チュチェ94(2005)年が丸一日、靖国にへばりついて観察、95年は、午前中、左翼のデモをヲチったあと、午後は靖国の観察、96年は靖国と千鳥ヶ淵の訪問者の違いの記録、97年(一昨年)がウヨサヨそれぞれの8・15、昨年がウヨサヨ戦争というテーマでやってまいりました。すべての過去ログはこちらのインデックスページ参照。
今年は、原点回帰して、丸一日(といっても15時まで)、靖国にへばりついて観察しました。九段下交差点では、例によってウヨサヨ戦争やっていたみたいですが、今年は見ませんでした。以下は、終戦から65年の8・15の記録です。
なお、以下、場所の名称が分からない場合は、こちらをご参考にしてください。靖国神社公式ページの境内案内図です。
例によって6時の開門前に現地入りする私。前日、土曜日だったからそんなにキツくもないのは幸い。
例年は神門前、ど真ん中で開門を待っている喪服隊が、今年は大手水舎のヨコにへばりつくように、つまりど真ん中を避けて待機している。いつもの場所には、別に誰が並んでいるわけでもなく、かといって誰もいないわけでもない。
神門の開門と同時に無秩序的に吸い込まれる群集。無秩序というと聞こえが悪いか。でも、所謂「整列乗車」を「秩序的」とすれば、少なくとも「整列乗車」の「秩序」とは程遠い。そういう意味で「無秩序的」。だからといって、我先に人を掻き分けているわけじゃないよ。
7時。参拝者人数は、普通の休日の昼間くらいかな。チュチェ96(2007)年の記録によると、その当年の早朝参拝者数は「平日の昼間くらい」とのことだから、例年よりは多いんだろうなあ。ただ、年齢構成は、やっぱり中高年の朝は早いなあといわざるを得ない。まあ、朝早く来れば良くて、昼間から来るのは悪いとか、そういう性質のものではないから別に構わないと思うけど。あ、ウヨさんたちは朝に弱いみたいです。気合入れて開門と同時に参拝するのもいますけどね。
8時過ぎても、年齢構成は40〜65歳くらい(に見える)の層が一番多い。8時10分ごろから、「英霊にこたえる会」が、新しい国立追悼施設建設反対署名活動とアジをはじめる。調子よく色々まくし立てるも、「(民主党政権の)いかがわしい政策、、、」といいかけて途中でやめたのは何か意外だった。まあ、「新国立追悼施設建設反対」と「『いかがわしい政策』批判」って、悪いけど関連性ほとんどないからね。
このことを筆頭に、8月15日の靖国神社って、本来的な「戦没者追悼」とは脱線した主旨の宣伝活動・署名活動が少なくありません。最たるものは、九段下駅から神社入り口(大鳥居)までの間の歩道、東京理科大前あたりでやっている、台湾・チベット・ウイグル関係、法輪功関係、外国人参政権関係の宣伝活動・署名活動でしょうね。こんな日にこんなところに来る人だから、署名活動も集まりやすいだろうと踏んでのことなんだろうけど、それにしても、「8月15日に靖国に参拝する人なら、きっと署名してくれるだろう」という、ある種の甘えというか、願望みたいなのが透けて見えます。もっとも、これらの宣伝活動・署名活動は、靖国神社の敷地外ですけどね。「英霊にこたえる会」は、敷地内でやっちゃったけどwだから、途中で打ち切ったのかな? 主旨は「新国立追悼施設建設反対」であり、神社もそういうことならってことで敷地使用許可を出したのであって、「民主党政権反対」ではないはずだからね。まあ、うっかりホンネが出てしまったというところでしょうか。
あ、ちなみに、こういう願望的便乗の宣伝・署名活動は、なにも右派だけじゃないよってことは確認しておきたいと思います。免罪符的に。たとえば、5月3日の護憲の立場からの憲法集会では、毎年、会場周辺には、共産主義者(ちなみに、日本共産党みたいに、「資本主義の枠内での〜」みたいな甘っちょろい共産主義者ではなく、頭数さえ揃えばすぐにでも蜂起したがっているガチな人たちのほうですよ)が宣伝活動してますらね。私有財産制度を定めた日本国憲法と、それを否定する共産主義思想は、流石に両立しませんよね。きっと共産主義者の皆様におかれては、「護憲=左翼、左翼=共産主義」みたいな公式があるから、毎年毎年、本心では日本国憲法なんて支持してなくても、護憲集会にきているんでしょうけど。
だいぶ脱線しました。話を元に戻します。
8時30分にもなると、だいぶ人が増えてきます。とはいっても、今日は日曜日。日曜日にしては人数の伸びが少ない気もしなくもないが、日曜の朝は総じて遅いもの。まあそんなもんかな。年齢構成は、遺族会のバスが到着した関係もあって、70歳以上と見える方々も増えてきました。
ふと街宣系ウヨさんを注視してみる。胸に日の丸がついているのは基本として、なぜか腕にハーケンクロイツをつけているウヨさんグループ(団体名までは見えなかった、、、)や、ドイツ軍の将校帽をかぶる中年男性が。やめろ、なんか色々と勘違いされるだろ。「英霊にこたえる会」が「良識ある日本国民は署名にご協力を」みたいなことを言っているけど、腕にハーケンクロイツをつけているようなウヨグループを叩き出すほうが先だぞ、「良識ある日本国民」よ。
9時ごろになると、九段下方面から上がってくる参拝者が、願望的便乗の宣伝ビラを手にしていたりもする。目視確認しなかったけど、この時間帯から活動始めたのかな? 街宣車の音楽も聞こえてくる。
10時前後。40歳以下と見える人たちも増えてくる。観光バスも増えてくる。変なのもパフォーマンスの準備を始める。「またおまえか」という面々に再会する。ある種の同窓会だな、これ。もっちろん、栗林白岳翁のグループや、71飛行ナントカ(正式自称はどうでも良くて忘れた)も着々と準備をすすめるが、あれ、、、翁がいなくない???
経験則として、栗林翁のグループや71飛行ナントカといったコスプレグループの取り巻きから、その年の参拝者がどういう類の人たちなのかというのが、ある程度ではありますが、見えてきます。というのも、ああいう客寄せパンダは、最初のうちは物珍しくて写真にとりたくなるのですが、連中、毎年同じことしかしていないので、何年か足を運んでいるうちに、飽きてくるのです。「ああ、また今年もやってんのね」ってな感じで。つまり、コスプレグループへの取り巻きの数から、その年の新参者はどのくらいいるのかが、厳密さは欠いているのは百も承知(こんなもんテキトウでいいんだよ!)ですが、なんとなくわかってきます。
昨年の雑感記事で、私は、この経験則から、靖国参拝者の質的変化の可能性を表明しました。今年はどうだったか。黒山の人だかりができるほど取り巻きに囲まれたかと思えば、まるで相手にされなかったり、かと思えば、また群集に囲まれたりと、取り巻きの人数に顕著な「波」がありました。まだ、結論を出せる段階にはありませんが、まるで相手にされないときは本当にまったくといってよいほど相手にされていなかった(2005年にはありえないこと!)ので、参拝者はリピーター中心にシフトしつつあるとはいえるのかな?
11時です。暑いです。参拝者の年齢構成は、「神社ってこんなもんかな(初詣は除く)」。つまり、現代の若者は余り神社に参拝するという習慣がない(初詣は除く)ので、その人数も限られているが、それでもまあまあ、「こんなもんかな」と言えるくらいの人数は来ている、といったところです。やっぱり中高年が多いのは仕方ないよね。ただ、2005年にはそこそこ見られた、元兵士っぽいご老人たちの姿は、やっぱり明らかに減っているよね。。。人数は、ようやく「あっ、日曜日」って感じがしてくる。
11時40分。栗林翁グループが行進を始めるが、いつも先頭に立っていた翁がいない。。。取り巻きは、2005年には遠く及ばず、例年より心なしか少ないかな。。。そして、行進中の取り巻きの数にも「波」が見られる。翁グループの行進なんて客寄せの最たるものなのに(少なくとも、2005年はそうだった)。
12時。参拝者の行列は神門付近を最後尾とすることで安定。「安定」とは言っても、その混雑は、首都圏の朝の乗換駅並だけど。参拝者人数は、目視と私の感覚基準で、「2005年程度」かな。まあその辺は、靖国神社側が参拝者数をカウントしており、毎年、公表していたと思うから、もっと正確な統計をお待ちください。私は完全に経験則に基づくフィーリングでモノを言っているテキトウさんです。参拝者年齢構成は、特にどの年齢層が多いとは言えない気がします。朝の遅い若者も、ようやくやってくるようになって来ました。
おなか空いたし、ちょっと飽きたので、買出しに、靖国を離れる。靖国通りだったか内堀通りだっか忘れたけど、平成同志会とかいう右翼団体の街宣車の車体に「世の不条理に天誅」と書いてあるのを目撃。「世の不条理」ねえ。
「世の不条理」に「天誅」というと、まあもちろん「天誅」なんて言葉は使わないものの、なんとなく左翼っぽさを感じてしまいます。むしろ右翼は、そりゃ常軌を逸した「世の不条理」には立ち上がるだろうけど、どちらかというと現行システムの保守、それこそ保守を旨としている限りは、ある程度の「不条理」は止むを得ないという立場であるような。天誅ウヨさんも、サヨさんも、掲げる理想社会の青写真が違うだけで、心根はそう変わらないのかも。
千鳥ヶ淵に行ってみる。あいわからず、靖国との参拝者数には雲泥の開きがあるが、珍しいことに街宣さんたちの小グループが千鳥ヶ淵参拝している! 実は毎年やっていたのかな? 私が確認しただけでも、10人程度のグループと、3人程度のグループが、千鳥ヶ淵に吸い込まれていきました。
長い昼休みを終えて、14時ごろに靖国に戻る。もう結構、飽きてきたぞー
あちこちで聞こえる軍歌の合唱、しかしそこには、2005年にはいた元兵士(と思われる)ご老人の姿はなく、戦中・戦後生まれ(と思われる)人たちが、「自分たちの歌」では無いのにもかかわらず、得意になって歌っているという、なんとも言えない光景が広がる。かくして、勇ましい軍歌が、その裏側に潜む苦労を置き去りにされて、「受け継がれてゆく」のであります。元兵士が軍歌を歌うのって、私は元兵士じゃないから知らないけど、つらい訓練やらなにやらも全て含めて歌っている、思った以上に「深い」行動と思うんだけど、戦中・戦後生まれの合唱からは、どうも、そういう「深み」を感じず、「ただ格好良いから」くらいの動機しか感じないんだよねえ。まあ、私の勝手な感覚ですけどね。
参拝の行列は短くなり始めました。参拝者年齢構成は、11時の段階では「神社ってこんなもんかな(初詣は除く)」でしたが、14時の段階では、やっぱり初詣には及ばないけど、若い層もだいぶ増えてきて、髪の毛を金色に染めた人たちも見られました。金髪を目の敵にする爺さん婆さん! 金髪はその人を判断する基準にはならないこともあるってことを分かってね!
ここで再び「英霊にこたえる会」のアジが聞こえる範囲に移動する。会曰く、「新しい国立追悼施設建設は中国政府のいいなりであり、精神的に中国共産党の支配下に入ること」(要旨)だそうです。確かに、新しい国立追悼施設建設は中国もよしとするところであり、結論だけを見れば、中国政府の意向どおりということになると思います。しかし、その結論に至るプロセスは、必ずしも中国政府の意図するプロセスどおりとは限らず、「精神的に中国共産党の支配下に入ること」とは限りません。また、たとえ中国政府の意図するプロセスどおりであったとしても、そのプロセスを主体的に選択したのであれば、やはり「精神的に中国共産党の支配下に入ること」とは限りません。
彼らに限らず、どうも日本人(まあ日本人に限らないと思いますが)の言動・行動を見ていると、対立相手が主張していることと同じ結論に至ることは屈服であり、主体性の放棄であり、どうしても受け入れられないという頑なな態度が見られるように思います。しかし、今書いたように、対立相手が主張していることと同じ結論に至ったからといって、そのプロセスまでもが同一とは限らないし、同一だとしても、その選択が主体的になされたのであれば、「屈服」ではなく、「主体性の放棄」でもありません。「良いものは良い」として柔軟に受け入れる、それが日本人の良いところだと以前、耳にしたことがあるのですが、そういう「良識ある日本国民」はどこに行ってしまったのでしょうか。
あ、ちなみに、それ以外の靖国の歴史的・宗教的性格を根拠にした「新国立追悼施設建設反対」は、それは良いと思いますよ。私が言いたいのは、「新しい国立追悼施設建設は中国政府のいいなりであり、精神的に中国共産党の支配下に入ること」は、必ずしもそうではない、ということであり、「新国立追悼施設建設」そのものについては、ここでは何も言っていませんし、何も言う気はありません。言えるほど色々調べているわけじゃないから。勉強します。
15時です。参拝者行列は中門鳥居付近まで短くなりました。もうこれ以上、参拝者が増えるとは思えないし、飽きてきたので靖国を離れることにしました。九段下駅方面に歩くと、あいかわらず、願望的便乗の宣伝活動が展開されています。法輪功、この際、関係あるのかな。。。九段下交差点には大量の日の丸隊と機動隊がいる。あー、そういえば、在特会が反天連のデモを粉砕するとかしないとか言っていたなあと思い出すも、そういえば去年もやってたじゃん、と思い出したので、一通り情勢を確認して、帰路につきました。
以上が今年の靖国取材でした。昨年の雑感記事で私は、「「8月15日の靖国神社」ってどうなっちゃうんだろう」と書きましたが、以上に書いたように、リピーターも定着し、頭数的には安定化の傾向が見えつつあるのではないでしょうか。昨年、表明した懸念は、少なくとも今年は深刻化しなかったようです。しかし、栗林翁に結局会えなかったのをはじめとして、その年代の人たちにお会いすることは、ほとんどできませんでした。にもかかわらず、「似たようなこと」(軍歌合唱とか)はカタチの上では続いている。まさにカタチだけの「8月15日の靖国神社」になりつつあるのかも知れません。まあ、その辺は、今後も継続して観察し続ける必要があると思います。
追記
※ あ、気がついたら写真とってなかったわw いまさら遅いw
※ ビラコレクションは、取り込むのが面倒なので、気が向いたらそのうち。
1.一緒に戦った同盟国ドイツの将兵の英霊に対して哀悼の誠をささげる。
2.小泉首相等閣僚の靖国参拝に対して、海外で最も支援しておられるのが、ドイツ国家民主党のいわゆる”ネオナチ”とよばれている方々です。ドイツ空軍のエースパイロット ハーヨ ヘルマン氏いわく、「ノルマンディ60周年記念時にシュレーダー首相は、戦没ドイツ将兵の墓参りもしなかった。これに対して、小泉首相は周辺国に気兼ねせず靖国参拝した。国民もこれを支持した。なんとりっぱなことか」。日本国民として、私たちのような良識派を支援してくれる同盟国人に対して応える義務があります。
そして、その後私は素晴らしい体験をしました。あるドイツ人男性の前で、日本人が「Ich hatte einen Komeraden」という日本の「戦友」のような歌を歌っておられたので、帽子をかぶったまま思わずナチス式敬礼をしました。その後、持っていたドイツ軍軍歌CDを見せると、大感激して写真をとらせてくれといってきたので、ジャケットをもって、ジークハイルとナチ式敬礼をしました。そのドイツ人男性は、本当に大喜びしていました。その後、日本語が話せる方だったので、私は、ドイツはベルサイユ条約でむちゃくちゃな賠償金を課され、そこでヒトラー総統を中心に立ち上がった。ユダヤ人虐殺は問題であるが、英米4発機による無差別焼夷弾空襲も恐ろしい大量殺人(60万以上死亡)である、その他ドイツのことをわかって味方をする人は数多いというと本当にうれしそうでした。他にも多くの外人さんからは、ポーズを求められました。特に、最初は敬遠しがちだった何人かのドイツ人もドイツ軍軍歌集を見せると、大感激でした。母国では近隣諸国に気兼ねしているようですが、本音は別のようです。
このことは、他の参拝者からも聞けました。ある人は「自分もドイツに3〜4回行っている。日本人とわかると、すぐにお酒をのもうと誘ってくる。そして、ともにたたかった仲だと、友好を求めてくる」ということです。それぞれの国には、それぞれの正義があります。ただ、戦いに負けてしまった、というだけのことです。
拝殿前はあの人だかりだが、あのなかに入って「芋の子」になるんだろうか。
それとも「そこどけそこどけ」って、行進するんだろうか。
そこまでは見届けなかったんだけども、軍刀をささげた将校役が先頭で、兵士役4人がつづく。
歩調は合ってるが、兵士の一人は銃の担ぎ方を間違えてるね。
本人たちは真面目なんだろうか? それともやっぱり、おちゃらけのコスプレなんだろうか?
水兵服のメタボ父さんも居たぞ。夏服でカッコいいはずだが、メタボじゃあねぇ。
いずれも、真面目な顔で歩いてはいたが、
そんな中、知る人ぞ知る人物が戦争経験者でもないのに似合わなく薄汚い軍服姿で英霊ごっこに興じるのは
【検閲削除】氏である。
【検閲削除】であり、映画出演者でもある【検閲削除】は余暇を靖国神社でのコスプレ活動に命をかけナルシストで、表現の自由を行使する。
彼の頭の中には英霊に感謝する気持ちなど無く「参拝者から注目されたい」など自己の欲求を満たすのに英霊を利用しているのに違いない。
観光客的な参拝者からカメラを向けられる時、【検閲削除】氏は最高の興奮を覚えているだろう。
観光客から歓声を受けてるのを勘違いしてるようだが、ただの見世物になっているのに過ぎない。
本当の参拝者といえる靖国神社崇敬者や、靖国神社側からはチンドン屋と蔑まれケジラミのように嫌悪されている。
再三にわたる靖国神社側からの軍装参拝自粛要請を無視し続ける行為は英霊を冒涜してる証だ。
もし本気で、英霊に感謝の参拝をするんなら、そんな扮装なんてな要らないと思うんだよ。
やっぱり、目立ちたがりのコスプレ男だと確信できた。
【管理人連絡】
真偽不明ですが、実名っぽいものが出てきたので、規定に基づき部分的に検閲削除しました。(チュチェ103年2月26日、検閲削除の上、コメント承認・表示)