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私は当日、別用で出席できなかったのですが、我が同志が出席し、その様子を録音し、詳細に記録してきてくれました。本来は出席者本人が報告記事を書くべきなのですが、「めんどくさいから代わりにやって。あんたのブログにうpしていいから。」と丸投げされました(私だって面倒だよ!文字起こし+内容要約にかかる時間は半端じゃないよ!)ので、私が代行して、内容を分割してご報告いたします。
第1回報告記事は、「Ocean」代表の原田正治氏の挨拶と事務局員の同会紹介、第1部の「被害者と加害者が出会うことの意味」と題した、松本サリン事件被害者である河野義行氏の記念講演をご報告いたします。
まず、代表挨拶。昨年6月設立の同会ですが、まだまだ大きな活動が出来ていない。今後とも、暖かく応援してほしいという、まあよくある挨拶でした。
事務局員による同会紹介。
この会は、アメリカに拠点を置く国際NGO「人権のための殺人被害者遺族の会」のお誘いを原田氏が受ける形で設立されたもので、「被害者と加害者が出会う機会がもっとあってもいいじゃないか」という視点から、被害者遺族の声を拾い、あるいは、加害者の家族がどういう状況にあるかという点について話し合える「場」を提供したいという趣旨であるそうです。
つづいて、河野義行氏の記念講演について。
河野氏自身が松本サリン事件の「加害者」として疑われ、その線で長野県警から捜査されたことは余りにも有名ですが、では、実際に警察がどのように捜査しているのかといえば、被害者周辺の少しでも怪しいと思われる人物に集中攻勢をかけるそうで、河野氏の場合は以下4点を「根拠」に疑われたそうです。
1.奥さんが異常を起こしたので119番通報をしたのちに、玄関に向かった。奥さんから離れた。たしかにパッと見、ぁゃιぃかもしれませんが、これらにはきちんと理由がありました。
2.事件翌日の警察の事情聴取を断った
3.事件翌日、事件当日のことについて質問されたときに答えられなかった
4.薬品所持
1.については、一刻も早く救急隊員に奥さんを引き渡すために、玄関の扉を開けようとしたために、奥さんから離れたのであって、何らやましいことはなく、2.については、河野氏自身もサリンの影響で熱が39度もあり、目をつぶれば幻覚が見え、体の随所が痙攣しており、とてもではないが事情聴取に応じられるような体調ではなかった。3.についても、サリンの影響が記憶中枢に及んでいたために、前日の記憶であっても上手く答えられなかったそうです。
そして、4.について。そもそも河野氏宅にあった薬品は、写真現像液や園芸用農薬であり、その多くは開封すらしていなかったものでしたが、警察はその中でまず青酸化合物に目をつけたそうです。しかし、青酸化合物では縮瞳はおきないことに気がついた警察は、つづいて、縮瞳のおきる有機リン系農薬を探すために、再度河野氏宅を家宅捜索。その結果、どこにでもある園芸用農薬(スミチオン)と、「バルサン」(かの有名な噴霧殺虫剤「バルサン」のことですよ)を引っ張り出して「河野は薬品を所持していた。被害者の症状とも矛盾しない。」としてマスコミにリーク。その結果、約1年間にわたって犯人視されました。
つづいて、「被害者としての苦労」として、まず、医療費についての体験談が語られました。
河野家では家族4人が入院したのですが、手術が重なった最初の1週間の治療費の総額が300万円、自己負担でも60万円が請求され、その後も毎月、自己負担で15万円を請求されたそうです。河野氏自身も1ヶ月余り入院を含めて半年近く働けず、もともと一般的サラリーマン層である河野氏としては、その経済的圧迫は重かったとのことです。
次なる「被害者としての苦労」として、奥さんの施設入所の問題がありました。
事件発生から3ヶ月たった94年9月ごろ、病院から医療処置は全て終わったので、ぼちぼち重度身体障害者擁護施設に移ってほしいと病院から通達されました。しかし、長野県内の施設は入所5年待ちという状況であり、供給が全く追いついていませんでした。また、9月というと、ちょうど河野氏本人が別件逮捕前夜といった情勢で、逮捕されれば、世間的には河野氏は「殺人者」であり、河野氏の奥さんは「殺人者の妻」となります。拘留され働けず、支払能力も無い、そして「殺人者の妻」など、果たして何処が受け入れてくれるのか。このままでは奥さんは意識不明のまま居場所がなくなってしまう。
そこで河野氏は当時の松本市の市長に嘆願書を出しました。市長は、「河野みたいな悪い奴の妻を何故助けるのか」という世間的バッシングを受ける危険性が高いにもかかわらず、河野氏のために病院に働きかけをし、その結果、施設入所の目処が立つまで病院に残ることができるようになったそうです。
さて、「"殺人者の妻"という理由だけで、本当に施設入所を拒否するようなことがあるのだろうか」という疑問を抱いた方もいらっしゃるかもしれません。しかし現実問題として、河野氏曰く、松本市内に住む河野氏の友人は、町会長から「河野の友人がこの町にいてくれちゃ困る。出て行け。」と言われ、あるいは、河野氏の親戚筋の女性は、離婚してほしいと言われたそうです。
このように、この「日本」という国では、「殺人者の妻」どころか、河野氏の友人というだけで、共同体から排除する社会なのであります。たとえ、河野氏本人が事件を起こしたとしても、それは裁判所が、犯した罪相応の罰を与えるのがルールです。しかし、実際はそんなものではなく、河野氏に関わった人たち皆が否定されてゆく。加害者の周辺まで、世の中は排除してゆくのです。
「加害者の家族というのは、被害者と同じくらい辛い環境にあることを知ってほしい、加害者の家族というのは、本来すくい上げて行かなければならないものである」と河野氏は仰りました。
つづいて、被害者と加害者のかかわりについて、河野氏と元オウムの藤永氏の交流ついての体験談が語られました。
藤永氏は溶接技術を習得していた人物で、オウム入信時代、その能力を以って設計図どおりに車両を溶接するようにという指示がき、そのとおりに溶接しました。するとその車両がサリン噴霧に使われてしまったそうです。藤永氏は当時、溶接対象がサリン噴霧に使われるということは知らなかったそうですが、当局の誘導にひっかかって、裁判の結果、殺人幇助で10年の実刑判決が確定しました。
藤永氏は刑期中、河野氏の著作を読み、河野氏に会いたくなったそうで、06年3月の満期出所の後の6月に、アーレフ関係者のお見舞い団にくっついて河野氏宅を訪問しました。事件現場に献花したのち、河野氏宅で「ワイワイやった」そうですが、その中で藤永氏は刑務所内部での暮らしについて聞いたところ、社会復帰後の生活技術として剪定技術を学んだということで、「じゃあ庭の剪定してよ」という話になって、それ以来、藤永氏は河野氏宅の庭木の剪定をするようになりました。藤永氏は西日本のほうに暮らしているので、高速バスではるばるやって来、泊り込みで剪定をするそうですが、河野氏は、自身が自宅に不在のときは、藤永氏に自宅の鍵を渡し、泊る部屋を用意し、冷蔵庫の自由使用を許してから出かけているそうです。ご家族も藤永氏が元オウムで、自身も被害を受けたサリンの噴霧車の溶接を担当したことについて知りながらも、別に邪険にしたりせず、一緒に食事をとったりしているとか。諏訪の花火大会にも一緒に行っているそうです。「家族ぐるみの付き合い」とはこのことですね。
河野氏曰く、藤永氏にとっては自分の「居場所」のあるこの環境は居心地が良いのではないか、と。
昨今、刑務所出所者の再犯率が問題になっています。河野氏は、刑務所における矯正教育というのは、ちゃんとやっているのだろうけど、出所後の社会としての受け皿はどうか。現実の出所者は生活の居場所も無く放り出されているのが現状ではないか、お金が無ければ、雇ってくれる人がいなければ、悪いことをするしかない。自分だってやるだろう、と指摘されました。しかし現実は、「刑務所を出所した」というだけで、その人がどういう人なのかについて知ろうとせず、排除している。社会は受け入れようとしない。ならば、刑務所OBに雇用の機会を与えるようなワンクッションの受け皿を国の施策としてすべきではないか、と提言されました。
さて、河野氏はオウム・加害者を恨まない姿勢を貫いています。続いて、その理由について、自身の考えを語りました。
人生は有限です。明日まで生きられる確証のある人は居ません。そんななかで、加害者を恨む・憎む人生を送ることが果たして楽しいか。また、恨むことは労力は大変だが、何ら生産性はない。そんな人生は送りたくない。正義感だとかそういうことではなく、自分にとって損だから、河野氏はオウム・加害者を恨まない姿勢を貫いているそうです。
そして、その考えは、河野氏が今までの人生のなかで遭遇した「死にそうになった」事件(小学生当時の破傷風、乗用車同士の全損事故、大型バイク乗車中のライトバンとの真正面衝突事故(10m跳ね飛ばされる)、そして、松本サリン事件)から感じた「死のうと思っても死ねないんじゃないか、生きようと思っても生きられないんじゃないか。何よりも、人生は有限だ。」という死生観から生じているそうです。
しかし、この姿勢はなかなか信じてもらえず、マスコミなんかも「良く許しますねえ」とか「本当にうらんでいないんですか」とか聞いてくるとか。自分のことはすっかり忘れてww
最後に、加害者と被害者が出会うことの意味について、河野氏の考えが話されました。
よく被害者が「真実を知りたい」というが、では裁判の場でその「真実」は出るかといえば、出ない。裁判は起訴事実に対しての事実認定にすぎず、なぜ、自分の家族が殺されたのかの全容は明らかにはならない。となれば、全容を知るためには、加害者直接から聞く、それも、自分がしゃべることによって加害者本人にとって社会的に何ら不利な状況にならない環境においてのみ可能であろうと仰いました。
しかし、実際は加害者と被害者はなかなか接近できない。そういうときには何らかの媒体が必要であり、それのとき「Ocean」のようなNPOがあると、割と上手く行くのではないかと仰いました。
講演の内容は以上です。つづいて、河野氏と原田代表、浅野健一教授、田鎖麻衣子弁護士の4者による討論と質疑応答がありましたが、それは次回以降、編集してまいります。
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