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2008年12月23日

飲酒運転死亡事故を、その「本質」と「加害者の視点」から考える

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081220-OYT1T00418.htm
>>> 飲酒ひき逃げ厳罰化を、遺族らが署名活動…大阪・梅田

 飲酒運転による事故の犠牲者遺族などで作る全国連絡協議会のメンバーら約20人が20日午前、会社員男性(30)が車に約3キロひきずられて死亡した事件のあった大阪・梅田で、飲酒ひき逃げに対する厳罰を求める署名活動を始めた。

 酒を飲んで事故を起こしても逃走中にアルコールが抜けて危険運転致死傷罪が適用されないケースがあることから、遺族らは「〈逃げ得〉がひき逃げを誘発する」として、2003年から厳罰化を求める署名活動を開始。これまでに約44万人分を集めた。

 兵庫県尼崎市で昨年6月、飲酒事故を起こして逃げていた車に衝突され、タクシー運転手だった夫を亡くした同市内の岩田瞳さん(49)は「(死亡ひき逃げ事件には)すぐに救護していれば助かったかもしれないケースが多い。法改正のために協力してください」と呼びかけた。署名活動は21日も行う。

(2008年12月20日18時17分 読売新聞)
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http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008122001000247.html
>>> 「飲酒ひき逃げ許さない」 厳罰求め、遺族呼び掛け

 悪質な飲酒ひき逃げ事件が相次いだことを受け、被害者の遺族らが20日、大阪・梅田で厳罰化のための法改正を求める署名を呼び掛けた。

 1999年に酒酔い運転のトラックに追突され、3歳と1歳の娘を失った千葉市の井上郁美さん(40)は「大阪で起きた痛ましい引きずり事件は、救護されれば助かったかもしれない命だった」と道行く人に訴えた。

 現行法では、飲酒運転で死傷事故を起こした場合、刑罰が重い危険運転致死傷罪が適用されるケースもあるが、時間が経過すると飲酒の証明は困難で、ひき逃げの増加につながっているとの指摘もある。

 署名活動をしたのは「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」で、これまでに全国各地で約40万人分を集めた。

 今後、集まった署名を法相に届ける予定。

2008/12/20 11:38 【共同通信】
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 当ブログでは以前から繰り返し、飲酒運転事故、特に死亡事故に対する過度の罰則は逆効果となりうることを繰り返し指摘してまいりましたが、相変わらず、遺族の方々は、厳罰化こそが飲酒運転・飲酒運転事故撲滅に繋がると信じきっているようです。

 もちろん、刑事処罰による犯罪抑止というのは、ある程度までは期待できますし、現に、飲酒運転・飲酒運転事故罰則強化によって飲酒運転そのものの件数が減り、(当然それと連動して)飲酒運転事故が減りつつあることも事実です。しかし、Googleニュースで「飲酒運転」で検索すれば、本当に毎日、何件も摘発されているように、それでもなお飲酒運転はなくならず、飲酒運転事故もなくなりません。

 なぜ飲酒運転・飲酒運転事故はなくならないのでしょうか。今回はこのことについて、「飲酒運転死亡事故」の「本質」と「加害者の視点」から考えてみたいと思います。


 私は、飲酒運転死亡事故の「本質」というのは、よくある物損事故の一種であると考えています。ただ決定的に違うのは、衝突した対象が街路樹や信号機など、頑丈で地面に確りと固定されているものではなく、生身の人間であることです。

 「何を今更当然のことを」とお思いになられるかもしれません。しかし、ここが大切です。なぜならば、普通の物損事故ならば、もちろん街路樹は折れ、信号機は支柱が曲がるでしょうが、それ以上に自動車の損傷が激しく、自動車の衝突時のスピードによっては運転者自身が負傷したり、あるいは死亡したりする危険性が大いにあるからです(現に飲酒運転自損死亡事故というのはときどきあります。余り報じられないけど)。つまり、飲酒運転というのは、何よりも飲酒運転者本人に対する危険性が一番高いのです。


 ところで話は変わりますが、所謂「振り込め詐欺」の被害は全くなくなる気配がありません。あれだけ社会的に注意を喚起しているにもかかわらずにです。最近はついに、銀行員がATMの近くで監視していたり、あるいは、ATMの近くでは携帯電話の電波が遮断されるという実力行使をする事態にまで至っています。

 なぜ「振り込め詐欺」はあれだけ社会的注意喚起があるにもかかわらずなくならないのでしょうか。私としましては、それは、「振り込め詐欺なんて自分には関係ない」「あんなのに引っかかるわけが無い」という根拠の無い自信が皆の心のどこかにあるがゆえに「当事者意識」が欠落しており、そのため、いざ突然、緊急性を装った詐欺の電話がかかってきたときに、気が動転して振り込んでしまうのではないかと考えています。

 飲酒運転も同様だと思います。先にも書いたように、飲酒運転によって危険に晒されるのは、何よりも運転者本人です。にもかかわらず飲酒運転が一向になくならないのは、「自分は大丈夫」「事故をおこすほど酒に弱くは無い」「飲酒運転事故なんて自分には無関係」という根拠の無い自信が皆の心のどこかにあるがゆえに「当事者意識」が欠落し、その結果、酒気を帯びているのにハンドルを握ってしまうのではないかと思います。

 刑事処罰による犯罪抑止力というのは、当事者としての意識があるからこそ成り立つものです。その点、「当事者意識」が欠落した飲酒運転者にとっては、刑事処罰による犯罪抑止は余り期待できないと考えざるを得ません。


 ところで、また「振り込め詐欺」の話に戻りますが、多くの「振り込め詐欺」被害者は、指示通りに振り込んで一息つくと、今までの出来事がどこかで聞いた覚えのある「振り込め詐欺の手口」と全く一致していることに気がつき、「自分は振り込め詐欺には無関係」という自信が全く根拠のなかったことに気がつき、「これが噂に聞く振り込め詐欺か、、、」と思い知り、後悔するようです。大事(おおごと)が起きて初めて、自分も決して例外ではないことを思い知るのです。

 私としては、大事(おおごと)が起きて初めて、自分も決して例外ではないことを思い知るという点においては、飲酒運転事故も同様であると思います。これが街路樹などに衝突する自損事故ならば、損害賠償請求額もそんなに大した額ではないし、刑事罰もそう重くは無いでしょう。しかし、相手が人間ともなれば、当然、損害賠償請求額は街路樹の比ではありませんし、刑事罰も相当重い。さらには実名報道されてもう本名では暮らせなくなることすらありうる。要するに「人生終わり」なわけです。おそらく、「飲酒運転の危険性」に対する「当事者意識」が欠如している運転者は、人を跳ねて初めて「飲酒運転事故なんて自分には無関係」という自信が全く根拠が無かったことに気がつき、青ざめることでしょう。「飲酒運転死亡事故を起こした容疑者の素顔」といった報道、あるいは、遺族の激しい怒りの会見、更には「懲役数十年」「罰金数億円」といった判例が脳裏を掠めるかもしれません。しかし、次の瞬間、運転者は以下のことを思いつくでしょう。「要するにつかまらなきゃ良い」「自分がやったと分からなければ良い」。「酔いがさめるまで」とか「時効まで」とかそんなレベルではなく一生逃げとおすつもりで逃げるのです。


 上記記事において、遺族の一人が「(死亡ひき逃げ事件には)すぐに救護していれば助かったかもしれないケースが多い。」と仰っています。そのとおりです。その点、現場には少なくとも「被害者」と「加害者」の2者がおり、この2者が最も現場近くにいる(当事者なんだから当然ですが)。一刻も早く被害者を病院に搬送するためには、この「当事者」に協力をしてもらうほかない、つまり、加害者に被害者を病院に搬送する手配をしてもらうことが何よりも「被害者のため」になるのです。

 しかし、「飲酒運転で事故を起こせばその時点で厳罰確定」というこの流れにおいては、「逃げないと自分の人生が終わってしまう」というあせりに囚われた加害者にそんな余裕はありません。「この期に及んで自己保身を優先するのか!」というような道徳的批判があるかと思いますが、もはやそのような道徳的批判に構っている余裕などありません。人間が自己利益と保身を最優先するのは、確かに「負の側面」ではありますが、ある意味当然のことです。もちろん、個々人の「モラル」というものも大切ですが、そればかりに依存する社会設計は欠陥設計です。「個人の利益」と「社会の利益」が一致するように制度設計する、時には道徳的価値観に反する「必要悪」も認めることも社会設計においては欠かせない要素です。それが現実主義です。

 だからこそ私は、以前から、加害者が被害者救護に協力してもらえるように、もし飲酒運転で人身事故を起こしたとしても、その後の対応、具体的には、被害者救護に従事した場合には、処罰を大幅に免除することを提案してるのです。究極的には、跳ねた被害者を歩道などに移動させ(後続車が轢いてしまうことを防ぐため)、救急車さえ呼んでくれれば、後は逃げようがどうしようが構わないくらいです。「医療費は誰が負担するんだ!」というご批判もあるかと存じますが、生きてナンボです。医療費なんかはいざとなればどうにかなりますが、死んでしまったら人間の力ではどうにもなりません。


 つまりまとめると、

1.飲酒運転死亡事故の「本質」は物損事故であり、本来は運転者自身が一番危険。
2.にもかかわらず、なおも飲酒運転がなくならないのは飲酒運転者の「当事者意識の欠如」。
3.「当事者意識」を飲酒運転者は人身事故を起こして初めて自覚し、自分のしでかしたことの重大性に気がついた飲酒運転者は被害者救護をせずに逃げてしまう。
4.迅速な被害者救護のためには加害者の協力が鍵であり、そのためには加害者に余裕を持たせることが必要。道徳的価値観に反する「必要悪」の視点も時には必要。

 ということなのです。

 その点、「ひき逃げを抑止するための厳罰化」という昨今の流れは、私としましては、加害者の「逃走の必要性」を更に押しあげることとなり、逆効果になるのではないかとすら考える次第です。

 飲酒運転死亡事故というと、どうしても世間一般では「被害者の視点」で見てしまうことが多いように見受けられます。また、しばしばそれは勧善懲悪的道徳観のフィルターを通して考えてしまいがちです。しかし、事故を起こすのは被害者ではなく加害者であり、加害者も「面倒を嫌がる人間」です。その点、私としましては、この手の事故を根本的に減らし、なくすためには、その良し悪しは別として、「面倒を嫌がる人間としての加害者」の視点にあえて立って考えることも、必要なのではないかと考える次第です。

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html


posted by s19171107 at 23:08| Comment(2) | TrackBack(1) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
飲酒運転そのものを「点数アップ」などではなく、
「免許取り消し」程度の重い処置を行うべきかと思います。

飲酒運転の致死傷事故を厳罰化することに抑止効果が見られないのであれば、飲酒運転の行為そのものへのペナルティを引き上げるしかないかなと思います。

車はそれを走行させることが「凶器」になりかねない代物です。
それに対するドライバーの認知があまりにもなさすぎる。

交通事故に対する抑止効果が生まれない理由の第一条件は、車社会と車産業の存在自体が被害者の声と相容れないからだと思います。
Posted by hemakovich at 2009年05月17日 00:24
コメントありがとうございます

>hemakovichさん
 うーんとですね、本件に関しては結構、過去ログが溜まっていると思いますので、まずそちらから読んでいただき、私の問題意識と論立てをご理解いただきたかったのですが、要するに私の問題意識は、厳罰化「だけ」では問題は解決せず、むしろ最近は厳罰化「ゆえに」事態が深刻化していることすらありうるのではないか、というところにあります。

 ですから、飲酒運転自体のペナルティを重くしても、検問の網をすり抜け、人身事故を起こしてしまうことだってありえ、そのとき、加害者は厳罰を恐れるがために逃げてしまい、そのために、被害者が早急に適切な処置を行えば助かったのに亡くなってしまうことがあるのではないか、ということを申し上げてるのです。

 「抑止」は大切ですが、「抑止」だけでは備えは十分とはいえません。であるからこそ、「事後」の対処の仕方も考えなくてはならないのではないでしょうか。飲酒運転事故に限らず、あらゆる問題において。

 あと、誤解しないでいただきたいのは、私は厳罰による抑止を否定しているわけじゃありませんからね。
Posted by s19171107☆管理人 at 2009年06月29日 01:48
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