16日づけ「社会的責任を取ってもなお責任追及される」でご紹介した件について、その後も「世論」収集を続けていましたところ、以下のようなものを見つけました。
http://ameblo.jp/hgtohahig/entry-10128000473.html
>>> セクハラでも再雇用されるNHK要するところは前回記事でご紹介した「世論」と大体同じですが、以下2点が独特です。すなわち、一つに>>> セクハラの経験とセクハラの仕事ぶりなんて、最悪ジャン <<<、もう一つが、>>> だいたいさ、出張旅費の不正請求で停職1か月の処分を受けた職員が契約職員に採用されるって,普通の組織じゃ、「あいつは、信用ならん」ってことで、「金輪際,ウチの敷居をまたぐんじゃない!!」ってなるんじゃねぇの? <<<の部分です。
さて、先ほどはローカルネタでしたが、今回はセクハラネタっていうか、NHKの不祥事。
NHKセクハラ局長が子会社に再就職 産経新聞
2008.8.15 17:00
セクハラ問題で昨年4月に解任された元NHK熊本放送局長が今年7月、子会社の「NHK情報ネットワーク」に再就職していたことが15日、分かった。
元局長は職員らの歓送迎会の2次会で女性スタッフの体に触ったとして解任され、減給処分を受けた。放送総局付となり、同社に出向。今年6月にNHKを定年退職し、同社にエグゼクティブプロデューサーとして再就職した。NHK情報ネットワークは「経験と仕事ぶりから採用を決めた」としている。
NHKでは、不祥事をやっても子会社で再雇用されるのか、ウマー(・∀・)ー!
っと思ったあなた、まだまだ甘いですな!(‐^▽^‐)
じつは、読売新聞 によると、
>万引きで停職3か月の処分を受けた元富山放送局長は依願退職後、NHK本体の考査室で昨年11月から1年間の契約で、番組批評などを行うモニター業務
>出張旅費の不正請求で停職1か月の処分を受け、依願退職した元山口放送局長は、昨年10月から関連団体のNHKサービスセンターで、1年間の契約職員として業務
ということです。
セクハラの方は、エグゼクティブプロデューサーって、エグゼクティブって、役員って意味でしょ?
ただのプロデューサーよりも地位が高いって想像つくけれど、どういうことよ?
しかも、「経験と仕事ぶりから採用を決めた」って(°д°;)
それ本帰かよ。(°д°;)
セクハラの経験とセクハラの仕事ぶりなんて、最悪ジャンヽ((◎д◎ ))ゝ(=◇=;)
んで、万引きで停職3ヶ月くらったの番組モニターって、大丈夫かぁ??
しかも、NHK本体の考査室って、いくらモニターとはいえ,堂々と雇うなよ((゚m゚;)
だいたいさ、出張旅費の不正請求で停職1か月の処分を受けた職員が契約職員に採用されるって,普通の組織じゃ、「あいつは、信用ならん」ってことで、「金輪際,ウチの敷居をまたぐんじゃない!!」ってなるんじゃねぇの?
仮にこの職員が、経理担当だったら、もはや笑うしかないね☆☆
さてさて、これらの職員の「経験と仕事ぶり」というのはどういうものであるのか,面白いですね♪
なーんて場合じゃござんせん。
受信料払うのがバカらしくなってきた。
払ってるの親だけど(爆) <<<
前者については、5月8日づけ「政治問題における日本人の単純思考」をはじめとして、当ブログにて何度も指摘し批判してきた、日本人の、ある人物に対する評価が一面的過ぎるという現象の典型例です。この現象に対する批判は、もう何度もやってきているので今回は割愛します。
後者については、「再犯の不安」「前科者に対する不安」と言い換えることが出来ると思います。この問題は、チュチェ95年6月27日づけ「死刑」のコメント欄においても話題になったように、相当に深い問題であり、この手の「不安」がもたらす「再チャレンジ」に対する障壁は、社会のあらゆる場面に顔を覗かせますが、刑事事件関係では、殊更に目立ちます。
もちろん、「再犯の不安」「前科者に対する不安」というものを感じることは、何ら不思議なことではありません。教育刑主義者の私としても、前科者が本当に更生仕切れるかどうかについては、確たることは言えません。しかし、「犯罪の予防」(治安維持)という課題において、「前科者の排除」は必ずしも必要ではありません。
昨今の日本社会においては、「悪い奴を確実に検挙し、厳罰を以って社会から隔離することによって、再犯を予防する。初犯については、再犯者に対する厳罰を見せしめとして、予防を期待する。」という、再犯予防や危険人物に対する予備的マークに主軸を置く余り、それ以外の人物による犯罪に対する監視が弱い治安思想が蔓延っています。このような発想では、昨今、顕著に見られる「まさかあの子が信じられない」タイプの犯罪(ワイドショーでおなじみの、予測が難しい初犯)、あるいは、自暴自棄になった人物による犯罪(秋葉原事件)や「死刑上等」の池田小事件のような、厳罰による抑止を物ともしない人物や、死刑という厳罰を望み、間接自殺を図ろうとする人物による犯罪、更に、所謂「自爆テロ」のように、犯行の瞬間に犯人も死ぬために、処罰される心配が絶対に無い人物による犯罪を予防することができません。それ以前に、そもそも人間は他人の心の中を読むことが出来ない以上は、潜在的な者を含めた「悪い奴」を根こそぎ100%検挙できるわけがありません。ちなみに、「悪い奴」を根こそぎ排除しようとした政権が30年ほど前にカンボジアにありましたが、疑心暗鬼に陥った挙句に、100万人以上の大虐殺に走ったことについては、記憶に新しいところです。
このような現実を踏まえると、昨今の治安思想は欠点が多すぎるように思われます。
私としては、「悪い奴」を根こそぎ100%検挙できるわけない以上は、「悪い奴」が社会に居ることは当然とした上で、たとえ「悪い奴」が「悪だくみ」を思いついたとしても、それを実行に移せないような「隙の無い社会」を作ることのほうが、よっぽど「犯罪予防」として現実的であり、そして、このような社会においては、「再犯の不安」「前科者に対する不安」を理由にした殊更の排除も必要ないと考えます。
「犯罪」というのは、結局のところ、起こらなければ何でも良いのです。このような視点から治安維持のあり方を考えれば、昨今の徹底的なまでの「前科者排除」というのは、損失こそあれ、何ら利益にならないことが見えてくるのではないでしょうか。
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