>>> 平等なんてあり得ない。人それぞれ顔が違うように、個性もあるし能力の違いもある。個性や差別があるから芸術や文化が成り立つ。絵画や書道の展覧会に行けばそれは自明のことだ。運動会だけ一等賞、二等賞、三等賞をなくして、平等な社会になるなどと考えるのは、愚の骨頂だ。 <<<人にはそれぞれ個性もあるし能力の違いもあるからこそ、運動会での順位付けなんて意味が無いからやめましょう、というのがこの手の動きの主旨だったと思うんですがねえ。どちらかというと、この手の動きの主体("しゅたい"。"チュチェ"と読まないように!)は「平等尊重派」というよりも「個性尊重派」に属するはずです。
また、「個性や差別があるから芸術や文化が成り立つ。絵画や書道の展覧会に行けばそれは自明のことだ。」と4様は仰っていますが、ならばなおさら順位付けなんてできないのでは?
この手の話題は「競争」と「平等」と「個性」という、どれか一つを過度に尊重すると他の2つが成り立たなくなる問題を含んでいるために、本来的には結構深い話題であり、私としても、「個々人の自主性の尊重」と「社会集団の秩序を守るための集団主義」という、本来的には対立する場面も多い概念を同じ思想の中に同居させているチュチェ思想の研究とも通じるところが無いことも無いがために、時間的余裕と体力的余裕が出来た暁には是非、追究したいと思っているところなのですが、さすが4様、話題の表面を右斜め上に向かって滑走していますwwwwwwwwww