当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2009年09月28日

「変革の思想」が不在であるから

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090925-00000519-reu-int
>>> ピッツバーグG20デモに2000人、逮捕者は15人
9月25日14時24分配信 ロイター

 [ピッツバーグ 24日 ロイター] 20カ国・地域(G20)首脳会合(金融サミット)の会場となっている米ピッツバーグで24日、G20に抗議する約2000人がデモに参加したが、商店の窓ガラスを割るなど一部が暴徒化した。
 バンダナやゴーグルなどを身に着けたデモ参加者は、「資本主義に希望はない」などと書かれた看板を高く掲げて抗議した。
 警察はデモ隊に向って1時間ほど拡声器などを通じ、解散するよう呼びかけた後、催涙ガスなどを使用する可能性を警告。デモ隊は警察によって別々の通りに分散させられたが、G20会場から約1.6キロ離れた場所で衝突が起きた。
 デモ隊が瓶や石などを投げたため、警察は催涙ガスなどを使用した。
 警察当局の発表によると、深夜までに15人が逮捕された。
<<<
 コメ欄。
>>> 瓶や石を投げるとは・・・節度を守らないと。

しかし、日本ではこういうの起きませんなぁ。
不満や鬱屈がいろんな場面で溜まりまくっているのにねぇ。
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 「ヨーロッパではたびたび暴動が起きるのに、何故日本人は立ち上がらないのか」と言う問いは、ある程度、社会問題に興味を持ち、調べている人が一度は考えるテーマであり、長く、色々な人が色々な見解を示してきました。「奴隷根性」だとか、「お上に従順な国民性」という結論を導いた人もいました。

 私としては、「何故日本人は立ち上がらないのか」という問いに対する答えのひとつ(全てではない)は、このコメ欄に現れているのではないかと考えます。すなわち、以下。
>>> 「資本主義に希望はない」と叫んで暴徒化したデモ隊が暴れ回っているが、共産主義や社会主義にはもっと希望がない。 <<<
>>> 資本主義は確かに格差を生み出すけどさ、それでも共産主義より100倍マシなんだよ。
だから、中国なども市場経済を取り入れてきている。
単に自分の境遇が恵まれないのを、国のせいにしているだけの奴は嫌い。
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>>> 資本主義に希望はない
共産主義はもっと希望がないと思うけど
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>>> 「資本主義に希望はない」
資本主義国家がイヤなら中国か北朝鮮で暮らせばいいじゃない。
ただしあそこの国は政府が全てで「人権」はないけどね。
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>>> 「資本主義に希望はない!」なんて言っても、それこそ独裁主義や社会主義や共産主義に
は“絶望”しかないことがさんざん立証されてるのに・・・。
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 「資本主義」すなわち「現体制」に反対すればすぐに「失敗した社会主義・共産主義」が出てくる、というかそれしか出てこない。別に誰も「資本主義を廃絶して社会主義・共産主義に移行すべきだ」と説いているわけではない(少なくともこの記事からは読み取れない)のに、あたかも自明であるかのように勝手に直結させる。

 この現象は、yahooニュースのコメ欄のいつもの調子であると断じてしまえばそれまでですが、例によってその「思考回路」に迫ってみようと思います。

 私としましては、このような勝手な直結は、彼らの脳内における経済体制が「資本主義」と「社会主義・共産主義」の2つしかないことに由来するのではないかと思います。もちろん、例の、単純二項対立でしか情報を処理できない「yahooニュース脳」のなす業とすることもできなくはないのですが、このような現象はコメ欄に限った話ではなく、世の中広くに蔓延していることなので、今回はこの方向で考えてみたいと思います。

 つまり、現在の資本主義以外の経済体制、もっと言えば「変革の思想」が不在であるから、不満を持っていても如何すればよいのか分からず、よって「日本人は立ち上がらない」いや「立ち上がりたくても立ち上がれない」のではないでしょうか。もちろん、「『立ち上がる』ほど大多数の人は困窮していない」というのも十分にあると思いますけど。

 そして、「変革の思想」が不在であるということは、通常、「今の社会を変革し新しい社会を作るべきだ」という立場をとっていると言われている、いわゆる「革新」とか「左派」とか呼ばれる勢力が、彼らが否定的な現在の資本主義に対する疑念が高まっている時代はしばらくぶりで、かつ彼らの現状批判には鋭いものが少なくないのにもかかわらず、世界的に余り勢力を拡大できていない原因であるといえるのではないでしょうか。ちょうど先日、ドイツの総選挙で中道右派が勝利したという報が飛び込んできましたが、それに対する分析にも、似たようなことが書かれていました。
http://mainichi.jp/select/world/news/20090928dde007030014000c.html
>>> ドイツ総選挙:中道右派勝利 不況脱出、期待託す 経済運営に実績

 【ベルリン小谷守彦】中道右派2党が勝利し、11年ぶりに保守政権が誕生することになったドイツ総選挙では、本来「敵」である左派と右派が政権を組み、民意が反映されにくい「大連立」に対して厳しい「NEIN(ノー)」が突きつけられた。また、有権者は金融危機の後遺症からの脱却を願い、経済運営で実績のある中道右派2党へと希望を託したとみられる。

 ドイツでは戦後、キリスト教民主・社会同盟、社会民主党という二つの大きな政党が小党と連立政権を担うケースが大半だった。

 例外は66〜69年の戦後初めての不況の際、両党が大連立したキージンガー政権で「政治停滞」が指摘された。

 メルケル首相の大連立政権は、年金支給開始年齢の引き上げ、育児手当の大幅増など社会保障改革や消費税引き上げなどで実績を残した。しかし、医療保険改革で意見が合わず、問題を先送りしたり、経営危機に陥った米ゼネラル・モーターズの子会社、独オペル救済を巡り両党が深刻な対立を示すなど、混乱もあった。

 社会保障の充実などで大きな政府を目指す社民、競争力強化など経済政策を重視する民主・社会同盟はそれぞれの本領を必ずしも発揮できず、有権者には不満がたまっていた。

 不満票は小党へと大きく流れ、大連立2党の得票は合計で五十数%しかなくなった。世論と政治の分裂は決定的となり、5党が分立する状況が強まった。

 新しく連立を組む民主・社会同盟と自民党はこれまで、戦後復興を成し遂げたアデナウアー政権下の49〜57年と61〜63年、ドイツ統一を行ったコール政権下の82〜98年などで連立経験があり、経済運営には定評がある。有権者は不況からの出口を中道右派に求めたようだ。

 ただ、自民党が主張する社会保障の見直し、所得税、法人税などの大幅軽減は民主同盟内でも抵抗感がある。有権者も既得権益の喪失には拒否反応を示すとみられ、今後の改革の行方が注目される。

 ◇社民の暫定得票率、過去最低23% 中規模政党に転落
 【ベルリン篠田航一、隅俊之】選管の暫定集計では、社会民主党の得票率は23%で、戦後のドイツ(西独)連邦議会選史上、最も低迷した53年の28・8%を下回り、過去最低となった。05年からキリスト教民主・社会同盟と「大連立」を組んだため支持者が離反、左派新党に流れた票も取り戻せなかった。社民党は従来、「国民政党」を掲げる大政党だったが、中規模政党に転落した。

 社民党の首相候補のシュタインマイヤー外相は27日、大勢判明後にベルリンの党本部に現れ「新政権に何ができるのか疑念を抱いている。野党としてじっくり注視していきたい」と硬い表情で語った。男性支持者(60)は「非常にショックだ」と肩を落とした。

 ◇「5党態勢」本格化−−野田昌吾・大阪市立大教授(ヨーロッパ政治)
 今回の独総選挙では「大政党が敗れた」印象が強い。惨敗した社会民主党の陰に隠れているが、キリスト教民主・社会同盟も戦後2番目に低い得票率だった。かつては民主・社会同盟は自営業者や農民、社民党は労働者といった固定支持層があったが、今は階級の差も不明確で、必ずしも票を得られなくなった。

 一方、他の3小政党がすべて得票率を10%台にしたのも歴史的だ。大連立への批判ももちろんあるが、社会の多様化に合わせて「5党態勢」が本格化したと見るべきだ。

 実は民主・社会同盟と自由民主党の連立は世論調査では「良くない」という人も少なくない。規制緩和や大幅な減税など新自由主義路線で社会保障レベルが下がることを有権者は望んでいない。

 メルケル首相は新自由主義路線を打ち出した前回総選挙で票を減らした。その教訓を得て、大連立政権では社民色の濃い政策を実施し、世論の支持を得た。今後、首相がどのような政権運営をするのかが注目される。

 保守政権の誕生で、欧州全体の「保守化」が指摘される。だが、「保守」の中身は必ずしも明確ではない。サルコジ仏政権も、新自由主義的な路線を唱えたが実行できていない。むしろ左派が方向性を見失った結果、保守が票を得ているのが欧州の実情ではないか。【聞き手・斎藤義彦】

毎日新聞 2009年9月28日 東京夕刊
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 「左派が方向性を見失った結果、保守が票を得ているのが欧州の実情ではないか」。この指摘は、欧州に限った話ではないと思います。

 このような視点で考えると、日本国内有数の左派・革新派である日本共産党が、勢力の維持ですら精一杯である現状が、決して「メディアの2大政党制確立キャンペーン」などではないことがお分かりいただけると思います。案外「世論」はちゃんと見ているんですよ。

 ところで昨今は、各種資格の取得に熱を上げる人が少なく無く、大学は「就職までに何らかの資格を取得するための猶予期間」と捉える人が少なくありません。私としては、この「資格ブーム」の一因もまた、「変革の思想」が不在であるためではないかと考えます。本題とは直接的には関係ないので、最後に書き加える形式でメモしておきます。
posted by s19171107 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 共産党とかそっちの方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

行政の「変革」のためには主権者たる国民の「変革」が必要

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090926-00000128-yom-soci
>>> 消費者庁ビル選定、1時間40分の会議1回で
9月26日3時8分配信 読売新聞

 消費者庁が入居するビル「山王パークタワー」(東京・永田町)の年間賃料8億円が高すぎると批判されている問題で、物件の選定に当たった内閣府の審査委員会が、1時間40分の会議を1回開いただけで入居先を決めていたことが25日、わかった。

 同ビルについては、福島消費者相が「賃貸契約は更新しない」と表明したが、選定過程に問題がなかったか議論を呼びそうだ。

 物件の選定は、内閣府が今年3月、入居先ビルを公募し、4月10日までに応募してきた18物件について、当時の内閣府国民生活局長ら幹部9人で作る審査委員会が行った。

 委員会が開かれたのは4月17日の1回で、1時間40分の会議で決まったという。メンバーだった消費者庁幹部は「事務方があらかじめ評価した点数が適正かどうかを判断した」と説明。福島消費者相は「(内閣府への)近さが重要視され、賃料はそれほど評価されなかった」と選定結果に疑問を示している。

最終更新:9月26日3時8分
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 消費者庁が入居するビルの賃料が妙に高いのは、確かに問題ではありますが、そこに「総選定時間1時間40分」という情報を「選定過程における問題」の文脈で関連付けることには、果たしてどれほどの意味があるのかという疑問を感じざるを得ません。

 日本人はどうも、「短時間での処理=だめ」「長時間かけての処理=よい」という固定観念に縛られ、そのほかの視点を見出すことに、しばしば失敗しているように感じます。たとえば、教育の分野における、教員能力や授業技術の改善に関する議論が余り見られないままでの「学力向上のための授業コマ数補充」や、あるいは、刑事事件をめぐって、更生教育プログラムに関する議論がほとんど無いままでの単純な「厳罰化」の動きなどは、その代表的な例ではないでしょうか。

 私としては、本件もその「固定観念」が、それ以外の視点を見出すことを阻害しているがゆえの現象では無いかと考えます。しかし、「(内閣府への)近さが重要視され、賃料はそれほど評価されなかった」と書かれているように、選定基準がそもそも「内閣府への近さ」であり、後掲の記事によると、現在入居しているビルの賃料は候補中7番目という非常に偶然感漂う順位で高額だったという話なので、この点を含めて考えると、たとえ50時間かけても100時間かけても、基本的な点においては大差なかったのではないかと考えざるを得ません。注目しているポイントが違うんですから。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090925-00000040-mai-pol
>>> <消費者庁>福島担当相が移転を容認 ビルの家賃年8億円
9月25日12時54分配信 毎日新聞

 福島瑞穂・消費者担当相は25日の閣議後の記者会見で、消費者庁が入居する民間ビルについて「国民の負担軽減に全力を尽くす。基本的に移転することもやむを得ない」と述べ、現在の条件での契約を今年度末に更新しない意向を明らかにした。ビル側と家賃減額交渉を進めるとともに、移転も視野に検討する。さらに「4年後に内閣府の庁舎ができるので入れるよう努力したい」と述べた。

 ビルは東京・永田町の首相官邸の隣にある山王パークタワーで、同庁は4〜6階に入居。年間約8億円の高額賃料が問題視され、契約更新の期限が今月末に迫っていた。福島担当相は「官邸に近い消費者庁ではなく、国民に近い消費者庁を作っていきます」と述べた。

 ビルは同庁の前身である内閣府国民生活局の職員らによる委員会が選んだ。公募のあったのは18棟で、入居ビルは7番目に高額だった。同庁は「各省との連携の必要性から立地を最重視した」とし、賃料は「月額賃料が内閣府が契約する民間ビルの最高額を超えない」ことだけを評価したという。【山田泰蔵、奥山智己】
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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090911k0000m010070000c.html
>>> 消費者庁:入居ビルの選定候補18棟の賃料など公開

 消費者庁は10日、高額賃料との批判がある入居ビルについて、選定時に応募のあった18棟の賃料など評価資料を公表した。18棟の年間賃料は9億3000万〜5億5000万円。入居中の山王パークタワーは8億円で上から7番目、内閣府から2番目に近かった。

 賃料に関しては、「(内閣府が契約済みの)民間ビルの月額単価を超えない」との基準しかなかった。内田俊一長官は「立地を最重視した」と説明した。【山田泰蔵】
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 「政治を官僚の手から取り戻し、主権者たる国民が官僚に指示を出す」という「変革」は、まあ良しとしましょう。であるならば、「指導者」としての主権者たる国民の側における「変革」もまた、問題の正確な把握と的確な指示出しのためには、必要とされているのではないでしょうか。
posted by s19171107 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

「リンク切れ」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090922-00000053-jij-int
>>> トウモロコシ収量が激減=平年の6割、大凶作か−北朝鮮
9月22日14時47分配信 時事通信

 【ソウル時事】韓国の聯合ニュースは22日、慢性的な食料難に陥っている北朝鮮で、トウモロコシの収穫量が平年の6割以下に落ち込む大凶作が予想されると報じた。世界的な食料援助団体「国際トウモロコシ財団」(本部ソウル)の金順権理事長の話として伝えた。
 今月12〜16日に訪朝し平壌郊外などを視察した金理事長は、今年のトウモロコシ作況について「訪朝した過去12年間で最悪。状況はかなり深刻だ」と指摘。北朝鮮の年間収穫量は約250万トンで、豊作の年は300万トンに上るが、今年は150万トン以下にとどまる恐れがあると予測した。
<<<
 例によってコメ欄。
>>> 拉致、核の問題が解決するまで、
国際社会は一切援助しません。

苦しんで考えを変えることですね。
<<<
 おなじみ、ある集団に対する評価が一面的・全体的な言説です。あれだけいつも「北朝鮮は特権階級がいい思いをするためだけの勝手な政治が行われており、国民の利益は何も実現されていない!」などと、「特権階級」と「一般国民」という2つの階層を設定して話を進めているのに、何でこういうときだけ共和国における階層や利害関係を一元化するんでしょうねえ。

 「苦しんで考えを変えることですね」と言っていますが、「拉致、核の問題」において、その推進ないしは現状維持によって利益を得る階層は、とうもろこしがどんなに不作であろうと「苦し」むことは無いと思いますよ。それこそ、この手の言説を口にする人の普段の共和国観をもとに考えれば。

 このような言説を口にするにいたる思考回路については、あくまで仮説ですが、物事を見るときにおけるキャラクター設定の、各拡大レベル間の連続性について考えがいまひとつ及んでいない、つまり両者がリンクしていないんではないかと考えます。すなわち、「北朝鮮の国内情勢」という拡大レベルにおいてのキャラクター設定は、先にも書いたように「特権階級」と「一般国民」であるが、それがたとえば、「日本と北朝鮮」という拡大レベルに変化すると、本来は連続して使えるはずであり、また使うべき「北朝鮮の国内情勢」における設定を忘れてしまい、新たな設定をしてしまう。なぜ、設定が連続的に維持されない(リンクしていない)のかという疑問については、以前より繰り返し書いてきたように、単純二項対立以上の情報処理ができない思考回路であるためなのではないでしょうか。あるいは、そんなに真面目に考えていないので、リンクし忘れているのか。

 いやはや、「いくら援助しても、本当に必要な人には届かないから援助はしない」というのならまだ分からんことも無いのですがねえ。


 「リンク切れ」という視点から見ると、以下の書き込みもまたそうかもしれません。 
>>> ミサイル飛ばす金で食糧を買えば万事解決。
何も問題は無いな。
<<<
 一見すると問題ないように見えますが、共和国の産業構造の点から見ると、果たしてそれで「何も問題は無い」と言い切れるかというと、昨今流行の「バラ撒き批判」という視点をヒントに考えると、些か微妙なところであるという結論に至るのではないでしょうか。

 すなわち、共和国は建国2年目から一貫して戦時体制であり、産業力は工業に傾斜しており、その工業力は軍需産業中心の重工業に傾斜しています。金日成同志は最晩年、「軽工業第一主義」を唱えましたが、もはや重工業中心構造を軽工業中心構造に変える力はありませんでした。農業インフラを整備する余力についてはなおさらです。

 もし今ここで、共和国が一念発起できたとして、国内産業の中心である軍需産業にかけるカネを食糧輸入に重点配分すると仮定します。たしかに一時的には食料事情は好転するでしょう。しかし、蓄えていた軍需用の資金が食料に消えたのちはどうなるのか。

 今の共和国の食料事情は、「全く足りない」のではなく「一部足りない」という情勢です。一部「足りている」のはどこから来るのか。それは、軍需産業やその派生産業の生み出す富をもとにした自弁によるものではないのか。とすれば、そのわずかながらではあるものの富を生み出している軍需産業にかける資金を食糧輸入にまわして、バラ撒いて食いつぶしてしまうことは果たしてよいのかという疑念が生じます。どんなにお腹が減っても来年のための種籾だけは食べちゃだめだよ!

 このように、昨今流行の「バラ撒き批判」の思考回路をヒントにして考えたわけですが、日本政治においては大変良く用いられる「バラ撒き批判」が、共和国の食料情勢をめぐる文脈においては、注意事項としても――「軍事用資金を食料輸入に使うべきだか、使いすぎると『バラ撒き』と同じことになるので注意すべし」――ほとんど登場しないのは、どうしたことでしょうかねえ。本当はリンクしているはずなのに、リンクしているのに気がついていないんでしょうかね。

 ちなみに話はそれますが、昨今流行の「バラ撒き批判」について私としましては、「どんなにお腹が減っても来年のための種籾だけは食べちゃだめだよ!」という意味合いで言っているのだとしたら、それはまあそうなんですが、かといって「来年」が来る前にくたばってしまったら本末転倒なので、このあたりの調整はまさにバランス感覚であると言わざるを得ず、その認識から昨今の日本政治に関する「世論」を見ると、些か「来年のため」という名目に偏重しているのではないかと言う感が否めません。「来年」も大事だけど「今」も大事だよ!「今」があってこそ「来年」があるんだよ!あたりまえだけど。まあ、共和国の話になるとまるで逆になるんだけどね。
posted by s19171107 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

産経のレベルはネトウヨ「以下」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000530-san-pol
>>> 社民・辻元氏が駄々っ子状態 民主ため息
9月20日18時18分配信 産経新聞

 頑固に「護憲」を掲げる社民党が、鳩山由紀夫首相が率いる連立政権でさっそく足をひっぱり始めた。社民党きっての論客である辻元清美衆院議員の国土交通副大臣起用をめぐっても大混乱。組閣翌日に副大臣辞任というハプニングが起きる寸前だった。社民党は衆参12人の小所帯だが、外交・安保政策だけでなく、政権運営面の「火種」となりかねないドタバタぶりに、民主党からは「付き合いきれない」(党幹部)とため息が漏れている。(原川貴郎)

 18日午後、国会内の社民党控室で、辻元氏は国交副大臣就任を駄々っ子のように拒み続けた。

 辻元氏「やだ、やだ、やだ、やだ!」

 阿部知子政審会長 「そんなのダメ。やりなさい!」

 辻元氏「(福島瑞穂)党首が閣議で署名しちゃってるんですよ。もうどうしてくれるんですか、幹事長!」

 混乱は17日夜に始まった。前原誠司国交相から電話で副大臣就任の要請を受けた辻元氏は、社民党国対委員長であることを理由に断り、対応を重野安正幹事長に一任した。

 これを受け、重野氏は党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相氏と協議しようとしたが、電話がつながらず、福島氏は18日午前の閣議で、辻元氏の名前が掲載された副大臣名簿に署名してしまった。

 ところが、福島氏は閣議後の記者会見で「サインはしていない。平野博文官房長官からは『調整中の方がまだ何人かいる』とのことだった」と署名の事実を否定。最後は署名したことを認めたが、なぜ辻元氏の意向を踏まえず署名したのかは定かではない。

 辻元氏の抵抗を受け、社民党幹部は18日夜の副大臣認証式までに閣議決定を撤回させようと動いたが、官邸サイドは「できません」ときっぱり拒否。重野氏は国民新党幹部に「連立政権として十分な意思疎通ができていない」と不満をぶちまけたが、もはや白旗を上げるしかなかった。

 社民党の混乱に民主党幹部は「党内の連携ミスの責任をこちらに押しつけられても困る」とあきれ顔。辻元氏が国対委員長職に固執した理由は分からないが、辻元氏は平成15年に秘書給与流用事件で詐欺容疑で逮捕され、翌年2月に有罪判決を受けた。自民党幹部は「内閣に入ってくれた方が攻撃しやすい」とほくそ笑んでいる。
<<<
 要するに、本人の意思確認というか連絡もせずに勝手に決定したから本人が嫌がっているという、辻元氏にしてみれば当然の反応、かつ、社民党組織のドタバタぶりを報じているわけですが、それにしてもタイトルだけみると何かぜんぜん違う印象をうけますねえ。

 産経が社民党嫌いなのは分かりますよ。その主張を見れば分かるし、この記事にしても最初の書き出しを見れば分かりますから。ならば、「与党:社民党」の余りにもお粗末な組織的迷走を示すこの事態、もう少しおいしく調理したらどうかと思うんですがねえ。

 というかそれ以前に、タイトルのピントと本文のピントが違わない?タイトルは辻元氏の言動にピントを合わせているかのような印象を受けるのに、本文は社民党の組織としての迷走っぷりにピントを合わせている。

 「産経はネトウヨレベル」とか良く聞きますが、当のネトウヨならばおいしいネタはもうちょい上手く調理するんじゃないかと。文章の書き方、特にタイトルのつけ方がアレなのは類似するところがあるけど。まあ、それを言うなら私もそうだけど(´・ω・`)タイトルツケハムズカシイノヨ

2009年09月19日

社会の「硬直的勧善懲悪」こそが社会問題解決を妨害する

【訂正】
 長い文章を書いたときのお決まりとなってしまいましたが、第7段落ならびに第19段落(引用部分は1段落と数える/最終段落は第20段落ということになるっぽいけど数え間違えているかもしれん)に訂正を加えました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090918-00000120-jij-soci
>>> 札幌弁護士会副会長を逮捕=覚せい剤所持容疑、使用も認める−1g程度、自宅に隠す
9月18日15時17分配信 時事通信

 自宅に覚せい剤を隠し持っていたとして、北海道警薬物銃器対策課などは18日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で、札幌弁護士会副会長加藤恭嗣容疑者(51)=札幌市中央区伏見=を現行犯逮捕した。同課によると、容疑を認め「自分で使う目的で持っていた」と話しているという。
 接見した弁護士によると、使用についても認めているという。同課などは今後、尿検査を行うなど使用容疑も追及、入手経路を調べる。
 逮捕容疑によると、加藤容疑者は18日午前9時ごろ、自宅の自室にあったセカンドバッグの中に、ビニールの小袋7個に入った少量の覚せい剤を所持していた疑い。覚せい剤の量などは鑑定中だが1袋数回分とみられ、1グラム程度という。
 加藤容疑者は札幌市出身で早大法学部を卒業後、会社勤務を経て1990年に司法試験に合格し、93年に弁護士登録。今年4月から札幌弁護士会の副会長を務めていた。同会は同日、綱紀委員会に懲戒請求した。 
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 酒井法子さんの件(+押尾学氏の件)で相当、世間は騒がしくなっている違法薬物(覚せい剤含む)濫用問題です。「またか」という声も大いにあろうかと思います。当然です。なぜならば、日本人が本気で違法薬物の問題に取り組もうとしていないのは、たとえば酒井法子さんの件を見ても明らかだからです。

 私も酒井法子さんの件については全ての報道を見たわけではなく、いくつかの報道を選択して視聴しているだけなのですが、ほとんどの報道は「違法薬物(覚せい剤)濫用は犯罪」とか「あなたのためにならない」あるいは「絶対につかっちゃだめ!」という「啓発レベル」にとどまっています。また、「世論」にしても、以下の記事のコメ欄のように、「違法薬物(覚せい剤)を濫用した挙句に逃亡とはケシカラン」とか、あるいは、「違法薬物濫用経験者が元の地位に復帰する前例を作ってしまうと、つかまっても復帰できると思っているバカが出てくるから、濫用経験者は元の業界を追放しなくてはならない。つまり、酒井法子は芸能界を追放しなくてはならない」という言説のように、「いつもの」勧善懲悪的厳罰・抑止をやっています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090902-00000004-oric-ent
>>> 美川憲一、自身の体験踏まえ酒井被告に言及 「復帰するしかないんじゃない?」
9月2日19時41分配信 オリコン


 歌手の美川憲一がコンサート『美川憲一 ドラマチック・シャンソン 2009 〜10年目の秋〜』の公演を控えた2日、東京・ル テアトル銀座でマスコミ向けに公開リハーサルを行った。自身も過去に大麻取締法違反で逮捕され芸能界に復帰した経験を持つ美川は、覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴された酒井法子被告について犯した罪の重さを反省すべきという姿勢を貫くも「復帰しかないんじゃないの。もし来て相談したいって言うならもちろん喜んで。(気持ちは)自分が一番良く分かるからどうやって立ち直ったのか、その姿を教えてあげたい」と語った。

 芸能生活45周年を記念して全国をまわるコンサートの真っ最中の美川が、その合間をぬって開催する同コンサートは、今年で10年目。シャンソンの数々の名曲や、リハーサルでも歌った『美川憲一シャンソンアルバム』(6月発売)に収録された楽曲などを2部構成で披露する。きらびやかな衣装に身を包んだ美川は「ステージ衣装は(質を)落とすことができないの。3日間断食して(体型を整えて)までこの衣装にかけてるのよ」とコンサートにかける思いを語った。

 また、世間を賑わせている押尾学被告や酒井被告の薬物事件について言及した美川は、酒井被告の芸能界復帰の可能性を「彼女がお金を持っているとは思えないし、それしかないんじゃない」と断言。そのためには「周りに『仕事をさせてあげよう』って気にさせる姿勢。芸能界は甘いって言われても、『それでも』っていう姿勢」が大切だと語った。また自身の復帰までの体験にも触れ、「あたしだって大変だった。精神を変えたから。皆さんに謝罪して、懺悔すればいいんじゃないかしら。立ち直れると思うし、立ち直ってほしい」とアドバイスした。

 さらに、先日自身の公式ブログで“夫に携帯電話を折られて実家に帰った”ことを綴っていた親友・神田うのの現況を問われると、「あの夫婦はたまにそうやって刺激しあってるの」とあっけらかん。「何かあったら必ず報告が来るし、ないってことは今頃きっと仲良くなってるわよ」と笑い飛ばしていた。

 コンサート『美川憲一 ドラマチック・シャンソン 2009 〜10年目の秋〜』は3日(木)〜5日(土)まで同所にて公演。
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>>> 2009年9月2日 19時50分xpy*****さん
私もそう思う39,116点 私はそう思わない2,125点

逃げたり証拠隠滅を図ったり...
ただ捕まったんじゃねーんだぞ。軽はずみな事言うな。
子供連れで薬やってるなんて許される事じゃない。
復帰なんぞありえん。
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>>> 2009年9月2日 19時50分yas*****さん
私もそう思う34,817点 私はそう思わない2,086点

>芸能界は甘いって言われても、『それでも』っていう姿勢」が重要

おまえみたいな奴がのさばっているから、
つかまっても復帰できると思っているバカが多いんだよ。

おまえもサッサとうせろ。

芸能界は本当に大甘すぎる!
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 もちろん、芸能人たる酒井法子さんの件だけを見れば、こういう結論に至るのも、彼らの思考回路からすれば無理も無い話です。しかしながら本件、すなわち、札幌弁護士会副会長の覚せい剤所持容疑も含めて考えれば、勧善懲悪的厳罰・抑止の失当性(無効性)が見えてくるのではないでしょうか。なぜならば、禁錮以上の刑に処せられた者は弁護士となる資格をもたないからです。

 つまり本件を一度整理しなおすと、札幌弁護士会副会長は、バレれば弁護士資格を喪失することは確実であり、「復帰」するためにはそもそも法改正が必要である(=不可能)にもかかわらず、違法薬物たる覚せい剤を濫用したと言うことになると思われます。

 ご存知のとおり、弁護士はなろうと思ってもそう簡単になれるものではなく、本件によって失うものは余りに大きすぎます。また、今回の逮捕された副会長さんは御歳51歳であり、しかるべき処罰を受けた後の再就職は、昨今の情勢をかんがみるになかなか難しいものがあります(もちろん、本当に容疑が事実であればの話ですが)。司法試験に合格して弁護士とになった人が、感情屋系「自己責任」論者じゃあるまいし、その辺の情勢分析ができないとは到底思えませんが、驚くべきことに、実際には全くできていない、恐らく「できない」ような精神的状況になっていたであろうというのが[現実]です。

 このような[現実]を踏まえると私としましては、「違法薬物濫用は犯罪」とか「あなたのためにならない」、「絶対につかっちゃだめ!」という「啓発」、あるいは、「いつもの」勧善懲悪的厳罰・抑止などを以ってしては、これ以上、違法薬物濫用問題に対抗することはできないと言わざるを得ないと思います。

 ではどうするべきか。「なぜ、人は違法薬物に手を出すのか」ということについての研究と、そこで明らかなった原因に対する社会的な除去の取り組みがとりあえず不可欠だと考えます。

 しかしながら、私が見た限り、こういう視点から昨今の違法薬物濫用問題に切り込んだ報道は本当に少なかった。札幌弁護士会副会長の件は昨日発覚した問題なので、そもそも報道量が少ないのは時間的に致し方ないので除外しますが、たとえば酒井法子さんの件では、NHKの19時のニュースが1回と、たしか産経新聞あたりが1回、それぞれ同じく「芸能界という不安定でストレスの溜まる環境が、その引き金の1つになったのではないか」という分析を少しだけ報じたということだけしか今のところ確認できていません(情報求む)。

 私としては、こういう環境的要素に対する分析は大変重要であると思いますが、こう書くと、ほかの刑事事件をめぐる「世論」動向から推察するに、「本人の素質」、特に「生まれつきの性質」という点を指摘する方も少なくないと思います。しかし、仮に「本人の素質」、特に「生まれつきの性質」が行為に主たる影響を与えていたとするならば、今度は、「現時点」でその現象が起き、「過去のある時点」ではその現象は起きなかったことについての説明が求められます。たとえば、酒井法子さんの旦那さんである高相祐一氏は、道玄坂で「不審な振る舞い」をしていたことから職質をうけ逮捕に至ったと報じられていますか、もし高相氏の覚せい剤濫用が同氏の「素質」によるものであるならば、なにも「チュチェ98(2009)年8月3日」でなくとも、もっと以前に逮捕されていてもおかしくないはずでしょう。「本人の素質」なんだから。ちょっと話がずれますが、類似の議論として昨年の秋葉原事件について「本件は格差云々ではなく加藤の素質によるものだ」というものがかなり見られましたが、それならば彼は「チュチェ97年6月8日」でなくとも、もっと前に犯行に及んでいてもおかしくないはずです。しかし、彼は「チュチェ97年6月8日」に犯行に及んだ。ほかの日ではなく、特に「チュチェ97年6月8日」であった点については、何らかの「引き金」があったはずで、それはやはり「周囲の環境」が少なくない影響を与えていると見るのが自然ではないでしょうか。

 このように考えると、やはり、「周囲の環境要素が与えた影響」というものを考える必要はあるのではないかと無いかと考えます。実際にどれほど影響を与えているかは別にして(「きまぐれ」と言う可能性も、やはり、最初から除外してかかることはできないですし)。

 しかしながら、先にも書いたように、このような分析はほとんど見られませんでした。では、それはなぜか。その原因のひとつは、以下の記事に現れているのではないかと考えます。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20090830030.html
>>> 市井紗耶香、酒井法子被告に「それだけじゃ済まない」

 5年ぶりに芸能界復帰した元「モーニング娘。」の市井紗耶香(25)が30日、TBS「サンデー・ジャポン」に生出演した。

 番組冒頭で「爆笑問題」田中裕二(44)からテレビ復帰第1弾をサンジャポに選んだ理由について尋ねられると「もともと(サンジャポを)よく拝見していたので」とはっきりした口調。「(復帰は)1年ぐらい前から考えていた。子どもが成長してきたので、芸能界の仕事を再開したいと思った」と復帰への経緯を述べた。

 覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴された女優酒井法子被告(38)については「育児と仕事のストレスと言うけど、それだけでは済まされない。子どものことを考えると、夫婦で(薬物を)使うなんて考えられない」と母親目線でコメントした。

 市井は03年11月に「自分の幸せのもっとを探しに」と引退を発表、04年3月に、02年3月に結成したユニットのギタリスト、吉澤直樹との“できちゃった婚”が判明した。現在は2児の母親。
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 「育児と仕事のストレスと言うけど、それだけでは済まされない。」という部分。「済まされない」はしばしば「許されない」に容易に置換されます。この手の問題の原因のひとつに「環境的要素」をあげる人に対する「反論」として、よく見られる言説であると同時に、昨今の「世論」を導く典型的な思考回路です。

 すなわち、あらゆるものの判断基準が唯一「善悪」、すべてを「善悪」に帰して判断しようとする。「善悪」を別にして考えることができない。「このたびの問題の原因はxx(xxは自分自身以外の何か)」というと、すべて自己弁護・対象者擁護の言説に聞こえてしまう。「育児と仕事のストレス」というのが酒井法子さんの件において原因のひとつであると指摘する人が少ないながらもいることは確かですが、別に誰も「だから無罪」とか「減刑すべし」などとは言っておらず、ただ客観的に考えられる原因を、結果の善悪は別にして言っているに過ぎません。

 私としましては、このような、「善悪」を別にして考えることができず、すべてを「善悪」に帰して判断しようとする昨今の「世論」を導く典型的な思考回路が、ある問題の原因究明に際しての環境的要素に対する分析を阻害(もともと「善悪」はかなり最終的な判断基準でありますが、それに加えて日本人は「必要悪」の視点が弱いので、善悪判断が終わった段階で思考が停止してしまうと考えられます)し、ひいては日本人が、違法薬物問題を含めた数多の社会問題対して本気で取り組もうとしていないと言わざるを得ない情勢をもたらしているのではないかと思えてなりません。

 行為の善し悪しはあとでで良いんです。すでに問題を起こした人に対する処分はあとでで良いんです。なによりも、(すでに起きた問題によって発生した損害の修復・救済はもちろんですが)同じ問題を二度と起こさないための方策を考えなくてはなりません。そしてそのためには、すでに問題を起こした人が何故、問題を起こすにいたったのかについての環境的要素の影響を考慮に入れた研究を「善悪」という視点を経ずにすることが不可欠なのです。それを怠るようであれば、同様の問題が2度3度起きても何ら不思議ではありません。
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にわか官僚擁護論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090918-00000250-jij-pol
>>> 事務局長に民間人登用へ=「脱官僚」印象付け−刷新会議
9月18日23時42分配信 時事通信

 政府は18日、新たに設置した行政刷新会議の事務局長を民間から登用する方針を固めた。「行政の無駄遣いの根絶」を徹底するには、効率性を追求する民間の視点が必要だと判断した。政府は他のメンバーも含めて来週発表する考えだ。
 政府関係者が同日、明らかにした。同会議は、首相を議長に、仙谷由人行政刷新担当相や関係閣僚、地方団体の首長経験者ら民間有識者などで構成。事務局長に民間人を充てることで、「脱官僚」を印象付ける狙いもある。
 政府は、会議の陣容が決まれば、月内に同会議の初会合を開き、麻生政権で編成された2009年度補正予算の見直しに取り組む方針だ。
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「脱官僚」を印象付ける狙いもある。
 うん、印象は大切ですよね。特に日本人は、内実よりも印象のほうを重視する、というか、一見しては分かりにくい内実よりも、「印象」という、パッと見て(=余り考えずに)分かりやすく、記憶に残りやすいものに引きずられると言ったほうが正確でしょうけど。

 似たような展開として、今回の政権交代について、「日本の民主主義が深化した」とかはしゃいでいる人たちがテレビなどを見ていると少なくありませんが、これもまた実に表層的な観測であると言わざるを得ません。政権が交代しても前と同じ政治が続いたり、あるいは新政権が何もできなければ何の意味もないし、そもそも政権が交代する余地があれば、実際に交代せずとも民主主義は民主主義ですからね。私としては、与党が選挙で大負けして政権が交代する事態に陥るような展開は、統治力が未熟な団体が政権を握ることのできることの証左であり、これはすなわち、統治能力において全体的に未熟な国家であるような気がします。

 それはさておきコメ欄。こっちが今日の本題ね。
>>> 官僚主導の何がいかんの??
そのおかげでここまで豊かな国になったじゃん。
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 「与党:民主党」が、官僚叩きに熱心そうな様子であるためか、昨今は上記のような官僚擁護論が、これ以外にもチラホラと出てきているように感じるのは気のせいでしょうか。民主党のいう「政治主導」は、かつて自民党が唱えた「官邸主導」と余り大差ないような気がするんですけどねえ。

 本当に気のせいかどうかについては今後の調査課題ですが、刑事弁護をめぐる「世論」の動向に対する分析を応用すると、与党:民主党が官僚叩きをメインにしているがゆえに、反民主党(そういえば、「反民主党派」っていまや「反政府派」になるんですね。ということは、産経は「反政府新聞」かw)な方々が批判されている官僚を擁護する立場に回るということは十分に考えられます。すなわち、刑事弁護をめぐる「世論」の動向においては、いわゆる「人権派弁護士」が非常に厳しい批判を受けている反面、「人権派弁護士」が弁護を担当する刑事事件の被害者側が何だか妙にヨイショされていますが、その一方で、「人権派弁護士」が絡まない事件においては、必ずしも被害者側は支持を得られているわけではなく、盛んに自己の被害を訴え、加害者側に謝罪・賠償を求める被害者、つまり、「被害者意識の高い被害者」はむしろ「世論」から嫌がられるという現象を良くお見掛けすると思います(まあ、ほとんどネット上限定の話ですけどね。リアルでは人権派云々という話自体が余り出てきませんからね)。

 この現象について私は、「人権派弁護士」への対抗するためだけに、その対称点にいる「被害者」を短絡的に支持しているだけであって、本当に「被害者のため」ではない、という主旨のコメントを、かつて書きました。

 この仮説にしたがって本件のような、昨今にわかに出てきた「官僚擁護論」を見ると、これもまた、先にも書いたように、「与党:民主党が官僚叩きをメインにしているがゆえに、反民主党な方々が、批判されている官僚を擁護する立場に回」っているというふうにいえるのではないかと思います。まあいづれにせよ、先にも書いたように、本当に気のせいかどうかについては今後の調査課題なんですけどね。思いつきメモ程度に。
posted by s19171107 at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

「被害者・遺族のために!」の人たちは薄情ですね

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090910-00000009-mai-soci
>>> <女性バラバラ殺害>星島被告に2審も無期判決 東京高裁
9月10日10時21分配信 毎日新聞

 東京都江東区のマンションで08年4月、2部屋隣に住む会社員、東城瑠理香(るりか)さん(当時23歳)を殺害し、遺体をバラバラにしてトイレに流したとして殺人や死体損壊罪などに問われた元派遣社員、星島貴徳被告(34)の控訴審判決で、東京高裁は10日、無期懲役とした東京地裁判決(2月)を支持し検察側の控訴を棄却した。1審同様量刑が争点となり、山崎学裁判長は殺害の計画性を否定し「謝罪の態度を示し立ち直る可能性がある」として死刑を回避した。

 死刑を求めて検察側が控訴し、弁護側は控訴棄却を求めていた。

 山崎裁判長は「殺害は身勝手極まりない。死体損壊は人間の尊厳を無視する他に類を見ないおぞましい犯行。突然命を絶たれ、ごみ同然に扱われ、さぞかし無念だったと推察される」と述べた。

 しかし「『東城さんを拉致した時点で殺害に着手せざるを得ない状況だった』という検察側の主張は早計」と殺害の計画性を否定し(1)前科前歴がない(2)自白し罪を悔いている(3)立ち直る可能性がある−−などと1審同様の判断を示した。

 2審で判断を変更した点もあった。わいせつ目的で拉致したものの、わいせつ行為には及ばなかった点を1審は有利な情状として挙げたが「有利には考慮できない」とした。さらに「殺害行為は無慈悲で残虐。1審が『極めて残虐とまでは言えない』としたのは相当ではない」と述べた。しかし、83年に最高裁が示した死刑適用基準(永山基準)や被害者が1人でも死刑となった過去の事案との違いを指摘し「極刑がやむを得ないとまでは言えない」と結論づけた。

 2審は出廷する義務がないため星島被告は不在だった。

 判決によると、星島被告は08年4月18日、東城さん方に侵入し帰宅直後の東城さんに包丁を突きつけて自室に連れ込み(住居侵入罪、わいせつ略取罪)、東城さんの首を包丁で突き刺し失血死させた(殺人罪)。さらに遺体を切断して捨てた(死体損壊・遺棄罪)。【安高晋】

 ▽東京高検の渡辺恵一次席検事の話 判決内容を十分検討し今後の対応を決めたい。

 ▽星島被告の弁護士の話 裁判所の判断を尊重する。(被告不在については)ノーコメント。
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 2月の一審のときは連日大騒ぎしていたのに、今回はメディア世論・ネット世論共に嫌に静かなのはどうして? コメ欄も最多賛同ポイントは6000ポイント台、某所での日記記事数も300記事台だし。殺人事件に関する判決、特に、「世論」にとっての「不当判決」なら、それぞれその10倍はあってもおかしくないのにね。事件自体は1年半前、1審判決に至っては半年ちょっと前に出たばかりの事件なのに、「被害者・遺族のために!」の人たちは薄情ですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090911-00000066-san-soci
>>> 江東女性殺害 2審も無期 「判例重視」徹したプロ
9月11日7時56分配信 産経新聞

 無期懲役が言い渡された1審に続き、被害者が1人の殺人事件で極刑が下されるかどうかが注目された控訴審判決。山崎学裁判長は、星島貴徳被告が反省し、矯正の可能性があることを強調し、改めて無期懲役を選択した。

 8月から各地で始まった裁判員裁判では、性犯罪が初めて審理され、求刑通りの懲役15年を言い渡した青森地裁判決のように、従来よりも重い刑の判決が目立つ印象がある。そうしたケースでは、被害者や遺族が出廷して、強い被害感情を訴えた。

 今回の裁判でも1審に続いて遺族が証言に立ち、「(1審は)気持ちを理解してくれなかった。裁判をした意味があるのか」と厳しい感情を吐露した。

 制度導入前から「裁判員が被害者側の感情に流される恐れがある」との指摘はあったが、ある裁判員が判決後に「被害者の気持ちを重く受け止めた」と述べたように、少なくとも被害者側の主張が認められやすくなっている可能性がある。

 一方、今回の控訴審判決は昭和58年に最高裁判決で示された、死刑を判断する際の犯行の動機や計画性、殺害方法の残虐性などの判断基準に厳格に沿った。数多くの判決がこの基準に従って出されており、一般化されている。

 ただ、最近は基準で最も重視されてきた「被害者の人数」が1人でも、犯行全体の悪質性から死刑判決が出るケースが目立っているが、その中で山崎裁判長はそれらの事件と比べ、星島被告に有利な事情を重くみて、死刑を回避した。

 しかし、裁判員裁判についていえば、「重罰傾向にあるからといって裁判員が死刑を選ぶかどうかは別」という専門家の声もある。被告が罪を否認している裁判であれば冤罪(えんざい)の可能性もあり、裁判員が極刑を判断するには精神的な負担もつきまとう。

 裁判官と裁判員が議論して結論を出す1審、職業裁判官3人が判断する控訴審の審理を単純に比較はできないが、今回の判決では、被害者や遺族の声を重視する“素人”と、過去の判例や基準を重視する“玄人”の差が浮き彫りになったといえる。(福田涼太郎)
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裁判をした意味があるのか
 「被害者参加」なんていう、とってつけたような風潮・制度を作ってしまった関係上、あるいは、遺族感情というものから考えても、こういう発言が出てきてしまうことは仕方ありませんが、現在の司法制度における刑事裁判の役割を根本的に読み違えていると言わざるを得ません。「被害者(遺族)が参加した意味があるのか」なら分かりますけど、「裁判をした意味があるのか」ってあんた。。。

 今の司法制度が気に入らないにしても、こういうことは実際の裁判の法廷で言うべき言葉ではない、というか言われても困ります。

 以前にも書きましたけど、こういう言説を口にするほど心理的に追い詰められている遺族に対してアドバイスする人って本当にいないんですねぇ。「被害者・遺族のために!」の人たちは本当に薄情ですね。


 なお、私は以前に「取り上げないことは問題ではなく、むしろ取り上げ方が問題である」と書きました。この見解は今も変わっていないのですが、この記事をご覧になった方におかれましては、あるいは矛盾していると感じた方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、私が以前の記事で擁護したのは、ある話題について「個人」やそれに準ずる程度の人数の組織が「取り上げない」ことについてであります。一方で今回の記事で「薄情ですね」としたのは、「「被害者・遺族のために!」の人たち」つまり「集団」、それも昨今の社会情勢をかんがみるに、相当大規模な「集団」です。

 そもそも、なぜ取り上げないことが問題ではないのかといえば、「取り上げる」とか「取り上げない」とかいう問題が発生するようなテーマというのは、多くの「個人」にとっては本業とは無関係の分野であり、よって色々と忙しい現代社会においては「取り上げないこと」を非難しても仕方ない事情、「本当なら私だって一言言いたいよ!でも忙しいんだよ!」という事情があるのではないかという認識によります。

 しかし、こと「集団」ともなれば、「色々な人」がいるはずです。刑事事件の被害者・遺族について取材・研究することを本職にしているジャーナリストや作家、研究者や学生だっているはずですし、暇をもてあましている定年退職者や無職者だっているはずです。もちろん、普通に働いている方がコメントを寄せているということも当然、あるでしょう。

 先にも書いたとおり、今回問題にしているのは、「集団」としての、全体としての「「被害者・遺族のために!」の人たち」です。そして、その集団としての「「被害者・遺族のために!」の人たち」は、それにしても本件について言及していない。通常、この手の話題にコメントする人たちの多くが忙しい社会人であることを考慮に入れるにしても、全体から見て言及する数が少ない。この手の話題は昨今、大衆が強い関心を寄せている分野ですし、その中でもこの事件は相当大きく報じられた関係上、そもそも全く知らないという人も少ないはずだし、予習が必要な複雑な背後関係が全く無い事件なので、理解できないこともないはずなのに、それにしても少ない。

 よって私は、「「被害者・遺族のために!」の人たちは薄情ですね」としたわけであります。もうちょっと盛り上がっていてもいいんじゃないの?
posted by s19171107 at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

共和国創建61周年

よるりょり ちゅっかはむにだ!
posted by s19171107 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

「社民埋没」どころか「社民切り」かもしれない

 先の衆院選で圧勝した民主党と、社民党・国民新党両党の連立政権発足に向けた協議がここ数日行われていることは、皆様も報道等でご存知かと思います。連立政権入りが現実味を帯びていているなかで社民党は、選挙期間中から「(特に憲法と平和の分野について)新しい政治(=民主党政権)の品質保証役になる」などと、そもそも立てている候補者総数から見ても明らかな大風呂敷(あと1週間ほどで終わる自民党政権における公明党の役割を演じよう、演じられると思っているんでしょうかね?)を広げていただけあって、「われわれの政策を実現させるときが来た!」というようなふうに大はしゃぎしています。

 このような社民党の見るに耐えない大はしゃぎについて、それ以前に民主党と手を組んだという決断については、「憲法と平和の分野」において味方であるはずのいわゆる「護憲派」の側からもかなり冷ややかな目で見られています。その過程で、しばしば村山政権の「変節」ぶりが引き合いに出され、「あのときよりも党勢力が小さい昨今の社民党が、巨像のような民主党の歯止めになるはずが無い」と指摘されたり、あるいは「自民党政権における公明党の役割を狙っているのならば、まさに公明党のように、党原則が大きく歪められるだろう」などとかなり厳しい指摘を受けています。

 この指摘については、私もそう思います。社民党は村山政権時節につづき、そして自公政権下における公明党のように、政権の中にあってその言い分をうまく主張できないと思います。

 しかしながら、以下の記事を読むと、社民党は「政権の中にあってその言い分をうまく主張できない」どころか、そもそも政権の中にいる時間すらもそんなに長くは無いのではないかとすら感じます。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090907/stt0909071827010-n1.htm
>>> 小沢氏「私は選挙担当」参院単独過半数へ連合に協力要請
2009.9.7 18:23

 民主党の小沢一郎代表代行は7日、都内で開かれた日本労働組合総連合会(連合)の地方組織の会議に出席し、「私は政策を実行する役割ではなく、相変わらず選挙の方を担当する」と述べ、自らの幹事長への内定を報告した。

 小沢氏はその上で、「来月以降、候補者の擁立が始まる。参院ではまだ、民主党は社民、国民新両党の力を借りてようやく過半数という形であり、来年の参院選は何としても勝利しなければいけない」と語り、来年7月の参院選での民主党の単独過半数確保に向け、引き続き連合の協力を要請した。
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 そもそも此度の衆院選で単独で過半数をはるかに超える数の議席を確保した民主党が、なぜ議席数一ケタ台の社民党・国民新党と連立政権を組もうとしているのかと言えば、それは参議院では民主党は過半数の議席を確保できていないからであります。しかし、問題となる議席数は実にわずかであり、このまま民主党に有利な情勢のまま参院選を迎えれば、民主党にとっては社民党・国民新党と連立を組む必要性すらなくなることでしょう。

 そう考えると社民党は、「政権与党の中にあって埋没」どころか、今度は切り捨てられる可能性すらある情勢にいると言えるのではないでしょうか。此度の選挙で、本気で「民主党の品質保証役」としての役割に期待した人がどれほどいたのかは知りませんが、残念ながら、その願いは空しく吹き飛んでしまうかもしれません。

 そして社民党は、またも甘い認識でホイホイと連立を組んだりしたために、「憲法と平和の分野」において味方であるはずのいわゆる「護憲派」から信用を失うと。確かに民主党という政党は、余りに多彩な人材が一つの党として集合しているために、いまいちその「正体」というのが見えにくいので余り支持したくない政党なんだけど、かといって社民党は、その「正体」は明瞭だけれども、余りに認識が甘すぎるがために、誰にでもホイホイついていってしまうという致命的欠点がある。では共産党かというと、共産党については別途。
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2009年09月06日

東芝がBDへ

メモ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090906-00000531-san-bus_all
>>> 東芝、屈辱のブルーレイ参入 次世代テレビでリベンジ
9月6日20時15分配信 産経新聞

 次世代DVDの規格争いに敗れた東芝が、ソニーなどが推進するブルーレイ・ディスク(BD)の発売を4日に正式発表した。昨年3月に東芝が提唱していた「HD−DVD」から撤退。小型の半導体メモリーに録画する次世代テレビでのリベンジを狙い、「未来永劫(えいごう)、BDはやらない」とささやかれていた。参入はBD市場が順調に拡大し、指をくわえてながめているわけにはいかなくなったためだが、決断に至るまでには社内で激しい葛藤(かつとう)が繰り広げられていた。


 ■総会でサプライズ

 「汗水流して奮闘した開発や販売の現場に、BDへの感情的なしこりがないと言えばうそになる。社内のコンセンサスを得るのは容易でなかった」

 東芝関係者は、参入までの経緯をこう明かす。

 まず11月に再生専用機を米国で発売し、欧州、日本でも順次投入する。

 東芝は平成15年に「HD」の基礎となる規格をNECと共同で提唱。ソニーやパナソニック(当時は松下電器産業)のBD規格と壮絶な覇権争いを展開したが、優良ソフトを持つ米国の主要映画会社を味方につけたBDに押され、じり貧となり、ついに撤退を余儀なくされた。

 「BDについて話すのは禁句だった」「BDに参入する空気はまったくなかった」

 複数の東芝社員は、こう口をそろえる。

 ところが、今年6月の株主総会で、業界や社員も驚く“サプライズ”が起きた。BD参入について株主から質問を受けた当時の西田厚聡社長(現会長)が「負けたから一切やらないということではなく、柔軟性を持ってフレキシブルに対応していきたい」と答え、事実上、BD参入を表明したのだ。

 ■現場からの突き上げ

 「BDはやらない」としてきた西田氏がこぶしを下ろしたのはなぜなのか。

 一つには、総会でバトンタッチした佐々木則夫新社長への“配慮”がある。意地やプライドで参入を拒み続ければ、「収益機会を失い、新体制の足を引っ張りかねない」との判断がはたらいたとみられる。

 最大の理由は、「BDを出してほしい」という東芝ユーザーの声を受けた販売現場からの突き上げだ。

 東芝関係者によると、「当初は参入に抵抗もあった販売部門が、今年に入り、BDを出さない方がリスクになると上層部に詰め寄った」という。

 だが、HDに関係した社員の再配置など敗戦処理を終えたばかりの経営陣は躊躇(ちゆうちよ)した。ライバルメーカー幹部は「成長市場のBDを無視できないとする現場とそれを認めない経営陣との認識に大きな差があるという話が伝わってきた」と明かす。参入を決断する今春まで、経営陣とDVDを手がける事業部門との議論は数回に及んだという。

 ■半導体が切り札

 さらに、省エネ家電の購入を後押しする政府の「エコポイント制度」のスタートで薄型テレビの販売が盛り上がり、これにつれてBDの販売も拡大。7月には金額ベースでコーダーのうち8割をBDが占めるまでになった。

 ソニーやパナソニックなどライバルは薄型テレビとBDをセットで売り込む戦略を展開し、相乗効果を挙げている。単価の下落に歯止めがかからないDVDは平均4万円台なのに対し、BDは2倍の8万円台。収益率は高く、BDを持たない東芝の不利は誰の目にも明らかとなり、ついに参入を決断した。

 ソニーの幹部は「ビデオの規格争いで自社のベータを破ったVHSの開発を社命で担当するはめになったが、正直、葛藤はあった」と、ライバルの心境をおもんばかる。

 もっとも、東芝もこのまま黙っているつもりはない。すでに脱DVDをにらみ、半導体のフラッシュメモリーを組み込んだ大容量の「SSD(ソリッド・ステート・ドライブ)」と呼ばれる小型軽量の記憶媒体をテレビに差し込み、録画する次世代テレビの開発に着手している。

 レコーダーが不要になるという画期的な製品で、お荷物といわれながらも本体で抱え続けてきた半導体事業との相乗効果など、“総合電機”としての強みも発揮できる。

 HDでの敗戦を教訓にすると同時に、屈辱をバネにして次世代テレビでリベンジを果たせるのか。東芝の真価が試されそうだ。(佐藤克史)
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2009年09月05日

労使対立・正規非正規対立

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090904-00000064-mai-soci
>>> <自動車総連>派遣切り巡り反省の弁 執行部
9月4日15時1分配信 毎日新聞

 「同じことは繰り返しません」−−。神戸市で3日から開かれている自動車関連の労組で作る自動車総連(西原浩一郎会長)の定期大会で、昨年秋以降、急速に拡大した派遣など非正規雇用労働者が雇い止めなどで大量失職したいわゆる「派遣切り」を巡り、そんな率直な反省の言葉が飛び出した。「正社員クラブ」と、やゆされることもある労組からの言葉。自動車会社で派遣切りにあった当事者からは「同じ労働者として考えてくれたようでうれしい」との声が出ている。

 発言は3日の定期大会の運動方針を巡る質疑で飛び出した。ホンダ労組の組合員が「昨年秋以来、多くの非正規労働者の雇用が失われ、社会的な批判も浴びた。同じこと(派遣切り)の繰り返しは許されない。執行部はどう考えるのか」と質問、対応や考え方を聞いた。

 これに対して執行部は、生産が大幅に減少する中で起きたことだとの認識を示した上で「(派遣切りを)重く受け止め、同じことは繰り返さない」と表明した。さらに、非正規労働者を含めどう雇用を守るかを経営陣らと定期的に協議し、対応を検討していると説明。労働者派遣法の改正を巡っても、製造業務への登録派遣を原則禁止するとした民主党や社民党の改正案(先の国会で廃案)に「自動車総連も基本的には同じ」と賛成する立場を明確にした。

 この発言に、昨年末に契約途中で三菱ふそうを雇い止めになり、地位確認を求めて係争中の元派遣労働者、鈴木重光さん(36)は「雇い止めになった時に正社員組合は何もしてくれなかったが、ちゃんと向き合って考えてくれたのかと思うとうれしい。(裁判を起こし)声を上げて良かった」と述べた。派遣労働者の支援をしてきた首都圏青年ユニオンの河添誠書記長は「今後、具体的に何をするのかが大事だが、大企業労組が派遣切りを問題にし率直に語ったことは重要だ。歓迎したい」と話している。【東海林智】
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 昨秋以来深刻化し続ける非正規雇用労働者の雇用情勢に関して、「労使対立」を「正規非正規対立」に摩り替えようと必死になってきた方々の努力は、もちろん首都圏青年ユニオン書記長のいうように、今後の動向次第ではありますが、半分くらいは吹き飛んでしまったわけですね、分かります。

 企業と非正規雇用労働者、正規雇用労働者の3者の利害関係は、もちろん今現在の情勢では全てが一致するわけではありませんが、非正規雇用労働者は、正規雇用労働者に対しては「労働者」という共通項がある限り、少なくとも企業よりは親和性が高いはずです。というか、非正規雇用労働者と企業の利益が一致するなんておよそありえない展開ですからね、構造的に。

 今後の展開に注目したいところです。
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2009年09月03日

感情屋的警察官

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090902-00000597-san-soci
>>> 白バイ隊員、スピード違反の記録ねつ造で書類送検 警視庁
9月2日17時58分配信 産経新聞

 スピード違反の取り締まりで事実と違う処理をしたなどとして、警視庁は2日、虚偽有印公文書作成・同行使と道路交通法違反の疑いで、警視庁第10方面交通機動隊に所属する白バイ隊員の巡査部長(38)を書類送検し、停職6か月の処分とした。巡査部長は同日付で辞職した。

 人事1課の調べによると、巡査部長は5月10日午後1時ごろ、東京都板橋区の環状7号線で、30代の男性が運転する大型バイクを追尾してスピード違反を取り締まった際、白バイの計測記録では二十数キロの速度超過だったにもかかわらず、三十数キロの超過として虚偽の交通切符を作成した疑いが持たれている。

 人事1課によると、巡査部長は男性のバイクを停止させ「違反の現場を確認してくる」と告げた後、実際に三十数キロの超過で白バイを再走行し、計測記録を捏造(ねつぞう)していた。「(計測前に)少なくとも四十キロ以上は超過していたと感じ、記録より速い速度で取り締まる必要があると思った」などと話しているという。

 警務部の中村格参事官は「基本を逸脱した行為であり、厳正に処分した。再発防止に努めたい」とコメントした。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090902-00000101-mai-soci
>>> <交通違反>白バイ隊員が超過速度水増しして切符作成
9月2日21時20分配信 毎日新聞

 超過速度を水増しした交通違反切符を作成したとして、警視庁は2日、第10方面交通機動隊白バイ隊員の男性巡査部長(38)を虚偽有印公文書作成・同行使などの容疑で東京地検に書類送検したと発表した。同日、停職6カ月の懲戒処分にし、巡査部長は辞職した。

 送検容疑は、5月10日午後1時ごろ、東京都板橋区の路上で、40キロの制限速度を超えて走行するオートバイを見つけ追跡。測定された超過速度は二十数キロだったのに、三十数キロとする違反切符を作成したとしている。巡査部長は「測定値よりスピードを出していたので実態に近い取り締まりが必要と思った」と供述しているという。

 巡査部長はオートバイを運転していた30代の男性を制止させた後、「違反現場をみてくる」と、その場に待たせたまま、周辺を七十数キロのスピードで走った。その際車両の速度を測定する機器を作動させ、男性が七十数キロを出していたかのように測定値を記録。男性に示して違反切符を作成した。

 男性は制止された際、白バイの測定器にデジタル表示された最初の数値をたまたま見て覚えており、警視庁に相談。警視庁が巡査部長から事情を聴いたところ不正を認めたという。

 警視庁は男性に交付された違反切符を無効とし、警告に変更したが、巡査部長については虚偽の測定をするため速度違反したとして道交法違反(速度超過)容疑でも書類送検した。中村格警務部参事官は「取り締まりの規範を逸脱した行為。再発防止に努める」とコメントした。【川辺康広】
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 本件は、一応テレビニュースなどでも取り上げられてはいますが、取り上げ方が余り大きくないように思います。確かに本件は、「警察官の不法行為によって過剰な交通取締りが行われた」という、発生した被害の程度から考えれば実に些細なものに見えます。補償(切られた違反切符は無効になった)もなされていますし。

 しかしながら本件は、男性巡査部長(38)本人の「言い分」が事実であるという前提で分析する限り、「悪いことは何よりも優先的に、必ず罰しなくてはならない」というお馴染みの硬直的な勧善懲悪思考が、ついに彼の脳内において法律よりも優位に立ってしまったがゆえに起きた事件、すなわち、法律よりも自分の考え(硬直的勧善懲悪)のほうを上位とする人物(「感情屋」と共通するところがあると思います)が起こした事件である言え、幸いにして今回は運良く大した被害が生じなかっただけであると言えると思います。

 その点を考えると、もう少し大きく取り上げられても良いんじゃないかとも思います。もちろん、男性巡査部長(38)に対する「社会的制裁」のために実名を報道しろとか言っているわけではありませんよ。警察は組織としてどういう遵法教育をしているんだとかそういう方向を。

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2009年09月02日

【訂正・補足】「調整者」としての役割を果たした

【訂正・補足】
第2段落、主語が混乱している部分を訂正・補足しました。

http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000908280004
>>> ボート転落事故控訴審 猶予付き判決
2009年08月28日

■「被害者参加」 一審判決破棄

 07年にプレジャーボートを運転中、同乗していた3人を海に転落させて死傷させたなどとして、業務上過失致死傷の罪に問われた札幌市北区、無職の男性被告(43)に対する控訴審判決が27日、札幌高裁であった。道内で初めて被害者参加制度が適用された一審・札幌地裁は禁固1年6カ月の実刑判決だったが、小川育央裁判長は「被告なりに、遺族に謝罪の態度を示している。執行猶予をつけなかった点は、刑が重すぎた」と述べ、一審判決を破棄して禁固2年保護観察付き執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。

 一審では、亡くなった男性(当時27)の父親(60)が出廷。被告人に「一生償うと言いながら、何の連絡もない。どう償うつもりなんですか」と問いかけ、「実刑を望みます」と意見を述べた。検察側の求刑は禁固2年だった。

 一審判決を受け、被告側は「これまでの海難事故の量刑に比べて重すぎる」と控訴。控訴審で「一審の法廷は傍聴人で埋まり、(参加した)遺族も高揚していた。冷静な審理が困難な状況にあった」などと主張していた。

 判決言い渡し後、小川裁判長は被告に対し、「(遺族の)お父さんへの対応が十分ではない。どうすれば気持ちが伝わるのか、よく考えてください」と語りかけた。

 判決によると、男性は07年4月、神奈川県平塚市の相模川河口付近で、波の状況を確認せずにプレジャーボートを出航させた。大波を受けて船が揺れ、男性1人が海に転落して死亡、2人に重傷を負わせた。
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 「禁固2年保護観察付き執行猶予4年」という刑罰になったという「結果」については、「執行猶予をつけなかった点は、刑が重すぎた」と判断する「基準」がそもそも不当な基準であるという可能性もあり得、よって「刑罰が不当である」と主張する、すなわち「結果」を批判することはできるかもしれません。刑事政策については良く知らないので、「そもそも」論についてはコメントしないでおきますが。

 しかしながら本件は、「一審の法廷は傍聴人で埋まり、(参加した)遺族も高揚していた。冷静な審理が困難な状況にあった」と指摘している弁護人の主張を受け入れ、高揚した場の雰囲気や感情を裁判に持ち込み、それを過剰に判決に反映させた一審判決を否定しています。私はかつて、被害者参加制度について、「必要以上の重罰に偏る危険性が増した本制度下においては、裁判官の、「冷静で広い視野を持つ調整者」としての重要性が一層増した」と書きましたが、本件判決はまさに、「冷静で広い視野を持つ調整者」としての立場を守った判決であると言えると思います。

 ゆえに私は、先にも述べたように、「禁固2年保護観察付き執行猶予4年」という結果が妥当かどうかは判断しません(できません)が、少なくとも、「冷静で広い視野を持つ調整者」という立場から下された本件判決は、この点に関しては高く評価したいと思います。

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2009年09月01日

なぜ労働教的単純勧善懲悪ではいけないのか

 8月30日投開票の衆議院総選挙は、自公連立与党完敗、民主圧勝、その他野党横ばいという結果になりました。例によって小選挙区制マジックが遺憾なく発揮されたようですが。
http://mainichi.jp/select/today/news/20090831k0000e010071000c.html
>>> 衆院選:民主小選挙区、5割の得票率で7割の議席
2009年8月31日 13時29分

 衆院選で空前の308議席を獲得した民主党の得票数は小選挙区、比例代表ともこれまでの最多記録を塗り替えた。小選挙区では5割の得票率で7割の議席を獲得したことになり、得票率の差以上に議席数に開きが出る小選挙区制の特徴が顕著に表れた。

 民主党は小選挙区で、現在の小選挙区比例代表並立制が導入された96年以降最多の221議席を獲得した。一方、自民党はこれまでで最少だった03年の168議席にも遠く及ばない64議席と惨敗した。

 定数300に占める獲得議席数の割合(議席占有率)は民主党73.7%、自民党21.3%で、その差が3.5倍だったのに対し、得票率は民主党47.4%、自民党38.7%で差は1.2倍しかなかった。得票が1票でも多い候補が当選し、有効投票数の半分以上が「死に票」となることもある小選挙区制の特徴といえ、前回大勝した自民党の「勝利の構図」と全く同じ形になった。

 衆院全体の議席数では、中曽根康弘首相(当時)が主導した86年衆院選(参院選との同日選)で自民党が獲得した300議席(当時は定数512)が長く最多記録だった。【横田愛】
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 しかし、その辺は余り触れられず、「民主圧勝は画期的!」とはしゃいでいます。

 私は、此度の選挙を「画期」とする論調に対しては、8月30日付「「政権交代」は「画期」になり得るか―日本人の単純勧善懲悪の視点から」において、有権者の単純勧善懲悪趣味・欲求、特に労働教的な単純勧善懲悪趣味・欲求が存在する限り、自民・民主両党共に類似の政策を掲げざるを得ず、よってどちらの党が政権を獲得したとしても似たような展開になるという考えから、否定的な立場であることを表明いたしました。この点についての認識は今も変わっていないのですが、あの記事においては「労働教的単純勧善懲悪趣味」は問題ある現象であることを説明無しの前提として書いていたように思います。文章を読んでいただければ何故問題であるのかについては何となくご理解いただけるのではないかとは思いますが、念のために補足的に説明しておくのも悪くないかとも思いますので、以下、書いてみます。

 それを解説するためには、まず、「単純勧善懲悪」とは何か、「労働教」とは何か、そしてその2つが合わさった「労働教的単純勧善懲悪趣味」とは何かについての定義から始めなくてはなりません。

 「単純勧善懲悪」とは何か。それは前記事にも書きましたが、「自分自身は常に『善』であり、そんな『善』なる自分が気に入らない人物・集団・事柄は絶対的に『悪』であり、制裁を加えなければならない」と断ずる思考です。もともと日本人は勧善懲悪が好きな国民性ですが、「単純勧善懲悪」とは、悪の基準が「『善』なる自分が気に入らない」と言う点において、しばしば身勝手な結論を導きます。また、「必要悪」の視点が欠落しているがゆえに、しばしば硬直的な結論を導きます。「自己中心的硬直的勧善懲悪」と言ったほうが良いかもしれません。

 「労働教」とは何か。これは、「仕事というのは辛いものであるべきだ」という労働に対する形式的なイメージを信仰の如く絶対視するがゆえに、労少なくして益多きことを批判する思考回路のことを指します。

 「労働教的単純勧善懲悪趣味」とは何か。要するに「単純勧善懲悪(自己中心的硬直的勧善懲悪)」と「労働教」合わさったものです。すなわち、「仕事というのは辛いものであるべきだ」という労働に対する形式的なイメージを信仰の如く絶対視するがゆえに、労少なくして益多きことを絶対的『悪』とみなし、徹底的に批判しやめさせることを好む思考です。

 さて、以上で定義は終わったわけですが、ではこれのどこが問題なのか。第一にして最大の問題点は「過度な再分配」が行われる可能性がある点です。

 もちろん私は、「再分配」の意義を否定するものでは決してありません。むしろ、その意義を積極的に認める立場にあります。しかしながら、「過度な再分配」については、厳しく批判しなくてはなりません。なぜならば、富の分配・再分配をするためには何よりも富自体が存在しなければならず、継続的に生み出されなくてはならないからです。また、富を増大させる行為への誘因を確保しなくてはなりません。

 しかし、「労働教的単純勧善懲悪趣味」は、自分にとっての不利益、自分の気に入らない人物・集団にとっての利益(=「自分にとっての不快」という意味で「自分にとっての不利益」ともいいえます)を一律に「悪」とみなすがゆえに、それが自己の利益を一部侵害する(たとえば、自己の手取りが減少するとか)が社会の富を増大させるのには効果的であるというような事柄をも「悪」としてしまいかねません。ひどい場合は富の増大どころか、それを生み出す基盤すらも浸食しかねません。また、労働教的価値観は、合理的経済活動の基本である「労少なくして益多きこと」を否定的に評価するために、結果として富の増殖過程を非効率的にしかねないし、富を増大させる行為への誘因を減殺することすらありえます。

 第二に、再分配を重視しすぎるがゆえに、相対的に「富の増大」、すなわち、「経済の成長」が軽視される可能性があることです。日本人は、皆が同時にある一点にドッと注目し、それ以外への注目が同時に薄れる集団ですからね。

 国に限ったことではありませんが、節約や資源配分順序の変更は一時的な特定部門における豊かさを実現しますが、総収入は増えていないのですから、結局は停滞をもたらします。個人生活なら生活水準がずっと一定でもそれほど問題にはなりませんが、殊に国家レベルともなれば、一国の経済の停滞は長期的な国際競争力の低下をもたらします。内需は「拡大」する必要はありますが、「中心」にすべきではなく、内需と輸出の両輪が当面の(もしかしたら「永遠の」かもしれないけど私は予言者じゃないので断定はしません)現実的な日本のありかたであると考える私としましては、「経済の成長」が相対的に軽視されることは問題に感じます。

 「労働教的単純勧善懲悪趣味」の問題点というのは、主たるところは以上のような感じです。要するに「後ろ向き」。この手口で何かが良くなるなんてことはありません。

 このような問題点を踏まえて、今回の選挙における自民党・民主党両党の公約を読み返すと、共に、たとえば「官僚を叩いて搾ってカネをひねり出す」という点において共通しているように、「労働教的単純勧善懲悪趣味」が大暴れする危険な余地を十分に有していました。どちらかというと民主党のほうがよりその傾向が顕著ですが、かといって自民党も負けず劣らずでした。(自民党の場合はそれ以外にも一般人クラスの暮らし向きがよくなる前に干からびてしまうような政策、というか本当によくなるのかというところからして怪しい政策を掲げていたという問題点がありました)

 ゆえに私は、此度の総選挙でどちらの党が勝利し政権を獲得したとしても大差はなく、よってこの選挙は「画期」とはなりえないと考えたのであります。

 此度の選挙についてのそのほかの点については、ゆっくり書いてゆきます。各党の政策研究や情勢分析を優先したために、靖国取材報告記事など、そのほかのテーマに関する記事編集が遅れているもんで。

【関連記事】
098/08/30「政権交代」は「画期」になり得るか―日本人の単純勧善懲悪の視点から
099/01/30オレ基準の労働教
posted by s19171107 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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