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2006年09月29日

都教委の都脅威2

23日の日記に続き、さらに資料類保管

「薫のハムニダ日記」さんとこに、高橋哲哉教授がハンギョレ新聞に寄稿した記事が日本語訳されていたから、該当部分を引用。
http://hamnidak.exblog.jp/4214380/
今月21日、東京地裁で日の丸(国旗)と君が代(国歌)に関する重要な判決が下された。日の丸・君が代は靖国、歴史認識と同じように“大日本帝国”の影がまとわりついた問題であると同時に、今日の日本社会の大きな論争の的でもある。過去の“帝国の象徴”である日の丸・君が代は、戦後の平和憲法や教育基本法体制下でも学校行事に早くから使われ始めた。そしてこれを定着させようという文部省・教育委員会などの行政側と、戦争・植民地支配に使われた歴史のために拒否する教師・生徒との間で対立が続いてきた。

1980年代、東京都では自由な雰囲気の卒業式・入学式が一般的だった。しかし90年代末から様相が大きく変わった。国家主義者、石原慎太郎東京都知事の登場、国旗・国歌法制定などを経て、2003年10月23日、東京都教育委はある通達を発表した。職務命令により教職員に日の丸に向かって君が代を歌うようにさせ、従わない教職員は懲戒すると明らかにした。処分を覚悟して起立を拒否し、懲戒を受けた教職員が400人余りにものぼった。

強制に反対する教職員は都教育委の通達・職務命令に従う義務がないという確認を求める訴訟を起こした。これに対して東京地裁は原告の主張をほぼ全面的に認める判決を下したのだ。「敗訴は1%も予想しなかった」という都教育委の職員がいるかと思えば、「夢のような判決で信じられない」と喜ぶ教師もいる。両方とも大きな驚きを隠すことができなかった。逆に見れば、今の日本ではその程度の教育の自由も尊重されておらず、上意下達が当然のことになってしまったということではないのか。

現場の裁量をまったく許容しない通達や命令で起立・斉唱を強要することは憲法19条で保障された思想・良心の自由の侵害であり、教育基本法で禁止した「不当な支配」に該当するという判断が判決の中心だ。判決はまた、日の丸・君が代が「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱」だった点を言及し、今も「価値中立的に認められない」と指摘した。少数者の思想・良心の自由を守るという主旨からも教育委の通達・指導を行き過ぎだと認めた。これもやはり民主主義や立憲主義の原則にとても忠実な観点だ。

判決が日の丸・君が代の式典自体を否定したわけではない。「国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を養うことが重要」であり、卒業式・入学式などでそのような式典を行うことは「意味がある」とした。また、思想・良心の自由も他人の権利を侵害する場合には制約を受け、式典を積極的に妨害したり起立・斉唱拒否を煽ることは認められないとした。東京の学校で行われていることは異常な“強制”“過度”“逸脱”であるために認めることができないと判断したものだ。

日本は依然として憲法や教育基本法の主旨に照らして“常識的な”判決が、“夢のよう”だと考えられたり、“異例な”“画期的”“歴史的”だと評価される社会だ。さらに、今その憲法や教育基本法の改定を公約に掲げた政権が誕生した。

今は起立・斉唱の強制を違法だと断定する判決が可能だ。国民の自由と権利に対する制約を強化する改憲案や、教育の主体を国民から政府・行政に移そうという教育基本法改正案が通過すれば、そのような可能性自体がなくなってしまうだろう。民主主義の夢がこれよりもさらに遠のいてもいいのだろうか。

しかし、少数派とはいえ日の丸・君が代の強制に対して処分を覚悟して抗議する人々がまだ日本には存在する。そしてその人々を支援する運動も存在し、このような判決が下された。まだ希望はある。

高橋哲哉/東京大学教授・哲学

http://blue.ap.teacup.com/documentary/881.html
(太字部分はs19171107による)
国旗掲揚時の起立強制は違憲とする東京地裁の判決は、都の暴走に歯止めをかけるものであり、右派から見ても有益な判決なのではないかと僕は思うのですが、なぜか、右派でそうした意見をあまり見ないようです。どうもそうした点で右派の人達と意見がすれ違っているようなので、ちょっと自分の考えを整理してみます。

問題は、東京都が勝手に「10・23通達」を出してしまったことだと思います。この通達には法的な根拠はありません。国旗国歌法にはこのような通達のようなことをすることまでは書かれていないからです。法的な根拠に基づかないで東京都だけが独自の判断でこのような通達を出したことがおかしいのではないかと思います。実際、東京都以外ではそのような通達はしていませんし、法的な根拠に基づかない通達が違憲であると判断されたのは妥当な判決だと僕は思います。

ただし、今回の判決はあくまで東京都の通達が行き過ぎていて違憲だという話であり、国で決めた国旗国歌法が違憲だとされたわけではありません。その点は拡大解釈はしないほうがいいと思います。
だから、今回の判決が教育基本法改正の歯止めになるとは言えません。むしろ、このような判決が出ないために教育基本法を改正するべきだという議論になっていく可能性があります。その点は今回の判決で左派はあまり浮かれない方がいいのではないかと思います。

たとえば、昔、自衛隊に違憲判決を出した裁判官がいました。この判決は随分、叩かれましたが、何年かして退職後、なぜ自分が違憲判決を出したのかを語りました。それは、実はこの裁判官は改憲して自衛隊を軍隊として持つべきだと考えていると。しかし、憲法9条があるのに自衛隊を持つことは違憲だと考え、そうした判決を出すことで、憲法を変えなければいけないということを示したかったと。それが自分が出した判決の真意だったと語りました。
今度の裁判官だって、もしかしたら、そうした考えかもしれないわけです。 今度の裁判官が左派寄りの思想の持ち主かどうかは分かりません。


現在、東京都が行っていることは国の方針ではありません。都は国旗国歌法と文部科学省の学習指導要領に基づき通達を出したと言っていますが、国旗国歌法にも学習指導要領にも都が通達に出したような内容までは明記されていませんので、国の方針から逸脱して都が暴走してしまっているという印象を持ちざるを得ません。
もしかしたら、将来的には教育基本法を改正して、都がやっているような国旗国歌への徹底を公務員に求めることを国は行いたいと考えているかもしれませんが、それはあくまで教育基本法を変えてからの話であり、まだ教育基本法を変えていないのに他の県はそうしたことをしていないのに都だけが行っている点に問題があると思います。
このような石原氏の『東京から国を変える』というやり方が問題だと思うのは、石原氏が国にさきがけていろいろな政策を掲げそれが話題になると他の県にまで広がっていくというようなことになってしまうと、石原氏は都知事でしかないのに、国政の国会を通さないで国政に影響を持つようになってしまうという危険性があると思うからです。こうした暴走を許すことは、小泉政権、安倍新政権にとっても危険だと思います。(安倍氏がやろうとしていることをさきがけて石原都知事にどんどんやられてしまっては困るでしょう。)だから今回の判決でそうした都の暴走に歯止めをかけることは右派にとっても有益なことではないかと僕は思うのですが。(と左派の僕は思うんだけど、右派であまりこういう主張を見ないのですが。。)
太字部分は重要だと思われ。

国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例について
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
■アメリカでの判例

1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決

「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人)

1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」

1977年 マサチューセッツ州最高裁

「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」

1977年 ニューヨーク連邦地裁

「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」

1989年 最高裁判決(国旗焼却事件)

「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」

1989年 最高裁判決

上院で可決された国旗規制法を却下。「国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証される」

1990年 最高裁判決

「連邦議会が、89年秋に成立させた、国旗を焼いたりする行為を処罰する国旗法は言論の自由を定めた憲法修正1条に違反する。

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■世界各国の状況
(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料「諸外国における国旗国歌について」から)

1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)

a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。

イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。
しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。

ギリシャ:学校での規定はない
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
ハンガリー:教科書では取り扱われていない。
旧ユーゴ:強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。

c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。

d.米州・オセアニア各国での例

カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
キューバ:国歌は学校での規定はない。
オーストラリア:国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。
ニュージーランド:学校のための統一された規準はない。


2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国

大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・イギリス・オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・キューバ・ニュージーランド旧チェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)

某板都教委スレより
287 名前: 無名の共和国人民 投稿日: 06/09/28 13:35:30
東京地裁判決を受けて
小泉首相談話
「法律以前の問題ではないか
人間として国家や国旗に敬意を表するというのは」

こいつ 法律が変わって赤旗が国旗 インターナショナルが国歌になっても同じ事言えよと思った。

つーか こいつは鍵十字が国旗でも敬意払うんかね?
もちろんウヨさんたちは国旗が赤旗、国歌がインターになったとしても(実際はそうそうならないだろうけど)歌ってくれるんだよね!
posted by s19171107 at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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