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2006年09月15日

最近思ったことをメモ

最近思ったことをメモ。2日かがりで書きました。
まあ、忙しくて、連続してPCを使えるのが30分も無かったせいなんですが。
今週末の3連休、当方休みが一日もありません。明日も朝7時00分には出かけなくてはなりません。
ゆえに、この世の中で言う連休中、いつも以上に薄い記事になると思います。

話題は二つある。

まず一つ目。
先日の日曜日、昔、よくマルクスやレーニンについて語り合った同好の士に2年ぶりに再会。
あってすぐに話が社会主義・共産主義についての話になった。
私は基本的に社民主義、特に東欧の旧共産党の改革派が、東欧革命後につくった社民主義政党の動向や南米左派政権を前提に話しいてるんだけど、相手はどうしても旧共産圏の、私的に表現するなら「スターリン主義」を前提に話したために話がグチャグチャになってしまった。
「三四郎日記」(http://blog.goo.ne.jp/yojiro5/)の「共産党・志位氏、韓国訪問」(http://blog.goo.ne.jp/yojiro5/e/fbaf633ca7574d6c23745bb274e60de5)のコメント欄の最初の方にもあるけど、やはり一般の方の「社会主義」ってのは依然として「スターリン主義」であることを改めて認識。
そういえば、先日も少し書いた、共産アレルギーの実父との討論の時も、こんなことあったっけ。実父の場合は、私が純粋に理論としての共産主義について話しているのに、あっちはスターリンの粛清やら、文化大革命のことを話してきたから。

ゆえに今週から、スターリン主義を含む20世紀社会主義についての学習を深め、何が問題で何が間違っていたのかを知り、21世紀の社会主義のあり方について自分なりに考えるために、まずソ連史から勉強を始めてみた。

「スターリン主義とマルクス・レーニン主義は違う」とか「スターリン主義は科学的社会主義をゆがめたものだ」と言うのは良く聞くけれど、それをいかに大衆に対して分かりやすく解くかが大切だと思う。大衆の、社会主義に対する疑問を一つずつ丁寧に回答してゆく。毛沢東は「大衆の中から大衆の中へ」や「まず生徒になってから教師になる」というようなことを言っている。(毛沢東自体は典型的スターリニストだけど、彼の言うこと、少なくともこのフレーズに関しては正しいと思う)

そのためには、今後もソ連総括を進めないといけないし、日本共産党としては、たとえばルーマニアとの関係など、党の過去についてもう少し大衆に分かりやすい総括が望まれる。(前掲の「三四郎日記」のコメント欄の後ろの方をみてそう思った)
というか、そういうことしないと今後永遠に反共産党諸派の攻撃対象になるからね。

今日の、麻原死刑確定報道に関して、TBSのニュースに上祐氏が出てきて、アナウンサの「やはり未だ教団への恐怖を感じている人が居ると思います」という発言に対して「実績を上げるしかない。そのためには、まず組織内部の弱さを克服しないといけない」見たいなこといっていたけど、これはアーレフ内部に限らず、我々にも当てはまると思う。
前掲の「三四郎日記」のコメント欄の後ろの方で、共産党側の人の「共産党も総括・自己批判しています」という発言に対して、反共産党の人が「それが大衆に認識されなくては、独り言にすぎない」というやり取りがあった。反共産党の人は相当感情的になっていて、文章も敵意剥き出しだったけど、この指摘は正しいと思う。
「している」からいいんじゃない。相手に認められなくちゃ、実効的な総括にはならないよね。まあ、反共分子に認められる必要までは無いけど。
また、その過程で、マルクス主義あるいはマルクス・レーニン主義に誤りが見つかれば、そこは修正すべき。

(なんか当然のことをいまさら書いているけれど、これはあくまで私の私による私のための再確認のメモ、チラシの裏だから気にしないで。)

二つ目。
アッテンボロー氏が、自身のブログの今後の編集方針について発表なされた。
要するに、最近忙しくてなかなかネットにつなげなく、コメントの個別返しが出来なくなりつつあり、今後は総括的にレスするのが常態化するだろう。
ゆえに、立場が大きく違う方には書き込みご遠慮いただけるとありがたい。とはいっても、削除やアク禁をするつもりは無い。そういうことやるのは心の狭い奴だ。という内容であった。

多くの常連、某所では「アッテンボロー氏の所に巣食うネトウヨ」と呼ばれている連中も、多くは「致し方ないけど、仲間内だけの政治ブログって何の意味あるの?」と言うような、半分くらい飲み込んだレスがついていた。

ただ、以前からアッテンボロー氏に対して「レーニンを賛美するくせにソ連を批判するのは矛盾」とかいうような、中核派の基本的立場、私のような部外者ですら知っている基本的立場を知らずに頓珍漢なコメントした挙句、アッテンボロー氏に「批判は構わないけど中核派の基本的立場くらい勉強してから来てください。」と鮮やかに切り返されても尚、「マルクス主義と言う枠から考えればマ・レ主義だろうがスタ主義だろうが同じだ」という、資本主義陣営で言えばケインズ主義と新自由主義をごちゃ混ぜにしかねない電波なウヨが、「左翼はやはり言論弾圧」とか言うような、電波なコメントを残した。

おまえよく恥ずかしくないなと思う。

言論の自由、これは民主社会の根幹をなす重要な権利であることは、もはや言うまでも無い。しかし、言論の自由とは、荒唐無稽なことを言ってよいと言う自由では無い。まして、それを他人の編集権のうちにある他人のブログでやって良い訳無い。
こういう現実を見ると、あるいは各種教育現場における、権利の本質についての教育が十分になされていなかったのではないかと思う。

というか、それ以前に日本語読めない人多すぎ。いろいろなブログを私は見るけど、コメント欄には日本語の読めない人、特に右なら右、左なら左でそれぞれかなり偏った人に限ってよくいる。
教条的思想や心情ってのは施行を鈍らせるものだとつくづく思う。
posted by s19171107 at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記じゃない雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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