光市事件差し戻し控訴審判決から8ヶ月がたち、チュチェ97(2008)年も終わろうとしています。差し戻し控訴審判決は「逆転死刑」であり、遺族である本村氏を熱狂的に支持する方々は、死刑判決に狂喜乱舞しました。その熱狂振りは恐ろしくも感じるほどでした。
当ブログにおきましては、「光市事件差し戻し控訴審判決を分析する」所存であることを判決前から表明していながらも、長く、分析記事を書いてきませんでした。これは、光市事件裁判はかなり長期に渡る裁判であったために資料数も膨大であり、また、精神医学や法医学・心理学といった分野までもが深く関係していたためで、素人にとっては極めて難解だったためであります。
そんなわけで途中で面倒くさくなって暫く放置していたのですが、先日、そろそろまた資料分析しようかということで、とりあえず弁護資料を開いたところ、偶然「被告の生い立ち」の部分が目に飛び込んだので、読み返しました。
何度読んでも酷い生い立ちです。本当に酷い少年時代です。
弁護団が先の差し戻し控訴審において、被告人の生育環境も弁護活動の一つとして取り上げていたのは、皆様もご存知の通りだと思います。それに対して、遺族の側に立ち被告人に死刑を求める方々、特に、所謂「感情屋」の方々におかれましては、「被告人の生育環境の悪さは減刑理由にはあたらない」としていました。しかしながら、被告人の生育環境が劣悪であることを自体を否定するものは、前者に比べるとかなり少なく、私もときどき見る程度でした。つまり、被告人の生育環境が劣悪であることは、「感情屋」をしても認めざるを得なかったようです。(もっとも、差し戻し控訴審判決は、判決文69ページにおいて、「経済的に何ら問題ない家庭に育ち、高等教育もうけることができたのであるから、生育環境が特に劣悪だったとはいえない」としていますが、ちょっとこれはどうかと思いますねえ。)
しかし、光市事件裁判において判明した、あのような劣悪な環境がこの日本に存在し、現にその環境において少年が育ってきたという事実に対して問題意識を持ち、被告人一家以外に類似した環境の家庭は無いかと調査する動きは、判決から8ヶ月たった今になっても殆ど見られません。刑事裁判というのは、まず、被告席に座る人物が本当に事件の実行者なのかの検証し、そうである場合は被告人に対する刑罰を検討することでありますが、並行して、社会は、法廷を通して明らかになったことをもとに、なぜそのような事件が起きたのかについての原因を多角的に分析し、問題が発見された場合は明日の社会の建設のための資料としなくてはなりません。その点、光市事件裁判に対する「世論」は、被告人に対する処遇ばかりが気にされ、事件の原因に対する多角的な分析をし、社会建設の資料とするという、刑事裁判に際して社会がなすべきことを完全に忘れ去ってしまったように思えてなりません。
当ブログでは本年も昨年に引き続き、所謂「感情屋」の言説を取り上げ、その習性を研究してまいりましたが、彼らは、刑事事件・裁判の被疑者・被告人に対して厳罰を求めるとき、決まって「被害者のために厳罰を」あるいは「社会全体の利益のために厳罰を」という2つの名目を立てていました。彼らの言う「被害者のために」の正体については、12月13日づけ「
「被害者のために」の「正体」」において指摘したとおりですが、今改めて光市事件裁判とその「世論」を思い返すと、結局「感情屋」って、「被害者のため」でもなければ「社会全体の利益のため」でもない、本当に自分のために厳罰を求める連中なんだなあ、と結論づけざるを得ません。
結局、光市事件裁判って何だったんでしょうか。死刑判決のハードルを下げ、被害者遺族が情報発信を強めたということ以外、後に残るものが何も無かったように思えます。
弁護団は上告しました。最高裁がどういう判断を下すのかは不明です。八海事件のときみたいに何度も高裁と最高裁の間を往復するのか、それともこれで決まりなのかは分かりませんし、私としては、被告人に対する具体的な刑罰に付いては、正直大した問題ではないと思います。むしろ、光市事件裁判を通して明らかになった、あのような劣悪な環境が現実にこの国に存在し、そして社会が被告人一家に対して何もしなかったという動かしがたい事実に対する分析こそが、被告人を死刑にするか否か以上に重要なのではないかと思います。
来年は、従来どおりの各刑事事件・刑事裁判に対する「世論分析」と並行して、この点に関する分析も、可能な限り取り上げたいと考えています。
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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:30|
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