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2010年05月30日

近況とか

 お久しぶりです。みなさま、お元気ですか?

 余り更新していないのに、アクセス数統計を見ると、毎日ある程度のご訪問を頂いているようで、せっかく来ていただいているのにネタを供給していなくて申し訳ないです。あまり個人的なことを書いても仕方ないのですが、まあいろいろあって(´・ω・`)

 研究していないわけじゃありませんよ。一応、今まで取り上げてきたテーマは細々とではありますが、ある程度はやっているつもりです。特に2月10日づけ「「理性派」の「感情屋」的側面」で取り上げたテーマなんかは、共産党や民青同盟の発表や、私の周りの、「科学的」という言葉が大好きな人たちの言動をもとに、とりあえず「『理性派』はどの程度『感情的』なのか」を、比較的頻繁に考えていたりします。ちなみに、このテーマがある程度固まったら、そのうち「なぜ『理性』を掲げながら実際は『感情的』なのか」を考えたいと思っています。

 ただ、「『理性派』の『感情屋』的側面」って、なかなか取り上げるキッカケが無いんですよね。今の時代って「理性派」といえるような人たちの影って薄いですから。あらゆる場面で「感情」とか「感覚」、広く言えば「庶民目線」とかそういうのがもてはやされている時代ですから。

 でも、あえて今日、ここで一つ書くとすれば、前掲2月10日づけ記事でも取り上げた「シロクロ二分法」について。いかにして彼らは「シロ」と「クロ」に二分割するのだろうかという話です。

 私の周りの「理性派」ならびに「理性派」の無神経で高慢な発言の被害にあった同務たちの話を基にしているので一般化できるかは分かりませんが、やっぱりこの手の人たちって「そんなに簡単に行ったら苦労しないよ」というようなことを声高に掲げてくださいます。私が言いたいこと分かりますよね?何となく。うん、たぶん今、あなたが頭に浮かんだようなことです。

 みんないい年しているんで、いちいちそういうことに反応せずに無視したり、あるいは「へぇー」とか「そんなこと知らなかったよー」くらいしか言いませんし、私もそういう風に受け流していますが、彼ら、TPOを余り考えないので、たとえば飲み会で愚痴話が始まったりしても、それを単なる愚痴話として流してくれないんですよ。愚痴って、主たる目的は「共感してもらうこと」なのに、共感もそこそこに、聞いてもいない「解決策」、それも突拍子のない「解決策」、ほとんど実現可能性のない「解決策」なんかを提示されると、愚痴の内容やその日の感情の波、酔いの程度によっては、「そんなこと言ったってしょうがないでしょ!」「そんな言い分、通用するとおもってんの?!」と言ってしまったりします。まあ仕方ないよね。

 さてここからが問題です。「シロクロ二分法」で物事を考える自称「理性派」に歯向かってしまいました。敵認定されてもおかしくありません。でも、同じようなことを言っているのに、敵認定される人もいれば、されない人もいるんですよね。されちゃった人は可哀想なことに、あることないこと言い立てられる一方で、されなかった人は逆に、懇切丁寧に啓蒙の対象にされるんですよね。私の周りでも、反対姿勢をうっかり口にしてしまったのに、なぜか、そっち系に好意的に扱われ、懇切丁寧な啓蒙を受けている人(本人は相当、迷惑そうだけどw)もいれば、たいしたことは言っていないはずなのに、何だか敵認定されちゃった人がいるし、、、

 この辺の違いって何なんでしょうね? 社会レベルで見れば、「敵味方の認定をする主体たる自称『理性派』の人間的な器の大きさの違い」という解釈も可能ですが、同一の認定主体のレベルに拡大倍率を上げると、認定対象によって、同じようなことを言っているのに、ある人に対しては「敵」、ある人に対しては「啓蒙対象」の認定をしているように、一見すると恣意的である。実に不思議です。どこまでが「許され」て、何処からが「許されない」んだろう? どこまでが「無知が故」で、何処からが「敵対思想の持ち主」なんだろう?

 とまあ、こんなことを考えていたりします。残念ながら、この問題について暫定的見解はまだありません。なんか思いついたら、つらつらと書こうと思います。更新頻度のみならず、内容も気分次第の日記になりますが、ネタ供給できるように頑張ります(`・ω・´)
posted by s19171107 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

おもいこみ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100514-00000065-mai-soci
>>> <中国毒ギョーザ>千葉の被害者が食べた2袋にも穴 科警研
5月14日19時24分配信 毎日新聞

 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件で、千葉県の被害者計7人が食べた中国・天洋食品製「CO・OP手作り餃子」2袋の包装袋に、ともに小さな穴が開いていたことが警察庁科学警察研究所の鑑定で分かった。同県警捜査1課が14日、明らかにした。

 これまで同県警の科学捜査研究所による鑑定では穴はないとされ、有機リン系殺虫剤・メタミドホスを注射器で混入させたとする中国側の捜査結果との矛盾が指摘されていた。今回の鑑定で矛盾は解消する一方、同県警の捜査の質が問われそうだ。

 穴の大きさは1〜2ミリで、2袋とも開封時に切り離した包装袋の切れ端で見つかった。県警は「当時は目視とルーペで調べ、発見できなかった。今回の鑑定は電子顕微鏡が用いられた」と釈明した。【中川聡子】
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 毎日新聞は本件について「同県警の捜査の質が問われそうだ」としています。まあそれもそうなんですが、私としてはより注目したい点として、事件当初において日本当局が「製造過程で混入で間違いない」としたのに対して中国当局が「外部からの注入の可能性」としたとき、メディアを含めて多くの日本人が、日本当局の見解を正しいと思い込んだ点です。つまり、「日本当局の見解は正しく、中国当局の見解は怪しい」という「前提」「思い込み」です。

 この「前提」「思い込み」はその後も基本的なところでは変わらず、たとえば先日の「容疑者逮捕」においても、通常、日本当局が被疑者を逮捕したときは当局発表を垂れ流すに終始する日本メディアが、今回ばかりは中国当局見解に対して噛み付いていました。もちろん「中国当局の見解を垂れ流せ」と言っているわけではありません。私が言いたいのは、中国当局の見解に噛み付くならば同様に普段から日本当局の見解にも噛み付いてしかるべきなのに、日本当局の見解については垂れ流しに終始する何故なのか。あるいは、「日本当局の見解は正しい」という「思い込み」なのではないか、であります。

 警察庁長官銃撃事件が公訴時効を迎えてしまったとき、たとえばNHKは『クローズアップ現代』で、諸悪の根源を「公安的捜査手法」に求め、足利事件なども類似ケースであると言えるのではないかとしました。その見解は正しいと思います。しかし、とんだブーメランになってしまったようです。

 いくら科学技術が発達して実証的な分析の精度が向上しても、それを分析する人間の側の「分析の精度」に問題があっては、科学技術的分析精度は意味を成しません。その点において日本人の「分析の精度」は未だお話にならない程度であるといわざるを得ません。

 ところで先日、一部の犯罪に対する公訴時効が廃止されましたが、一連の公訴時効廃止運動が一層の盛り上がりを見せたのは昨年春ごろだったかと思います。そのとき「公訴時効を廃止しても問題とならない理由」として、廃止推進派は(「遺族感情」を別にすれば)「DNA鑑定をはじめとする科学技術の発展」を主要な理由として持ち出しました。

 しかし既に述べたように、人間の側の「分析の精度」に問題があっては、科学技術的分析精度は意味を成しません。たとえば、足利事件はDNA鑑定の精度が予想以上に悪かったから起きた冤罪ではありません。当時からそんなに信頼の置けるシロモノではないことは分かっていたのに、「科学技術は絶対に正しいという『思い込み』」(+「自説に都合がよければヨタにでも飛びつく」習性)が、そのほかの状況証拠を見れば冤罪であることは明らかであったにもかかわらず、菅家氏を有罪に仕立て上げたのです。

 その点を考えると、今更言っても仕方ないような気もしますが、人間の側の「分析の精度」に問題がある今の日本が公訴時効を廃止することは、「科学技術」の暴走をもたらしかねず、危険なのではないかと思うのであります。本当に悪い人なら、他人が出したゴミ袋の中から「使用済みティッシュ」を取り出して事件現場においておくことくらい普通にすると思いますよ。どっかの誰かさんみたいに。

 果たして日本人は「思い込み」を乗り越えることはできるのでしょうか? 日本人は「中国」を半ば冤罪被害者にしたわけですが、これが本当の冤罪だったら、、、
posted by s19171107 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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