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2008年08月06日

河野澄子さんを政治利用する死刑推進派

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000136-jij-soci
河野氏の妻澄子さん死去=松本サリン被害者−14年余意識不明・長野

 長野県松本市で1994年6月、オウム真理教が起こした「松本サリン事件」で、第1通報者の河野義行(58)さんの妻澄子さんが5日午前3時4分、サリン中毒で起きた低酸素脳症による呼吸不全のため同市内の病院で死去した。60歳だった。京都市出身。葬儀は7日、近親者だけで行う。
 事件は同月27日深夜に発生。澄子さんは事件以降、14年余り意識不明の状態が続いていた。河野さんが話し掛けると、表情が和らぐなどの変化もあったが、今年6月中旬になり容体が悪化し、介護を受けていた福祉施設から別の病院に緊急搬送された。
 澄子さんは今月4日、医師から余命1週間と言われていた。河野さんは5日午前2時45分ごろ、病院から澄子さんの容体急変の連絡を受け、病院に向かったという。
 まず、ご冥福をお祈りいたします。

 さて、昨今は「犯罪被害者遺族は必ず加害者に死刑を求める」という図式がまかり通っており、そのため、「加害者に死刑を求めない被害者遺族」の存在が無視されています。つい先日の朝日新聞「死に神」コラム問題においても、「加害者に死刑を求めない被害者遺族」の存在が無視されたことについては、8月2日づけ「朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいない」において取り上げたとおりです。

 本件についても、死刑を支持・推進する立場だと思われる方々が以下のようなことを主張されています。
恐らく言葉にできない14年間を耐えてこられた河野家の皆様に、謹んで哀悼の意を表する。

亀井静香ならびに死刑廃止を唱える人々よ。

あなた方はこの記事を見てもなお「死刑廃止」と声高に叫ぶのか?

多くの人々の人生を、幸福を踏みにじった外道どもを、一生血税で養えと言うのか?
最後の言葉を交わす時間すら、楽しい思い出を作る時間すら奪ったオウム。
やはり極刑しかないですね。
何人の罪なき人の人生を踏みにじって来たことか………
オウムから派生したアーレフすらも差別されて当たり前です。
中身は何も変わらないんだから。
そして、他にももっと危ない宗教はある。
全うな方々にはきちんと目を覚まして見て欲しい。
第二のオウムを生み出す前に。
危ない宗教を排除する為に。

最後に澄子さんのご冥福をお祈りいたします。
 昨今流行の「被害者のために、遺族のために加害者を死刑にせよ!」です。

 しかしながら、まず、今回亡くなった河野澄子さんについては、死人は何も語れないので、その意志、すなわち、オウム関係者に対して死刑を求めるかどうかについての確認は取りようがありません。ゆえに、本件において「被害者のために」というスローガンをぶち上げるのは宜しくありません。

 ところで、今年5月31日づけの朝日新聞の投書欄に、長崎市長殺害事件の判決が死刑であったことについて、以下のような投書が寄せられました。
97.8.6.jpg
(クリックで拡大)
 この投書に対して、マスコミ板の「朝日の基地外投稿第173面」では、以下のような書き込みがなされました。
534 名前: 文責・名無しさん [sage] 投稿日: 2008/06/01(日) 03:42:00 ID:RuvcZz2BO
故人の意思なんて確かめようがない。もし私が殺されても犯人を死刑にしないでください、なんていう遺言書でもあれば別だが。
故人の意思を理解出来ている人がいるとすれば、それは長い間一緒に生活していた遺族の人だと思うよ。
 たしか、長崎市長の件では、遺族は死刑を求めていたので、この判決が死刑であることは遺族感情も満たすものであり、正しい判決だ、と言いたいんでしょう。

 では、この論理に基づくとするならば、本件については如何でしょうか。つまり河野澄子さんの夫であり遺族である河野義行さん、そして、河野氏ご夫妻のご子息はどういう考えをお持ちなのでしょうか。これについては、8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」においてご紹介した、河野氏による講演の内容の限り、オウム関係者を恨んでいる様子は全くありません。ゆえに、「遺族のために」というスローガンは、「宜しくない」どころか、全くの余計なお世話であると言わざるを得ないでしょう。

 また、河野義行氏に限って言えば、河野氏自身も死刑に反対の立場をとっていらっしゃいます。
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kouno.html
<死刑制度は必要か>


―死刑制度について、どうお考えですか。

死刑というものに、わたしはずっと反対の立場を取ってきました。人が人を殺すことがいいことであるわけがありません。

それから裁判というものを考えた時に、裁判にはミスジャッジがある。例えばミスジャッジで、何もしていない人を死刑で殺してしまった時に、あとで戻しようがないですね。執行してしまったらどうしようもないです。まあ、そういうこともありまして、わたしはまず「反対」です。

それから、例えば死刑が犯罪の抑止になる、こういう極刑があるから犯罪が抑止されるという言い方がされますが、わたしはそんなこと全くないと思います。少なくとも犯罪をする人が、「ここまでで無期だから、これ以上は、殺すのはやめよう」とか、自分の量刑を考えて犯罪をするわけじゃないと思います。そもそも犯罪の多くは突発的に起こっていて、感情的に動いて、「気がついたら殺してしまっていた」というものです。そういう意味で、死刑が犯罪の抑止になるという考えは、わたしは全くの思い違いだと思います。

それから「死刑制度がある日本で、犯罪が抑止されているか」という問題があります。今、刑法犯が年間285万件ありますね。ちっとも抑止になってないじゃないですか。こういったデータからも、死刑が犯罪の抑止をしているという分析は間違いだと思っています。
 先にも書きましたし、当ブログでも繰り返し話題に取り上げていますが、昨今は「被害者のために、遺族のために加害者を死刑にせよ!」というのが殊に流行っています。しかし、本件に対する「被害者のために、遺族のために加害者を死刑にせよ!」という言説を聞くと、果たして本当に「被害者のために、遺族のために」死刑を支持しているのか、推進しているのかという点について強い疑問を抱かざるを得ません。

 もちろん、本村洋氏のように9年もの長きに渡って被告人の死刑を一貫して求めてきた遺族もいらっしゃいます。しかし、そうでない遺族もいる。どちらが正しくてどちらが正しくないという問題ではありません。しかし、すくなくとも、「被害者のために、遺族のために」を本当に考えるのならば、死刑制度の是非の前に、「加害者に死刑を求めない被害者遺族」の存在を認めてあげることが先ではないでしょうか。

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 21:10| Comment(2) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そういえばOceanが設立された時、2ちゃんねるの某スレッドには原田正治さんに対する罵詈雑言が横行しましたっけ。
なんでも原田さんが他の被害者遺族に自分の価値観を押し付けているから叩くんだそうで・・・・・・。
「被害者遺族のために死刑にしろ」というコメントの“被害者遺族”という言葉を“私”という一人称に置き換えた時、書き込んだ人間のどす黒い欲望が見えてくるような気がします。
Posted by 衒学鬼 at 2008年08月06日 23:59
コメントありがとうございます。

 そんなひどい書き込みがあったんですか。。。まあ、原田氏については、『週刊朝日』5月2日号において日垣隆氏も、名指しではないものの、原田氏を指してるとしか思えない書き方で随分なことを書いていましたけど。。。

>「被害者遺族のために死刑にしろ」というコメントの“被害者遺族”という言葉を“私”という一人称に置き換えた時、書き込んだ人間のどす黒い欲望が見えてくるような気がします。

 12月13日づけ『「被害者のために」の「正体」』において、あなたのご意見と同様のことを書いたように、私も全く同感です。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年12月17日 00:41
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Excerpt: 是非ご一読ください。
Weblog: 無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのブログ
Tracked: 2008-08-08 23:29
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