当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年06月30日

誰でも「殺人犯」になりうる

http://mainichi.jp/select/world/news/20080626k0000e030019000c.html
米国:「児童レイプに死刑」の州法は違憲 連邦最高裁判決
 【ニューヨーク草野和彦】米連邦最高裁は25日、児童レイプ罪に死刑の適用を認めているルイジアナ州法について、違憲とする判決を出した。「人に対する罪では殺人以外に死刑を適用すべきではない」との判断からだ。最高裁は近年、死刑の対象を限定する傾向にあり、今回もこれを踏襲する形になった。

 判決は、同州で98年にパトリック・ケネディ被告(43)が義理の娘(当時8歳)をレイプした事件を巡るもの。1審で死刑判決を受けた被告は「残虐で異常な刑罰」を禁じた憲法修正8条に州法が違反するとして控訴。州最高裁が昨年、1審を支持したため、被告は上訴していた。

 児童レイプ罪に死刑の適用を認めていないのは全米50州中40州以上に上る。連邦最高裁判決は5対4の多数で「児童レイプ罪に死刑を認めないのが、国民的合意」と判断した。ただ、この日の決定は「国家反逆などの罪への死刑適用には影響しない」とした。

 72年に死刑を違憲とした連邦最高裁は76年に一転、合憲と判断。一方で05年までに、知的障害者や未成年を被告とする事件については「いかなる犯罪でも死刑は違憲」とした。レイプ罪の場合は77年、被害者が大人であれば死刑は違憲としたが、児童については判断していなかった。

 米国内で殺人罪以外で死刑が執行されたのは、64年の強盗罪の被告が最後。また、現在収監中の死刑囚約3300人のうち、殺人罪以外はケネディ被告と、同様に児童レイプ罪の男の2人のみだった。

毎日新聞 2008年6月26日 10時41分(最終更新 6月26日 12時06分)
 例によって「世論」を幾つか。その前に、以下のご紹介する「世論」の中には、この程度の記事内容すら正確に把握できていないアレな人がいらっしゃるので、今一度、記事の核心を押さえておきます。

・児童レイプ犯に死刑はやりすぎ
・でも殺人犯に対する死刑はおk
・国家反逆罪も直接的に殺人はしていないけど死刑でおk

以上です。

 つづいて、本判断に対する私の見解。私としては、米連邦最高裁の本判決について、以下4点より支持します。

 第一に、刑罰というのは本質的には国家権力による人権の制限であります。本来、人権の制限というのはいかなる場合でも許されるべきものではありませんが、「犯罪者」に限って言えば、制限されるに見合う罪を犯したからこそ『国家権力による正当な人権制限』と認識されるのです。しかしこれは、逆に言えば、罰しすぎは『国家権力による不当な人権制限』となります。
 つまり刑罰というものは、常に「罪と罰の均衡」を図らなければならず、「罪と罰の均衡」が成り立っていない場合、それは「新たな犯罪」(罰が軽すぎる場合も含む)であります。その点、私としては、「レイプ」という犯罪と「死刑」という刑罰の間には、ちょっと溝が広すぎ、これは「新たな犯罪」であるように思えてなりません。

 第二に、既に問題を起こしたにもかかわらず、その落とし前をつけていない人が好き勝手されるのは社会秩序を維持する上で大きな問題です。その点、社会の秩序維持という観点から、刑罰、すなわち「その人の人権を制限すること」は必要です。しかし、先にも述べたとおり、刑罰というのは本質的には国家権力による人権の制限であり、本来、人権の制限というのはいかなる場合でも許されるべきものではない以上、刑罰は「必要悪」、必要最低限であるべきだと考えます。
 その点、やはり「レイプ」という犯罪に対する「死刑」という刑罰は、必要最低限を逸脱するものだと思えてなりません。

 第三に、死刑というのは、ある人物を抹殺することです。つまり、その人に対してそれまで行ってきた、義務教育をはじめとする社会的投資が完全に無駄になることを意味しています。その点、強姦犯は性的な志向には問題あるかもしれませんが、その他の点においては問題があるとは限りません。
 あらゆる「犯罪」に対して「現行犯逮捕・即時処刑」を科してきたポル・ポト派の末路を今一度、思い起こさねばなりません。安易な処刑は長期的に見れば社会にとっての不利益です。

 第四に、刑務所も暇じゃないんですよ。無意味に重い刑を科すことは、刑務所に必要以上の負担をかけさせることであり、それは刑務所全体の機能低下をもたらします。

 それではドウゾ。
性犯罪は再犯率高いので、死刑が妥当だろっ!!
被害者の気持ちを考えたら尚更ね。

代案があるとしたら
【自我崩壊するまでアッー】の計とかかな。
 単に去勢で事足りるのでは?必要以上に重い罰を科すことについての問題点については、先にも述べたとおりです。
 死刑制度賛成派といえば「受刑者の生活費が勿体無いから死刑にしろ」が合言葉となっているくらいですから、さぞ、社会的損得計算に明るいもんだと思っていたんですが、案外、目先のことしか考えていないんですね。

 また、被害者の気持ち云々と、この手の主張では良く見られる記述がありますが、「かわいそうな被害者」だからといって何でも許されるべきでしょうか?よく、刑事裁判における「被告人の不幸な生い立ち」を理由にした弁護に対して「不幸なら何やってもいいのか!」という非難が、それこそこの手の方々の口から聞かれますが、その点との関係についてはいかがお考えなんでしょうか。
 
私はずっと以前からレイプ犯には極刑をと言い続けている人間なので、違憲というのはちょっと納得できない気持ち。

まぁ、なにがなんでも死刑にしろという法律は行き過ぎなのかもしれないが、死刑という選択肢をなくしてしまうことはないと思う。

被害にあった側からすれば、いっそ殺してくれた方がよかったという気持ちすらある人もいると思う。レイプとはそれほどの恐怖であり、消えない心の傷であると思う。まして幼児であった場合・・・。

いくら人を殺めていないからといって、じゃあそれ以上の犯罪はないのか?といえば、そんなことは決してないのである。
 純粋な疑問ですが、では、強姦行為者を死刑という形で抹殺して、「心の傷」というのは消えるんでしょうかね?

(死刑は)抑止力にもなりますよね?

犯罪者の人権?
うるさいってば
もし私の愛すべき妹達がレイプされたら
私は相手に極刑を望みます
てより殺したいかも

死刑廃止するなら遺族がスッキリするような拷問をさせてくれるのかな?

まぁ何をしても気は治まらないと思いますが…

死ぬより怖い目に合わせてやりたいよね
 法律云々の以前に、レイプ犯を殺すことは最早、応報の域すら越しており、ただの殺人です。「かわいそう」な人の「気を治める」ためには応報すらも無視できるって、これを認めたら、もうやりたい放題だと思うんですがね。

 また、「スッキリするような拷問」とありますが、まともな人間に拷問はできませんよ。どうせ誰かにやらせて、自分は離れたところから「あいつは今頃、苦しんでいる頃だウシシ」と黒い欲望を満たしているのが関の山でしょうね。自らの手で被害者をボコボコにする、所謂「快楽殺人犯」のほうが、よっぽど堂々しているのは気のせいですか?

 上記記事コメント欄に投稿された以下の書き込みはもっと酷い。
私も死刑賛成です。近頃反対派が喧しいですが、あの連中はこんな事例でも反対するのでしょうね。
一度家族を殺されれば考えも改めるでしょうがね。
 ちょっとまて、「こんな事例」というが、強姦事件に対する死刑適用が違憲だって話であって、強姦致死とは書かれておらんぞお前。


 さて、いかがだったでしょうか。当ブログでは今まで、数多くの「感情屋」の言説を収集してきました。それらの多くは、感情的になりすぎたがゆえに社会的必要性を完全に無視した、一時的な報復感情を満たすだけの「その場しのぎ」ともいえるような主張ばかりでしたが、それらの殆どは、自論の根拠として「応報」という考え方を基盤としていたため、ある程度の説得力があり、私としても、反論を書くのにちょっと苦労しました。

 しかし、今回収集した言説は、もはや応報の域すら大きく逸脱しており、道徳的にも認められるものではない「新たな犯罪」です。私としましては、もうちょっと感情屋の方々はマトモだと思っていたのですが、どうやら想像以上にアレなようです。

 昨今、「犯罪者」の中でも特に「殺人犯」を、あたかも異質な「人間の形をしているが人間ではないモノ」のように扱う風潮が根強くあります。しかし今回ご紹介した、最早「応報」の域を大きく逸脱し、単に気に入らない奴を痛めつけたいがための軽々しい「死刑」を求める言説を聞いていると、決して「殺人犯」というのは、異質な存在というわけでは無いように思えてなりません。

 誰でも「殺人犯」の素質はある。誰でも「殺人犯」になりうる。「一般人」と「殺人犯」の差は、単に黒い欲望が表に出てきたか否かなだけ。だからこそ、刑事裁判の場においては、どうして被告席に座っている人物だけがその黒い欲望を表に出してしまったのかについて、あらゆる角度から検証が必要なのです。そして、その検証のためには、被告人の利益を第一に考えるサポーターとしての「刑事弁護人」が不可欠。

 刑事裁判に関する理解を深めるためには、そもそも「刑事被告人」が異質な存在ではなく、もしかしたら自分が被告席に座っているかもしれないということについて理解を深めることが第一歩なのかもしれません。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2008年06月25日

「法律に従って」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080625-00000099-jij-soci
 13人の死刑を執行した鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した朝日新聞の記事について、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」は25日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「死刑執行を望む犯罪被害者遺族も死に神ということになる。侮辱的で感情を逆なでされた」とする抗議文を、同日付で朝日新聞に送ったことを明らかにした。
 抗議文で同会は「法律に従って執行を命じたにすぎない法相を非難することは、法治国家を否定することになる」と批判。記事の意図などについて同社に回答を求めた。 
 正論。ついでに言えば、同様に、刑事弁護人も法律に従って被告人を弁護したにすぎないので、その弁護士を非難することは法治国家を否定することです。
 以下のようなコメント欄書き込みに6500点もついている割には、各刑事裁判における刑事弁護人に対するバッシングが酷いのは何で?
朝日新聞は抗議されて当然!

マスコミの割には空気が読めてませんな・・・。

鳩山邦夫法相は法に従い、執行しただけです。

朝日新聞は、今まで執行しなかった
へたれ歴代法相を責めるべきでしょう。


司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 21:42| Comment(6) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

極論と極論

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=523693&media_id=10
派遣労働者の“反乱”が始まった!

●もう小手先改善ではダマされない

 東京・秋葉原の無差別殺傷事件をきっかけに派遣労働が注目されている。派遣だから犯罪を起こすワケではないが、確かに彼らの生活は悲惨で、派遣労働者の犯罪も目立つからだ。労組系団体などは国や企業に待遇改善を求める要望書を提出。静かな派遣労働者の“反乱”が始まっている。

 トヨタなどの下請け会社の労働問題に取り組む愛知県の「非正規労働者共同センター・名古屋駅前グループ」ら5団体は13日、派遣法の規制、セーフティーネット確立などを求める文書を舛添要一厚労相に提出した。

「今回の事件で特に問題視しているのは、犯人が『住み込み付き』の派遣労働者だったことです。多くの企業は『社員寮は管理、維持コストがかさむ』として、派遣会社に人材と住む場所をセットで求めている。そのため、派遣労働者はクビになると職だけでなく、住居も失ってしまうのです。全国のネットカフェには職を失った派遣労働者が寝泊まりしている。国は企業に、労働者が次の職を見つけるまで住居保証させるべきで、そうした要求を考えています」(愛知連帯ユニオン・元座委員長)

 同グループ以外でも、ガテン系連帯(東京)が20日、加藤智大の派遣先「関東自動車工業」に問題点改善を申し入れるという。

 こうした現場の声を受け、自民、公明両党の「与党新雇用対策に関するプロジェクトチーム」は10日の初会合で、労働者派遣制度の見直しを議論。町村信孝官房長官も11日の会見で、派遣制度の在り方を見直す必要があるとの認識を示した。「今ごろ、遅いよ」だが、人材派遣大手のグッドウィルグループのデタラメも発覚し、政府も重い腰を上げざるを得なくなったのである。蟹工船のような労働派遣は改善されるのか。

「派遣法は小泉内閣で大幅に規制が緩和され、今日の事態を招いている。同じ穴のムジナである福田内閣に抜本的対策ができるかどうか。一部見直しなどの小手先でなく、抜本対策を急がないと形だけの改善でお茶を濁されてしまう懸念があります」(労働問題に詳しい国立大教授)

 この際、派遣を全廃するくらいやらなければダメだ。
 世の中には時期ごとの労働需要に大きな差がある企業がある以上は、「派遣を全廃」するというのは極論であると言わざるを得ず、そもそも、派遣労働者関係の問題における主要な問題点は、低賃金と雇用の不安定にあるのですから、同一労働同一賃金保障や、あるいは、派遣から解雇されることはあっても派遣からは滅多には解雇されず、次の派遣紹介があるまでの派遣労働者の生活は派遣元が責任を持たせることが必要であり、それが現実的な解決策なのではないかというのは、以前の記事においても書いたとおりです。

 いやはや、さすがゲンダイ。世の流れに中途半端に乗っかっているがゆえに、こんな極論を書いてしまったようですな。

 そして、例によって「世論」を採取していると、「派遣を全廃」という部分に噛み付いている人がいます。多くは、「全廃したらしたで、そのあとどうすればいいの」という、至極妥当なものが多いのですが、しかし一方で、昨今流行の「自己責任」論を振りかざして眼をそむけようとしているのもあります。

最初から派遣の仕事を選ばなければいい。
なぜ、派遣の仕事を選んだか、その場所にたどり着く過程をもう一度見つめなおせばいいと思う。

派遣の仕事を楽しんでる人だっているわけだし、なぜ、派遣が悪いという結論にいくのかが理解できません。

派遣会社で働いていた人間の犯罪が多い?
笑わせるなって感じです。

ゆとり教育世代の犯罪が多発したときは、ゆとり教育が悪いとかいってなかったっけ?
これで、派遣会社がなくなったら、今派遣会社で働いている人はどうするつもりなんでしょうかね?

もし、この事件が原因で派遣会社がなくなって、働く場所がなくなった人が同じような事件を起こしたら、次はどこに矛先が向くのでしょうかね?

実際酷いところだってあるわけだから、派遣会社を擁護する気はありませんけどね。

この、“反乱”の結果はどうなるのでしょうかね・・・
 またも勉強中の身でありながら、僭越ながらチュチェ思想的発想を援用して。。。

 ええとですね。チュチェ思想は、マルクス・レーニン主義の唯物史観を母体としています。その上でチュチェ思想は、歴史発展の原動力を、自主的に生きようとする意識性をもち、目的意識的発展志向で世界を改造・創造する「人間」に求めています。しかし、人間は現実に物質世界で生活している以上は、物質世界における客観的環境条件に左右されることも同時に指摘してます。

 ゆえに私としては、人間には「自主性」という本質がある以上は、全てを「客観的環境条件」にせいにすることは誤っていると考えますが、一方で、その「自主性」は物質世界における客観的環境条件に左右される以上は、全てを「自己責任」に帰することも重大な誤りであると考えます。

 その点、全ての原因を「自主性」に還元する「最初から派遣の仕事を選ばなければいい」というこの言説、すなわち、全てを「自己責任」に還元するにこの言説については、果たしてそのように認識することは正しいことであろうか、と疑念を感じざるを得ません。

 もうひとつ、類似の記事と、それに対する反論コメントの一セット。
だったらなぜ派遣会社に就職したのか、と思うわけよ。
そういうリスクがあるのを知って就職するんではないのですかね?
知らずに就職するならば、勉強不足と言われても仕方ないだろうし
知ってて文句をいうのはお門違いだと思う。

他に道がなかったと言うならば、今までのことを振り返ってみたらいい。
働けて、お金が入ればどこでもいいっていう安直な気持ちで就職活動をやったならばその報いは受けなければならない。
さらにいうならばフリーターとかは派遣より状況がきびしいですよな。

派遣で福利厚生まで安定するなんてよほどの大手でもないと難しいのではないかね?。
通常の正社員ですら怪しいし。

ニュースから来ました。
失礼ながらあまりにも現実を知らないのではないかと。大学新卒でも底辺校だと日雇い派遣しか就職先がないという学生が多数います。正規雇用が控えられる中で他に選択肢がないから非正規雇用を選ばざるを得ないのです。
誰もが非正規雇用の不安定さは知っています。なりたくて派遣社員になる人がいるでしょうか?


入学できればどこでもいいっていう安直な気持ちで大学受験をやった報いを受けているんでしょうね。
ニュースから失礼しました。

>>1さん  
いらっしゃい。
だからね、派遣しか選択肢がない状態にしちゃった原因って何さ?って話ですよ。
底辺校ならば派遣しかないのが当たり前といいますが、だったらなんでそんなとこ入ったの?と言いたい。
大学入試の段階で将来設計とか難しいのでしょうかね?

>2さん 
いらっしゃい。コメント付けてる間にわたしの言いたいことを言っていただいたようで。

そういうことなんよねぇ。
就職に限らず人生の岐路ではちゃんと考えなきゃならんよってこと。

 ニュースから来ましたよこんにちは。

 つまり、人生にやりなおしなんてありえないと言うわけだ?

 派遣やフリーターの人には若い人も多いと思うんだけど、大学の選択や初めての就職先を間違えた段階で二度と這い上がれない人生が確定してしまっていいと、そういう事なわけだ?

 もし、そこは一流だと思って就職した会社が潰れたら、人生も潰れてしまっていいと。

いらっしゃい。
イエスかノーかで言うならばイエスです。
もちろん、リトライのチャンスはあるに越したことはないけどね。

選択を誤ったことに対するペナルティはあって当然だと思います。

でも、取り返しのつかないミスってのは一発ではなかなか起きないもの。
是正できるときに是正すればある程度はなんとかなるもの。

転ぶのは当たり前にあるけど、転んだときに自分で起き上がれるような備えはしないとならんとは思います。

社会が悪い、制度が悪いというのは簡単だけど、やるべきことはやってからいわないと。
 ここまで来ると逆に爽快感すら感じます。一度レールに乗ったらもう後戻りできない。「自主性」もクソもあったもんじゃありませんね。

 ところで、>>2のような「自己責任」論を振りかざす以上は、選択に際しては、社会的情報提供はしているんですよね?何、そこからして「自己責任」?それは「責任放棄」って言うんですよwwwwwww大体、大学進学するかどうかってときはまだ未成年ですよwwwwwwwwwwwwwww

 それ以外に、いくつか眼に留まったものも記録します。
負け組は自己責任

なぜか。

負け組にだって日本国憲法で保障された様々な権利があるし、選挙権・被選挙権も平等にある。偽装請負でも、実態から判断して労働者なら、労働者として様々な権利を有する。

小林多喜二の時代であれば、文庫本『蟹工船』をポケットに入れて歩いているだけでも逮捕された。

しかし、今は自由にモノが言える。結社の自由もある。

負け組自らがこれら権利を行使せず、エネルギーを社会変革へ向けようとしていない以上、やはり全て己の責任とも言えるのではないか。
 そしてモノをいった挙句に左遷・解雇というお決まりのコースをまっしぐらというわけですね!

 高校の政治経済の授業の記憶によると、憲法に定められた結社の自由は直接的には私人間には適用されなかったはずなんですけどね。いつの間にか変ったんですか?それとも私のひがおぼえ?

秋葉原の事件について、こういう観点からの報道が全くされなかった事は、各報道機関が如何に視聴者の興味を引くかを優先しいて、社会問題の解決には無関心である事の証明だと思う。

加藤容疑者を『25歳、塗装工』ではなく『25歳、派遣社員』と表現する機関ばかりだった事からも、派遣社員という立場を容疑者の言う『負け組』の一つとして認めている事が伺えるし、又、あのような犯罪に至る原因を容疑者自身の欠陥・問題に求めようとする報道ばかりだった。


その様な見方をする事が、容疑者の様な立場の人達を追い詰めてるのに。

マスコミが揃いも揃って、そういう価値観を撒き散らすというのはどうなの?

確かに、社会的地位を競う勝負に負けたからそこに居るのだけど、何人かに一人という確率で誰かが負けるんでしょ?
それだって、社会の一端を担っている事には変わりは無いはず。


いくら資本主義社会と言っても、そういう人達も努力すれば生きて行ける様な社会にしないといけないと思います。

じゃなければ資本主義なんて勝者が弱者から色々な物を奪い取る為のルールにしか過ぎないし、そんな社会で弱者が生きて行く意味なんて、なくなって当然とも言えるんじゃないかな。
 私はチュチェ思想をガチで勉強している身であるため、やはりそっちに共感ある人間であります。その私としましては、ここ数百年の資本主義社会発展の原動力であった、「より良い生活へ突撃する向上心」については否定しません。それはチュチェ思想において、「人間の根本」と定義されている「自主化」への願望と、そう大きくは違わないと考えるからです。そして、「より良い生活へ突撃する」過程において自然発生する「競争」についても、これそのものについては否定しません。だって自然発生するんですから。

 しかし、私が「資本主義」ではなく、「チュチェ思想」の方に傾いているのは、昨今の「資本主義」においては、「より良い生活へ突撃する」過程で他人を踏み台にしていないか、もっと言えば、「他人の自主化への願望を踏みにじっていないか」という点において、どうも良くない方向にあるのではないか、と考えるからであります。

 その点、チュチェ思想においては、「集団主義」という概念を掲げています。ここで注意しなくてはならないのは、「全体主義」との違いでありますが、これについては以前の記事で書きました。要するに「個人の利己的利益よりも、社会全体の利益を優先させるが、それは個人の基本的人権に不利益が及ばない範囲内においてである」といったところでしょうか。チュチェ思想においては、我々日本に住む者が普段「利己主義」と呼ぶものを「個人主義」と語句定義している関係上、日本的文脈におけるそれと言葉のニュアンスがズレることには注意が必要です。

 まあ私自身、まだまだチュチェ思想についての勉強が進んでいませんし、チュチェ思想に共感するところが「ある」といっているだけで、「チュチェ思想マンセー」ではないので、今後はチュチェ思想への「批判」も含めて、チュチェ思想の認識を中心にブログ編集をしてまいる所存であります。
posted by s19171107 at 21:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月19日

自己責任と社会進歩

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080617-00000068-jij-pol
救出費用は自己負担に=イランの邦人解放で−笹川氏

 笹川堯衆院議院運営委員長は17日午前の自民党役員連絡会で、イランで誘拐された日本人大学生が8カ月ぶりに解放された事件に関し「外務副大臣がスタッフを連れて、3度イランに行っている。これはみんな国民の税金(で負担している)」と指摘した。その上で「政府が渡航の自粛を要請しているところに行った人については、今後、外務省で厳しく徹底する必要があるのではないか」と述べ、救出に要した費用は本人の負担とすべきだとの考えを示した。
 例によってコメント欄より。
当然です。正常な感覚だと思います。
至極まともな発言だ。「危険だからやめなさい」と親切に言っているのを無視した代償は当然自分持ちです
 人間の歴史における社会的進歩というのは、社会の大多数、昨今の流行で言うところの「庶民の感覚」(=凡人の浅知恵)とかいうのとは一線を画す、独創的な発想を持つ人物による、積極的且つ危険を顧みない勇敢な挑戦によるものが多かったことは紛れも無い事実です。

 そして、これらの社会的進歩の担い手の多くは、有力者の後ろ盾、あるいは、自分自身が何らかの財産を有している場合が多く、彼らは「自己責任」のもとに、あれら勇敢な挑戦を挑んできたことも事実です。これは裏を返すと、財力などの「自己責任」の担保となりえるものを持たぬがゆえに、独創的発想を持ちながらも、その発想を現実化する挑戦をあきらめざるを得ず、歴史に埋もれていった人物が数多いたことが容易に想像できます。

 もし今回採取した、それぞれ2万件以上と1万7000件以上の同意を受けたコメントの言うように、(「庶民の感覚」にもとづいて判断された)「危険」に対して飛び込んだ人物を、社会・共同体が「本人の自己責任」として切り捨てるとすると、果たして社会進歩の不利益とならないでしょうか。

 私としましては、「危険」にあえて挑戦する人を全面的にバックアップすることが、社会・共同体のなすべきことではないかと考えます。過度な自己責任論は、意欲と能力はあっても、リスクに対する備えが経済的に出来ない人物の挑戦を妨げることになり、これは即ち長期的に見れば社会進歩に対する不利益であります。

 もちろん、だからといって、「おんぶに抱っこ」してやる必要は無いので、本件についても一部費用を本人に負担してもらうというのは構わないでしょうが、しかしやはり、「「危険だからやめなさい」と親切に言っているのを無視した代償は当然自分持ち」といって完全に切り捨てることがもたらすであろう不利益の可能性については、今述べてきたとおりです。


 ちなみに、今回の記事では「庶民の感覚」(=凡人の浅知恵)という風に、いつも以上に「庶民の感覚」とかいう、いい加減なものに対する批判的意味の強い表現を使いましたが、これは、「意欲と能力のある勇敢な挑戦者」との対比を際立たせるために、あえて使った次第であります。
posted by s19171107 at 00:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

光市事件の判決文が公開されました

 光市事件の差し戻し控訴審判決の全文が公開されたとご連絡を戴きました。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080613101103.pdf

 先週日曜日に起きた秋葉原の通り魔事件の「世論分析」さえ、する時間の無い今の私としては、予め弁護団の資料の要旨をまとめておいたとは言っても、とてもじゃありませんが、78ページもある判決文をの全てをすぐに講評できないのですが、とりあえず「出ましたよ」ということだけは、ご報告いたします。

 また、この場をお借りしまして、情報を提供してくださった某氏に深く感謝いたします。ありがとうございました。
posted by s19171107 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

珍しく4様と同意見

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2008/06/post_d250.html
午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、永田町の村上正邦氏の事務所にて、「日本の司法を考える会」開催。

魚住昭氏が講演し、「裁判員制度実施一年前になって、新聞が非常に批判的になった。新潟県弁護士会ともう一カ所の弁護士会が『延期決議』をした。『私たちがあんたらのために税金を払っているのに、なんで私らがせなあかへんの』という疑問に答えることが出来ない。市民の法律に関する常識が感情に流されてしまう。

地裁段階でしか裁判員制度は適用されない。地裁の結論に対して検察が異議申し立てをして高裁に行くと、八〇%以上検察の主張が通る。

無罪を主張すると何時までたっても拘置所を出ることが出来ないので、早く出たいために有罪を認めてしまう。この問題に何の対策も講じないで、裁判員制度を認めるとどうなるか。拘置されていると、被告人はろくに弁護士と相談できないし、自分の無罪を証明する活動も不自由になる。

裁判官は中立公正・自主独立の立場であらねばならないのに、常に上を見ている。最高裁の人事政策が問題。平目裁判官を重用する。

司法改革はアメリカの要求で始まった。アメリカの要求を奇貨として、官僚がトクをするシステムにするのが司法改革。感情だけを刺激し視聴率を稼ぐテレビ番組が横行している中での裁判員制度導入はうまく適用できるとは思わない。

情報を握っているところが情報を欲しがる所をコントロールする。検察・警察担当の記者は検察・警察の批判を書きにくい。裁判の何処が悪いのかを全く議論しないで、全く別の所から別の制度を持って来ても解決しない。」と語った。

夕刻、衆議院第二議員会館の同志事務所訪問。懇談。

帰宅後は原稿執筆。

         ○

裁判員制度についてはよく分りませんが、日本人のような情緒的な国民には不適切な制度だと思います。集団催眠にかかりやすく、こいつは極悪だと思ったら、冷静な判断せずに重刑を言い渡す危険があります。

メディアがもっとしっかりしなければ日本は良くなりません。逆にいえば、日本を悪くしているのはメディアです。今日は時間がないので詳しく書けませんが、今度の秋葉原の事件に関しても、テレビは一日中と言っていいくらい、繰返し繰返し扇情的な報道しています。

こういう報道が、さらに凶悪な犯罪を誘発するということが分からないのでしょうか。魚住氏の言う「感情だけを刺激し視聴率を稼ぐテレビ番組の横行」が諸悪の根源であります。
 いやあ、珍しいこともあるもんだ。

2008年06月11日

刑務所の中はどうなっているのか?

 昨今は厳罰化が殊に声高に叫ばれております。厳罰化論者曰く、「誤れる『教育刑主義』」のもと「加害者の人権を擁護」しすぎているがゆえに「刑罰が軽すぎ」、結果的に凶悪犯罪、特に再犯が多発しているそうです。

 しかし、果たして「教育刑主義そのものが間違っている」のでしょうか。この問いの答えを導き出すためには、実際の刑務所とはどういうところなのかについて知る必要があります。

 その一つの資料として、今回は『週刊朝日』6月20日号を取り上げます。

(まだ最新号として発売中なのでアップはしません。最新号としての店頭発売が終わったら転載掲載します。)

 刑務所の中は、もはや『犯罪予備校』というべきものであり、そして本来、受刑者を監視・矯正をさせて社会復帰させる任務を課せられている刑務官が、「それが刑務所なんだよ」といって開き直ったり、あるいは、刑期短縮をエサに「反省」なるものを求めているという証言であります。

 本記事をはじめとして、私は昨今の安易な厳罰化志向については、極めて慎重な立場をとっておりますが、だからといって、長期懲役等の「厳罰」に絶対反対というわけではありません。しかし、実際の刑務所の実態というものを含めて考えると、更生教育施設としての刑務所は、もはや機能麻痺を起こしていると言わざるを得ず、こんな環境が放置されているようでは、「更生しろ」って言うほうが無理であります。よって、現段階において「教育刑主義そのものが間違っている」という結論を導くには時期尚早であり、むしろ、こんな劣悪な環境に「厳罰」の名の下に長期間入れておけば、いよいよ社会復帰できなくなり、逆効果となるのではないでしょうか。

 もっとも、ポル・ポトのように、一度過ちを犯した人間は二度と社会に復帰させないというのならば問題ないのかもしれませんが、社会から排除するより、きっちりと再教育を施して社会に復帰させたほうが大局的には社会全体の利益となるということは、当ブログにおいて以前より再三、申し上げてきたとおりです。

司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2008年06月09日

上を見るな!下を見ろ!ああならないだけ幸せに思え!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000011-maiall-soci
<秋葉原通り魔>容疑者、解雇と誤解?工場「つなぎがない」と騒ぐ 携帯サイトにも書き込みか

6月9日14時18分配信 毎日新聞

 東京・秋葉原で8日起きた通り魔事件で逮捕された加藤容疑者は青森県出身で、東京都内の人材派遣会社に登録し、自動車組み立て・生産大手の関東自動車工業の東富士工場(静岡県裾野市)で働いていた。

 同工場の橋本直之・庶務広報室長(54)や人材派遣会社によると、加藤容疑者は昨年11月11日に派遣会社の面接で採用が決まり、同月14日から工場で働いていた。情報誌などの折り込み広告を見て応募。面接の際は「以前も派遣社員として自動車工場で組み立てをやったことがある」と話したという。

 工場での担当は塗装ライン。月曜から金曜の週5日勤務で1週間交代で日勤と夜勤についていたが、勤務態度はまじめで、公休以外は休まなかった。時給1300円で月約20万円の収入があった。契約期間は今年3月31日までだったが、1年間更新されていた。

 派遣社員を6月末で200人から50人に減らす計画があったが、加藤容疑者は、自分が対象ではないことを派遣会社から知らされていたという。

 一方で、加藤容疑者は5日の始業直前の午前6時ごろ「自分のつなぎ(作業着)がない」と大声を出して騒いだため、同僚がリーダーに報告。リーダーが駆けつけたときには、姿を消していた。

 この日、加藤容疑者が「犯行予告」をした携帯電話サイトの別の掲示板に「作業場行ったらツナギが無かった 辞めろってか」(午前6時17分)▽「やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな」(午前7時44分)とあり、午後零時5分には「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」との記述もあった。つなぎのくだりは、加藤容疑者が騒いだ時間と近接しており、加藤容疑者が「解雇された」と誤解して書き込んだ可能性もある。

 加藤容疑者の裾野市富沢の自宅は人材派遣会社借り上げの4階建てワンルームマンション。3階に1人暮らしをしていた。管理会社によると、04年12月から派遣会社が32部屋のうち5部屋を借り上げている。入れ替わりが激しく、加藤容疑者の居住は把握していなかった。

 住民によると、加藤容疑者は半年から1年ほど前から住んでおり、時折、ジーンズにシャツの軽装で午後11時ごろに帰宅する姿が目撃されていた。ただ、約1カ月前から本人と乗っていた青森ナンバーの軽自動車が見られなくなった。住民の付き合いはなく、トラブルもなかったという。
 例によってコメント欄より。
誰だって生きていくのに辛い事はある。
でも、取りあえず財布の中には小銭があり
今晩雨風をしのいで寝る場所もある。
贅沢なものではないかもしれないが、食べるものもあり
読み書きが出来て携帯のサイトに書き込みも出来る。
ねえ何が不満なの?
この世の中にはもっともっと大変な状況の中で生きてる人間もたくさん。
不満を言い出さばキリがないし、上を見てもキリがないんだよ。
 当ブログにおいては、チュチェ96年8月5日づけ「下を見ていてはキリが無い」をはじめとして、特に「公務員バッシング」と「格差問題」に関する「世論」において良く見られる「下にあわせる」(相対的に劣悪な環境で生きている人たちが居るんだから「贅沢」言うな)発想について、厳しく批判してきました。これは第一には、日本が(程度の妥当性や、それそのものの良し悪しは別として)現実に、ここ数百年の人間社会の飛躍的発展の重大な環境的条件を引き継ぐ「競争社会」であり、これは、常により良い生活に向かって「向上心」旺盛に突進する人たちが居るからこそ成り立つ社会であるから、第二に、チュチェ思想的に見ても人間というのは、自己の運命の主人として自主的に生きようとする意識性をもち、目的意識的発展志向で世界を改造・創造することによって自主化を達成するものである以上は、常に自主化すなわち理想通りの自分に自己実現してゆくことを本質としているからであります。

 その点、前掲の書き込みをはじめとして、今まで当ブログにおいてご紹介し、批判してきた「下にあわせる」・「上を見るな」の発想は、人間の本質であると同時に、人間社会発展の原動力である「向上心」を否定し、現在の自分の地位に甘んじろという、全くをもって現実に生きる「人間」を見ていない机上の空論であると言わざるを得ません。

 また、前掲の書き込みが挙げている生活レベルというのは、はっきり言って産業革命以前の中世時代で既に達成しているレベルです(もちろん、中世には携帯電話はありませんが、派遣社員にとって携帯電話というのは仕事依頼の連絡上、必須のアイテムですので、事実上の生産手段であり、ちょうど中世農奴の必須アイテムである「農具」などと同じと見て良いでしょう)。つまり、あの書き込みは「中世の生活で満足しろ」と言っているのと同じであり、ちょっと論が飛躍しすぎているかもしれませんが、これは、中世以降の人間の歴史を否定する言説であると考えます。

 まあ、あの書き込みは、こんな堅苦しい話を並べる以前に「じゃお前がまずやれ」と言われたら、ちょっと躊躇する内容です。にも関わらず、あの書き込みに対する評価が7000ポイント(1クリックにつき1ポイント、すなわち延べ7000人が同意を表明した)も受けているのを見ると、なんちゅうか、本当に日本人って大人しくって支配しやすい民族なんだなぁ、という思いを強くします。
posted by s19171107 at 20:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

民度高杉

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080609k0000m040022000c.html
秋葉原通り魔:容疑者の逮捕・連行を携帯で撮影

 今回の通り魔事件では、容疑者の逮捕・連行写真を携帯電話で撮影した人の周りに人だかりができ、自分の携帯に赤外線送受信でコピーする人たちが目立った。

 目撃情報を集めていた記者は、通行人の女性から赤外線受信で写真を入手。この女性も、逮捕現場にいた別の女性から赤外線受信でコピーしていた。2人は他人同士だった。

 女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたという。
 流石にニュー速でも非難轟々。しかし私は、以下の書き込みに全面的に賛同します。
899 名前: 名無しさん@九周年 [sage] 投稿日: 2008/06/08(日) 20:42:10 ID:QVEH7oSHO
何か事件が起こる度に犯人の素性を知りたがり
競い合って画像や情報をはりまくるお前らと同じ
全員死ね
 ワイドショー的野次馬根性はついにここまできたか、と強く感じます。
posted by s19171107 at 20:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

食材費上昇と「民間委託」

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080608k0000m040104000c.html
給食費:公費補てんも 22自治体が値上げ 毎日新聞調査

 小麦粉や乳製品など食材費が上がる中、各地で小中学校の給食費の値上げが相次いでいる。毎日新聞が道府県庁所在地市・特別区と政令市計73自治体に尋ねたところ、22自治体が今年度値上げした。緊急措置として公費を学校に投入した自治体もある。多くの学校は果物の回数減や、牛肉を豚肉に変えるなどのやりくりに追われている。

 食材費上昇は主食のほか肉や野菜、油にも及び、現場を苦しめている。値上げしたのは札幌、宇都宮、奈良、長崎などの各市と東京の8区。

 上げ幅は月50〜500円で、200〜300円程度が目立つ。札幌市は中学校の月額3950円を4250円に、長崎市は4100円を4400円とした。1食あたり20円値上げした東京都豊島区のある小学校では、栄養士が「パンやめんを減らし米に変えた。油のランクも落とし、揚げ物を減らした」と打ち明ける。

 給食費は本来、学校給食法で原則保護者負担となっている。しかし、値上げを避けるため年度途中に補正予算を組み、学校に補てんする自治体も現れた。

 東京都中央区は6月議会に790万円の予算案を提案。足立区は約3700万円分の米を学校に現物支給し、浮いた費用を他の食材購入に充てる計画だ。いずれも公費を給食費に充てるのは初めて。従来50万円の米代を負担している鳥取市は、430万円増額する補正予算案を6月議会に出した。

 多くの自治体では、バターをマーガリンにしたり、果物のカットを小さくしたりしてしのいでいる。ドレッシングを手作りに(松山市)▽カレーの隠し味のチーズを減らす(高知市)▽校庭でできた夏みかんをゼリーに(東京都渋谷区)▽むきえびのサイズを大から小に(大阪市)−−の涙ぐましい努力も見られた。

 コスト抑制のため、さいたま市は「安く納品する業者に代えた」と説明、新潟市も「調理の民間委託を促進する」という。給食費増の背景として「中国産の野菜を避けているため」(甲府市)との答えもあった。
 さて、昨今は行政サービスの「コスト削減」の一環として、事業を「民間委託」する風潮があります。しかし、この「民間委託によるコスト削減」によって「サービス内容が低下した」という世論を余り聞かないところを見ると、どうも、「コスト削減」の名目の下に民間労働者を酷使しているように見えるのは気のせいですかね?というか、単純に考えてそうだと思うんですけどね。消費者へわたる財の内容が同一なのに、財の価格だけ下がったとなれば、生産者側で何らかの生産条件変化があるとしか考えられませんし。
 いつだったか「行政サービスの民間委託で民間労働者の負担が増大した」みたいな番組をNHKがやっていたような覚えがあるんですが、見逃してしまったもんで。。。
 所謂「公務員バッシング」と、「下にあわせる」発想に基づく各種の公務員待遇改悪、そして「民間委託」の実情についても追っかけたいところですが、時間がねえ。誰か効率的な時間の使い方を教えてくだされ。
posted by s19171107 at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

「ハンセン病患者は入国禁止」

http://j.people.com.cn/2008/06/03/jp20080603_89148.html
五輪開催中に入国が禁止される6種類の外国人(2)

○以下6種類の外国人は、五輪開催期間中の入国が禁止される。

1. 中国政府により国外追放処分となり、再入国許可期日に達していない
 2. 入国後にテロ・暴力・転覆活動を行う恐れがある
 3. 入国後に密輸、麻薬密売、売春行為を行う恐れがある
 4. 精神病・ハンセン病・性病・開放性肺結核の伝染病に罹患している
 5. 中国滞在中の滞在費を保障できない
 6. 入国後、中国国家の安全・利益を脅かすその他活動を行う恐れがある

(編集KM)

「人民網日本語版」2008年6月3日
 あれー、ハンセン病ってまだ隔離が必要なんだっけ?
posted by s19171107 at 20:20| Comment(2) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月03日

更生教育プログラムの効率化が先決

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20080602/CK2008060202014291.html
 山口県光市母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さん(32)が1日、「犯罪被害者の現状と必要な支援」と題して岐阜市のじゅうろくプラザで講演した。

 犯罪被害者の支援活動をしている「ぎふ犯罪被害者支援センター」が主催。会場には約900人が詰めかけた。

 本村さんは「事件から10年目で、まだ裁判をやっている。これだけ長い時間裁判を聞き続けるのは疲れる。早く結果を知りたいのが被害者」と裁判の迅速化を要望。少年法については「理念は正しい」としながらも、「罪を軽くして早く社会に戻すのが必ずしもいいわけではない。最初に軽い罪を犯したときにきっちり更生教育をし、再犯防止を」と訴えた。

 本村さんは来年5月から始まる裁判員裁判についても言及。裁判の迅速化も期待できることから「賛成」という。「裁判員を1度やった人には一生忘れられない経験になるはず。事件から教訓を学ぶという意味で、とても大事」と述べた。「今まではプロへの押しつけだった。市民が参加することで民主主義の実現が一歩前進するのでは」と期待を込めた。

 本村さんは1999年4月、当時18歳の少年に妻の弥生さん=当時(23)=と長女の夕夏ちゃん=同11カ月=を自宅で殺された。元少年は4月に広島高裁差し戻し控訴審で死刑判決を言い渡され、上告中。
 うんうん、偽造テレカとか餅泥棒とかね。。。

罪を軽くして早く社会に戻すのが必ずしもいいわけではない。最初に軽い罪を犯したときにきっちり更生教育をし、再犯防止を
 軽い犯罪を犯したときに、きっちりと更生教育をさせ、再犯を防止するという主張は至極真っ当なご意見です。しかしながら、本村氏の今までの発言等を踏まえると、この「きっちり更生教育をさせる」というのは、厳罰を以って更生させるという意味なのではないだろうかと推測できます。しかし、厳罰(一般的には長期懲役刑)が「更生」に繋がるかといえば、そうとは限りません。

 当方は、教育関係(特に「ゆとり教育」関係)の記事の度に指摘してきましたが、どうも日本人の皆様におかれましては、「教育水準」だとか「学力」だとかを向上させるためには、「時間数」を増やすことばかりに考えが回るようです。我が家でもときどき「教育」について食卓の話題に上るのですが、私の父(1950年代生まれ)も、「勉強は、やった時間だ!手際とか効率とかは余り関係ない!」と(何の根拠があるのかは知りませんが)断言しています。しかしながら、「フィンランド教育」の例などを見てみると、必ずしも「時間数」ではないことは明らかであり、やはり、「学力」とは第一に「効率」であります。

 さて、刑務所における「更生」というのは、「更生教育」とも呼ばれるように、これも一種の「教育」であります。つまり、闇雲に厳罰(≒長期懲役)を科しても余り意味はありません。むしろ、その間の受刑者の生活費などを考えると、さっさと更生させて社会復帰させたほうが得策であります。

 昨今は、厳罰化が盛んに喧伝されていますが、更生教育プログラムの効率化こそ厳罰化より前に求められることではないでしょうか。

市民が参加することで民主主義の実現が一歩前進するのでは
 直接民主制ですか?悪いですが私、直接民主制ほどアホな政治形態は無いと思いますよ。なぜなら、高度に社会が発展し、その運営には専門的な知識が必要である昨今においては、専門的知識が一切無い一般人には、その運営は無理だからです。だからこそ、「間接民主制」という形で専門家に委任しているわけです。

 更に、一般人というのは俗物です。大局的見地からの公平性なんて正直、如何でもいいと思っています。プロ意識の高い方々におかれましては、「そんなことはない!我々だって大局的に考えている!庶民をバカにするな!」という反論もあるかもしれませんが、そんなもんです。素直に認めましょう。

 さて、こんな知識も無い俗物が直接参加したらどうなるでしょうかね?古代ギリシア民主制の末路なんか見ると面白いかもしれませんよっと。

司法関係関連記事一覧
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posted by s19171107 at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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