませんでした。

 しかしながら、私も大変お世話になっている某掲示板の某スレにおいては、よくきっこの感情的扇動記事が話題になっており、殊に最近は酷いとのことでしたので、珍しく読んでみましたところ、なるほど酷い。

 というわけで、先にも述べたとおり、本当に長文で読むのも大変ですが、4月28日づけ「人の痛みが分からない人たち」をちょっと取り上げて見たいと思います。

 まず最初にこの点を指摘。
今回の事件の被害者を「1.5人」とした意見だ。ようするに、大人を2人殺したワケじゃなくて、1人は幼児なんだから、奪った命は「1.5人ぶん」にしか当たらない。だから、死刑は重すぎるっていう理屈だ。
 原文に当たれば分かりますけど、件の言説における「1.5人」のうちの「0.5人」というのは、まだ判決が出る前、すなわち犯行事実が「確定」していなかった段階においてであり、その言説の真意は、乳幼児は意図せずとも簡単に死んでしまうので、殺意の可能性は、成人よりも慎重に審理しなくてはならず、まだ判決すなわち犯行事実の確定がなされていない段階においては、「殺意可能性50パーセント」として考えるべきだ、という意味であって、決して「乳幼児の命の価値は0.5人分である」という意味ではありませんよ。

 続いて以下。
死刑判決を不当とする多くの人たちが、「2人しか殺してないのに」とか、「この程度の事件なら他にもあるのに」とかって平然と言ってることに、あたしは、とても恐怖を感じた。「2人しか」とか「この程度」とかって言える人たちって、自分の家族を2人殺されても、おんなじセリフを言えるのだろうか?
 ここだけ切り抜かれると困るんですよね。ある事件が「重すぎる」というのは、裏を返せば、別の事件が「軽すぎる」という意味でもあるんですから。
 きっこをはじめとした感情屋の方々におかれましては、「この判決は重すぎる」という声に対して、よく「被害者の気持ちを考えろ」みたいな批判をされますが、我々が使う「重すぎる」という言葉を省略なしで正確にいうと、「別の事件があんなションベン刑ですんだのに、なんでこいつだけ無期/死刑なのよ。これは重すぎるだろ。」という意味であります。つまり、非難の対象はその判決ではなく、以前のほかの事件の判決についてであります。

 というわけで、「こういう感覚の人が、他人が大切に育てたチューリップを傘で叩き切りながら歩いてるんだろうね。」という一節について謝罪と賠(ry
 いやでも本当に、この一節については、私としては言われ無き批判だと思っていると同時に、きっこの、人の話の省略部分を分析しようとせずに、勝手にその真意を悪いほうに悪いほうに引っ張ってゆき、結果的にシャドーボクシングに励んでいるという、「日本語の読めない」感情屋的な所がよく表れていると思います。

あたしの感覚だと、この犯人を死刑にするだけじゃなくて、こんな凶悪犯を育てた親も一緒に死刑にすべきだと思うんだけど。
 あら、子供って社会全体で育てるもんじゃなかったんですか。不都合の責任はなるべく狭い範囲内に押し込めて、全体の問題点については分析すらしようとせず、死刑という「その場しのぎ」で解決しようとする。
 こりゃ、第二第三の光市事件が起きても不思議じゃありませんね。そもそも、実際に起きてしまった事件を裁判を通して解き明かし、その教訓を、明日の国家・社会全体のありかたに生かそうとする意欲が無いのかもしれませんが。

沖縄で、14才の少女が、野蛮なアメリカ兵に騙されてレイプされた事件の時も、「あんな時間に繁華街をうろついてた少女のほうにも問題がある」って言ってた人たちがいたけど、鈍感さで言えば、まったくおんなじレベルだろう。被害を受けた少女は、一生癒えない心の傷を負ったのに、本来なら少女を守るべき立場の大人たちが、よってたかって傷ついた少女に責任を問いかけるなんて、なんて心無い人たちなんだろう。
 そーいや、沖縄のレイプ事件について、被害者自己責任論を振りかざす連中ほど、光市事件については「死刑!死刑!」と喚いていた気がする。

だけど、あたしをレイプしたコイツラは、この国のファッキンな法律によって、保護されて、「更生のため」ってことで、何の罪にもならなかった。そして、この時の主犯格の男は、あたしをレイプしたあとも、同じことを繰り返して、成人したあとに犯したレイプで、実刑を食らった。これは、完全に遅すぎる実刑だ。あたしをレイプした時点で、ちゃんと裁いて刑を科していれば、何人もの女性が被害に遭わずに済んだのだ。
 きっこが被害にあった事件については詳細は全く分かりませんが、たとえ、きっこが被害にあった時点で実刑をと食らっていたとしても、いつか出てくるわけですよ。強姦は有期刑ですから。
 となると、やはり「更生」させなきゃならない。4月8日の記事でも書きましたが、「更生」させるというのは社会の利益にも適っているものです。
 「更生」させることの利益というものが分からず、「犯罪者」は旧政権関係者をはじめとする「反革命分子」から、餓死するほどの極度の空腹の余り、サハコーの畑にあった小指程度の芋を盗んでしまった人まで皆排除すれば理想的な社会ができると信じ込んでいたポル・ポト一味による政治によって、カンボジアの社会システムと経済システムがわずか1年で完全に崩壊したことを忘れてはなりません。
 単純な厳罰化では解決しないのです。

あたしは、常に、被害者の立場からモノを言ってる。法律なんか関係ない。政府の立場も関係ない。1人の人間として、正直な気持ちを言ってるだけだ。そして、あたしが何よりも重要視してるのは、その事件でもっとも傷ついた人をどうしたら救えるのかってことだ。だから、その事件の元凶である加害者なんかに、かけてやる情けなんてゼロだ。何よりも重要なのは「被害者の救済」であって、加害者のことなんか考えるのは、被害者の救済が済んでからの話だ。
 『週刊朝日』5月2日号の「いま死刑を考える 存続か廃止か7人の死刑論」における原田正治氏の発言を読んだらいかがですか。
 原田氏というと、死刑制度に反対する犯罪被害者として、死刑制度存廃論議によく引っ張り出される方で、「被害者の為に死刑を!」が合言葉の存置論者にとっては目の上のこぶみたいな存在らしく、氏について「そういうのは例外」とか「原田氏にとって弟(被害者)は本当に最愛の人だったのか」みたいな恥知らずな罵倒を浴びせかける既知外がときどき沸いてくるのですが、『週刊朝日』5月2日号の原田氏のコメントは、森達也や保坂展人といったほかの廃止論客のコメントなんかよりもずっと「重い」内容でした。特に「重い」部分を抜粋してご紹介します。全文気になる方は図書館へ。
私たち家族は長谷川君(注:氏の弟を保険金目当てで撲殺した犯人)らの手で崖下に落とされました。世間の人たちは私たちに、「引き上げてやるぞ」と手を差し伸べる代わりに、崖の上から「こいつも落としてやるからな、それで気が済むだろう」といっていたのです。(中略)でも、それは、実は被害者の救済ではありません。
 さて、被害者の救済が先決であるというのは、きっこの言う通りですが、それは加害者を抹殺しないと出来ないことなんですか。加害者を「崖の下」に突き落とさないと被害者は救われないんですか。
 原田氏の言葉は本当に重く、深いです。

 ちなみに、原田氏は長谷川死刑囚に死刑が執行されないよう求めてきましたが、処刑されてしまいしました。「被害者感情」は「踏みにじられた」わけです。

 ところで以前、死刑廃止論者に対する以下のような批判を目にしました。
死刑反対派が見ているのは「被害者」でもなければ「加害者」でもない。

罪を犯した少年に「不幸な境遇がある」と決め付け、そいつらを庇っている「己の姿」だけを見ている。
今まで平和な人生をすごしてきたのか、「大事な家族を強制的に奪われた悲しみ」
というものがいまいち理解できない。想像できない。

×:罪を犯した人間→悪いヤツ→復讐したい→そいつも悪
○:罪を犯した人間→不幸な境遇がある→本当はイイ人→擁護する自分→サイコー

↑奴らの脳内がコレ。ドラマや映画の主人公にでもなったつもり。
必然的にこういうバカほどなぜか行動力がある。
自分達の主張の先に何が待ち構えているかを深く考えない。深く考えないから苦悩しない。苦悩しないかいつもポジティブ。
 実際こういう思考回路だと思われる死刑廃止論者に出合ったことのある身としては、なかなか鋭い視点だと思いますが、これって逆に死刑存置論者にも当てはまるんじゃないかと。すなわち、気の毒な被害者の立場に「共感」し、その人の気持ちを「代弁」して、「被害者という弱者の立場を支援・擁護するワタシサイコー」みたいな。
 分野はちょっと違いますが、昨今のチベット情勢をネタに北京オリンピックの聖火リレーの妨害をしている人なんて、こんな思考回路なんじゃないんですか。ダライ・ラマをはじめとする当のチベット人たちは「北京オリンピックボイコットにご協力ください」なんて言っていませんよ。

 話を元に戻します。
あたしは、人を殺しても情状面で酌量できるのは、あまりにも酷い仕打ちを受けたことに対する恨みによる殺人とか、愛する家族が不治の病で苦しんでて、見るに見かねて生命維持装置を外したことによる殺人くらいで、それ以外の私利私欲による殺人に関しては、すべて死刑にすべきだと思ってる。
 それなら比較的「犯罪者」に厳しい自民党に一票を。民主や社民じゃ半万年かかっても無理でっせ。

そして、レイプ犯に関しては、オチンチンをちょん切った上で、顔面に赤い文字で大きく「レイプ野郎」ってイレズミを彫って、一生、自分の犯した卑劣で最低なクソのような犯罪行為を後悔させてやるべきだと思ってる。
 4月2日の記事でも書きましたが、昨今の再犯の背景は、定職に就けず、生活苦から犯罪に走るという悪循環があるそうです。
 その点、アレを切り落とすのはアリかもしれませんが、顔面に赤い文字で大きく「レイプ野郎」ってイレズミなんて彫れば、当然、表の世界では暮らせなくなり、またひとり、この悪循環に陥る人間が増えるわけです。こんなことしていると、特に窃盗や強盗が増え、今以上に治安は悪化するでしょうね。

だから、あたしは、人の感性や考え方は十人十色だと思ってるし、自分と違う感性の人を否定するつもりはないけど、被害者の心の痛みが分からない人たちは、無神経なことを言わないで欲しいと思う。人の痛みの分からない鈍感な人たちの言うことなんて、所詮は、すべて観客席からの言葉、動物園の檻の外からの言葉なんだから。何か言いたいんなら、自分がレイプされたり、自分の家族を殺されたりして、人の痛みが分かるようになってから言うべきだと思う。
 二点指摘。

 一点目は、きっこの言うとおりにすれば、今まで指摘してきたとおり、社会は崩壊します。
 こういうこというと「キレイゴト言うな!」という批判がすぐ来そうですが、そもそも、何処までも利己的な人間が、他人と共存しているという「社会」というモノ自体が「キレイゴト」で出来ている以上、やはり「キレイゴト」は大切です。
 日本国憲法にも定められており、その理念については最早、誰も異議を唱えることはないであろう「公共の福祉」なんて概念は、良く考えてみれば噴飯モノですよ。赤の他人の為に我慢しろだってさw

 第二に、当事者以外口を挟むなという論理は、過去には部落問題に際しても語られました。しかし、結果はどうでしたか? 被差別者の一部が「同和利権」なる甘い汁を吸い、差別解消どころか「逆差別」にも等しい事態になり、それゆえに、被差別者のうちの一部腐敗分子のおかげで、被差別者全体のイメージが一層悪化しました。
 きっこはまた利権でも作るつもりですか。犯罪被害者だからって善人だとは限りませんよ。
 だからこそ私は、以前より、被害者の落ち度の可能性などを研究する試みそのものや、あるいは被害者の言説のうち、明らかにおかしいものに対する批判を封じようとする動きには反対してきたのです。常に自由に批評する。批評行為そのものではなく、その内容を検討する。これが「利権」を生まない大前提であります。その点、「当事者以外口を挟むな」という論理については、反対する立場を明確に示すものです。

もしも死刑がなくなったら、ビルの屋上から、人だらけの渋谷のスクランブル交差点の真ん中に爆弾を投げて、マトメて何百人も殺すようなキチガイも出て来るだろう。
 「死刑になりたいから人を殺した」というのはスルーですか。

 しかしまあ、「被害者の権利確立」という方向性は絶対に間違っていないと思うのですが、現実の現代民主法治国家の社会体制として如何に組み込むかというときになっても、こんな内容ばかりだと、なかなか前に進まないでしょうなぁ。

 本記事を読んで、「s19171107はキレイゴトを弄している!なんて冷たい奴だ!」と熱くなっている方々もいらっしゃると思いますが、繰り返しになりますが、そもそも、何処までも利己的な人間が、他人と共存しているという「社会」というモノ自体が「キレイゴト」で出来ている以上、やはり「キレイゴト」は大切です。
 被害者とその関係者の方々におかれましては、大変申し訳ないのですが、国家・社会の制度を考える上では、ある程度「冷たい」必要もあると思っています。そうじゃないと社会は成り立たない。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本・映画の次は政治ですか

ご遺族って忙しいんですね。

http://www.zakzak.co.jp/top/2008_04/t2008042830_all.html
 27日の衆院山口2区補選の惨敗で、福田康夫首相の「死に体」化が加速してきた。総力戦で臨んだ補選は、自民新人の山本繁太郎氏(59)が民主前職の平岡秀夫氏(54)に約2万2000票差で大敗したが、それでも首相は選挙結果で示された「民意」を無視して、ガソリン税などの暫定税率復活や後期高齢者医療制度の継続に突き進む。内閣支持率のさらなる低下は必至で、7月のサミット後に退陣というサミット花道論が現実味を帯びてきた。

 「あれだけやって勝てないのだから、福田さんでは次期総選挙は絶対に戦えない」。27日夜、補選の結果を受け、自民党中堅は沈痛な表情だった。

 今回、自民党は空前の総力戦で臨んだ。地元選出の安倍晋三前首相が密着したほか、国民的人気のある麻生太郎前幹事長や小池百合子元防衛相らが何度も駆け付けた。地元入りした秘書団は連日100人。大企業の現地工場には古賀誠選対委員長が出向いた。

 米軍岩国基地には選挙期間中の戦闘機などの離着陸に自粛を申し入れたうえ、平岡氏が支援を求めた工場には、日本経団連から東京の本社を通じてクレームをつけた。最後は、山口県光市の母子殺害事件の遺族である本村洋さんまで応援に引っ張り出したほどだ。

 死力を尽くしての大敗を受け、福田首相から発せられたのは「なかなかうまくいかないようですな」。お得意の「他人事」発言に、ベテラン秘書は「国民の目線ではない。暫定税率や医療制度への怒りを理解していない。早く辞めてほしい」と言い放った。

 先の中堅は今回の選挙結果から、(1)自民党が圧倒的に強かった補選での敗北(2)首相8人を輩出した保守王国での大敗(3)自民支持だった高齢者の離反−を取り上げ、「自民党の基盤が完全に崩れている。この路線を続ければ福田内閣どころか、自民党が崩壊する」と危機感を募らせる。

 だが、福田首相は平気の平左だ。28日午後、公明党の太田昭宏代表と党首会談を行い、暫定税率復活のための租税特別措置法改正案を30日に衆院で再可決することを確認。27日、フジテレビ系「報道2001」の世論調査では、再議決に対して「賛成」だったのは32.6%で、「反対」は2倍近い58.2%だった。

 民意無視の「福田大増税」が実行されれば、原油価格の高騰による調達コストの上昇分などを合わせて1リットルあたり30円前後も値上がりし、160円を超える史上最高の価格になる。容量60リットルの乗用車の場合、満タンにすると約1800円も余計にかかる。

 「平成の姥捨て山」と悪評の高い後期高齢者医療制度も、福田首相は民意を無視する構えだ。26日、外遊中のモスクワ市内で「考え方は悪くない」と、改めて見直しに慎重姿勢を示した。

 現在、福田内閣の支持率は「危険水域」の20%台だが、このまま「他人事」「民意無視」が続けば、10%台に突入するのは確実だろう。

 閣僚経験者は「7月の北海道洞爺湖サミット後はどうなるか分からない」と語るが、別の中堅は「サミットまで持つのか。支持団体の突き上げで公明党が厳しくなっている」と語る。

 自民党内には、サミットを花道に福田首相に退陣を迫り、自民党総裁選を行って局面打開を期待する声が浮上している。その際、福田首相に「暫定税率問題」「後期高齢者医療制度問題」「消えた年金問題」の責任も背負わせるという。現時点で、福田首相に「死に体」状態を打開する手は見当たらない。
 呼ぶほうも呼ぶほうですが、呼ばれて行くほうも行くほうです。

 死者とその友人への配慮の欠片も無い書籍出版、その書籍の内容すら無視して、もはや捏造の域に達するほど原作を歪曲した映画の次は政界ですか。「遺族の戦いは判決では終わらない」とは言いますが、本村氏におかれましては、次は政治ですか。

 光市事件裁判を通して、特に本村氏シンパ(本人ではない)がやってきたことは、まさに法廷の政治利用であり、先の判決にしても、「死刑が止むを得ない場合もある」から「原則死刑」という、判例違反ギリギリなものでした。これは偏に、シンパの政治活動によるものですが、法廷は本来そういうものではない以上、私は当ブログを通して、「裁判はそういうもんじゃないだろう」と主張してまいりました。その点、シンパ共の首領に(勝手に)担ぎ上げられた本村氏が、自ら政界に進出するというのは、「ほら、本村さんは裁判の政治利用は良しとせず、政界という正攻法で変えようとしている。あれだけ本村さんを拝めていたそこのお前、場外乱闘している暇があったら本村後援会の荷物もちでもやれ」といった具合に、場外乱闘に対する「鎮静剤」として使え得るというメリットがある反面、どうも「シンパ」ってやつらは、「首領」の言っていることとは一定の距離を置いた活動を「首領」の名の下で行っているらしい(光市裁判然り、原田正治氏に対する罵倒然り、昨今のチベット問題に絡む北京五輪ボイコット運動然り。ダライラマは「北京五輪をボイコットせよ」なんて言っていない)ので、実際のところは本村氏がいくら政界に進出しようとしても、昨今の場外乱闘の風潮は余り変わらないようにも思います。

 それよりも心配なのは、どうも日本人は気の毒な境遇にある人に甘く、批判などを加えることに躊躇し、また、ある人物に対する評価が全体的すぎるという点であります。前者については、「気の毒」な境遇とは直接関係のない問題についての批判すら白眼視する風潮、後者は、たとえば朝鮮労働党の金正日総書記に対する評価、すなわち「独裁者金正日」と「思想家金正日」が全くのイコールでつながれてしまっているという点です。チュチェ思想の本を読んでみてください。「独裁者金正日」とは別の「金正日」の一面が見られますよ。

 つまり、何を危惧しているかというと、もし本村氏が本当に政界に進出した日には、恐らく犯罪被害者の権利を中心に活動なさることと思われますが、たとえば、明らかに現代民主法治国家における裁判には馴染まないおかしいことを口走ったとしても、「ご遺族」の威光で批判が封じられてしまうのではないか、ということです。
 当たり前ですが、「犯罪被害者遺族」と「政治家」というのは、いくら活動範囲が重なったとしても、決してイコールでは繋がらず、両者は基本的に個別の肩書きです。しかし、先にも書いたとおり、日本人はある人物に対する評価が全体的すぎるがゆえに、「政治家本村洋」に対して批判しているのに、「遺族本村洋」を盾にその批判が封じられないか、ということであります。

 もちろん、ご本人がそんな露骨なことはやらないでしょうが、心配なのはやはりシンパの動向。そして、シンパの攻撃によって、「政治家本村洋」に対する批判が萎縮しないか、という点が心配であります。

 もっとも、まだ補選の応援演説に出ただけなので、本当に政界に進出するかは全くの未知数ですが、やるときはやりますからね、彼。

 しかし、少なくとも自民党とのつながりはこれで見えましたね。


※追記
 なんか勘違いしている方がいらっしゃるようですが、私としては、本村氏に限らず、「犯罪被害者」の方々におかれましては、法廷の外で色々されるよりは、政治という手段で自己の要求を実現されるほうがずっと良いし、それこそ正攻法だと思っておりますので、別に本村氏が政界に進出することについては反対はしません。特別、応援もしませんが。
 ただ、何故、別に少年法が焦点でもない今回の補選で、ある特定政党の応援演説に出たんだろうと思った次第であるとともに、もし本当に本村氏が政界に進出した場合の、シンパ共の動向が心配だ、という思いから、この記事を書いた次第であります。
posted by s19171107 at 08:47| Comment(9) | TrackBack(2) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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