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2008年02月16日

「光市事件」と「八戸事件」のメディアにおける扱いの違い

 2月15日のテレ朝系『スーパーモーニング』において、八戸母子3人殺害事件(以下、「八戸事件」)に関して、父親独占インタビューと、被疑者である長男(18)の生い立ちなどを洗い出す特集をやっており、録画しておきました。
 私は、八戸事件については、光市事件と福岡3児死亡事故の追っかけで手一杯なので、殆ど接する機会も無かったのですが、今回のこの特集を見、その生い立ちなどを知ることによって、光市事件と似ているな、という印象を持ちました。

 光市事件の被告人は、12歳のときに実母が自分の目の前で自殺し、また、父親は暴力ばかりふるうアル中で、妻(=被告人実母)死後はフィリピン人と再婚しました。たしか弁護団が依頼した精神鑑定では、精神年齢は11歳か12歳程度で、これは目の前で実母が自殺した衝撃のためではないか、と言われています。

 対して、八戸事件では、右翼団体構成員の実父が被疑者小学2年のときに恐喝未遂で逮捕され、それ以降、実母が家計を支えるために夜の商売をはじめ、いつも酒臭い。子どもの面倒を見切れないとのことで、2年生から5年生まで養護施設に強制収容されていたそうです。
 小学5年のときに被疑者は養護施設から帰ってきたそうですが、実母は夜の商売の関係で男が出来、交際。また父親はこの時期に2度目の逮捕を経験している。
 さらに中学3年のとき、実母が交際している男に対して「うちの長男はちょっとアレだ」という会話を耳にしてしまい、自殺未遂を図っている。このように、「母親の愛情」というものが乏しかった。
 そののち、引きこもりがちになっていたため、父親が右翼活動の傍ら営業している屋台で働いた結果、少しずつ更生しつつあったところで、実父が3度目の逮捕。父親も駄目人間。

 全く同じとは言いませんが、環境的には光市事件とは似たようなものがあると思われます。

 にもかかわらず、この二つの事件の取り扱い方は全く違います。
光市事件では、被告が何を言っても、それが逮捕直後の警察調書や家庭裁判所調書に書かれていることでも、はたまた証拠と検察主張の科学的矛盾が明らかでも、完全に無視されています。一方、今回の八戸事件に関する『スーパーモーニング』の特集におけるスタジオの出演者たちは、たとえば大谷氏の「こんなこと、大人でも耐えられるだろうか」とか「こんなことを「耐えろ」といっても無茶だ」といった、「犯罪は犯罪だけど同情を禁じえない」といわんばかりの発言に対して、誰一人として反論しませんでした。

 はっきり言って、私は八戸事件と光市事件、どちらが凶悪性が高く、確たる犯意があるかといえば、現在分かっている範囲でいえば、八戸事件の方がより重大であると思います。一方、「犯人」の育った環境の劣悪さについては、アル中DV親父の暴力の日々と、実母が自分の目の前で自殺したということを考えると、光市事件のほうが劣悪な環境であったと言わざるを得ません。

 八戸事件の被疑者に対して「同情」するなら、より劣悪な環境で育ち、犯行自体の凶悪性については八戸事件より低い光市事件の被告人に対しては、同等以上の「同情」をするのが筋ではないかと思いますが、現在執筆準備中の、綿井・河井トークショーにおいて、たしか河井弁護士が、「あるメディア関係者の発言」として、「いくら弁護団が精力的に情報公開しても、メディアはもはや報じることはできない。視聴者の反感を買い、弁護団に向いていた攻撃の矛先がメディアに向いてしまうからだ」という主旨のことを仰っていたことを考えると、光市事件については、世論が沸騰しすぎて、もはや振り上げた拳を絞首台の床を落とすスイッチの上に下ろすしかない状態なのでしょうが、似たような事件であるにも関わらず、ここまで扱いが違うというのは、メディア報道の信頼性にも関わる重大な現象であると思う次第です。

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この記事へのコメント
八戸事件の場合、被害者が加害者の肉親だった、というのが大きいのではないでしょうか。言ってしまえば、片や家庭内トラブルの暴発、片や無関係の他人を巻き込んだ通り魔、といった形なので、第三者として観れば、どうしても後者により恐怖と警戒心を持ってしまいます。まして日本では身内殺しに甘い傾向が有るようですし。あと、光市事件では、死後とは言え被害者に性的陵辱を加えていることが、さらに悪印象を与えている。

いずれにせよ、強大な影響力を持つマスコミ(の一部の人間)の気分や面子で、重要な問題や少なくない数の人生が狂わされてしまうのは怖いですね。
Posted by amanoiwato at 2008年02月16日 12:34
コメント有難うございます。
これまた随分と放置してしまって申し訳ありません。

私も、被害者と加害者が身内であったことが大きいと思います。光市事件の死姦については、八戸事件も母親の腹を切り裂いて人形を詰め込んでいたりするので、猟奇的という点からいうと、八戸事件のほうが悪印象があるように思いますが。

この二つの事件の報道を比較することは、個人的には大きな意味があると思いますので、今後も八戸事件の行く手を見守りたいと思っています。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年03月20日 02:40
イラン日本人誘拐事件での被害者バッシングにもあるように、日本の場合、「世間」に迷惑や負担を掛ける行為や人間はことさら糾弾、憎悪されがちですが、逆に「世間」に迷惑さえ掛けなければ何をしても構わない、という傾向があるように思えます。このような発想がDVの放置や引き籠もりの助長につながり、この「光市事件」と「八戸事件」の扱いの違いにも現れているような気がしています。
Posted by amanoiwato at 2008年06月19日 18:54
コメントありがとうございます。

>「amanoiwato」さん
 なるほど、そういう見方がありましたか。
流石に「何をしても構わない」というほどではないでしょうが、確かに、「赤の他人」に迷惑をかけるほうが、「身内」に迷惑をかける場合よりも激しく叩かれるという傾向はあるかもしれません。そういう視点で刑事事件を見たことがなかったので、ハッキリはいえませんが。。。

 出来れば起きてほしくは無いですが、きっとまた身内殺しが起きると思いますので、そのときには、そういう視点で見てみたいと思います。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年07月05日 13:29
記事のタイトルからは話が逸れます。同情云々・環境云々・駄目人間云々とおっしゃいますが狼の子は狼のように駄目人間の子供は駄目人間ということではないでしょうか?極論ですが駄目な親もまた駄目な親の元で生まれたのではないでしょうか。その親もまた子供時代があったわけです。それを言えばキリがないのは事実ですが親の所為にしたところで問題が解決するわけでもないです。
Posted by ヒキ男 at 2014年06月09日 22:32
ヒキ男さん

コメントありがとうございます。
お返事が遅くなってしまい、申し訳ございません。

そうですね、生育環境は大きな要因としてあると思います。

ただ、親子関係だけが人間形成に影響を与えるわけではありませんよね。周囲からまったく隔絶した世界で暮らしているわけではないのですから。
もちろん、本人の生来の性格もあるでしょう。

大切なのは、複合的な要因が相互作用的に影響して、人格形成がなされている以上、それに対する対応もまた、複合的に行わなければならないということだと思います。
Posted by s19171107@管理人 at 2014年06月30日 00:05
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