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2007年08月16日

靖国神社へ人物ウォッチに行こう@終戦記念日2007

一昨年と昨年に続き3回目です。今迄で一番長く粘りましたが、正直あまり面白くなかった。去年は本当に面白かったのになぁ。

 参考:当サイト・ブログ内の靖国関連記事インデックス
http://www.geocities.jp/s19171107/KIKAKU/YASUKUNI/KIJYUTU-HENKOU2007-1/link.html


 靖国にはほぼ6時に到着しました。
開門直後から平日の昼間と同じくらいの人出。朝早くからご苦労なことです。
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写真には撮れていないかもしれないけど、喪服みたいなのを着ている人も多し。

この時間はまだ報道関係者のほうが多い。
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水島ktkr 最近は処刑宣言してますか?
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 どこからか天皇陛下マンセーが聞こえるが、場違いな連中は朝は未だ少ない。
 しかしこんな朝早くから来た参拝客が9時開門の千鳥が淵まで来るとは思えんなぁ。靖国参拝だけで満足して帰っちゃうのか。

 8時過ぎ。遠方からの観光バスによるツアー客が到着。
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 突然、公安と警官が「到着殿」へ走り出す。
どうも参拝に来た小泉前首相に対してウヨが何か喚いたらしい。
 残念ながらここで一度、1時間30分の賦役に行くために九段下駅に向かうことに。しかしその道では警官による検問所が設営されていて、実際に右翼活動家らしいのが何人かひっかかっていた。
 私は如何見ても一般人だから何も言われなかったけどね。

 予定より30分以上延長して賦役終了。
 畜生、「10時30分に終わらせる」とか言っておいて、如何考えても終わらない分量を課してきたやがった。「途中で帰っても良いよ」とは言われたけど、靖国でウヨをヲチするために本業すっぽかしたとなると、いい年した人間としてどうかと思ったので終わるまで我慢我慢。

 11時30分近く、九段下駅到着。完全防備の機動隊が待機していますがな。そして靖国と千鳥が淵の動員数の違いが早速顕著。
 といいますのも、九段下駅を良く知らない方は東京メトロの九段下駅案内を見ていただけると良いのですが、靖国神社への最寄出口である「1番出口」と、日本武道館・千鳥が淵方面の最寄出口どある「2番出口」の2つがあるんですが、2番出口方面は閑散としているんです。
 地上に出るともっと顕著。以下の写真をご覧ください。
DSCN1666.jpg DSCN1668.jpg
 左が靖国神社に繋がる道路、右が千鳥が淵に繋がる道路。
 もちろん、左の写真の道路は靖国に繋がるだけであって、通行人は必ずしも靖国に行くわけではないし、右の写真の道路も然りですが、それにしても通行人の数が全く違います。

 やっぱりなぁ、と思いつつ千鳥が淵へ。
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 1本100円の菊の花を喧嘩して黙祷。
 いつも(私はこの辺に来るたび、時間がある限り、必ず千鳥が淵へ来ています)よりは人は居ますが、ほぼ同時刻の靖国の参拝客の数に比べると、0が2つ3つ足りないと思う次第。
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 きっと靖国に来ただけで「英霊に感謝を捧げた」と思い込んで満足して帰っている人が少なく無いんだろうなぁ、と思う。でもね、千鳥が淵にも30万人分くらいは遺骨あるのよ。

 そしてこれも予想通り、千鳥が淵付近には右派系団体はゼロ。ビラを配っているひとは居たけど、「戦没者追悼を正す全国連絡会」という団体の爺さん1人だけ。そしてそのビラというのも右派とは言いがたい内容。
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 これでウヨになったら私もウヨだし、殆どの人がウヨになっちまう。

 靖国も靖国です。警官が「出口です」と誘導した方向に行ってみると、やっぱり千鳥が淵案内が無い。
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 ウヨさんたちにとっての千鳥が淵の認識が良く分かりますね。

 私が賦役している間にコスプレさんたちはいらしていたようです。
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 元軍人が当時のしきたりでやっているならまだしも、戦後生まれの女性看護師や、いつもの明治時代の将校服の爺さんは如何見てもコスプレだろ。
 先日、私の靖国コスプレ分子批判に対して「当然だ」というご意見を頂戴しましたが、少なくとも現場にいた人たちはそうは思っていなかったようですよ。といいますのも、この直後、1時過ぎ(正確な時間は覚えていない)に西村代議士とその支持者一行が昇殿参拝のために現れたのですが、彼ら一行へは参道を歩いているだけなのに数十人単位の拍手が起こったんですよ。対してこのコスプレ連中へはカメラのフラッシュは多いですが拍手はしていたのは5人以下。一般参拝客のうち、戦後生まれっぽい人は「なんだこれ」という顔をしていたし、戦争経験者と見える方々は顔を強張らせていたように見えます。

 その西村一行が昇殿参拝へ入る様子
DSCN1712.jpg
 この一行だけで随分な数です。
 一方その直後の千鳥が淵
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 西村は今日送られてきたメルマガでこんなことを言っています。
http://www.emaga.com/bn/?2007080052966137004956.shingo
件名:西村真悟の時事通信(平成19年8月16日号)

            八月十五日の靖国神社参拝
                          No.305 平成19年 8月16日(木)
                               西 村 眞 悟 

 八月十五日、靖国神社に参拝しました。
 例年の通り、大村銅像前に集まり、そこから皆で本殿の方に向かい、室内で待機してから昇殿参拝です。本年は、四百名余の昇殿参拝になりました。
 以下、参拝に関してご報告します。

 八月十五日には、衆議院宿舎にも議員会館にも、そして靖国神社にも、半旗が掲げられる。何故なら、先の大東亜戦争で、三百万余の国民が戦死戦没された象徴的な日が、八月十五日であるからだ。
 議員になって東京滞在の日々が続くようになってから、ふと行きたくなるのが靖国神社である。早朝から夜まで、時間を問はず参拝している。
 日中の予定に二時間ほどの空白ができたときや、夕方に予定が終わり夕食まで時間があるときなど、「靖国神社に行く」ということになる。夜には神社の門が閉まるが、大きな菊の御紋が輝く門の前で柏手を打つのも趣が深い。
 この、ふと思いついて、靖国神社の境内に入ったとき、いつも感じるのは、やはりこの空間は違うなーということだ。
何か、霊に出会う静謐な空間に入ったように感じる。

 八月十五日の参拝は、大勢の人々があつまる炎天下の参拝である。しかし、境内の混雑の間を抜けて本殿に向かうのであるが、雑踏という感じはない。
この日も、私にとってあくまで静謐な空間での参拝である。

 この靖国神社に祀られる英霊は、天寿を全うして亡くなられた方、つまり自然死した方ではない。全て国家の戦いの中で亡くなった方である。欧米流の表現では、「殺された」方である。日本古来の表現では、「益荒男の本懐を遂げた」方だ。従って、靖国神社に参拝するということは、この戦没者の慰霊をするということである。
 しかし、私にとっては、慰霊だけではなく、英霊の前で頭を垂れて反対に英霊に励まされるという思いが強いのである。
あの困難な状況下で戦われた英霊の苦難を思えば、「これしきのことにへこたれてはならない、がんばれ」と何時も励まされる。
 私は、英霊に励まされてきた。

 よく歴史と伝統を尊ぶべきだといわれる。これが、保守の思想である。では、歴史と伝統を尊ぶとは、政治において如何なる思考形態となるのか。それは、国民の範囲を、現在に生きる国民だけではなく、過去に生きた国民と未来に生きる国民に広げて認識することから始まる。
 また、日常使われる、ご先祖に申し訳ない、とか、子々孫々の為に、とかの言葉は単に今に生きる自分たちの「生活」だけのことではなく、先祖と子孫につながった生き方を希求する心情を素朴に表現したものである。従って、この心情は、自分たちの家族を単に今に生きる者に限定せずに先祖と子孫を含めて考えているので、保守の思想といえる。つまり、我々は生物的存在としても、心情においても、歴史と伝統から切り離すことはできないのである。

 そこでまた靖国神社に戻るが、日本国民がこの神社に参拝することは極めて自然なことなのである。お国のために戦い戦没した英霊のおられる歴史の中に我々は存在しているのであるから。
 そして、この自然なことをすることが、如何に大切であることか。私に関していえば、英霊を慰霊することよりも、英霊に励まされてきた。この励ましがなければ、私は政治家として精神(スピリット)を奮い立たせることはできなかったであろう。
 
 この意味で、安倍総理が昨日東京にいながら、靖国神社に参拝しなかったことを惜しむ。
 あそこは、苦難に遭遇する公人を荒ぶる英霊が出迎え励ましてくれる神社であるからだ。
 安倍さん個人の為に惜しむのではなく、公人たる日本国総理大臣に、英霊によってそのスピリットが励まされる静寂な空間が与えられなかったことを惜しむのである。
公人のスピリット、これは国家の品格の問題であるからだ。

 とはいえ、八月十五日が過ぎても、八月十九日があり、二十一日があり、九月二日がある。そして、秋期例大祭。次に十二月八日がある。また、これらの日に限らず、参拝の機会は毎日ある。車で十五分の処に住んでいるではないか。
 安倍総理大臣に勧む、靖国神社に参拝すべしと。
 八月十八日とは、千島列島最北端の島、占守島で日本軍守備隊とソ連軍の戦闘が始まった日である。そして二十一日は同島での戦いが停戦を迎えた日である。卑劣にもソビエトは終戦後にも火事場泥棒的に満州および千島・樺太で攻撃を続行していたのである。しかし、この占守島での日本軍の強烈な反撃に愕然としたスターリンは北海道侵攻を諦めた。
九月二日は、降伏文書調印の日、十二月八日は日米開戦の日。

 以上の通り、八月十五日の靖国神社参拝に関して述べてきたが、私の自然な思いを代弁してくれたと思う文章があるので次に紹介したい。
 それは、シアトルという人望高かったインディアンの酋長が、一八五五年に郷里の地を離れて保留地への退去を迫る白人に出した抗議文の中にある。彼の名シアトルは、アメリカの都市の名前となっている。
「あなた方(白人)の先祖は、墓の入り口を通り抜けると、それきりあなた方のことを忘れる。あなた方も彼らのことを忘れる。 が、我々の先祖霊は地上のことを決して忘れない。
うるわしき谷、のどかなせせらぎ、壮大な山々、木々にかこまれた湖・・・彼らはしばしばその美しさが忘れられず舞い戻ってきては、我々のもとを訪ね、導きを与え、慰めてくれる」(アーネスト・シートン著、「レッドマンのこころ」より)。
 
 多くの人々が、この八月のお盆に、戻ってきた先祖に導きを与えられ慰められたことだろう。
 そして、靖国の社においても、日本を決して忘れない英霊が、我々を導き慰め励ましてくれる。

                                    (了)
 千鳥が淵に関する記述なし。なんか色々言っているけど、このたびの行動が全てを物語っていますな。
 なお、『千鳥が淵の不当性・非正統性』(そんなのあるのかは知らんけど)を盾に西村の長年異国の地に放置されたが、運良く遺骨収集隊に発見されて、やっとのことで祖国の地へ帰ってこられた身元も良く分からない千鳥が淵に眠る英霊を無視した行動を擁護しようとする人へ。たとえ千鳥が淵が不当な存在の施設で、また正統性がなくとも、遺骨が納められている限りはそこにも参拝するのが筋ってもんです。私はアンチ靖国の立場ですが、15日は到着して神社内の様子を一回りして確認したあと、ちゃんと参拝しましたよ。

 大変悲しい気持ちになりながら千鳥が淵から靖国へ。
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 たった数百メートルしか離れていないのにこの人の数の違いはなんだろう。

戦死者の遺品をダシにご都合歴史観を展示施設・遊就館
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遊就館前。「靖国会」(実物は旧字体だったけど変換が面倒だから新字体で省略)のノボリが見えたのでついて行くと、右派というより893にしか見えない連中おでまし。
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2時過ぎ。コスプレまた来たよ。
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 ここまで来ると、もはや言うことないね。
はやく、天罰でも仏罰でも何でも良いから、何か罰が当たってくれることを願うのみ。

2時40分千鳥が淵
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もう平日となんら変わりない。本当に今日、終戦記念日か。

ほぼ同時刻靖国
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おお、「突撃隊」か(写真左の青年)
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ぜひ千鳥が淵にも突撃したまえ。しないで帰ったらお前、反日認定な。

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 コスプレさんたち、こんなところに居たんですか。
ひと仕事(反日コスプレ活動)あとの一杯はさぞかし美味しいでしょうね。

4時30分ごろの千鳥が淵。千鳥が淵は5時閉園だったからこれが最後。
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同時刻靖国
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 千鳥が淵と靖国の訪問者数の違い、予想通りの結果でした。
場所知らないのかもな。靖国神社内に千鳥が淵案内は殆ど無いし。

 千鳥が淵と靖国神社の一日についての報告は終わったので続いて右派団体の動向に付いて。

 まず街宣右翼。去年に引き続き、警察バスによる路肩封鎖の甲斐あって靖国通りにおける街宣車の路肩駐車は無かったけど、その分狭い路地に駐車しやがっていた。

 市民団体系右派について。今年は神社側から通達でもあったのか、神社内部での活動は無かった。多くは神社入り口、あるいは九段下駅入り口に集中してアジとビラ配り。

 アジの内容は、靖国参拝しなかった安倍首相と安倍内閣に対する批判も含む。
ウヨさんの安倍首相批判アジ 
 左翼の私からすれば「今頃気がついたか」というような内容だけど。
 ビラについては貰った分全てデジカメで取り込みました。
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 こういう、「ああウヨだなぁ」と思うものから
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 北京オリンピック反対運動など、この際、靖国とは無関係なのや
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 靖国とは全く関係ない法輪功まで沸いてくる始末。

 ちなみに北京オリンピック反対団体には、かの土屋都議が代表やっているようです。
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 北京オリンピックボイコットするしないは如何でもいいんだけど、「人権抑圧国家が平和の祭典するとは笑止」という理由でボイコットするなら、是非日本側の今の行いも同時に見直さないと中国側に揚げ足取られるよ。
 日本政府の人権政策についてはアメリカの人権団体に以下のように言われているから。
http://s19171107.seesaa.net/article/31466904.html
(前略)
残念ながら、こうした日本政府の北朝鮮人権侵害問題啓発週間に対する表面的でしかないアプローチは、例外ではない。世界各地での、日本政府の誤ったアプローチの典型というべきものだ。これまで、安倍首相を含め、多くの日本のリーダーたちが、世界中で人権を伸長するために貢献すると高らかに宣言してきた。しかし、日本政府のいくつかの外国政府との関係を見ただけで、すぐ、こうしたリーダーたちの言葉がいかに貧弱なものかということがわかる。
(中略)
おそらく、日本とビルマ軍事政権との関係が、そのもっともはっきりした例だろう。
日本政府は、人道支援以外の支援を原則停止したとして、原則に則った行動を取ったと主張してきた。しかし、現在もビルマで経済的利益をあげ、政治的な関与を続けていることが、支配組織・国家平和開発評議会(SPDC)にとって、不可欠の財政的・政治的生命線となっている。

現実はこうだ。SPDCは、こうした資金や政治的なサポートのおかげで、国際的な制裁を切り抜け、基本的な権利を制限し、民族的少数者に対し残忍な対反政府勢力軍事作戦を遂行し(何千人を殺害し、数百万人を居住地域から追い出した)、アウンサンスーチー氏やそのほかの民主活動家を拘束・刑務所で拘禁し続けられている――ただし、日本の政府関係者たちがこうした現実を日本の人々に対し公にすることはないのだが。

(中略)
これと同様、日本とウズベキスタンとの関係も、日本政府の人権に対するコミットメントに疑いを抱生じさせる。2006年、小泉純一郎氏は、首相として始めてウズベキスタンを訪問した。日本は、すでに相当の財政的な支援をウズベキスタンにしているが、小泉前首相は、その訪問で、イスラム・カリモフ大統領との間で、こうした支援を増やすと合意した。しかし、小泉前首相は、2005年5月、アンディジャンで数百人もの丸腰のデモンストレーション参加者たちが政府に虐殺されたことなど、ウズベキスタンの非道な人権状況を改善するよう、真に求めることはなかった。
 是非、疚しいことが全くない立場から批判したいもんだね。

 そういえば「中共のでっち上げ 南京事件」みたいなプラカードもあったなぁ。南京に関しては当サイト保管庫に仕舞ってある「『南京大虐殺』犠牲者数40万人説を煽った産×新聞」(http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/MATERIAL/HTML/NANKIN/2ch-40manninsetu.sankei.html)をご覧いただければ、もしでっち上げでも、中共ではなく蒋介石によることが分ると思います。

 昨年、とんだ反日活動をしてしまった『主権回復を目指す会』も着ていました。今年は台湾人と一緒になって台湾独立運動がどうのこうのという活動と、在日外国人参政権反対運動署名と朝日新聞不買運動署名をやっていました。連中、すっかり台湾人に操られているなぁw
 朝日新聞不買運動署名に朝鮮語で署名しようかと思ったけど、顔を覚えられたくないからやめた。

 あと一つ気になったのは、「杉並サマコレ」系の人を、少なくとも私は目にしなかった。いい加減自分たちの格好の酷さに気がついたのか、それとも酷暑がいやでクーラーの効いた部屋に引きこもっていたのか?

 取材報告は以上。つづいてまとめ。

○昨年の反省点から改良できた点
・携帯ラジオと携帯電話を活用したため、情報過疎には陥らなかった

○今年の反省点
・ちょっと遅刻した

 注
・記事内容の引用はご自由に。写真類の転載は当方への連絡を必須とさせていただきます。(昨年無断転載されてちょっと面倒だった)
・掲載している写真類は、チャンネル桜の水島社長以外は顔の部分を黒く塗りつぶしました。
・今年は去年に比べて取材範囲が狭かった気がするが、これは今年は千鳥が淵と靖国の訪問客数の時間別の違いを一人で調べていた為、致し方ないものです。
posted by s19171107 at 19:22| Comment(8) | TrackBack(1) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやいや、本当にお疲れ様でした!(・∀・)

貴殿の健軍精神溢れる粘着もとい(大変失礼!)
密着取材にただただ最敬礼するのみです。

冒頭朝一境内のウヨさんの幟に
いきなり仏教由来の「破邪顕正」てwwwwww
http://sanabo.com/words/archives/2000/11/post_610.html

それにしても旧日本軍様が当時を偲んで軍服着用は
まあ、そういう慰霊の仕方もあるんだろうな・・と理解できますが
life is 2ch を地で行くようなメタボ産経阿比留マンセーブタの醜態は
やはり何度見ても英霊への冒涜にしか見えませんね(失笑)
亡きパール判事がこの惨状をご覧になったらどう嘆くのでしょうか・・・。

千鳥ヶ淵は相変わらずですね。
ここまでくるとメタボ産k(ry は千鳥ヶ淵の存在を
己の農心・辛ラーメンよりも安い激安史観で否定してるんでしょうか?
九段はなかなか行く機会がありませんが千鳥ヶ淵だけは訪京時にぜひ立ち寄りたいと思います。

冗談抜きでクソ暑い中大変だったとは思いますが
(境内で麦茶を配ってたそうで)
どうか身体はご自愛を
今後も一擲乾坤を賭したレポート期待してます!

<追伸>
ところで、毎年毎年現れる明治将校服の爺さんは
那須の戦争博物館の館長なんではないかと・・。
http://www.h2.dion.ne.jp/~airgun/page179.html
http://homepage3.nifty.com/tompei/WarMuseumNasu.htm
Posted by 通は稚内の最南端 at 2007年08月16日 23:45
コメント有難うございます。

>>「通は稚内の最南端」さん
 労いのお言葉、ありがたく頂戴いたします。
冗談じゃなくクソ暑くて、当夜はぶっ倒れるように12時間も眠ってしまいましたが、作戦を完遂したのは『白頭の革命精神』の栄えある勝利ですw

 破邪顕正については、一瞬、カルト顕正会でも来たのかと思いました。国家神道の施設に仏教用語とは、ウヨさんって柔軟な信仰をお持ちですねぇw

 コスプレ隊列には恐らく戦争体験者と、完全に戦後生まれが混じっています。前者はまだしも(ここまで来ると病気の域だし)、後者は今後も厳しく批判します。
 ウヨの自慰のオカズされまくりのパール判事については、23日のNHKスペシャルの再放送で取り上げられるようですね。

 千鳥が淵は予想通りでした。
 激安自慰歴史観による能動的否定というより、ここまで来るとウヨさんたちは千鳥が淵の存在を知らないのではないかと勘ぐってしまうほどです。まあ、流石にそんなはずは無いので何らかの理由で無視しているんでしょうけどね。
 今年はせっかく印刷したニセ通信社の名刺を結局使わなかったのですが、来年はアレを使ってウヨさんたちに千鳥が淵についてインタビューしてみたいです。

 明治将校服の爺さんはご指摘の通り、那須の戦争博物館の館長、栗林翁であります。たぶん。
 件の館についても、翁が死ぬまでには訪問してみて、自分とは全く関係ないはずの明治時代の将校服を着る理由についてインタビューしてみたいです。(噂では自分は乃木大将の生まれ変わりだとか思っているみたいですけど、その真偽も含めて)
Posted by s19171107@管理人 at 2007年08月17日 01:00
細かいツッコミで恐縮ですが、「破邪顕正」とは佛教用語ですが、法華経所依のもので、法華宗・日蓮宗が好んで用います。

日本に存在する宗教右翼は、おもに非正統のキリスト教・ユダヤ系か、古くは国柱会にはじまり尾辻秀久らを推した佛所護念会などに代表される日蓮系に大別されます。アノ石原莞爾も熱心な法華経信者でした。
Posted by 通行人A at 2007年08月17日 17:28
順序が逆になりましたが、ヤスクニツアー、お疲れさまでした。私も一度いってみたいのですが、鳥居前を何度か通過しただけで、なかなか機会がありません。

私の知人の国立大学名誉教授は、戦時中シベリア抑留されましたが、そこで思想改造され(笑)、熱心な日共支持者です。しかし戦友会の企画で毎年欠かさずヤスクニ参拝しています。また本人曰く軍歌は鎮魂歌とのこと。

こんな「左翼」もいるのですね。
Posted by 通行人A at 2007年08月17日 17:36
コメント有難うございます。

>>「通行人A」さん
 宗教右翼にお詳しいですね^^
宗教右翼は日本社会の底辺で確実に反動的に蠢いていますから、私も確り学習したいです。

 靖国訪問に対する労いのお言葉、ありがたく頂戴いたします。
 私は靖国に参拝する方は必ずしも右翼やその思想に同調する方だとは思っておりません。靖国参拝を以って「右翼」だとか「左翼」だとかは区別できないと思っています。私事で恐縮ですが、私の祖父の兄は戦死したらしく、靖国に祀られているそうです。祖父は天皇制廃止論者の旧社会党支持者で今は社民党支持(つまり一貫した社会党左派支持者)ですが、靖国参拝はしているようです。
 また、たとえ保守・右派でも、ただ純粋に慰霊と追悼のために参拝に訪れるのならば、結構なことであると思います。問題は戦死者を利用して、己に都合のよい反動的歴史観のダシにしている連中です。こういう連中には「右」と呼ばれる連中が多いですが、所謂「左」でこういうのがいる場合、私はこれも厳しく批判したいと思っています。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年08月17日 20:06
来年もツアーをなさるようなら、私も参加させてください(笑)。

さて管理人さんのおっしゃる趣旨はよくわかります。純粋な信仰心の発露であれば(政治性を排除すれば)、ヤスクニであろうとも尊重すべし、というのは信教の自由という点で左翼であっても受け入れやすい論理です。

しかし私は―少数派でしょうけど―こうした論理でも反対します。ヤスクニに限って言えば、その成り立ち(国営)や宗教法人としての性格(国家護持を狙っている)を考えると、政治性は排除できないのです。また、「純粋な信仰心」を免罪符にするのも賛同できません。オウムや創価学会の信者に対しても時折そうした言い回しで下部の信者を幹部と峻別することがありますが、やはり組織の犯罪は、一般信者も含む全員がかぶるべきです。「純粋な信仰心」から参拝したとしても、ヤスクニの性格を考えれば、参拝者もそのどす黒い歴史の肯定者としての原罪からは逃れられないでしょう。

例えば、ヒトラーやムッソリーニを顕彰する施設があるとして、どんな「純粋な心」で敬意を持っても、それは「純粋」ではないのではないでしょうか。
Posted by 通行人A at 2007年08月20日 14:40
コメント有難うございます。

>>「通行人A」さん
 来年も再来年もその次も、予定が合う限り、靖国が存在する限り、私が生きている限りやりますよw

>ヤスクニに限って言えば、その成り立ち(国営)や宗教法人としての性格(国家護持を狙っている)を考えると、政治性は排除できないのです。

 私も最初のうちは靖国に行っても参拝はしていませんでした。それはあなたが仰るとおり、靖国に参拝することは即ち靖国の負う全ての歴史と存在意義と役割を肯定するものであるのではないか、という考えからでした。今年の1月ごろに暫定的な答えとして「そうは言っても戦死者の墓みたいなものは今のところ他に無いのだから、戦死者を追悼するにはやはりココしか無いのではないか」というものを出しました。しかし、この点はその後もずっと頭の中で引っかかっており、15日の取材へ行く列車の中でも「参拝することは良いことなのか、靖国を肯定することにならないか」と自問したり、前述の1月の暫定回答に関しても「"靖国が勝手に祀っている"という風にも考えることが出来るよなぁ、大体宗教なんて全部想像の産物であり、御伽物語と同類だし」という思考をいたしました。
 あなたの問題提起により、もう一度深く考えてみたく思います。次の暫定的な答えが出るまでは靖国に行っても参拝は見合わせ、千鳥が淵参拝(千鳥が淵は宗教施設ではないから「参拝」という言葉は適切ではないかしら?)だけにしておくことにします。

>ヒトラーやムッソリーニを顕彰する施設があるとして、どんな「純粋な心」で敬意を持っても、それは「純粋」ではないのではないでしょうか。

 ただの「墓」ではなく「顕彰施設」ならば、参拝者がどんなに純粋な気持ちであっても純粋とはいえないでしょうね。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年08月20日 20:37
どうも大上段からものをいったようで失礼しました。

また千鳥が淵も、護持団体の会長が瀬島龍三であったり、少し胡散臭いところがありますね。ちょっと検討を要するところです。
Posted by 通行人A at 2007年08月21日 00:22
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