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2008年04月20日

さて、あと2日となりました

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804190117.html
 山口県光市で99年に起きた母子殺害事件で殺人、強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われた元少年(27)の差し戻し審判決が22日に広島高裁で言い渡されるのを前に、事件で妻子を奪われた会社員本村洋さん(32)が19日夜、光市内で記者会見した。「9年は長い歳月だったが、遺族全員の希望だった死刑という判決が出ることを信じている」と話した。

 焦点となる量刑について「死刑でも無期でもいずれも重い判決だと思っている」と発言。無期懲役の場合の「重さ」について「社会も遺族も『(各判決が)なぜこれほどまでに揺らぐのか』と司法に対する不信が募ると思う」と述べた。また、死刑判決だった場合の重さを「厳罰化が進むだろう」とする一方、「判例主義はよしとしない。個別の事案で世情に合った判決を出す司法になってくれれば」と語った。

 元少年については「反省にまだ真剣さが足りない」と話した。そして「死刑が内省を深める契機になると思っている。死刑以外で生き永らえるより、胸を張って死刑を受け入れ、社会に人を殺(あや)めることの愚かさを知らせるのが彼の役割」と述べた。

 この事件では一審と同じく無期懲役とした二審判決を、最高裁が「死刑の選択を回避するのに十分な、特に酌むべき事情があるかどうか審理が尽くされていない」として破棄。死刑を求める検察側が「年長少年による計画的な強姦目的の殺人」としたのに対し、弁護側が「精神的に未成熟な少年による偶発的な事件」と主張して争っている。
判例主義はよしとしない。個別の事案で世情に合った判決を出す司法になってくれれば
 それやっていると、司法の公平性が怪しくなるから判例が大切なんですよ。

 そういえば、本村氏におかれましては、たしか以前に「死刑は武士道に合致する」みたいなことおっしゃっていたように思いますが、武士の時代である江戸時代は、それこそ判例主義の時代だったんですけどねえ。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/hanzai.htm
 江戸時代の司法制度については、今と比べてお話にならないほど酷いものでしたが、判例に従って処罰していた点に関しては評価してよいと思います。

反省にまだ真剣さが足りない
 手紙よんでないのに反省が足りないと分かるのは結構凄いことだと思います。エスパーですか。

 また、もう何度も書いていますが、反省とか更生ってのは刑務所で更生プログラムを受けて初めてできるものです。裁判の段階で「反省」できているから、そもそも税金かけてまで収監する必要ないでしょw

死刑が内省を深める契機になると思っている
社会に人を殺(あや)めることの愚かさを知らせるのが彼の役割
 なんか矛盾しているような気がする。。。前者は被告の反省を期待しているが、後者は、究極的には反省していてもしていなくても、見せしめ的に処刑されるのが被告の役割としている。
 また、最初から捕まる気で死刑になるような刑法触法行為をする人はまずいないので、見せしめ処刑にどれほどの意味があるんでしょうかね。。。

 検死結果等については、いかがお考えなのかとても気になるところですが、昨今は、検察も「傷害致死」として求刑する事件にも死刑を求める風潮です(18日の記事参照)から、とにかく被害者が死亡したのなら、関係ないのかもしれませんね。


 ところで、4月22日のテレビは凄いことになってます。
http://tv.yahoo.co.jp/vhf/tokyo/2008042204.html?c=0&g=0
テレビ東京以外(さすがテレ東w)、全てのチャンネルが9時55分から特番ですよ。どれ録画しようかね。

 また、ちょっと気持ち悪い事態が。なぜか産経が頑張っています。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080418/trl0804182136008-n1.htm
 山口県光市の母子殺害事件で、殺人や強姦致死などの罪に問われ、最高裁が無期懲役の2審・広島高裁判決を破棄した元会社員の男性被告(27)=事件当時(18)=に対する差し戻し控訴審の判決が22日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で言い渡される。12回にわたって開かれた公判では、情状面にとどまらずこれまでに裁判所が認定した犯罪事実をめぐり検察側と弁護側が正面から対立。弁護側が主張する事実誤認が認められなければ、極刑が言い渡される可能性が高い。事件発生からすでに9年。4度目となる判決を前に争点をまとめた。

 事件は平成11年4月14日に発生。光市の会社員、本村洋さん(32)方で、妻の弥生さん=当時(23)=と長女の夕夏ちゃん=同11カ月=が遺体となって発見され、その4日後に近くに住んでいた男性被告が逮捕された。

 被告は罪状認否で起訴事実を認め、検察側は死刑を求刑。

 1審・山口地裁、2審・広島高裁はともに、被告が事件当時、死刑を科すことのできる18歳になってから30日しか経っていなかったことを重視し、無期懲役を選択した。

 しかし最高裁は18年6月、「18歳になって間もなかったことは、死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない」と判示。

 無期懲役の量刑は不当として2審判決を破棄し、「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」の有無を審理するために広島高裁に差し戻した。

 このため差し戻し控訴審では、情状面を中心に「酌量すべき事情」が審理されるとみられていた。

 しかし、弁護側は1、2審から一転して犯罪事実を全面的に否定。被告人質問に加え証人5人への尋問も行われ、検察、弁護側双方による激しい攻防が展開された。

 弁護側は「弥生さんへも夕夏ちゃんへも殺意はなく、傷害致死罪にとどまる」と殺人罪の成立を否定。強姦致死と窃盗についても無罪を主張した上で、「被告の反省は深まっており、更生可能性はある」と訴えた。

 結審から3カ月余りが経過した今年3月13日にも弁論補充書を高裁に提出し、執念をみせる。

 これに対し検察側は、最高裁が「揺るぎなく認めることができる」とした犯罪事実に誤りはなく、弁護側の主張を「荒唐無稽」と指弾。

 「遺族の感情を踏みにじって顧みないことが明らかとなり、差し戻し前よりも死刑に処すべきことが明らかになった」とした。

 最高裁が量刑不当を理由に無期懲役の2審判決を破棄したのは、光市事件で3件目。連続4人射殺事件の永山則夫・元死刑囚=平成9年執行=と仮出所中に再び強盗殺人事件を起こした西山省三死刑囚には、ともに差し戻し審で死刑が宣告されている。



 「被告に殺意はなかった」。その主張の論拠となっているのが、上告審段階からの被告の供述と、弁護側の依頼で新たに被害者2人の死因を分析した法医学者2人による鑑定書だ。

 これまでの判決は、弥生さんと夕夏ちゃんが死亡した状況を、遺体の所見などに基づき次のように認定している。

 「被告は弥生さんに馬乗りになり、首を両手で強く絞め、窒息死させた」

 「被告は夕夏ちゃんを床に叩きつけた上、首にひもを巻いて強く引っ張り、窒息死させた」

 ところが弁護側依頼による鑑定は、これとは異なる結論を導き出した。

 弥生さんの首には右側のみに、強く圧迫された痕跡が4本残されていた。4本は胸元に近づくにつれて長く、2人とも「右手の逆手による圧迫とみるのが相当」と判断。

 弁護側は「弥生さんに抵抗され、いつのまにか右手を逆手にした状態で首を押さえつけていた」との被告の新供述と一致し、殺意はなかったとした。

 また夕夏ちゃんについても、鑑定書は「頭部の外傷は強い力で生じたものではない」「首にひもで強く絞められた痕跡はない」と指摘。弁護側は「被告はひもを緩く結んだが、その後むくみによって締め付けられた」と主張した。

 一方、検察側も新たに鑑定を依頼し、「遺体の状況は判決の認定事実と矛盾はない」とする鑑定書を提出。「片手では抵抗する成人女性を押さえ続けることは不可能」「弁護側の鑑定は、小児の皮膚の弾力性や頭蓋骨の柔軟性を考慮していない」と反論した。

 3人の法医学者が作成した鑑定書はいずれも証拠採用され、証人としても出廷。高裁がどちらの鑑定を妥当と判断するかが、判決の行方を大きく左右する。



 もちろん、これまでの判決が、遺体の所見だけをもとに事実認定したわけではない。その結果とも一致する被告の供述調書があったからだ。しかし弁護側は、この内容に疑義を唱える。

 捜査段階の供述調書は、取り調べの際に「容疑を認めないと死刑になる可能性が高い」と誘導されて作成されたと主張。

 公判に入ってからも当時の弁護人から適切な弁護を受けられず、真実を供述する機会が与えられなかったが、上告審の途中で現在の弁護人に交代し、殺意や強姦目的がなかったことを打ち明けることができたと説明した。

 また、現在の供述内容の片鱗(へんりん)は捜査段階や家裁の調査にもあり、「弥生さんに実母の姿を重ねていた」など突飛にみえる供述も、弁護側が依頼した心理鑑定や精神鑑定によって不自然ではないことが裏付けられているとした。

 これに対し、検察側は真っ向から反論した。

 捜査段階の供述も否定するところは否定しており、捜査側による誘導はありえないと主張。

 現在の供述は「弁護側依頼による法医学鑑定の結果に合致させるための虚構」で、さらに上告審以降も心理鑑定を受けてからその鑑定結果に触発されて供述を大きく変遷させており、「事実を捏造(ねつぞう)・歪曲(わいきよく)して死刑を逃れようとしている」と非難した。

 差し戻し控訴審では6開廷、計17時間に及んだ被告人質問。

 弁護側の質問にはよどみなく供述した被告だが、検察側の質問には、答えに窮する場面もあった。
 なんか朝日とか読売とかが簡単に流すことも、産経が詳しく報じていることが最近多い気がする。。。私も最近は、産経記事を引用することが増えてきました。


司法関係関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
posted by s19171107 at 00:53| Comment(5) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この産経記事は、傍聴した記者の記事でしょうか? 信じられないほど公平な記事ですね。この程度の配分の報道が行われていたら、BPOも誰も問題にしなかったでしょうに。
予定稿はとっくに書き終わって、垂れ流すVTRの編集もみーんな終わって、あとはスタジオに集めたゴロツキに喚かせるだけか。
たぶん「傷害致死」を認めた場合、検死報告に全く触れず、ゴロツキどもにひたすらデタラメ言わせて終わりでしょうか。いや、「殺人罪。死刑」でも一緒か。
Posted by テレビ大嫌い at 2008年04月20日 10:46
>全てのチャンネルが9時55分から特番ですよ。

なんかBPOの勧告がまるで耳に届いていないような…。要するに裁判報道をショー化するなというのが、BPOの勧告の趣旨なんですがね。もっとも内容自体は判決によって大きく変化するでしょうが(場合によっては、全面的な懺悔報道になる可能性あり)

ところで別エントリになりますが、

>あんなやつらの振りかざす「正義」の名の下に殺されたくない。死にたくない。

おっしゃることに激しく同意しますです。
私もここ最近ウェブ上での感情屋さんの論調をヲチしてたんですが、熱と吐き気がしました。ということで私は晴れて「犯罪被害者」ということになりましたので、感情屋さんに損害請求をしたいところですwww
Posted by mash at 2008年04月20日 11:18
>手紙よんでないのに反省が足りないと分かるのは結構凄いことだと思います。エスパーですか。

本村さんは、手紙云々で反省が足りないとは言ってませんが・・・。

>反省とか更生ってのは刑務所で更生プログラムを受けて初めてできるものです。

へえ、それって超欠陥人間ってことじゃん。自主反省もできないなんてね。
Posted by 名無し at 2008年04月20日 20:43
本村氏は、「死刑」以外の手段では被告を反省させられない、と思っているようですね。被害者遺族の立場からすれば無理もない意見ですが。
一番の問題は、本村氏個人としての意見が、あたかも「被害者(遺族)全体の意見」および「世間一般の総意」であるかのように扱われてしまうことですね。

あと、単純な厳罰化のみでは、犯罪者の更正や犯罪の根絶にはうまく繋がらないとは感じます。私的な経験から言わせて貰えば、正直なところ、単純な体罰や制裁などでは、本心から自分のしでかした行為に対して反省や罪悪感を持つより、むしろ苦痛や恐怖心、反感のみを肥大化させてしまう場合が多かったので。
Posted by amanoiwato at 2008年04月20日 21:47
コメント有難うございます。

>「テレビ大嫌い」さん
 結局、BPOの求めている報道ってのも、この程度のものだと思うんですよね。賛否両論ある問題については、両方の意見を公平に取り扱って、あとは視聴者の判断に任せる。
 BPOに申し立てを行った人から話を聞く機会があったのですが、その時の話の内容から鑑みるに、恐らく今回の産経報道なら不満は無いだろうと思われます。

>「mash」さん
 テレ東以外の全ての放送局が特番を組むって、麻原判決以来でしょうか?とにかく、破格の扱いであることは間違いなさそうです。
 特番を組むこと自体は悪いとは言えませんが、今までの慣例から言って、恐らくBPOの勧告なんてまるで耳に届かない内容になる可能性は濃厚ですね。

 とりあえず、日テレ系列「ズームインSUPER」(5時25分〜8時)、テロ朝系列の「スーパーモーニング」(8時〜10時30分)と、TBS系列の「ピンポン」(11時〜1時)、日テレ系列の「おもいっきりイイ!!テレビ」の1時台、あとは夕方のニュース番組のどれかを撮りましょうかね。。。夜は勿論、テロ朝系列「報道ステーション」と、TBS「ニュース23」の比較をしてみたいと思います。DVDレコーダー大活躍の予感ww

>「名無し」さん
>本村さんは、手紙云々で反省が足りないとは言ってませんが・・・。

 確かにそうですが、手紙こそ「反省」が出来ているかどうかを測る重要なアイテムでしょうから、それを読まずに、どうこうと批評なさるのはどうかと思ったのです。

 ガチで反省できていない人が幾ら「反省しました」と書いても、文章におかしい部分や変な言い回しが確実に見られます。手紙ってのは結構ホンネが出るものです。

>へえ、それって超欠陥人間ってことじゃん。自主反省もできないなんてね。

 「欠陥」が無ければ、そもそも犯罪なんて犯さないわけで。。。

>「amanoiwato」さん
 その問題点は私も感じております。東京新聞が最近、死刑制度についての特集をしているのはご存知でしょうか。そのなかで、3月23日づけの記事において、死刑制度に疑問を投げかける被害者遺族の原田正治氏の言葉として、以下のようなものがありました。

【引用開始】
「加害者が殺人事件を起こした経緯や遺族の気持ちは、それぞれに違う」
「犯人に極刑を望む遺族もいれば、生きて罪に向き合ってほしいと望む遺族もいる。みんなが同じわけではないと知ってほしい」
【引用終了】

 「被害者と遺族のために死刑を!」が合言葉のようになっている昨今においては、非常に意義深い記事であります。
 私としては、本村氏が本件について死刑を求める気持ちは分かります(もちろん、本当の意味で「分かる」わけないと思いますが)し、自分が同じ境遇におかれれば、本村氏と同じ要求をするものであろうと思います。

 しかし、それは極論を言えば「私と本村氏だけ」かもしれません。他人もそうであるとは限らない。
 原田氏は以下のような、目を疑うような罵声を浴びせられたと、前述の東京新聞記事にはありました。

【引用開始】
 そんな原田さんは、一般の人から『被害者の気持ちを考えろ』となじられ、記者から『残虐な殺され方をしても許せるのか』と質問されたりするという。
 「僕が経験してきた精神的、肉体的苦痛を他人がどれだけ理解できるのだろう」
 「殴られて頭が膨れ上がり、傷から脳漿が流れ出ていた弟の殺され方を残虐でないというのか」。やるせなさが募る。
【引用終了】

 これこそ、「加害者に極刑を求めることこそ被害者遺族のしかるべきあり方」と定式化したことによって起きた罵声であります。

 また、そもそも死刑制度というのは実に幅広い問題であって、必ずしも被害者感情だけを考えればよいというわけではありません。当事者として考えることも必要ですが、第三者として国の司法システムとして考えるという視点も、同時に求められているのかもしれませんね。

 単純な厳罰化に対する懸念も同じものがあります。死刑は排除の論理の最たるものなので余り関係ありませんが、懲役刑や禁固刑を安易に厳罰化、すなわち長期化しても、結局、これらの刑罰の最大の目的は「更生」にあるのですから、更生プログラムが上手く行かない限り、どうにもなりません。長くすりゃいいってもんじゃない。

 また、福岡3児死亡事故関係の世論として、飲酒運転にまで死刑を求めるような厳罰化要求がある昨今ですが、余りに厳罰化偏向すると、傷害致死とか過失致死のように、「殺す気は無かった」事案についても、厳罰を恐れる余り、事後の救護活動がおざなりになりかねません。

 厳罰化というのは、取るべき方策のひとつであることは間違いありませんが、安易に走ることだけは厳に慎むべきだと考えます。
Posted by s19171107@管理人 at 2008年04月20日 23:53
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