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『わしズム』8月号36pで、国賊小林は、右翼の鈴木さんがプロの右翼団体の行動を見てきて「戦争中だって悪い奴はいたんじゃないかと思えてきたんです。あの戦争だって100%正しかったんじゃないし、虐殺だってあっただろう、という具合に、だんだん客観的に見ることができるようになってきた」と言う発言に対し、次のように述べている。すごい思考停止です。旧社会党左派の非武装中立主義者を彷彿とさせます。
わしは、爺さん達が虐殺もしたかもしれんということですら、言いたくないのよね。もちろん、戦争に行ったんだから人は殺しただろうけど、それを責める気にはなれない。というのも、彼らが若い頃に書いた手紙や遺書をいろいろ読んで、その大人としての成熟度や覚悟の強さや達筆な文字なんかに触れると、これを書いたというだけで、今の若者の水準とは比較にならない人たちだと思えるんですよ。(中略)だから、こんな幼稚な人間に戦前の若者を批判する資格があるんだろうかと思ってしまうわけ。
戦場とは、人間を殺人マシーンに変える場所です。人間の奥底に潜む鬼(なんか文学的な表現だなw)が露呈する場所です。相当固い意志が無い限り、どんなにうまい文章を書いたところで何の意味もありません。
やはり、おぼっちゃま(かどうかは知らないけど)な漫画家に過ぎなかったんですね、小林さんは。もちろん、私だって戦争を体験したわけじゃありませんが、所謂「平和教育」だけは妙に真面目に受けたので、その手の証言くらいは心に残っています。
また、これは小林だけじゃなくて石原チンタロウなんかもそうだけど、戦時中の若者と現代の若者を、一概に相対化できるものなのかと思う。
もちろん、最近の若者の一部の行動は、戦前戦中のそれには無かったものが多々あるけど、逆に良い意味で戦前戦中の若者に無くて、現在の若者のそれにあるものもあるんじゃないかと思う。
たとえば、最近の若者の「詩」なんか、ここ数年はインターネットで色々読めるようになってきたんで、たまに現代を知るために読んでみたりするけど、戦前戦中の堅苦しいそれとはまた違うけど、しかし純粋に人間の心情を彼らなりに、しかし決して他人から見て見苦しくない程度のものがある。(もちろん、聞いているこっちが恥ずかしくなるような恋愛の詩とかもあるし、「なんじゃこりゃ」ってなような酷いのもある)
もっとも、小林や石原みたいに、戦前戦中の価値定規から考えれば、そんなものは邪道に値するんだろうけど、これはこれで良いし、決して思考停止した漫画家や、週のうち数日しか登庁しない知事がけなせるようなものじゃないと思うべ。
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