当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年11月25日

「罰則有理!俺様無罪!」

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0811/25/news014.html
>>> 「遅刻の罰として駅で反省文読み上げ」YouTubeで動画公開、社長ブログ炎上
「遅刻の罰」として社員が駅で反省文を読み上げる様子をYouTubeで公開した会社社長のブログが炎上している。
2008年11月25日 07時58分 更新

YouTubeの再生数は25日朝の時点で4万3000回以上 社員が遅刻をした「罰」だとして、鉄道の駅内で社員が反省文を読み上げる様子を撮影した動画をYouTubeで公開した都内の会社社長のブログにコメントが殺到し、いわゆる「炎上」する騒ぎになっている。

 問題となった社長のブログ記事は11月19日付け。3回目の遅刻をした社員に対する「罰の様子を載せます」として、社員が駅内で「目覚ましをセットしていませんでした」「多大なご迷惑をおかけしました」などと反省文を読み上げる2分半程度のYouTube動画を公開した。YouTubeの説明によると、動画は「駅に1人で行き、駅員に許可を取って撮影してきた」という。

 社長は「意識の向上を図りながら何かしらの対策も必要なのでその一環としての罰則」とコメントで説明しているが、動画の公開に対し批判的なコメントが殺到。「パワハラでは」「会社で決めたことならともかく、動画と社員の名前を公開するのはいかがなものか」などと、「罰」や動画公開に対する批判がほとんどで、25日朝までに500以上が書き込まれている。動画はニコニコ動画などにも無断転載されている。

 社長は24日の記事で「遅刻の罰則でおもしろいものがあるようでしたら、募集します」と記している。
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 動画を見つけ出して見ましたが、最近は自己批判大会がネット上で行われるようになったんですね。「三角帽子」は被っていなかったけど。怖い時代です。

 それはさておき、いちいち深く評するのもアホらしくなる話です。とりあえず、11月18日づけ「法治国家における「正しいこと」」のリンクをはっておきます。言いたいことは記事内容から推測してくださいww
posted by s19171107 at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月24日

ああいえばこういう

 ブログ画面左のカレンダーをご覧いただければお分かりいただけると思いますが、先月後半頃から記事投稿頻度が急激に落ちていました。これは、リアルが忙しかったのと、それが原因となって体調を崩したためだったのですが、やっと最近になって調子が戻ってきたので、ここ数日、最近1か月分の情勢についての情報収集をしておりましたところ、橋下が先月末に、お得意の「自己責任論」を振り回して女子高生を泣かせていたらしいことを今更ながら知りました。(まあ、あんなバカを相手にして体調が一層悪化したら、もっとバカですからね。。。)
http://www.zakzak.co.jp/top/200810/t2008102403_all.html
>>> 橋下知事、女子高生を泣かす…意見交換でマジ反論

 大阪府の橋下徹知事は23日、府の財政再建の一環で断行した私学助成削減をめぐる意見交換で女子高生らにマジで反論して、泣かせてしまった。先日、麻生太郎首相もホテル豪遊に関する女性記者の質問にマジ切れしたばかりだが、最近の日本のリーダーたちは余裕がないのか…。

 府庁内での意見交換会。橋下知事は、男女12人の生徒を前に、冒頭から「僕も反論します」と本気モード。母子家庭の私立高男子生徒が、助成削減による不安を訴えると、「いいものを選べば、いい値段がかかる」とやり返した。

 生徒「公立に行ける人数は限られている」

 知事「保護されるのは義務教育まで。高校からは壁が始まる」

 生徒「そこで倒れた子はどうなる」

 知事「最後は生活保護がある」

 過熱するバトル。知事が「高校は誰でも入れる仕組みになっていない」と畳み掛けると、女子生徒数人が「そんな簡単に言わないで」と泣きだす場面も。

 知事は「私学助成はゼロにしていない」と理解を求めたが、女子高生の1人は会終了後、「思いが全然伝わらず、悔しい」とうつむいていた。

ZAKZAK 2008/10/24
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 これを読み終わったとき、いくらなんでも橋下の言い分がバカすぎて、あるいはZAKZAKが面白おかしく報じるために橋下の発言を意図的に継ぎ接ぎしたのではないかと思いました。いや、橋下が殆ど頭を使わずに発言するとんでもないバカであることは既に当ブログでも何度も取り上げているとおりですが、それにしても「財政再建」を旗印にしている橋下が、これからの教育次第で如何にでもなりうる高校生に対して「生活保護がある」と言い放つのは幾らなんでもアレすぎます。生活保護って「最後の砦」なのに、それを最初からあてにするって。。。「ああいえばこういう」ってのは、このことを指すんでしょうか。

 しかし、本件に対する橋下擁護意見を幾つか見て回ると、類似した内容の言説を結構本気で言っている人がいるようで、となると、橋下と橋下シンパの知的レベルが大体一致するという経験則から言って、これはZAKZAKによる継ぎ接ぎではなく、ガチで言っている可能性がかなり高いように感じます。ここまでバカだったのか?

 本件については、橋下の発言もさることながら、幾つかブログや書き込みを見て回っていると、「自己責任論」を掲げるシンパ連中の擁護言説にもかなり深い問題を抱えているように思え、所謂「自己責任」を高らかに掲げる連中の馬脚があらわになった一件であるように思います。先にも書いたとおり、まだ体調が回復しきっていないのですが、当ブログにて以前から継続して進めてきた「自己責任論者」たちの言説研究の一環として、社会保障関係の「世論」分析や、あるいは格差問題論議に対する「世論」分析と同時並行で、体力の続く限り取り上げ参りたいと思います。
posted by s19171107 at 23:57| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

タイワソからこんにちは

http://www.emaga.com/bn/?2008110074999744001445.3407
>> 件名:「台湾の声」【ニュース】馬政権で経済成長率マイナス成長に転落

【ニュース】馬政権で経済成長率マイナス成長に転落
11.23
             台湾の声

 馬英九総統(大統領)は総統選挙のときに「633」(年間経済成長率6%、失業率3%以下、年間平均国民所得3万米ドル)を掲げて当選したが、就任後の過度の対中傾斜・緩和の経済政策が失敗し、半年もたたないうちに株価は就任時の半分以下となり、11月23日には台湾株価指数(加権指数)が今年最低値となる一時4000ポイントを切る事態となった。

 11月22日に台湾行政院主計処が発表した経済統計によると、2008年第3四半期(7月〜9月)の経済成長率が−1.02%と、マイナス成長だったことが明らかになった。さらに、今年第4四半期(10月〜12月)の予測経済成長率は−1.73%、来年第1四半期(1月〜3月)は−0.31%と3期連続マイナス成長の見通しであることが発表され、台湾経済が馬総統就任以来、衰退傾向にあることを政府自体が認めたことになる。

 民主進歩等(民進党)政権時代の今年第1四半期の経済成長率は+6.25%と好調で、政権交代と重なった第2四半期も+4.56%とまずまずだった。当初、台湾政府は今年の予測年間経済成長率を+4.3%としていたが、今回の第3四半期マイナス成長を受けて予測年間経済成長率を+1.87%まで下げた。これによって、馬政権の公約である年間経済成長率6%は就任一年目における実現は不可能であることが確実となった。さらに、主計処の発表では、来年の予測年間経済成長率を2.12%としており、2年目においても6%の目標が不可能であることを認めた。
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就任後の過度の対中傾斜・緩和の経済政策が失敗し、半年もたたないうちに株価は就任時の半分以下
 「11月22日に台湾行政院主計処が発表した経済統計」とあるけど、発表は20日な。んで、行政院主計処が発表した実物をみりゃ分かるけど、どうみても昨今の国際金融危機のあおりです。本当にありがとうございました。

 こりゃきっと『台湾の声』っていうのは、我々の知っている「タイワン」からの声じゃなくて、どこか別の世界にある「タイワソ」という場所から発信されている電波なんだろーなー

関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/taiwan-no-koe.html
posted by s19171107 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月21日

日本ってすげえなあ

 厚労省元次官宅襲撃事件に対する「世論」について。例によってyahooニュースのコメント欄を見て回ると、「因果応報」だとか「なんとなく分かる気がする」といったように、その人物の行動を以って殺害を容認する「殺人者の思考回路」に限りなく近い思考回路を持つ人たちによる書き込みがみられます。いやはや、日本っていよいよすげえ国になったもんだという思いを強くします。なんか一つ一つ取り上げて詳しく吟味する気力もなくなってきますねえ。唯一の救いは、これだけ大々的に報道されているにもかかわらず、これらの言説に対する賛同ポイント数が、他の殺人事件などに対する「犯人は死刑で当然」という、これもまたその人物の行動を以って殺害を容認する思考回路に基づくコメントと比べると、総じて半分以下であることでしょうか。

 「ああいう書き込みはストレスの発散にすぎないから本気にするな」というご意見もあるでしょうが、しかし人間、全く思ってもいないことは口に出来ないわけでありますゆえに、ああいう書き込みをしたり、あるいは賛同のクリックをする人は、何だかんだで頭のどこか片隅には、ああいう考え方があるわけです。以前の記事で「自覚の無い殺人者予備軍が昨今の世論において多く見られる」という主旨の記事を書きましたが、今回もまた「自覚の無い殺人者予備軍」たちが発生していると考えなくてはならないようです。

 本件は犯人がまだ捕まっていないので、その動機は今だ不明ですが、報道などで指摘されている年金問題等に関する不満が犯行の引き金となったのならば、以前の記事においても指摘しましたが、そもそも昨今の年金問題というのは公務員の職務怠慢と国民の公務員監視怠慢の2つが引き起こした「全国民合作」であります。その点、己の公務員監視怠慢を棚に上げての本件は、年金問題に対する「応報」の域を遥かに逸脱しているのは明白であり、法的に違法であることはもちろんのこと、道徳的道義的にも全く擁護の余地が無いと考えます。また同時に、これらの「世論」を見ていると、先に指摘した「自覚の無い殺人者予備軍」たちの発生への危惧と同時に、「国民主権」に対する国民自身による認識の著しい欠如についても危惧します。

 もちろん、私たち一般人は「報道」という、事実のごくごく一部を掻い摘んだに過ぎないものでしか本件についての情報を得ていないので、全てはあくまで「推測」の域を脱しておらず、決して「断定」してはならないというのは、刑事事件を見る際には決して失ってはならない視点であるということを忘れてはならないということは、改めて強調しておきたいと思います。(大体、先にも書いたとおり、本当に年金問題に関する不満かどうかすら分かっていないし)
posted by s19171107 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

法治国家における「正しいこと」

 10月29日11月10日に引き続き、神奈川県立神田高校の件について。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/081115/edc0811152132002-n1.htm
>>>神田高校問題】「校長先生を戻して」「服装で合否、正しい」保護者や生徒が嘆願書 (1/5ページ)
2008.11.15 21:30

 神奈川県平塚市の県立神田高校が入試で服装や態度がおかしい受験生を不合格とした問題で、更迭された渕野辰雄前校長(55)を学校現場に戻そうと保護者や生徒らが16日までの予定で署名活動を実施、週明けに松沢成文県知事と山本正人教育長あてに嘆願書を提出する。前校長は教頭時代から同校建て直しに取り組み、信頼を得ていた。多数の中退者など生徒指導に悩む学校現場。同校だけの問題ではない。(中村智隆、鵜野光博、福田哲士)

   ●「苦渋」の選択

 神奈川県教委が問題を公表したのは先月28日。翌日、渕野前校長を今月1日付で県立総合教育センター専任主幹に異動させる人事を発表した。

 その後、県教委などには1300件を超える意見が寄せられ、その9割以上が「校長の判断は正しい」「風紀の乱れを事前に守ろうとした校長がなぜ解任されるのか」など前校長を擁護するものだ。

 週末には同校PTAのOBや卒業生らが14〜16日の予定でJR平塚駅北口で署名活動を実施。

 卒業生の女性(19)は「渕野先生は常に生徒のことを考えている」。署名した女性(69)は「親の育て方が悪い。渕野前校長は悪くない」。30代の主婦は「外見などは基本のことで選考基準になくても当然。自分の子供を入れようとするときに金髪の生徒などがいるのは嫌」とした。

 在校生からも「校長先生を戻してください。これは生徒みんなの願い」(1年女子)。保護者からは「渕野前校長は現場にいるべき人間」「大事なお父さんを連れて行かれた感じ」との声もある。

 PTAなどはすでに県教委に渕野前校長の人事の撤回を求める要望書や陳情書など3通を提出。内容は、(前校長を)神田高校の生徒指導派遣に出してほしい▽神田高校でなくとも校長として現場に戻してほしい▽これ以上の処分はしないでほしい−などだ。

 渕野前校長は産経新聞の取材に「ルールから逸脱しているという認識はあった」とした上で「先生たちの物理的、体力的な限界というものがあり、負担を軽減させたかった。苦渋の決断だった」と話す。

  ●建て直しの矢先

 同校保護者らによると、以前の同校は校内に飲食物が散乱し、喫煙やいじめ、盗難などが絶えなかった。近隣の公民館やコンビニエンスストアなどには「神田高生の立ち入り禁止」の張り紙が出され、アルバイトを断られたり、バスに乗せてもらえなかったことも。

 中退者は全校生徒約350人に対し、年間100人。謹慎処分を受ける生徒も絶えなかった。しかし、平成15年になるとこの状況に変化が見え始めた。教頭だった渕野前校長と前任の校長が「まじめな生徒が下を向いて歩いているようではいけない」と具体的な対策を取り始めたのだ。

 学校と生徒・保護者の緊密な連絡と親身な対応▽ごみ拾いを兼ねた校内の見回り▽部活動・同好会の奨励▽学校便りの地域での回覧−など。PTAや地域も賛同、教職員と取り組んだ。

 その結果、校内からごみが消え、生徒たちはあいさつをするようになってきた。地元の警察は「指導件数が減った」と舌を巻き、大学や専門学校に進む生徒が増えてきたという。部活動も活発になり、チームが組めないほどだった野球部は、18年には公式戦で10年ぶりの勝利を飾った。

 渕野前校長は生徒と食事をともにするなど率先して指導に取り組んだ。「学校全体の担任という思いで生徒たちに接してきた」といい、全校生徒の顔と名前を覚えているという。

 今回の問題の発端となった入試での身なり調査も学校建て直しの中で平成17年度入試から設けられた。

 「改革が軌道に乗り始めた」という矢先。渕野前校長は「異動は致し方ないこと。しかし道半ばでこうなってしまったことは非常に無念」と話す。

 身なりや態度について、そもそも選考基準に明記すべきものなのか。同校関係者は「常識まで明文化を求めるのか…」と話す。


 元教育再生会議委員で神奈川県教委の教育委員を務める渡辺美樹・ワタミ社長は「神田高は3、4年前は非常に荒れており、入った生徒が半分以上辞めてしまう大問題の学校だった。(渕野前校長は)県教委が送り込んだ校長で非常にがんばってくれ、みるみるうちにいい学校にしてくれた」と高く評価する。

 県教委の説明では、渕野前校長は「ピアスや金髪、丈がおかしいスカートなど、『この高校に入りたくない』という態度を前面に出しているような生徒をなぜ入れなければならないのか」と話したという。

 それでも県教委が更迭したことについて渡辺氏は「校長職を解いただけで、更迭の認識はない。むしろ処分してはだめだと主張した。選考基準に服装や態度を盛り込んでいなかったのは単なるミスであり県教委側にも責任はある。校長だけが責められるべきではない」と話す。




 ■入試時、「問題あり」とされた例

まゆをそっている▽髪を染めている▽つめが長い▽態度が悪い▽胸ボタンが外れている▽服装がだらしない▽ズボンを引きずっている▽スカートが短い▽落ち着きがない▽軍手をつけたまま書類を受け取る…




服装や態度が悪い生徒を不合格にした神奈川県立神田高校の対応について、生徒指導の問題を抱える学校で指導経験がある教員らはどうみているか。

 「公表基準以外で不合格にしたことが問題視されているが、では面接で落としていればオーケーなのか。この問題をそんな話に矮小(わいしょう)化しない方がいい」

 こう話すのは、私立北星学園余市高校(北海道余市町)の幅口(はばぐち)和夫校長だ。

 積丹半島の付け根の町ににある同校は高校中退者を積極的に受け入れ、テレビドラマにもなった。生徒約300人のうち不登校経験者が6割、高校中退経験者が4割弱を占める。


 幅口校長は「渕野氏のやり方をいいとは言わないが、気持ちはよく分かる」とした上で「教育しやすい生徒だけを学校に入れ、あとは切る。高校のあり方としてそれでいいのかという問題が根底にある」と指摘する。

 一方、同校出身で同校教師“ヤンキー先生”として指導部長を務めた経験がある参院議員の義家弘介氏は渕野前校長を擁護。「志望校に行くのにきちんとした格好で行くのは当然。社会では外見で判断されることも多い。廊下を歩いているときもすべてが面接の時間だという意識を持つよう指導していた。内申書は情報公開請求で開示されるようになってから9割9分、生徒に都合のいいことしか書かれなくなった。受験時の態度は生徒の合否を判断する貴重な情報だ」とする。

 そして「惜しむらくは、神田高の先生には生徒に『なぜそんな格好で来たのか』と声をかけてほしかった。『まずかったですか』と恐縮する生徒なら高校でもやっていけたかもしれない」

 また元中学教師で日本教育大学院大教授の河上亮一氏は「学校を混乱させる生徒を試験で落としたいのは学校の本心だ」とし、「公表した入試の合格基準を守らないで不合格にしたのはフェアじゃない」としたうえで、神田高にやや批判的な見解を示す。

 河上氏は2つの処方箋(せん)をあげる。1つは入試基準を変え、服装や態度などの要素を入れること。もう1つは入学後の退学や停学について基準を明確にし、スムーズに行える仕組みを作ることだ。

 神奈川県内の元高校長は、年間140人の生徒が中退していたという校長時代を振り返り、「教師には無力感が広がり、それでも定員いっぱい受け入れようと主張するグループと、ある程度切り捨てるべきとするグループに教師が二分化していた」と話す。

 「切り捨てるのは簡単だが、入ってきた子供を学校になじませ、教え育てるのも公立高の重要な役割。外見で合否を判断する基準が公立高にあっていいのか」と指摘する。


 ●“荒れる学校”変質

 昭和50年代後半を中心に、校内暴力など荒れる学校や高校中退が社会問題化した。授業が成立しない、退学者が多い学校は「教育困難校」などといわれたが最近はあまり使われない。

 東京都ではここ数年、都立高校の中退者数が激減している。退学者への取り組みに課題があるとみられる約50校に対して改善計画を求めるなど指導が中退者減につながっているという。

 都教委は「現在は、子供たちの受け皿になるような多様なスタイルの学校が増えており、目に見える形での問題校は減った」(都教委担当者)。

 しかし、約10年前、教育困難校として知られた茨城県立鹿島灘高校で教壇に立ち、建て直しに力を注いだ教育コンサルタントの笠井喜世氏は「今の子供たちは昔とは質が変わっており、確かに荒れることはない。しかし、『学力低下』や『やる気の不足』。そういう意味で教育困難校は存在する」

 笠井氏は新学習指導要領で授業数が増えることにも触れ、「教員の負担はますます大きくなり、やる気のない子供たちは手に余ってしまう。まず入学前の時点で、ある程度選別せざるを得ない」と話す。

 北星学園余市高校の幅口校長は、不登校や中退する生徒について「人間関係をうまく作れないという共通点がある」とし、「そうした生徒に対応できる教育をどこかでつくる必要がある。現在、主な受け皿となっている通信制や単位制の高校では、しっかりした人間関係をつくることは難しいのでは」と話す。




 神田高校問題 同校の平成17、18、20年度入試で願書受け付け時や受験日に「まゆをそる」「ズボンを引きずる」など髪形や服装などを独自にチェック、「入学後の生徒指導が困難」と判断した計22人を合格ラインを超えていたが不合格としていた。県教委は「非公表の選考基準で選抜したことはルールを逸脱している」として謝罪会見した。同校は21年度から五領ケ台高校と統合され平塚湘風高校になる。
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 11月10日の記事においても本件に対する擁護意見が多いことについては触れましたが、これもその一部であります。私が目にした限りでは、報道各社の配信(=ネット世論ではない)による擁護記事、あるいは、どう見ても擁護しているようにしか見えない記事は、このほかにも、1週間ほど前の土曜日夜のTBSの情報番組がありました。それによると、渕野前校長が本件行為を行った年と行わなかった年では謹慎処分者の数が大幅に違ったそうです。

 しかし、本処分の論点は上記記事の「県教委は「非公表の選考基準で選抜したことはルールを逸脱している」として謝罪会見した」という部分を読めばお分かり頂けるでしょうし、当方も過去2回の記事において繰り返し申し上げてきたように、「目標」云々ではなく「手段」が正しくなかった、その1点であります。

 日本は法治国家です。法治国家においては、どんなに正しい「目標」を掲げていたとしても、その「目標」を達成させる「手段」が合法的でなければ、それは「正しいこと」としては認識されませんし、されてはいけません。

 その点、本件は、前回記事においても書いたように、既に県教育委員会から下されている「合否判定基準」には無い基準を独自に定め許可無く運用していました。確かに、渕野前校長の掲げた「目標」は正しかったと私も思います。しかし、「手段」が法治国家においてはあるまじきものだった。先にも書いたとおり、法治国家においては「目標」と「手段」双方の正当性があって初めて「正しいこと」と認識される以上は、今回の渕野前校長の行為は「手段の正当性」において問題があるといわざるを得ず、これはすなわち、法治国家においては「正しくないこと」と結論づけなくてはなりません。ゆえに私としましては、渕野前校長の解任は仕方ないことと考えます。

 もちろん、法治国家においても「緊急避難」に限っては、通常の手段とは異なる手段を用いても問題とならない場合もあります。その点、渕野前校長の「苦渋の決断」というセリフを以って「緊急避難」とする意見もあるかもしれませんが、本件は何年にも渡って行われてきた行為であり、その間に教育委員会などに意見を送ったり、あるいは市民運動という形で圧力をかける方法もあったはずです。「緊急の事態」とは程遠いといわざるを得ません。

 にもかかわらず、上記記事の「外見などは基本のことで選考基準になくても当然。自分の子供を入れようとするときに金髪の生徒などがいるのは嫌」という言説をはじめとして、本件に対しては、「目標」の正しさのみを以って渕野前校長の行為全体を正しいとする意見が多く見られます。それも、元教育再生会議委員で現職の神奈川県教育委員である渡辺美樹氏までもがこういうことを口にしています。また、人事の「撤回」を求める要望書や陳情書も出ているそうです。こういう「世論」の現状を目の当たりにすると、当ブログの11月10日づけ記事に対して、amanoiwatoさんから戴いた「この件、実はかなり深刻な問題を含んでいるのかも。そろそろ、中国や北朝鮮を笑えなくなってきているような…。」というコメントは、私としましても全く同感であります。いや、中国は近年は必死になって「法治国家」をアピールしています。また、共和国は法治体制や人権問題を必死になって隠そうとしてい点、やましいことをしているという自覚はあるようです。その点、「やましい」どころか元教育再生会議委員で現職の県教育委員までもが堂々と「擁護」している日本は、中国や共和国「以下」なのかもしれません。

 ところで、「手段に正当性が見られないので本件はダメ」と今まで申し上げてきましたが、これは逆に言うと、本件は「手段」が悪かっただけであり「目標」は正しいわけです。ゆえに私としましては、人事の「撤回」は、先に述べた理由から強く反対しますが、8月16日づけ「社会的責任を取ってもなお責任追及される」においても書きましたが、ある問題に対する処分が完了することは、すなわち、行為者本人はその問題に対する社会的責任を果たしたということになります。その点、本件に対する渕野前校長に対する処分は既に人事異動という形で完了しており、これはすなわち渕野前校長は本件に対する社会的責任を果たしたということになるので、私としましては、県教育委員会が明文規則の改定を行うことと、今後は上位機関の指導無視した無許可業務を絶対にしないという誓約に渕野前校長が同意すること2つが同時に満たされるのならば、「新任」という形で渕野前校長を再び現場に戻すことは、良いのではないかと考えます。
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2008年11月10日

組織は規則どおりに動かなくてはならない

 10月29日づけの「都合の良いときだけ」において、神奈川県立神田高校が、非正規基準によって入学者選抜を行っていた問題について取り上げました。本件に関しては、どうも「世論」は本問題を推進してきた校長にたいする同意意見が多く見られるようで、朝日新聞投書欄にも校長の判断を擁護する投書が寄せられています。しかし残念ながら、本件の論点・問題点を踏まえていないといわざるを得ません。

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 ある「評論家」の「ルールを明示せずに落とすのはアンフェアだ」という意見にたいする反論という形式で筆を取り、「試験・面接ではしかるべき格好があるはず」であるとし、そういう場面ではしかるべき格好をせよ、という説教じみた言葉で締めています。

 おそらくこの方は、所謂「常識」(お馴染「庶民の感覚」の一種ですかねえ)は明記されていなくても規則として有効である、という主旨で書いているのでしょう。たしかに、手続きや試験、面接ではしかるべき格好があるはずだという意見はその通りであります。しかし、本件の問題点は「常識だから良い」とか「非常識だから駄目」とか、そういうところではなく、組織というものは明文規則や上位機関の命令にしたがって動かなくてはならないにもかかわらず、その明文規則・上位機関の命令には無い独自の規則で許可無く事務を行っていたこと、ただその1点にあります。

 今回、もし仮に、教育委員会から自由にやって良いという指導があるのならば、基準は各高校が自主的に制定できる、本件は問題にすらならなかったでしょうが、実際は上位機関たる教育委員会から先に基準が指導されている、つまり、「これでやれ」という指示が来ている。「これでやれ」ということは、逆に言うと「これ以外ではやるな」ということであります。だから規則違反・命令違反として問題になっているのではないでしょうか?ひたすらに組織としてのありかたが問題となっているのです。

 こういう、所謂「常識」を盾にした明文規則無視を是認する思考は本件に限らず、刑事裁判に対する「世論」でも良く見られます。たとえば、福岡3児死亡事故のように、検察官の求める「危険運転致死傷罪」は、そもそも刑法では死刑相当事件とは定義されていないにもかかわらず、「死刑死刑」と喚きたて、当然のことながら懲役刑の判決が下ると、裁判官に対して暴言を吐いたり、「日本の司法は腐敗している」とか口にしたり、酷い場合は何故か被告弁護人に対して噛み付くといった類です。

 彼らの「常識」においては、あの事故は「死刑相当」なのかもしれません。それも考え方の一つでしょう。また、飲酒運転の刑罰に死刑を加えるか否かについて議論すること自体は結構なことだと思います(私としましては、以前にも書きましたが、余り意味無いと思いますけどね)。しかし、組織、それも公共組織たる裁判所は明文規則(法律)通りに動かなくてはならない。いくら「常識」云々と吼えても、明文規則に無い処置はできないのです。

 同様のことは、たとえば死刑廃止運動推進者にもいえます。すなわち、死刑廃止運動を推進する議員や民間人は、死刑執行があるたびに法務大臣宛の抗議声明を出します。しかし、法務大臣は法律という明文規則に従って職務を遂行しているのであって、批判対象としては妥当ではありません。

 では、ある明文規則が「常識ハズレ」ではないのかと思ったらどうすれば良いのか。簡単です。その「常識」を明文規則にすべく規則制定機関(刑事事件関係ならば国会、本件ならば神奈川県教育委員会ですかね)に提議すれば良い。先に例としてあげた死刑廃止運動の場合には、抗議声明は法務大臣に対してではなく死刑制度を刑罰として定義している刑法を改訂できる唯一の機関たる国会に対して訴えかけるべきですし、本件にしても、「志願者の外見を判断基準に入れる」ということを正規基準(明文規則)としているのならば、すくなくとも私は本件を問題として取り上げはしなかったでしょう。先にも書きましたが、私も服装を判断基準のひとつにすることは反対しませんから。

 個人がどんな「常識」を持っても構いません。しかし、組織は明文規則にしたがって動かなければならない。もし明文規則が変だと思うのならば、規則にしたがって業務を執行するしか道がない当局に対してではなく、明文規則そのものや、あるいは規則制定機関に対して物申すべきではないでしょうか。

 ちなみに、「常識」云々言うのならば、あえて同じ土俵で戦うのならば、組織は明文規則どおりに動くことも「常識」であります。手続き・試験・面接においてある一定の服装の型を守るのが「常識」であり、それに反する服装をすることは「常識ハズレ」であり、不合格にされても仕方ないというのならば、明文規則どおりに組織を運営するという「常識」に反する行動をとった神田高校もまた「常識ハズレ」であるといえるのではないのでしょうか?
posted by s19171107 at 22:08| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

2008年11月08日

「悪質な犯罪には重罰を」の単純勧善懲悪主義は「被害者のため」になるのか

http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK200811050005.html
>>> 梅田ひき逃げ、殺人容疑22歳男逮捕 「無免許、飲酒」
2008年11月5日13時24分

 大阪・梅田で10月21日未明、交差点を横断中の会社員、鈴木源太郎さん(30)=堺市東区=が車に約3キロ引きずられて死亡したひき逃げ事件で、大阪府警は5日、事件直後から行方不明になっていたホストの吉田圭吾容疑者(22)の身柄を大阪・ミナミで確保し、殺人と自動車運転過失傷害、道路交通法違反(無免許運転)の容疑で逮捕したと発表した。「無免許運転で酒を飲んでいたので、怖くなって逃げた」と供述しているという。

 府警は、ひいた時点では致命傷を負わせておらず、3キロ引きずったことで死亡させたとみている。このため、ひいた行為は自動車運転過失傷害容疑にあたり、死亡するまで引きずったことが殺人容疑にあたると判断した。

 交通捜査課の曽根崎署捜査本部によると、吉田容疑者は事故時の状況について「交差点で信号待ちしたあと、目の前に人が見えて『ドン』という音がして人とぶつかったことに気づいた」と説明。車底部に巻き込んだまま逃走したことについて「タイヤで人を踏んだ感触があり、車が乗り上げてしまうのがわかった。人を引きずったまま走れば死んでしまうことはわかっていたが、とにかくその場から逃げ去りたかった」と供述しており、捜査本部は「死んでも構わない」とする未必の殺意があったとみている。

 吉田容疑者は勤務していた大阪市此花区の建築会社所有のトヨタ「イプサム」で事件を起こしたとみられ、事件当日の10月21日から失跡。11月1日に捜査員が同区の駐車場で事故の痕跡があるイプサムを見つけ、吉田容疑者の行方を追っていた。その後「ミナミでホストをしている」との情報提供を受け、発生から15日後の5日未明、大阪・心斎橋のラーメン店にいた吉田容疑者の身柄を捜査員が確保した。事情を聴いたところ、ひき逃げを認めたという。

 吉田容疑者は10月21日午前4時19分ごろ、大阪市北区梅田1丁目の国道176号交差点で無免許で勤務先の建築会社所有のトヨタ「イプサム」で鈴木さんをひいたうえ、車底部に巻き込み、約3キロ西の同市福島区吉野4丁目まで引きずるなどして殺害した疑いが持たれている。

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 ■梅田・ひき逃げ事件のこれまでの経緯■

 10月21日午前4時19分 大阪・梅田の交差点で鈴木源太郎さんがひき逃げされる。車は引きずったまま逃走

 同22分 現場にいた同僚が曽根崎署大阪駅前交番に通報

 同26分 大阪市福島区で遺体を発見

 同29分 大阪市此花区の防犯カメラに不審な黒いワゴン

 同日 吉田圭吾容疑者が勤務先、自宅から行方不明に

 11月1日 大阪市此花区で事故の痕跡がある黒いトヨタ「イプサム」が見つかる

 同月5日午前3時55分 大阪・心斎橋のラーメン店で大阪府警が吉田容疑者の身柄を確保。当初は否認

 同日午前9時 吉田容疑者を殺人容疑などで逮捕。「無免許と飲酒運転で怖くて逃げた」
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http://www.asahi.com/national/update/1107/OSK200811060115.html
>>> 容疑者「執行猶予中だったので逃げた」 梅田・ひき逃げ
2008年11月7日3時3分

 大阪・梅田で会社員の鈴木源太郎さん(30)が車に約3キロ引きずられ死亡したひき逃げ事件で、殺人などの容疑で逮捕されたホストの吉田圭吾容疑者(22)が昨年1月、詐欺罪で有罪判決を受け、事件時は執行猶予期間中だったことが大阪府警への取材などでわかった。府警は、吉田容疑者から「執行猶予中だったので逃げた」との供述を得たとしており、執行猶予の取り消しを恐れたことが強い動機になったとみて調べている。

 交通捜査課の曽根崎署捜査本部などによると、吉田容疑者は19歳当時の05年8月、熊本県荒尾市の県道で、仲間とともに車2台でわざと追突事故を起こして入院や通院をし、保険金や給与補償金など計約630万円をだまし取った疑いがあるとして、同県警に06年10月に詐欺容疑で逮捕された。

 吉田容疑者は追突された車の同乗者役の1人とされ、07年1月に熊本地裁で懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受け、刑が確定していた。府警の調べに対して、「この事件で60万円を受け取った」と説明しているという。

 吉田容疑者は逮捕当時、出身地の熊本県を離れ、大阪市此花区の建築会社で働いていた。有罪判決を受けたころ大阪に戻り、同じ会社で再び働き始めたという。

 府警によると、ひき逃げについて吉田容疑者は「無免許で酒を飲んでいたので怖くなった」「何が何でも逃げなければならないと思った」とも供述しており、強い逃走の意思があったとみられる。
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 私は本件について以下2点に注目しました。
1.執行猶予中+無免許+飲酒運転での人身事故(←ここまで重なるとはねえ、、、)
2.衝突の衝撃は被害者にとって致命傷ではなく、引き摺られたことが致命傷となった

 項目1は「世論」の怒りに対して更に油を注ぐ要素となっているようですが、私としては、項目2との関連から見て、項目1は極めて冷静な視点を持たなくてはならない本件における重要要素であると思います。

 本件において、衝突の衝撃は致命傷となっていなかったと思われる被害者は何故、死亡したのでしょうか。それは引き摺られたことによります。では何故、引き摺られたのか。それは被疑者(以下、便宜的に「加害者」と書くが、推定無罪の原則を忘れてしまったわけではない)が被害者に衝突した後、逃亡を図ったからです。では何故、加害者は逃亡を図ったのか。それは執行猶予中+無免許+飲酒運転の事故であり、検挙を恐れたからです。

 「悪質な犯罪には重罰を」という単純な論理にしたがえば、本件のような執行猶予中+無免許+飲酒運転のさなかでの人身事故という極めて悪質な事件に対しては相当な重罰が待っています。しかし本件は、逆にそのことが衝突時にはまだ致命傷を負っていなかった被害者を結果的に死に至らしめてしまった。もちろん、加害者が一番悪いのは言うまでもありません(←ここ勘違いして変なイチャモンつけないでくださいね、お願いしますよ)。しかし実際の人間心理としては、本件のような状況に陥れば、怖くなってとにかく逃げたくなる。そして本件のように逃げてしまい、被害者はすぐに病院に運べば一命をとりとめられたであろうのに死んでしまう。本件以外にも、たとえば佐賀男児ひき逃げ放置事件では、被害者の小学生との衝突後、加害者は被害者を車に乗せ山林に向かい、林道の中に放置したという、これもまた凄いことがありました。まあ、佐賀の件は発見が早く、被害者は元気に回復したので、加害者も殺人未遂で済みましたけど。

 1月13日づけ「刑法:安易な厳罰化について」においても書きましたが、自動車人身事故において最も大切なのは被害者の生命を守ることです。加害者に対する処罰なんて被害者の生命を守ることに比べればどうでもいいことです。その点、私としましては、たとえ、加害者がどういう立場にあったとしても、逃げないで救急車を呼ぶなどの被害者救護活動をすれば、極端な話、罰は科さなくてもいいくらいなんじゃないかと思うくらいです。もちろん、現実的には少なくとも被害者の医療費くらいは出してもらわんと困りますが。

 当ブログではしばしば、どちらかというと加害者の側に立つ記事編集をしてまいりました。単純な勧善懲悪主義に取り憑かれた感情屋の皆様におかれましては、間違いなく私は「犯罪者の味方」と映ることでしょう。しかし、以前から繰り返し申し上げてきていますし、今回の記事を冷静にお読みいただければお分かりいただけると思いますが、単純な勧善懲悪主義というのは、しばしば被害者のためにならないことがあり、場合によっては加害者に対する処罰を、単純な勧善懲悪主義に反して軽くすることが被害者の利益にもなるということがありうるのではないでしょうか。

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posted by s19171107 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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