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2008年11月18日

法治国家における「正しいこと」

 10月29日11月10日に引き続き、神奈川県立神田高校の件について。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/081115/edc0811152132002-n1.htm
>>>神田高校問題】「校長先生を戻して」「服装で合否、正しい」保護者や生徒が嘆願書 (1/5ページ)
2008.11.15 21:30

 神奈川県平塚市の県立神田高校が入試で服装や態度がおかしい受験生を不合格とした問題で、更迭された渕野辰雄前校長(55)を学校現場に戻そうと保護者や生徒らが16日までの予定で署名活動を実施、週明けに松沢成文県知事と山本正人教育長あてに嘆願書を提出する。前校長は教頭時代から同校建て直しに取り組み、信頼を得ていた。多数の中退者など生徒指導に悩む学校現場。同校だけの問題ではない。(中村智隆、鵜野光博、福田哲士)

   ●「苦渋」の選択

 神奈川県教委が問題を公表したのは先月28日。翌日、渕野前校長を今月1日付で県立総合教育センター専任主幹に異動させる人事を発表した。

 その後、県教委などには1300件を超える意見が寄せられ、その9割以上が「校長の判断は正しい」「風紀の乱れを事前に守ろうとした校長がなぜ解任されるのか」など前校長を擁護するものだ。

 週末には同校PTAのOBや卒業生らが14〜16日の予定でJR平塚駅北口で署名活動を実施。

 卒業生の女性(19)は「渕野先生は常に生徒のことを考えている」。署名した女性(69)は「親の育て方が悪い。渕野前校長は悪くない」。30代の主婦は「外見などは基本のことで選考基準になくても当然。自分の子供を入れようとするときに金髪の生徒などがいるのは嫌」とした。

 在校生からも「校長先生を戻してください。これは生徒みんなの願い」(1年女子)。保護者からは「渕野前校長は現場にいるべき人間」「大事なお父さんを連れて行かれた感じ」との声もある。

 PTAなどはすでに県教委に渕野前校長の人事の撤回を求める要望書や陳情書など3通を提出。内容は、(前校長を)神田高校の生徒指導派遣に出してほしい▽神田高校でなくとも校長として現場に戻してほしい▽これ以上の処分はしないでほしい−などだ。

 渕野前校長は産経新聞の取材に「ルールから逸脱しているという認識はあった」とした上で「先生たちの物理的、体力的な限界というものがあり、負担を軽減させたかった。苦渋の決断だった」と話す。

  ●建て直しの矢先

 同校保護者らによると、以前の同校は校内に飲食物が散乱し、喫煙やいじめ、盗難などが絶えなかった。近隣の公民館やコンビニエンスストアなどには「神田高生の立ち入り禁止」の張り紙が出され、アルバイトを断られたり、バスに乗せてもらえなかったことも。

 中退者は全校生徒約350人に対し、年間100人。謹慎処分を受ける生徒も絶えなかった。しかし、平成15年になるとこの状況に変化が見え始めた。教頭だった渕野前校長と前任の校長が「まじめな生徒が下を向いて歩いているようではいけない」と具体的な対策を取り始めたのだ。

 学校と生徒・保護者の緊密な連絡と親身な対応▽ごみ拾いを兼ねた校内の見回り▽部活動・同好会の奨励▽学校便りの地域での回覧−など。PTAや地域も賛同、教職員と取り組んだ。

 その結果、校内からごみが消え、生徒たちはあいさつをするようになってきた。地元の警察は「指導件数が減った」と舌を巻き、大学や専門学校に進む生徒が増えてきたという。部活動も活発になり、チームが組めないほどだった野球部は、18年には公式戦で10年ぶりの勝利を飾った。

 渕野前校長は生徒と食事をともにするなど率先して指導に取り組んだ。「学校全体の担任という思いで生徒たちに接してきた」といい、全校生徒の顔と名前を覚えているという。

 今回の問題の発端となった入試での身なり調査も学校建て直しの中で平成17年度入試から設けられた。

 「改革が軌道に乗り始めた」という矢先。渕野前校長は「異動は致し方ないこと。しかし道半ばでこうなってしまったことは非常に無念」と話す。

 身なりや態度について、そもそも選考基準に明記すべきものなのか。同校関係者は「常識まで明文化を求めるのか…」と話す。


 元教育再生会議委員で神奈川県教委の教育委員を務める渡辺美樹・ワタミ社長は「神田高は3、4年前は非常に荒れており、入った生徒が半分以上辞めてしまう大問題の学校だった。(渕野前校長は)県教委が送り込んだ校長で非常にがんばってくれ、みるみるうちにいい学校にしてくれた」と高く評価する。

 県教委の説明では、渕野前校長は「ピアスや金髪、丈がおかしいスカートなど、『この高校に入りたくない』という態度を前面に出しているような生徒をなぜ入れなければならないのか」と話したという。

 それでも県教委が更迭したことについて渡辺氏は「校長職を解いただけで、更迭の認識はない。むしろ処分してはだめだと主張した。選考基準に服装や態度を盛り込んでいなかったのは単なるミスであり県教委側にも責任はある。校長だけが責められるべきではない」と話す。




 ■入試時、「問題あり」とされた例

まゆをそっている▽髪を染めている▽つめが長い▽態度が悪い▽胸ボタンが外れている▽服装がだらしない▽ズボンを引きずっている▽スカートが短い▽落ち着きがない▽軍手をつけたまま書類を受け取る…




服装や態度が悪い生徒を不合格にした神奈川県立神田高校の対応について、生徒指導の問題を抱える学校で指導経験がある教員らはどうみているか。

 「公表基準以外で不合格にしたことが問題視されているが、では面接で落としていればオーケーなのか。この問題をそんな話に矮小(わいしょう)化しない方がいい」

 こう話すのは、私立北星学園余市高校(北海道余市町)の幅口(はばぐち)和夫校長だ。

 積丹半島の付け根の町ににある同校は高校中退者を積極的に受け入れ、テレビドラマにもなった。生徒約300人のうち不登校経験者が6割、高校中退経験者が4割弱を占める。


 幅口校長は「渕野氏のやり方をいいとは言わないが、気持ちはよく分かる」とした上で「教育しやすい生徒だけを学校に入れ、あとは切る。高校のあり方としてそれでいいのかという問題が根底にある」と指摘する。

 一方、同校出身で同校教師“ヤンキー先生”として指導部長を務めた経験がある参院議員の義家弘介氏は渕野前校長を擁護。「志望校に行くのにきちんとした格好で行くのは当然。社会では外見で判断されることも多い。廊下を歩いているときもすべてが面接の時間だという意識を持つよう指導していた。内申書は情報公開請求で開示されるようになってから9割9分、生徒に都合のいいことしか書かれなくなった。受験時の態度は生徒の合否を判断する貴重な情報だ」とする。

 そして「惜しむらくは、神田高の先生には生徒に『なぜそんな格好で来たのか』と声をかけてほしかった。『まずかったですか』と恐縮する生徒なら高校でもやっていけたかもしれない」

 また元中学教師で日本教育大学院大教授の河上亮一氏は「学校を混乱させる生徒を試験で落としたいのは学校の本心だ」とし、「公表した入試の合格基準を守らないで不合格にしたのはフェアじゃない」としたうえで、神田高にやや批判的な見解を示す。

 河上氏は2つの処方箋(せん)をあげる。1つは入試基準を変え、服装や態度などの要素を入れること。もう1つは入学後の退学や停学について基準を明確にし、スムーズに行える仕組みを作ることだ。

 神奈川県内の元高校長は、年間140人の生徒が中退していたという校長時代を振り返り、「教師には無力感が広がり、それでも定員いっぱい受け入れようと主張するグループと、ある程度切り捨てるべきとするグループに教師が二分化していた」と話す。

 「切り捨てるのは簡単だが、入ってきた子供を学校になじませ、教え育てるのも公立高の重要な役割。外見で合否を判断する基準が公立高にあっていいのか」と指摘する。


 ●“荒れる学校”変質

 昭和50年代後半を中心に、校内暴力など荒れる学校や高校中退が社会問題化した。授業が成立しない、退学者が多い学校は「教育困難校」などといわれたが最近はあまり使われない。

 東京都ではここ数年、都立高校の中退者数が激減している。退学者への取り組みに課題があるとみられる約50校に対して改善計画を求めるなど指導が中退者減につながっているという。

 都教委は「現在は、子供たちの受け皿になるような多様なスタイルの学校が増えており、目に見える形での問題校は減った」(都教委担当者)。

 しかし、約10年前、教育困難校として知られた茨城県立鹿島灘高校で教壇に立ち、建て直しに力を注いだ教育コンサルタントの笠井喜世氏は「今の子供たちは昔とは質が変わっており、確かに荒れることはない。しかし、『学力低下』や『やる気の不足』。そういう意味で教育困難校は存在する」

 笠井氏は新学習指導要領で授業数が増えることにも触れ、「教員の負担はますます大きくなり、やる気のない子供たちは手に余ってしまう。まず入学前の時点で、ある程度選別せざるを得ない」と話す。

 北星学園余市高校の幅口校長は、不登校や中退する生徒について「人間関係をうまく作れないという共通点がある」とし、「そうした生徒に対応できる教育をどこかでつくる必要がある。現在、主な受け皿となっている通信制や単位制の高校では、しっかりした人間関係をつくることは難しいのでは」と話す。




 神田高校問題 同校の平成17、18、20年度入試で願書受け付け時や受験日に「まゆをそる」「ズボンを引きずる」など髪形や服装などを独自にチェック、「入学後の生徒指導が困難」と判断した計22人を合格ラインを超えていたが不合格としていた。県教委は「非公表の選考基準で選抜したことはルールを逸脱している」として謝罪会見した。同校は21年度から五領ケ台高校と統合され平塚湘風高校になる。
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 11月10日の記事においても本件に対する擁護意見が多いことについては触れましたが、これもその一部であります。私が目にした限りでは、報道各社の配信(=ネット世論ではない)による擁護記事、あるいは、どう見ても擁護しているようにしか見えない記事は、このほかにも、1週間ほど前の土曜日夜のTBSの情報番組がありました。それによると、渕野前校長が本件行為を行った年と行わなかった年では謹慎処分者の数が大幅に違ったそうです。

 しかし、本処分の論点は上記記事の「県教委は「非公表の選考基準で選抜したことはルールを逸脱している」として謝罪会見した」という部分を読めばお分かり頂けるでしょうし、当方も過去2回の記事において繰り返し申し上げてきたように、「目標」云々ではなく「手段」が正しくなかった、その1点であります。

 日本は法治国家です。法治国家においては、どんなに正しい「目標」を掲げていたとしても、その「目標」を達成させる「手段」が合法的でなければ、それは「正しいこと」としては認識されませんし、されてはいけません。

 その点、本件は、前回記事においても書いたように、既に県教育委員会から下されている「合否判定基準」には無い基準を独自に定め許可無く運用していました。確かに、渕野前校長の掲げた「目標」は正しかったと私も思います。しかし、「手段」が法治国家においてはあるまじきものだった。先にも書いたとおり、法治国家においては「目標」と「手段」双方の正当性があって初めて「正しいこと」と認識される以上は、今回の渕野前校長の行為は「手段の正当性」において問題があるといわざるを得ず、これはすなわち、法治国家においては「正しくないこと」と結論づけなくてはなりません。ゆえに私としましては、渕野前校長の解任は仕方ないことと考えます。

 もちろん、法治国家においても「緊急避難」に限っては、通常の手段とは異なる手段を用いても問題とならない場合もあります。その点、渕野前校長の「苦渋の決断」というセリフを以って「緊急避難」とする意見もあるかもしれませんが、本件は何年にも渡って行われてきた行為であり、その間に教育委員会などに意見を送ったり、あるいは市民運動という形で圧力をかける方法もあったはずです。「緊急の事態」とは程遠いといわざるを得ません。

 にもかかわらず、上記記事の「外見などは基本のことで選考基準になくても当然。自分の子供を入れようとするときに金髪の生徒などがいるのは嫌」という言説をはじめとして、本件に対しては、「目標」の正しさのみを以って渕野前校長の行為全体を正しいとする意見が多く見られます。それも、元教育再生会議委員で現職の神奈川県教育委員である渡辺美樹氏までもがこういうことを口にしています。また、人事の「撤回」を求める要望書や陳情書も出ているそうです。こういう「世論」の現状を目の当たりにすると、当ブログの11月10日づけ記事に対して、amanoiwatoさんから戴いた「この件、実はかなり深刻な問題を含んでいるのかも。そろそろ、中国や北朝鮮を笑えなくなってきているような…。」というコメントは、私としましても全く同感であります。いや、中国は近年は必死になって「法治国家」をアピールしています。また、共和国は法治体制や人権問題を必死になって隠そうとしてい点、やましいことをしているという自覚はあるようです。その点、「やましい」どころか元教育再生会議委員で現職の県教育委員までもが堂々と「擁護」している日本は、中国や共和国「以下」なのかもしれません。

 ところで、「手段に正当性が見られないので本件はダメ」と今まで申し上げてきましたが、これは逆に言うと、本件は「手段」が悪かっただけであり「目標」は正しいわけです。ゆえに私としましては、人事の「撤回」は、先に述べた理由から強く反対しますが、8月16日づけ「社会的責任を取ってもなお責任追及される」においても書きましたが、ある問題に対する処分が完了することは、すなわち、行為者本人はその問題に対する社会的責任を果たしたということになります。その点、本件に対する渕野前校長に対する処分は既に人事異動という形で完了しており、これはすなわち渕野前校長は本件に対する社会的責任を果たしたということになるので、私としましては、県教育委員会が明文規則の改定を行うことと、今後は上位機関の指導無視した無許可業務を絶対にしないという誓約に渕野前校長が同意すること2つが同時に満たされるのならば、「新任」という形で渕野前校長を再び現場に戻すことは、良いのではないかと考えます。


posted by s19171107 at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前のエントリーでのご意見、「日本人の場合、『善か悪か』といったように、ある人物に対する評価が全体的・一面的過ぎるがために、ある人物の一時の過失や誤謬を批判することが、すなわち、その人の全てを否定することに繋がるという思い違いが根底にある」を地で行く事態ですね。

要は、こうした「手段」を一旦容認してしまうと、後々「前例」として、渕野前校長のような真摯な人物ならともかく、歪んだ価値観や権力志向を持つ人間がトップや責任者に就いてしまった場合などに巧く悪用、濫用されてしまう恐れがありますから、ある程度公的な場や地位に有る場合では「結果オーライ」のみで済ませてしまってはまずい、と言うことでよいでしょうか?

ここは、管理人様の仰るとおり、一旦「処分」を済ませた上で、渕野氏には改めて「新任」として復帰してもらうというのが一番筋が通り、丸く収まる方法でしょうね。
Posted by amanoiwato at 2008年11月21日 01:17
コメントありがとうございます。

>amanoiwatoさん
>ある程度公的な場や地位に有る場合では「結果オーライ」のみで済ませてしまってはまずい、と言うことでよいでしょうか?

 そのとおりです。当方の主張の核心をご理解いただけたようで、安心しました。最近は変なところに突っかかってくる人がいますからね。。。
Posted by s19171107@管理人 at 2009年03月08日 01:07
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