当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年12月31日

チュチェ97年大晦日総括記事

 チュチェ97(2008)年が終わろうとしています。年末になると決まって、新聞やテレビなどは色々な形で、その年の総括をしていますので、当ブログでもそれを模倣して、以下の総括記事を投稿し、本年の記事編集活動を終了したいと思います。

 まずは昨年と同じく、この1年間の出来事を当ブログにて扱った範囲内でふりかえる、各記事へのリンクを羅列したもの。

ブログ記事で振り返るチュチェ97(2008)年

 上記羅列記事に羅列されたリンクをご覧になればお分かりいただけるかと思いますが、今年1年、当ブログは、「感情屋」の習性研究と「自己責任論者」の言説研究をメインテーマとして記事編集をしてまいりました。これらの2大テーマについての個別総括記事は以下。

光市事件裁判で忘れられたもの
「自己責任論」の危険性

 来年、チュチェ98(2009)年の編集方針について。来年も今年の編集方針を引き継ぎ、「感情屋」の習性研究と、所謂「自己責任論者」の言説研究を2大柱として、未だに感覚的な段階に留まっている、これら2者の共通性について、より確りとした見解を打ち立てたいと考えています。また、所謂「自己責任論者」の言説研究と関連して、彼らの言説の「代替案」っぽいものもついでに考えられたらいいなとは思っていますが、どうなるかは分かりませんw

 チュチェ97年も、『ネタ切れ人民共和国統合不定期更新日記』をご覧戴きましてありがとうございました。来年も宜しくお願いいたします。
posted by s19171107 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自己責任論」の危険性

 本年も当ブログにおいては、本当に沢山のテーマについての記事を書いてきましたが、この1年間に取り扱ったテーマのなかで最も注目すべきだと考えるテーマは何かと問われれば、私は9月1日づけ「共産党関係の世論を集めてみようと思う」においてご紹介した、日本共産党(以下、「共産党」と略す)の党員が1万人も増えたことを挙げます。

 件の記事にて取り上げた情報源記事においては、単に党員が1万人余り増えたとしか書いていないのですが、12月14日づけ『赤旗』によると、このうち、20代〜30代の「若者」は2割〜3割程度を占めているそうです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-14/2008121405_01_0.html
>>> 党員増――若い人が「入党させてほしい」と事務所に

 志位 そうですね。

 大江 そんななかで日本共産党は党員数が増えているんです。現在の党員数はおよそ四十万人なんですけども、去年の九月から今年の十二月までに(新規党員で)約一万三千人も増えています。その内訳を見ますと、二十代から三十代が二割、四十代から五十代が六割、そして六十代以上が二割ということで、若年層が増えてきているのが特徴だそうです。

 志位 以前はだいたい(二十代、三十代は)一、二割だったんです。ところがいま二割から三割くらいになってきてますから、若い方の入党が最近増えているのはうれしいことです。

 大江 その背景にはどういうことがあるんですか?

 志位 いろいろありますが、私たちはこの間、とくに「働く貧困層」の問題の解決にずっと取り組んできたなかで、若い方が、(インターネットの)ホームページなどで共産党の主張をずっとみていただいて、それで共鳴して、先方から私たちの事務所に来て「入党させてほしい」ということが全国各地であるんです。いままでは、(そういうことは)あまりなかったですね。

 田勢 「たしかな野党」っていう言い方をされてますよね?

 志位 ちょっと前までは言っていましたが、今度はそのフレーズだけでは…。私たちは、与党になるという志(こころざし)をもっていますから。ですから、「政治の中身を変えよう」ということをいっています。

 田勢 二十一世紀のなるべく早い時期に民主(連合)政府をつくることに向けてですか。

 志位 それに向けて第一歩の前進になるような結果を、今度の(総)選挙で出したいと私たちは考えています。
<<<
 本件については、前掲9月1日づけ記事において、その「世論」を収集し、ご紹介しましたが、多くは本件について否定的な見解、つまり新規入党者を「短絡的である」と断ずるものでした。しかし、そのような「短絡的」な決断に至らせたのは一体誰なのでしょうか?

 8月24日づけ「どん底から這い上がる「自己責任」?」においても指摘しましたが、昨今の「自己責任論」は、各個人の現状を「自己責任」と断ずるのみならず、そのような現状から「這い上がる」段階にまでも「自己責任論」を掲げて、支援を拒もうとしています。その点、本件は確かに「短絡的」といえば「短絡的」かもしれません。しかし私としましては、このように、「どん底」から「這い上がる」段階においても尚、社会的な支援を受けられず、「自分でなんとかしろ」と突き放されている人たちの精一杯の「答え」であるといえないことも無いと思います。

 これは重大かつ深刻な現象です。なぜならば、今回は偶然、「日本共産党」という、議会主義を前提とした合法政党に対して支持が集まったからまだ良かったものの、もし、今後一層社会状況が悪化し、且つ、あいかわらず「自己責任論」によって社会から見放されたとしたら、その支持は議会主義政党である共産党に留まらず、頭数さえ揃えばすぐにでも決起をしようと考えているアレな人たちに傾きかねず、その場合の脅威は「秋葉原事件」の比ではありません。秋葉原事件は確かに重大且つ深刻な事件でしたが、単独犯行だったので、「危険地域」は犯人から半径数メートルでしたが、この場合の「危険地域」は、半径数メートルといった程度では済みません。もちろん、皆が皆、武装闘争路線に走るとは考えられず、走るとしても極々一部でしょう。しかし、極々一部、喩え数十人程度であったとしても、組織化された武装闘争の危険性は、やはり、秋葉原事件のような単独犯の通り魔的犯行の比ではないし、そこまでいかないにしても少なくとも「スラム街」といえるようなものは形成されてしまうのではないでしょうか。

 つまり、本件は単に「短絡的だ」とか言って片付けられるような話ではなく、せめて、「下流」とか「負け組み」とか言われている方々が「這い上がる」段階においては社会的な支援を施さないと、長期的には社会全体にとって大きな脅威となりかねないということを示しており、昨今の「自己責任論」の危険性と失当性を示す好例なのではないかと考える次第です。

 本年は当ブログにおきましては、所謂「自己責任論者」の言説を取り上げ、その言わんとしていることを研究すると同時に、様々な角度から批判して参ったつもりです。来年も本年と同様、このテーマについての記事編集活動を継続する所存です。
posted by s19171107 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光市事件裁判で忘れられたもの

 光市事件差し戻し控訴審判決から8ヶ月がたち、チュチェ97(2008)年も終わろうとしています。差し戻し控訴審判決は「逆転死刑」であり、遺族である本村氏を熱狂的に支持する方々は、死刑判決に狂喜乱舞しました。その熱狂振りは恐ろしくも感じるほどでした。

 当ブログにおきましては、「光市事件差し戻し控訴審判決を分析する」所存であることを判決前から表明していながらも、長く、分析記事を書いてきませんでした。これは、光市事件裁判はかなり長期に渡る裁判であったために資料数も膨大であり、また、精神医学や法医学・心理学といった分野までもが深く関係していたためで、素人にとっては極めて難解だったためであります。

 そんなわけで途中で面倒くさくなって暫く放置していたのですが、先日、そろそろまた資料分析しようかということで、とりあえず弁護資料を開いたところ、偶然「被告の生い立ち」の部分が目に飛び込んだので、読み返しました。

 何度読んでも酷い生い立ちです。本当に酷い少年時代です。

 弁護団が先の差し戻し控訴審において、被告人の生育環境も弁護活動の一つとして取り上げていたのは、皆様もご存知の通りだと思います。それに対して、遺族の側に立ち被告人に死刑を求める方々、特に、所謂「感情屋」の方々におかれましては、「被告人の生育環境の悪さは減刑理由にはあたらない」としていました。しかしながら、被告人の生育環境が劣悪であることを自体を否定するものは、前者に比べるとかなり少なく、私もときどき見る程度でした。つまり、被告人の生育環境が劣悪であることは、「感情屋」をしても認めざるを得なかったようです。(もっとも、差し戻し控訴審判決は、判決文69ページにおいて、「経済的に何ら問題ない家庭に育ち、高等教育もうけることができたのであるから、生育環境が特に劣悪だったとはいえない」としていますが、ちょっとこれはどうかと思いますねえ。)

 しかし、光市事件裁判において判明した、あのような劣悪な環境がこの日本に存在し、現にその環境において少年が育ってきたという事実に対して問題意識を持ち、被告人一家以外に類似した環境の家庭は無いかと調査する動きは、判決から8ヶ月たった今になっても殆ど見られません。刑事裁判というのは、まず、被告席に座る人物が本当に事件の実行者なのかの検証し、そうである場合は被告人に対する刑罰を検討することでありますが、並行して、社会は、法廷を通して明らかになったことをもとに、なぜそのような事件が起きたのかについての原因を多角的に分析し、問題が発見された場合は明日の社会の建設のための資料としなくてはなりません。その点、光市事件裁判に対する「世論」は、被告人に対する処遇ばかりが気にされ、事件の原因に対する多角的な分析をし、社会建設の資料とするという、刑事裁判に際して社会がなすべきことを完全に忘れ去ってしまったように思えてなりません。

 当ブログでは本年も昨年に引き続き、所謂「感情屋」の言説を取り上げ、その習性を研究してまいりましたが、彼らは、刑事事件・裁判の被疑者・被告人に対して厳罰を求めるとき、決まって「被害者のために厳罰を」あるいは「社会全体の利益のために厳罰を」という2つの名目を立てていました。彼らの言う「被害者のために」の正体については、12月13日づけ「「被害者のために」の「正体」」において指摘したとおりですが、今改めて光市事件裁判とその「世論」を思い返すと、結局「感情屋」って、「被害者のため」でもなければ「社会全体の利益のため」でもない、本当に自分のために厳罰を求める連中なんだなあ、と結論づけざるを得ません。

 結局、光市事件裁判って何だったんでしょうか。死刑判決のハードルを下げ、被害者遺族が情報発信を強めたということ以外、後に残るものが何も無かったように思えます。

 弁護団は上告しました。最高裁がどういう判断を下すのかは不明です。八海事件のときみたいに何度も高裁と最高裁の間を往復するのか、それともこれで決まりなのかは分かりませんし、私としては、被告人に対する具体的な刑罰に付いては、正直大した問題ではないと思います。むしろ、光市事件裁判を通して明らかになった、あのような劣悪な環境が現実にこの国に存在し、そして社会が被告人一家に対して何もしなかったという動かしがたい事実に対する分析こそが、被告人を死刑にするか否か以上に重要なのではないかと思います。

 来年は、従来どおりの各刑事事件・刑事裁判に対する「世論分析」と並行して、この点に関する分析も、可能な限り取り上げたいと考えています。

関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ記事で振り返るチュチェ97(2008)年

 昨年と同様、この1年間の出来事を、当ブログにて扱った範囲内でふりかえりたいと思います。

1月
1月12日づけ光市事件:『「光市事件」 報道を検証する会』などがBPOに申し立て
完全に視点が固定していました。

1月13日づけ刑法:安易な厳罰化について
今年一年間の刑事事件関係記事の編集の方向性を決定付けた原点となった記事です。

1月20日づけ実利優先主義的理論のすすめ
今年1年を通じて、「感情屋」と所謂「自己責任論者」という、どちらも俺様基準で物事を判断したがる人たちの性向を分析してきた結果、彼らには通説の法哲学や人権思想、所謂「ヒューマニズム」などに基づく反論は殆ど通用しないことが判明しました。やはり、彼らと対峙するためには「実利優先主義的理論」で武装する必要があると改めて感じている次第です。

1月30日づけ「外国人参政権に反対する保守層」が橋下当選を喜ぶのが良く分からん
単純だなあw

2月
2月3日と3月29日綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」


2月4日づけ143冊
ボーイズラブどころの騒ぎじゃない

2月15日づけよかったね!ひこにゃん!!!
ひこにゃんってかわいいね

2月16日づけ「光市事件」と「八戸事件」のメディアにおける扱いの違い
「家族殺し」に対する「世論」研究の原点となった記事です。

2月22日づけ沖縄少女強姦事件に対する世論と福岡3児死亡事故に対する世論の類似性

3月
3月15日づけ古今日中覇権主義
今年は「改革開放」30周年だったわけですが、チベット問題を通じて、中国の「本質」が、「改革開放」以前と何ら変わっていないことが明らかになったように思います。

3月19日づけ改憲派論理研究:「非武装中立派」は護憲陣営の多数派ではないことをやっと分かってくれたらしい
半年近くにわたって連載してきた「改憲派論理研究」に、一応カタがついた記事でした。

4月
4月2日づけ「取り上げない」ことより「取り上げ方」の方が問題
近いうちに補足記事を書こうと思っています。

4月15日づけ裁判員制度に向けた「模擬評議」について

4月21日づけ新潮の恣意的記事について(今更)
これは本当に酷かったなあ

4月25日づけ現代日本の文化大革命的熱狂
22日の光市事件差し戻し控訴審判決に伴う熱狂

5月
5月3日づけ「憲法」という存在そのものの危機
ほんとどうにかなんねえのかなー

5月8日づけ政治問題における日本人の単純思考
この記事において指摘した「人物評の過一面性」は、考えてみると結構根深い問題で、私としては、「感情屋」や「自己責任論者」はもちろんのこと、所謂「レイシスト」のうちの相当数も、このような思考回路を持っているように感じています。来年も「人物評の過一面性」がもたらす諸々の短絡的思考について研究したいと思います。

5月13日づけHARAKIRIテロリズム

5月21日づけ仕返し正当化は通用しない
よく、「xxだから仕方ない」という論理を以って、ある人物に対する不当な扱いを正当化する言説がありますが、「相手に落ち度があるからといって、それに付け込むことは許されない」という、この考えに従えば、その言説の失当性は見えてくると思われます。

6月
6月11日づけ刑務所の中はどうなっているのか?
所謂昨今の「厳罰化」にともなう長期懲役はむしろ逆効果なのではないでしょうか。

6月19日づけ自己責任と社会進歩

6月30日づけ誰でも「殺人犯」になりうる

7月
7月3日づけ類似構造
なんか「遺族タブー」が出来てしまっているような。。。

8月
8月2日づけ朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいない

8月6日づけ「Ocean」設立1周年集会報告(1)
そういえば第2回報告記事書いてないなあ

8月17日づけ「再チャレンジ」に対する障壁となる「前科者に対する不安」は如何に打破すべきか

8月24日づけどん底から這い上がる「自己責任」?

8月30日づけ八戸母子3人殺害事件が何故か盛り上がらない

9月
9月1日づけ共産党関係の世論を集めてみようと思う

9月12日づけ自覚すらない「殺人者予備軍」たち

9月20日づけ「農水省に対する監督責任」はどうなるのか

10月
10月18日づけ「共感」の名を借りた「一体化」がもたらすもの

11月
11月8日づけ「悪質な犯罪には重罰を」の単純勧善懲悪主義は「被害者のため」になるのか

11月18日づけ法治国家における「正しいこと」

11月24日づけああいえばこういう

12月
12月4日づけ感情屋インターナショナル

12月13日づけ「被害者のために」の「正体」

12月15日づけ「感情屋」と「自己責任論者」の共通性について

12月23日づけ飲酒運転死亡事故を、その「本質」と「加害者の視点」から考える

12月27日づけ絶望的に視野が狭い

 「ブログ記事で振り返るチュチェ97(2008)年」は以上です。今年もあと23時間程度しか残っていませんが、時間的に可能ならば、当ブログで本年取り上げた話題から特にコメントをつけておきたい話題について、個別に記事を書こうと思っています。まだ「終わり」ませんw
posted by s19171107 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。