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2008年04月18日

誰のための死刑

 4月17日づけ『日本語の読めないひとたち』においてご紹介した感情屋の方のコメントには、以下がありました。
じゃあ他に誰がいるって言うんだっ!!
知らない奴がこっそり入ってきて暴行して行くって言うのかっ!!
この裁判官狂ってる!!
こう言う事を無くす為にも俺は裁判員に選ばれた時に
こんな事例に関わらせてもらった時はたった一人でも
極刑を貫くよ!!
 まあ、裁判長の判断理由も読まずに勝手にファビョっている典型的感情屋の方でありますので、先の記事では深くはツッコミませんでしたが、よくよく読んでみると、2つの点(厳密には3つの点)において「深い」コメントです。

 といいますのも、本件における検察主張は「4歳の次男が、両親から受けた折檻により死亡した」とした傷害致死事件でした。「いよいよ殺人のみならず傷害致死にも死刑を求めるような"世論"になりつつあるんだなあ」とか「過失致死にも波及する時代も近いだろうなあ」と思うのもそうなんですが、それ以上に、これは「誰のための死刑なのか」という疑問を感じます。なぜなら、本件は身内間の事件であります。つまり、加害者も被害者も身内です。

 いくら自分を殺めた張本人だからといって、肉親が、ワイドショーによるストーカーまがいの報道を受け、あることないこと言いふらされた挙句に、「人殺し」として処刑されるのは、余りよい気分では無いように思います。

 果たして「4歳の次男」は死刑を求めるでしょうか。もちろん、死人に口なしなんですから、そんなこと確認できるわけないし、たとえ出来たとしても、私は署名だとか遺族感情だとか、そういうもので量刑を決めるのではなく、ひたすらに罪刑法定主義による量刑検討をすべきだという立場を取る者ですので、実際の裁判という実務面においてこういうことを深く考える必要の無いことですが、少し気になる次第です。

 二つ目(三つ目)に、本件被害者は「次男」です。つまり「長男」がいることになります。もし本件被告夫妻を処刑した場合、長男は弟を亡くした上に両親まで処刑で亡くすことになります。

 被害者遺族の精神的ケアというものが、昨今とかく注目されがちですが、加害者遺族についても加害者本人の自業自得とはいえ、やはり肉親を失っているわけですから、少なくとも加害者に子供がいる場合は、その辺についても考える必要があるのではないでしょうか。

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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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