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2008年01月01日

新年早々、説得力の無いことを

http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzv000027122007
(一部引用)
 格差を云々という人も多いと思いますが、そもそも「格差」という言葉はほとんど所得差のことを指しています。ただの収入の差なのになぜわざわざ大げさに「格」をつける必要があるでしょうか。人を差別する時に「格が違う」というように、「格」は人間の価値に階級をつける意味が付随しています。
yahoo辞書:大辞林
同類のものの間における、価格・資格・等級・水準などの差。
―が拡大する ―が生じる 賃金―
 確かに、中国語では「格」の字には「人間が、しんに持つ本質」という意味があるけど、日本語ではそこまで意識して使いません。
 筆者氏は中国人らしいので、中国式に考えてしまうのも無理もありませんが、ここは日本です。「格差社会」「格差問題」という単語は日本語の文脈で使っています。日本式に解釈してください。

 300万円の年収で美しい田舎に住み、きれいな空気を吸い、ストレスもない、コストもかからない生活を営んでいる人たちがいます。彼らの人生価値と2000万円の年収で家族とめったに会えない大手企業のエリートサラリーマンの人生価値を比較してどちらが上なのでしょうか。
で?
つねに、貪欲に「より贅沢な生活」へ邁進している、投資家・投機家・資本家御用達の『日経』に「年収300万も捨てたもんじゃないよ」なんていわれても、全然説得力ないんですが。

 私は決して田舎暮らしのほうが上だとも言いませんし、大手企業のエリートのほうが上とも言いません。しかし、間違いなく言えるのは彼らのどちらも自分が選択している人生を送り、どちらも生の意味を噛み締めながら懸命に生きているのです。人間の格として比較できるものではないし、比較する必要もありません。
じゃあ書くな

 「格差」という言葉はしらないうちに人々の人生選択に差別の意味を与え、経済の差を人間の差とリンクしてしまいます。2008年は人々が人間が生きることの本質に立ち返り、人生の選択の相違(差、Difference)をもっと尊重する年になってほしいと思います。
 えー、所謂「格差問題」を重視している左派の端くれである私から言わせて貰いますと、現在の日本資本主義における「経済の差」は、特に「子供への教育」などへの差を生み、結果的に「人間の差」に直結します。所謂「格差の固定化」の問題ですね。

また、「格差問題」で特に問題視されている「ワーキングプア」の人々は、好きであの生活やっているわけじゃありません。人生選択の機会すらなく、あの生活、あの立場に追い込まれているのです。

「地方間格差」については、都会に出ればある程度是正されますが、「地方で職が無いなら都市に出ればいい」という考えは、人間の存在を経済的観点から見すぎているように聞こえるので、個人的には嫌いです。人間が生きることの本質に立ち返ることの重要性を訴える、引用元記事筆者氏なら、きっと分かってくれると思いますけど。(←嫌味)

いやはや、『日経』も新年早々、頓珍漢な記事を公開したもんですね。
これ、ネタとして書いてネタとして載せたんだよね?かなり早いエイプリルフール。

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/kakusa.html
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