当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年05月30日

携帯メール依存と群れる心理

 皆様、ご無沙汰しております。まだ生きてますよ(*゚ー゚)b

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=503125&media_id=10
 なぜ、携帯電話を持つ小中学生が出会い系サイトに走るのか? 中2の6人に1人が1日に51通以上のメールをやりとりしている。日本PTA全国協議会の調査でそんな結果が出た。「携帯メール依存」が子供たちの心をむしばんでいるからだ。

 ウチらの間では、『メールは3分以内で必ず返す』という決まりがある。もし守らないと、『アイツは使えない』と仲間外れにされちゃう。だから、トイレにいても授業中でもメールは絶対に“即レス”する」

 都内の公立中に通うA子(14)は言う。

 B子(13)が通う千葉の公立中では、「メールのやりとりは自分の返信で終わらせる」という仲間内の“オキテ”があるらしい。

「お互いに『自分の返信で終わらせなきゃ』って思ってるから、朝までず〜っとメールを続けちゃう。向こうが『お休み』ってメールを終わらせようとしても、こっちから返信しないと、『シカトされた』って嫌われるかもしれない。『親がうるさいから』とか言い訳できればいいけど、黙ってオキテを破ったせいで、イジメの標的にされちゃったコもいるし……」

“51通”どころじゃ済まなくなる。若者の“生態”に詳しいジャーナリストの田代篤氏はこう言う。

「仲間外れやイジメに対する恐怖心が、メールに駆り立てているわけです。友達に嫌われたくない一心で、だんだん携帯メール依存になっていく。5分、10分返信がないだけで落ち込み、1分、2分ごとに新着メールの問い合わせをしないと不安になるコもいる。一方で“携帯デコメ絵文字”をいっぱい持っているコが、クラスの人気者になったりする。携帯メールに死に物狂いになるわけで、授業なんてそっちのけです」

●中2の4人に1人「返信がないと不安」
 携帯メール依存が高じるとどうなるか。睡眠不足で体調を崩す、成績が下がるだけでは済まされない。

「返事がなくなるのが怖くなって、誰でもいいからメル友をつくろうと出会い系サイトに走る。そのうち、マメに返信してくれる見ず知らずの相手になびくようになる。そこから性犯罪などに巻き込まれていくのです」(田代篤氏=前出)

 ほとんどビョーキだ。

 日本PTA全国協議会の調査によると、中2の10人に1人以上が「会ったことのないメル友が5人以上いる」、2人に1人が「深夜でもかまわずメールのやりとりをする」と回答。4人に1人は「返信がないととても不安」に感じ、5人に1人が「食事中でも(携帯電話を)手放せない」という。根は深い。

●ケータイを取り上げると暴力を振るい始める
 メールの返事がすぐに来ないとイライラする、落ち着かずに立ち上がってウロウロしたり。それはもう禁断症状だ。アルコール依存症などと同じ“病気”だ。

「ひどくなると、返事が来ないだけでケータイを壊したりする。親がケータイを取り上げると、暴力を振るい始める場合もあります」と話すのは、町沢メンタルクリニック院長の町沢静夫氏。

 四六時中、テレビゲームをやり続ける「ゲーム依存」は不登校になるなど、目に見える形で表れるが、携帯メール依存は学校を休むわけでもない。本人も家族もそれと気づきにくいから厄介だ。

「何かに依存するのは、精神的に未熟で自立できず、孤独に弱いタイプ、つまり寂しがり屋です。子供が依存しやすいのは当然で、幼いうちから携帯メールを始めると、それだけ習慣化しやすく、依存も深まりやすい。親子の会話がなくてメール依存になる、逆に、友達同士でメールを続けているうちに家庭内で孤立し、依存が加速していくケースもあります」(町沢氏)

 メールでしかコミュニケーションが取れないような“いびつ”な大人になっていく……。

 すぐにケータイを取り上げるのが難しいのであれば、「時間や料金で一定のルールを設け、徐々に減らすように仕向けていく。それでダメなら、もう取り上げるしかないでしょう」と、町沢氏はアドバイスする。

 もっとも、最近はメール依存の主婦も目立つという。精神的に未熟で、孤独に弱い大人が増えたせいだ。母子揃ってでは対処するのも大変だ。


●ちなみに…
 政府の教育再生懇談会は、6月初めにまとめる報告書に、小中学生の携帯電話の使用制限を盛り込む方針だ。小中学生になるべく携帯電話を持たせないように保護者らに促すらしいが、「イマドキの親が素直に聞くか疑問」(文科省関係者)。ケータイの機能を通話と居場所チェックに限定するという話もあるが……。
 むしろこれこそ本来の日本人像だとおもうんですがねぇ。とにかく群れる。集団の中にいないと安心できない。そして、「集団の和を乱すもの」に対して示す極端な攻撃性。「黙ってオキテを破ったせいで、イジメの標的にされちゃったコ」なんてのは、その具現化ですわな。

 この辺については、裁判関係ともかなり密接に関わる問題なので、もっと深く追究したいところですが、なかなか時間がねぇ(´・ω・`)
posted by s19171107 at 22:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

本村洋氏講演に参加しました

 いきました。いま、携帯から投稿しています。

 いやはや、鴻巣市って渋谷よりも人のあつまる大繁華街だったんですね!初めてしりました。そうには絶対みえないけど。

 往復で2000円ほどかかりましたが、色々な意味で「興味深い」ものを見せていただきました。詳しくは後ほど。
posted by s19171107 at 17:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 携帯端末より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月21日

戴いたコメントへ返信しました

 以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。

本・映画の次は政治ですか (「mash」さん、「けら」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95048385.html

共産党関係の世論を集めてみようと思う(1) (「特命希望」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95762806.html

労働教団 (「mash」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/97061094.html


 書きたいことは沢山あるんですが、時間がございません。「ネタ切れ」じゃなくて「時間切れ」な最近でございます。

 色々愚痴りたいところですが、そんなものご覧になってもつまらないでしょうから、私の机の引き出しの中に秘蔵してある、日記ノートにぶちまけます。それでは、次回の更新をお楽しみに。
posted by s19171107 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 運営連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕返し正当化は通用しない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080521-00000936-san-soci
 出会い系サイトで誘った男性から金を脅し取ったとして警視庁少年事件課は恐喝の疑いで、都内の私立高校2年の少年(16)=横浜市=を逮捕した。
 調べによると少年は横浜市の市立中学3年の少女(14)=横浜市=とともに3月15日午後、東京都北区田端で、誘いに応じた北区の会社員の男性(29)に「おれの女に手を出すな。こいつはまだ中学生だぞ。5(万円)で許してやる」と脅迫。財布の中の1万円に加え、銀行ATMで2万円を引き出させて、計3万円を奪った疑い。男性の携帯電話を取り上げ、勤め先の電話番号を控えたうえで脅していた。
 2人は1月から交際していて、少女がかつて援助交際で現金を得ていたことから、少年が犯行を思いついた。同様の手口で、他に4件の余罪があるという。少年は「援助交際をするような悪い奴なので金を取って当然だ」と反省した様子はないという。同課は、少女も同容疑で書類送検する予定。
 「何か落ち度のある人物を全否定し、そのような人物に対しては何をやっても良い」という発想は、裁判関係の「世論」の、特に所謂「凶悪犯罪」の被疑者や被告人に対するモノのなかに良く見られます。昨今の日本社会では当然視されています。そして、このような発想が「被害者による復讐(仕返し)」や「"犯罪者"を"人間地雷発見器"として使い捨てても良い」といった主張を正当化する風潮の基盤となっています。

 今回の事件の被疑者少年の「援助交際をするような悪い奴なので金を取って当然」という供述は、まさにこの発想によるものです。つまり彼は、昨今の日本社会においては「普通の人」であります。

 しかしどうでしょう。こういう発想をもとに本件行為を実行した彼は逮捕されました。「共犯」の少女も書類送検されました。つまり、昨今の日本社会では当然視されているこの発想は、実際の現代社会においては全く通用しないわけです。

 今回の一件を通して、この発想が如何に現代社会に通用しないシロモノであるかについての認識が深まることを願っております。


司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

目論みホームラン

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080519-OYT1T00267.htm
 イラク駐留米軍の兵士がイスラム教の聖典コーランを的にして射撃訓練をしていたことが18日分かった。米CNNテレビなどが報じた。

 同テレビによると、兵士は狙撃部隊に属する軍曹。首都バグダッド西郊の警察署で今月9日、コーランを狙って射撃訓練をした。2日後に銃弾で穴だらけになったコーランが見つかったという。

 米軍は軍曹をイラクから退去させた上で、司令官が17日、首都西郊の部族長に謝罪。しかし、謝罪の場で付近の住民は「米軍は出て行け」と叫び、怒りをあらわにしたという。

 コーランを巡っては、米誌が2005年にキューバのグアンタナモ米軍基地で米軍取調官がコーランをトイレに流し、冒涜(ぼうとく)したと報道(のちに撤回)後、パキスタンなどで反米デモが広がった。今回の事件を受け、イラクやイスラム諸国で米国への反発がさらに高まる可能性がある。
 どう見ても挑発です。本当に有難うございました。

 ところで、遠くここ日本でも、何故かこの挑発に触発されている方がいます。
米国人もキリスト教徒が多いと聞きます。
キリスト教信者がすべてとは言わないけど、こんなことがあるたびにキリスト教さえも嫌いになっていきます。自分ら以外は人間に非ず、自分らの信仰以外は宗教に非ず的な感じ。

自分は社会に出てから欧米というものがいけ好かなかったですが、拍車がかかるばかりです。
 頭悪すぎるwwwww
DQNとレイプ犯の集まりかwwwww米軍はwwwww
これもレイプの一種だよな。精神的な。
海外に駐留させられてる米兵ってのは元々素行が悪いから飛ばされてるんだろな。
わざと相手をキレさせて殺そうとしたのかもしれないね。
キリスト教者は、他者の信じるものを笑い、蹂躙するのがお好きなようだ。
許される行為ではない。
他国の文化への冒涜。神々への冒涜。

アメリカ人、軍人ではなく、この様な行為を行った者自身のみに天罰を。

こう願いたくなる記事。
 「キリスト教vsイスラム教」の構図にまんまとひっかかっていらっしゃいますね。
 いやはや、まさか日本人が釣れるとは、あちらさんは思いもよらなかったでしょうなw
posted by s19171107 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

4様ファンクラブ時報

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2008/05/post_9218.html
今朝の「サンデープロジェクト」に中曽根康弘・不破哲三・土井たか子の三氏が出て色々話していた。不破と土井は「戦争は良くない」とか「人殺し」は良くないとか言って現行占領憲法擁護論をぶっていた。共産党と社民党は、国際テロ国家でありわが国国民を拉致した人さらい国家である北朝鮮と緊密な関係にあった国である。そのような政党の党首を務めた人物が、「平和」や「人命」を語る資格は毛筋の横幅ほどもない。

私の学生時代、すなわち昭和四十年代前半、民主青年同盟という共産党の青年組織が学校の内外で活発な運動を展開していた。彼等は、北朝鮮を理想国家のように宣伝していた。そして北朝鮮の歌曲「イムジン河」というのを盛んに歌っていた。歯の浮くような北朝鮮礼賛の歌であった。また日本共産党は、北朝鮮を「地上の楽園」であるかのごとく宣伝し在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動に全面的に協力した。

社民党は、社会党時代から朝鮮労働党と「友党関係」にあり、北朝鮮礼賛を繰り返しその手先となっていた。社民党・土井たか子は、拉致問題を無視してきただけではなく否定してきた。社民党は、拉致の事実が明らかになった後も日本人拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」などと否定していた。そして社民党は機関紙で北朝鮮による拉致事件を、「(韓国)安企部の脚本、産経(新聞)の脚色によるデッチあげ」、「日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された」などと主張し(平成九年七月号)、一貫して北朝鮮を擁護し続けてきた。

不破や土井がノコノコと出て来て平和を説く資格などありはしないのである。
 4様曰く、『臨津江』は、実は共和国を賛美する曲だったそうです。

 いやはや、長いこと『臨津江』を聴いてまいりましたが、初めて知りました。『臨津江』は色々な和訳がありますが、おおもとの、朴世永同志が作った朝鮮語の歌詞を見る限り、いまいちピンと来ませんねぇ。何のこと言っているんでしょ。

 ところで、「イムジン河」という読み方は、南の読み方(ソウル標準語)であります。『臨津江』は1957年に朝鮮民主主義人民共和国で作られた曲ですので、共和国の読み方(平壌文化語)、すなわち「リムジン河」と読んであげてください。

 ちなみに、「歯の浮くような北朝鮮礼賛の歌」というのは、『社会主義祖国賛歌』とか『愛そう我が祖国』とかのことを言うんですよ。たぶん。(←共和国音楽の聴きすぎで、段々感覚が鈍ってきている)

 しかしまあ、4様のこの記事、今だから言えることですよね。昭和40年代前半というと、1960年代後半。当時から主張してきたことならまだしも、今になってから「そらみたことか」と声高に主張するって、還暦のおっさんのやることですかねぇ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー

2008年05月17日

労働教団

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=490524&media_id=10
 ニートやフリーターが集まる“コミューン”が東京都杉並区にある。JR高円寺駅から商店街を10分ほど。名前は「素人の乱」――。一度は社会からはみ出した若いヤツらがそれぞれ独立して店を営んでいる。ニートやフリーターのわが子を立ち直らせる“ヒント”がこのコミューンにあった。
 コミューンの発起人、松本哉さん(33)がリサイクルショップ「素人の乱」を開業したのは05年5月のこと。“大学7年生”で卒業し、別のリサイクルショップでフリーターをやっていた。
 そんなとき、高齢化が進み、さびれつつあった商店街の副会長と知り合った。

「空き店舗があるから、やってみないか?」
 そう声をかけられ、始めることに。
 店には自然とニートやフリーターが集まってきた。「オレにもできるんじゃないか」という若者が、次々と飲食店や古着屋などを立ち上げ、この3年でコミューンが出来上がった。
 商店街には活気が戻ってきている。「素人の乱」と名がつく店は現在6店。屋号は同じでも、それぞれ独立採算制だ。これまで閉店したところはない。
 昼はカフェ、夜は飲み屋の「素人の乱」に入ってみた。平日の午後4時。店は20代前半の男女で賑わっていた。どうやらニートやフリーター仲間らしい。
 店主は青森出身の20代後半の男性。周辺をぶらぶらしているうちに「仲間入りした」という。
 コーヒーが200円。牛丼、グリーンカレーなどの料理は、どれも350円。飲み物とセットで500円。格安だ。1番人気の「きのことひき肉のオムライス」は具だくさんでボリューム満点。お世辞抜きでうまい。
 厚労省の推計によると、ニート人口は05年時点で約64万人と急増している。フリーターは約213万人。ニートやフリーターの息子に頭を抱えている父親も多いだろうが、就職しなくても、こうやって立ち直っていく若者もいる。
 今月1日、高円寺では松本さんが主催したデモが開かれた。ニートやフリーター、学生ら約300人が参加。きっかけさえあれば、何かが変わるのだ。

●ヘタな口出しは逆効果「親がイキイキしていると子供は働く気になる!」
◇発起人の元フリーター・松本哉さん
 大学を出てからフリーターをしていたのは、単に企業に就職することに魅力を感じなかったから。働く気がなかったわけじゃありません。ニートやフリーターと呼ばれる若者の多くはそう思っているんじゃないでしょうか。労働意欲はあるんですよ。
 私の場合、昔からリサイクルに興味があった。買い取るときに使い手の思い出話を聞き、売るときには買い手にエピソードとして話す。そういう、中古品ならではの“つながり”が好きだったんです。
 いまは2店舗構えています。1日の売り上げはトータルで6万〜7万円。19〜33歳のスタッフは元ニートやフリーターばかり。8人雇っていますが、利益は出る。ビジネスとして成り立っています。
 ちなみに私の月収は10万円。もっともらえるぐらいは稼いでいますが、それで十分、不自由なく生活できます。
 いまはニートでも、興味を持てることが見つかれば、“更生”は十分に可能だと思います。
 親が「企業へ就職しなさい」と口を出したくなる気持ちは分かりますし、人生の先輩としてアドバイスすることは正しいことかもしれない。ですが、“迷走”するニートやフリーターにとってはむしろ逆効果。本人が自発的にやる気を起こさない限り、何も変わらない。
 大事なことは、親御さんが誇りを持ってイキイキと生活することじゃないでしょうか。私もそうでしたが、やはり、子は親の背中を見て育つ。親が楽しそうに働いていれば、子供もやる気になる。そうなるまで“放任”し、わが子に模索させることが近道だと思います。

【ちなみに】
 厚労省は先月25日、都と連携して、新宿・歌舞伎町にネットカフェ難民向けのサポートセンター「TOKYOチャレンジネット」を開設した。予約件数は153件(28日時点)。
「相談者は20〜40代の男性が多く、住居にまつわる相談が大半です」(センター担当者)
 センターが利用できるのは都内で直近6カ月以上継続して生活していたことが証明できる人のみ。アパートの入居費用(40万円)や当面の生活資金(20万円)の無利子融資なども実施する。

【2008年5月14日掲載】
 日本人の労働に対する認識(というか一種の信仰)については、4月4日づけ労働に対する信仰において取り上げ、コメント欄にて、ニート問題についても取り上げるようにリクエストを戴きましたので、今後、少しずつ取り上げて参ります。

 さて、この記事では「更生」だとか「迷走」だとか、とにかく、ニートやフリーターの「生き方」に対する否定的な言葉が随所にちりばめられています。つまり、正社員として就職している人は「正しく」て、そうでない人は「正しくない」「根性が曲がっている」というわけでございます。

 しかし、私としては、別に働きたくなかったら働かなくてもいいんじゃないのか、働かないからって「正しくない」とか「根性が曲がっている」とかいわれる筋合いは無いんじゃないかと考える次第です。

 私は以前より朝鮮民主主義人民共和国の指導思想であるチュチェ思想に共感するところが多いことを表明し、当ブログにおいても、チュチェ思想的視点から記事を書いてまいりました。チュチェの人間観というのは、以前にも申し上げたとおり、世界と自己の運命の主人として自主的に生きようとする意識性をもち、目的意識的発展志向で世界を改造・創造することによって自主化を達成するものであるとしています。

 ここで重要なのが「自主的に生きようとする意識性」であります。すなわち、生きたいように生きる。これこそが人間の本質であります。(もちろん、チュチェ思想は自主の思想であると同時に集団の思想ですから、他人に迷惑をかけない範囲内での話ですよ)

 ゆえに、ニートの皆様におかれましては、松本発起人の言うように、自分が知っている範囲内の「仕事」に「魅力を感じなかった」のならば、それは仕方ないことですし、それ以前に、そもそも労働意欲そのものがないのなら、別にそれはそれでいいでしょう。働くのも働かないのも、「自主性」の一つだし、嫌々の労働は人間の本質に反する行動です。

 その点、この記事や、あるいはこの記事に対する「声」の中に多く見られる、ニートを「更生」させるという発想については、「労働教」と言いますか、とにかく労働に対する信仰的なものを感じます。

 ただ問題なのは、現状では働かないと生活できない。だから、「働かなくても良い」けれど、「働かざるを得ない」。ゆえに私としては、ニートの皆様に対して「諸君の生き方は正しくない」とか「お前らの根性は曲がっている」とは決して言いませんが、現状においての「労働」とは、「自己の生存のための強制労働」であること、そして、チュチェ思想のもうひとつの側面、すなわち「自主性の実現範囲は社会秩序の範囲内」もっと簡単にいえば「他人に迷惑をかけない」という「チュチェ思想的集団主義」から、自身の足元は自身で固めなくてはならない、ということだけは伝えざるを得ないと考える次第です。

 本当は、反人間的な「嫌々の労働」を根絶させ、全ての労働が「生存のため」ではなく、「真の自己実現のため」に行われるようになることが一番良いのですが、こういうのは今日明日に実現することではありませんからね。。。

 「真の自己実現のための労働」については、これは共産主義論に密接に関わる話題であり、私はまだ共産主義について人様に説教できるほど知識が深くないし、なによりも時間が無いので今回は割愛します。

 しかしまあ、「ニート問題」から「共産主義論」に話が繋がるとは思わなかった。書いている自分でも驚きでございますよ。
posted by s19171107 at 21:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

向雷峰同志学習

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20080514dde041030008000c.html
 大地震で倒壊した中国四川省綿竹市の幼稚園で、教諭が背中にセメント板を受けて倒れながら、抱えた園児の命を守ったことが明らかになった。新華社通信が13日、報じた。園児が無事に救い出された時、教諭はすでに息絶えており、園長は「子供の命を救った先生は、永遠に我々の元を去ってしまった」と涙した。

 幼稚園には地震発生当時、園児80人余りと教諭5人がおり、園児は昼寝の最中だった。

 園舎が倒壊した後、がれきの中から助けを求める園児らの声が聞こえたが、やがてか細くなり、親たちが周囲から懸命に子供たちの名前を呼び続けた。その後、救助隊によって園児約50人と教諭3人の死亡が確認された。
 雷峰同志の精神を感じた。
posted by s19171107 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

HARAKIRIテロリズム

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080513-OYT1T00388.htm
 自衛隊体育学校(東京都練馬区)所属の陸上自衛官が国会議事堂の敷地内に侵入して自殺を図った事件で、警視庁は13日、陸士長の鈴木田峻吾容疑者(20)(埼玉県朝霞市)を建造物侵入などの疑いで逮捕した。

 発表によると、鈴木田容疑者は8日午後9時過ぎ、千代田区永田町の国会議事堂北側の鉄柵を乗り越えて侵入、短刀(刃渡り22センチ)で腹を刺したところを機動隊員に現行犯逮捕された。1〜2週間の軽傷で、いったん釈放されて入院していた。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008051301000364.html
 国会敷地内で自衛官が自殺を図り軽傷を負った事件で、警視庁公安部は13日、建造物侵入と銃刀法違反の疑いで自衛隊体育学校の陸士長、鈴木田峻吾容疑者(20)を再逮捕した。

 公安部は東京メトロ国会議事堂前駅のコインロッカーから、福田政権の外交姿勢に抗議する内容が記録された鈴木田容疑者のUSBメモリーを押収した。

 調べでは、鈴木田容疑者は8日午後9時半ごろ、東京都千代田区永田町の国会議事堂北門近くの柵を乗り越えて敷地に侵入し、正当な理由なく刃渡り約20センチの短刀を所持した疑い。

 自衛隊の制服姿で、侵入後に腹を短刀で刺して自殺を図った。警視庁☆町署が現行犯逮捕、その後、治療のため釈放していた。

 関係者によると、鈴木田容疑者は都内の複数の右翼団体に出入りし、街宣活動に参加することもあったという。

(注)☆は麦の旧字の右に句の口が米
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3851299.html
 20歳の陸上自衛官が国会議事堂の敷地内に侵入し、自分の腹を刺した事件で、自衛官が福田総理大臣宛の抗議文を用意していたことが、警視庁公安部の調べでわかりました。

 この事件は 陸上自衛隊朝霞駐屯地の陸士長、鈴木田峻吾容疑者(20)が、今月8日の夜、国会議事堂の敷地内に侵入し、自分の腹を刀で刺し警視庁に逮捕されたものです。

 鈴木田容疑者は13日、銃刀法違反などの疑いで再逮捕されましたが、その後の調べで、鈴木田容疑者が福田総理への抗議文をUSBメモリーに保存する形で用意していたことが新たにわかりました。

 抗議文は、「福田総理に告ぐ」として、現在の政治体制や外交姿勢に抗議する内容が書かれていたということです。また、寮の部屋からは右翼団体の代表の名刺が押収されていて、警視庁はさらに動機を追及しています。
 日本は(色々ご意見あるかと存じますが)議会制民主主義国家であります。そして、何か言いたいことがあれば口で言うのが鉄則であり、自身の主張を言論ではなく、暴力的・直接的手段を用いて主張したり、実現しようとする人物のことを、我々は「テロリスト」と呼びます。

 その点、この陸自陸士長は、その議会制民主主義国家の根幹である国会の敷地に不法侵入したうえで、他人を巻き込むことこそしなかったものの、HARAKIRIという、言論を用いない暴力的・直接的行動を行いました。これは民主制度に対する暴力的主張に他ならず、発想の根底においては、「テロリスト」と大差ないものがあると考えます。

 しかし、一部日本人の方々におかれましては、HARAKIRIのように、「公のために自分の身を引き換えに、、、」といった行動に対しては殊のほか弱いらしく、某SNSでは以下のような「声」があります。
鈴木田峻吾さんは、自衛官にも関わらず、憂国の情を抑えきれずに偽名を使って街宣活動をしていたことがあったそうです。

前にも書きましたが、鈴木田さんが自決しようとした理由は、「天皇陛下の政治利用に対して、自衛官として申し訳がない」というものだと推測します。

そうでなければ、何故、わざわざ国会議事堂に侵入して、国会議事堂を背に、陸上自衛隊の制服を着用し、正座して威儀を正して、切腹という表現方法を使う意味があるのですか?

当たり前ながら、切腹をしようとしたのは今回が初めてだったのでしょう。
三島由紀夫さんが自衛隊に決起を促してから、もう37年ですよ。
当然、鈴木田さんは三島由紀夫さんとも会ったことはないですし、具体的な切腹の方法も知らなかった可能性もあります。
自分のすぐ近くに、切腹の仕方を教えてくれる人がいなかったのだと思います。


僕は最大限、鈴木田峻吾さんを擁護し、応援します。
 すばらしい思考停止です。しかし、先にも述べたとおり、これは反民主的なテロリズム思考にもとづく行動であります。テロというと、どうしても他人を巻き込むものを想定しがちですが、被害者がいなくてもテロはテロです。

 「憂国の情」とかいうのは、いつからテロリズムになったんでしょうか?
posted by s19171107 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

シャドーボクシング

http://www.asahi.com/national/update/0510/TKY200805090295.html
 「死刑になりたい」。こんな動機で、見知らぬ人を襲う容疑者が相次いでいる。茨城県で3月に男が駅周辺で8人を殺傷した事件、鹿児島県で4月に自衛官がタクシー運転手を殺した事件……。犯罪を抑える狙いの死刑制度が、逆に凶行を誘発していることになるが、それはなぜか。識者の見方も割れる。(本山秀樹)

 茨城県土浦市のJR荒川沖駅の8人殺傷事件。逮捕された無職金川真大容疑者(24)は、調べに対して「自殺するのは痛いから嫌だった。複数殺せば死刑になれると思った」と供述したという。鹿児島県姶良(あいら)町のタクシー運転手殺害事件で、陸上自衛隊員の少年(19)も「人を殺して死刑になりたかった」と県警に話したという。

 さらには、2月に東京都新宿区にある神社のトイレでタクシー運転手の頭を金づちで殴ったとして殺人未遂容疑で逮捕された無職の男(31)も、昨年9月に広島・平和記念公園で男性を刺殺したとされる無職男(63)も「死刑になりたい」と動機を語ったとされる。

 いずれも容疑者たちは「死にたいが死にきれなかった」などとも供述したという。特定の人に殺意を抱いたわけではなく、死刑制度を使って間接的に自殺を図ったというわけだ。

 精神医学の世界では、他人の力を借りて自らを死に追いやることを「間接自殺」と呼ぶという。教義で自殺を禁じているキリスト教圏では当てはまるケースが多いが、日本では珍しいとされてきた。

 犯罪精神医学が専門の影山任佐(じんすけ)・東京工業大教授は「『死刑になりたい』との動機が日本で目立つようになったのは、自殺の多さと無関係ではないだろう」と指摘する。

 警察庁の統計では、06年の自殺者は全国で3万2155人。9年連続で3万人を超えている。影山教授は「自殺を願う人は生命を尊重する心に欠ける。だから、他人を巻き添えにした間接自殺が起こり得る」という。

 同教授は「死刑執行や死刑判決が大きく報じられ、『殺せば死ねる』との学習効果で犯行が引き起こされている可能性がある」とも分析。「国として自殺対策に本気で取り組むことが必要だ」と説く。

 一方で、「間接自殺は昔からあった」と言うのは、刑法専攻の椎橋隆幸・中央大教授だ。「警察が公表し、報道されることで、増えているような印象を持つのではないか」と指摘。死刑制度を存続すべきだという立場に立つ椎橋教授は「死刑制度は罪と罰を均衡させ、社会の正義を守る観点で必要だ。死刑が動機の事件が起きたから死刑を廃止すべきだという主張があるなら、乱暴な議論だ」と話す。

 難しいのは、容疑者の死刑願望がどこまで固いものなのかの判断だ。実際、逮捕時には願望を口にしながら、その後の供述が一貫せず、精神鑑定を受ける例も少なくないという。こうした捜査を指揮する立場にある警視庁幹部の一人は「心の病の増加を踏まえた、総合的な刑事政策、精神保健政策が求められているのは間違いない」と言っている。
死刑制度を存続すべきだという立場に立つ椎橋教授は「死刑制度は罪と罰を均衡させ、社会の正義を守る観点で必要だ。死刑が動機の事件が起きたから死刑を廃止すべきだという主張があるなら、乱暴な議論だ」と話す
 何かのテーマに対して自論を展開する際には、反対論を踏まえた上で筆を進めるというやり方は、大学受験の論文試験を始めとして、もっとも良く行われる手法であり、私も良く使います。「たしかに××であるが、裏を返せば○○である」というふうに。

 しかしながら、こういう論理展開の手法というのは、踏まえる「反対論」というのが往々にして「脳内反対派」とも言えるような内容であったりすることがあります。典型的なのが、当ブログシリーズ記事改憲派論理研究において取り上げた、改憲派の皆様でございます。すなわち、勝手に我々護憲派を「非武装平和主義者」と断定し、その勝手な前提を基に、我々が全く言ってないことについて批判を浴びせかけてくる、といったものです。

 この朝日配信記事の引用部分についても、死刑存置論者である椎橋氏におかれましては、「死刑が動機の事件が起きたから死刑を廃止すべきだという主張」という反対論を踏まえた上で、「乱暴な議論だ」と筆を進めている点、典型的な論理展開の手法でありますが、死刑願望の殺人の発生を以って死刑制度に反対する人のナマの声を聴いた者としては、椎橋氏のこの論理展開は、「脳内死刑廃止論者」を前提にしたシャドーボクシングだなぁと思う次第です。

 なぜ、「脳内死刑廃止論者」といえるのか。それは簡単でして、確かに、死刑願望の殺人の発生を以って死刑制度の存置に反対する人はいるのですが、そういう方々は、決して死刑願望の殺人がおきたことだけを以って反対しているわけではなく、椎橋氏をはじめとする死刑存置論者が喧伝する「死刑制度は罪と罰を均衡させ」ているとか「死刑制度によって犯罪抑止力が生じている」といった言説についての確たる証拠が見出せていない上に、死刑願望の殺人の発生までおきていて、「死刑制度に利点が見出せないどころか、悪い点ばかりが目立つ」という論理を以って反対しているようであります。

 その点、椎橋氏のこの論理展開は「反対論」を余りに単純化しすぎており、「脳内死刑廃止論者」を前提とした議論に陥っていると見えます。

 ちなみに、私は死刑制度についての詳しい知識が無いので、上記論理が現状に合致する論理かどうかは分からないのですが、「そういう考え方もあるんかなー」くらいに受け止めております。

 ところで、
見知らぬ人を襲う容疑者
 何か変な日本語ですねぇ。「容疑者」というのは、その名の通り、起訴前の嫌疑をかけられている段階における呼称でなんですから、「見知らぬ人を襲う」という断定の語句とともに使うのはどうかと。どうしても「容疑者」という言葉を使いたければ、「見知らぬ人を襲ったとされる容疑者」というのが正しい用法です。

 こういう、断定の意味が強い語句と「容疑者」という不確定な意味の語句を同じ文脈で併用するという、本来的な語句の意味からは逸脱した用法をしているから、印象の強い断定の語句の意味に引き摺られて、本来は不確定な意味の言葉である「容疑者」という呼称までも断定の意味を含んでしまい、「容疑者=犯罪者」という図式が出来上がってしまうんですよ。

 その一方で、「SMAPの稲垣メンバー」とか「吉本興業の島田紳助司会者」なんていう変な言い回しが出てくるわけですよ。稲垣吾郎や島田紳助こと長谷川公彦のときだけ、「推定無罪」を強調したのには笑いましたねー笑っている場合じゃないですけど。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 12:15| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

『台湾の声』が寝返る

 久々に『台湾の声』。3月の総統選挙に際して、『台湾の声』は民進党と謝候補を持ち上げ、国民党と馬候補をボロクソに叩く記事を嬉々として配信していました。また、謝候補大敗の際には、「負けた」という記事を配信しました。

(以下、色々引用しますが、ポイントは全て太字にしましたので、太字部分とその前後だけをご覧いただければ大体おkになるようにしています)

http://www.emaga.com/bn/?2008030058515969000288.3407
件名:「台湾の声」【負けた】謝長廷氏大敗!!

【負けた】謝長廷氏大敗!!
 
 この大負けを酒に浸けて、飲み干したい。

 明日、酔いが醒めたら、じっくりと考えたい。

 台湾の将来を!!

 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)
http://www.emaga.com/bn/?2008020054189443002051.3407
件名:「台湾の声」【中国ペテン】孫文も馬英九も米国住民

【中国ペテン】孫文も馬英九も米国住民

 馬英九、蒋経国をさえ欺いてグリーンカード保有を隠し通してきた

【「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」】より転載

 お人好し日本人をたぶらかして大金を集め、最後にはコミンテルンの謀略も作用してかソ連に寝返った「革命商人」(革命を口にしてカネを集める天才)の筆頭は孫文。中国大陸ばかりか台湾でも、いまなお「国父」と呼ばれる。

 孫文は米国の国籍を持っていた(1981年ジョージア大学のトーマス・ギャンシュオー教授がワシントン国立アーアイブで発見)。

 1904年3月14日、孫文はカリフォルニア州当局に市民権を申請した。孫文の出生地は広東省香山県翠亮村となっており、この出生地に疑惑を持った当局と裁判沙汰になったが、弁護士をつけて孫文が勝訴し、同年4月7日にアメリカ国籍を取得した。

 グリーンカード保有がばれたとき、馬英九はこう言って開き直った。

「孫文先生さえも米国籍だった。私がグリーンカードを保有したくらいで騒ぐことはない」。

 孫文が国籍を獲得したのは清国政府がお尋ね者として海外手配していたからだ。

 海外亡命先で政治活動を保護されるには当該国籍を取得せざるを得ず、戦後、日本に亡命していた多くの台湾独立活動家も本国送還になれば戒厳令下の独裁政権に逮捕されることに間違いはなく、いわば方便として仕方がない。

 何人かの活動家は日本国籍を得た。それには弁明の余地が十分にある。

 しかるに馬英九の場合、当時から政権与党=国民党員であり、国民党から米国へ留学し、その留学先に台湾から刺客が送られる心配はまるでなく、永住権を取る必要がどこにもないのである。

 グリーンカードは、たとえばアメリカ人を配偶者としている日本人も保有することが出来るが、独立という精神から言えば祖国への裏切りになる。

 台湾では国民党員でも密かにグリーンカードを保有した者が多かった。80年代には、ちょっとした役人でも持っていた。

 また蒋介石と同時に逃げ込んだ香港からの難民にはイギリスのパスポートを保有していた者が多くいた。

 そのため蒋経国は、二重国籍の徹底調査を命じていた、まさにその時期に馬英九は米国からグリーンカードを持って台湾に帰国し、蒋経国(当時は行政院院長=首相に相当)の英語通訳を務めたのだった。
http://www.emaga.com/bn/?2008010047093541004439.3407
中国共産党独裁の中華人民共和国による台湾併呑工作と米国からの圧力を受けながら、台湾国民は蒋介石国民党によるニセ中華民国からの独立を無血革命を通じて達成しようとして長い間、孤独で厳しい道のりを歩んできた。

無血革命による被占領体制からの脱却と戦後体制からの脱皮、特に国民投票の実施など、我々日本国民が台湾国民から学ぶべきものは多い。

すなわち、台湾国民のニセ国家である中華民国からの独立は支持されねばならない。

台湾の国連加盟は支持されなければならない。
中華人民共和国の走狗である馬英九の総統就任は阻止されねばならない。

我が国は台湾の味方であるべきだが、蒋介石国民党によるニセ国家である中華民国は戦前・戦中・戦後を通じて日本の敵である。

中国国民党が支配する中華民国の国民もまた、中華民国人すなわち、中華人民共和国人と同様に、中国人と呼ばざるを得ない。

中国人と呼ばれることは、記事にある暴漢と同列に扱われる事である。

蒋介石国民党の後継者である馬英九が総統選に勝利すれば台湾における無血革命は後退し、名実ともに中華民国体制が復活する。

そして中華人民共和国の走狗でもある馬英九が総統選に勝利すれば中華人民共和国による台湾併呑が加速する。

台湾人が中国人と呼ばれないためにも、馬英九の総統就任を阻止しなければならない
http://www.emaga.com/bn/?2007120048490044002706.3407
【報告】謝長廷先生東京講演会、500人の参加者で熱気は最高潮!

宮本将英
日本人台湾独立促進会
h ttp://taidoku.fc2web.com/index.htm

2007年12月17日、待ちに待った謝長廷次期総統候補の講演会がアルカディヤ市ヶ谷で行われた。主催は「日本長昌友の会」。今年10月に結成された、日本人と在日台湾人が中心となって謝長廷総統候補と蘇貞昌副総統候補を応援する団体である。講演会は19時からで、会場に入るとすでに500人の参加者で超満員の状態。普段台湾関係の講演会の参加者は多くても150人程度だが、さすがは次期総統候補だ。報道陣も多数参加している。

金美齢氏と黄文雄氏による挨拶のあと、謝長廷氏に花束が贈呈され、19時半ごろから謝長廷氏による講演が始まった。講演は主に台湾語で行われ、通訳の方が日本語に訳してくださった。講演で謝長廷氏は、

・台湾維新とは、日本の明治維新と同様、海洋文化に基づくものだ。中国の大陸文化とは違う

・馬英九は日本での講演で、中国の批判はせず、台湾(の為政者)の悪口ばかりを言った。
中国のミサイル配備は、もうすぐ1000基に達するというのに、これに触れない無責任な人間だ

・台湾はすでに主権独立国家であり、総統選挙は台湾アイデンティティと中国アイデンティティとの対決だ。

・台湾維新とは台湾の名で発展していくということだ。日本の友人の絶大なる支持が必要だ

・日台関係で一番重要なのは安全保障関係。台湾の次に危ないのは日本だ。中国は世界平和に挑戦しようとしている。台湾をサポートしてほしい

・私の哲学は共生だ。だが共生にも条件がある。自国が強くならなければ、生存できないのだ

といったことを協調した。謝長廷氏についてはその穏健融和路線が独立派から非難されることもあるが、この日の講演を聞いて、ぜひとも台湾の将来を託したいと感じたのは私だけではあるまい。今回の講演内容についてはブログ「千葉発日台共栄」
(h ttp://blogs.yahoo.co.jp/chibanittai/28736105.html)
または永山英樹氏のブログ「台湾は日本の生命線」
(h ttp://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-253.html)
でより詳しく述べられている

講演が終了すると謝長廷氏も参加者もみな旗を振りながら「謝長廷当選!」を台湾語で叫んで、会場はものすごい熱気で包まれた。報道陣に囲まれながら会場を後にした謝長廷を、「台湾維新を支持する日本人有志の会」のメンバー約20人が廊下で横断幕を広げながら「台湾万歳!」を叫んで次期総統候補への支持を表明した。謝長廷氏は会場を出てバスに乗り込むまでずっと支持者に囲まれっぱなしで、その人気の高さを物語っていた。

謝長廷がバスに乗ったのを見送った後、会場の廊下に戻ったら「日本人有志の会」のメンバーが引き続き横断幕やプラカードを掲げながら「台湾万歳」を叫び、それに対し多くの台湾人の参加者が手を振って答えていた。まさしく日本と台湾こそが何のしがらみもない価値観を共有する友好国であり、同盟国であるべき存在であることを実感した瞬間であった。

以下のページで25枚の写真をご覧になれます。
h ttp://taidoku.fc2web.com/ouen136kouen.htm
http://www.emaga.com/bn/?2007120048490044002706.3407
件名:「台湾の声」【西村真悟】台湾の次期総統、謝長廷氏


西村真悟の時事通信より転載

日曜日の拉致集会そして台湾の次期総統、謝長廷氏
                        
                     西村眞悟
              

 昨日の日曜日は、特定失踪者調査会が東京都と大阪で同時に拉致被害者救出国民集会を開いた。東京にも大阪にも政府が未だ拉致被害者と認定していないけれども、調査によって北朝鮮に拉致された被害者だと思われる失踪者いわゆる特定失踪者の家族が参加した。驚くべきことに、この特定失踪者は現時点で四百七十名である(政府認定は十七名のみ)。
 私は、この東京と大阪の集会にはビデオでメッセージを送る形で参加させて頂いた。堺の泉ヶ丘の駅前の、同じ時刻に開会された拉致被害者救出のための街頭集会に参加したからである。
 この街頭集会には、隣の奈良から、奈良救う会の佐藤一彦会長が参加された。
吉野の後醍醐天皇の御座所が吉水神社であるが、佐藤さんはそこの宮司さんである。
 また、堺市も参加し、市長の代理として理事で市民人権局の部長が参加してくださった。やっと、およそ人権局を持つ役所なら、具体的に何に取り組まねばならないかが明確になってきたなーと思う。今までは、北朝鮮による日本人拉致を、人権侵害問題だと捉える発想もなかった。市役所に、「差別をなくそう」という同和問題啓発の垂れ幕は下がっていても、「拉致被害者救出」の垂れ幕が下がっている自治体はない。無理もない、国にもその発想が無かったのだから。そして、人権擁護を職務と掲げる弁護士会も拉致問題を見て見ぬ振りで過ごしてきた。今やっと、このような奇妙な風潮がなくなってきつつあり、転換が起こってきたと感じられる。
 泉ヶ丘では、同時に拉致被害者の写真も展示された。めぐみさんと幼い弟とご両親の家族団らんの横田さん一家の写真は、何よりも雄弁に拉致が如何に酷いことか語っていた。
 この街頭集会を実施してくれた仲間同志と、寒いのに足を止めて参加して下さった多くの皆さんに心からお礼申し上げます。

 さて、堺の泉ヶ丘における拉致集会を終えた後、京都に走り、夕刻から京都大学医学部校内の会館で開かれる謝長廷氏の講演会に参加した。久しぶりに京大の周囲を走った。銀閣寺交差点の疎水沿いには、「ますたに」という小さなラーメン屋があるが、ここは四十年前の学生時代に、よく入った古いぼろぼろの畳に座って食べるラーメン屋だった。立て替えられてはいたが、古い畳があるのは昔のままだった。ここで、ラーメンを食べて腹ごしらえをして会場に入った。
 謝長廷さんとは、来年三月の台湾総統選挙における候補者である。前に、馬英九という中国国民党の候補者には会ったことがあるが、謝長廷さんは初対面であった。彼は、一九四六年五月台北生まれで弁護士、京都大学法学部に留学して法哲学を学んだ。
 
 何故、京都に行ったのか、それは、我が国の国益に重大な影響を与える台湾の総統選挙の候補者を見極めるためである。
 結論から言うならば、謝長廷氏が総統になれば、日本と台湾が核になって東アジアの自由と民主主義という安定と幸せを確保し世界に押し広げることができる。反対に、馬英九氏が総統になれば、台湾は中国に合体吸収される道に入り、我が国の存立が脅かされ、東アジアに中国的無秩序と独裁体制が広がる。

 来年三月の台湾の総統選挙は、中華帝国主義と海洋の日本及び台湾の「文明の衝突」であり、東アジアにおける台湾海峡を挟む「冷戦」に共産党専制か自由と民主主義かいずれが勝つかを分ける重要な決戦である。
 この結果は、我が国の将来に重大な影響を与える。
 従って、この選挙の候補者に関心をもっていたのであるが、私は正直言って不安であった。何故なら、中国国民党の候補者である馬英九氏は、台湾人ではなく中華民国人であり、言っていることは馬鹿馬鹿しかったが、香港映画に出てくるような長身の男前であるのに対し、謝長廷氏は、風采の上がらない小男に見えたからである。
 しかし、昨夜、彼の話を初めて聞いて安心した。人は見かけではない。民進党は素晴らしい台湾の候補者を出している。
彼の話の格調から見れば、馬英九氏はホストクラブの売れっ子ホストレベルであった。
 この両氏の決定的な差は、祖国台湾を愛しているか否かによってもたらされている。政治家にとって、祖国への愛は不可欠である。謝長廷氏は台湾を愛している、馬英九氏は台湾を愛していない。彼は、台湾は中国の一部だと思っている。 次に、昨夜謝長廷氏が語ったことと、懇親会で私が語ったことの一部を紹介したい。

 謝氏は、日本語でゆっくりと考え抜かれた言葉を語った。
 昭和四十七年、京都大学の法学部に留学した。アメリカ留学組が多い中で日本を選んだのは、両親をはじめとする世代の日本に対する強い愛着を感じて育ったからだ。金閣寺の近くの下宿に住み、大学に通った。私の反対派は、ラーメン屋のバイトだけしていたように言うが、本当は勉強をしていた。法哲学を学んだ。
 京大でもっとも影響を受けた事件がある。その一つは、京大事件(滝川事件)であり、自由と民主主義は努力して獲得するものであることを学んだ。もう一つは明治維新である。この明治維新に強いインスピレーションを受けた。従って、私は選挙公約を「台湾維新」としている。

 そして、謝氏は、昨夜の最重要の認識を表明したのである。
 即ち、彼は言った。「台湾は既に国家なり」と。

 さて、私の懇親会でのスピーチ。
 謝長廷氏は、先ほど「台湾は国家である」との認識を表明された。まことに、この認識こそ、東アジアに安定をもたらすものである。何故なら、仮に台湾が国家でなければ、台湾という島は、何処の国に帰属しているのか不明の地となってしまう。つまり、無主の土地である。こうなれば、国際法上、無主物先占の法理により、中国共産党は堂々と合法的に台湾占領に着手することが出来るのである。

 従って、このような中国の行為を許さない「台湾は国家なり」との認識を示された謝長廷氏に日本人として感謝する。
 では、何故台湾は国家なのか。それは、台湾が自らの総統を国民の選挙で選んでいるからである。来年三月の総統選挙は、台湾が国家である証である。
 しかしながら、中国国民党の候補者馬英九氏は「台湾は独立しない」つまり台湾は国家ではないという、中国の一部であるという。
 ということは、馬氏は台湾が国家である証を利用して台湾を否定しようとしているのである。これは、ワイマール憲法の民主的手続を利用して独裁体制を築いたヒットラーと同じではないか。いや、もっとひどい裏切りである。ヒットラーはドイツを否定したのではない、愛していたのだ。
 しかし、中国国民党の馬氏は、台湾を否定するために台湾の総統になろうとしている。このような、自由と民主主義の裏切り否定を日本人は台湾と共に許すことは出来ない。

 懇親会後、二十歳前後の京大山岳部時代に、五百円で腹一杯食べて飲ましていただいた、川端二条の「赤垣屋」に行ったが、日曜日で閉まっていた。
 やはり、学生時代を過ごした京都は離れがたく懐かしい。
 謝長廷さんも、学生時代と京都が懐かしいから、日本訪問の第一番の立ち寄り先として、京都を選んだのだろう。
 謝長廷氏の総統当選を切に願う。
 日本人として、何が出来るかを考え工夫しよう。
 謝長廷総統が誕生すれば、李登輝先生に続いて、京都大学出身者として二人目のプレジデントが誕生することになる。
http://sv3.inacs.jp/bn/?2007110074198687001022.3407
件名:「台湾の声」【映像】初公開:歓迎会場前の馬英九不歓迎デモ

初公開:馬英九不歓迎デモ(歓迎会場前)の映像


            国民党の反日売台を看過しない日本人有志の会

このたび、中国統一派を目指す台湾政治家、馬英九の来日歓迎晩餐会会場である「ハイアットリージェンシー東京」前で行われた不歓迎デモ(11月22日)の映像が初公開されました。

映像には馬英九の反日、売台、中国との提携を糾弾するデモの模様以外に、「ホテル職員を装い演説の妨害を試みる中国の回し者と思しき不審人物」(冒頭)、「日本の尖閣諸島領有に激昂する中国統一派の華僑」(9分後)、「古賀俊昭都議会議員による台湾応援の演説」(最後の方)なども収録されています。

以下でご覧になれます。

この国は少し変だ!よーめんのブログ
h ttp://youmenipip.exblog.jp/

11月28日の記事「魂をシナに売った台湾政治家 糾弾動画」

映像名:「馬英九に厳命する!支那・中共の手先を演ずるな!(前編)」

http://sv3.inacs.jp/bn/?2007110070811101001359.3407
件名:「台湾の声」【読者情報】台湾で話題の「馬頭人」ニュース映像

【読者情報】台湾で話題の「馬頭人」ニュース映像

東京に来た馬英九に反対するデモで出現した「馬頭人」と、彼が持つプラカードの「支那の男妾・馬英九」の文字は、台湾のテレビ局が競って報道し、台湾で話題沸騰、台湾全土がお腹を抱えて笑いました。

これは台湾のテレビ・民視のニュースの映像です。台湾のブログで見つけました。

h ttp://blog.xuite.net/syu.kogen/blog/14515663

内容は、「日本の民衆は馬のお面やポスターなどを用意したプロ級で、台湾の赤シャツ軍と似ている。いったい彼らは何者だ」という感じです。

「馬頭人」は中国語で話し始めて、台湾のテレビ局を驚かせます。

記者から「あなたは日本人か」「なぜ馬英九を支持しないのか」と聞かれ、

「私は日本人だ。北京で中国語を勉強した。馬英九は典型的な反日だ。謝長廷なら安心だが、日本人は国民党の馬英九には反対だ」と真剣に答えています。

アナウンサーは「日本人まで統一か独立の問題で馬英九に抗議している。両岸政策は、馬英九の総統への道のりの上では難題になっているようだ」と結んでいます。

「馬頭人」がかぶっているヘルメットは、白色テロ時代の憲兵のマネですね。でも台湾では、「怖い」というよりも、「カワイイ」という声がたくさん聞かれます。

日本人の思いが届けられたようで、よかったですね。ハンサムというだけで馬英九を支持する台湾の人たちに、いいメッセージとなったと思います。

デモの皆さん、お疲れ様でした。
 ところが、そんなことはまるで無かったかのように、先日以下のような記事を配信してきました。
http://www.emaga.com/bn/?2008050023798437020477.3407
【総括】陳水扁総統は「隠れ統一派」だった・民進党は己の無知と傲慢に負けた

(全文転送転載自由!!)(「月刊日本」から了承を得ています) 

2008年5月号「月刊日本」より転載 


【掲載に当りまして】

民進党の無能と傲慢を肌で感じながらも、我々はそれを応援してきた。
なぜならそれは国民党の中国人体質をそれ以上に嫌悪していたからだ。

民進党はエセ独立派と知っていながらも、その仮面を許した。
それは何時か本物の独立派に変身してくれると期待していたからだ。

しかし、その何れも間違いであった。

情熱と期待だけでは、国を作れないことを身にしみる程思い知らされた。
これからは頭をも働かせるような建国運動を行うことを決意した。

そして以下の文章は、それを表明するためのものである。

林建良(りんけんりょう)  


【総括】陳水扁総統は「隠れ統一派」だった・民進党は己の無知と傲慢に負けた


「台湾の声」編集長 林建良(りんけんりょう)

三月の台湾の総統選挙、独立志向と言われている民進党が大敗し、統一志向と言われている国民党が八年ぶりに政権の座に戻ることとなった。日本の論評を見渡すかぎり、「台湾人意識より経済」「独立より現状維持」などのような論調が大半であり、台湾の真実を捕らえない表面的な考察にとどまっている。

どんな戦いでも勝敗の要因は必ず複数あるが、大敗の場合は必ず致命的な要素が存在する。その致命的要素とは、陳水扁を中心とした民進党政権の無知と傲慢にある。この致命的要素を見いださない限り、いかなる考察も表面的になってしまうのだ。

●大敗の構造的要素は第七回憲法改正にある

民進党の無知の集大成が第七回憲法改正であろう。この改正こそ国民党に政権を奉還する第一歩であるのみならず、台湾を永遠に「一つの中国」という呪いに縛りつけた。

この憲法改正の直後の二〇〇五年八月、オーストラリアのブリズベンで開催された世界台湾同郷会のインターネット会議で、陳水扁は選挙制度と公民投票を憲法に入れたことが台湾人民の勝利だと自慢したが、筆者はその場で、これは台湾を現行憲法の「一つの中国」に縛りつけ、国民党の政治勢力を拡大させる愚挙だと陳水扁を批判した。

二〇〇五年六月十日に行われた第七回憲法改正の主なポイントは、以下の通りである。


一、憲法改正機構として存在していた国民大会を廃止し、その権限を立法院に移す。

二、憲法改正の手続きとして、立法委員の四分の一の署名で発案し、同じく四分の
三の出席と四分の三の同意を得た後、公民投票で有権者の過半数の同意を得ることを定めた。

三、立法委員選挙を中選挙区制度から小選挙区制度に改め、任期を三年から四年に延長し、定数を二百二十五議席から百十三議席に減らす。

四、選挙法を憲法に入れる。

五、総統の罷免は、立法委員の四分の一の発案、三分の二の賛成で、公民投票にかけ、投票率が50%以上、賛成票が過半数であれば成立するとした。

●体制内の独立建国を不可能にした憲法改正

体制下での独立建国の方法は二つしかなかった。一つは憲法を改正し、中国とモンゴルに及ぶ現行の領土範囲を台湾と金門馬祖澎湖に限定、国名を中華民国〔チャイナ共和国)から台湾や台湾共和国に変更すること。もしくは公民投票で台湾国新憲法を制定することである。しかし、第七回憲法改正によって、このいずれの方法も不可能になった。体制内での独立建国が不可能になったのである。

なぜならば第七回憲法改正は、それ以降の改正を不可能とするものであるからだ。改正に必要な国会議員の四分の三の出席と四分の三の同意を得たとしても、全有権者数の過半数(全投票数ではない)の賛成を得なければ通過しないというハードルは、到底越えられるものではなく、領土範囲も国名も変更できないだろう。公民投票による新憲法制定も実際にはできない。

現行の公民投票法は国名、領土など主権に関する事項が除外された所謂「鳥籠公民投票法」であるため、この法律を改正しない限りは、新憲法の制定も除外されるのだ。国会勢力の四分の三を占める国民党が公民投票法の改正に応じるはずもない。当然新憲法の制定もできないのである。

●国民党の勝因はスーパー集票マシンにある

更に皮肉にもこの第七回憲法改正が国民党の優勢を不動のものとした。小選挙区への移行、定数の半減、任期の延長などにより国会議員の権力を今までの数倍以上に拡大する一方、議席を各県に最低一名割り振るという規定が修正されなかったため、八千人しかいない馬祖も四十万人いる宜蘭も同じく一名の枠となった。つまり、一票の格差が五十倍にもなるのだ。金門、馬祖、澎湖、台東など人口の少ない県は例外なく国民党の牙城であるため、民進党が十数議席を国民党に譲るような不本意な区割りになっている。票を金で買収する国民党伝統の手法も小選挙区でこそ効率が上がるのだ。二〇〇八年一月十二日にはじめてこの制度下で行われた選挙をみると、如何に国民党に有利であるか分かるだろう。

台湾の小選挙区制度は選挙区と比例の重複立候補が許されないため、同じ選挙区に国会議員は一人しかいない。その議員がその地域の頂点に立ち、全ての政治資源や権力が一人に集中することになる。任期の四年間で間違いなく一つの王国を築ける。また、責任の所在が明瞭な小選挙区は絶好の集票マシンにもなる。買収資金が潤沢な国民党にとって、地方選挙から国政選挙まで全ての選挙を制覇できる最高の制度なのだ。今回の総統選挙勝利の最大要因はこのスーパー集票マシンにある。

一月十二日の立法委員選で大敗を喫した民進党はようやく事態の深刻さに気づき、選挙制度改正を国民党に呼びかけた。これは自党の愚かさを露呈する以外の何物でもない。ウサギがオオカミに牙を抜いてくれと頼むようなものである。

●自ら墓穴を掘った陳水扁の無知

第七回憲法改正は国民大会の最後の仕事であり、実質的に党と党の間の話し合いだけで憲法を改正できる唯一のチャンスでもあった。当時国民大会第一党であった民進党が主導できる条件がそろっていた。第三党の台連や第四党の親民党と連携するか、第二党の国民党と連携するかによって、結果が大きく変わる。しかし陳水扁は国民党との連携を選び、小政党である台連と親民党を消滅させる選挙制度にした。

当時、台連は少数派の民意を尊重するためにドイツ式(得票率で総獲得議席が決まる)を主張したが、民進党と国民党の二大政党は小政党が生き残れない日本式に近い小選挙区制を導入してしまった。日本と違うのは選挙区と比例に重複立候補ができないということだ。また、比例代表では五%のハードル(日本では二%)が設けられた。今回の選挙で二・九%の得票数で比例代表一議席が得られたことから見れば、小政党潰しの意図が明々白々だ。実際、この五%のハードルをクリアできる政党は国民党と民進党のみであって、小政党は皆無であった。民進党は当時第一党であったので小選挙区でも勝てると考えていたのだろうが、国民党と親民党を足して過半数だった国会の状況を考えれば、これは民進党にっとも不利な制度だった。この誤った第一歩が、立法委員選挙と総統選挙の大敗を招いたのである。

●「対敵人仁慈、対同志残忍」の民進党

民進党の自滅行為はまだ続いている。民進党は立党以来、内部闘争が絶えることがなかった。日本ではあまり知られていないが、「対敵人仁慈、対同志残忍」(敵に仁慈、同志に残忍)という民進党への揶揄がある。この言葉通り、民進党の対外闘争は決して上手いとはいえないが、内部闘争の熾烈さは恐ろしい程であり、今回の総統選挙後の反省も責任のなすりつけあいと相互攻撃に終始している有り様だ。来年末の地方選挙が民進党の完全崩壊に繋がる選挙になるだろう。民進党は選挙の度に内部戦争を始めるのだ。その醜い民進党を台湾人が今だに支持している理由はただ一つ、国民党の中国人体質をそれ以上に嫌悪しているからだが、今の制度の下では国民党勢力が半永久的に固定してしまう。台湾人は一体どうすれば良いのか、皮肉にも我々は大敗を喫して初めて民進党政権の無知がもたらした害について真剣に考えるようになった。

●陳水扁は独立志向ではない

民進党には前述の構造的要素以外にも敗因が多くある。陳水扁周辺を始めとする民進党全体の腐敗、朝令暮改の政権運営、内部紛争、野党の終わりない攻撃、マスコミの誹謗中傷など。しかし、それの何れも根幹的な問題とはならない。民主国家であれば政権を担当する限り、以上の問題が存在しない方がおかしく、また、似たような情況で苦戦する政権は世の中にいくらでもある。それで政権運営ができないのであれば、与党になること自体が間違いである。

陳水扁が総統就任演説で示した、台湾主権確立の放棄に繋がる所謂「五つのノー」もアメリカの圧力によるものだが、陳水扁にとって、独立も統一も権力の道具にすぎなかった。そもそも総統になった陳水扁は、支持者を侮るようになった。国民党への融和姿勢を示そうと、彼は当選直後、中正記念堂にある蒋介石の銅像に参拝したのである。しかし彼の意図とは裏腹に、国民党はこのパフォーマンスを受けて陳水扁が核心的価値を簡単に捨てられる人間だと判断したのか、更なる圧力をかけるようになった。

独立志向と言われている陳水扁だが、政界入り前には「華夏」という名前を付けて法律事務所を開業していた。「華夏」とは「中国」の古称である。つまり彼はたまたま独立派の陣営から政界にデビューしただけなのだ。

●不況をもたらした陳水扁の「対中経済統合論」

二〇〇〇年の大晦日、彼は総統としてテレビ演説を行った。その内容は「我々はまず文化的経済的の面から中国と統合しなければならない。最終的には政治的にも統合しなければならないのだ」というものである。独立派台湾人の大半は自分の耳を疑った。だが彼を批判する声よりも、初心者運転だから大目に見ろとの声が大きかった。しかし、この「経済統合論」は後の「経済発展会議」の布石となり、陳水扁政権の対中国政策の核心になっていく。

陳水扁の「対中経済統合論」が具体的な政策になって登場したのは二〇〇一年十月に行われた「経済発展会議」であった。李登輝政権の慎重な対中国経済政策である「戒急用忍」(急がず忍耐強く)を「積極開放」に転換した。それによって、それまで制限されていた七千項目のハイテク投資や技術を中国に解禁した。

その結果として台湾企業が中国になだれ込んで中国の技術向上と経済発展に大きく貢献し、中国のITハイテク産業の八割が台湾資本によるものになった。一方、台湾では産業の空洞化が進み、失業率も所得格差も深刻な状態に陥った。陳政権の経済政策によって対中国投資が一九九九年の二七・七%から二〇〇五年の七一・一%に上り、対中国貿易依存度も二〇〇〇年の二三%から二〇〇七年の四一%となって、危険水域を遥に越えた。中国の経済力の増強は台湾に景気の凋落をもたらすのみならず、軍事力の増強にも繋がり、台湾の安全網に大きく穴を開ける最大の要因となっているのだ。経済学者の黄天麟氏は陳政権の経済統合政策を「割肉飼虎」(自分の肉を切り取って虎に食べさせる)と形容しているが、筆者から見れば、この政策は売国行為以外の何物でもないのである。

二〇〇二年三月、筆者は総統府で陳水扁と会い、何故台湾のハイテク技術を中国に開放する必要があるのかと問い詰めた。すると彼は「だって、取り締まろうと思っても取り締まりきれないから、開放するしかないでしょう」といったのである。この答えには絶句するしかない。これでは泥棒を取り締まりきれないから窃盗を合法にするしかないというも同然の理屈である。陳水扁に対する敬意が一瞬にして消えると、目の前にいたのは、国家元首の衣装を纏った薄汚いペテン師だった。

●正名も制憲も選挙の道具にすぎなかった

陳水扁の対中経済統合政策とは企業との癒着の産物であるが、親中国派をも喜ばせようという打算があった。しかし、底の浅い彼はそれを演じきれるほどの役者ではなかったのである。選挙が近づくと、国民党との対抗軸を鮮明にする以外の手立てがないために彼は独立派の仮面を被り、独立の闘士役を演じた。二期目の総統選で、彼は独立派が待ち望んだ台湾新憲法の制定をつい選挙公約にした。のみならず、二〇〇六年までに新憲法草案を纏め、二〇〇七年に施行するという具体的なタイムテーブルまで明示して国民に公言したのである。更に新憲法制定委員会を設置して憲法学者の李鴻禧氏を委員長にした。

筆者は李鴻禧氏を東京に招き、新憲法制定に関する講演会を主催した。その後、李氏に陳水扁は本気なのかと聞いてみた。李氏は「もちろん本気だ、本気でなければ、俺もこのポストにつかなかった」。このような疑問を持つものは一人ではなかったのであろう。陳水扁はその後の演説で、必ずと言っていいほど、「不退転の決意で新憲法を制定する」と強調していた。その威勢のいい演説は、独立を熱望する支持者に希望を抱かせ、奮い立たせ、選挙終盤の二月二十八日に、台湾全人口の一割である二二〇万人を動員して台湾全土を人間の鎖で繋ぐというかつてない大イベントを可能にした。台湾全土が沸騰するかのような熱気に包まれ、誰もが台湾新憲法制定が現実になる第一歩だと思った。その国民の期待を一身に背負った陳水扁は英雄どころではなく神にさえ見えた。

●独立派の旗を取り締った陳水扁

だが、その希望と喜びは束の間だった。正名と制憲が陳水扁の選挙の道具にすぎなかったと分かるのに、大した時間はかからなかったのである。陳水扁は僅差で勝ち、選挙結果に不満を持つ国民党の支持者が選挙の直後騒動を起こして、総統府前の広場を一ヶ月も占拠した。その時陳水扁は軍の重武装で厳重に警備された官邸に閉じこもり、選挙前の熱気と希望がウソのように台湾からきえてしまった。あるのは焦燥と不安だけである。一ヶ月が経ち、この騒乱はようやく沈静化されたが、騒乱を起こした国民党に阿るために、陳水扁は就任式の会場を「青天白日旗」で埋め尽くし、民進党や独立派の旗を持ち込み禁止にして独立派に見られる言動を厳しく取り締った。その会場で行った総統就任演説で彼は再度「五つのノー」に言及して独立派を落胆させた。新憲法制定の言葉もついに聞くことができず、あるのは憲法修正だけであった。しかしその憲法修正とは上述の有り様である。

●「そんなことできっこない」

正名も制憲も神聖なる建国運動も、陳水扁にとっては選挙の道具に過ぎず、権力は彼を平気で独立派の核心的価値を弄び、平気で建国の信仰を冒涜するような傲慢な男にした。二〇〇五年二月二四日、宋楚瑜親民党党首との会談で彼は「正名與制憲不過是自欺欺人」(正名と制憲は所詮自他陣営を誑かすものだ)とオフレコで述べたが、その日のうちに宋氏に暴露された。それで開き直ったか、数日後、三月一日の欧州議会とのインターネット会議では、正名も制憲も「做不到就是做不到」(そんなことできっこない)と外国の政治家の前で公言した。何よりも正名と制憲を完全に不可能にしたのはその直後の二〇〇五年六月十日に行われた第七回憲法改正であった。言行不一致の政治家は星の数ほどいるが、言と行が逆で、しかも恥じることなく人のせいにする政治家は陳水扁以外に幾人いるであろう。

●核心的価値よりも陳水扁擁護の独立派

陳水扁政権ができてから、独立派は陳水扁批判を極力控えたが、陳水扁が側近しか信用しないこともあって、独立派は陳政権の政策決定に何一つ影響力を行使できなかった。加えて陳水扁は選挙への熱意は人一倍あったが、国の運営については側近に任せきりだった。二〇〇〇年から二〇〇八年まで、台湾では毎年重要な選挙があったため、陳水扁の主な仕事は国家元首というよりは選挙戦の総司令官で、実質的な総統は二人いたのである。一人は総統のオフィスで陳水扁に代わって決裁などをする三十台の側近の馬永成氏。もう一人は妻の呉淑珍氏であった。この二人は国家権力を利益追求の道具にし、後に二人とも起訴された。この呉氏の起訴が二〇〇六年の「陳水扁打倒運動」という下野要求運動のきっかけとなったが、それでも、「国民党時代の汚職ならもっと酷かった」と独立派は陳水扁周辺の汚職を弁護した。彼らは、彼らの盲目的な陳水扁擁護に同調しない李登輝氏をも激しく攻撃するようになった。これもまた「同志に残忍」の一面であろう。

●「含涙投票」を呼びかける独立派

これほど国民を愚弄する傲慢な政党は他にあるだろうか。今回の総統選挙で独立派は台湾人に「含涙投票」(涙を呑んで投票しよう)と謝長廷氏に投票するように呼びかけた。何故「含涙投票」なのか、それは民進党支持ではなく、国民党に当選させたくないからである。この「含涙投票」というスローガンで、どれほど民進党離れが進んでいるのか分かる。

それでも今回の総統選で民進党に票を入れた台湾人が四二%に達しているということは、国民党の中国人的体質への嫌悪感、国民党の親中国的態度への不信感が根強くあるのだろう。今回の選挙の結果をみる限り、馬英九や国民党の政策が支持されたというよりは、民進党が台湾人に見放されたと言った方が正しい。なぜなら、謝長廷氏も中国傾斜の経済政策を公約し、馬氏陣営の中国政策との差がほとんどなかったのである。終盤になって、ようやく謝氏が台湾人意識を訴えるようになり、国民党の一党独裁の危険性をアピールするようになったが、これも選挙手法の一つにすぎないと台湾人に見抜かれていたのだ。

民進党が負けてよかった

民進党が負けてよかったのである。これは簡単な理屈だ。正名や制憲等の主権確立の大事業を選挙の道具にした民進党政権が七年目にして、ようやく蒋介石空港を桃園空港にし、中華郵便を台湾郵便にし、蒋介石を記念する「中正紀念堂」を民主紀念館にした。何れも法律の改正を必要としない簡単なことだが、選挙の前でないと、動こうとしなかったのである。それは例え象徴的な意味があるとしても所詮表面的な正名にすぎないのだ。根幹にある憲法と政治制度を「一つの中国」に縛りつけた以上、この枝葉の問題はなんの意味もない。

実際、謝氏も総統選の弁論会で、現行憲法は「一つの中国」の憲法だと認めている。彼はその「一つの中国」の憲法を守るとも言った。国会の議席の四分の三を占める国民党を前に、例え民進党が総統の座を勝ち取ったとしても、何もできないのが実情なのである。国民党の同意がなければ、予算は一文たりとも通らない。結果として、国民党の政策を執行する以外の道がないのだ。しかし、民進党が独立の仮面を被っている限り、米中を始めとする国際社会から引き続き牽制されるだけでなく、台湾を中国に押し付ける圧力も強まる。民進党の命拾いにはなるが、台湾独立の息が完全に消えてしまうのだ。この民進党が存在する限り、独立派の支持が民進党に集中し、新しい独立勢力も芽生えてこないだろう。

●謝氏が当選していたらどうなっていたか

謝氏は国民党を牽制するために、民進党が政権を担当しなければいけないと主張した。だが、法律家でもある聡明な謝氏は、政権を担当しても国民党を牽制することができないと分かりきっているはずである。

謝氏が当選すれば、国民党は数ヶ月以内に必ず彼を罷免するだろう。なぜなら、今の国民党の勢力なら確実に謝氏を罷免できるのだ。そうなると、数ヶ月以内にまた総統選挙をやることになる。国民党にとってこの第七回憲法改正によって手に入れた合法的な武器を使わない手はない。つまり、国民党は総統の座を勝ち取るまで、罷免と選挙を繰り返し行うであろう。その社会的コストは計り知れず、台湾社会が生き地獄になりかねないのだ。なぜ独立派はこれほど簡単な道理が分からずに謝氏の応援に熱を上げたのか、理解に苦しむ。

●李登輝氏の最後の大仕事

台湾独立を支持してくれる日本の保守派もまた民進党熱にうなされていた。彼らは李登輝氏に謝氏の支持を表明するように求めたのである。これは、熱病に罹っている患者が医者に「俺と同じ病気になれ」と強要するようなものであり、国民党に影響を与え、国民党を台湾人政党に変身させられる唯一の存在に「民進党と無理心中しろ」と要求していることに等しい。

現在の政治構造の中で、台湾に残された選択肢は一つ。それは国民党の台湾化である。そのような芸当のできる人物はただ一人、李登輝氏その人であり、すでに三月二七日の馬英九・李登輝会談でその動きが始まっているのだ。東京駐在も視野に入れ、対日関係の最高責任者になるとの李登輝氏の意向を馬英九は最大限に尊重しているようだ。また李登輝氏は四月四日の読売新聞のインタビューで、台日関係は台中関係より重要だと強調した。これを馬英九に理解させられるのは、李登輝氏一人だけである。馬が台日関係を理解できれば、反日の度合いも薄まるであろう。反日でない台湾は、日台両国にとって有益だ。国民党が反日でなくなれば、中国との距離も当然遠くなる。なぜなら、反日は中国の国是になっており、中国の愛国教育も反日教育にほかならない。国民党が反日でなくなったら、中国との共通の部分もかなり少なくなり、力学的に、当然日本に近づくことになるのだ。故に李登輝氏が馬英九政権の対日責任者となれば、馬英九氏のライフワークとしている尖閣列島の奪還も実質上無期限に棚上げとなり、日本にとっては紛争になりうる種を取り除くこととなるだろう。

親日家の李登輝氏の東京駐在が実現できれば、それこそが、馬英九が日本に送る最大のメッセージとプレゼントなのだ。そのメッセージとは台湾が親日国家であり続けるとの意思表明であり、プレゼントとは李登輝氏の知恵と豊かな国民党人脈である。当然、最大の関門は日本がその大きなプレゼントを受け取る度胸があるかということになる。その前提は日本が「中国を刺激するな症候群」から脱却することだが、果たしてできるだろうか。

●中国を無害化しなければならない

国民党政権ができて台湾の法理的独立が遠のいたと独立派は危惧しているが、民進党政権だからといって近づくこともなかった。現在台湾は実質的に独立している状態だが、それでも法理的に独立しなければならないのは、国際社会に国家として認められ、中国の脅威を遠ざけるためである。一方、日米を始めとする国際社会が台湾を独立国家として認めない最大の原因もまた中国にあるのだ。それこそが我々の最大のジレンマである。台湾が日米にも認められる法理的独立国家になる前提は、まず中国が文明的な民主国家になるか、もしくはばらばらに分裂してヨーロッパのように無害な複合国家になるかのどちらかであろう。

馬英九は確かに中国人体質だが、彼は欧米の価値観も同時に持ちあわせている。中国の民主派運動家たちも馬英九効果で、民主、自由、人権などの価値観が中国に影響を及ぼすように期待を寄せているのだ。確かに国民党は金権体質の政党だが、国民党の支持者がその金権体質を支持しているわけではないのである。彼らのほとんどが中国の民主化を望んでいるのだ。国民党が中国の民主化を促すことで支持の拡大にも繋がる。とすると馬英九政権なら、中国と民主自由と人権問題で応酬することも充分考えられるのだ。日本も台湾と連携して、中国の民主化を促していくべきなのではないか。

台湾が大国の強権に挟まれている小国であるということを忘れてはならない。小国の悲哀というのは、大国の勢力均衡に大きく左右されることである。日米中の力学関係によって、小国台湾は変貌していくのである。日本にとっての台湾の重要性は、政権交代によって変わるものではなく、台湾が日本のシーレーンを扼していることも従来の通りである。その台湾がこれからも民主自由な国家として存続していくことは、党派を越えたすべての台湾人の望みであり、それが可能であるかは台湾の努力だけでなく、日本をも含めた大国の力学関係によるものが大きくあるのだ。台湾の状況に深い関心をもっている日本が、台湾の民主国家としての存続について、今まで行動で示したことはない。情勢が大きく変わった今、日本が自国も含めた東アジアをどうしたいのか、聞いてみたいものである。 


2008年4月10日 日光にて
 これは酷い。「認識が間違っていました。改めます。」と素直に自己批判に徹するなら、全然構わないんだけど、「なぜ独立派はこれほど簡単な道理が分からずに謝氏の応援に熱を上げたのか、理解に苦しむ」というくだりを見る限り、「俺は最初から民進党は胡散臭いと気がついていたぜ」といわんばかりです。「中国人」を散々「いやらしい」だとかいっていますけど、この態度は当の「中国人」も真っ青でしょうね。

 また、「実際、謝氏も総統選の弁論会で、現行憲法は「一つの中国」の憲法だと認めている。彼はその「一つの中国」の憲法を守るとも言った」とか言って謝氏を今更批判していますが、だったら西村慎吾の「この両氏の決定的な差は、祖国台湾を愛しているか否かによってもたらされている。政治家にとって、祖国への愛は不可欠である。謝長廷氏は台湾を愛している、馬英九氏は台湾を愛していない。彼は、台湾は中国の一部だと思っている。」といった記述をはじめとして、何故、おつむの足りないウヨさんたちの「誤った認識」を指摘してあげないんでしょう。それでいて、今更「熱病に罹っている患者が医者に「俺と同じ病気になれ」と強要するようなもの」は幾ら何でも酷すぎます。熱病のたとえを使うならば、『台湾の声』は目の前の熱病患者を無視したヤブ医者です。

 さて、『台湾の声』と一緒になって運動しているウヨのみなさーん? こいつら所詮、この程度の輩なんですよー本国での支持者が増えないから、あんたたちは運動に利用されているだけだってことに、そろそろ気がついたほうが良いかと。

 ところで、『台湾の声』って全配信記事の半分近くが「読者意見」という名の日本人による投稿で、残り4割が中国(中華人民共和国)叩き、そして約1割程度が、本来的な意味での「台湾の声」に見えるのは気のせいですか。どこが『台湾の声』なんでしょうね。


『台湾の声』ヲチ
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/taiwan-no-koe.html
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2008年05月08日

政治問題における日本人の単純思考

 当ブログにおいては、チュチェ97年3月13日づけ政治問題としてみる捕鯨問題をはじめとして何度か書いてきたとおり、政治的な話題について日本人は、「単純二項対立の構図」を描くという特徴があるようだと指摘してまいりました。たとえば、前掲の捕鯨関係の記事においては、「差別主義に基づき日本人による捕鯨を絶対に反対する白人と、文化防衛のために戦う日本人」というアホらしい対立構図を描く方が少なくありませんでした。(もっとも、実際はIWCの会議などでは、「調査捕鯨はあきらめてもらうが沿岸捕鯨は許可する」という提案もあります。つまり、前述のアホらしい論理は早速破綻しているわけです。)あるいは「中国人」についても、所謂「反日デモ」の嵐が吹き荒れていた時節、中国人=反日(≒ではない)などといった単純すぎる構図をマジになって力説していた方がいました。

 また、その関連として、日本人の、ある人物や集団に対する認識・評価が「全体的すぎる」という特徴についても何度か書いてきました。すなわち、ある人物の人格や集団の特徴の一面だけを取り上げて、あたかもそれが全てであるかのように喧伝し、その人格や集団の良い面や関係ない面までも否定するといったものです。

 さらにいえば、日本人はある問題について他人から批判されると、自身の行動の再点検より前に、その批判者の身辺のあら捜しを始め、「おまえに言われたくない」などという、大の大人にとっては、極めて見苦しい、小学校低学年児童レベルの「反論」を始めることも指摘しておかなければなりません。

 このような思考については、実際の政治問題においては、ある議題に対する賛成派・反対派に分かれたとしても、派内において細かい論が統一していることはまずないがゆえに、正しい事実の認識と対策のためには、何の役にも立たないどころか、むしろ害毒ですらあるし、、「おまえに言われたくない」などという「反論」にいたっては、あのようなやり方で批判を封じたところで、自身が抱えている問題の解決には何ら寄与しないがために、捕鯨論争関連記事を中心として度々批判を加えてきました。

 しかしながら、下記記事に対する某SNSにおける「世論」を見る限り、このような情勢は一向に変わる気配はありません。
http://mainichi.jp/life/ecology/select/news/20080508ddm002040096000c.html
 日本人の環境意識や行動は、温室効果ガスの主要排出14カ国中、11位とする調査結果を米地理学協会(本部・ワシントン)が7日、発表した。1位はインドとブラジルで、最下位は米国。日本は輸入食材や外食の利用が多く、灯油を暖房に使うなど、特に食・住生活の面で、環境への悪影響が大きいライフスタイルだという。

 省エネ家電の利用や車の所有状況など日常生活の数十項目について、同協会が今年1〜2月、各国1000人ずつインターネットで調査。環境と調和した生活ほど高得点になる同協会の指標「グリーンデックス」(100点満点)で評価した。

 その結果、インドは肉の消費量が少なく、ブラジルは暖房をほとんど使わないため、食品、住宅部門でそれぞれ首位を占めた。

 一方、日本は外食や加工食品の利用が最も多く、食品部門は最下位。断熱効果を高める住宅改修や省エネ型家電導入率も最低で、住宅部門も13位だった。また、マイカーの1人乗り増加などから交通部門で6位。修理より買い替える傾向が強いことから消費財部門も5位だった。

 同協会は「自分が生きている間に温暖化で生活が悪化する、と思う日本人が回答者の3割と少ないためではないか」とみている。【山田大輔】

==============

 ◇順位と得点◇
 (1)インド   60.0

    ブラジル

 (3)中国    56.1

 (4)メキシコ  54.3

 (5)ハンガリー 53.2

 (6)ロシア   52.4

 (7)英国    50.2

    ドイツ

    豪州

(10)スペイン  50.0

(11)日本    49.1

(12)フランス  48.7

(13)カナダ   48.5

(14)米国    44.9
それでは、ごらんください。
世界最大の二酸化炭素排出国にして京都議定書に批准せず、バイオエタノールのために世界中出紛争をおこし、自然を破壊するアメリカにこんなランク付けされたくない。
「盗人猛々しい」とは正にこの事ですね
ふざけるな!と言いたくなる話ですね
ばかでかい車を乗り回して、京都議定書も拒否しておいて
自分たちが少し環境問題に取り組み始めたら
今まで一生懸命排出規制を達成してきた日本に対してなにを言い出すかと思えば・・

捕鯨とかと全く同じパターンじゃないですか・・・
最下位で戦争に核を使うような糞米だけには
言われたくない。
大排気量の車を乗り回している奴らに言われたく無いですよね。
気に食わないからってよその国に押しかけて爆弾ばらまいて人ん家壊して家族を奪って土地を使い物にならなくして真っ先に核を使った奴らに言われたかないねっ
京都議定書を批准していない国の研究機関にとやかく言われたくない。
 いやはや、頭が痛くなってきます。米国は3億の人口を抱える、一応、言論の自由が保障されている国である以上、その3億人をひとくくりにして扱うこと自体が無茶な発想でありますが、それ以上に、「地理学協会」という学術団体の発表と、その国の政策(京都議定書スルー)を一緒くたにするという暴挙には、そして、「お前に言われたくない」で話を終わらせ、自身の行動の再点検に取り掛かろうとしない態度には、開いた口が塞がりません。

 あるいは、「当然」とか「仕方ない」で済ませてしまっている「反論」も見受けられます。たとえば以下。
しかしここまで酷い恣意的記事も珍し・・・くもないか。最近は。
調査方法も含めなんとも突っ込みどころ満載の記事であります。

まずは記事内に「主要14カ国」の明記が無い点。
これでは全くアンケート対象国が分かりません。

>インド、ブラジルが上位
インド人が肉を食べない(食べられない)のは一つに貧困、
一つに宗教的要因(ヒンドゥー教徒は牛肉を食べない)から。
ブラジルは最も寒暖の差が激しい南部サンパウロでさえ
冬場の平均気温は15℃以上。日本の沖縄とあまり変わらない土地柄です。
それより北部の都市は冬場でも平均気温は20℃以上と、
当然部屋が多かろうが少なかろうが暖房など要るはずがありません。

そして日本の全体順位が低いのはある種当然なのですが。

>外食・加工食品の利用が多い
核家族化、共働きが多い日本の社会システム上では当然の事かと。

ただ日本における食材の無駄遣いが多いのは事実です。
だからといって「船場吉兆」のような「残飯使い回し」はご勘弁を(笑)

>断熱や省エネ化の住宅改修
日本の木造家屋は通気が良いためわざわざ改造しなくても
「夏涼しく冬暖かく」なるような構造となってます。
密閉家屋で風通しが悪い欧米のレンガ・コンクリ建て家屋とは事情が違います。
むしろ改造無しで夏冬を過ごせるなら、それに越した事はありません。

>ハイブリッド車の購入意欲が低い
燃費はさほど変わらず、価格だけ高いハイブリッドカーの需要は、
日本にそれと変わらない燃費を誇る「軽自動車」という存在がある以上
伸びてこないのは当然です。
実際日本で一番売れている軽自動車の存在は
このアンケートからは黙殺なのでしょうか。

>マイカーの一人乗り増加
公共交通機関が発達している大都市圏ではともかく、
地方では「一人一台」車がないと生活が成り立ちません。

>修理より買い替え需要が高い
これは現在、修理費用>買い替え費用(処理費用含む)と
なっている現実がありますから(特に家電や携帯電話)
修理費用が異常に高い日本では修理持ち込みが少なくなるのも当然です。

>環境団体への寄付や活動への参加
寄付行為のように直接「真水」を流し込む事の愚かさを一番知っているのは日本人なのではないでしょうか。
洋の東西を問わず金の集まるところには、悪い人間が湧いてくるものです。

まあ「環境活動への参加」が少ない事は認めますが、働き詰めでそんな余裕が無いというのが真実なのですけど。

それにしてもこんな記事を堂々と紙面に載せる記者の神経を疑います。
よほど日本と米国がお嫌いなのでしょうかね。
 「xxな現状においては当然」とか「xxだから仕方ない」なんていうのは、環境問題においては反論になりません。そこをどうするか、というのが「環境問題を考える」ということであります。

 もちろん、このようなものばかりではありません。
どの口がそんなことを言うw

意識は強いが、実践は低いじゃん。アメ公。
車の台数だって日本はアメリカよか少ないだろうさ。
飛行機だって。

まぁ、コンビニだらけの日本も温暖化には悪影響だと思うが。

今回は一個人の意識調査だそうで。
たしかに、もっと意識せにゃ。
 このように、「お前には言われたくないけど、でもこの指摘は事実だ」というような反応こそが、政治問題、いや政治問題に限らずあらゆる批判において必要とされている態度です。もっと大人になりましょ。
posted by s19171107 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

戴いたコメントへ返信しました

 以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。

文化放送報道特別番組「死刑執行」をめぐる「世論」 (「耶麻」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95863374.html

「憲法」という存在そのものの危機 (「傍聴人」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95450597.html

光市事件報道:ダメだこりゃw (「傍聴人」さん、「にゃん」さん、「amanoiwato」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93509790.html


 昨日づけの文化放送報道特別番組「死刑執行」をめぐる「世論」においては、実利優先主義の立場を軸に書かせていただきましたが、「外野」の求めに応じて刑罰を加減することに反対する部分において、肝心の実利優先主義ではなく、「命の価値」などといった語句、すなわち、私が基本的に副次的視点として扱っている価値観の視点から書いてしまいました。

 これは、以前の記事の内容紹介として軽く触れておき、その上で更に実利優先主義的視点から「外野」の求めに応じて刑罰を加減することに反対するという本丸を攻めようと思っていたのですが、肝心の本丸を攻めることを忘れてしまったために起きた大失敗であります。

 ゆえに、記事送信から丸一日たとうとしていますが、加筆しておきました。以上です。
posted by s19171107 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

文化放送報道特別番組「死刑執行」をめぐる「世論」

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008050600199
 AMラジオの文化放送(東京)は6日の報道特別番組「死刑執行」で、53年前に執行された死刑の瞬間が録音されたテープを放送した。
 テープは大阪拘置所長だった故玉井策郎氏が、死刑囚の処遇改善などのため1955年に録音。約55分間の番組では、死刑囚の氏名は伏せられ、執行2日前に面会した姉との会話や絞首刑執行時の音などが約10分間放送された。
 死刑囚は姉に「泣かないで、笑って別れましょう」と語り、執行直前には刑務官と談笑。読経が響く中、刑場の床板が外れる音が放送された。
 この放送については、私は今日は休みではなかったのでリアルタイムでは聴けなかったのですが、ラジオ録音予約が上手く行っていれば、録れていると思います。

 それはさておき、この放送について、恐らく死刑存置論者が面白い反応を見せています。いつものように「世論」を採集。
陪審員制度開始前の死刑反対派の活動の一環かな。

まだ独身で家庭は持っていませんが、両親や兄弟はいます。基本的に死刑判決を受けた人は『殺人』を犯した人ばっかりで、そういった人を弁護する気には全くならんですな。
 元・大阪拘置所長が、死刑制度廃止へと世論を誘導しようとでも目論んでいるのか、昔の死刑執行の現場の録音テープを放送局で流させたなんていう、信じられない守秘義務違反が堂々行われるほど、拘置所サイドのモラル低下は目に余る
これ死刑制度に反対する連中のプロパガンダでしょ。こういう連中に殺される被害者の最後の肉声を聞かせてやりたいよ。
このニュースに対して、聴く者に対して生理的な嫌悪感を抱かせたり、死刑囚の最後に対して情に訴えるようなやり方はナンセンスだ、なんて言って見たところで反論として冷静に死刑制度を考える上での情報を提供したにすぎないとか返ってくるのが目に見えている。

それならば、死刑囚の側から見た生の素材だけ流すのは如何にも不公平というもの。
公平を期すなら、目の前で最愛の人が殺されるところを遺族目線で録音・録画したものを流すのが正しいのでは、と思う。

あくまでも、流せるものならやってみろ!と思ってて言うのだが。
ただ、メディアは自身を健全に保つ為には出来る限り公平でなければと思う。
一方の意見を強調するのはただのプロパガンダにすぎない。
そんなものは既にメディアではなく、有害電波の垂れ流しだ。
今回、死刑囚側の素材があったから流しただけかもしれないけど、遺族の声なんてその気になれば幾らでも集められるはず。その努力を怠って流せるものだけ流したという姿勢がプロとしてどうなんだろう?って思う。
今回の事で文化放送は人権論者の集まりだ、なんてレッテルを貼られてもおかしくないと思う。
ほんとのプロなら、自分が今居るところはどこなのか?どういうスタンスで報道しているのか?
それにもっと普段から気を配り、バランスを保って貰わないと・・・。
 「死刑執行の実態」が広く世間に知られると何か不都合でもあるのかと思ってしまうくらい、今回の放送について、これらの方々は、何故か「危機感」を感じているように見えるのは気のせいですか。

 死刑は国家の制度である以上は、必ず考えなくてはならないことであります。その点、今回のようなやり方が良いかはさておき、少なくとも何らかの形で「死刑の実態」について考えなくてはならないでしょう。本来は、裁判員制度開始を前に、法務省が積極的に情報開示すべきなんですが、友人の友人がアルカイダな方は、吊るすばっかりで一向に情報開示しようとしないんですよね。

 ところで、本放送関連の世論を全て見たわけではありませんが、これら「危機感」を滲ませるコメントのほかには、「被害者は別れも出来ずに死んだのに〜」みたいなのがありました。これについては、チュチェ96年6月26日づけ死刑制度について最近考えたことのメモにおいて私も少し取り上げました。結論には至りませんでしたが。

 こういうのは、もはや価値観をめぐる対立であるがために、そう簡単には結論には至らないであろうから、ここは、価値観の問題ではなく、実利の問題として考えるべきではないのかというのは、チュチェ97年1月20日づけ実利優先主義的理論のすすめにて書いたとおりです。

 なお、実利優先主義的立場については、「被害者の思いが分かっていない」というご批判を戴くものと予測しております。しかし、被害者の方々の思いというのは、決して一つに集約できるものではない。その典型例が、本村洋氏と原田正治氏であります。あるいは、先日、きっこの感情的扇動記事について取り上げましたが、きっこのように強姦犯に対しての恨みを持ち続ける方もいれば、逆に「もう忘れたい」という方もいます。

 では、(法曹三者以外の人物という意味での)「外野」の求めに応じて刑罰を加減すれば良いじゃないか、というご意見もありましょうが、殺人事件などの場合、加害者に科される刑罰の軽重が、被害者の「命の価値」のひとつのモノサシとなると思われる以上、被害者に遺族がいないような場合は、当然のことながら、量刑加減の重要な「基準」がなくなるがために、本来、平等であるべき「命の価値」が左右されてしまいかねず、これは司法の公平性にかけると思われます。

 私は、期待可能性や責任能力、更生可能性などに留意すべき点が無い限り、基本的に同一行為同一処罰であるべきだと考えておりますので、「外野」の要求に応じて刑罰を左右することはどうかと思うというのは、チュチェ96年10月8日づけ裁判:署名で罪が決まるときなど、いくつかの記事やコメント欄において書いてきました。

 これに加えて、さらに実利を優先する立場で考えると、たとえば、ある事件の加害者を更生させるためには、刑期未定の「無期懲役」を科して、「更生できた」と判断できるまでは20年でも30年でも収監する必要のある場合があるとします。しかし、もし「外野」が「これは無期というほどのものではない」と、何を根拠にしているのかは分かりませんが騒ぎ始め、「署名」なんかした場合、「外野の要求」を何よりも重視する司法制度である場合、本来は無期懲役でしかるべき事案にもかかわらず、有期懲役刑になりえます。その場合、受刑者が更生不完全であることが明らかであっても、刑務所は裁判所の判決に従って収監しなければならない以上、これを釈放せねばなりません。更生不完全な人物が社会に復帰するのですから、社会にとっては不利益であることは明らかです。

 このように、「外野の要求」と「社会の要求」というものが必ずしも一致しないために、「外野の要求」どおりの処罰にした場合、のちの社会に不利益が生じ得ることが考えられます。ゆえに、やはり「外野」の要求に応じて刑罰を左右することはどうかと考える次第です。

 そういうわけで私としては、刑事裁判においては、「当事者間の報復」という視点ではなく、「社会的な実利」の視点から考えるしかないと思っています。


 どうでも良いことですがおまけ。
 一番最後にご紹介した投稿については、BPOに勧告までされるくらい被害者側の視点立っていた光市事件報道をもう忘れたんでしょうかね。。。薄情ですねぇ。。。
 また、一番最初にご紹介した投稿については、裁判員と陪審員を取り違えていますね。なんで間違えるかなあ?


司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2008年05月05日

共産党関係の世論を集めてみようと思う(1)

 私は自身が日本共産党(以下「共産党」と省略)支持であることを以前から明らかにしております。最近は余りこっち関係の記事は書いてきませんでしたが。しかしながら、共産党万々歳かといえば、それは大嘘になってしまいます。言わば「消去法的共産党支持者」といったところでしょうかね。

 それはさておき、私は自称共産党員の方々が集う掲示板や某SNSのコミュなんかを覗かせていただいておるのですが、どうもその手の方々は、自党への支持が思うように伸びない理由を「メディアの2大政党制キャンペーン」とか、あるいは「反共宣伝」みたいなものにばかり求めているように思います。

 まあ確かにそういう面も否定できないのですが、私としては、それはあくまで支持が伸びない要因の一つに過ぎず、ほかにも要因はあるものと考えています。

 ゆえに私は、共産党関係者の方々におかれましては、もっと色々な掲示板に顔を出して、そこでの論議の行方を採集して、自党の運動方針構築に役立ててほしいと常々思っているのですが、どうも余りそういう動きが見られません。

 まあ、共産党関係の論議といえば、党関係者が身内で自党を称えるか、あるいは反共産党の方々が妄想逞しくバッシングに走っているかくらいしかないので、共産党関係者の方々におかれましては、わざわざ妄想逞しく、いくら説得したところで意見を変えることはまず無い反共産党を信念としている方々の意見なんて聞いたところで意味は無いし、わざわざ嫌な気分になりたくないと思っているとしたら、それはそれで仕方ないと思います。

 しかし、実際はよーく探してみると、決して信念的反共論者ばかりではなく、また、ちょっと頭の片隅に入れておいたほうが良さそうな投稿もあります。

 一方で、繰り返しになりますが、わざわざ嫌な気分になりたくないと思っている方もいらっしゃるでしょう。

 そこで、これから時折、共産党関係の「世論」を、「いつものやり方」で採集してまいります。もちろん、信念的反共の「罵倒」や、あるいは関係者自画自賛系の「世論」、はたまた「もっと左の方」からの批判については、私の判断で(←ここ重要 何を収録するかは私基準で参ります)バシバシと切り捨て、理由付けなども比較的できているもののみご紹介してまいります。

その第一回は以下のコメント欄より。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080505-00000021-mai-pol
 次期衆院選で小選挙区候補を大幅に絞り込む共産党の票の行方に自民、民主両党がヤキモキしている。共産党が候補擁立を見送った4月27日の衆院山口2区補選は試金石と見られていたが、民主党が後押しを受けたと評価する一方、数字は相当部分が棄権に回った可能性も示す。民主党は「民共協力」に大きな期待をかけるが、自民党からは「それほどの影響はない」という読みも出ている。

 共産党は昨年9月、「参院選比例の得票率が8%に満たない小選挙区」などの条件での候補絞り込み方針を公表。独自候補を擁立するのは135選挙区前後とみられ、残り165前後での共産票の行方が自民、民主両党にとっての注目の的だ。

 「共産党を支持した方々も私どもに投票してくれた。野党政権をつくるという一点で共通している」

 民主党の小沢一郎代表は山口2区補選勝利の翌日、記者会見で表明。合わせて小沢氏が不破哲三前議長、鳩山由紀夫幹事長が市田忠義書記局長にそれぞれ謝礼の電話を入れた。

 05年前回衆院選の山口2区で共産候補の得票は1万3499票。補選の際の毎日新聞の出口調査によると、共産支持層の約9割が民主候補に投票したと答えており、民主党は共産票が2万1944票差の勝利に影響を与えたと見ているからこそ謝意を表したのだ。

 しかし、出口調査では自民支持層の約4分の1が民主候補に投票したと回答。自民候補が前回比9918票減で、民主候補が1万2614票増という数字を考えれば、共産票の大量棄権という見方も出てくる。自民、民主両党は今後、このあたりの詳細な分析を急ぐ考えだ。

 一方、民主党が衝撃を受けたのは、補選と同日に実施された埼玉県議西5区再選挙(旧上福岡市、定数1)。共産候補が自民、民主両候補を降し、当選を果たした。民主党は都市部の動向が次期衆院選のカギを握ると見ている中、都市部での共産党との協力の限界も感じ取っている。

 共産党の市田氏は「自民党は支持層が崩れ、民主党は自公政治への対立軸を持っていない。それを分かった人は従来の支持政党を超えて共産党に入れる」と指摘し、フリーハンドを強調している。【野口武則】
 投稿番号順に並べますから、何か気になったら当記事コメント欄でも良いですし、お手元のチラシの裏にでもメモしてみてください。単純な収集ってのも結構面倒くさい作業なんですが、何かのお役にたてれば幸いです。
2
公務員・官公労。自治労の労組分かれているだけで民主、共産、社民、同じだ。

政府の足引っ張り、政権交代もくろみ、公務員天国温存システム完成。

無駄暴き、改革の法案とめればいい。

簡単だね。

労組の利権・特権の半減制約、リストラの法案、整合性あるもの、出すまでは、偽装改革だ。
4
国政選挙と県議などの地方選挙を同列に論ずるのは意味が無い。
国政においての共産党は、特に外交や国防において正直現実性に欠ける。
だから基礎票以外に共産党へ投票する人は少ない。

しかし地方自治体選挙の場合、生活に根ざした部分や清潔さでけっこう共産党の人気は高い。
だからそんなに民主党が心配する必要が無い。むしろ埼玉県議選は共産党にさえ破れた自民党の方がショックは大きいだろう。
国政においては無党派の比重が大きくどちらに流れるかで勝敗が決まる。今の政権を投げ出した安倍さん以降、
最近の福田政権に至るまで自公連立政権に失望した人達のほうが圧倒的に多く、どう転んでも自公に有利になることはありえない。
共産党員の分析だから間違いない。
5
日本で共産党が与党になることはありえない。
そこで共産党への提案。

?自民党と共産党が手を組む、というか一派閥「志井派」として共産党が自民党の中に 入り込む。

?自共連立政権をつくり、少なくとも国家公安委員長のポストをもらう。

?野党連立政権(民主、共産、社民、国民)になれば、自公連立政権との対立軸がはっ きりとした明確な「二大連立政権制」が達成できる。
「この売国奴!」「やい、カルト宗教!!」といった野次が国会で飛び交い、国民の 政治への関心は高くなる。

共産党が存在感を高めることは重要だ。
ただ、そういった度量がないのが共産党の共産党たるゆえんだが…。
22
共産党に国政は任せられないが、批判勢力としての存在意義は大きい。
現状認識についても、一番勉強しているのが共産党。
共産党が共産党でなかったら、投票するのに。
現実的には民主党でしょう。
36
もし日本共産党が支持拡大を本気で考えるならば

「日本共産党」と「中国共産党」はどこが違うのかを明確に国民に示すべき。

「しんぶん赤旗」にちょこちょこ書いても読んでいる一般人は少ない。
44
まだ一回も共産党とも共産党の議員の名前は書いたことがないが次回の選挙では選択肢の中に入ってきた。
一番理論的でよく研究しているし筋が通っている。自民党に欠落した弱者の視点を持っている。護憲だから安心でもある。
唯一経済に関しては世界の中では通用しない
68
「野党政権を作るという一点で共通している」っつたって、野党政権という言い草も不満ですね。自民打倒だけが、最大かつ唯一のマニフェストじゃ政党としての存在価値ないですよ!
協力体制を組むなら、マニフェストのこの部分で共産党と協力体制を組める・・・という風に、政策中心に国民に説明してほしい。
多数決の民主主義ではしょうがいないのかもしれないけれど、過去の「野党政権根性」が自滅して自民政権を延命・安定させてきた事を忘れないで欲しい。
99
存在するものには理由がある。
唯一抵抗のあるのは党名のみ。
でも比例ではいいかな。
129
とうとう、共産党まで・・・。選挙権を持ってから10年強、
少なくとも働くもの、貧困な庶民の味方だと思い、悲惨な我々の生活を打破してくれるものと思い、共産党に票を投じてきましたが、選挙協力・またその後連立となるとすれば、考えざるを得ません。今の自公政権よりは確かにマシかもしれません。
しかし、民主党の大半は旧自民党ということを忘れてはいないでしょうか?仮に民主党が政権を取るようなことがあったとして、果たして真に働くものの為の世の中になるでしょうか?心配です。
共産党がだめなら、それに代わる社会の搾取層と戦ってくれる政党の誕生を期待したいですが・・・。
135
赤旗新聞をなくした共産党だったら野党第1党になってほしい気がするのだが。
民主党と連合するのなら安心して政権をまかせられそうな気がする。
共産党のタカ派はなんとしても押さえ込んでほしい
193
共産党...名称が悪い、今時共産なんて、中国と北朝鮮だけ
名前さえ変えて、政治色変えたら天下取れるかも
日本で唯一の野党で、ぶれは少ない
あとの政党は、みんな同じ色
巷では、共産党に入ると、赤旗新聞購読させられ(活動資金)警察に就職できず
大手企業にも就職できないらしぃ(幹部が職場に乗り込んでくるらしぃ)
安定した自営業でもしてない限り、党員には入れないだろうあ
207
私は支持政党は無い
世界各国で劣悪な環境を生み出した「共産主義」には反対するが、言ってる事を聞く限り共産党=共産主義というわけじゃーない。
ジャーナリストとか共産党をよく批判するが中身よくみないと。
・自民党=既得権益守護
・民主党=筋の通っていない半政権政党
・公明党=宗教団体、個人の思想皆無
・共産党=一般国民向け政策、だが現実を見ていない
他にも政党はあるが私の認識はこんな感じ

各政党はしっかりとした方向性を打ち出してもらわないと所属している議員さんの主義主張も揺らいでくるぞ。
233
伊吹、古賀、二階など私利私欲の利権議員はもういい。
小泉、安倍などの似非改革(改悪)論者ももういい。
山本一太は論外だが若手には期待するが現行体制では生かせないだろうな。

かといって小沢、鳩山、菅の3羽ガラスも胡散臭い。
前原も国会運営と選挙に疑問符。
岡田も自信のなさが顔に出てるし。

共産党は足元しか見えてなく、外交・経済に疎すぎる。

社民は論外(おばちゃん集団の感じがする)。

近いうちガラガラポンッで政界再編が濃厚と思われるが、そのときは1行目の議員は間違いなく落選させて欲しいものです。
255
党名はどうあれ、過去10年の共産党の活動を見ると、今もッとも信頼できる政党かもしれない。共産=中共と党名がダブッてしまうが、党名さえ変更なれば、確実に1票を入れる!しかし万が一連立にしても政権を共産党に譲るのは怖い。しかし純粋に、政党助成金受け入れ無し企業献金無し、はクリアーな政党と思えるが、残念なことに、万年野党は残念な政党に思える。決ッして悪さをした政党ではないが、共産党という党名の響きを変えて欲しい。他国では、軍隊=共産と言うような意味に取られてしまう。自民、民主は信じる事ができない。なぜなら、彼らこそ、金でしか動かない。今こそ、時代錯誤なれど山本五十六のような、リーダーが日本には必要である。
266
共産党が政権を握ることはあり得ないと思います。国民にアレルギーがある中、いったい全体、どうやって200議席以上獲るのですか?絶対に不可能ですよ。共産党による政権奪取不安論には、反共宣伝の意味合いがあることを忘れないでください。
284
一般人にとって、共産主義者の解らない点。
1.以前、極左主義者は反イスラエル闘争していたが、共産主義自体ユダヤ人が作った思想だ。また、ナチはユダヤ人迫害したのに、反ナチの共産主義者は何故同じように反イスラエル・ユダヤ闘争したのか?
2.日本共産党は、中国やソ連とは違うと言うのに、彼らと連携をすべく、渡航暦が多いのは何故か?
3.日本の軍事を軽視するのに、仲間の中国ソ連は軍事大国である。変ではないか?
4.食料自給率が低い日本で、共産主義的鎖国により、食料不足したら、「文化大革命」のような手に出るつもりだろうか?
わからぬ点が多いですね。
285
「共産党が政権をとったら〜」とか言って不安を煽っているのがいるけど,誰も共産党に政権まで取らせようだなんて言っていない.自公にお灸をすえるために,政権をとらない程度に議席を持たせてやるかと言っているだけ.
 なるべく信念的反共はカットしたつもりだけど、それでもちょっとグレーっぽいのはあるなあ。ともあれ、今後も折を見て続けたいと思います。
posted by s19171107 at 22:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 共産党とかそっちの方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

戴いたコメントへ返信しました

 以下の記事に対して戴いたコメントへの返信を完了させました。


光市事件報道:ダメだこりゃw(「伊東勉」さん、「傍聴人」さん、「RYZ」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/93509790.html

戴いたコメントへ返信しました(「けら」さん、「衒学鬼」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/94392320.html

反省って何だろうね(「mash」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/57020658.html

光市事件:まだ続く意味不明な場外乱闘(「amanoiwato」さん、「RYZ」さん、「天性の庇護者」さん、「mash」さん、「けら」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/94853848.html

「人が人を弁護することが出来ない」なら「裁くこと」も「罰すること」できないのでは?(「天性の庇護者」さん、「mash」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95004466.html

本・映画の次は政治ですか(「名無し」さん、「放蕩息子」さん、「天性の庇護者」さん、「mash」さん、「けら」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95048385.html

おこちゃま的思考回路(「天性の庇護者」さん)
http://s19171107.seesaa.net/article/95240117.html

 さて、皆様連休いかがお過ごしですか。私は3日以外休みないんですけどね。29日もありませんでしたよ。

 その貴重な休みだった3日は、東京日比谷公会堂で行われた憲法集会に参加しました。内容については、いろいろ思うところがありすぎるので、まとめるのに時間がかかりそうですが、そのうち音声データを含めた報告記事を書きたいと思っています。

 あーあ、明日も朝から通常通りかー。あした休日ダイヤだからなあ。普通の週末よりも休みの無い大型連休ってww

 ところで、そろそろ中央線や総武線はホームドアつけたらどうですか。事故が起きても起きなくても、毎朝のようにホームに人が溢れてあぶないったらありゃしない。わざわざ丸の内線や南北線を使っている私はヘタレでございますwwwwwだってホームドアがあるんだもん☆
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2008年05月03日

「憲法」という存在そのものの危機

 当ブログにおいては、自分でも良く分からないのですが、昨秋あたりから、「感情屋習性研究」を中心とした刑法関係と「改憲派論理研究」を中心とした憲法関係の記事を書くことが増えてまいり、その過程で、特に刑事裁判関係の「世論」の中に、法律を専門的に勉強したことが全く無い私でさえも「えっ、それは違うでしょ」といいたくなるようなものを数多く見、そしてその中から「選りすぐり」のものをご紹介してまいりました。

 しかし、今回ご紹介する「世論」は、今までとは一味違います。今まで当ブログにてご紹介してきた「世論」は、感情的になりすぎる余り、条文の本来の狙いとか、あるいは、厳格すぎる立法によって生じうる逆効果についての考察が不十分であるものが主体でしたが、今回は法律そのものの意義までも否定視するものであります。

 今回の「世論」の元ネタは、以下の記事です。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080420k0000m040074000c.html
イラク活動違憲:「関係ねえ」発言で防衛省に抗議文 原告
 航空自衛隊のイラクでの活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決を巡り、航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が、お笑いタレントの流行語を引用して「私が心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言したことについて、原告団は19日、防衛省に抗議文を送付した。近く田母神氏に面談を申し入れるという。

 抗議文は「発言は憲法を無視してイラク派兵を強行し続けている政府や防衛省の『本音』を端的に示したものであり、『憲法なんて関係ねえ』と述べたに等しい」と指摘している。

 原告団は、元文部科学相の中山成彬衆院議員が18日、「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』(おなら)を出したようなものだ」などと語った件でも、中山議員に抗議文を送るという。【大場弘行】

毎日新聞 2008年4月19日 21時18分
 それでは、ご覧ください。
イラクでの兵員輸送にしろ、インド洋の給油にしろ、作戦行動の後に違憲とされていたら、自衛隊は何もできなくなる。
そして、補給活動を自国の都合で勝手に止めたら、最悪、前線で戦う他国の部隊が全滅する可能性もある。
現場を預かる防衛省が「憲法9条など関係ない」ときれたとしても仕方がないことをしていると思う。
とにかく、軍事行動を一度やると決めた後は、憲法9条違反などという死んでいる法律を根拠に止めてはならないと思う。
 どこから突っ込んでよいのか分からなくなるほど、法律とか憲法ってものについての理解が根本的にズレている「世論」であります。

 以前、何で読んだのかは忘れましたが、日本人にとっての「法律」というのは、「一応定められているもの」であって、必ずしも常に適用しなくてはならないものではない、という意識が否定できない、という話を聞いたことがあります。

 もちろん、本来の法律というものは、そんなものではなく、まして「法律の法律」たる憲法について「一応定められているもの」という認識を持つことは、「現代国家」は勿論こと「近代国家」ですら許されないことでありますが、今回ご紹介した「世論」を見る限り、やはり「一応定められているもの」という意識を持っている方もいらっしゃるようです。

 本日は5月3日、憲法記念日です。昨今は民間での憲法論議が何だか盛んだとか、隣のオジサマが読んでいた朝日新聞に書いてあったのを、本当にチラッとだけ見ました。私は自身が護憲派であるということを以前から明らかにしておりますゆえ、これらの憲法論議には当然、護憲派として参加するものであり、基本的に改憲派の方々とは対立する立場に立つものと自認しておりますが、今回ご紹介したように、そもそも憲法に対する認識からして誤っている方に対しては、所謂「護憲派」「改憲派」の枠を超えて、憲法という存在そのものを守るという意味での「護憲」運動を展開したいと思います。ご協力ください。
posted by s19171107 at 00:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

なぜ事前的問題対処に考えが至らないのか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080501-00000131-jij-soci
 1日午後5時5分ごろ、岡山県倉敷市児島下の町の市道交差点で、歩道にいた家族4人に乗用車が突っ込んだ。この事故で、近くに住む会社員横田健一さん(36)の次女で保育園児瑠菜ちゃん(5つ)が死亡。横田さんが全身打撲の重体で、妻佳代さん(36)と長女の小学2年麻鈴ちゃん(7つ)が軽傷を負った。
 県警児島署は運転していた同所、会社員雨嶋正数容疑者(75)を自動車運転過失傷害の現行犯で逮捕した。同容疑者は「交差点で車列の後ろに止まろうとした」などと供述しているという。
 同署は、雨嶋容疑者がアクセルとブレーキを踏み間違えたとみて、容疑を過失致死傷に切り替え、詳しい状況を調べている。 
 例によってコメント欄。この事故を起こした人物が認知症かどうかは記事には全く書かれていませんが、「老人による交通事故」関連の話題ということなんでしょうね。
年齢もそうなのですが、認知症の方の運転も大変問題になっております。
私は医師ですから、家族にお話しすると、「免許がなくなると交通手段がなくなるから、免許は返上させません!!」と強い調子で否定されてしまいます。

この方はわかりませんが、すでに認知症の方が人をひき殺した例も私は2例経験しております。
これは、野放しにしたご家族の方の責任であり、殺人犯として処罰しても良いかと思われます。
 「自動車対歩行者の交通死亡事故に対して殺人罪を適用せよ」という言説については、昨今は事故の度に出てくるようになってまいりましたが、現段階でも処罰を恐れる余りひき逃げする人がいるのに、殺意の無い事件についてまで刑法199条に定められた殺人罪(死刑または無期、もしくは5年以上の懲役)を適用できるとなると、今以上に逃亡が増え、それにより「すぐ病院に運べば助かったはず」という悲劇が今以上に増えるのではないかと考えるため、私は、交通事故にまで殺人罪を適用できるようにすることには反対であるというのは、1月13日づけ刑法:安易な厳罰化についてにも書いたとおりですが、今回の件のコメントについては、それ以上に、既に認知症によって自己の行動の統制が出来ない状態になっている人をいくら刑務所にぶちこんだところで意味はありませんし、家族の監督責任を問うにしても、刑法199条では、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」となっている以上、やはり殺人罪での立件は不可能でしょう。

 それにしても、何で「免許がなくなると交通手段がなくなるから、免許は返上させません!!」という事前的問題の対処ではなく、「実際に起きた事故を殺人罪で立件する」という、事後的問題対処にまず思考が行くんでしょうか。
 ちょっと極端な言い方ですが、刑罰なんてのは、殆どの場合、事後対処である以上、「その場しのぎ」でしかないんですよ。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2008年05月01日

「反省のふり」でも良いから何か公式発表を

http://www.excite.co.jp/News/bit/00091208964278.html
最近、「フィンランド式」と題した書籍などを見かけるようになった。

OECD(経済協力開発機構)が実施した「学習到達度調査」で、フィンランドが上位を維持していることから注目されてきているようだが、そもそも「フィンランド式教育」って、どんなもの? 
『親子で楽しく学ぶ フィンランド式脳力アップBOOK』(フォーメンズ出版)の著者・小林朝夫さんに聞いた。

「フィンランドの国の教員方針は、生活のなかで多くの知識を身につけることを重点においています。森の中に入って、実際に木や草や花を自分の目で見て、手で触れて確かめ、それらの植物の詳細について学ぶ。そんな実践的な教育を柱にして、立体的に知識と思考力を身につけていく方法が『フィンランド式』なんですよ」

実はこれ、日本も昭和60年ころまで学校で行っていたものだそうで、フィンランド政府がいま行っている教育方針とかつての日本の教育とは、非常に似ているのだと小林さんは言う。
「バブル突入で失ってしまった日本の良き教育・原点にかえるという意味を含めて、それを継続している現代のフィンランド式の教育法を提唱しているんです」

フィンランド式とは、簡単に言うと、「生活の大きな輪の中で、様々な知識や思考力を身につけていく」というもののこと。想像力や思考力を身につけるのなら、たくさん読書をすれば良いのでは? とも思うが……。
「本をたくさん読むことは、それなりに想像力が身に付き、とてもよいことだといえます。たくさん言葉を書くのもいいでしょう。しかし、人間の思考力というものは、全てが関連づけられて体系化されています。フィンランド式の学習は絵と言葉を使って、想像力が蜘蛛の巣のように放射状に広がるように工夫されていて、思考力の体系化が自然に頭の中で行われるようになっているんです。この思考力の体系化こそが、フィンランド式学習法の最大の利点であり、こどもたちにとって必要不可欠なものなんですよ」
そこで、「関連付けによる体系化」を具体的に行うために取り入れられたのが、イラストを見ながら名称を答えるドリル形式なのだそうだ。

「イラストの知識は一部に過ぎません。たとえば、傘の名称にしても、傘の柄の部分については誰でも知っているでしょうが、『石突き』などというとどうでしょうか? その部分の名称にも驚かされるこどもも、いると思います。さらに、その名称の意味を知って、理解を深めるこどももいるでしょう。一つのモノについて、蜘蛛の巣のように放射状に知識を得る。そして、それを体系化する。つまり、フィンランド式の学習法の練習として、イラストを見て考えるドリルという形式になっているんですよ」
単にイラストの名称を答えるのではなく、あくまで「解答・解説」のページを見て、自分なりにそのモノについての理解を深める作業が、重要なのだとか。

実際に、ドリルをやってみると、楽しくスイスイ進んでいくので、「勉強している」感がない。
大人も、忘れている名称を思い出したり、意外と雑学的な解説などに、フンフンと頷きながら、つい読み進めてしまう。

そうか。本来、勉強ってこういうことだったのか……と考えさせられる一冊だ。
 太字部分(当方編集)は、以前より日本共産党や民青同盟あたりが繰り返し主張してきたことです。たとえば、以下は、2006年10月14日に開催された10・14 教育基本法改悪反対大集会in東京の会場にて配布されていた民青同盟東京都委員会発行の冊子の1ページです。
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(クリックで拡大)
 さて、この冊子は、内容的には今回ご紹介したエキサイトの記事と大体同じであります。つまり、1年半以上も前から同様の主張を民青同盟は展開してきたということであります。これは、民青同盟の着眼点の鋭さというか、「いいとこ見ている」の証左であります。

 しかし一方で、この1年半の日本の教育情勢を見るに、旧教育基本法を参考にしたフィンランドの成功例に続くどころか、むしろそれと逆行する情勢でありました。つまり、民青同盟は、この1年半の「逆行」に対して何ら手を打たなかった(打てなかった?)ということであります。

 まあこれは、日本共産党や民青同盟にはよくあることだし、あの人的勢力では大したことできないのは明らかなので、仕方ないといえば仕方ないのですが、問題は、こういう結末についての中央委員会名義の自己批判、すくなくとも「至らなくてごめんね」くらいのコメントを、私、見たこと無いんですよ。

 たとえば共産党は、昨夏の参院選で惨敗を喫しましたが、なんか「大局的に見れば」とか、「我が党の論戦が与党を追い詰めた(けど票は民主党にとられた)」みたいなコメントに終始しているわけです。しかし、政治というのは結果を残さないといけない。いくら「正攻法で頑張りました」と言われても、結果を残さないと意味ないのであります。

 その点、本日付の『赤旗』にはガッカリしました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-01/2008050101_01_0.html
暫定税率復活 自公が強行
共産党、出席し堂々と反対
衆院本会議 民・社欠席

 自民・公明の与党は三十日、衆院本会議で、ガソリン税の暫定税率を復活させ、今後十年間維持する租税特別措置法改定案など歳入・税制関連法案の再議決を強行し、三分の二以上の賛成で成立させました。法案が参院に送付されて六十日経過したことから、参院で「否決」したとみなす議決をしたうえでの暴挙です。参院の審議権を奪う「みなし否決」は五十六年ぶりでした。

 これにより、五月一日から暫定税率分(一リットル当たり約二十五円)など国民には約二・六兆円の大増税となります。日本共産党は衆院本会議に出席し、堂々と討論を行い、再議決に反対しました。民主党、社民党は欠席。国民新党は再議決の際に欠席しました。日本共産党は本会議に先立ち国会議員団総会を開き、志位和夫委員長が政府・与党による暴挙に厳しく抗議しました。

一片の道理もない
議員団総会 志位委員長が批判

 志位委員長は与党による暫定税率再議決について、「政府・与党のみずからの言明にてらしても、国民生活の深刻な実態にてらしても、ひとかけらの道理もない暴挙だ」と述べ、三つの角度から、批判しました。

 第一は、歳入・税制関連法案が、道路特定財源を十年間続けることを前提にしている問題です。二〇〇九年度から道路特定財源を一般財源化するとした福田康夫首相の言明と根本から矛盾するものです。

 第二は、暫定税率の復活が、二・六兆円もの増税を強いる問題です。食料など生活必需品の値上げや、後期高齢者医療制度による負担増のもとで、暫定税率を復活させれば、国民生活に重大な混乱と打撃を与えることは明らかです。

 第三は、なぜ、これほどまでに政府・与党が暫定税率復活に固執するのかという問題です。それは、「総額先にありき」で高速道路をつくり続ける計画を進めるためです。この方式にしがみ続けるかぎり、たとえ一般財源化したとしても、際限なく高速道路づくりが続くことになります。

 志位氏は「無駄な道路ではなく、福祉と暮らし、医療にこそ大切な税金を使えというのが国民多数の声だ」と強調し、道路特定財源と暫定税率の十年延長の中止、「道路中期計画」の撤回を求めました。

 次に志位氏は、今後の国会にのぞむ党の基本姿勢について、「論戦と国民運動をつうじて、福田・自公政権を追い詰め、国民要求を実現する――この立場が何よりも大切だ」と述べました。

 道路問題とともに、後期高齢者医療制度の廃止や、労働者派遣法の抜本改正、日本農業の再生、地球環境問題、名古屋高裁で違憲と断罪されたイラクへの自衛隊派兵など、国会が取り組むべき問題は山積しています。

 志位氏は「これらの国政上の問題について、国民の前でことの是非を明らかにする徹底した論戦を行うことこそ、国会の責任だ」と強調。引き続き党国会議員団が、論戦と国民運動によって政権をおいつめ、国民要求を実現するという天下の大道に立ち、真価を発揮する決意を表明しました。
 立派ですねぇ「出席し堂々と反対」とは。で、結果は?
 「頑張ったから結果はどうあれ、とりあえず良くやった」というのは小学校低学年までだと思うんですけどねぇ。

 当記事を共産党員・民青同盟員の方がご覧になっているかは存じ上げませんが、もしご覧になっていれば、こういう見出しを機関紙に堂々と掲載することや、あるいは、組織力の関係で実行出来ないキャンペーンを盛大にぶち上げることは、傍から見ると如何に組織に力が無いかが良く見えるので、ご注意ください。そして、キャンペーンに失敗したときは、必ず「反省のふり」でも良いですから、何か公式発表をつけときましょうよ。

 今の日本の政党は基本的に全部、無責任政党であり、キャンペーンに失敗しても「相手がが審議に応じなかった」といったふうに、責任の擦り付け合いに終始しています。その情勢で「主要な責任は与党にあるものの、我が党の力が及ばなかったのも、大きな問題点の一つであった」というふうに、自分から非を認める政党になれると、一歩抜きんでると思いますよ。もちろん、「大局的には〜」というような、自画自賛文句は一切抜きで。
posted by s19171107 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 共産党とかそっちの方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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