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2006年09月27日

死刑

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200609260028.html
 奈良市の小学1年の有山楓(かえで)さん(当時7)が04年11月、下校途中に誘拐、殺害された事件で、殺人やわいせつ目的誘拐など八つの罪に問われた元新聞販売所従業員、小林薫被告(37)の判決公判が26日、奈良地裁で開かれ、奥田哲也裁判長は「わいせつ行為の着手前には強姦(ごうかん)した後に殺害することを決意していた。自己の異常な性欲を満たすための犯行であり、反省しておらず更生の可能性もない。幼少の女児が性的被害を受けていることを考えると、被害者の数だけで死刑を回避することはできない」と述べ、求刑通り死刑を言い渡した。被告側は即日控訴した。
(以下省略)
反省しておらず更生の可能性もない→死刑
死刑制度ってのはこういうものなんだろうから仕方ないけど、ポル・ポトの「生かしておいても得にはならぬ、殺してしまっても損にはならぬ。だから殺せ。」みたいな趣旨の発言をふと思い出した。
posted by s19171107 at 20:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素朴な疑問なのですが、ではそういう人間はどうすべきなのでしょうか?
光市事件についての記事も読ませていただきましたがそこからもこの疑問が沸いてしまい、どうしてもお聞きしてみたいのでコメントさせていただきました。
Posted by うーん at 2008年04月13日 00:50
コメント有難うございます。

 そう、そこが難しい。関係記事においても繰り返し申し上げている通り、私は死刑制度に対する意見はまだ固まっていないのです。
 ゆえに、申し訳ないのですが、現段階ではお答えできません。
 あなたはいかがでしょうか。もし、死刑制度に対して確固たるご意見があるのならば、そのご意見を形成する上で役に立った書籍などをご紹介いただけるとありがたいです。

 光市事件については、関係記事のどれかに書いたとおり、実際に被告が死刑になってもならなくてもどちらでも良い、というか、死刑制度について意見が固まりきっていないので、どちらともいえないのですが、少なくとも、

1.感情的なものではなく客観的事実を踏まえた量刑検討

2.被告の生育過程と実際の事件の関連性を洗い出すことにより、被告の生育過程と実際の事件に密接な関係があった場合は、社会制度を改めるための資料としていただきたい

 つまり、「裁判の本分」を十分に果たした審理をしてほしいという願いから、追っかけしております。

また、当事件裁判は場外乱闘が激しいという特徴があります。私は場外乱闘の観察もしておりますが、それについては、

1.場外乱闘における罵声を分析することによって、裁判制度に対する理解の度合いを測る

2.場外乱闘に参加している人たちの罵声を分析することによって、こういう人たちがどういう考え方をしているのか分析する(所謂「感情屋習性研究」)

という観点から行っております。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年04月13日 11:43
返信ありがとうございます。
私は管理人さんのように深く勉強しているわけではなくて本当に浅はかな知恵しかないのです。

確かに光市の事件、感情に振り回された情報をマスコミが垂れ流し、それを一般市民が信じきっているという状態だと思います。
だから管理人さんのブログを読ませていただきまして、コメント返信に頂きました1,2も理解することが出来ましたしそうあるべきだとも思います。
ですが、しかし一般市民の言うことも理解できます。(死刑と声高に叫ぶことを理解しているのではなく)コメント欄の中に「更正の可能性がある」という言葉に不安感を感じているものがありました。
更正の可能性があるということは裏を返せば更正しない可能性もまたあります。
実際女子高生コンクリ事件の加害者の一人は社会復帰後に再犯しました。
そこに国民は不安感を感じている。
だからこそ「もう帰ってこないで。怖い。」という意味で「死刑」の主張をしている人が多いのだと思います。
ここは私にも理解できてしまう部分なんですね。

更正する可能性があるということ(更正できるということ)は理想です。
しかし現実としては更正プログラムが功を奏さず再犯をする可能性がある。(再犯した場合、更正プログラムの再考の契機にはなるのでしょうが)
どうしても殺人を犯した人間などの更正の余地に対する一般市民の不安感というものは拭えないものであるし場合によっては「完全に隔離」される必要がある案件もあるのではないかと思うのです。

うーん、要は私は大した考えはもっておらず、司法の理想と社会の現実の間にちょっとした溝を感じている、という程度の考えしか現在ないのです。だから管理人さんのような識者の意見を聞かせていただきたく思いました。
しょうもないコメントで申し訳ございませんでした。
Posted by うーん at 2008年04月13日 22:35
 コメント有難うございます。

 私も「更生」の不確実性から、不安感を覚えることがあり、その点が、死刑制度の存廃について明確な意見を持てないでいる大きなポイントになっています。まあ、死刑制度の存在による「抑止力」というものは明確に証明されていないそうですが、死刑すなわち「犯罪者の完全な隔離」は、再犯の確率を「完全に」ゼロにすることなので、統計資料をもとにした「抑止力は認められない」という理論を飛び越してしまうのも良く分かります。

 死刑制度についてはそれだけで専門ブログが出来てしまうくらい深い問題なので、私も余り追究する機会がないのですが、やはり少しずつ考えてゆく必要がありそうです。こちらこそ、有意義な質問をぶつけてくださって有難うございました。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年04月17日 22:00
結局、「社会の実情と司法制度との乖離」「裁判制度の合理性・公平性」および「更正プログラムの実効性」「死刑制度の是非」「少年事件・少年犯罪者の処遇」「犯罪被害者および被害者遺族の救済」等々の問題がそれぞれきちんと区別されずに、混沌と扱われているのが一番の問題ではないかと思います。
Posted by amanoiwato at 2008年04月18日 20:06
コメント有難うございます。

>「amanoiwato」さん
 たしかに全てが一緒くたになって、どれか一つインパクトの強いものに引きづられているというのはあり得ると思います。極端な話、「たしかに被害者におかれましては気の毒ですが、それで?」というくらい割り切って考えないといけないかもしれません。
 こういうこと書くと、また「キレイゴトだ!」というご批判を頂くものと思われますが、そもそも人間社会は「キレイゴト」で成り立っているようなものですからね。。。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年04月20日 23:53
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