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2008年06月19日

自己責任と社会進歩

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080617-00000068-jij-pol
救出費用は自己負担に=イランの邦人解放で−笹川氏

 笹川堯衆院議院運営委員長は17日午前の自民党役員連絡会で、イランで誘拐された日本人大学生が8カ月ぶりに解放された事件に関し「外務副大臣がスタッフを連れて、3度イランに行っている。これはみんな国民の税金(で負担している)」と指摘した。その上で「政府が渡航の自粛を要請しているところに行った人については、今後、外務省で厳しく徹底する必要があるのではないか」と述べ、救出に要した費用は本人の負担とすべきだとの考えを示した。
 例によってコメント欄より。
当然です。正常な感覚だと思います。
至極まともな発言だ。「危険だからやめなさい」と親切に言っているのを無視した代償は当然自分持ちです
 人間の歴史における社会的進歩というのは、社会の大多数、昨今の流行で言うところの「庶民の感覚」(=凡人の浅知恵)とかいうのとは一線を画す、独創的な発想を持つ人物による、積極的且つ危険を顧みない勇敢な挑戦によるものが多かったことは紛れも無い事実です。

 そして、これらの社会的進歩の担い手の多くは、有力者の後ろ盾、あるいは、自分自身が何らかの財産を有している場合が多く、彼らは「自己責任」のもとに、あれら勇敢な挑戦を挑んできたことも事実です。これは裏を返すと、財力などの「自己責任」の担保となりえるものを持たぬがゆえに、独創的発想を持ちながらも、その発想を現実化する挑戦をあきらめざるを得ず、歴史に埋もれていった人物が数多いたことが容易に想像できます。

 もし今回採取した、それぞれ2万件以上と1万7000件以上の同意を受けたコメントの言うように、(「庶民の感覚」にもとづいて判断された)「危険」に対して飛び込んだ人物を、社会・共同体が「本人の自己責任」として切り捨てるとすると、果たして社会進歩の不利益とならないでしょうか。

 私としましては、「危険」にあえて挑戦する人を全面的にバックアップすることが、社会・共同体のなすべきことではないかと考えます。過度な自己責任論は、意欲と能力はあっても、リスクに対する備えが経済的に出来ない人物の挑戦を妨げることになり、これは即ち長期的に見れば社会進歩に対する不利益であります。

 もちろん、だからといって、「おんぶに抱っこ」してやる必要は無いので、本件についても一部費用を本人に負担してもらうというのは構わないでしょうが、しかしやはり、「「危険だからやめなさい」と親切に言っているのを無視した代償は当然自分持ち」といって完全に切り捨てることがもたらすであろう不利益の可能性については、今述べてきたとおりです。


 ちなみに、今回の記事では「庶民の感覚」(=凡人の浅知恵)という風に、いつも以上に「庶民の感覚」とかいう、いい加減なものに対する批判的意味の強い表現を使いましたが、これは、「意欲と能力のある勇敢な挑戦者」との対比を際立たせるために、あえて使った次第であります。


posted by s19171107 at 00:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本来真っ先に自国民の安全を保証し、救出すべき義務と権限を持つ人間が、仮にも、外国の武装組織による誘拐事件の被害者である自国の一青年に対して、全責任を本人に押し付けるような発言を行い、しかも、そんな言い草に当の自国民の大半が賛同し、果ては「(親子共々)会見の態度か気にくわない、反省が足りない」「罰金を払え」「パスポートを剥奪しろ」、さらには「税金で学費を負担して貰ってる国立大生のくせに」とまで…正直、暗澹たる気分です。
当人に落ち度がある、もしくはそのように周囲や世間から見なされた場合は同情や援助を一切受けるに値しない、そして、どのような非難や制裁も甘んじて受けるべき…このような発想が、最近ますます顕著になってきていますね。助けるべき被害者とそうでない被害者が国家の側から区別され、それがまかり通るようでは、今後も格差は広がる一方でしょう。

他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、「自己責任」をやたら主張したがる人というのは、要は責任そのものを極力持ちたくない人たちなんでしょうね。当の彼を非難している人たちの中で、事件当時のイラン現地の情勢、犯人グループの要求や活動内容、そして日本政府およびイラン・パキスタン政府が実際にどのような交渉を行っていたか、きちんと説明出来る人がどれだけいるのでしょうか?
Posted by amanoiwato at 2008年06月19日 18:52
コメントありがとうございます。

>当人に落ち度がある、もしくはそのように周囲や世間から見なされた場合は同情や援助を一切受けるに値しない、そして、どのような非難や制裁も甘んじて受けるべき…このような発想が、最近ますます顕著になってきていますね。

 まったくです。これが行き過ぎると仕舞いには「罪と罰の均衡」を完全に無視した非常識な「厳罰」を積極的に求めるようになるでしょうし、既にそうなりつつあることは、6月30日づけの記事でも書きました。いやはや、なんというか。。。


>「自己責任」をやたら主張したがる人というのは、要は責任そのものを極力持ちたくない人たちなんでしょうね。

 一定範囲の「自己責任」が必要なことは疑いないことですが、昨今の自己責任論者の言説を見ていると、どうも、そういう気持ちが行間に滲み出ているように感じます。

 今後の自己責任論者の言説分析を通じて、彼らの深層を研究してまいる所存です。


 それにしても、この手の自己責任論って社会全体のどれくらいにまで浸透しているんでしょうかね?この手の言説を聞く度に、日本社会に対する帰属心を持ちたくなくなってきます。

 たとえ当人に落ち度のある失敗を犯したとしても、社会が温かく迎えてくれるということは、その社会に対する帰属心を育むことにつながり、それが結果として「愛国心」に繋がると思うんですがね。いくら卒業式の壇上に日の丸を掲げて、君が代を歌わせても。。。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年07月05日 13:29
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