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2008年08月30日

八戸母子3人殺害事件が何故か盛り上がらない

20日に逆送、29日に起訴されました。20日の決定に関する記事と29日の起訴に関する記事をそれぞれ1本ずつ保存します。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080821ddm012040006000c.html
>>> 青森・八戸の3人殺害:長男の逆送決定 青森家裁「保護処分の限界超す」
 青森県八戸市で1月、母子3人が殺害された事件で、殺人などの非行事実で家裁送致された無職の長男(18)について青森家裁は20日、責任能力を認めたうえで「保護処分により処遇する限界を超えている」として検察官送致(逆送)を決定した。

 決定で小川理佳裁判長は「長男は資質上の問題を抱えているとみられるが、統合失調症でみられる幻覚や妄想の症状はなく、犯行時は意識障害に陥っていなかった」として責任能力を認定。「犯行態様は残忍で猟奇的とはいえ、書いた文章や空想の内容に照らせば一貫している」と指摘した。

 長男は地検、家裁双方による精神鑑定を受け、鑑定医はいずれも「治療が必要」とした。地検側はこれを受けて「人格障害はあるが、刑事責任能力はある」。家裁側は「精神疾患があり、責任能力は完全に失われていた」と判断が分かれていた。小川裁判長は検察側の鑑定結果を採用。「医療措置で性格などを改善する可能性がないとは言えないが、資質上の問題が根深く、不都合な現実は否定したり、空想に逃避するなど矯正教育には困難が伴う」と判断した。

 医療少年院送致を求めていた付添人の猪原健弁護士は「保護処分の範囲内で矯正は可能。家裁は責任を放棄した」と批判した。

 決定によると、長男は1月9日、同市根城(ねじょう)の自宅アパートでパート従業員の母(43)と中学3年の次男(15)、同1年の長女(13)=いずれも当時=の首をサバイバルナイフで切って殺害、アパートに放火した。【矢澤秀範、喜浦遊】

 ◇まず罪の理解必要−−沢登俊雄・国学院大名誉教授(少年法)の話
 家裁は罪の意識が希薄な状態で医療と矯正を施しても効果はないと判断したのだろう。少年が刑事裁判を受ける中で罪を理解できた時点で、家裁へ再送致し保護処分にしてもいい。罪を認識することが医療、矯正の大前提だと考えたとすれば、家裁の決定は正しい。

==============

 <処分決定要旨>

 青森家裁の決定要旨は次の通り。

 ◆責任能力

 何らかの資質上の問題を抱えていたとみられるが統合失調症でみられる幻覚、妄想などの症状はなく本件前後の記憶の状況などからも幻覚、妄想に支配されていたり、意識障害に陥っていたりしたものではない。犯行態様もまったく了解不可能ではなく一貫して合目的的である。

 ◆動機・態様

 3人に対する殺人は少年法20条2項のいわゆる原則検察官送致事件に該当する。動機について、少年は分からないなどと述べて具体的に語らない。しかし、家族への愛憎や疎外感、閉塞(へいそく)感などを募らせてきたが、資質的な要因などのため、そうした感情を十分に自覚し適切に表に出すことができず明確には意識されない攻撃性、衝動性として内面に蓄積され、殺人衝動として自覚されるようになった。一方、空想で殺人や死体損壊の疑似体験を繰り返し何らかの契機で飛躍的に高まった殺人衝動が家族に向けられ、殺人や死体損壊の行為を実現させるに至った。

 ◆少年の特質

 少年は、現実感に欠ける姿勢に終始し、いまもナイフに対する強いこだわりを示すなど真摯(しんし)な反省の情は見受けられない。適切な医療的措置などを施すことで改善する可能性がないとはいえない。しかし資質上の問題性が根深いうえ自己に不快なことや不都合な現実は否定したり空想に逃避したりする構えを強くしていることからすると、矯正教育には困難が伴うことが予想される。

 ◆結論

 犯行は極めて悪質で遺族らの被害感情も強く、社会に与えた影響も大きい。少年に有利な事情を最大限考慮しても、保護処分によって処遇する限界を超えているといわざるを得ない。

毎日新聞 2008年8月21日 東京朝刊
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http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY200808290235.html
>>> 八戸母子殺害、18歳長男を起訴 家裁が逆送
2008年8月29日17時10分

 青森県八戸市で1月、母子3人がナイフで首を切りつけられて殺害された事件で、青森地検は29日、青森家裁が検察官送致(逆送)を決めた長男の少年(18)を殺人や死体損壊など四つの罪で青森地裁に起訴した。弁護側は無罪を主張する方針で、あらためて精神鑑定を求める。

 この事件では、青森家裁が今月20日、犯行の冷酷さや社会的影響などから「保護処分によって処遇する限界を超えている」として、少年の逆送を決定した。
<<<
 本件は、被害者家族であると同時に加害者家族でもある少年の実父は「おまえ死刑になれ」とは確か言っていたと思う(記憶が曖昧)し、20日づけの決定でも「遺族らの被害感情も強く」と書かれているにも関わらず、なぜか「世論」からは「被害者と遺族のために死刑を!」という声が余り聞かれません。それ以前に、本件に関する「世論」そのものが殆ど無いと言った有様です。「家族だろうがなんだろうが結果論で見れば死刑」という、信念のある死刑推進派が若干いましたが、全体から見れば、やはり全然盛り上がっていません。
 2月16日づけ「「光市事件」と「八戸事件」のメディアにおける扱いの違い」のコメント欄においても話題になりましたが、やはり、「身内殺し」というのは、「世論」を沸騰させるのには力不足であることは本当なのかもしれません。

関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2008年08月26日

裁判員制度:またまたご冗談をw

 少々遅くなりましたが、一応メモっておきます。

http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY200808200282.html
>>> 「裁判員制度、予定通り開始を」 日弁連が緊急声明

 来年5月に始まる裁判員制度を前に、野党から「国民の理解が不十分だ」として施行の延期を求める意見が相次いだことを受けて、日本弁護士連合会の宮崎誠会長は20日、「新制度で戸惑いがあるのは事実だが、延期すれば、欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続くだけだ」として予定通りの開始を求める緊急声明を発表した。

 声明は、「捜査も裁判も官のみが行う状況ではチェックが働かず、冤罪はなくならない」と指摘。「これを変えるためには、市民に裁判に関与してもらうことが不可欠」と国民に理解を求めている。

 裁判員法は04年に全会一致で成立したが、今月に入って共産、社民の両党が制度の延期を求める見解を発表。民主も幹部が見直しの必要性に言及している。
<<<

 以下、日弁連サイトより
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/080820.html
>>> 最近、一部から、来年5月21日から施行される裁判員制度の施行時期を延期すべきではないかという意見が表明されています。

しかし、当連合会は、刑事弁護を担ってきた立場から、また、国民の司法参加を願ってきた立場から、裁判員制度が予定通り実施されるよう強く求めます。当連合会は、裁判員制度実施に向けて、今後とも万全の体制で準備にあたります。

人質司法と言われるように密室の中での違法不当な取り調べが横行し、自白しないと保釈が許されない、いったん虚偽の自白をすると、撤回が許されず、捜査官が作成した膨大な調書のみが積み重ねられます。そして、99.9%が有罪判決であるという状況の下で、裁判官は有罪判決を下すことに慣れてしまい、有罪判決を書くための要素のみを無意識にピックアップしてしまうおそれがあります。捜査も裁判も官のみが行う状況ではチェックが働かず、一向に冤罪はなくならないのです。

今回の法改正で、公判前整理手続が導入され、弁護人の活動により、捜査側の手持ち証拠が広範囲に開示されることになりました。再審開始決定された「布川事件」のような冤罪事件で問題になった捜査側の証拠隠しの防止のためには大きい改善であり、裁判の充実にも良い結果をもたらしています。

しかし、人質司法や調書裁判という刑事裁判の根本的な欠陥はそのままです。

これを変えるためには、市民のみなさまに裁判に関与していただき、無罪推定の大原則の下、「見て聞いて分かる」法廷で判断していただくことが不可欠です。

「見て聞いて分かる」法廷では膨大な調書は存在できませんし、捜査も自白よりも物的証拠や科学的な捜査を重視する方向に向かわざるを得ません。

市民のみなさまにはご負担をおかけしますが、是非とも裁判員裁判に参加していただき、みなさまの健全な社会常識を司法の場に生かしていただきたいのです。

事前のアンケートでは不安を覚える市民の方が多いという報道がなされています。

この点、同じ市民が司法に直接参加し、検察官の不起訴の判断の妥当性を判断する検察審査会では、守秘義務を負いつつも、多くの市民が日常生活を中断して参加されていますが、参加前のアンケートではやはり多くの市民の方が参加に消極的です。しかし、一度審査員を経験された後では、実に96%の市民の方が「参加して良かった」と言う御意見に変わっています。諸外国でもこのような傾向は同じです。裁判員制度は誰もやったことがなく情報も少ないためご不安を覚える方も多いと思いますが、問題のある刑事裁判を良くするために是非ともご参加をいただきたいと考えています。

もちろん、今の裁判員裁判制度に改善すべき点がないというわけではありません。また取調べの可視化(取調べの全過程の録画)なども極めて不十分です。しかし、裁判員制度を実施することによって、改善すべき点は改善し、また、取調べの可視化(取調べの全過程の録画)をさらに広げたり、調書裁判の弊害や人質司法の弊害を改善する動きを進めていくことが大切です。裁判員裁判を延期したのでは何よりも根本的な欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続く結果となるだけです。

多くの冤罪弁護事件を支援し、刑事弁護を担ってきた当連合会は、裁判員制度を延期して今の刑事裁判を継続するのではなく、この制度を実施の上、欠点があれば、実施状況を見ながら改善していくという方法で進めるべきであると考えます。

世界に誇れる刑事裁判の実現に向けて予定通り実施されるよう、ここに改めて強く求めるものです。
<<<
 上記会長声明について幾つか所感。
>>> 人質司法と言われるように密室の中での違法不当な取り調べが横行し、自白しないと保釈が許されない、いったん虚偽の自白をすると、撤回が許されず、捜査官が作成した膨大な調書のみが積み重ねられます。そして、99.9%が有罪判決であるという状況の下で、裁判官は有罪判決を下すことに慣れてしまい、有罪判決を書くための要素のみを無意識にピックアップしてしまうおそれがあります。 <<<
 じゃあ、陪審員制度でもいいんじゃないですか。

>>> 捜査も裁判も官のみが行う状況ではチェックが働かず、一向に冤罪はなくならないのです。 <<<
 あれ、でも「裁判官の助言」がいたるところで出てくるんですよね?それに捜査は依然として「官のみが」行うし。。。何を仰っているのかいまいち飲み込めない。

>>> しかし、人質司法や調書裁判という刑事裁判の根本的な欠陥はそのままです。これを変えるためには、市民のみなさまに裁判に関与していただき、無罪推定の大原則の下、「見て聞いて分かる」法廷で判断していただくことが不可欠です。 <<<
 またまたご冗談をw一番「推定有罪」思考なのは「市民のみなさま」ですよww残念ながら。その点、6月13日づけ「珍しく4様と同意見」においてご紹介した、以下に再掲する4様の視点は、「珍しく鋭いな」と改めて思う次第です。
>>> 裁判員制度についてはよく分りませんが、日本人のような情緒的な国民には不適切な制度だと思います。集団催眠にかかりやすく、こいつは極悪だと思ったら、冷静な判断せずに重刑を言い渡す危険があります。 <<<

 戻ります。
>>> 「見て聞いて分かる」法廷では膨大な調書は存在できませんし、捜査も自白よりも物的証拠や科学的な捜査を重視する方向に向かわざるを得ません。 <<<
 精神鑑定みたいな、ややこしくって取り扱いが面倒な科学的証拠はどうなるんですか。

>>> 一度審査員を経験された後では、実に96%の市民の方が「参加して良かった」と言う御意見に変わっています。 <<<
 通販の販促じゃないんだからwwwwwwwwww

>>> もちろん、今の裁判員裁判制度に改善すべき点がないというわけではありません。また取調べの可視化(取調べの全過程の録画)なども極めて不十分です。しかし、裁判員制度を実施することによって、改善すべき点は改善し、また、取調べの可視化(取調べの全過程の録画)をさらに広げたり、調書裁判の弊害や人質司法の弊害を改善する動きを進めていくことが大切です。裁判員裁判を延期したのでは何よりも根本的な欠陥を抱えた現行の刑事裁判が続く結果となるだけです。 <<<
 何も裁判員制度じゃなくても出来るような気が。。。

 うーん、一層訳わかんなくなってきたよママン

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 00:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

誰のために?

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4384116
http://ameblo.jp/47-47/entry-10130637956.html
原爆ドームの前でコスプレ(?)で踊っている方の動画と当人のブログです。なんか「不謹慎だ」とかいう反発が多く見られます。
>>> 原爆ドームは戦争の悲惨さを伝える重要な文化財です。そのようなところでダンスをするとは・・・
少し不謹慎ではありませんか?遺族の方に申し訳なく思わないのですか?
<<<
>>> お前らみたいなやつが広島を汚すんだよ
勘弁してくれ。
やるんだったら戦争の被害を受けなかった
京都でやってくれ。

とりあえず戦死者を冒涜するような行為だけは慎め。わかるかな?



君は
昔で言う「非国民」
だよ
<<<
>>> 広島で原爆の被害にあった方々を冒涜するような真似が
よく平気で出来ますね
自分達が楽しければそれでいいんですか?
なんとも思わないのですか?
<<<
>>> わざわざ原爆ドームの前で踊ったとかを言うのは
被爆者に対しての冒涜ではないだろうか
原爆舐めてんのか
人がいっぱい死んだ場所じゃない
人が死んだからあるんだ
広島長崎日本から出てけ、独島でもいってろ
<<<
>>> 別に踊り自体は嫌じゃないけども

そんな場所でよく「ふざけた行為」が出来るよな

様々の戦没者達に申し訳無いと思わないの?
<<<
>>> じゃあわざわざ動画の画面内に原爆ドームを映す必要もないよね?
自分の家族が死んだ場所を映されながら歌だの踊りだのそれを面白おかしく動画に撮るだの
そんなことされた人の気持ち考えたことあるか?
理解できんバカはお前だろ



理解できんバカがいるようなので何度も書きますが

ここは広島平和記念公園です ここでひろしまフラワーフェスティバルなどの
イベントが開催されています  パレード・きんさいYOSAKOIのダンス・フラワー
歌手による歌が演じられてます ここはれっきとしたイベント会場です ストリー
トパフォーマーが普通にパフォーマンスやってます

ここはお墓でも追悼施設でもなんでもありません 公園です 歌・ダンスを披露する
こともできます そういう場所です
<<<
コメントが1000件以上も寄せられており、そして、その内容は殆ど「金太郎飴」状態、つまり、似たような書き込みが大量になされています。

 私としましては、「追悼」において最も大切なのは「追悼する気持ち」であって、その仕方というものは人それぞれであり、葬式参列者みたいな顔して手をあわせるだけが「追悼」ではないと考えます。その点、本件が一概に「悪い」とか「死者に対する冒涜」とは言えないと思います(もちろん、即決支持もできず、言うならば立場保留)。同様に、毎年8月15日に靖国神社で「遊んでいる」、栗林白岳のコスプレ(これが炎上して栗林が炎上しないのは何で?)についても、もう一度、その是非について、「栗林に追悼の意志はあるといえるか」という点から考えてみる必要性を感じました。まあ、究極的には本人に聞くしかないんですけどねwwwwwww

 それはさておき、余りに金太郎飴過ぎて全ては見ていませんが、批判的の中で、ある書き込みに注目しました。
>>> ありえない。

私も広島には修学旅行で行った。原爆ドームを見学して涙が止まらなかった。
高校生が修学旅行で来てるのなんて当たり前だろ。時期を考えろ、時期を。
それ位も考えられないのかよ。

失望しました。
<<<
 「死者に対する冒涜だ」とか「不謹慎だ」とか色々理由を取ってつけては批判している書き込みばかりですが、結局のところ、「自分が不快だからやめろ」というモノのようです。つまり、本件に対する批判の根幹の思考回路は、「もはや何も語ることの出来ない"死者"のためを標榜しながらも、実際に不快感を感じ、行為をやめてほしいと感じている主体は、被害者でもなんでもない批判者本人であるという点であると言えましょう。

 これと類似した構造に、殺人事件などに対する「こんな奴は被害者のために死刑にしろ」という「世論」があると思います。当ブログでは何度も、こういう「世論」をご紹介してまいりましたが、あの手の「世論」は(被害者本人は当然のことながら)遺族が何か発言する前から「被害者」や「遺族」のためを標榜しています。殺人事件などに対する「被害者のために死刑にしろ」という言説も、結局のところは本件に対する批判と同じように、「自分のために」というものなのでしょうね。
posted by s19171107 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

どん底から這い上がる「自己責任」?

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080823-OYT1T00426.htm
>>> ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ
 厚生労働省は23日、「ネットカフェ難民」の就労を支援するため、公共職業訓練の受講を条件に、訓練中の住居・生活費として月15万円を融資する制度を2009年度に創設する方針を固めた。

 年収150万円以下の受講者は返済が免除されるため、実質的には給付となる。09年度予算の概算要求に関連予算1億円を盛り込む。

 ネットカフェ難民は住居がなく、定職にも就けずにいることで、低収入で不安定な生活を余儀なくされ、これが、就労を一層難しくするという悪循環に陥りやすい。厚労省の昨年の調査では、全国に約5400人いると推計されている。

 新制度では、雇用・能力開発機構の「技能者育成資金」を活用し、職業訓練受講者に月15万円を貸し付ける。訓練は座学と企業実習を組み合わせた「日本版デュアルシステム」と呼ばれるもので、期間は3〜6か月。収入が得にくい訓練期間中に住居・生活費を手当てすることで、受講を促し、訓練に専念してもらう狙いがあり、厚労省では「住居と就労機会の両方を確保できる」と期待している。訓練を修了し、かつ、年収が150万円以下であれば返済は全額免除される。対象は、ネットカフェなどで寝泊まりしながら日雇い派遣などで働く30歳代後半までの「住居喪失不安定就労者」を想定しており、厚労省では年間数百人が利用すると見込んでいる。

 ただ、就労意思がない給付金目当ての受講者を防ぐため、厚労省はハローワークの面接などを活用する方針で、「不適当と判断すれば、希望しても訓練をあっせんしない」としている。

 住居喪失不安定就労者は路上生活のホームレスと異なり、自立支援のための特別措置法の適用外で、対策が求められていた。
<<<
 ネットカフェ難民に対して何らかの形での支援を講じないといけないことは確かです。その理念には強く賛同します。しかし、金銭ではなく現物給付にしたほうがより確実だし、何よりも、雇用主体である企業が消極的な以上は、片手落ちというか、あまり実効性が感じられません。また、全国一律15万円だとしたら、地域によっては貰い過ぎだったり、逆に足りなかったりしかねないので、やはり詰が甘いように思います。しかし、先にも書いたように何らかの対策を打つ必要があることは確かなので上手いこと調整してほしいものです。

 それはさておき、今回も「世論」を集めましたが、「いつもどおり」な内容でした。まあ、社会保障関係の「世論」なんて、いつも大体同じようなのが金太郎飴みたいに出てくるんですけどね。幾つかご紹介します。

 おなじみ「自己責任」論について、類似した2つの「世論」を続けて。
>>> えーなんか根本的におかしくない?
ネットカフェ難民
という言い回しにするからおかしいんだとおもうけど。
そもそもその境目はどう分けるのでしょう?

働けない人はどこかやっぱり自分に原因があるのだと思うけどなあ。
そこを直さないと社会では生きていけないとおもうんだけど。
<<<

>>> こう言っちゃなんだけど…、
ネットカフェ難民になったのは、自分の責任でしょう?と。

だったら、そこから這い上がる努力くらい、
自分自身の力だけで頑張って…と言うか、やるしかないと思うんだけど。

自業自得なんだからさ、子供じゃないんだろうし…。

無駄な融資だと思います。
<<<
 自業自得だから自分で何とかしろという、昨今の自己責任論の中でもよく見れる言説です。

 確かに、数多ある社会的階層の中で結果的に低階層に位置してしまった点については、人間は物質世界・集団社会に生きている以上は、その環境に左右されるので、「100%自己責任」とは言い切れませんが、逆に「100%本人に責任は無い」というわけでもないので、私としては、低階層に位置しているという現実については、ある程度の自己責任はあると考えます。

 しかし、そこから「脱出しようとする意欲のある人物」が、実際に「這い上がる」ときにおいても尚、「自己責任」とするのは如何でしょうか。そもそも、こういう人たちは、適切な選択をして自己の前途を開発する能力に欠けているからこそ低階層に居るのであって、そういう人物が「這い上がる」段階においても尚「自己責任」を押し付けるようでは、いつまでたっても「這い上がる」ことはできません。特に「社会」という枠組みにおける個人の人生前途開発能力というのは、人間の本能ではなく、時代の情勢に合致した教育の賜物であり、そして、先人は後輩の人生前途開発能力を鍛え上げることが先人としての責務であるという歴然とした事実を踏まえると、自己の前途を開発する能力に欠けている人物というのは「教育不足」であり、先人の責務放棄であるといえましょう。

 中には「オレが出来たからお前もやれ、できるはずだ。だから支援しなくても良い」という、これまた社会保障関係の「世論」としては典型的な言説があります。確かに「賢い」人はいます。しかし残念ながら、皆がそう上手く見つけられるわけではありませんし、そういう人が自力で「這い上がった」時代とは情勢も異なります。以前から繰り返し申し上げてきているように、人間と社会の関係性、すなわち、ある人物と他者とのかかわりから考えた場合、人間という生き物は社会的な生き物であり、他者との社会的なかかわりが必須であります。つまり、人間は社会集団の一員としてのみ「人間」として生きられることを意味します。だからこそ、人間は社会集団の秩序を守らなくてはならず、社会集団を維持することはすなわち「社会集団の構成要素」である個人を社会集団から欠落させないことも含みます(構成員のいない「社会」なんて「社会」ではない)。その点では、そういう人たちが「賢く」なれるように支援しなくてはなりません。

 「オレが出来たからお前もやれ、できるはずだ。だから支援しなくても良い」という論理を振り回す以上は、しかるべき教育を受ければ誰でも習得できる程度の技術なんでしょうから、ぜひ、自己の前途開発が下手な人が「賢く」なれるように支援してあげてください。技術伝達も立派な自立支援であり、社会保障です。月15万円を支給するより、よっぽど建設的ですよね?

>>> えっと、それで正直に真剣に社会に出て、まともにやってる若人には、何かそれ以上のものが与えられるのか?
救済?自分で選んだ選択に、助ける必要なんて微塵もない。
そのまま、死んでしまえとハッキリ言ってやれ。
そんな奴等に、情けかけて社会的にプラスになるとは微塵も考えられない。
税金の無駄だ。
<<<
 、、、。前述した「ある人物と他者とのかかわり」の必要性から考えるに、まったく失当な意見です。

 また、人生においては、会社がバカな経営者のせいで倒産した、病気で働けなくなってやめざるを得なかった、など様々な落とし穴、自分ではどうしようもない罠が潜んでおり、>>> 自分で選んだ選択 <<<とは言い切れませんし、たとえ自分で選んだとしても、より良い段階へ這い上がる向上心は持ちながらも、実際の人生の前途開発能力に欠けた人物については、そもそも社会はある個人の人生の前途開発能力を鍛え上げる責務を負っている以上は、そういう意欲のある人物に対してしかるべき支援をしなくてはなりません。

 更に、何故社会保障制度があるのかという点から考え場合、社会保障制度の存在意義とは、人生に潜む数多のリスクに対する備えであり、そして、生活困窮者を放置すると彼らが生存のための違法行為を働く可能性がより高まり、結果的に社会不安が増大するために、その危険性をなるべく低減するために行っているのです。これを単純に>>> 情け <<<としか見ることができないというのは頭の中が明治時代から進歩していない証拠です。

 これらの点を含めて考えると、この「世論」は、以上4点全てに対する理解が全く欠如しているといわざるを得ません。

>>> 5,400人を少数派と見るなら、こいつら切り捨ててもいいんじゃないっかな。
改心する気もなさそうだしさ。
<<<
 人間と社会の関係性に対する理解が不十分であるのはもちろんですが、>>> 5,400人を少数派と見るなら、こいつら切り捨ててもいいんじゃないっかな <<<というのはどうしたものか。仮に切り捨てたとして、では彼らはどうなるのか。

 各地でも指摘されており、当ブログでも何度か取り上げている、昨今の殊更の「前科者排除」によって、「表の世界」から締め出された「前科者」たちが、結果的に再犯に走っているという点を含めて考えると、たとえ、「表の世界」から締め出されるネットカフェ難民の数が、1億数千万分の5400人であったとしても、そのうちの幾らかは犯罪に走りかねません。どうせ「厳罰を以って望む」だとか呑気なこと言うんでしょうが、厳罰というのは、言うならば「受身の治安維持」であり「その場しのぎ」です。5400人の切り捨てられた人々のうち、1人を厳罰に処しても、まだ5399人います。自暴自棄になった人物が、後のことを何も考えずにとにかく突っ走ってしまうということは、秋葉原事件で明らかになった通りですし、たとえば最後に一暴れして自殺するとか、そういう「捕まる心配が絶対に無い」犯罪に対しては、「厳罰による抑止力」はまったく効果を持たず、とすれば、もはや「犯罪計画立案に走る根底」と、「犯罪計画達成を許す社会の隙」の両方を解決するしかありません。その点、先にも書いたように「犯罪計画立案に走る根底」を根絶するのが社会保障制度の目標なのです。

 また、このように「少数派だから切り捨てる。お前ら死ね。」というような社会に対しては、帰属心は抱けませんねえ。

 ついでに、「オレの給料よりもらえているから反対」というものをご紹介します。
>>> おい、こら。わたしゃ、とある会社に在住してた時、どんなに働いても、泊まり込みで働いても月15万だったんだぞ。
そんな簡単に15万を出さないでくれ。
もっと他にお金の使い道があるだろうに。。。。税金の使い方おかしいぞ!!!!ゴラァ

こんなふうな使い方されてるんだったら、税金納めたくないよっ!!!本当に政府の人たちって、浮世離れしてるッていうか、普通の庶民のことナーンにもわかってないのな〜。やってられんね。
<<<

>>> 働いたら負けですね。

フリーターより稼げる無職か

今となっては15万そこそこなんて、欲しくは無いが、私の初任給は14万8000円でした。

くそ政策。
<<<

>>> 15万・・・働かなくてもいただけるなんて良い時代ですね
って馬鹿にするなと・・・真面目に働いてる人に失礼です>融資

なんでこう福田内閣は「馬鹿」な政策しかしないんだろう
「今日本は好景気であり、バブル期と同等」とか平気で言っちゃうし
カと思えば逆切れとか・・・こんな政府じゃいい日本は作れません
<<<
 当ブログでも度々批判してきた、典型的な「下にあわせる」発想であります。

 この手の言説を見るたびに、何故、相手の給付が高すぎるんじゃなくて自分の給料が安すぎるという可能性について思考が至らないのかということを不思議に思います。

 まあ、この辺は低賃金労働を選んだあなたたちの自己責任ということでwwもちろん先にも書いたように、何らかの社会環境的制約によって低賃金労働しか道が残されていなかったとか、自分の至らなさでこの職を選ばざるを得なかったけど、もっと良い待遇の職場に転職したいという意欲があるのならば、それは社会としては支援しなくてはいけません。
 また、こういう方々も「社会の構成要素」の立派な一員であり、われわれ「人間」が、真に「人間」であるためには、彼らが社会から欠落しないようにしなくてはなりません。


 このほか、支援の必要性は認めながらも救貧法的発想に至る人もいましたが、時間的関係から割愛します。

 というわけで、「いつもの」展開でした。本当に金太郎飴だなあ。
posted by s19171107 at 14:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

【一部補充】「陳水扁?うちとは関係ないよ」

8月21日23時25分〜8月22日0時15分にかけて公開していたものは、書きかけだったのですが、そのことをすっかり忘れてアップしてましたwwwwwwwwww
本稿は、不足部分を補充し、改めて公開したものです。

http://www.asahi.com/international/update/0815/TKY200808150336.html
>>> 陳・台湾前総統、30億円スイスに送金 資金洗浄か
2008年8月15日21時18分

 【台北=野嶋剛】台湾の民進党・陳水扁前総統と家族が過去の選挙で余った巨額の資金を違法にスイスなど海外に送金したことが発覚し、陳氏は14日に事実を認めて謝罪、15日には民進党からの離脱を表明した。送金額は30億円前後に上る見込みだ。政治献金法違反だけでなくマネーロンダリング(資金洗浄)や脱税などで刑事責任を問われる可能性がある。

 台湾での報道によると、陳氏の長男と長男の妻がスイスに開いた銀行口座に対し、シンガポールの銀行経由で数回にわたって約3100万ドル(約34億円)が振り込まれたとされる。スイスの司法当局が資金洗浄の疑いがあるとして今年7月、台湾に捜査協力を要請したという。

 陳氏の説明によると、資金は94年と98年の台北市長選、00年と04年の総統選で余った選挙資金。管理は妻の呉淑珍氏が担当しており、陳氏は知らされておらず、総統在任中の今年初めに呉氏が陳氏に不正な送金の事実を認めて「退任後の公的な用途に残すためだった」と話したという。

 陳氏は会見で「これ以上自分も他人もだませない。私はかつて法律で許されていないことをした」と述べた。15日には送金額が約20億円だったと発表したが、不明な部分はなお多い。

 台湾検察はスイスに捜査員を派遣、立件に向けて動いており、陳氏らへの責任追及は不可避。官僚の腐敗を監督する監察院も14日、陳氏らの行為が処罰の対象になることを明らかにしている。ただ捜査対象の陳氏の長男とその妻は今月、台湾から海外に出た。

 陳氏の家族をめぐっては、娘婿とその父親が株式のインサイダー取引で逮捕。呉氏の機密費不正流用も発覚して民心の離反を招き、08年総統選の敗北の原因となった。再三にわたる金銭スキャンダルに、党の立て直しに取り組む民進党内からも陳氏を見放す声が相次いでいる。
<<<
 本件に関連して、台湾の急進的独立派が配信している『台湾の声』が、当ブログでは5月10日づけ「『台湾の声』が寝返る」にてご紹介した「陳水扁総統は「隠れ統一派」だった」を、またもや再配信してきました。
http://www.emaga.com/bn/?2008080064265196021319.3407
>>> 件名:「台湾の声」【再掲載】疑惑まみれの陳水扁は隠れ統一派だった

【再掲載】疑惑まみれの陳水扁は隠れ統一派だった

陳水扁の最大の罪は金銭疑惑ではありません。彼の最大の罪は独立の仮面をかぶりながら、台湾を「一つの中国」に縛り付けたことにあります。

この事実を見てみぬふりにした独立派も同罪です。なぜなら、彼らは台湾の主権よりも中華民国体制下の政権を大切にし、独立建国の核心的価値まで捨ててしまったからです。

陳水扁と民進党の汚職体質が国民党と比べれば大したことではないと独立派は今まで彼らを弁護してきました。その通りかもしれませんが、これでは、建国は夢の又夢に終わってしまいます。

夢だけあって、知恵も道徳もない独立派は所詮独立愛好家にすぎません。

陳水扁の金銭疑惑は何よりの証明になります。

本物の独立建国派を喚起するため、以下の論文を再度掲載します。

 台湾の声編集長:林建良(りんけんりょう)

  2008年8月20日

(以下、以前のものと同文ゆえに省略) <<<
 ちなみに本件に関して『台湾の声』編集部は、16日、(陳氏の謝罪から2日後)にまず第一報として、どっかの通信社配信記事を転載しただけのような手短なのを配信し、続いて19日朝に、とんでもない結論を導く、ものすごい記事を配信し、本引用元記事が第三報となっています。第一報が2日も遅れた点、第二報に3日かかった上に物凄い結論をこじつけた点、第三報である本引用元記事が陳氏と自己の「違い」を改めて強調している(陳氏を切り捨てている)点、如何でもいい中国叩きの記事は即日配信する普段の「機敏さ」を思い起こせば、『台湾の声』編集部が、本件について一体どうやって反応すればよいのか困っている有様が良く分かります。

 ところで、では、どうして『台湾の声』はここまで大混乱に陥っているのでしょうか。もちろん、私は編集部の人本人ではないので以下は憶測に過ぎませんが、私としましては、『台湾の声』編集部としては、批判勢力が本件と独立運動を結びつけて政治宣伝に利用する前に、陳氏を台湾独立運動から切り離して独立運動に対する影響を少しでも和らげようとする意図にもとづいて、今回の論文を再掲以って、陳氏を切り捨てようとしているのではないかと考えます。

 しかし、陳氏も「台湾独立」の看板を掲げております。人間、「同志」には甘いもので、たとえ見かけだけであっても類似した主張や共通項のある運動に従事している人に対しては、余り批判を加えたくないものです。もちろん、そういうのは人にもよりますが、少なくとも『台湾の声』編集部の中の人は、あれだけ普段は「いやらしい中国人」とか「シナ人は不道徳」とか言っているのに、「反中共」という一点においては、むしろ中国人と積極的に連帯し、その反中共運動を応援してきました。もちろん、「いやらしい中国人」なんて批判は一切無しに。その点、「台湾独立」の看板を出している陳氏も、広い意味では「同志」であり、いつもの思考回路に従えば、余り批判したい対象ではないと思われます。

 しかしこのたび、かの徹底的な決別の論文を再配信したということは、深層では何かあるのでしょう。その点では、「防衛線としての陳氏切り捨て」というのは表面的現象かもしれません。

 また、そもそも本件と台湾独立運動はまったく別次元の問題であり、たとえ批判勢力が政治利用したとしても、「批判勢力は関係ないことをもこじつけて攻撃してくる形振り構わぬ連中」として、有力な反撃の材料にさえなりえるのに、むしろ自分から積極的に本件と台湾独立運動を、ある意味において「結びつけ」てしまっており、ここにも編集部の人の思考回路の深層において、何かありそうです。

 では、深層における要因は何でしょうか。これについて私は、以下2点が複合して起きたものではないかと考えます。すなわち、

1.陳氏に対する「台湾独立運動の同志」という「期待」の裏返しとして生じた「憎悪」が積もりに積もり、いよいよ限界点に至りつつあった。

2.当ブログでも5月8日づけ「政治問題における日本人の単純思考」をはじめとして何度も指摘してきている、ある人物や集団に対する認識・評価が一面的・「全体的」すぎる思考回路、すなわち、ある人物の人格や集団の特徴の一面だけを取り上げて、あたかもそれが全てであるかのように喧伝し、関係ない面までも無理に結びつけて評価するという思考回路が、陳氏の個人的問題行動に過ぎない本件と台湾独立運動を自分から結び付けてしまった、本来分けて考えるべきものを分けられなかった。(当方はこの現象を、数々の"世論"を分析してきた経験から「日本人に見られる現象」として定義してきましたが、もちろん、この場合は「日本人」ではなく「台湾人」です)

 つまり、そもそも「隠れ統一派」論文は、「台湾独立」を掲げていた陳氏と民進党に一時は期待していた『台湾の声』編集部であったが、事態は期待していた方向に進まず、期待が大きかっただけに失望も大きく、その失望が憎悪に転化したために書かれたものであった。そんななか今回の不祥事が明らかになり、持ち前の「人物評の一面性」がフル回転し、「陳水扁我が独立陣営の旗を汚した悪い奴」として、敵対視がより一層強固になった。また、批判勢力が本件と台湾独立運動を結びつけて政治宣伝に利用する前に何らかの形で陣営を守る防衛線を張る必要があった。本来は、「本件と独立運動は無関係。陳氏はしかるべき処罰を受けよ。」で済むところを、これもまた持ち前の「人物評の一面性」がフル回転し、「陳氏を切り捨てて陣営を守らなくてはならない」という思考に至った。同志を批判するのは人間心理としては抵抗があるが、先にも書いたように、陳氏・民進党は『台湾の声』編集部にとっては最早「憎悪」の対象でしかないがために、批判することについて特に抵抗感もなく、むしろ、徹底的に叩くことができた、というものです。

 まあ何にせよ、『台湾の声』ヲチャーにとっては「衝撃」であり「笑撃」であった『陳水扁総統は「隠れ統一派」』論文を、陳氏個人の金銭問題という、台湾独立運動そのものとは全く関係ない文脈で無理にこじつけて再掲してしまったのは、大失敗ではないかと思うと同時に、彼らの思考回路が何となく見えたように思います。

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2008年08月21日

突然甘くなった「前科者」への扱い

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080820-00000128-jij-soci
加藤医師「きちんと判断、ほっとした」=現場復帰に意欲も−帝王切開死、無罪判決
8月20日17時15分配信 時事通信

 福島県立大野病院(同県大熊町)の帝王切開死事故で、福島地裁の無罪判決を受けた加藤克彦医師(40)は20日午後、福島市内で記者会見し、「ほっとした。裁判所は真剣に審議し、きちんとした判断をしてもらった」と述べた。今後は産婦人科の現場に復帰する意思を明らかにした。
 加藤医師は会見冒頭、手術で死亡した女性について、「信頼して受診してもらったのに、家族にもつらい思いをさせてしまい申し訳ない」と謝罪。励ましの手紙や電報、支援者に対する感謝の言葉を読み上げ、深く頭を下げた。 
 最近、俄かに医療方面に興味が沸いてきた当方としては実に気になる事件ですが、時間的関係から本件について詳しく研究・論評できないのが口惜しいです。しかし、本件は日本の医療問題において「大事件」であったことは間違いないので、ゆっくりと研究してゆく所存です。いつの日か、医療関係の話題も扱えるブログにしたいです(`・ω・´)

 それはさておき、コメント欄で以下のようなものが、賛同者ポイントを4000点ほど受けていました。
重大ミスを頻繁に繰り返す医師なら復帰は認めたくないが、過去に大勢の妊婦を無事出産させているキャリアのある医師の数少ない過失なのであれば復帰は認めたい。

ただでさえ産婦人科の医師はなり手不足で困っているのに、一度の過失で全てを失う様な高リスクな職業であってもらっては困るので。
 当方が昨今の「前科者(逮捕・受刑経験者)排除」の風潮について反対の立場をとっていることは、当ブログを以前からご覧になっている方におかれましては、ご存知かと思います。これは、以下3点に基づきます。
 一つに、前科者というのは、既に過去に自己が引き起こした問題に対して科された社会的制裁を完了している、つまり、責任を果たしている以上は、以前と同じ権利と機会の下に暮らせてしかるべきである。
 二つに、殊更の前科者の排除は、彼らが「裏の世界」に追い込まれる主因となり、大局的・全体的には社会に悪影響をもたらす。
 第三に、一人の人物を育て上げるためにかかる時間と費用は莫大であるがために、前科者の排除によって得る利益と、それによって生じる各種損失は、多くの場合、損失のほうが上回り、大局的・全体的には社会に悪影響をもたらす。
 つまり、形式主義的な殊更の「前科者(逮捕・受刑経験者)排除」は、損失ばかりが目立つためです。

 以上3点は、冷静に考えればすぐに分かりそうなものであるにも関わらず、昨今の「前科者排除」の徹底さは全く変わる気配がないことは、当ブログにおいても何度も取り上げてきているとおりです。そんな情勢下にもかかわらず、本引用コメントのような、逮捕経験者である加藤医師に対する擁護の言説が4000点もつくというのは、正直、「ちょっと、どうしちゃったのよ」と言ったところです。

 ちなみに私としましては、先にあげた3つの視点から本件を見るに、本判決によれば、そもそも今回の死亡事故は加藤医師の責任ではないがために、当然、社会的制裁は科されず、とすれば加藤医師が「裏の世界」に突き落とされる可能性はとりあえずは低減しております。さらに、一人の医師を育て上げるには本当に莫大な時間と費用がかかるために、今回の一件で加藤医師が医療の最前線から締め出されるとしら、それは余りに損失が大きすぎます。ゆえに、本引用コメントに賛同するものです。

 ところで、「どんな事情があるにしても、結果的に他人を死なせた奴は皆死刑」という論理を振り回していた、綿井・河井トークショーの質疑応答でご紹介した「サトウ」氏のような思考回路をしている方は、本件についてどういう反応をみせるんでしょうか。気になります。

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2008年08月17日

【一部改訂】「再チャレンジ」に対する障壁となる「前科者に対する不安」は如何に打破すべきか

※8月18日21時35分を以って、「昨今の日本社会においては」以降の表現について、一部改訂をしたことをご報告いたします。

 16日づけ「社会的責任を取ってもなお責任追及される」でご紹介した件について、その後も「世論」収集を続けていましたところ、以下のようなものを見つけました。

http://ameblo.jp/hgtohahig/entry-10128000473.html
>>> セクハラでも再雇用されるNHK

さて、先ほどはローカルネタでしたが、今回はセクハラネタっていうか、NHKの不祥事。

NHKセクハラ局長が子会社に再就職 産経新聞
2008.8.15 17:00
 セクハラ問題で昨年4月に解任された元NHK熊本放送局長が今年7月、子会社の「NHK情報ネットワーク」に再就職していたことが15日、分かった。

 元局長は職員らの歓送迎会の2次会で女性スタッフの体に触ったとして解任され、減給処分を受けた。放送総局付となり、同社に出向。今年6月にNHKを定年退職し、同社にエグゼクティブプロデューサーとして再就職した。NHK情報ネットワークは「経験と仕事ぶりから採用を決めた」としている。

NHKでは、不祥事をやっても子会社で再雇用されるのか、ウマー(・∀・)ー!

っと思ったあなた、まだまだ甘いですな!(‐^▽^‐)

じつは、読売新聞 によると、

>万引きで停職3か月の処分を受けた元富山放送局長は依願退職後、NHK本体の考査室で昨年11月から1年間の契約で、番組批評などを行うモニター業務

>出張旅費の不正請求で停職1か月の処分を受け、依願退職した元山口放送局長は、昨年10月から関連団体のNHKサービスセンターで、1年間の契約職員として業務

ということです。

セクハラの方は、エグゼクティブプロデューサーって、エグゼクティブって、役員って意味でしょ?

ただのプロデューサーよりも地位が高いって想像つくけれど、どういうことよ?

しかも、「経験と仕事ぶりから採用を決めた」って(°д°;)

それ本帰かよ。(°д°;)

セクハラの経験とセクハラの仕事ぶりなんて、最悪ジャンヽ((◎д◎ ))ゝ(=◇=;)

んで、万引きで停職3ヶ月くらったの番組モニターって、大丈夫かぁ??

しかも、NHK本体の考査室って、いくらモニターとはいえ,堂々と雇うなよ((゚m゚;)

だいたいさ、出張旅費の不正請求で停職1か月の処分を受けた職員が契約職員に採用されるって,普通の組織じゃ、「あいつは、信用ならん」ってことで、「金輪際,ウチの敷居をまたぐんじゃない!!」ってなるんじゃねぇの?

仮にこの職員が、経理担当だったら、もはや笑うしかないね☆☆

さてさて、これらの職員の「経験と仕事ぶり」というのはどういうものであるのか,面白いですね♪

なーんて場合じゃござんせん。

受信料払うのがバカらしくなってきた。

払ってるの親だけど(爆)
<<<
 要するところは前回記事でご紹介した「世論」と大体同じですが、以下2点が独特です。すなわち、一つに>>> セクハラの経験とセクハラの仕事ぶりなんて、最悪ジャン <<<、もう一つが、>>> だいたいさ、出張旅費の不正請求で停職1か月の処分を受けた職員が契約職員に採用されるって,普通の組織じゃ、「あいつは、信用ならん」ってことで、「金輪際,ウチの敷居をまたぐんじゃない!!」ってなるんじゃねぇの? <<<の部分です。

 前者については、5月8日づけ「政治問題における日本人の単純思考」をはじめとして、当ブログにて何度も指摘し批判してきた、日本人の、ある人物に対する評価が一面的過ぎるという現象の典型例です。この現象に対する批判は、もう何度もやってきているので今回は割愛します。

 後者については、「再犯の不安」「前科者に対する不安」と言い換えることが出来ると思います。この問題は、チュチェ95年6月27日づけ「死刑」のコメント欄においても話題になったように、相当に深い問題であり、この手の「不安」がもたらす「再チャレンジ」に対する障壁は、社会のあらゆる場面に顔を覗かせますが、刑事事件関係では、殊更に目立ちます。

 もちろん、「再犯の不安」「前科者に対する不安」というものを感じることは、何ら不思議なことではありません。教育刑主義者の私としても、前科者が本当に更生仕切れるかどうかについては、確たることは言えません。しかし、「犯罪の予防」(治安維持)という課題において、「前科者の排除」は必ずしも必要ではありません。

 昨今の日本社会においては、「悪い奴を確実に検挙し、厳罰を以って社会から隔離することによって、再犯を予防する。初犯については、再犯者に対する厳罰を見せしめとして、予防を期待する。」という、再犯予防や危険人物に対する予備的マークに主軸を置く余り、それ以外の人物による犯罪に対する監視が弱い治安思想が蔓延っています。このような発想では、昨今、顕著に見られる「まさかあの子が信じられない」タイプの犯罪(ワイドショーでおなじみの、予測が難しい初犯)、あるいは、自暴自棄になった人物による犯罪(秋葉原事件)や「死刑上等」の池田小事件のような、厳罰による抑止を物ともしない人物や、死刑という厳罰を望み、間接自殺を図ろうとする人物による犯罪、更に、所謂「自爆テロ」のように、犯行の瞬間に犯人も死ぬために、処罰される心配が絶対に無い人物による犯罪を予防することができません。それ以前に、そもそも人間は他人の心の中を読むことが出来ない以上は、潜在的な者を含めた「悪い奴」を根こそぎ100%検挙できるわけがありません。ちなみに、「悪い奴」を根こそぎ排除しようとした政権が30年ほど前にカンボジアにありましたが、疑心暗鬼に陥った挙句に、100万人以上の大虐殺に走ったことについては、記憶に新しいところです。

 このような現実を踏まえると、昨今の治安思想は欠点が多すぎるように思われます。

 私としては、「悪い奴」を根こそぎ100%検挙できるわけない以上は、「悪い奴」が社会に居ることは当然とした上で、たとえ「悪い奴」が「悪だくみ」を思いついたとしても、それを実行に移せないような「隙の無い社会」を作ることのほうが、よっぽど「犯罪予防」として現実的であり、そして、このような社会においては、「再犯の不安」「前科者に対する不安」を理由にした殊更の排除も必要ないと考えます。

 「犯罪」というのは、結局のところ、起こらなければ何でも良いのです。このような視点から治安維持のあり方を考えれば、昨今の徹底的なまでの「前科者排除」というのは、損失こそあれ、何ら利益にならないことが見えてくるのではないでしょうか。

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2008年08月16日

ブログ記事編集に関する変更

 先日、当ブログ記事において、「引用文と私のコメントの境目が分かりづらい」というご意見をいただきました。最初のうち、何のことなのか良く分からなかったのですが、そういえば携帯電話からPC向けのブログを見ると、タグによる太字強調や文字色変更が表示されないとかいう話を思い出し、もしやと思い、初めて当ブログを携帯電話を以って表示してみました。

 すると、たしかにタグによる修飾が全く表示されておらず、文字色の使い分けによって、引用文と当方コメントを区別していた当ブログは、携帯電話ユーザーにとっては読みにくいブログであることを認識いたしました。

 よって、本日づけ「社会的責任を取ってもなお責任追及される」より、ブログ記事編集、特に文章の引用に際して、以下のように変更しました。

以前
「blockquote」タグと、緑色の文字を以って視覚的に区別する。

今度から
PCユーザーの利便性のために「blockquote」タグと文字色変更は維持するが、引用開始のときには「>>> 」(最後の「>」の後に半角開けるのがポイント)、引用終了のときには「 <<<」(同様に、最初の「<」の前に半角開ける)で引用部分を囲うことによって、携帯電話ユーザーの利便性も同時に確保するようにした。

 つまり、以下、『』で囲われた部分のようになります。

『私のコメント私のコメント私のコメント私のコメント
>>> 引用引用引用引用引用引用
引用引用引用引用引用
<<<
私のコメント私のコメント私のコメント私のコメント』

 また、今後は「太字部分参照」という形での短文の引用箇所指定も中止し、必ず、以下のように指定します。

>>> 引用引用引用引用引用 <<<

 なお、引用開始の合図は「>>> 」であり、「>>」との混同はくれぐれもご注意ください。つまり、「>>1氏ね」を引用する場合は、「>>> >>1氏ね <<<」ということになりますので。

 一応、現段階では以上のように編集してまいります。何か問題がありましたら、またご連絡ください。
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社会的責任を取ってもなお責任追及される

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080816k0000m040117000c.html
>>> NHK:万引きの元富山放送局長と委嘱契約
 NHKが、万引き事件を起こして依願退職した元富山放送局長と、番組を視聴、批評する「専門モニター」を委嘱する契約を結んでいたことがわかった。NHKでは、セクハラ行為で熊本放送局長を更迭された元職員が定年退職後に子会社に再雇用されたことが判明したばかり。今度はNHK本体で、しかも依願退職した職員と雇用契約を交わしていたことは、不祥事に対するNHKの問題意識の希薄さを鮮明にした。
 元富山放送局長は06年10月に停職3カ月の懲戒処分を受け、同月依願退職した。だが昨年11月、番組に問題がないか審査する考査室が、報道番組を中心に月20本程度を視聴して意見を提出する「専門モニター」として1年間の委嘱契約を結んだ。
 さらに、出張旅費の精算で不適切な経理処理をしたため、06年6月に停職1カ月の処分を受け、依願退職した元山口放送局長が、昨年10月に視聴者対応などを受け持つ関連団体「NHKサービスセンター」(東京都渋谷区)に1年間の契約職員として再雇用されていたこともわかった。主に視聴者から寄せられた電子メールの対応をしているという。
 サービスセンターもNHKも「依願退職で責任を取り、社会的制裁も受けている。制作現場での経験を生かしてもらうためお願いした」と口をそろえ、何の問題もないことを強調している。
 服部孝章・立教大教授(メディア法)は「税金に準ずる受信料で成り立つ事業体は、社会保険庁を解体してできる組織が懲戒歴のある職員を雇用しないのと同様に考えないといけないことを自覚すべきだ。制裁を受けたからといって、懲戒処分を受けた職員を受け入れる感覚には首を傾げざるを得ない」と非難している。
<<<
 業務上の問題で懲戒を受けた社会保険庁職員と、私的時間における問題で懲戒を受けた元富山放送局長を同列に扱う、立教大の服部教授の感覚のほうに首を傾げてしまいます。
 また、「処分」をはじめとして、「懲役」や「罰金」、はたまた「謹慎」を含めたあらゆる社会的制裁については、科された制裁内容が全て完了するということはすなわち、自己の不祥事に対する社会的責任を果たしたことを意味します。ゆえに、制裁完了を以って「表の世界」において、以前と同じ権利と機会を持って生活する(「同じ地位」である必要は全く無い。所謂「再チャレンジ」を指す。)ことは、許されてしかるべきです。
 その点、元山口放送局長の件については、「処分内容が甘い」とかそういう批判ならまだしも、「停職1カ月」の処分を科された加害者:元山口放送局長は、「依願退職」という形で自己の不祥事に対する責任をとる姿勢を示し、被害者:NHKとしても、元山口放送局長の辞表受理の瞬間を以って、「停職1カ月処分」を「依願退職」という形で果たすということを了承しました。つまり、元山口放送局長の不正経理問題に対する社会的制裁は完了しており、これはすなわち、元山口放送局長は不正経理に対する社会的責任を取ったことを意味しています。
 それどころか、1ヵ月間自宅謹慎していれば1ヵ月後には自分のデスクに戻れるところを、元山口放送局長は「依願退職」、すなわち、1ヵ月後のデスク復帰を辞退したわけであり、これは、NHKの示した「取るべき社会的責任」よりも重いものを自ら選択した、つまり、自身が行った不正経理について、NHKの示した社会的責任に加えて、更に「道徳的責任」を自身に科したともいえます。
 にもかかわらず、なおも不正経理問題を引っ張り出して非難するというのは、どういうことでしょうか。

 私としては、「依願退職で責任を取り、社会的制裁も受けている。制作現場での経験を生かしてもらうためお願いした」というNHK側の説明は間違ってはいないと考えます。

 しかしながら、服部教授の言説のなかにも、説得力を持つ部分があります。すなわち、「税金に準ずる受信料で成り立つ事業体」論理です。
 ご存知の通り、NHKは視聴者の受信料で成り立っております。とすれば、視聴者の意向を経営に反映することも必要です。その点、以下にご紹介する「世論」は、NHKを非難するものばかりであります。
>>> 民間ではまずありえない。

何か?問題でも?といわんばかりの対応。


こんな会社に金払う義務なし。

さすがNHK もう国営放送なんてやめちまえ(*^□^*)
<<<
>>> 全然治ってないお役所体質。
元役員でも、犯罪を犯した者を再び雇うなんて
一般企業では考えられない。

やっぱりNHKは、一度つぶれる寸前までいって
痛い目を見るべきだ。
<<<
>>> 民間では多分ありえない感覚。

流石は国営企業!意識の似非民間企業。
<<<
>>> 窃盗、横領、セクハラ、

NHKは全て軽視してる 言うこっちゃな!

すぐばれる事を平然とやる・・・

何か麻痺してるんちゃうか? (゜o゜)
<<<
>>> 服部教授の見解、まったくもってその通り。NHK・サービスセンターの見識はあまりに常識はずれ。全くもって甘すぎる。

懲戒を受けた元局長も、いい大人なんでしょ?よく平気な顔して外に出られますね。社会的制裁を受けたから、それで済んだという考えもいい歳した大人の考えとは到底思えない。あなた、犯罪者なのですよ。程度の差こそあれ、例えば殺人の罪を犯した人は、刑事責任(服役等)、民事責任(遺族への慰謝料等)に加えて、有形無形の社会的制裁を一生受け続けます。少々酷な話ですが、その殺人者が心を入れ替え本当に反省したとしても、世間一般からは白い目で見続けられます。このような状況は、真に心を入れ替えた者の更生の大きな壁になりますが、そこは本人の最大限の努力でなんとかするしかないと思います(遺族への生涯掛けての誠実な謝罪と、無償のボランティア活動などを積極的に行うなど(殺人者を雇用する会社は、よほど特殊な事情がない限りほぼ皆無だと思うけど、無償ボランティアなら受け入れてくれるところがあるかもしれないと推察します)。

NHKは、当該元局長を即刻解雇するとともに、元局長は別分野で社会貢献活動を継続して積極的に行うべきだと考えます。

もう一度言います。NHK・元局長、あなたたちは常識を一から勉強してください。常識がないにも程がある。このような団体、市民が日本に存在するのは、はっきり言って国民の恥です。
<<<
 実際にアンケート調査をしたわけではないので断言はできませんが、実際にアンケートを取っても、前掲のような意見は相当割合を占めるものと思われ、NHKと視聴者の関係性を鑑みるに、やはり、ああいう意見であっても、ある程度の反映も必要かもしれません。

 しかし、先にも書いたとおり、本来的には、自己の不祥事に対して科された社会的制裁を完了した人物、すなわち、取るべき責任を全て取った人物は、再び「表の世界」で生活できて良いものです。というか、以前から当ブログでも書いてきているように、そういう人たち、特に、刑務所帰りの人たちを「表の世界」が拒絶するから、彼らは「裏の世界」で生きてゆくしかなくなり、結果的に「再犯」に走るんですよね。

 本件のような事例や前科者の問題をあるべき形で解決する、すなわち、犯した過ちに対して科された責任を果たした人物が以前と同じ権利と機会の下で再チャレンジ(安倍ちゃんお元気ですかー?)出来るようにするためには、何よりも、こういう人たちに対する「社会の目」を改める、すなわち、「民度をあげる」しか道はなさそうですが、問題は深刻のようです。特に、一番最後に収録した、長文の「世論」なんかを見る限り。

 もっとも、「メディア」、つまり、メディアの法的ありかたを専門にしている服部教授が、まさかこういう初歩的なところについて理解ができていないというのも、ちょっと考えにくいので、本当はあの発言は「法律的思考に基づけばNHKの対応は問題ないが、日本人は民度が低いからしょうがない」という趣旨であるにもかかわらず、毎日新聞の記者が意図的に解釈したという見方もできるかもしれません。そう解釈した場合、「世論」としてご紹介したコメントで、最後にして最長のコメントは、>>> 服部教授の見解、まったくもってその通り <<<といっていますが、これこそ、正に問題とするところのものということになります。
 まあ、学者でもアレなのは居ますから、何とも言えませんけど。

 いづれにせよ、8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」においてご紹介した、河野義行氏が指摘する「日本社会の問題点」を改めて痛感させます。

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2008年08月15日

靖国神社取材から戻ってまいりました

靖国神社取材から戻ってまいりました。

不覚にも涙ぐんでしまうような酷い光景が広がっていました。日本人はここまで堕ちたか。

肉体的にも、そして精神的にも大変疲れましたので、報告記事編集については、少々の時間的猶予をくださいな。必ず報告しますので。

また、「移動日記」を閉鎖することにしました。理由は、別にあってもなくても同じだから。

ま、そういうわけで。
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2008年08月13日

心理的迷惑行為と実利的迷惑行為

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080813-00000050-san-soci
【Re:社会部】電車の中の光景

 電車内で化粧をする女性をよく見かけます。最近、扉に寄りかかって立ったまま化粧をする若い女性にも“遭遇”し、驚かされました。歩きながらの喫煙や電車内での携帯電話の使用とは違い、はっきりした迷惑行為ではないのかもしれませんが、男としては女性の見てはいけない部分を見てしまったバツの悪さがあります。

 ポーラ文化研究所が昨年実施した調査によると、電車内での化粧に対し、8割の女性が「とても抵抗感がある」と回答。年齢が下がるほど抵抗感は薄くなり、10〜20代は6割にとどまっています。電車内で化粧する姿はだんだん、普通の光景になるかもしれません。

 公共の場という意識の欠如も感心できません。周りに気配りできない人が増え、皆が自分勝手に行動したら、どんどん住みにくい社会になるのではないでしょうか。

 先日の日曜、地下鉄車内で私の正面に座った20代前半と思われる女性が化粧を始めました。目を大きく見開いたり、鼻の下を伸ばしながら20分近く化粧をし、下車しました。私の隣には中学生ぐらいの女の子と母親が座っていました母親は女の子に言いました。

 「あなたには、ああなってほしくないな」 

 女の子にはお母さんの言葉を聞いて、素敵な女性になってほしいなと思いました。(酔)
 電車内での化粧を問題にする人の論拠は、「不快」とか「醜い」、あるいは「化粧というのは"表"の自分をつくるためのものであり、それは本来"裏"でやるべきものである。つまり、電車内での化粧は公私の混同である。」いったものであり、これはすなわち、心理的問題であり、実利的問題ではありません。本記事においても、電車内での化粧については、「はっきりした迷惑行為ではない」といわざるを得ず、結論も「公共の場という意識の欠如も感心できません」といったふうに、実利的批判を加えることはできませんでした。

 だからこそ、私としては、「電車内での化粧」というのはなくならないのではないかと考えます。つまり、電車内で化粧をしている方々におかれましては、自身の行為によって他者に実利的損害は与えておらず、精々、「見ていて不快だ」程度でしかない。しかし、見ていて不快ならば見なければ良いのであって、自分の行為は全く批判されるに値しない。そういう思考回路なのではないでしょうか。

 しかしながら、この論理で行くのならば、所謂「痴漢」や「セクハラ」も正当化できてしまわないでしょうか。なぜならば、「痴漢」や「セクハラ」といったものは、基本的には、心理的には重大な悪影響を与えるものの、実利的には悪影響を与えるものではない(もちろん、痴漢行為の最終場面において相手の服や身体に射精したとかいうのなら話は別です)からです。

 たとえば、痴漢魔が「確かにオレはオマエの胸を触ったが、それで何か実際に損害を蒙ったか?ブラジャーの止め具が曲がったりしたか?」とか、「"触られて不快だった"というが、不快だと思わなければ良い」とか、果ては「触られて不快なら電車に乗るな」とか言ったら如何でしょうか?「冗談じゃない。アソコ引っこ抜いて犬に食わせたろか。」と思いませんか?私なら思いますけどね。しかし、「それで何か実際に損害を蒙ったか?」という問いに対しては、残念ながら有効な反論ができる自信はありません。

 さて、「電車内での化粧は誰にも迷惑をかけていない。見ていて不快なら見るな、不快だと思うな」と開き直る方々におかれましては、痴漢やセクハラも許すのか。大変見物でございます。

 もちろん、何を以って「不快」とするかは人それぞれであり、だからこそ、特に「セクハラ」なんかは、何がセクハラになるのかが曖昧で下手にジョークも言えないという現実が確かに存在します。ゆえに、本件についても「本当に電車内での化粧は見ていて不快か」というテーマで全社会的な論議が必要となります。(ちなみに、「常識」とか「庶民の感覚」名義は、例によって「お前の個人的意見」と認定します)
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2008年08月07日

新入社員を叩く「労働教団」教徒

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0808/07/news025.html
新入社員の悩みの原因――55.8%はコミュニケーション不足

 今年の4月に就職した新入社員も5カ月が過ぎ、そろそろ実力を発揮し始めている人もいるはず。その一方で、社会人としての“壁”を感じている人もいるだろう。

 新入社員の64.2%は悩みを抱えており、そのち「仕事を続けられるかどうかの不安」(59.5%)が最も多いことが、翔栄クリエイトの調べで分かった。次いで「先輩との人間関係」(55.5%)、「会社に対する不平不満」(36.9%)、「入社前に持っていたイメージとのギャップ」(36.1%)、「同期との人間関係」(26.6%)という結果となった。

 また悩みの原因として、55.8%の人は「コミュニケーションが円滑に行われていないから」と答え、転職を考えている人も39.6%に達した。

 インターネットによる調査で、新入社員427人(男性31.1%、女性68.8%)が回答した。業種別で見ると「金融・証券」が最も多く14.8%、以下「情報・IT」11.7%、「生保・損保」「商社・卸」4.9%、「建設・土木」4.7%と続いた。調査期間は6月18日から7月2日まで。


悩みがある新入社員はどのような不安があるのか? (出典:翔栄クリエイト)
オフィスにカフェテリアが欲しい

 新入社員は自分が働いているオフィスをどのように感じているのだろうか。約9割の新入社員はオフィスに満足しているが、不満に感じている人(約1割)は「社内が執務スペースのみで施設が充実していない」が最も多く58.4%。次いで「休憩できる場所がない」(47.4%)、「床や天井が汚れているなど不快感がある」(35.9%)といった意見が目立った。

 すべの新入社員に「オフィスにどのような機能があれば嬉しいか?」と聞いたところ、「カフェテリア」が50.6%でトップ、2位「リラクゼーションスペース」(45.2%)、3位「緑」(43.6%)、4位「屋上・バルコニー」(29.3%)、5位「トレーニングジム」(19.9%)だった。「コミュニケーションを活性化させるための、1つの施策として執務スペース以外の施設の充実があっても良いのでは」(翔栄クリエイト)としている。
 回答者数が少ないのが少々気になりますが、案外、コミュニケーションについて悩んでいる率が高いようで、8月5日づけ「「没落エリート出現」の責任所在はどこにあるのか」にてご紹介した「没落エリート」についての問題提起も、そう酷くピントがボケたものでも無いようです。

 さて、本件に関してあちこち回ってみると、同感意見と反対意見が同じくらい見受けられました。同感意見についてはわざわざ取り上げても仕方ないので、反対意見について幾つかご紹介しようと思います。
「半径10キロ以内に店がないような山奥だから食堂が欲しい」とかいう切実な意見ならともかく…

カフェテリアやらリラクゼーション施設が欲しい、ってのは贅沢なんじゃないですかね。

そもそも、仕事時間内にそんなトコに出入りするのはお門違いなんじゃないのかな、と。
仕事終わって家に帰った後にスタバ行くなりジムに行くなりスーパー銭湯行くなり、自分で工夫したまへ。



あと、コミュニケーションは待ってるだけじゃ成立しまへんのどすえ。

自分から話の輪に入らないとコミュニケーションを成立させるのは絶対無理。
会社に入ってからの方が大変だよね

てか、カフェテリアって何考えてんの
職場に欲しい施設が『カフェテリア』だぁ〜?


『リラクゼーションスペース』だぁ〜?


なぁ〜にをしに会社に行ってんだぁ〜?


大学生じゃないんだからいつまでも遊び半分、お気楽気分で会社を満喫しよぉ〜なんてどこまで過保護に扱われたいんだぁ〜?
カフェテリアwwww

どこの人間でアンケートとってんだよ
悩みの種がコミュニケーション不足で、かつ会社に求めるものがカフェテリア
これは本当に笑える
まあ、もちろんみんながみんなそうじゃなかろうし、
アンケートの仕方もあるだろうから一概に「今の若いものときたら」とは言えないが、
こんな結果が出てる以上、この結果に対しては笑うしかないですなぁ
すべの新入社員に「オフィスにどのような機能があれば嬉しいか?」と聞いたところ、「カフェテリア」が50.6%でトップ、2位「リラクゼーションスペース」(45.2%)、3位「緑」(43.6%)、4位「屋上・バルコニー」(29.3%)、5位「トレーニングジム」(19.9%)

カフェテリア(笑)

そんなにカフェテリアが好きなら、喫茶店で働けバカチンが。

リラクゼーションスペース(笑)

会社はリラックスするトコかあぁ

休み時間は椅子に座ってタバコ吸うなり、ジュース飲むなりしたら十分ちゃうん

会社に遊びに来とんのか

緑(笑)

うちの会社の床は全面緑色

緑が好きならうち来い

屋上、バルコニー(笑)

屋上から飛び下りるのか(笑)

塚、屋上に上がれる会社なんかまずねぇべや。ドラマの見過ぎ。出直せ。

トレーニングジム

ふざけてるのか



ちなみに、俺が職場に欲しいのはスポットクーラー

熱望です。工場内の気温38℃とかザラやし、目の前に塗料を乾燥させる220℃の炉があります。

遠赤外線で体が燃えるように暑いよ
最近の若い方って、面白い。

会社にカフェテリアって(笑)
一体会社に何をしに行くんでしょうか…。
こんなことがニュースになるなんて…

仕事への不安や悩みは、新入社員じゃなくてもあるから、気持ちは分からないでもないけど…

社内にカフェテリアや
リラクゼーションスペースって…

そんなもんなんでいるかな?働く気がないとしか思えない。
プライベートで行けばいいのに…

適応力のない奴はやめればいいんじゃん!
働くことなめてるんじゃないか?給料ドロボーだな。
カフェテリアがない?
ス○バでもド○ールにでも
就職すりゃ解決じゃないかね。

新人諸君。
君たちは会社に何をしにいくのかー。

コミュニケーション不足?
飲み会を気分で拒否してみたり、
ホウレンソウがなかったりなのに
「悩んでます」って・・・
そらー半永久的に悩んでてくださいな。
社員は会社の為に利益を上げて、その代わりにお給料を貰うんですよ。
カフェだ?トレーニングジムだ?ドラマの見過ぎなんじゃないの?

仕事もまだろくに出来ないうちから、ふざけたこと言ってんじゃない。サボりたいだけなのが見え見えなんだよと言いたい。
むしろ、カフェ行きたいなら、外に勝手に行け。
誰も止めないから。
変わりに君らの評価が悪くなるだけだけどね。
 なんか「カフェテリア」が不評なようですwwwwwwwwwwでも、いいんじゃないですか。たとえば、昼にそこで30分くらい同僚と世間話して、午後からの労働に対してリフレッシュして臨めれば。もちろん、7月26日づけ「「労働に対する新たな発想」と「ガチサボリの口実」「共産貴族」の危険性は表裏一体である」においても指摘したように、行き過ぎると逆に大きな問題が生じますので、その辺には注意しなくてはなりませんが。

 というか、そもそも質問自体が「オフィスにどのような機能があれば嬉しいか」であって「欲しい」では無い点に注目せよ。叩いている人たちは、「そうだったらいいのにな」
にも噛み付くんでしょうかwwww(まあ、そもそも「嬉しいか」でアンケートとったのに、「欲しい」と書き換える記者が悪いのかもしれませんが)

 また、「嫌なら辞めろ」という意見もありますが、「転職を考えている人も39.6%」ってところ読まなかったのかなあ、、、?

 「労働教団」(労働における形式主義)的発想を色濃く感じさせる反対意見でした。こんな頭の固い人たち相手じゃ、コミュニケーションで悩むのも分からんことも無いww
posted by s19171107 at 21:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

河野澄子さんを政治利用する死刑推進派

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000136-jij-soci
河野氏の妻澄子さん死去=松本サリン被害者−14年余意識不明・長野

 長野県松本市で1994年6月、オウム真理教が起こした「松本サリン事件」で、第1通報者の河野義行(58)さんの妻澄子さんが5日午前3時4分、サリン中毒で起きた低酸素脳症による呼吸不全のため同市内の病院で死去した。60歳だった。京都市出身。葬儀は7日、近親者だけで行う。
 事件は同月27日深夜に発生。澄子さんは事件以降、14年余り意識不明の状態が続いていた。河野さんが話し掛けると、表情が和らぐなどの変化もあったが、今年6月中旬になり容体が悪化し、介護を受けていた福祉施設から別の病院に緊急搬送された。
 澄子さんは今月4日、医師から余命1週間と言われていた。河野さんは5日午前2時45分ごろ、病院から澄子さんの容体急変の連絡を受け、病院に向かったという。
 まず、ご冥福をお祈りいたします。

 さて、昨今は「犯罪被害者遺族は必ず加害者に死刑を求める」という図式がまかり通っており、そのため、「加害者に死刑を求めない被害者遺族」の存在が無視されています。つい先日の朝日新聞「死に神」コラム問題においても、「加害者に死刑を求めない被害者遺族」の存在が無視されたことについては、8月2日づけ「朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいない」において取り上げたとおりです。

 本件についても、死刑を支持・推進する立場だと思われる方々が以下のようなことを主張されています。
恐らく言葉にできない14年間を耐えてこられた河野家の皆様に、謹んで哀悼の意を表する。

亀井静香ならびに死刑廃止を唱える人々よ。

あなた方はこの記事を見てもなお「死刑廃止」と声高に叫ぶのか?

多くの人々の人生を、幸福を踏みにじった外道どもを、一生血税で養えと言うのか?
最後の言葉を交わす時間すら、楽しい思い出を作る時間すら奪ったオウム。
やはり極刑しかないですね。
何人の罪なき人の人生を踏みにじって来たことか………
オウムから派生したアーレフすらも差別されて当たり前です。
中身は何も変わらないんだから。
そして、他にももっと危ない宗教はある。
全うな方々にはきちんと目を覚まして見て欲しい。
第二のオウムを生み出す前に。
危ない宗教を排除する為に。

最後に澄子さんのご冥福をお祈りいたします。
 昨今流行の「被害者のために、遺族のために加害者を死刑にせよ!」です。

 しかしながら、まず、今回亡くなった河野澄子さんについては、死人は何も語れないので、その意志、すなわち、オウム関係者に対して死刑を求めるかどうかについての確認は取りようがありません。ゆえに、本件において「被害者のために」というスローガンをぶち上げるのは宜しくありません。

 ところで、今年5月31日づけの朝日新聞の投書欄に、長崎市長殺害事件の判決が死刑であったことについて、以下のような投書が寄せられました。
97.8.6.jpg
(クリックで拡大)
 この投書に対して、マスコミ板の「朝日の基地外投稿第173面」では、以下のような書き込みがなされました。
534 名前: 文責・名無しさん [sage] 投稿日: 2008/06/01(日) 03:42:00 ID:RuvcZz2BO
故人の意思なんて確かめようがない。もし私が殺されても犯人を死刑にしないでください、なんていう遺言書でもあれば別だが。
故人の意思を理解出来ている人がいるとすれば、それは長い間一緒に生活していた遺族の人だと思うよ。
 たしか、長崎市長の件では、遺族は死刑を求めていたので、この判決が死刑であることは遺族感情も満たすものであり、正しい判決だ、と言いたいんでしょう。

 では、この論理に基づくとするならば、本件については如何でしょうか。つまり河野澄子さんの夫であり遺族である河野義行さん、そして、河野氏ご夫妻のご子息はどういう考えをお持ちなのでしょうか。これについては、8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」においてご紹介した、河野氏による講演の内容の限り、オウム関係者を恨んでいる様子は全くありません。ゆえに、「遺族のために」というスローガンは、「宜しくない」どころか、全くの余計なお世話であると言わざるを得ないでしょう。

 また、河野義行氏に限って言えば、河野氏自身も死刑に反対の立場をとっていらっしゃいます。
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kouno.html
<死刑制度は必要か>


―死刑制度について、どうお考えですか。

死刑というものに、わたしはずっと反対の立場を取ってきました。人が人を殺すことがいいことであるわけがありません。

それから裁判というものを考えた時に、裁判にはミスジャッジがある。例えばミスジャッジで、何もしていない人を死刑で殺してしまった時に、あとで戻しようがないですね。執行してしまったらどうしようもないです。まあ、そういうこともありまして、わたしはまず「反対」です。

それから、例えば死刑が犯罪の抑止になる、こういう極刑があるから犯罪が抑止されるという言い方がされますが、わたしはそんなこと全くないと思います。少なくとも犯罪をする人が、「ここまでで無期だから、これ以上は、殺すのはやめよう」とか、自分の量刑を考えて犯罪をするわけじゃないと思います。そもそも犯罪の多くは突発的に起こっていて、感情的に動いて、「気がついたら殺してしまっていた」というものです。そういう意味で、死刑が犯罪の抑止になるという考えは、わたしは全くの思い違いだと思います。

それから「死刑制度がある日本で、犯罪が抑止されているか」という問題があります。今、刑法犯が年間285万件ありますね。ちっとも抑止になってないじゃないですか。こういったデータからも、死刑が犯罪の抑止をしているという分析は間違いだと思っています。
 先にも書きましたし、当ブログでも繰り返し話題に取り上げていますが、昨今は「被害者のために、遺族のために加害者を死刑にせよ!」というのが殊に流行っています。しかし、本件に対する「被害者のために、遺族のために加害者を死刑にせよ!」という言説を聞くと、果たして本当に「被害者のために、遺族のために」死刑を支持しているのか、推進しているのかという点について強い疑問を抱かざるを得ません。

 もちろん、本村洋氏のように9年もの長きに渡って被告人の死刑を一貫して求めてきた遺族もいらっしゃいます。しかし、そうでない遺族もいる。どちらが正しくてどちらが正しくないという問題ではありません。しかし、すくなくとも、「被害者のために、遺族のために」を本当に考えるのならば、死刑制度の是非の前に、「加害者に死刑を求めない被害者遺族」の存在を認めてあげることが先ではないでしょうか。

関連記事一覧
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「Ocean」設立1周年集会報告(1)

 8月2日づけ朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいないにおいても少し触れましたが、犯罪被害者遺族の原田正治氏が代表をつとめる「Ocean」という組織があります。それが去る7月26日、設立1周年記念集会と、記念講演を行いました。
97.8.2.jpg
(クリックで拡大)
 私は当日、別用で出席できなかったのですが、我が同志が出席し、その様子を録音し、詳細に記録してきてくれました。本来は出席者本人が報告記事を書くべきなのですが、「めんどくさいから代わりにやって。あんたのブログにうpしていいから。」と丸投げされました(私だって面倒だよ!文字起こし+内容要約にかかる時間は半端じゃないよ!)ので、私が代行して、内容を分割してご報告いたします。

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2008年08月05日

「没落エリート出現」の責任所在はどこにあるのか

 没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちーという記事が話題のようです。その主張の内容を足りない私の頭で必死に追いかけたところ、日本は、個人の能力による業績によって社会的位置づけを行う社会であるが、その「能力」が近年変質しつつあり、殊にコミュニケーション能力などの高い人材が求められている。しかし、教育内容が旧態依然であるがゆえに、京大卒というエリートでありながらもビジネス社会で疎外される「没落エリート」が出現しつつある。この「没落エリート」と「ロストジェネレーション」は同じ次元の問題であり、個人の自己責任ではなく、教育の問題、社会の問題である。といったところになるんじゃないかと思います。

 「自己責任か社会問題か」という昨今ホットな話題であるがゆえに、相当話題になっており、とくに「没落エリートという現象は自己責任の問題ではない、変化の激しい時代には必ず生じる社会問題なのである。」と言い切ってしまったためか、「没落エリート」とか「高学歴」とか、そういう単語を羅列したためか、かなりの反発がみられます。その代表として学校ってバカを治療してくれんのかという記事があります。

 読んでみたのですが、残念ながら、ここで私の頭が読解を拒否しましたw以下のくだりを見る限り、何か話がかみ合っていないっぽいし、何よりもめんどくせえんだもん。
そもそもこの21世紀に「高学歴=エリート」と思い込んでいるのがイタい。京大には毎年3000人も入学する。東大はそれより少し多い。他の大学も比べれば、仮に「学力=就職力」と見なしても、自分と同程度の「力」を持つ奴は1万人程度はいるということになる。少なくとも学校を出た時点では、君たちは「その他大勢」に過ぎないんだよ。

しかし、これはあくまで定量的な問題。定性的な問題として、高偏差値大学の卒業生というのが、その時点では「人が作ったゲームの高得点者」に過ぎないということがある。高学歴に対して就職を優遇されるべきというのは、高橋名人(って言ってもわからないかも知れないけど、かつてのヴィデオゲームの達人代表)を無条件で採用せよと言っているに等しい。
別に「京大卒は高学歴で"エリート"なんだから無条件に雇用しろ」ってわけじゃなくて、「社会が求めている人材を育成していない教育機関ってどうなのよ。そのために、いよいよ、従前は一般に就職に有利とされてきた"高学歴"にも影響が及び始めているんだけど」って問題提起だと思うんですけどねえ。。。

 しょうがねえから「どっかに内容を噛み砕いたもん落ちていないかなあ」とゴミを漁るカラス(そういや最近カラス見なくなったなあ@東京)のようにウロウロしていたら、没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちーのコメント欄でこんなの見つけました。
問題の対象を「社会」と表現するから、混乱を招いているのではないでしょうか?

没落エリートを工業製品にたとえた場合。
1.原材料(家族・家庭環境)に問題?
2.設計 (教育指導要領 = 政府)に問題?
3.工場 (教育現場 ここでは京大)に問題?
4.消費者(産官学)に問題?
5.工業製品:品質(高学歴者)に問題?
売れ残りがでる社会は、けしからんという主張は具体的にどこに問題があるとの指摘になるのでしょうか。

私は、iammgさんが指摘する
 ポストフォーディズム社会に適応し損なった人
は、経緯結果はどうであれ、消費者に受け入れられない製品は品質に問題があるんだとおもいます。
それは、学歴とかコミュニケーション能力という指標では分類できません。
なぜなら、消費者の価値判断は違うところにあるのだから。
ここにお祭りの理由があるとおもいます。

 今後このような製品を作らないように 1〜3を見直しましょうね
というiammgさんの志と、
 没落エリートは5なんだから、製品自身で是正すべきたよね
というdanさんの主張は、論点がずれちゃっているので議論になっていないように思います。
私は両方とも、良い意見だと思います。

私の勘違いで、4に問題がある という議論であるならば、
 昔は良かった…
 最近の若いモンは…
 いやな時代になったもんじゃ…
という、限られた自分の未来だけに利益を追求するご高齢の方の戯言と同じということになります。
そうではないことを願っています。
 この噛み砕きが的を射ているのならば(検証は面倒なのでしないw)、確かに私の「あ、なんか話が噛み合ってねえな」というフィーリングはあたっていたということになります。

 まあそんなことはさておき、確かにどっちもあると思うんですよ。例によってチュチェ思想的社会観と無理矢理こじつけると、すなわち、人間は物質世界に生きている以上は、その世界の環境に左右されるが、同時に人間は「自主性」「意識性」「創造性」の3大属性を持っているので、自己の運命は自身で切り開くことが求められる。しかし、やはり物質世界に生きている以上は、その条件に制約される。つまり、「100%自己責任」も「100%社会問題」も滅多には有りえないわけです。

 さて、では本件はどうでしょうか。大学は教育機関であるので、社会が求めている人材を育成するのは当たり前といえば当たり前です。一方で、大学の研究室にしか置いていないような特別な実験機材を使わないと検証できないような複雑な科学現象とは異なり、コミュニケーション能力というものは、その気になれば、いつでも、誰でも身に着けられないこともありません。というか、大学でわざわざ教育を受けないと身につかないコミュニケーション能力って何ですかそれ。

 となると、やはり自己の問題、すなわち、(余り好きな言葉ではありませんが)自己責任という要素は強くあると思います。しかし一方で、大学は教育機関である以上は、学生に対して「今こういう人材が求められています」という情報提供や、あるいは、そういう人材を育成するプログラムを提供することも大学の果たすべき役割の一つではないかといえないこともありません。

 ゆえに私としましては、本件については、「"自己責任"要素と"社会問題"要素が入り混じった(どちらかというと前者の比重が重め)、責任所在の複雑な問題」としか評せません。

 もっとも、そもそも元の記事が推論の上に推論を重ね、具体的事例が乏しいために、いまいち何が言いたいのかピンとこないし、さらに、一体どこの企業を狙っているのか、「ただの贅沢な悩み」なだけじゃねえのか、という疑念も無いわけではありませんが、残念ながら書かれていないことについては何とも言えません。

 ところで、本件については各地のブログでも取り上げられているようで、そのうちの幾つかを回ってみたのですが、そのどれも「エリート」とか「高学歴」という部分を中心にしており、件の記事の問題提起を「社会が求めている人材を育成していない教育機関ってどうなのよ。そのために、いよいよ、従前は一般に就職に有利とされてきた"高学歴"にも影響が及び始めているんだけど」というところに求めた私としては、読み間違えたかしらとヒヤヒヤしておりますが、どうなんでしょうか。件の記事では、「ポスト近代化能力(s19171107注:「生きる力、多様性、新奇性、意欲創造性、個性、能動性、ネットワーク形成力、交渉力」であると記事中盤にて既に定義づけられている)は、非物質的生産を行う場合に必要なコミュニケーション能力などの情動的な能力を必要とする。したがって、肉体的なレベルのみならず精神的、人格的なレベルにおいても経済活動に取り込まれることになるのだ。」とした上で、「没落エリート、ロスジェネ、ポスト近代化能力の育成問題、これらは同じ地平を共有する問題なのだ」と締めくくっている点、単なる「高学歴の就職戦線報告」ではないと思うんですが。

 教えて!(読解力のある)エロい人!




 まあ、どうでもいいか。ボーッとするくらい眠いのに、睡眠時間を3時間も失った(´・ω・`)
posted by s19171107 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいない

http://www.j-cast.com/2008/08/01024520.html
朝日新聞の夕刊1面コラム「素粒子」が鳩山邦夫法相を「死に神」と表現し、全国犯罪被害者の会(あすの会)が同社に抗議していた問題で、朝日新聞社が同会に事実上「謝罪」となる回答をしたことがわかった。同会はこれを受け入れ、「死に神」問題は1か月あまりを経て一応の決着を迎えた。

この問題は、2008年6月18日付朝日新聞(夕刊)1面のコラム「素粒子」で、死刑囚13人の死刑執行を命じた鳩山法相について、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と書かれたことに端を発した。

「適切さを欠いた表現だったといわざるを得ない」
全国犯罪被害者の会(あすの会)は6月25日に「犯罪被害者遺族の感情を逆撫でされる苦痛を受けた」などとして同社に抗議し、朝日新聞社は6月30日付で同会に「鳩山法相を中傷する意図はありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとしたら残念です」「ご批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かしていきます」などと回答した。

これに対し、同会は回答を不服として7月7日に再度朝日新聞社に質問状を再び送付。同社からは7月14日にこの質問状に対し回答した。7月23日に同会は「真正面から質問に応えることを避けている」「犯罪被害者の質問に真摯に説明するか、謝罪すべき」などと同社に再々抗議していた。

08年8月1日の回答で、朝日新聞社は「13人の死刑が多いといっているのではない」「件数が適正でないと言っているわけではない」と釈明。「犯罪被害者遺族をはじめ多くの方々からのご批判を踏まえたとき、適切さを欠いた表現だったといわざるを得ない」などとしたうえ、論説副主幹の「自らの不明を恥じるしかありません」というコメントを挙げ、「弊社としても同様に受け止めています」と事実上謝罪する内容になっている。

全国犯罪被害者の会はホームページで「これで、一連の素粒子『死に神』問題の決着をつけることになりました」とこれを受け入れるコメントを掲載している。
 本件における朝日の回答書には、「犯罪被害者遺族の皆様が凶悪な犯罪を引き起こした被告たちに死刑判決を求め、確定死刑囚の死刑執行を望んでおられるお気持ち」(7月14日づけ回答書)とか「犯罪被害者遺族の方々が凶悪事件の被告に死刑判決を求めたり、確定死刑囚の執行を望んだりするお気持ち」(8月1日づけ回答書)といったように、「犯罪被害者遺族=死刑を求めている」という図式に立って話を進め、「あすの会」側に受け入れられました。

 しかしながら、犯罪被害者やその遺族が一律に被告に死刑を求めているわけではないことについては、こんな辺境の地に来てまで、その手の問題について情報収集なさっている方々におかれましては、良くご存知だと思います。その一例として、「Ocean」(代表 原田正治氏)という組織があります。その「Ocean」が、本件について以下のような文書を朝日に送付したそうです。
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(クリックで拡大)
 さて、朝日としては「戦艦ミズーリでの調印式」を終わらせ、「やっと一段落ついた」と思っている頃かもしれません。「あすの会」としては、満足しているかはさておき、「決着をつけても良い頃だ」くらいの納得はしているものと思います。それはそれでいいでしょう。しかしながら、先にもご紹介した「犯罪被害者遺族の方々凶悪事件の被告に死刑判決を求めたり、確定死刑囚の執行を望んだりするお気持ち」といった表現によって、「Ocean」のメンバーの「お気持ち」を消し去ったことについては、どのように考えているのでしょうか。

 朝日は6月30日づけ回答書において、「朝日新聞社はこれまで犯罪被害者の皆様が置かれている状況を重視し、その報道に力を注いできました」と書いていますが、今回の一連の回答書によって、結果的に「Ocean」のメンバーの「お気持ち」を消し去ったことを含めて考えると、「死刑を求める遺族」のことも、「死刑を求めない遺族」のことも、どちらのことも全然考えていないと言わざるを得ません。朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいないのです。

 「死刑を求める遺族」と「死刑を求めない遺族」、どちらが正しくてどちらが正しくないとか、そういうことを言うつもりはありません。(私自身は前者に近いほうかな、、、そのときになってみないと分からないけど)しかし、どちらの意見もある以上は、どちらの意見にも平等に配慮するべきじゃないでしょうか。たとえ「死刑を求めない遺族」が世界に一人しかいなかったとしても、「犯罪被害者の皆様が置かれている状況を重視」するならば、その声を無視してはいけません。

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「大阪文化大革命」

http://www.asahi.com/national/update/0731/OSK200807310073.html
橋下知事「伊丹空港廃止含め検討」 関空発着減便受け
2008年7月31日22時0分

 大阪府の橋下徹知事は31日、航空各社が燃料高騰で関西空港発着路線の減便・運休方針を打ち出している問題で、大阪(伊丹)、関西、神戸の3空港について「今のままではダメということは明らか。伊丹空港の廃止も含めて9月から府庁で検討する」と表明した。大阪空港は国が設置・管理しており府に廃止権限はないが、地元知事の発言に波紋が広がっている。

 関空整備事業に関する予算要望のため、関西国際空港会社の村山敦社長らと上京し、報道陣の質問に答えた。

 橋下知事は都心から遠い関空の利用率が低迷していることを踏まえ、「民間航空会社に『お願いします』と言っても、利用しにくい空港では無責任」と指摘。「3空港を一体運用するか、伊丹を廃止するか、関空にシフトするか、きちんと方向付けをしなければならない。(地元の)国会議員や市長は反発すると思うが、伊丹の廃止も含めて検討していく」と明言した。

 関西空港を巡っては、燃料価格の高騰による経営悪化を理由に、日本航空と全日空が国内線と国際線の秋以降の減便や運休を府に伝えた。

 橋下知事はこの日、全日空本社で山元峯生社長に会って減便を再考するよう求めたが、「このままでは当社の屋台骨も揺るがしかねない」(山元社長)として不調に終わった。日本航空も同様の対応だった。

 大阪空港は大阪、兵庫両府県にまたがっており、橋下知事の発言に兵庫県の井戸敏三知事は「関西を沈没させる発想」と猛反発している。

 60年代以降、大阪空港は騒音問題が深刻化。廃止を前提に関空の建設が進められたが、地元の強い要望を受け、90年に一転して国と地元自治体が存続協定を結んだ。都心部に近く便利なことから、搭乗率は関空に比べて高い。
(地元の)国会議員や市長は反発すると思うが、伊丹の廃止も含めて検討していく
 橋下お得意のパフォーマンスです。そろそろ飽きないのかね。

 ところで、久々にニュー速に行って本件関連のスレを見たところ、全書き込みのうち、「あんなに騒音云々で廃止廃止と騒いでいたのに、手のひらを返して今度は存続存続とは、さすがは補償金目当ての利権屋だ」という書き込みが相当数、見受けられました。

 さて、これら両者に共通するところは、自論に反対する勢力を「利権屋」といったように、小泉純一郎の口癖である「抵抗勢力」や、どっかの誰かさんの言うところの「反革命分子」と殆ど同じレベルのレッテルを貼ることであると思います。

 しかしながら、wikiの伊丹市の項目を見る限り、私としては、このような批判を加えることは果たして正当なものなのだろうか、と疑問に思えてなりません。
大阪国際空港と伊丹市
伊丹市と切っても切り離せない存在が「伊丹空港」とも呼ばれる大阪国際空港である。ジェット機の騒音が問題化した1973年には「大阪国際空港撤去都市」を宣言するまでになったが、その後夜間の離着陸が制限されたことや低騒音のジェット機が開発されたことにより撤去論はトーンダウンしてゆく。

1994年に関西空港が開港し大阪空港の利用客が一時的に減少することで、逆に空港の経済的効果を強く認識することとなった。さらに1995年の阪神・淡路大震災でも同空港はいち早く復旧し物資輸送にも威力を発揮したことから、現在は「騒音はある程度容認し空港の持つ経済的効果を産業誘致などの街づくりに活かしていこう」という空港との共生論が主流となっている。

こういった空港との関係を端的に示すのが、伊丹市交通局の大阪空港へのバス路線である。かつて「空港撤去都市」を標榜していた頃には空港輸送ではなく沿線住民のための路線として最低限の本数しか運転していなかったが、共生論が主流になった現在は増発され、JR伊丹駅までの直行便を運転するまでになっている。
 失ってみて初めてその重要性に気がつくというのは、よくあることで、私としては、「手のひらを返して今度は存続存続」というのにも、それなりの合理的な理由があるように見えます。少なくとも、「利権屋」云々といった批判はピントがズレているように思われます。

 もちろん、全ての要求を要求どおりに達成することは不可能である以上、結果的に伊丹空港が閉鎖・廃止されることは仕方ないことかもしれません。しかし、あのようなレベルのレッテル貼りは、問題の本質を見誤る極めて危険な方法であると考えます。

 知事も知事ならシンパもシンパで、このままの勢いでいくと、「府政改革」が「大阪文化大革命」で終わっちゃいそうな気もしなくもありません。


 ところで、ニュー速での世論収集って本当に効率悪いですよねぇ。私は1つの書き込みを読むために平均して2秒かかるんですが、それでも1スレ読み切るには30分はかかりますよね。それでいて、書き込みといったら、似たようなのばっかり。
 その点、ヤフーニュースのコメント欄は投票ボタンがあるために、似たような書き込みの乱発がある程度、抑えられているので、比較的、世論収集には適しています。
 別にだからなんだというわけでもないのですが、久々にニュー速で情報収集していたら何か疲れた。。。今日はもう一本書こうかと思ったのですが、また今度ね。

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