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2009年01月04日

なんだかなあ

 昨年につづき、宋文洲氏の「なんだかなあ」な記事に出会いながら正月休みをダラダラと過ごしております。今年も残すところ360日余りとなりました。皆様、来年もよろしくお願いいたしますwなんてね☆

 さすがに4様とは違って、昨年とは違う焦点で記事を書いていらっしゃいますが、しかし私が「なんだかなあ」と思うところはちゃんと書いてくれています。以下。

>>>  皆さんは気付いたかどうか分かりませんが、最近世論からは急速に格差の議論が消えたと思いませんか。この格差の議論も作られたブームです。私はいつも言ってきました。日本は最も格差の少ない国の一つです。危機感がなかったからそんな言葉の遊びをしていたのです。 <<<
 新聞は株価一覧以外はご覧にならないのかしら、、、というのはさておき、「日本は最も格差の少ない国の一つ」という言説は本当に飽きるほど聞いてきました。そりゃそうでしょう。曲がりなりにも「一億総中流」、「世界で最も成功した社会主義国」とまで言われた日本です。その辺の国と比較してもらっちゃ困ります。そんなのはどうでもいいんですが、こういうふうに「下」と比べることに一体何の意味があるのか、私としては未だに全く分かりません。資本主義って、現状に満足せず、常によりよい段階に貪欲に突き進むのがウリなんじゃなかったかしら。いつから隠居者の思想になったんだ。

 しかし、この方がわざわざこういうことを書いてしまうという理由は、たとえば「消費者金融や人材派遣への嵐は左翼勢力と低所得層が合流したと思います」という部分をみれば何となく分かります。すなわち、「格差批判者=左翼」という図式。あるいは彼の思考の根底では「左翼=アカ ゆえに格差批判者=アカ」という図式ができあがっているのではないでしょうか。まあ真相は彼の脳味噌を「解剖」しないと分かりませんが、「格差社会批判者」の批判者の一部のなかには、本気でそういう思考回路をしているようであることは、チュチェ95(2006)年7月22日づけ「「格差」批判者はコミュニストですかそうですか」においても書きました。

 ちなみに私は、「白頭の革命精神」(ちなみに、「はくとうのかくめいせいしん」とか読まないように!)とか書いている以上、間違いなく「左側」なわけですが、しかし、「格差」すべてを悪いものとは見ていません。たとえば、各人が自己の創意工夫、すなわち、所謂「努力」と呼ばれるものの結果として得た財貨によって、より良い生活を享受することは私は何の異論もありません。どんどんやってください。ですが、昨今の「格差」をもたらす構造の中には、若干の問題点があるのではないかと考えています。まだ頭の中で構想がグルグルと回っているだけなので今回は書けませんが、今までの当ブログ記事をご覧になってきた方のなかで勘の良い方ならば、あるいは予想できるかもしれません。そのうち書きます。ちなみに、実は刑事裁判や死刑制度に関する記事を書きながら思いついたことなので、参照するならそちらをどうぞ。

 話を元に戻しますが、この言説のいい加減さはメディア報道というものの特性を鑑みれば更にくっきりと分かります。すなわち、チュチェ96(2007)年10月8日づけ「裁判:署名で罪が決まるとき」においても書きましたが、メディア報道というのは、その時間的・紙幅的制約から、公共性と時事性の高いモノから順に報道しなくてはならず、特に昨今は国際金融危機・国際経済危機という全国民に対して大きな影響を及ぼす大事件が起きている関係上、「格差問題」について報道量が減ることは何の不思議もありません。

 このように、メディアの報道量は相対的なので、必ずしも問題の絶対的深刻さを示しているわけではありません。メディア報道におどらされちゃダメですよ!


次。
>>>  人材派遣業がなければ日本の雇用情勢は本当によくなるでしょうか。違います。人材派遣がなければもっと悪くなるでしょう。もともと人材派遣業が成長した理由は企業に人員調整のニーズがあったからです。日本企業は「終身雇用」という建前にこだわるため調整の役割を全部派遣社員にしわ寄せしました。その結果、派遣社員の社会的地位と労働条件が悪くなるのです。正社員の特権化をやめ、差別のない労働条件契約を結べば日本社会の人材効率がもっと高くなり、人材市場の活気も取り戻されると思います。 <<<
 ここは慎重にならないといけません。「もともと人材派遣業が成長した理由は企業に人員調整のニーズがあったから」というのは、私もチュチェ97(2008)年4月20日づけ「派遣労働」において認めているところです。また、上記においては記述していませんが、「正社員の特権化」というのが派遣社員をはじめとする非正規労働者への皺寄せとなっている可能性も否定できません。しかしそれ以前に、経営側に努力すべき点は無いのか。昨今の議論に共通する現象ですが、そういう検証がこの記事では欠如しており、まず労働者側の「痛みの共有」が最優先となっていないでしょうか。

 ちなみに私は、この記事の最初においても触れましたが、以前から「下にあわせる」発想を厳しく批判していますが、しかし、本当にどうしようもないときならば、たとえば、ワークシェアリングといった形を通しての「下にあわせる」ことを批判するものではありません。しかし、このように、まだ余力のありそうな所や、あるいは自分自身に対してメスを入れずに、他者にばかり痛みを押し付けようとするこのような言説に対しては、「下にあわせる」発想と認識し、厳しく批判します。(「下にあわせる」だと能動的なニュアンスがするから、この場合は「下にあわさせる」、すなわち、使役的なニュアンスを出した方が良いかな?今後は「下にあわさせる」に切り替えます。)


最後。
>>>  しかし、今の政治家は世襲議員が多いのです。改革者と思われた小泉純一郎元首相が若い息子に選挙区という縄張りを渡すのだからこの問題の深さが伺えます。世襲議員達は狭いところに住んだことがないですし、自分の保有する資産価値を守るためにも不動産改革に消極的です。そんな硬直した政治を改革するのは最も重要な景気対策になるかもしれません。 <<<
 こういう形での「世襲議員」批判は斬新だ。。。しかし、「資産価値を守るため」に「不動産改革に消極的」な人物は、何も世襲議員だけではないような。。。有力資産家の支援を受けた「一世議員」でも十分、「守旧派の走狗」となりえる予感。

 昨今、所謂「世襲議員」がやたら問題にされますが、なんか中には些かズレた、半分機械的な、「なんだかなあ」な世襲議員批判多いような気がします。この記事において筆者である宋文洲氏が、派遣労働絶対悪論・消費者金融絶対悪論に対して「待った」をかけ、もっと慎重に考えるべきではないかと提言した点については、私は、その内容はさておき高く評価したいと思っているのですが、その宋文洲氏までもが「なんだかなあ」な世襲議員批判に走るのは残念。


 宋文洲氏は視点は面白いし、氏のブログ、たとえば「資本主義は勝ったか」なんかを見れば分かるけど、ガチガチの「資本主義マンセー」ではなく、資本主義の「毒」への真摯な認識と、社会主義の理想に対する一定の理解もあるので、そこらへんのアレなのと比べればバランスは相当良い方だと思うんだけど、やっぱり「なんだかなあ」。


posted by s19171107 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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