当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年12月31日

光市事件裁判で忘れられたもの

 光市事件差し戻し控訴審判決から8ヶ月がたち、チュチェ97(2008)年も終わろうとしています。差し戻し控訴審判決は「逆転死刑」であり、遺族である本村氏を熱狂的に支持する方々は、死刑判決に狂喜乱舞しました。その熱狂振りは恐ろしくも感じるほどでした。

 当ブログにおきましては、「光市事件差し戻し控訴審判決を分析する」所存であることを判決前から表明していながらも、長く、分析記事を書いてきませんでした。これは、光市事件裁判はかなり長期に渡る裁判であったために資料数も膨大であり、また、精神医学や法医学・心理学といった分野までもが深く関係していたためで、素人にとっては極めて難解だったためであります。

 そんなわけで途中で面倒くさくなって暫く放置していたのですが、先日、そろそろまた資料分析しようかということで、とりあえず弁護資料を開いたところ、偶然「被告の生い立ち」の部分が目に飛び込んだので、読み返しました。

 何度読んでも酷い生い立ちです。本当に酷い少年時代です。

 弁護団が先の差し戻し控訴審において、被告人の生育環境も弁護活動の一つとして取り上げていたのは、皆様もご存知の通りだと思います。それに対して、遺族の側に立ち被告人に死刑を求める方々、特に、所謂「感情屋」の方々におかれましては、「被告人の生育環境の悪さは減刑理由にはあたらない」としていました。しかしながら、被告人の生育環境が劣悪であることを自体を否定するものは、前者に比べるとかなり少なく、私もときどき見る程度でした。つまり、被告人の生育環境が劣悪であることは、「感情屋」をしても認めざるを得なかったようです。(もっとも、差し戻し控訴審判決は、判決文69ページにおいて、「経済的に何ら問題ない家庭に育ち、高等教育もうけることができたのであるから、生育環境が特に劣悪だったとはいえない」としていますが、ちょっとこれはどうかと思いますねえ。)

 しかし、光市事件裁判において判明した、あのような劣悪な環境がこの日本に存在し、現にその環境において少年が育ってきたという事実に対して問題意識を持ち、被告人一家以外に類似した環境の家庭は無いかと調査する動きは、判決から8ヶ月たった今になっても殆ど見られません。刑事裁判というのは、まず、被告席に座る人物が本当に事件の実行者なのかの検証し、そうである場合は被告人に対する刑罰を検討することでありますが、並行して、社会は、法廷を通して明らかになったことをもとに、なぜそのような事件が起きたのかについての原因を多角的に分析し、問題が発見された場合は明日の社会の建設のための資料としなくてはなりません。その点、光市事件裁判に対する「世論」は、被告人に対する処遇ばかりが気にされ、事件の原因に対する多角的な分析をし、社会建設の資料とするという、刑事裁判に際して社会がなすべきことを完全に忘れ去ってしまったように思えてなりません。

 当ブログでは本年も昨年に引き続き、所謂「感情屋」の言説を取り上げ、その習性を研究してまいりましたが、彼らは、刑事事件・裁判の被疑者・被告人に対して厳罰を求めるとき、決まって「被害者のために厳罰を」あるいは「社会全体の利益のために厳罰を」という2つの名目を立てていました。彼らの言う「被害者のために」の正体については、12月13日づけ「「被害者のために」の「正体」」において指摘したとおりですが、今改めて光市事件裁判とその「世論」を思い返すと、結局「感情屋」って、「被害者のため」でもなければ「社会全体の利益のため」でもない、本当に自分のために厳罰を求める連中なんだなあ、と結論づけざるを得ません。

 結局、光市事件裁判って何だったんでしょうか。死刑判決のハードルを下げ、被害者遺族が情報発信を強めたということ以外、後に残るものが何も無かったように思えます。

 弁護団は上告しました。最高裁がどういう判断を下すのかは不明です。八海事件のときみたいに何度も高裁と最高裁の間を往復するのか、それともこれで決まりなのかは分かりませんし、私としては、被告人に対する具体的な刑罰に付いては、正直大した問題ではないと思います。むしろ、光市事件裁判を通して明らかになった、あのような劣悪な環境が現実にこの国に存在し、そして社会が被告人一家に対して何もしなかったという動かしがたい事実に対する分析こそが、被告人を死刑にするか否か以上に重要なのではないかと思います。

 来年は、従来どおりの各刑事事件・刑事裁判に対する「世論分析」と並行して、この点に関する分析も、可能な限り取り上げたいと考えています。

関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに、当の被害者遺族である本村氏が「社会のみなさまにも、どうすれば犯罪も被害者も生まない、死刑という残虐な刑が下されない社会になるのか考える契機にならなければと思います」と訴えているのに、社会の方ではこの訴えに応えるような動きが余り見られないですね。

>「経済的に何ら問題ない家庭に育ち、高等教育もうけることができたのであるから、生育環境が特に劣悪だったとはいえない」

司法の判断からしてこのような認識では、今後も類似の凶悪事件の発生は防げないでしょう。目下、派遣村に対するバッシングに見られるように、明らかな経済的苦境に見舞われている人々への援助さえもあのように非難されがちな状況では、この事件の被告のように、たとえ「経済的には問題ない」としても、酷い虐待や支配下に置かれている人々、暴力や犯罪による心身の外傷に苦しんでいる人々のことはさらに顧みられなくなるのではないでしょうか。心配です。
Posted by amanoiwato at 2009年01月10日 02:38
コメントありがとうございます。

>>amanoiwatoさん
>確かに、((中略))余り見られないですね。

 同感です。「被害者のために!」「ご遺族のために!」の正体が今一度見えたように思えます。

>司法の判断からしてこのような認識では、今後も類似の凶悪事件の発生は防げないでしょう。

 この点に関しても同感です。こうして日本社会の「負の面」を殊更に取り上げるブログを運営していると、日本社会って、あるときは光市事件差戻控訴審判決文のように、過度に物質主義的であるかと思えば、逆に派遣村問題、自殺問題、鬱病問題では過度に精神論を説いたりしていて、なんかいつも両極端であるように思えてなりません。物質面と精神面についてバランスの取れた世界観が求められていると思います。
Posted by s19171107@管理人 at 2009年03月20日 01:15
おひさしぶりですm(__)m
ずいぶんとブログを更新されてないようですが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、どちらに書こうか迷ったのですが、ひとまずこちらに書かせてください。
来週早々にも最高裁で光市裁判の判決が下されるようですが(ていうか、前月開廷して一月もしないのに判決が下されるというのもかなり不可思議な話ですが…まさかすでに開廷前に「結論」が決まってたのか???)しかし、この裁判ほど現代日本人の病理性を見せつけられた「事件」はなかったですね。あの弁護団をもターゲットにした「晒せ吊るせ」攻撃は今思い出してもおぞましい限りです。
私はかならずしも憂国派ではないのですが、しかしいつから日本人のメンタリティはサディズムを是とするものになったのか…ただひたすら暗たんたる思いがします。以来この裁判のことは意識的に避けるようになりました。しかし今回再びこの裁判に立ち会うことになったのですが…。いずれにせよ、どのような判決が出るのか今週末は不安な中で過ごすことになりそうです。
Posted by mash_plus at 2012年02月16日 21:04
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。