当「ネタ切れ人民共和国」では、毎年3月下旬〜4月上旬頃に信濃町定点観察をしていたんですが、今年は、3月下旬は「いろいろあった」ため、4月上旬は光市事件関係の資料整理と記事編集で忙しかったためにやっておりませんでした。というわけで、今回の報告は、ちょっと遅いですが、今年分の定点観察ということで。
では、報告を、、、と思ったんですが、正直報告することが無いんですよね。全く変っていなかったもんで。
強いて言うならば、「造花しきみ」と「生しきみ」が堂々と並んで販売されていたくらいでしょうか。創価の皆さんって自分が過去に言っていたことも忘れてしまうんですね。
http://www.geocities.jp/s19171107/KIKAKU/KUTABARE-CULT/JUCHE97Ver/shikimi.html
昨年の定点観察記事では、「生しきみ」が一切おいておらず、かわりに造花だけがあったので、あるいは「しきみ」が生育不良で出荷できない間の暫定措置かと思っていたのですが、今回、「生しきみ」と「造花しきみ」が堂々と並んでおいているのを見ると、自分達の前言をすっかり忘れきっているようです。いやあ、「柔軟な信仰」なんですね、創価学会さんってw
アニメ『人間革命』のDVDも出たそうです。今までVHS形式で1巻2800円していたものを、2巻あわせてたものを1枚のDVDにして2000円と、大変お求め安くなっておりますwwとりあえず、VHS版の1巻〜6巻までを3枚分けにして売っているみたい。信心深い学会の皆さん、どうせ内容なんて同じでしょうけど、この際、買い換えてはいかがですか?
そのほか、定点観察ではないのですが、創価の土産屋での出来事。ブックコーナーで『ガンジー・キング・イケダ』に苦笑したり、松本サリン事件被害者である河野義行氏の著書『命あるかぎり〜松本サリン事件を超えて』を立ち読みして、「第三文明社出版じゃなければ買うんだけどなあー」と惜しい思いをしたり、あるいは、ゴルバチョフ氏と池田の対談本のうち、池田の戯言を読み飛ばして立ち読みしていると、気がつくと隣に20代の女性グループが。別に聞き耳立てていたわけじゃないんですが、まだ大学生の気分が抜けていないのか、リアル大学生なのかは知りませんが、なんか声が大きいんですよ。次の瞬間、私はとんでもないことを耳にしてしまいました。
「折伏したい人に買おうっと」
( ゚д゚ )
この発想はありませんでした。
皆様におかれましては、他人に本を贈ったことがある方もいらっしゃるかと思います。私も以前、好きな人の誕生日に本を贈ったことがありますし、逆に、私の誕生日に贈られたこともありましたが、それって殆どの場合、相手が自分の子供で無い限り、つまり、相手と自分が対等の関係である限りは、両者の間には共通の趣味や関心分野があり、その分野の書籍の中で、自分がオススメだと思うものを贈りますよね?
しかし、この女性の「折伏したい人に買おうっと」という発言から分かるように、この女性が本を贈ろうとしている相手は非学会員です。つまり、学会なんかには興味ない人です。これほどの迷惑がありましょうか。
まあ、この女性には悪気はないんだと思うんですよ。「創価の教義は正しい」という確信をもとにした、ひたすらの善意だと思います。しかし、この「勘違いの善意」「思い込みの善意」ほど迷惑で厄介なものはないことは、ポル・ポトの3年8ヶ月が証明しています。
いやはや、やっぱ創価は創価なんですねー。
そういう意味では、やはり「変化」のない定点観察でした。早くくたばれ糞カルト。
過去3年の信濃町見聞録
http://www.geocities.jp/s19171107/KIKAKU/KUTABARE-CULT/index.html
こちらのことでしょうか。かなり意義深い内容だったようですね。
http://www.news.janjan.jp/media/0807/0807172151/1.php
>「勘違いの善意」「思い込みの善意」ほど迷惑で厄介なものはない
かなり前の記事なのですが、TVやゲームの暴力表現規制に関して、こんな感じの意見がありました。
「問題とすべきは暴力表現よりむしろ、『正義の味方』表現なのではないか。相手をやっつけていいのは『正義の味方』だ。正義の味方だからこそ、『悪者』に対して暴力をふるうことを許される。悪者は悪いことをするから、やっつけられても文句はいえない。こうした『ヒーローもの』こそが子どもの攻撃性を助長しているのではないか。『悪者』とされた子どもへの暴力やいじめに対する心理的な免罪符を与えてしまっているのではないか」
「子ども」に限らず、最近の世相に良く通じる意見だと思います。しかし、それこそ「人間革命」やかつてのオウムなどのビデオって、まさにこんな感じなんでしょうね。
こうしたエンタメやカルトの作品に真剣に突っ込んでも仕方はないと思うのですが、そうした価値観や視点をそのまま現実社会に持ち込まれるのは困ったものです。
「正義の味方表現」は、私も問題意識を持っています。まあ私の場合は、「単純勧善懲悪主義」の一部としての「正義の味方表現」という位置づけをしているのですけどね。
エンターテイメントの類といっても、私は軽視できないものがあると思います。たとえば、当ブログでは、生活保護をはじめとする社会保障制度を攻撃する人たちの言説を多く取り上げて来、批判してまいりましたが、これらの言説のなかには「アリとキリギリス」の話を現実世界にそのまま適応しようとする困った人たちがいました。「アリとキリギリス」は、特に最後の場面なんて全く非現実的であるにもかかわらずです。もちろん、「アリとキリギリス」は、小さい子どもに「遊んでばかりいると、いざというときに誰も助けてくれないよ」という警告をするには打ってつけの話であり、私としては「アリとキリギリス」を全否定するつもりはありません。しかし、子供のときの教訓話を後生大事に取っておく人たちがいる。そういう現実を直視すると、エンターテイメントの類であっても決して軽視できないと考えます。
そういえば、日本における「アリとキリギリス」って、先に書いた「遊んでばかりいると、いざというときに誰も助けてくれないよ」という教訓ばかりが強調され、もうひとつの「勤勉な人物は、しばしば残酷な振る舞いをしがち」という指摘(wiki等参照)については殆ど触れられませんよねえ。。。この辺も「単純勧善懲悪主義」の影響によって話が変化していった結果なのかもしれません。ますます、エンタメといえど軽視できないという思いを強くします。
やはり、受け手の側の問題も大きいのでしょうね。年を取り経験や思考を積むにつれて、エンタメ作品などについても多面的な見方や解釈が出来るようになってくるものですが、未熟だったり、カルト信者のように思考が停止、硬直してしまっている人の場合には一方的な解釈が固定したまま極端になってしまうという…。
そういえば、いわゆる「自己責任」論や橋下氏の支持者も若年層ほど多いような。
>amanoiwatoさん
>そういえば、いわゆる「自己責任」論や橋下氏の支持者も若年層ほど多いような。
私もそう思います。
今、利用者の実年齢が、ブログや掲示板などに比べて比較的分かりやすいSNSを使って、所謂「自己責任」論や橋下氏支持者の言説を集め、年齢層ごとの特徴みたいなのを洗い出そうと作業中なんですが、確かに、若年層あるいは思考回路が若年層のままの人の方が、あれにもこれにも「自己責任」のレッテルを貼っている傾向があるように思います。