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2007年09月19日

劇場版『天国からのラブレター』を観て 酷い原作歪曲

 『天国からのラブレター』の劇場版を見てきました。酷い原作歪曲。

私は、ソ連など旧東欧スターリン主義諸国のデムパプロパガンダのファンです。旧東欧のプロパガンダの観賞のコツというのは、信頼できるソースを片手に観賞し、その現実とのギャップの酷さを楽しむというものなんですが、まさかこの映画の鑑賞中に、その楽しみ方が有効になるとは思わなかった。

 真っ暗な"なか"(←あえて平仮名)、必死にメモを取ってまいりましたので、そのメモと原作の書籍(2000年発行版)をあわせてご報告いたします。(以下、全て敬称略)


 最初のシーンは、浜辺に座りペンを走らせる本村洋。回想形式の映画構成なので、おそらくこれは弥生と夕夏死後か。

洋の声のナレーションで「無意味なことを意味する・・・」というようなのが入り、タイトルが表示。

 続いて、3×3の合コン場面。ブラックホールの話を得意になってする洋、良く分かっていないけど褒める女2人と食ってばかりの弥生。

弥生役がホンモノよりずっと可愛くてなんだこりゃと思ったが、そこはあえて不問とする。そのくらいの美化なら許容範囲内。

 合コンで知り合った洋と弥生は、あたかも最初から仲が良かったかのような描写が続く。たとえば電話で宇宙の話をしようとする洋に対して弥生が「洋くんの話をして」といったり、はたまた水辺でいちゃいちゃしたり。

しかし原作を事実とするならば、これは事実歪曲。原作39ページには以下のようにある。
彼女にはその当時、親しく付き合っている男性がいると思い込んでしまって、私は弥生を諦め、Nさんと付き合うようになったのです。
(おことわり:「Nさん」の部分は本文では実名が入っているが、当ブログ編集者であるs19171107の判断でイニシャル表記とした)
 原作でカオスな人間関係の中心として描かれていた、このNさんは映画を通じて一度も出てきませんでした。また、200ページで「今まで色々な人とHしてきた」と弥生に性生活をすっぱ抜かれた挙句、洋による本書の出版によって全国的にヤリマンをバラされてしまったYさん(これも原作では実名で書かれているが、同じくs19171107の責任でイニシャル表記とした)についても、一度も出てきませんでした。
 当然、弥生の女友達が全く出てこないのですから、弥生が洋と付き合い始めたことによって、女友達をほぼ全員失ったという記述は一言も触れられてしません。美化しすぎ。

 しばらく原作歪曲のイチャイチャシーンが続いたのち、洋と弥生が弥生の実家へ。弥生の母親にそろって会うシーンがあり、その後、洋が弥生に告白し、弥生も承諾すると言うシーンが挿入。さらにその直後に母親が部屋に入ってきて慌てる2人という古典的すぎる一連の流れがありました。しかしこれも原作歪曲。原作40ページより引用。
近くのコンビニでしこたま酒やツマミを買い込んで近所の弥生の家へ押しかけ、3人(洋・弥生・前掲のNさん 弥生とNは親友、Nと洋は顔なじみ 当時は3人でよく酒を飲んでいたと39ページにはある)で飲み会をやったのです。そのうち、酒の勢いもあって「実は最初に会ったときから、弥生が好きだった」と自分の気持ちを正直に告白してしまいました。すると弥生も、「私も、ずっと好意を持っていたんだけど・・・」と応じてくれたのです。(中略)弥生の本心を知ったそのときは、喜びで旨が一杯になりました。高ぶる感情を抑えきれなくなり、思わず弥生を抱き寄せて、キスしてしまいました。それまで私の交際相手(s19171107注:正確にはその時点でも交際相手 つまりこれは不義の浮気)だったNさんは、すぐ横で寝入っています。しかも彼女は、弥生にとっては一番の親友です。
 どこが純愛だよwwwwwwwww昼ドラじゃねーかwwwwwwwwww

原作との相違点が多すぎて、一致点の方を探すほうが早いだなんて。。。というか一致点が「告白して承諾された」という点だけなんだが。完全に別物語だぞこれ。

ちなみに酒は一切出てきてません。卓上にはアクエリアスと麦茶があったかな。
ツマミは原作には詳しく書いていませんでしたが、映画ではポテチが一袋とあと何か。ひっでえ原作歪曲。

 次のシーンは玄関口で手紙くれよと洋が切り出すところと、続いてデートシーン。

デートシーンでは、例の「洋はセンスない」と洋のイエスマンぶりは正確に描写されていますが、天使のブラジャーの一件、すなわち町行く女性の胸がホンモノかニセモノか当ててゆくという、すげえ失礼な行動は当然カット。

このデートシーンは何回かのデートをつなぎ合わせたものらしく、突然、話は洋が広島大学に編入学する直前最後のデートという場面に。手紙と電話による遠距離恋愛がココからはじまりました。

遠距離恋愛シーンは面倒だし詰まんないし長いから報告カット。

 つぎは公衆電話からの妊娠報告シーン。
洋「産もうか」+「結婚しよう」。
そういや、偽造テレカ使用場面も当然のことながら描かれていないなぁ。

 弥生母への妊娠報告。弥生母は良いっぽい。
洋両親への談判。親父火病。

 夕夏出産、仕事着のまま病院に駆けつける洋。
「ありがとう、よく頑張ったね」と夕夏を抱いて泣き崩れる。

 洋の研修が終わり、新日鉄の光市の社宅に入居。しばらく夕夏をあやすシーンと洋の労働シーンが織り交ざる。

洋は夜遅くまで労働、夕食はひとり。例の「育児ノート」による意思疎通場面、たとえば「夕夏はイタイという言葉を覚えたみたい、パパママも早く覚えて欲しいね」というようなのが続く。98年11月の洋入院シーンはこの直後。

 そして99年4月14日。
最期の日記記入途中にピンポンがなり、画面暗転。

 次のシーンは弥生と夕夏を慌てて探しまわる洋。死体発見したらしい。暗転。

 葬式のシーンなどはなく、遺影の前で座っている洋。
花瓶の水を間違えて遺影にひっかけてしまって慌てる洋。遺影を拭いているうちに感情が高まりなんかカオスな展開に。

洋が感情の発作で理解不能な行動をしているなか、自分が弥生にプレゼントした時計のアラームがなる。荷物をひっくり返して探すと、時計とともに手紙の束を発見。

そこからしばらく弥生の声で手紙の朗読。
一通り読み終わり、洋の声の「どれだけ言葉を尽くしても弥生と夕夏の無念さは伝え切れません(中略)僕が伝えたいのは感謝の気持ちです」というセリフで終わり。テロップが流れはじめました。

 映画全体の感想。

 映画としては詰まらない。原作の書籍は弥生の嫌な人っぷり(書籍でもかなり編集しているはずだけど、文から滲み出てきているんだから結構きているね)と洋のアイタタな返事が満載だったので、痛いカップルの野暮話の覗き見としてなら面白いし、また、自分たちや知り合いのカップルの下半身事情の記述がかなりあって、人間が性欲の塊であることを再認識できる作品だったけど、劇場版ではそれらの部分は悉くカットされていて、数少ない見所が全然ない。強いて言えば、原作との乖離の酷さがソ連のプロパガンダを見ているようでした。

弥生を美化したい洋の気持ちは分るけど、性欲は人間の根本だし、原作にあそこまで「H」という単語が頻出するんだから、弥生の「人間らしさ」を表すためにも、もっと色っぽさを出すべきじゃないのかなぁ。どうせレイトショーなんだから誰も気にしませんよ。

 そういえば原作本って今年、文庫本として再出版されているんだっけ。2000年出版の初版の書籍版と噛み合わない映画を公開しながら、その書籍を文庫として再販するってメチャクチャ。。。事件から1年もたたないうちに書籍版の出版の準備している時点で本村洋って変な奴だなぁ、と思っていたけど、ここまでくると理解不能です。

 最後に会場内の様子のご報告をします。客は老若男女いろいろ。如何見ても普通の観客もいれば、どっかの小通信社の記者っぽい動きをしている人もいました。

本編最後の方では、鼻をすするような音を出す人が出てきました。原作を読んだことがあれば違和感の連続で泣いていられないと思うけどなぁ。こういう人の中の、刑事裁判制度の仕組みが良く分かっていない一部の人がネット上で「被告をさっさと殺せ」って言っているんでしょうな。

おそらくこの映画は、そういう人たちを更に感情的にして一層頑固にするものだと思います。また、近く始まる裁判員制度と絡めて考えると、7月25日の記事(http://s19171107.seesaa.net/article/49191115.html)にて、私が「人権屋」と対立する立場として「感情屋」の危険性として、それとなく指摘したことが、いよいよ現実化しそうに感じられます。現状での裁判員制度は、重大な刑事裁判を感情本位で進めてしまい、結果としてただの手抜きになるだけなんじゃないでしょうか。


 ちなみに、私事ですが、この事件に関して知人がとんでもないことを口走りました。親しい知人の恥さらしなんて本当はやりたくはありませんが、資料としてご提供します。

 曰く、被害者が死んだことには変わりないから検察側主張による殺害方法が科学的に実証されようがされまいが、どうでもいいそうです。

首の絞め方一つで殺意の有無の判定ができ、それによって量刑が変わるんだよ、と指摘すると、そんなことは納得できないらしいです。

罪刑法定主義なんだから納得できる出来ないじゃない。刑法ではそうなっているんだ、と私が言うと、そんな法律は(国民)みんなが決めたことじゃなく勝手に決まった、とのこと。おいおい、間接民主制って何なのか知らないのかよ。

 こういう人が裁判員になる可能性があるんですから、本当におっそろしくて堪りません。私も冤罪あるいは罪状の過大判定で首を吊らなきゃならない日が来るかもしれないなぁ。

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 04:20| Comment(12) | TrackBack(1) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。2ch書籍板から飛んできた者です。
書籍板にも映画を観に行った方がいらっしゃった
ようで、詳細なレポが書かれていました。
その中に、

631 名前:レポ 投稿日:2007/09/17(月) 01:26:42
舞台挨拶で言った最も忘れられない本村の言葉
「この映画は真実です!」


というのがありました。本当に本村氏は
このようなことを言ったのでしょうか?
Posted by AC at 2007年09月22日 12:09
コメントありがとうございます。

>>「AC」さん
 本村洋氏が舞台挨拶にみえたのは確か初日だけでしたよね。残念ながら私は初日には行っていないので、本村氏がそのような発言をしたかについては分りません。しかし、少なくとも、この映画は本村氏監修のもとに作られたのですから、そのように認識して宜しいのではないでしょうか。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年09月22日 19:17
はじめまして

あなたの分析にすごく感銘をうけました。

本の分析もですが、橋下弁護士が言っていた勝手に決めた事とかいうマスコミの暴論を真に受けているバカがいるんですね。

私からしたら無知とは罪ですから。無知なくせにマスコミで暴論いって扇動する橋の下のおっさん。それをたれながすバカマスコミ。大体勝手に作ったっていってるバカだれですか?日本の刑法は勝手に作られたわけないよ。徳川の時代とちゃうんやでぇ。そして勝手に作られた法律でも遵守しないとだめだっての。安心して下さい。あれって地裁レベルの判決しか、関われないらしいです。それだけで裁判員が欠陥システムでしょうね。だいたい高裁で覆る可能性のある危険度の高い判決を下せるわけないよ。

裁判員制度だと意外と無期懲役とかの引いた判決がくだるんじゃないでしょうか?理由、実際法廷に立つと判事以外はそんな勇気ないですから。

あと、私が書いているauのブログにも、光市事件の話題で批判的なんをやると、『死刑廃止論者が』とか勝手に決めつけられるんですけど、たしかに一時期そうなりかけてましたが、やっぱり怖い犯罪も多いですから正気に戻りました。それにしても、批判記事書くと『お前の娘と嫁がああなったらどうする!!』ってコメントがきたんですがどう対処もできない一方的な感情論者なので怖いですな。つかああいう人ほど人殺すんじゃねって思うほど感情論者ですねぇ。人殺さない人って、感情を抑制できる人ですよ。たとえ嫁さん娘が殺されても、抑制が出来る人です。けっして冷たい人ではありません。ちなみにそういう人にはこういった質問すれば良いんです。自分の嫁と他人の嫁の命どっちが大事?ちなみにどっちかが殺されるならとっちを助ける?この質問すれば、嫁って答えるやろ。でもさ、自分の嫁助けたら、よその嫁死ぬんだぜ。自分の嫁が大事ってことだけでええの。よその事件で殺すとかいってる方があつくなり過ぎ。許せない程度なら私もわかるんだが、被告少年を殺せとかバカですな。

直感なんです。あなたみたいに分析じゃなくて、だから最初は同情していたんですが、冷めてしまって。調子乗っているという印象というよりか、なんかマスコミがいってる人物像とは違うって感じが会見だけで感じ取れる人も珍しいのですが、ある意味貴重ですね。

あ、長々と長文あんど関西弁まざった文章につきあってくれてありがとうございます。つかすいません長々と。ハンネは
Posted by 天性の庇護者 at 2007年10月11日 02:36
コメントありがとうございます。

>>「天性の庇護者」さん
こちらこそはじめまして。
何か心に残る記事が書けたならば、ブロガー冥利に尽きます。

>大体勝手に作ったっていってるバカだれですか?

 「雨だから選挙行かなかった」とか「あ、わすれてた」とか言う人です。間接的にではありますが決定できる機会を自ら放棄した人が、こんなことを言いました。


>つかああいう人ほど人殺すんじゃねって思うほど感情論者ですねぇ。

 なるほど、そうも考えられますね。そういう風には考えなかった。
 つまり、感情屋は鏡に向かって「死刑だ死刑だ」と喚いているわけかw


>直感なんです

でしょうね。感情で見えなくなっているのか、あるいは真症か。それについては今後も研究していきたいですが、直感が根底にあるのは間違い無さそうです。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年10月18日 20:00
コメント返信どうもです。

あっすいません。

直感って私の事なんです。私が直感で感じ取ってしまって。本村さんの感じでね。なんか昔っから根拠ないんですけど、直感で違和感感じた相手は信用しないたちなんで。

日本語の主語が足りませんでしたすいません。

直感で相手を決めているというよりも、何もわかってないのに、ただ周りの空気だけでマスコミは決めてますからねぇ。

あなたのように理論でもないし、

私みたいに直感でもない。

論理主義者に直観主義者お互いの特徴は違いますけど、

民が選挙制度きめるのであれば、そもそも10万人の署名とかだけでいいわけでないよ。10万人って人口比でいくらくらいなんでしょうねぇ。最低民意を問うのなら100万人くらい集めて欲しい者です。学校の生徒の中で一人くらいの比率の感覚でいってほしいもんですな。

しっかし、裁判どうなるのでしょうね。私は静観してます。特別死刑廃止論者でないんで。まあ、死刑云々よりも、無茶苦茶な裁判の進行に不安感じますねぇ。最近は交通事故も死刑て騒ぐやからがいますからねぇ。

国民に不満がたまりにたまっているところに叩きやすい生け贄をもってくるのがマスコミですからねぇ。

それにしても、死刑廃止論者のあの教授はまずかった。テレビでああいった発言はちょっとね。誰にでも殺人犯になる可能性はある。たしかに正論だが、これだけを聞くと理由もなく人を殺す殺人鬼になるように聞こえる。さすがマスコミ編集。

説明不足ですよ学者って奴は、「わかってるだろ」てきな説明不足が誤解生んでるのに。

誰でも殺人者になる可能性はあるよな。だから情状酌量ってのがあるのに。

で、あの橋下は尊属殺人はいいらしい。他人に迷惑かけないからだそうだ。(なんじゃそりゃ)

たしか尊属殺人の重さの理由は法治国家を最初に作り出したとされる古代中国からきているって本で読んだ事あるような。

尊属殺人を許していたらキリなく骨肉の争いで殺し殺されがあったので基本的に法と言う概念を祭足だったか、斉の管仲やったっけ?あのあとだった気がするけど、とりあえず大陸には最初人治の政治していて、ま、法ってのがなかったんだね。
法がなくても権力者は裁いていたんだけど。
あんまり尊属殺人が多過ぎて嫌気がさした権力者が己を守るために作ったのが法なんだよね。
ま、民のためにつくられたってどこのメルヘンの人が行っているけど、もともと法は権力者のためにある。

だからマスコミが必要なわけだが、最近は本当にひどい。権力化して、ネット規制とかしようとしている。

そもそもテレビであんだけ暴言吐くのはおkでどうして、ネットだけはあかんのか?

規制するならしても良いけどさ、するならテレビも規制して欲しいってば。

でも管理人さん、地デジ化によるBS標準装備のテレビ以外のテレビはポンコツになることから地上波独占形態は崩れます。BSに産業進出する企業が増えれば、個々のテレビ局の影響力や資金力は低下するんで、これはテレビの権力が衰退するということでしょうな。

感情に訴えかけるやりかたはある意味は大事だと思うが、最近のマスコミは理論そっちのけで、最後は『世間』でしめくくる。そんなに数が怖いのかって思いますけどね。
Posted by 天性の庇護者 at 2007年10月19日 00:18
コメントありがとうございます。

>>「天性の庇護者」さん

>直感って私の事なんです。私が直感で感じ取ってしまって。本村さんの感じでね。なんか昔っから根拠ないんですけど、直感で違和感感じた相手は信用しないたちなんで。
>日本語の主語が足りませんでしたすいません。

いえいえ、こちらこそ、その後の文脈を辿れば、私の読みが間違っていたことは明白ですよね。


>民が選挙制度きめるのであれば、そもそも10万人の署名とかだけでいいわけでないよ。10万人って人口比でいくらくらいなんでしょうねぇ。最低民意を問うのなら100万人くらい集めて欲しい者です。学校の生徒の中で一人くらいの比率の感覚でいってほしいもんですな。

日本国民が1億2000万人くらいですから、10万人というと0.1%くらいじゃないですかね。

>国民に不満がたまりにたまっているところに叩きやすい生け贄をもってくるのがマスコミですからねぇ。

まったくです。

>感情に訴えかけるやりかたはある意味は大事だと思うが、最近のマスコミは理論そっちのけで、最後は『世間』でしめくくる。そんなに数が怖いのかって思いますけどね。

感情の持ち込むべきところと、あくまで論理的であるべきところの峻別が必要ですが、どうも最近は境界線が曖昧になっていますよね。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年10月24日 21:51
管理人さん返信コメントどうもです。

>日本国民が1億2000万人くらいですから、10万人というと0.1%くらいじゃないですかね。

そうですねぇ。視聴率が1%だって駄目駄目ですからね。

そういえば携帯で統計とる方が結構わかりやすいです。まああれも参考ですが、同時期に票を投じているために少し信用できますな。

つか「日本のこれから」会場の意見と視聴者の意見どんだけずれてんのかって感じましたな。

世間っていって「拍手」だけでしめる。

それにしても弁護団がそうとう宣伝活動しているっていわれているが、地味すぎて本当に活動してんのかって感じしますけどね。

左は嫌いですが、人権派が市民生活必要であることも事実。他の意見ではぶつかるところもあるが、基本的に全部が駄目とくくって叩くのは適切ではない。

保守だって間違っている事は沢山あるんだからさ。

加害者の人権ばかり擁護しているって言われてますけど、たしかに行き過ぎた加害者擁護もあったりしてたしかに問題はあった。

でも、公判中の事件を人民裁判みたいに煽るのってのもどうかと思う。裁判員制度。選ばれるの嫌だなぁ。理由事件が重要案件すぎ。痴漢とかもっと軽い事件あるだろ。

死刑出して、高裁で無罪だったら仕返しが怖いよ。

日本人はああいった場合、真ん中の懲役15年にするかもしれんな。懲役15年。無実の人ならそれでも気の毒だ。

とりあえず裁判員制度だと1審は無罪が増えそうだなぁ。つかそれ以外自分守る術無いでしょ。
Posted by 天性の庇護者 at 2007年10月24日 22:54
コメント有難うございます。

>世間っていって「拍手」だけでしめる。

水戸黄門の印籠もビックリですよ、「世間」という言葉の魔力は。


>それにしても弁護団がそうとう宣伝活動しているっていわれているが、地味すぎて本当に活動してんのかって感じしますけどね。

それは感じます。が、第一の責任は、検察&本村洋サイドの情報ばかり流して弁護団の主張を部分的にしか報じないメディアにあるでしょうね。


>左は嫌いですが、人権派が市民生活必要であることも事実。他の意見ではぶつかるところもあるが、基本的に全部が駄目とくくって叩くのは適切ではない。
>保守だって間違っている事は沢山あるんだからさ。

わたしは逆に左側の人間ですが、その論理には全面的に賛同いたします。


>日本人はああいった場合、真ん中の懲役15年にするかもしれんな。懲役15年。無実の人ならそれでも気の毒だ。

以前、新聞に掲載されていた模擬裁判かなんかでの体験談で、本業は会社員の人が「本当のことを言っているのか分からなかったから軽めにした」と言っていたような覚えがあります。
ホント、これじゃ何のための裁判員制度なのか分からんですよ。本当に「庶民の感覚」が求められるのは、重大な刑事裁判よりは民事調停じゃないかと思いますけどね。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年10月29日 23:12
庶民の感覚なんてあてになりませんよ。

いじめの件にしても庶民は本当にいじめはいけないことと感じていない。表向きですよ。

そもそも、いじめはされた方にも問題がある発言の橋下がどうして支持されるのかわけわかりません。

たしかにいじめにはされた方にも問題はあります。それをいじめる側の正当な理由になるのかどうかわかりません。

教育白書とか、バラエティ志向の番組に出て、バラエティ番組かどうかわかりにくくしているし。テレビ芸人とバカにしている人ならともかく。彼を言論人として観ている人ならアレはないでしょうな。

私は最近のテレビのバラエティと情報番組との境界線のあいまいさがどうにもきになってしょうがありません。

結局、光市の事件もバラエティののりでやっているとしたら

まあそんなことはないと思いますが、

すくなくとも出る番組は選ぶべきでしょう。

宮崎さんと橋下さんはえらばないでテレビですぎです。コマーシャルにもでてるし、言論人の常識を疑いますね。


Posted by 天性の庇護者 at 2007年11月01日 01:30
コメント有難うございます。
返答遅れて申し訳ありません。

>いじめの件にしても庶民は本当にいじめはいけないことと感じていない。表向きですよ。

 全くです。社会的体裁として「いじめ」をしないだけで、実際になぜ「いじめ」が悪いのか分かっているのかといえば、疑問符がつきましょう。

>私は最近のテレビのバラエティと情報番組との境界線のあいまいさがどうにもきになってしょうがありません。

 同じ思いです。
劣化した「庶民の感覚」にウケようとして作られた番組が、さらに「庶民の感覚」の劣化を促し、更に劣化した「庶民の感覚」に、、、と悪化の一途です。

なんちゅうか、いよいよ拙いことになってきましたね。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年11月23日 12:20
「天国のラブレター」読んでませんが、内容は2ちゃんねる等で見聞きしたのである程度は知ってます。しかし…これ読んだヒトって本当に「感動」したのかな???Amazonのレビューでもそんな痛いコメがあったし…。

いまでは絶対的なタブーとなってる本村氏ですが、何かの理由でバッシングにあうことがある場合は、この本がネタ本になる可能性がありますね…。
Posted by mash at 2007年12月04日 20:22
コメント有難うございます。

>「mash」さん
>これ読んだヒトって本当に「感動」したのかな

 amazonのレビュを読んでいると、実は読んで無いだろう、ってのが幾つかあるように思います。あるいは、本の世界に完全に引っ張り込まれてしまっているのか。
 私は、小説や随想モノは、どうしても、大学受験のときに叩き込まれた「小説・随想文の客観的読解法」でしか読めなく、「本の世界に入り込む」という感覚が全く理解できないので良く分かりませんが、まあ自分の頭で分析的に、客観的に読むことが出来なくなっているんでしょうね。

>何かの理由でバッシングにあうことがある場合は、この本がネタ本になる可能性がありますね

 同意見です。特に、書籍版と劇場版の出来の差、この辺が突破口になり得ると思います。
 やめればいいのに、自分から弱点をさらけ出すなんて。。。まあ幸い、UpLinkXなんて渋谷の公民館みたいなとこでしか、今のところ公開していませんが、拡大公開とか、DVD販売なんてしたら、えらいことになるかもしれませんね。
Posted by s19171107@管理人 at 2007年12月15日 13:34
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