http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008042000071
時事通信社が11〜14日に実施した4月の世論調査結果によると、首相にふさわしい政治家は、自民党の小泉純一郎元首相が21.2%でトップだった。2位は16.0%の麻生太郎前幹事長。民主党の小沢一郎代表は7.2%で3位、福田康夫首相は7.1%で4位と、ともに振るわなかった。「衰えぬ」新自由主義者・小泉純一郎人気の一方で、、、
小泉氏自身は、再登板の可能性を否定しているが、衰えぬ国民的人気を見せ付けた。麻生氏も現在は無役ながら、小沢、福田両氏の倍以上の支持を集め、次期首相の有力候補として存在感をアピールした形だ。福田氏は、自民党支持層でも12.5%にとどまり、小泉氏の31.3%、麻生氏の28.3%を大きく下回った。
麻生氏とともに、「ポスト福田」として取りざたされている谷垣禎一政調会長は2.4%、小池百合子元防衛相は1.5%、与謝野馨前官房長官は0.7%といずれも低かった。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080419AT1G2504V19042008.html
日本型雇用慣行を支持する勤労者の割合が高まり、9割近くが「終身雇用」に賛成していることが、独立行政法人労働政策研究・研修機構の調査で分かった。「年功賃金」も7割以上が支持しており、同機構は「安定を求める保守志向が強まっている」と分析している。新自由主義以前の日本資本主義体制を支持する人が9割。
同機構の勤労意識調査は5回目。昨年9―10月、全国の20歳以上の男女4000人を無作為抽出して訪問調査し、約2300人から回答を得た。
以前の記事で、私は日本国民は国家の「子供」ではなく「主人」であると、あたりまえのことを敢えて書きました。この意図は、(何でも他人に丸投げする割には)不利益をこうむるとすぐに他人のせいにするといった、都合のよい思考回路をしているところにあります。
今回の矛盾する二つの調査結果においても、手厚い保護が売りの日本型資本主義体制にとどめの一発をかました小泉を支持しながら、一方でその日本型資本主義体制の最たるものである終身雇用は欲しているという都合のよさを見せつけています。
また、この記事に対する某SNSにおける書き込みも、、、
特に格差云々言ってるやつ。きっと、労使の力関係をいいことに低所得労働者に対する「搾取」なんか考えたことも無いような方なんでしょうなぁ。。。「ワーキングプア」にいたっては、丸一日働いてアレなんですから、もう本人としてはどうしようもないでしょう。
なんで今の生活を自分で良くしようかを考えないのか・・・。
他人のせいにする前に自分に100%落ち度はないのか?
少しでも落ち度があるならまず自分自身を見直し努力なり何らかの対策すべき。
正直なところ日本人は現状の自分自身がいかに危険なのかをしっかり認識すべきだと思う。
「ミスれば死ぬ」 これくらいの認識で行動してれば多少のことがあっても大丈夫な気がする。
簡単にいうと(法律の違反とかは抜きで) 自分の身は自分で守れ、生きていくのが苦しいのを他人のせいにするなということ。
いくら頑張って稼いでも税金で取られて再分配されるくらいなら
税金少なくて、自分が危険な状態になってくたばるほうが100パーセントマシなわけです。
後者なら確実に自分の責任なわけですし。
まあ、これもかなりのエゴですけど。
それはさておき、この方は良く見られるタイプの自己責任論者です。しかし、「自分の身は自分で守れ」とか言う人に限って、風邪引くとすぐに保険指定病院に行くんですよね。そして医療費7割負担してもらうわけです。
これも一種の子供の表れであります。すなわち、子供は自分ひとりで生きていると錯覚しがちです。しかし、ご存知の通り、病気になれば医療保険、職場で怪我をすれば労災保険、失業すれば失業保険と、我々はあらゆる社会生活において社会保障制度の恩恵を受けております。また、保健所の活動、ゴミ収集車の清掃活動、疫病が流行った時の消毒活動などの公衆衛生なども、社会保障制度の欠かすことの出来ない重要なポイントです。
それ以前に、そもそも人間は社会的な生き物です。共和国の指導思想であるチュチェ思想においては、人間の本質は、世界と自己の運命の主人として自主的に生きようとする意識性をもち、目的意識的に発展志向で世界を改造・創造することによって自主化を達成するものであるとしています。つまり、人間の本質は自主性・創造性・意識性であるとしています。そして、これらの「本質」は人間が労働を通じた協力において社会的に獲得した「本質」であり、この3大性質を持つからこそ、人間は人間であるのだとしています。
とすれば、人間は社会集団の一員としてのみ「人間」として生きられることを意味します。だからこそ、人間は社会集団の秩序を守らなくてはならない。そして、社会集団を維持することは即ち、「社会集団の構成要素」である個人を社会集団から欠落させないことも含みます(構成員のいない「社会」なんて「社会」ではない)。なお、チュチェ思想においては、こういう社会のあり方を「集団主義」と定義しています。(日本における「集団主義」とは若干、意味が違うっぽい)
私は、このチュチェ思想の人間観・社会観を基本的に賛同する立場であります。ゆえに、社会秩序の維持、すなわち、今にも欠落しそうな「社会集団の構成要素」である個人を社会的にバックアップする必要があると考えております。そして、「生きるも死ぬも自己責任」という考え方に反対するものであります。
ちなみに、こういう「社会秩序の防衛」とか「集団主義」とかを主張すると、すぐに「全体主義だ!」と脊髄反射反応を起こす方がいらっしゃいますが、所謂「全体主義」とチュチェの「集団主義」の違いというのは、前者は社会秩序の防衛・社会の利益を名目に個人の基本的人権をも侵害してもよいとする立場であるのに対して、後者はそれを許さないという立場であります。
その点、集団主義的社会観をもつチュチェ思想を「革命」の中心理論にすえながら、実際には全体主義体制をしいている共和国については、現在の金正日指導部は「反革命分子」「反革命宗派」ということになると思われます。