米国:「児童レイプに死刑」の州法は違憲 連邦最高裁判決例によって「世論」を幾つか。その前に、以下のご紹介する「世論」の中には、この程度の記事内容すら正確に把握できていないアレな人がいらっしゃるので、今一度、記事の核心を押さえておきます。
【ニューヨーク草野和彦】米連邦最高裁は25日、児童レイプ罪に死刑の適用を認めているルイジアナ州法について、違憲とする判決を出した。「人に対する罪では殺人以外に死刑を適用すべきではない」との判断からだ。最高裁は近年、死刑の対象を限定する傾向にあり、今回もこれを踏襲する形になった。
判決は、同州で98年にパトリック・ケネディ被告(43)が義理の娘(当時8歳)をレイプした事件を巡るもの。1審で死刑判決を受けた被告は「残虐で異常な刑罰」を禁じた憲法修正8条に州法が違反するとして控訴。州最高裁が昨年、1審を支持したため、被告は上訴していた。
児童レイプ罪に死刑の適用を認めていないのは全米50州中40州以上に上る。連邦最高裁判決は5対4の多数で「児童レイプ罪に死刑を認めないのが、国民的合意」と判断した。ただ、この日の決定は「国家反逆などの罪への死刑適用には影響しない」とした。
72年に死刑を違憲とした連邦最高裁は76年に一転、合憲と判断。一方で05年までに、知的障害者や未成年を被告とする事件については「いかなる犯罪でも死刑は違憲」とした。レイプ罪の場合は77年、被害者が大人であれば死刑は違憲としたが、児童については判断していなかった。
米国内で殺人罪以外で死刑が執行されたのは、64年の強盗罪の被告が最後。また、現在収監中の死刑囚約3300人のうち、殺人罪以外はケネディ被告と、同様に児童レイプ罪の男の2人のみだった。
毎日新聞 2008年6月26日 10時41分(最終更新 6月26日 12時06分)
・児童レイプ犯に死刑はやりすぎ
・でも殺人犯に対する死刑はおk
・国家反逆罪も直接的に殺人はしていないけど死刑でおk
以上です。
つづいて、本判断に対する私の見解。私としては、米連邦最高裁の本判決について、以下4点より支持します。
第一に、刑罰というのは本質的には国家権力による人権の制限であります。本来、人権の制限というのはいかなる場合でも許されるべきものではありませんが、「犯罪者」に限って言えば、制限されるに見合う罪を犯したからこそ『国家権力による正当な人権制限』と認識されるのです。しかしこれは、逆に言えば、罰しすぎは『国家権力による不当な人権制限』となります。
つまり刑罰というものは、常に「罪と罰の均衡」を図らなければならず、「罪と罰の均衡」が成り立っていない場合、それは「新たな犯罪」(罰が軽すぎる場合も含む)であります。その点、私としては、「レイプ」という犯罪と「死刑」という刑罰の間には、ちょっと溝が広すぎ、これは「新たな犯罪」であるように思えてなりません。
第二に、既に問題を起こしたにもかかわらず、その落とし前をつけていない人が好き勝手されるのは社会秩序を維持する上で大きな問題です。その点、社会の秩序維持という観点から、刑罰、すなわち「その人の人権を制限すること」は必要です。しかし、先にも述べたとおり、刑罰というのは本質的には国家権力による人権の制限であり、本来、人権の制限というのはいかなる場合でも許されるべきものではない以上、刑罰は「必要悪」、必要最低限であるべきだと考えます。
その点、やはり「レイプ」という犯罪に対する「死刑」という刑罰は、必要最低限を逸脱するものだと思えてなりません。
第三に、死刑というのは、ある人物を抹殺することです。つまり、その人に対してそれまで行ってきた、義務教育をはじめとする社会的投資が完全に無駄になることを意味しています。その点、強姦犯は性的な志向には問題あるかもしれませんが、その他の点においては問題があるとは限りません。
あらゆる「犯罪」に対して「現行犯逮捕・即時処刑」を科してきたポル・ポト派の末路を今一度、思い起こさねばなりません。安易な処刑は長期的に見れば社会にとっての不利益です。
第四に、刑務所も暇じゃないんですよ。無意味に重い刑を科すことは、刑務所に必要以上の負担をかけさせることであり、それは刑務所全体の機能低下をもたらします。
それではドウゾ。
性犯罪は再犯率高いので、死刑が妥当だろっ!!単に去勢で事足りるのでは?必要以上に重い罰を科すことについての問題点については、先にも述べたとおりです。
被害者の気持ちを考えたら尚更ね。
代案があるとしたら
【自我崩壊するまでアッー】の計とかかな。
死刑制度賛成派といえば「受刑者の生活費が勿体無いから死刑にしろ」が合言葉となっているくらいですから、さぞ、社会的損得計算に明るいもんだと思っていたんですが、案外、目先のことしか考えていないんですね。
また、被害者の気持ち云々と、この手の主張では良く見られる記述がありますが、「かわいそうな被害者」だからといって何でも許されるべきでしょうか?よく、刑事裁判における「被告人の不幸な生い立ち」を理由にした弁護に対して「不幸なら何やってもいいのか!」という非難が、それこそこの手の方々の口から聞かれますが、その点との関係についてはいかがお考えなんでしょうか。
私はずっと以前からレイプ犯には極刑をと言い続けている人間なので、違憲というのはちょっと納得できない気持ち。純粋な疑問ですが、では、強姦行為者を死刑という形で抹殺して、「心の傷」というのは消えるんでしょうかね?
まぁ、なにがなんでも死刑にしろという法律は行き過ぎなのかもしれないが、死刑という選択肢をなくしてしまうことはないと思う。
被害にあった側からすれば、いっそ殺してくれた方がよかったという気持ちすらある人もいると思う。レイプとはそれほどの恐怖であり、消えない心の傷であると思う。まして幼児であった場合・・・。
いくら人を殺めていないからといって、じゃあそれ以上の犯罪はないのか?といえば、そんなことは決してないのである。
(死刑は)抑止力にもなりますよね?法律云々の以前に、レイプ犯を殺すことは最早、応報の域すら越しており、ただの殺人です。「かわいそう」な人の「気を治める」ためには応報すらも無視できるって、これを認めたら、もうやりたい放題だと思うんですがね。
犯罪者の人権?
うるさいってば
もし私の愛すべき妹達がレイプされたら
私は相手に極刑を望みます
てより殺したいかも
死刑廃止するなら遺族がスッキリするような拷問をさせてくれるのかな?
まぁ何をしても気は治まらないと思いますが…
死ぬより怖い目に合わせてやりたいよね
また、「スッキリするような拷問」とありますが、まともな人間に拷問はできませんよ。どうせ誰かにやらせて、自分は離れたところから「あいつは今頃、苦しんでいる頃だウシシ」と黒い欲望を満たしているのが関の山でしょうね。自らの手で被害者をボコボコにする、所謂「快楽殺人犯」のほうが、よっぽど堂々しているのは気のせいですか?
上記記事コメント欄に投稿された以下の書き込みはもっと酷い。
私も死刑賛成です。近頃反対派が喧しいですが、あの連中はこんな事例でも反対するのでしょうね。ちょっとまて、「こんな事例」というが、強姦事件に対する死刑適用が違憲だって話であって、強姦致死とは書かれておらんぞお前。
一度家族を殺されれば考えも改めるでしょうがね。
さて、いかがだったでしょうか。当ブログでは今まで、数多くの「感情屋」の言説を収集してきました。それらの多くは、感情的になりすぎたがゆえに社会的必要性を完全に無視した、一時的な報復感情を満たすだけの「その場しのぎ」ともいえるような主張ばかりでしたが、それらの殆どは、自論の根拠として「応報」という考え方を基盤としていたため、ある程度の説得力があり、私としても、反論を書くのにちょっと苦労しました。
しかし、今回収集した言説は、もはや応報の域すら大きく逸脱しており、道徳的にも認められるものではない「新たな犯罪」です。私としましては、もうちょっと感情屋の方々はマトモだと思っていたのですが、どうやら想像以上にアレなようです。
昨今、「犯罪者」の中でも特に「殺人犯」を、あたかも異質な「人間の形をしているが人間ではないモノ」のように扱う風潮が根強くあります。しかし今回ご紹介した、最早「応報」の域を大きく逸脱し、単に気に入らない奴を痛めつけたいがための軽々しい「死刑」を求める言説を聞いていると、決して「殺人犯」というのは、異質な存在というわけでは無いように思えてなりません。
誰でも「殺人犯」の素質はある。誰でも「殺人犯」になりうる。「一般人」と「殺人犯」の差は、単に黒い欲望が表に出てきたか否かなだけ。だからこそ、刑事裁判の場においては、どうして被告席に座っている人物だけがその黒い欲望を表に出してしまったのかについて、あらゆる角度から検証が必要なのです。そして、その検証のためには、被告人の利益を第一に考えるサポーターとしての「刑事弁護人」が不可欠。
刑事裁判に関する理解を深めるためには、そもそも「刑事被告人」が異質な存在ではなく、もしかしたら自分が被告席に座っているかもしれないということについて理解を深めることが第一歩なのかもしれません。
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