読売のサイトでも読めるのですが、全部は載せていないようなので、当日、都内のコンビニで購入した実物の紙面をスキャンしました。
左から、1面・12面・13面(いずれもクリックで拡大)



さて、私はこのアンケート記事を読んで、二つの疑問を感じ、一つのネタを仕入れました。
「疑問」について。
第一の疑問は、何故、読売はこんな曖昧な調査をし、「国民であること誇り93%」なんて見出しをつけたのか、ということです。設問と選択肢が余りに漠然としすぎていて、全体的に読売記者の公開オナニーにしか見えないんですが。
まあ、もっとも「クニ」という日本語自体が極めて幅広い言葉ですから、仕方ないと言えば仕方ないんですけどね。
第二の疑問は「国民であることに誇りを感じる」という感覚です。
誤解が無いように先に言っておきますが、私は故郷である日本は好きですし、「日本文化」というものを高く評価しています。しかし、やはり、自分が日本国民であることに「誇り」は感じません。
といいますのも、私にとっての「誇り」というのは、何か大きな壁にぶちあたったとき、その壁を自力更生の精神で乗り越えて初めて自分の行動に対して感じるものであって、日本国民という「状態」に対して感じるものではないのではないか、と思っているからです。
もろちん、「状態」といっても、どんな「状態」に対しても感じないわけじゃありません。たとえば私が実現不可能といわれた合成実験を成功させ、ノーベル化学賞を受賞したとします。そのとき、恐らく私は「ノーベル化学賞受賞者である自分」という「状態」に対して「誇り」を感じるでしょう。しかし、「ノーベル化学賞受賞者である自分という状態に対する誇り」というのは、このアンケートにおける「日本国民であるという状態に対する誇り」とは全く異次元の「状態に対する誇り」です。なぜなら、前者は自分の不断の努力の結晶であるのに対し、後者は生まれながらにして自動的に手に入れたものであり、努力して手に入れたものではないからです。
こういう思考回路を、古い自分の作文を読む限り既に小学校6年生の頃には確立させていた私(198x年生まれ)としては、「日本国民であるという状態に対する誇り」というのが全く理解できません。
「一つのネタ」について。
ウヨさん曰く、「戦後の日本人は日教組の自虐教育によって、日本人であることに誇りをもてなくなった」そうです。しかし、このアンケート結果を見る限り、実に9割以上の人が日本人であることに対して誇りを感じています。
ウヨさんは一体どういう統計的データを基に、ああいう言説を展開してきたんでしょうね。