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2009年07月18日

「北欧」をめぐって

 6月30日づけ「何も変わってないなあ(2)」において、昨今の雇用問題に関する議論において、日本の所謂「労働者側」を称する、主に「左翼勢力」が、やたらに「北欧の社会保障」の充実っぷりを宣伝する割には、その充実した保障を経済的に支えている重要要素である「高い雇用流動性」について言及することが少ない、つまり、北欧の「実像」が正しく認識されていないことについて取り上げました。

 その一方で、「”労働者側”を自称する左翼勢力」の言説を批判する、言うならば「反左翼」な方々におかれましても、類似した現象が見られるように思います。たとえば、以下。
http://www.j-cast.com/kaisha/2009/07/15045349.html
>>> やっぱり無かった「共産党ブーム」 2009/7/15


都議選で自民党が歴史的な大敗を喫し、野党民主党が第一党に名乗り出た。都議選は総選挙の前哨戦だから、今後もこの流れは変わらないだろう。

ところで、議席の減少率と言う意味では、自民党よりも歴史的大敗を遂げた野党が存在する。日本共産党である。改選前13議席がいまや8議席。“蟹工船ブーム”だのなんだの言われていたものの、まったく国民に相手にされていないというのが実情だろう。彼らが見捨てられた理由とは何だろう。


現代日本には「階級」なんて存在しない
さすがに生産手段の国有化や私有財産の否定などは言わなくなったが、それでも彼らはあるものを堅く信じ続けている。それは「階級闘争」だ。資本階級とプロレタリアート(無産労働者)が対立し、やがて資本主義が崩壊して共産主義に進化するというロジックは、彼らの思想の肝の部分だ。共産党である以上、ここは何があっても捨てられないらしい。

だが、少なくとも現代日本において、階級なんてものが存在しないことは明らかだ。大企業のトップは資本家ではなく生え抜きのサラリーマンだし、中小企業のオーナー社長は自宅担保で運転資金を借りるものなので少なくとも“資本家”とはいえない(後継者不足で年7万社が廃業するほど割に合わない)。プロレタリアートはいることはいるが、普通のサラリーマンには何らかの資産がある。少なくとも大手の組合員中心の連合は、明らかにプロレタリアートではない。

今日の「正社員と非正規雇用」に見られるような格差問題の本質は、身分制ともいうべき正社員保護規制によって、単純に労働者間の分配が上手く行われていない結果に過ぎない。だから仮に階級があるとしても、それは連合とその他労働者の間であるべきで、結局は労働市場の流動化しか解決策はないことになる。

というように、問題も答えも見えているにもかかわらず、「資本家が悪い!大企業を規制せよ!」と見えない敵を相手に闘争をしかけ続ければ、そりゃかたぎには相手にされなくなるだろう。

結果を考慮しない「規制強化」は若年層にとって害悪
フォローしておくが、僕は左派全体を否定するつもりは無い。スウェーデンのように、マルクス主義と決別した左派政権が、市場原理を積極的に活用することで流動性のある社会を作ることに成功している事例もある。日本の左派にも階級闘争を捨てているグループは少なくなく、市民派や新左翼グループの中から、今後そういった新たなうねりが生まれてくるはずだ。

だが、日本共産党はもう死んでいる。「共産党にも存在価値はある」という人もたまにいるが、僕はそうは思わない。結果を一切考慮しない安易な規制強化ばかりを主張し、派遣切りを拡大させるなど、若年層にとってはむしろ害悪でしかない。心置きなく死んでくれといいたい。

とにかく教義を信じることに専念し、内部評価を上げた人間だけが昇進する。彼らの理想は浮世にはないので、内部評価と世間評価は一致しない。そういう意味では、共産党員はどこか宗教的である。

「きみ、ちゃんとお札は買っていますか?」
「いえ、買っておりません…」
「信仰心が足りませんね。そんなことでは高いステージに参加できませんよ」
お札=赤旗、信仰心=革命的気概、高いステージ=革命に読み替えると、特に違和感もない。

もうこうなったらいっそのこと、宗教法人化すればいいんじゃないかな。「マルクス教」とかいって、とりあえず経典は『資本論』で。死後は「貧富の差がなく、無気力労働者も腐敗官僚もいない計画経済体制で幸せに暮らせますよ」とアピールすれば、今より信者、いや党員も増えることだろう。
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 文中で筆者は、昨今の雇用問題・格差問題の解決策は「結局は労働市場の流動化しか解決策はな」いとした上で、事業者側に負担を求める日本共産党の主張を批判しています。そして、その文脈において、「スウェーデンのように、マルクス主義と決別した左派政権が、市場原理を積極的に活用することで流動性のある社会を作ることに成功している事例もある。」と述べているように、「北欧(スウェーデン)の事例」を引っ張り出しています。

 しかしながら、スウェーデン云々言うのなら、かの国の社会保障財源における事業者負担比率は日本よりも高い、つまりスウェーデンは、それこそ日本共産党の主張する方向の政治を行っているわけですが、その辺がすっかりとカットされ、ただスウェーデンの雇用流動性だけを取り上げているのは気のせいでしょうか?

 もちろん、企業の儲けは結局のところは労働者の生み出した富から生まれるのですから、事業主負担増が賃金減から捻出されるという可能性だって十分にありえるし、そういうデータもあったような記憶がある(曖昧)わけですが、かといって「全て」を賃金減から捻出するわけにもいきませんから、結局、純粋な事業者側負担、すなわち利潤の切り崩しもある程度はあるでしょう。そういう意味で、スウェーデンの事例は、日本共産党の思い描く「とおり」のモノではないでしょうが、方向性としてはある程度、一致するところがあると思います。

 このように、日本における北欧認識を見ていると、どうも中途半端な感が否めません。どちらも、自分の見たい「北欧」だけを見ている、それこそある意味「宗教的」というか。。。しかし、こうしている間にも雇用情勢はますます深刻化してゆくのであった。

 ところで、「結局は労働市場の流動化しか解決策はないことになる。というように、問題も答えも見えているにもかかわらず、「資本家が悪い!大企業を規制せよ!」と見えない敵を相手に闘争をしかけ続ければ、そりゃかたぎには相手にされなくなるだろう。」と仰いますが、「雇用の流動性向上こそが問題解決の鍵」っていう言説は、まだ世論のコンセンサスを得るに至っているとは思えないんですけどねえ。そもそもそんなに雇用問題が注目されていないというか。

 最後にどうでもいいツッコミ。「貧富の差がなく、無気力労働者も腐敗官僚もいない計画経済体制で幸せに暮らせますよ」という「死後の教義」を宣伝するのならば、『資本論』を経典にしても意味ないだろwww また、「日本の左派にも階級闘争を捨てているグループは少なくなく、市民派や新左翼グループの中から」っていうくだりにおいて「新左翼」という単語が使われているけど、たぶん文脈的に「旧来の左翼が持つマルクス主義階級闘争観から脱却した新しい左翼」という意味だと思うんだけど、すげえ紛らわしいから別の言葉に置き換えたほうが良いと思うよ。階級云々も、そういう意味じゃないと思うんですがねえ。
posted by s19171107 at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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