http://news.livedoor.com/article/detail/3962551/
>>> そして問題の思想宣伝だが、やはりいた。「9条改憲阻止!」のタスキをかけた男性が、ビデオカメラを片手に歩き回っているのだ。報道腕章や所属を明示するものは着けていない。明らかなルール違反。しかも、腕章をしている報道陣でさえいちいちスタッフから呼び止められるのに、記者が見た限り「9条改憲阻止!」男は誰にも呼び止められていない。これは“9条特権”なのか、それとも、みな気持ち悪がってかかわりあいになりたくないのか。それとも、すべてのボランティアに顔が知れているほどの「派遣村」幹部なのか?「派遣村と護憲活動は関係ないはずだ」という考えに基づく批判です。しかしながら、実は、「派遣村」的試みと護憲活動って、考えようによっては密接なかかわりが無いともいえなかったりします。以下、私の無理矢理な解釈を。
失業者支援は、関係者の思想を問わず、その活動自体に大きな意義がある。同様に、失業問題に便乗した思想宣伝行為は、その思想の内容を問わず愚かしく恥ずかしい。労組が一堂に会した「派遣村」だけに、なおのことそれに便乗した思想宣伝が見苦しく思えた。「派遣村」主催者は、報道陣を締め付けるなら、同様に“空気が読めない思想宣伝”も何とかしたらどうか。 <<<
「派遣村」は有志が集まって始めたものですが、本来はこの手の活動は行政がまずやるべき業務であり、その根拠は大元を辿れば憲法にたどりつきます。日本国憲法は、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を3本柱とし、その下に沢山の条文を引っさげていますが、ところで何故この3本柱を建て、あれだけ沢山の条文を引っさげているのでしょうか。これについて私は、国民が幸福を追求できる基盤を保障するための環境的条件を整備するためであると考えています。
つまり、憲法の各条文というのは、「幸福追求のための基盤を保障する」という目標を具体的なものとして変形したものにすぎず、その「根底」は全て同一であると考えます。また、憲法の各条文は「根底」の目標の変形であるという視点で考えると、憲法の各条文は互いに支えあって一つの憲法(目標)として成立していると言えると思います。たとえば、25条(以下、「〜条」は全て日本国憲法の条文を指す)の生存権を通しての「幸福追求のための基盤保障」は、戦争放棄という形を通しての「幸福追求のための基盤保障」を謳っている9条の環境的条件があってこそ正常に成り立つものですし、各個人の生存権が保障されていない社会では生活困窮者を中心に「新天地」を欲する傾向にあるという歴史的傾向をふまえると、9条は25条の環境的条件があってこそのものです。
本来は憲法の理念に沿って行政が行うべき「派遣村」は、有志が行政にかわって憲法の理念(たぶん25条あたり)を実行したものであるといえます。先にも書きましたが、25条は9条あっての25条です。その点、「派遣村」が25条の精神で開設されたものとするならば(←仮定条件)、それは9条(とその他)の環境的条件によって開設されたものですので、「9条擁護」あるいは広く「護憲」を掲げても何の不思議もないのではないでしょうか。
最初にも書きましたが、上記は全て私の無理矢理な解釈なので、本当に「派遣村」の中の人たちが、私の考えるような論理でやっているかについては、私は全く責任をもてません。本記事によってお伝えしたいことは、「考えようによっては、このような活動と9条護憲運動は結びつかないことはないよ」ということですので、参考程度に聞き流してください。決して「派遣村」の中の人に本記事の内容を問い合わせないように!
それを言うんだったら、拉致問題に便乗して日本の軍国主義化を推し進めた与党自民党や極右勢力はいったいどうなるんですかね?
もっと言えば、拉致問題で名を売るだけじゃなく散々甘い汁を吸っておいて、総理になったら腰砕けになったあの方は???
しかし、今回の派遣村をイデオローグ問題に摩り替えようとする連中の必死さと見苦しさこそ「その思想の内容を問わず愚かしく恥ずかしい」ものはないですな。いったいヒトの生死にかかわる問題をなんだと考えてるんだか・・・。
そして「派遣切り」が明らかな政治的人災であることを鑑みれば、「派遣村」の活動が
護憲うんぬんと結び付いたとしても、むしろその方が自然ではないかと思います。
>今回の派遣村をイデオローグ問題に摩り替えようとする連中
「派遣村」を非難しているその自分自身こそが逆の意味でまさに政治的であることを隠す
ためのペテンなのか、自分が何を言っているか単に気付いていないだけのバカなのか、
あるいはお願いだから政治の話はしないでくれと泣き喚くヘタレなのか。
いずれにしても「愚かしく恥ずかしい」連中であることに変わりはありませんけど。
>>mashさん
確かに私も「そう来たかー」と思いましたよ。余りに枝葉すぎるって。。。
こういう枝葉をあたかも幹であるかのように宣伝する本記事筆者の「パブリック・ジャーナリスト 藤倉 善郎」氏をはじめとしてこの手の方こそが「その思想の内容を問わず愚かしく恥ずかしい」。全く同感です。
>>ポールさん
同感です。派遣村と護憲運動の親和性はきわめて高く、もし仮に「護憲運動の一環としての派遣村」という位置づけをしたとしても、何ら問題点はありません。