>>> ひき逃げ帰国の日系人控訴=静岡の女子高生死亡事故−ブラジル例によってコメント欄。ついに他の国の裁判にまで文句をつけるようになってきたようです。もっとも、このことは、6月30日づけ「誰でも「殺人犯」になりうる」において取り上げた、児童レイプに死刑の適用を認めるアメリカ・ルイジアナ州法に対するアメリカ連邦最高裁の違憲判決に対する日本の感情屋の皆様の反応からも見られるわけですが。
12月2日6時14分配信 時事通信
【サンパウロ1日時事】静岡県浜松市で1999年に女子高校生の落合真弓さん=当時(16)=がひき逃げされ死亡した事故で、ブラジル逃亡後に日本政府の代理処罰(国外犯処罰)要請を受け、サンパウロ州地裁で交通(業務上)過失致死罪などにより禁固4年の判決を受けた日系ブラジル人ヒガキ・ミルトン・ノボル被告(33)側が1日、判決を不服として同州高裁に控訴申立書を提出した。
一審判決は、被告が禁固刑に代わり「社会奉仕と罰金で済ます」ことが可能とした。しかし、弁護側は罰金約7万5000レアル(約300万円)は「現在の生活実態では被告が現実的に支払える額ではない」と主張。被害者にも歩道外を歩くなど不注意があったとして減刑を求めている。ヒガキ被告も取材に対し「家族の生活が懸かっている。(控訴以外に)どうしようもない」と語った。 <<<
>>> こいつは禁固4年・罰金300万が不服で控訴したっ?!恐らくこのコメントを投稿された方や、賛同ポイントをつけた方は、「この控訴は被告が反省していない証拠だ!」と言いたいのでしょうが、単なる嫌がらせならまだしも、刑罰というものは実際に服務できなければ意味がありません。その点、本件被告人が1審判決で命じられた処罰が現実的に実行不可能というのならば、別の形で償うほか選択肢がないでしょう。というか、実行不可能な処罰吹っかけると、人間、逆に開き直るもんですよ、ヒトラーとか。
なめてんのか!日本国民を、それも大事な大事な女子高生をひき逃げ殺人した上で、海外逃亡なんてありえねぇ!
しかも家族がどうのこうので、罰金が高いとか言ってる態度が絶対に許せない! <<<
また、そもそも控訴は被告人の権利であり、その権利を行使することは何ら問題ありません。その控訴内容が妥当かどうかについては、「調整者」たる裁判官が判断すべきことです。このコメントを書き込んだ人や、このコメントに対して賛同ポイントをつけた人は恐らく日本人であると思われますが、「被害者参加制度」と「裁判員制度」が同時並行して実行される来年春以降のことを考えると、「調整者」としての「裁判員」の資質に大変な懸念を感じざるを得ません。
控訴の権利への理解不足、感情屋にとっての刑罰が単なる嫌がらせレベルであることが分かるコメントでした。
次。
>>> 家族の生活がかかっている…刑事裁判における「世論」として良く見られるものですが、これって意味が良く分からないんですよねえ。。。
被害者はその「生活」すら、もう消えてなくなったわけですが。 <<<
『週刊文春』チュチェ97年8月14日・21日合併号にて、以下のような記事が掲載されました。
(クリックで拡大)
事件を起こした加害者本人がこうなるならまだしも、事件に対しては全く責任の無い加害者家族が何故こんな目にあわなくてはならないのでしょうか。「加害者の親」ならば「お前の育て方が悪いから自己責任」といって切り捨てられるかもしれませんが、上記記事は「加害者の弟」の場合であり、いよいよ何の責任も無いと言わざるを得ません。まさか「前世での行いが悪い自己責任」とか、どっかのカルトみたいなこと言わないでしょうね?
また、8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」において、松本サリン事件で当初、犯人視されていた河野義行氏の奥様が「殺人者河野の妻」として、意識不明の状態であるにもかかわらず、あやうく施設をたらいまわしにされかけたことをご紹介しました。松本サリン事件というと、河野義行氏に対する冤罪事件(まあ、逮捕されなかったので正確には冤罪ではないのですが)として有名で、マスコミの河野氏犯人視報道については今も時折、批判の声が上がる事件です。そういう意味では、松本サリン事件は「語り継がれる」事件ではありますが、しかし、「"殺人者の家族"という理由だけで排除しようとした」という点については、全く「語り継がれていない」といわざるを得ません。前掲8月6日づけ記事においても書きましたが、河野義行氏の言葉を以下に再掲します。
「加害者の家族というのは、被害者と同じくらい辛い環境にあることを知ってほしい、加害者の家族というのは、本来すくい上げて行かなければならないものである」
次のコメントを分析してみましょう。2つセットで参ります。
>>> 救助すらせず、罪も償うどころか海外逃亡した末に逮捕されたのに控訴…2審は逆転死刑判決が妥当 <<<
>>> 自分が殺した被害者に家族がいないと思っているの?特に後者のコメントでは明確に記述されていますが、感情屋の皆様におかれましては、刑罰には国籍は関係ない、つまり死刑制度というものは「普遍的且つ不変的なもの」であるそうです。しかしながら、死刑存置国である日本が、国連や諸外国から死刑執行停止・死刑制度廃止の勧告や要求をされると、特にこの方々こそが率先して「刑罰制度はその国の文化的背景から定められるべきである。その点、日本では犯罪者は自らの命を以って罪を償うという文化がある。ゆえに日本は死刑制度を放棄しない」という論理を以って死刑制度存置を正当化していませんでしたっけ?つまり、死刑制度を「普遍的且つ不変的なもの」ではなく、「地域的で可変的なもの」に「歪めている」のは、他でもなく死刑制度存置論者ということになると思うのですが。ちなみにブラジルは平時における死刑を廃止しています。「刑法は各国の文化的背景を基にして定められている」とするのならば、平時における死刑制度を廃止しているブラジル文化における「人間としての尊厳」はどうなるんでしょう。文化おしつけですかそうですか。
人一人殺して逃亡したくせに図々しい
被害者に落ち度があると思うなら何故国外逃亡したんだ
逃げないで日本で裁判すりゃいいだろ
日系とかブラジルとか関係ないよ
人間としての尊厳の問題だ
家族だってこんなやつは恥ずかしいと感じてんじゃないの?
全うな神経してたら <<<
いやはや、もう言っていることが矛盾していますな。
【補足】
「感情屋の皆様におかれましては、刑罰には国籍は関係ない、つまり死刑制度というものは」の部分の論理的つながりが分かりにくいかもしないので、補足します。
「家族」というものが人間の基礎的集団であることは言うまでもなく、家族のことを気にかけるのは人間心理として当然であります。しかし、先にあげたコメントは、被告人が自分の家族について言及することに対して「人一人殺して逃亡したくせに図々しい」として被告人が家族のことを気にかけることを否定している、つまり、人間としての基本的な部分を否定していると言えます。あのコメントを投稿した方が被告人が家族のことを気にかけることを否定する人間であるならば、被告人が家族のことを気にかけることのできないような刑罰を望んでいることは容易に類推でき、その点、被告人本人と家族が接触できず、かつ、人間としての基本的な部分を否定する刑罰といえば、死刑を望んでいるのではないのかと推測する次第です。
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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
いやはやとんだダブスタぶりですなぁ。
他国の司法制度に口を挟むってことは、その国そのものの主権を侵すってことと同義だってこと、この手の方々は分かってらっしゃるんですかね???
>mashさん
まったくですな。全てがオレ基準。それが感情屋クオリティ。
>amanoiwatoさん
あると思います。仰るとおり、「やっちまった」後の「救いの道」というのも残しておかなくてはならないでしょうね。