組員ら乱闘、2人死傷=傷害致死容疑で4人逮捕へ−警視庁コメント欄。
9日午前2時50分ごろ、東京都豊島区池袋の路上で、男性のグループ同士がけんかをしていると110番があった。警視庁池袋署が調べたところ、指定暴力団極東会系の組員1人が搬送先の病院で死亡し、一緒にいた男性(30)も顔面骨折の重傷を負った。
同署は現場にいた指定暴力団住吉会系組員(25)ら男4人から事情を聴いており、容疑が固まり次第、傷害致死容疑で逮捕する。
調べによると、組員らは路上で出会った際に「どこの組のもんじゃ」などと因縁を付け合ったという。
ご冥福をお祈りしません。
暴力団には救急車の派遣はしないでよろしい!あれ、刑事事件に対する「世論」を見ていると、「加害者側にどんな事情があっても人を殺しちゃだめだし、被害者がどんなに道徳的にクズでも、やっぱり殺されるほどではない」みたいなのが主流だったと思うんですけど。
人に迷惑掛けている人に税金を使うな!
指定暴力団に対して公的サービスの停止を通達するべきだ!
2月ごろだったかな、暴力団員が暴力団員を射殺した強盗殺人事件の最高裁判決において、5人中3人が「一般人巻き込んでないし無期でいいんじゃね?」というような判断をしたことについて、「暴力団員だろうと一般人だろうと同じ人間なんだから、被害者の加入組織を以って"命の格差"をつけるべきではない。素直に死刑にすべきだ。」という意見がニュー速に書き込まれていた記憶があります。昨今の死刑要求世論というと、専ら感情的で、「それをいうなら、、、」と言うツッコミがごまんとできるモノがかなりありますが、あれに限っては、(制度の是非は別として)死刑制度を現実として存置している国が取るべき方策の一つとしては珍しく筋の通った論立てであり、私としてましては、今まで当ブログの編集活動を通して分析してきた死刑を要求する世論は、確かに脊髄反射的なのが多かったですが、決してそれだけではないことを改めて認識しました。いや、「感情屋習性研究」記事編集のときだって、頭の片隅では「まあ、こういうのばかりじゃないだろうけどさ」とは思っていましたが、現実として目の前にある「世論」の多くはアレな意見が多かったので、なんか自信がもてないというかそんな感じがしていたんですよ。(←なんか上手く表現できないけど、皆様お分かりいただけますよね?「分かっているけど分からない」って感覚)
しかし今回取り上げた書き込み―被害者の加入組織によって「命の格差」をつける―は、「いつもどおり」のアレなものでした。昨今は「(経済的)格差社会」が社会問題とされており、各方面で様々な論議を呼んでいます。確かに「(経済的)格差社会」も深刻ですが、上記コメントが示す、被害者の加入組織、つまり「被害者の日ごろの行い」を以って、その生命の価値をランク分けしようとする「命の価値の格差社会」とも言えるような風潮は、それ以上に深刻ではないかと思う次第です。
もちろん、下のほうに埋もれてはいましたが、良識的意見もありますよ。
暴力団員だろうと一応人間なんだが、死ねと平気で言えるお前らも人間じゃないよ。
法がこいつらを裁いて死刑するとかなら異論はないがな。
お前らの方が、暴力団員より下等な存在なことに気づいてないんだよな。
残酷で身勝手なことを平気で言える人間として不適格。
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それでも、最低限の建前としては、「○○だから、○○されても仕方がない」というような意見だけは通用させてはならないと思います。こういう発想こそ差別や犯罪、ファシズム、テロに行き着いてしまうし、結局自分の首を絞めることになるからです。そうなれば、ある日突然、自分よりよほど知力も体力も権力もある人物や集団に「お前は日本人だから殺されても仕方がない」「○○先生を信じていないから死んで当然」とか決めて掛かられる可能性も出てくるわけですから。
私は、ネット上に現れる極端な言説こそが人心の「根底」の発露であり、全ての人間は、各々が持つ「根底の発想」を基盤としてあらゆる思考を繰り広げていると考えております。しかし現実には、確かに、ネット世論のようなことを現実世界に直輸入して本気で口にする人は余り多くありません。(一部にはいますけどね。綿井&河井トークショーにでてきたサトウ氏とか。)これは仰るとおり、ネットコミュニケーションでは他者との対面の必要がない一方で、現実世界のコミュニケーションでは対面が原則であり、「世間の目」が光っているためであると思います。しかしこのことは逆に言うと、社会情勢が変化(「世間の目」が変化)すれば、今まで世間体を気にして口に出来なかった言説であっても大手振って罷り通る可能性もあるといえます。その点、昨今は、刑事裁判が感情に傾きつつある情勢であります。ゆえに、私としましては、感情的罵倒を繰り返す所謂「感情屋」の極端な言説を先取り的に分析し、「このままで行くとこういう言説が現実世界においても影響力を持つようになりますよ、それでもいいんですか」と警鐘を鳴らすことが必要なのではないかと考えておます。それゆえ、私としましては、「ネット世論」の収集と分析は決して侮れないものであると考える次第です。極端を知るからこそ中庸が保てると考えております。
「○○だから、○○されても仕方がない」という言説については私も全く同感です。その点、昨今はこういう言説を以って物事を判断しようとする人物が本当に多く、行く末が心配でなりません。
>しかしこのことは逆に言うと、社会情勢が変化(「世間の目」が変化)すれば、今まで世間体を気にして口に出来なかった言説であっても大手振って罷り通る可能性もあるといえます。
確かに、例えば関東大震災下における朝鮮人虐殺事件などのように、環境の悪化や非常事態の発生などで「世間の目」というようなリミッターが一旦外れてしまった場合、このような根底に有った感情が暴発してしまう可能性がありますね。
実際、橋下氏のような人物がなまじ影響力と支持を得てしまっている現状が有る以上、やはりある程度の極論の監視と抑制は必要でしょうね。
>amanoiwatoさん
ご理解いただきましてありがとうございます。