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2008年12月21日

まともなアドバイザーはいないのか

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081217k0000e040023000c.html
>>> 長久手発砲立てこもり:大林被告に無期判決 名古屋地裁

 愛知県長久手町で07年5月、拳銃を持って自宅に立てこもり、県警特殊部隊(SAT)隊員ら4人を死傷させたとして殺人などの罪に問われた会社役員、大林久人被告(52)に対し、名古屋地裁は17日、無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。判決は完全責任能力を認め、同隊員ら3人への殺意を認定、1人への殺意はなかったとした。検察側は控訴する方針。

 伊藤納裁判長は「刑事責任は重大だが、死刑を選択することがやむを得ないとまでは言えない。一生償い続けるべきだ」と述べた。

 判決によると、大林被告は07年5月17日、自宅で元妻を拳銃で脅し復縁を迫り、駆けつけた県警愛知署の巡査部長、長男、次女に発砲して重傷を負わせた。さらに元妻を約23時間監禁し、巡査部長を救出しようとしたSATの林一歩警部(当時23歳)に発砲して殺害した。

 弁護側は林警部への発砲について殺意を否認したが、判決は「誰かに弾が当たって死亡する危険性を認識し、死の結果を認容していた。概括的殺意が認められる」と述べた。殺人未遂罪に問われた次女への発砲については傷害罪の適用を求めた弁護側の主張に沿い「殺意があったとまでは言えない」とした。

 また、弁護側は巡査部長と長男への発砲について「覚えていない」「精神安定剤などの影響で心神耗弱だった」と限定的な刑事責任能力を主張したが、判決は「至近距離から体の枢要部分を狙っている」「交渉役の警察官との会話で、2人への発砲を自認している」として確定的殺意と完全責任能力を認めた。

 一方で、判決は「強盗殺人や身代金目的誘拐殺人のように財産的利欲のための殺人や綿密に計画された事件とは異なる」と述べた。【式守克史、秋山信一】
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 本件に関しては、死亡した警官の遺族の父親が、判決直前に以下のような手記を公開し、被告人の犯行は「4人を殺害した殺人犯と同等の判決を受け償うべき」としていました。
http://www.asahi.com/national/update/1214/TKY200812140153.html
>>>  愛知県長久手町で昨年5月、県警機動隊特殊部隊(SAT)の林一歩警部(当時23)ら、4人が発砲を受けて死傷した立てこもり事件で、殺人などの罪に問われた会社役員大林久人被告(52)に対する判決公判が名古屋地裁で17日に開かれるのを前に、林警部の父千代和さん(53)が14日、報道各社に手記を寄せた。

 千代和さんは手記の中で、大林被告に対して「罪の重さを認識し深く反省してほしい」と求めた。公判では、検察側が死刑を求刑。大林被告は拳銃を発砲して林警部を死亡させ、警察官ら3人に重傷を負わせたことは認めたが、弁護側は殺意の有無や責任能力などについて争い、死刑回避を求めている。

 全文は以下の通り。

    ◇

 第一回の公判が始まり約7カ月間続いた長く辛い公判も10月に論告求刑があり、昨年の5月17日 あの事件から1年7カ月となる12月17日の判決の日が近づいてきました。

 私たち遺族が意見陳述で述べた極刑である「死刑」が求刑され、被告には自分が起こした事件がいかに凶悪であり重大な事件であったか、罪の重さを認識し深く反省してほしいと思います。

 「死刑制度」が論議されている中での今回の求刑ですが被告に対する気持ちは私達遺族しか分かり得ない部分があると思います。

 一般の市民生活にあってはならない拳銃を持ち出し、事件現場に駆け付けた警察官に発砲、その警察官は重傷を負い、更に被告は負傷をした警察官の救出に向かった息子にまでも照準を合わせ発砲し息子を殺害しました。

 親としてあってはならない自分の子どもまでにも発砲し重傷を与えた凶悪な事件でありました。

 意見陳述でも述べましたが銃を持つことが既に「殺人目的」であり、発砲すれば「殺人行為」にあたり被告の起こした犯罪は十分に「死刑」に匹敵すると思っています。

 被告は4人を殺害した殺人犯と同等の判決を受け償うべきと思っています。

 治安を守る警察官に発砲するなど絶対あってはならない、銃犯罪抑制のためにも二度と同様な事件が発生しないよう厳罰をもって罰せられ、市民生活の安全が保たれることを望みます。

 間もなく判決の日を迎えます。

 あの凶悪な事件をもう一度思い出して頂き「事件の凶悪さ」「拳銃の犯罪」「再発防止」「命の大切さ」などについて考える機会として頂きたいと思います。

 月日が経(た)っても「一歩」を失った悲しみは癒えることはありません。

 悔いの無い判決が下されることを願っています。

       林 千代和
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 まず第一に、本件において銃器が持ち出されたのは元妻との「復縁」のためであり、「銃を持つことが既に「殺人目的」」とはいえません。また、発砲しただけで「殺人行為」であり「被告は4人を殺害した殺人犯」としていますが、実際は4人全員を射殺したわけではないので、この場合は「殺人未遂」にはなっても「殺人」にはならず、些かズレていると思われます。もちろん「殺人未遂」だって理論上は死刑判決が出る可能性はありますが、やはり、実際に死んだのは1人なのに「被告は4人を殺害した殺人犯」とはできません。本当に「罪の重さを認識し深く反省してほしい」のならば、罪状は事実に忠実であるべきですし、もし、現行法では「殺人未遂」であるところを正式な「殺人罪」とする、つまり「殺人罪」から「未遂行為」を削除して「殺人罪」に一本化するならば、それは司法の管轄ではなく立法の管轄であり、主張する相手が違います。

 このように、「遺族」が冷静な視点を持たず、傍から見ればちょっとズレた主張をするという事例は以前から取り上げてきました。しかしながら私は、たとえば10月18日づけ「「共感」の名を借りた「一体化」がもたらすもの」をはじめとして何度も申し上げてきているように、これは仕方ないといえば仕方ないと思います。だからこそ、「被害者」でもなく「加害者」でもない「冷静な視点を持つアドバイザーとしての第三者」が介入し、当事両者に「いやそれはちゃっと違いますよ」とアドバイスする必要性があると考えています。

 しかしながら本件については、このような何かズレた内容の手記が判決直前になって出てくるところを見ると、どうやら被害者側に「冷静な視点を持つアドバイザーとしての第三者」、つまり、その主張が些かズレていることを指摘する人物はいなかったようです。

 昨今は「被害者の権利」を主張する被害者運動が盛んになりつつあり、被害者経験の無い人々にも共感がひろがっているようで、ネット上でも現実世界でも「被害者のために!」とか「私は被害者の立場に立ちます」と自称する人が増えつつあります。しかしながら、遺族の言説の微妙なズレを殆どの人が指摘していない本件を見ると、「被害者の立場に立つ」と自称している人たちは本当に被害者の言動を聞いているのか疑問に思わざるを得ませんし、もしその言説を聞いた上で尚、指摘しないのならば、それはすなわち「終着点が合っていればプロセスは不問」ということになり、「法治国家に生きる者」としてどんなもんかと感じざるを得ません。

 「被害者側」を自称する人たちの「正体」が、ネット上のそれだけではなく、現実世界のそれについても、どことなく胡散臭く感じます。

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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