当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2012年12月31日

個人消費

そしてまた更新が途絶えていました。お久しぶりです。
気ままに更新。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-30/2012123001_01_0.html
>>> 働くルールの確立や賃上げで
736万人の雇用生まれる
労働総研が春闘提言

 労働運動総合研究所(労働総研)は29日までに、2013年春闘提言「賃上げと雇用の改善で『デフレ』不況の打開を―外需依存型から内需充実型に転換し経済基盤を再構築」を発表しました。賃上げと働くルールの確立でこそ「デフレ不況」から脱却できる、と強調しています。
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 提言は、▽サービス残業の根絶▽有給休暇の完全取得▽週休2日制の完全実施―など働くルールの確立で新たに420・6万人の雇用が創出されると試算。これとあわせて、賃金水準を1997年のピーク時まで回復し、非正規雇用労働者を正社員化した場合、国内需要が34・6兆円増加し、これによってGDP(国内総生産)が30・4兆円拡大します。(表参照)

 2011年の名目GDPが470兆円であるため、経済成長率が6・47ポイント上昇するとしています。

 経済成長により誘発される雇用創出は316万人で、働くルールの確立による420・6万人とあわせて736・6万人の雇用創出につながるとしています。

 これに必要な原資は56兆円。全企業が抱える内部留保460兆円の12・2%を活用すればすむとしています。

 巨額に膨れ上がった内部留保の源泉は、賃金削減と企業税(法人税、法人住民税など)減税によるものだと指摘しています。

 賃金水準は97年度をピークに低下。この97年水準を維持した場合、98〜2011年度の間に労働者に対して144・3兆円の賃金が支払われるはずでした。一方、企業税を89年の40%(現在30%)に維持したと試算すると、企業は90〜11年度の間に173・8兆円も減税されたことになります。この賃金減額と企業減税額をあわせると、318・1兆円の利益を得たことになると指摘しています。

 日本経済のマイナス成長の直接・最大の原因は、賃金低下を主因とする内需の縮小にあると指摘。「デフレ不況」を打開するには、(1)外需依存から内需充実型に転換する(2)そのカギは、企業経営を国民生活重視の方向に転換する(3)そのためには内部留保を社会的に還元・活用することが有効だ―と提言しています。
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 GDPを30兆円アップさせるための費用が56兆円って大赤字じゃんというツッコミ以前に、消費って所得が増えたからと言って、ストレートに増えるもんじゃないのになあ、とコメントを付けざるを得ません。

提言書を詳しく見ると、産業連関分析を算定の根拠にしているそうです。産業連関分析を使うこと自体は普通のことなんですが、産業連関分析は、あくまで「最終需要が1単位増えたとしたら、どれくらいの波及効果があるか」をシミュレートをするだけであり、既に最終需要が増えていることがスタートラインであります。すなわち、「どうやって最終需要を増やすのか」ということは明らかにはしません。

で、提言書を更に詳しく見ると、例によって内部留保を切り崩すんだそうです。内部留保を個人消費に転化させる、いつものパターンですね。はたしてそれで上手くいくのでしょうか? それは、個人消費は何によって規定されているのかを解き明かすことによって見えてくると思われます。

個人消費は何によって規定されているのでしょうか? いろいろと学説はありますが、通常、個人消費額はフローによって(基本的に)規定され、ストックには(あまり)規定されないと考えられます。また、フローのなかでも恒常的な所得によって規定され、変動(一時的)所得には規定されません。さらに、人々は一生涯を通じて一定水準の消費スタイルを維持しようとするので、将来にわたる期待収入額にも規定されます。

要するに、個人消費の額は、一生涯を通した平均的な収入(恒常的なフロー)の額に応じて決定され、臨時収入(変動フロー)や貯蓄(ストック)は、あまり影響しないのであります。もちろん、変動フローやストックが個人消費に全く影響しないわけじゃありませんよ、臨時収入や貯蓄を切り崩して生活することだってあることは、私もよく存じ上げています(泣) でも、それは一時的な出来事にすぎません。

内部留保は、ストックの切り崩しによる変動フローにすぎません。果たしてそれでマクロ経済を復活させ得るほど個人消費が増えるのか。麻生内閣の「定額給付金」みたいな末路になりそうな気がします。

もっとも、「個人消費を復活させる」という視点はとても良いと思います。私が問題にしているのは、あくまで「方法」にすぎません。では、どういう方法をとるべきなのか。

恒常所得は企業の生産活動が順調に行われて初めて実現します。ケインズによると、企業家は、将来の期待収益率と利子率を比較して意思決定をします。となれば、今のご時勢でも必要とされる新しい商品・産業を興したり、あるいは輸出を起爆剤とするのが一番手っ取り早いでしょう(利子率はこれ以上、下げてもねえ…)。経済政策的には、イノベーションをサポートする体制づくり(たとえば、斜陽産業から新興産業への労働力の移転をスムーズにする)ことが必要かと。

かつて、経済危機に直面したスウェーデンが、日本左翼が泡を吹いて卒倒するような経済構造改革に取り組んだ結果、見事に強い産業をよみがえらせ、豊かな国民生活水準を復活させた歴史的経験は、多くのアイディアを提供してくれると思います。

もし、内部留保をどうしても革命的に収奪…じゃなくて活用したいのならば、そのままバラ撒くのではなく(それじゃ変動フローでしかない)、それを原資にして殖産興業に励み、恒常フローに転化させるべきでしょう。もっとも、その場合は、どのくらいなら切り崩しても大丈夫なのかを綿密に計算しなければなりません。しかし、提言書では「内部留保のわずかxx%で足りる」というものの、それは妥当なのかどうかの根拠が殆ど掲載されていません。かつて、何かの媒体(新日本出版社の『経済』だったかな?)で「妥当な内部留保」が算定されていましたが、「2000年代前半」という「牧歌的資本主義」の時代を基準にしていて閉口した覚えがあります。

新ブログに掲載した続編記事;チュチェ102年2月18日づけ「いやいや全然違うから共産党さんw
posted by s19171107 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

「ウッカリ」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100922-00000573-san-pol
>>> 忘れていた拉致担当をあわてて追加 自民「影の内閣」正式発足 
産経新聞 9月22日(水)18時35分配信

 自民党は22日、シャドーキャビネット(影の内閣)を正式に発足させた。21日の名簿発表時に忘れていた「拉致問題担当相」には、竹本直一「国家公安委員長」を兼務させることを決めた。

 党政調関係者によると、シャドー・キャビネットの「組閣」の際、政権を奪い返せば閣僚へ起用される可能性があるとみて、中堅議員を中心に石破茂政調会長、林芳正政調会長代理らへ売り込みが殺到。「調整に追われるあまり、拉致問題担当相の人選をウッカリ忘れた」(政調関係者)というが、大失態といえそうだ。

 党本部で開かれた「初閣議」で「首相」となった谷垣氏は「政権側よりはるかに能力が上回っている自信がある」と強調した。
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 「ウッカリ忘れた」ってのも凄い話ですが、それに対して関係者が、それほどファビョっている様子が見えないのが若干気になります。。。
posted by s19171107 at 00:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

文化「小」革命

若干、古い記事ですが、、、
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20100907-OYT8T00652.htm
>>> 小学英語 教材存続へ
仕分けで「廃止」 現場が猛反発


 小学校英語の必修化が来年4月に迫る中、文部科学省は、昨年の事業仕分けで廃止とされた補助教材「英語ノート」について、今後も無償配布を続ける方針を決めた。

 多くの学校現場から廃止反対の声が上がったうえ、デジタル化しての配布を検討したものの新たに著作権費用が発生することや、自治体や学校で印刷すると現在の数倍の費用が全体でかかることが判明、方針を転換した。


 英語ノートはイラストを多く使い、あいさつや数の数え方などを遊びやクイズを通して学べる内容。2009年から5、6年の全児童向けに配布されている。小学校英語では教科書はなく、指導力の高い教員も少ないことから、現場では英語ノートが貴重な教材として授業で使われている。

 しかし、昨年秋に行われた政府の事業仕分けでは、仕分け人から「なぜ小学校で英語を教えなければならないのか」「デジタル化して学校ごとに印刷すればいい」との意見が出され、30分程度の議論で「廃止」とされた。文科省は、無償配布は11年度まで行うが、以降は教材をデジタル化しインターネット経由で提供する方法を検討するとした。

 この方針に学校側は強く反発。「廃止反対」のメールや電話は、意見募集した昨年末までだけで2000件を超え、同省が全国100か所以上の教育委員会や学校に出向いて行った聞き取りでも、存続を希望する声が根強かった。

 その上、国が印刷を一括発注する現在の方法なら必要な260万冊分のコストが1冊あたり40円なのに対し、教育委員会や学校が提供されたデジタル教材を児童用に印刷すると全体の費用は3〜4倍に膨らみそうなことが同省内の試算で分かった。

 デジタル化してのネット送信も、イラストや写真の著作権使用料がかかることになり、「結局、経費節減にならない」(文科省幹部)という状況になった。このため同省は英語ノートを存続させる方針に転換、ネット利用は内容の一部にとどめることにし、関連予算を来年度予算の概算要求に盛り込んだ。

 小学校英語は、20年以上に及ぶ議論の末、必修化が決まったが、国の現場への支援策は英語ノートや、外国語指導助手(ALT)の研修費用などにとどまる。

 小学校で教科にするべきか、始める学年はどうするかなどを検討するための調査費も昨年の事業仕分けで廃止され、来年度予算の概算要求には盛り込まれていない。

 小学校英語 2011年度から小学校で必修となる「外国語活動」の一環。5、6年生が対象で、それぞれ年35時限の必修だが教科ではない。言葉や文化に触れ、会話力の素地を養うのが目的で、ほとんどの学校で先行実施している。

(2010年9月7日 読売新聞)
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 「事業仕分け」すなわち、中央の一方的決定が現場の現実を反映していなかったとして、本件を「中央集権体制の限界」として断ずるのは、一面においては正しい見解だと思います。しかし、「それだけ」なのでしょうか。かかる文革的吊るし上げ手法は、それでは、ミクロレベルであるならば有効なのでしょうか。「文化『大』革命」ではダメだが「文化『小』革命」なら良いのでしょうか。

 当ブログを以前からご覧になっている方におかれましては、私が導き出したい結論は既に見えているかとは思いますが、しばらくそのテーマをダラダラと取り上げて行こうと思います。どうせそのうち「地方分権」が騒がれるでしょうから。今日は欠く気力がないからもうやめるけど!
posted by s19171107 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

相手によって?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100917-00000081-jij-soci
>>> 暴行受け、中3女子が自殺=19歳2人を準強姦容疑で逮捕―沖縄県警
時事通信 9月17日(金)14時38分配信

 酒に酔った中学3年の女子生徒に集団で乱暴したとして、沖縄県警豊見城署は17日までに、集団準強姦(ごうかん)容疑で那覇市と豊見城市に住むいずれも無職で19歳の少年2人を逮捕した。同署によると、1人は容疑を認め、1人は「合意の上の行為だった」と否認している。
 女子生徒は事件後に自殺。関係者によると、姉らに事件について相談していたという。
 2人の逮捕容疑は7月11日午前7時半〜10時15分ごろ、豊見城市の野球場近くの公衆トイレで、泥酔し抵抗できない状態の女子生徒(14)に乱暴した疑い。
 同署によると、2人と生徒は初対面で、この日午前5時ごろから、別の10代の男女7人と現場近くで泡盛などを飲酒。同署は、現場にいたほかの男5人が暴行に関与していなかったか慎重に調べている。
 同署によると、同日午前10時ごろ、近隣住民から豊見城署に「若者が集団飲酒している」と通報があった。約30分後に同署員らが駆け付け、現場にいた生徒と男1人を保護したが、外傷などがなかったため、事件に気付かなかったという。
 生徒が自殺した後の同月15日、姉から事件について聞いた母親が同署に通報、今月3日になって2人を逮捕した。 
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 で、久々だが例によってコメ欄。
>>> 2010年9月17日 14時41分 ind*****さん
私もそう思う42,088点 私はそう思わない487点

強姦し、女の子を自殺に追いやっても保護される少年法。おかしすぎる!!
かいせいするべきだ
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>>> 2010年9月17日 14時40分lov*****さん
私もそう思う30,705点 私はそう思わない357点

この男たちが殺したようなものだよ。殺人罪も適用してほしい。
それにしてもこんなひどいことをしているのに顔も名前も出ないなんて・・・。おかしすぎます。
<<<
 以前、(同じ)沖縄で、米海兵隊員が(しらふの)女子中学生を強姦したという事件(参照)がありましたが、そのときは、今回と同じように「米兵ケシカラン」というコメントもあったものの、それに負けず劣らぬ勢いで「ホイホイついていった女子中学生の自己責任」ってのもあったと思ったんですが、、、

 もちろん、彼女は「泥酔し抵抗できない状態」だったわけですが、我らが自己責任論者氏にしてみれば、そこは、「『抵抗できない』ったって泥酔していて抵抗できなかったんだろ。泥酔するほど飲んだ自己責任」としてくださるはず。でも、そういう角度はこの記事のコメ欄には見られないですね。以下の、本件についての第二報記事のコメ欄にはありますが、しかし、反対投票も少なくありません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100919-00000014-jij-soci
>>> 17歳少年を逮捕=中3女子集団暴行―沖縄県警
時事通信 9月19日(日)10時46分配信

 沖縄県豊見城市で中学3年の女子生徒(14)が少年に集団で乱暴され自殺した事件で、県警豊見城署は19日、集団準強姦(ごうかん)容疑で、新たに無職の少年(17)=那覇市=を逮捕した。同署によると、容疑を認めている。
 同署は女子生徒への暴行に加わった少年がほかにいないか、慎重に調べている。
 逮捕容疑は、7月11日午前7時半〜10時15分ごろ、いずれも無職の19歳の少年2人=同容疑で逮捕=と、豊見城市の野球場近くの公衆トイレで、泥酔して抵抗できない状態の女子生徒に乱暴した疑い。 
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>>> 2010年9月19日 10時47分 per*****さん
私もそう思う6,982点 私はそう思わない2,987点

飲酒してる女子生徒も悪い
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 こうして、類似事件とそれに対する「世論」を比較してみると、なにやら色々と透けて見えてくるような気がします。
posted by s19171107 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

「庶民感覚」

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100917k0000e040017000c.html
>>> 橋下知事:弁護士業務停止に 光母子殺害事件のTV発言で

 弁護士の橋下徹大阪府知事が、山口県光市の母子殺害事件の被告弁護団を批判し、テレビ番組で懲戒請求を呼び掛けた問題で、所属先の大阪弁護士会(金子武嗣会長)は17日、「品位を害する行為に該当する」として、橋下氏を業務停止2カ月の懲戒処分にしたと発表した。処分は同日付。不服がある場合は日本弁護士連合会に審査請求できるが、橋下氏は同日、請求しない意向を示した。

 会見した金子会長は処分理由について「刑事弁護に対する誤った認識、不信感、不名誉感を与えたうえ、多人数の懲戒申し立てがあれば懲戒請求が認められるかのような誤った認識を与えた」と説明した。

 橋下氏は知事就任前の07年5月、民放テレビ番組で弁護団を批判。「許せないって思うんだったら、弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」などと発言。同弁護士会によると、弁護団に対し7900件を超える懲戒請求が弁護士会に届いた。この発言について07年12月、市民ら約300人が橋下氏の処分を求めて懲戒請求した。

 同弁護士会の綱紀委員会が昨年11月、「弁護士に深刻な精神的被害を負わせ、弁護士会を事務処理に忙殺させる極めて重大な結果をもたらした」と判断。懲戒委員会に審査を求める議決を出し、懲戒委が審査していた。

 橋下氏が代表を務める弁護士法人「橋下綜合法律事務所」によると、橋下氏は知事就任後は弁護士業務をしておらず、顧問契約も橋下氏名義から弁護士法人名義に変更。事務所に来るのは月に数回程度で、業務停止の影響は事実上、ないとみられる。

 一方、橋下氏は同日午前、大阪府庁で記者団に「僕の品位と(大阪)弁護士会の品位はまったく違う。(処分の基準は)大いに疑問だ。僕は一般府民が感じる品位で動いていく。北新地に行けば、品位のない弁護士は山ほどいる」と不満をまくしたてた。【苅田伸宏、田辺一城】
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 まあ予想通りの懲戒処分、予想通りの信者の反応(mixi日記にて)、そして予想通りの本人の反応です。予想通り過ぎて特にコメントすることもないのですが、あえて本人の反応について少し取り上げておこうと思います。

僕の品位と(大阪)弁護士会の品位はまったく違う。(処分の基準は)大いに疑問だ。僕は一般府民が感じる品位で動いていく。北新地に行けば、品位のない弁護士は山ほどいる」だそうです。要するに、「僕の品位=一般府民が感じる品位と弁護士会の品位はまったく違う」と「ほかにもっと品位のない奴らがいる!」との2つが、彼の言い分の主たるところでしょう。

後者については、もはや小学生の言い訳レベルで、いい年した大人がこんなこと言っているのは、こっちが恥ずかしくなってくるのでスルーするとして、前者の、特に「僕の品位=一般府民が感じる品位」という設定について。

「僕の品位=一般府民が感じる品位」というのは、彼のお得意のセリフです。彼は、庶民派を自称することによって支持を広げています。しかし、本当に彼の感覚は庶民的なのでしょうか。庶民の中に分け入って、庶民の言い分を汲み取っての感覚なのでしょうか。それとも、「僕の品位=一般府民が感じる品位」と単に思い込んでいるだけで実は自分の思いつきで行動しているだけなのでしょうか。この分析は、橋下氏のみならず、ネット上にも数多存在する自称「庶民派」の分析にも応用できるものと思います。

さて、その分析の道具として、私は以下の記事を取り上げたいと思います。
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100716041.html
>>> 橋下知事 全国知事会を酷評「生ぬるい」

 大阪府の橋下徹知事は16日、消費税引き上げなどを国に求める緊急声明をまとめて閉幕した全国知事会について「自分で金を稼がないといけないという根幹を抜きに分権と言っている。仕送りをもらう大学生が親に自由にさせてくれって言っている生ぬるい感じ」と酷評した。

 橋下氏は全国知事会議で、国に一方的に増税を求めるのは無責任で地方も地方税引き上げなどを検討すべきだとする持論を展開したが、十分な賛同は得られなかった。この結果に「国がリスクを取って消費税を上げても、地方にはびた一文回ってこないし回す必要もない」と述べた。

 会議のあり方自体についても「知識をひけらかす発表会。民間のトップレベルの会議とはほど遠い」と苦言を呈した。

[ 2010年07月16日 13:44 ]
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 だいぶ古い記事ですが、7月の全国知事会についてです。橋下氏によると「国に一方的に増税を求めるのは無責任で地方も地方税引き上げなどを検討すべき」であり、そこに切り込まない知事会は「自分で金を稼がないといけないという根幹を抜きに分権と言っている。仕送りをもらう大学生が親に自由にさせてくれって言っている生ぬるい感じ」だそうです。そしてお決まりのシメ「民間のトップレベルの会議とはほど遠い」。もうおなかいっぱいです。

 恐れ多くも一言申し上げるのならば、納税者たる庶民にしてみれば、納税先が何処だろうと大した違いは無いのですが。どうせ出所は私たちの財布なのだがら、「何処に納めるか」だなんて縦割り行政の縄張り争いみたいなことは如何でもいいというのが、それこそ「庶民の感覚」ではないのかと。

 もちろん、「自分で金を稼がないといけないという根幹を抜きに分権と言っている。仕送りをもらう大学生が親に自由にさせてくれって言っている生ぬるい感じ」というのはある意味において「庶民的な感覚」といえなくもありません。しかし、「どうせ出所は我々の財布なのだから、その納税先が国か地方かだなんてそれほど問題ではない」のほうがより「庶民的な感覚」ではないのか。より「庶民的な感覚」をスルーして、「庶民的な感覚」でないことはないが本質ではない方に走る。橋下氏の「庶民感覚」がどのように形成されているのか、本当に庶民の中に入り込むことによって形成されたモノなのか、というのの一端が見えてくるように思います。

 そして、このような現実を見ると、橋下氏に限らず、自称「庶民」の「庶民感覚」というものが、本当に多数派と一致しているのかというのは、疑問符がついてしかるべきでしょう。その「庶民感覚」は本当に「庶民感覚」なのか。「庶民感覚」というのは「常識」とか「普通の感覚」と言い換えられることが多いですが、「自分は普通」というのは、実は自分が勝手に思い込んでいるだけで、本当はむしろ「異常者」かもしれない。特に日本人は他人と意見を戦わせることを好まず、雰囲気やなあなあ、事なかれ主義で済ませる民族なので、他者と意見を戦わせ、自論を洗練させる機会がそれほど多いとは思えません。果たして、他者と意見を戦わせずして「庶民の感覚」「常識」「普通の感覚」を打ち鍛えることはできるのか。その辺を考えると、ますます日本人の言う「庶民感覚」の胡散臭さが際立つように思います。
posted by s19171107 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

ごどく

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100817k0000e040016000c.html
>>> ひったくり:妻が被害、夫が逮捕 警官夫婦好プレー 福岡
 福岡県警博多署は17日、女性警察官(29)のショルダーバッグをひったくろうとしたとして住所不定、無職、伊藤修容疑者(31)を窃盗未遂容疑で現行犯逮捕したと発表した。女性の近くにいた警察官の夫(33)が、女性に大声を上げられて逃げ出した伊藤容疑者を取り押さえた。

(中略)

 伊藤容疑者は「女性とぶつかっただけで、ひったくりはしていない」と容疑を否認しているという。

毎日新聞 2010年8月17日 10時41分(最終更新 8月17日 11時49分)
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 毎日新聞はmixiにも記事を提供しているんですが、mixiニュース一覧では、紙幅の制限から、本記事は、記事一覧などでは「妻がひったくり被害 夫が逮捕」と短縮して表示されています。で、この短縮表示を見た少なくないユーザーには、「妻がひったくり被害にあって、犯人を捕まえてみたら夫だった」というふうに誤読した人が少なくないようで。。。

 まあ確かに「夫が逮捕」を「夫が逮捕された」と読む、つまり、「された」が省略されていると読めば、その読みも可能ですが、紙幅が限られているがゆえの短縮表示という事情、そして誤読防止の必要性を考慮すれば、本当に「捕まえてみたら夫だった」といいたいのであれば、「夫が逮捕した」のか「夫が逮捕された」のか曖昧になる「逮捕」ではなく、「夫逮捕」にするでしょうよ。一応、新聞記者って言葉の商売ですから、その辺の措置はとると思うんですけどね。まあ、採らない記者もいますけどw

 誤読、怖いですよね。特に刑事事件報道で誤読とかされると、ただでさえ「世論」は感情的になりやすいのに、それに輪をかけることになる。お怒りになるのはこの際、いいんですが、まともな日本語認識能力が求められます。まあ、私もあまり人のこといえないのでありますが。もっと辞書ひこう。。。
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2010年08月17日

本当に「意識的に」なのか

http://www.cinematoday.jp/page/N0026265
>>> 向井理、靖国参拝 今の自分は「ちゃんと生きて、生活できているから幸せ」
2010年8月16日 13時37分

 14日にTBS系列で放送された終戦ドラマスペシャル「歸國(きこく)」に出演した俳優・向井理が、本ドラマ撮影前に靖国神社を参拝したことを15日付けのブログで明かした。向井は、「幸せ」と題し、戦争について「一年に一回でも深く考えてみても良いんじゃないでしょうかね」と終戦記念日となる8月15日に自身の思いを明かしている。

 向井は、「決して終戦『記念日』ではありません。戦争に関わった人全てに於いて、まだ戦争は終わっていないからです」と率直に語り、同ドラマ撮影前に靖国神社を参拝したことを告白。

(後略) <<<
 >同ドラマ撮影前に靖国神社を参拝したことを告白。
 「立派な志ですねえ」と言っておきますが、靖国しか行っていないんだろうなあ。いや、知らんけど。でも、ネット媒体が、たかだか数文字をケチる必要もないしなあ。

 まあ、たとえ本当に、靖国しか行っていなかったとしても(以下、その前提で話を進めちゃうよ!)、死者の霊魂が何処にいるかというのは生きている人間には分からず、よって、どこに参拝するのかは生きている個々人の考え方次第であり、その点、「戦死したらみんな靖国に行く」と本気で信じており、ゆえに、意識的に靖国しか参拝しなかったとすれば、まあそれはそれで結構ですけど、果たして本当に「意識的に」なのか。毎年8月15日の靖国参拝者と千鳥ヶ淵参拝者の数の顕著な違いを観察・記録している私としては、ちょっと気になるところです。千鳥ヶ淵のなんたるかを知らない可能性もあります。
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2010年08月14日

「準備不足」

 気がついたら8月になっていました。。。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100731ddm008020019000c.html
>>> ゆうパック遅配:経営陣、見通し甘く 日本郵便、総務省に原因報告
 <分析>

 ◇社長ら報酬10%返納
 宅配便「ゆうパック」の大量遅配問題で、日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は30日、遅配の原因や対策をまとめた報告書を総務省に提出した。日本通運の「ペリカン便」との統合で荷物が倍増する一方で、経営陣の見通しの甘さから、従業員の訓練など統合準備が不十分だったと認めた。これを受け鍋倉真一社長ら日本郵便の役員6人と、斎藤次郎・日本郵政社長が報酬10%を3〜1カ月返納する。総務省は報告を精査して、業務改善命令などの行政処分を検討し、8月にも決定する方針だ。【望月麻紀】

 報告書によると、統合当日の7月1日夜、一部の集配拠点であて先別に荷物を仕分ける区分機の使用方法の誤りなどで機械が停止、荷物の処理に遅れが発生した。荷物が作業場をふさぎ手作業に切り替えるスペースも確保できず、さらに処理が停滞した。輸送トラックの遅延を招き、影響が全国に拡大したため業務がほぼ正常化した7日までに34万個を超える遅配が起きた。

 最初に混乱が起きた集配拠点は、ペリカン便を運営していた日本通運の拠点が多く、いずれも6月30日までペリカン便の業務に使用しており、従業員が区分機の訓練をする機会が不足していた。ペリカン便とゆうパックでは、集配拠点で使う区分機や作業手順が異なることは日本郵便も認識していたが、「(ペリカン便の)人や施設も合わせて引き継ぐため、特に大きな問題は発生しない」と判断したという。

 今回の統合は、通常期に比べ冷凍・冷蔵の荷物が1・5倍に増える中元期だった。増える荷物に対応するため、東京都内の集配拠点の近くに冷凍保管庫を借りたものの、狭くて荷物があふれるというミスもあった。

 報告書は経営陣の統合計画の見通しの甘さを浮き彫りにすると同時に、「区分機の使用方法や手順の確認などが現場任せで、要員確保などは外見的な確認にとどまり、集配拠点が現実に機能するかといった実態的なチェックは行えていなかった」とも認めた。

 さらに、顧客への公表遅れなど経営姿勢を問われる問題も発生。「本社・支社に認識の甘さがあった」と経営責任を認めた。旧郵政省出身の鍋倉社長ら官僚OBが名を連ねる経営陣に改めて批判の目が向けられそうだ。

 中元期の7月1日に統合したことについては、ゆうパックとペリカン便事業は、収益計画が不十分などとして統合が1年延期され、赤字が50億〜60億円発生しており、これを食い止めるため、最も早く統合準備が整う時期だったことを説明。さらに、荷物の取り扱い個数は、昨年末の歳暮期のゆうパックだけの実績よりも、統合後の中元期の総数の方が少ないことから、統合は「差し支えないと判断した」としたが、結果的にその判断が甘く、大量遅配につながった。

(中略)
 ◇ゆうパック遅配に関する日本郵便の報告書骨子
 ◆遅配の主な原因

・ペリカン便との統合で従業員と施設も継承するため「特に大きな問題は発生しない」と考えた本社などの認識が甘かった

・日本通運から引き継いだ、あて先別に仕分ける機器の使用の訓練が不足していた

・トラブル時の手作業を想定した人やスペースが足りなかった

・中元期に増える冷凍荷物のために借りた保管庫が狭かった

・混乱の中で各支店の状況が正確に本社に伝わらず、対応に遅れが生じた

 ◆主な対策

・要員配置の見直し

・集配拠点の管理者育成

・繁忙期の期間雇用社員を対象に区分機の訓練を実施

・集配拠点を模様替えして作業スペースを確保

・業務運行把握のための支店機能強化

毎日新聞 2010年7月31日 東京朝刊
<<<
 現場の準備不足と、それに対する本社などの認識の甘さが、今回の大遅配に繋がったとのことで、対策として、現場スタッフの訓練の強化と業務運行把握のための支店機能強化を掲げています。はあ。

 「準備不足」と言ってしまえば、あらゆる不都合は、見た目上は解決します。なぜならば、「準備不足」というのは、「現在の情勢は、何らかの問題のせいで悪いだけで、我々の『路線』は間違っておらず、『未来』は間違っていないはずである」ということ、つまり、「現在、発生している何らかのノイズのせい」ということで片付けられるからです。

 しかし、そもそも、かかる統合そのものが無茶だったのではないか。今更こんなこと言っても仕方ないですが、ゆうパックを統合するとかしないとか揉めていたとき、だいぶ無理矢理に結論が出たような記憶があります。つまり、そもそも「路線」に誤りがある(あった)のではないか、「現在、発生している何らかのノイズのせい」ではないのではないか、という根本的な疑念が生じます。しかし、そこに対する言及は見られません。「路線」は正しく、「未来」は間違っていないはずだというのが、変わらぬ見解であるようです。

 この辺の、ある種「かたくなさ」は、本当に「『路線』は正しく、『未来』は間違っていないはず」である証拠なのかもしれませんが、あるいは、今更、「路線」の誤りを認められない証拠であるとも考えられます。であるとすれば、「準備不足」にこだわるのも、分からなくもありません。決して完了することのない「準備」ですけど。

 「準備不足」は、総路線に対する批判を、今の自分の至らなさに転嫁する、ある種の責任転嫁にも使える便利な単語ですよ、ということで。特に日本人は、ある問題を「他人のせい」にすると、それが本当に「他人のせい」であると言わざるを得ない事柄でも、当人に激しい批判が来る一方で、「自分のせい」にしておけば、それが本当に「自分のせい」か否かにかかわらず、なんだか話が済んでしまいますからね。
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2010年07月24日

機械的単純勧善懲悪と宗教的発想

http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010071701000437.html
>>> 解雇の副操縦士を3カ月で再雇用 スカイマーク、地上職で

 巡航中の操縦室内で記念撮影をしていたとして、今年3月にスカイマークを諭旨解雇された30代の元副操縦士が、約3カ月後に同社に地上職員として再雇用されていたことが17日、分かった。

 同社は「本人から希望があり、採用試験をした上で雇った。今のところ操縦士にする予定はない」と説明。企業倫理に詳しい高巌麗沢大教授は「最初の処分が厳しかったかもしれないが、厳重に処分をしたとの姿勢を社会に示す意図があったなら、処分は演出で、社会をあざむいたと受け止められても仕方がない」と指摘している。

 元副操縦士は、昨年4月から今年2月にかけて、副操縦士として搭乗していた便の操縦室内で、機長や客室乗務員をデジタルカメラで撮影。同社は「航空法が定める操縦者の周囲の空域の見張り義務違反に当たる」として、3月9日に諭旨解雇処分とした。
<<<
 この記事は何がご不満なんでしょうかね? 「約3カ月後」というところ? それなら、何ヶ月くらい緩衝期間があれば良いのでしょうか? 別に時間を置けば良いってもんでもありませんしねえ。それとも、「再雇用」の部分? でも、「副操縦士」として再雇用したならまだしも、「地上職員」として再雇用したのだから、それほど目くじらを立てるもんでもない気がしますし、再発さえしなければ、「副操縦士」として再雇用するもの良いと私は思いますよ。

 本件について意見を綴っている各方面をフラフラしていると、どうも、この元副操縦士氏が「見張り義務違反で論旨解雇」という「前科」を持っている人物であるという部分がご不満なようです。「前科者」云々というのは、この手の話題でよく俎上に載せられます。その点において、本件(に対する反応)は、「典型的」な事例であると言えるでしょう。

 私としましては、「前科者」問題については、以前から刑事事件関係の記事において繰り返し書いてきていますが、誰しも最初は「初犯者」なのだから、「前科者」への対策、特に「前科者排除」ばかりに心血注ぐのではなく、「初犯者」を含めた全ての「犯罪」の予防をしたほうが良いと思います。「前科者の口だけの反省は信用ならない」というのならば、「潜在的犯罪者かもしれない無犯歴者の口だけの順法誓約は信用ならない」とも言い得ます。最終的な目的は、「実際に問題が起きない」、逆に言えば、「問題が起きなければ何でも良い」という根本に立ち返らなければなりません。

 このように「初犯者」を含めた全ての「犯罪」の予防に重点を置くことは、より幅広い「予防」に資するし、また、ことさらに「前科者排除」をせずとも目標は達成されるし、更に、本当に改悛した「前科者」にもう一度機会を与えることにも繋がると思うのであります。

 私なんかは、こうやって、問題行動起こした人物をとりあえず解雇し、その後、別部門で試用的に再雇用し、そこでの働きぶりから改悛の有無を判断し、最終的には再チャンスを与えるか否かを判断するというのは、これはこれで一つの「けじめ」のつけ方だと思います。もちろん、現実には「身内の甘さ」とかそういうのもノイズとしてあり得る話ですが、あくまでそれはノイズであり、基本的な枠組みとしては正しいものと考えます。

 まあ、機械的単純勧善懲悪が趣味の方々には受け入れられないとは思いますがね。しかし、ここは異端者が思いをつらつらと綴る日記ですので、余り気にしない。

 ところで、機械的単純勧善懲悪が趣味の方々って、どうしてここまで機械的で単純なんでしょうか? 勧善懲悪にしたって、もう少し深みというか、熟慮があってもいいと思うんですけどね。

 最近、この手の方々の思考回路には「改悛」という概念がスッポリと抜け落ちている(まあ、これだけ再犯が騒がれているご時勢、分からないでもないけど)のと共に、「悪いやつは生まれつき悪いやつで、良いやつは生まれつき良いやつ」といった(いよいよ根拠のない)前提があるように感じます(無犯歴者だからって潜在的犯罪者じゃないとは限らないのに、こうやって「世論」を見ていると、なんか心配になるくらい無防備ですよね)。でもそれってなんか宗教的ですよね。「穢れた魂」とか「前世からの因縁」とか、そういうのの成れの果てみたいな感じがしないでもありません。一つの可能性として、今後の研究方針としてメモしときます。
posted by s19171107 at 18:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

これニュースになるんだね

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100716-00000518-san-soci
>>> 「水俣病触るな!」中学生がサッカーの試合で暴言 熊本
7月16日9時42分配信 産経新聞

 熊本県芦北町で6月上旬に行われた同県の中学校サッカー部同士の練習試合で、県内の市立中学校の男子選手が水俣市の中学校の選手に再三にわたって「水俣病、触るな」などと暴言を吐いていたことがわかった。

 同市教委によると、試合中、ボールの奪い合いや接触プレーが起きたさい、相手チームの選手1人が水俣市の複数の選手に対して差別発言を繰り返した。水俣市の選手はこれを聞き「謝れ!」なとと抗議する一幕もあったが、「その場で謝罪があったかどうかは確認できなかった」(市教委)という。

 試合後、水俣市側の顧問教諭が相手校の差別的な言動に気付き、相手校の顧問に確認。この顧問が発言した選手に確認し、保護者らとともに謝罪したという。翌日には校長が同市教委を訪れ、「申し訳なかった。水俣病に関する正しい理解が教育の場でできていなかったのかもしれない」と陳謝。同市の職員らを招き、保護者集会や教員研修で、水俣病に対する正しい知識や理解を学習したという。水俣市の葦浦博行教育長は「差別発言があったのは大変残念。水俣病が正しく理解されるように県全体で取り組んでほしい」と話している。

最終更新:7月16日13時16分
<<<
 こんなようなことってザラにあると思うんですけどねえ。子どもなんて、相手を攻撃できる口実――たとえば、「チビ」や「デブ」といった「自分たちとの差異」――があれば、何だってネタにするもんですからねえ。この暴言を吐いた男子選手だって、どうせそんなレベルでしょう。口にした単語は違えども、発想においては教科書通りの暴言プロセスです。水俣市教育長は「水俣病が正しく理解されるように」などと言っていますが、水俣病への理解不足云々のレベルではないでしょう。

 差別かどうかという点については、差別を「不当な区別」とするのであれば、本件を「差別事案」とするのは、間違ってはいないとは思うのでありますが、「チビ」や「デブ」は問題にならないのに「水俣病」は問題になってしまう点には注目したいですね。「チビ」「デブ」だって、それを理由にむやみに云々すれば十分、暴言であり差別であると思うんですが、毎日、日本のどこかの学校で言われているはずなのに、その割には大きな問題としては認識されないですよね。

 まあ今に始まった話じゃないですけど、差別問題を「面倒な話」と感じる人は少なくないので、なるべく触れたがらず、当事者からの告発が来てしまったときには「理解不足でした」とか「私が悪うございました」などと、ホイホイと定型句の即レスして済ませようとする人が少なくないです。特に日本人は、弁解なし平謝り(の姿勢を見せること)を是とする人たちであることは、当ブログでも散々、指摘してきたとおりですし。しかし、その結果がこれです。同じようなことが繰り返されているのです。
posted by s19171107 at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

こんなことだろうと思った

朝日新聞(東京)7月14日づけ投書
>>> 改革期待 みんなの党に1票
自営業
【男性名;当方判断で削除します】(岐阜県中津川市 67)

 参院選は予想通り、みんなの党が10議席を獲得、民主党に対する批判票を吸収する形で躍進を果たした。

(中略)
 私は元来、自民党支持者である。
 昨年の政権交代には少なからず民主党に期待をかけていたが、ここまで裏切られるとは予想しなかった。今回の参議院選で、みんなの党がこれほど注目されたのは、今の日本には改革が必要と願った国民が多くいることを証明したといっていい。

(中略)
 渡辺代表の「やるべきこと」の実行に期待したい。 <<<
 ここまで分かりやすく自分の投票行動の軌跡を語ってくれるってのも、なかなか無いことです。つまり、「改革ができそうな党」という基準の下に、投票先をコロコロ変えてきたと言えると思います。

 「昨年の政権交代には少なからず民主党に期待をかけていたが、ここまで裏切られるとは」という声はよく聞きます。しかし、そもそも件の「改革」とはそんなに簡単にできるものなのでしょうか? それ以前に、「改革」は可能なのでしょうか? その「改革」は国民の利益になるのでしょうか?

 政治は、(決して無視できない)一面においては利害調整なのですから、そんなに簡単に物事を推進できるはずがありません。まして9ヶ月やそこらでは。もちろん、今回の参院選の結果は、先の総選挙で安易に、できもしない「バラ色の政権交代」を演出してしまった民主党の自業自得という側面もあるでしょう。しかし、有権者側もその辺を差し引いて判断すべきだったのではないか。無茶な願望をかけて、当然の如く実現しなかったから「裏切られた!」と叫ぶのは、色々飛び越して笑えてきます。もし、9ヶ月程度でどうにかなる程度の問題に対して今日まで何年間も何も対策を講じられなかったと本気で言っているとしたら、日本人は相当、アレですよ。

 今回の参院選で、みんなの党が掲げた政策は、「民主党のように口先だけで唱えるのではなく、政権内にいた経験と人脈を活かし、それを実現するための具体策と覚悟を持っている。」と語っているように、小泉自民党のやり方(首相を筆頭とした与党政治家がテレビメディアに積極的に出演し自論を展開することによって公務員を攻撃する)をパクり、より文革的要素を強めた民主党のやり方(テレビカメラが回っている所で、目の前に公務員を引っ張り出して攻撃する)のパクリにすぎません。結局は、小泉カイカク・カクメイ路線でしかありません。そして、自民党も民主党も、カイカク・カクメイ路線を完遂することはできませんでした(一応、現在進行形だから断定調で言うのもアレですが)。

 既に2党が「改革」を完遂できなかったという事実を前にして、そろそろ「そもそも改革は可能なのか?」という原点に帰る反省があってもよいのではないのでしょうか? もちろん、「3度目の正直」を期待したい気持ち、「とにかく変えてもらわなきゃ困る!」という切迫した願いも分かりますが、しかし、「2度あることは3度ある」とも言います。

 たとえ、「改革」が、実は、みんなの党の手によってならば出来たとしても、「その改革が国民の利益になるか」という問題もあります。同党は「現下の緊急課題として、デフレからの脱却を最優先に進め、我が国経済の建て直し、すなわち、景気を回復させ雇用・失業対策に万全を期していく。」と語っていますが、「デフレ脱却→景気回復→雇用・失業対策」という順序を掲げているところに注目すべきです。景気が回復しないことには如何にもならないという命題は、現状においては、恐らく真でありましょうが、しかし、「景気回復」したからと言って「雇用・失業対策」が如何にかなるとは限らないことを、私たちは肌身で知っています。その辺に対する言及が無く、むしろ「民主党政権の「派遣禁止法案」は、かえって働き方の自由を損ない、雇用を奪うものであり反対」などと、どっかで聞いたことのあるような主張を耳にすると、雲行きが怪しい予感がしてなりません。

 だからと言って左翼みたいに「雇用・失業対策→景気回復」と言うつもりもありません。「どちらが先か」という問題ではなく、実現困難であることは重々承知ですが、しかし、「どちらも同時に」としか言いようのない問題ではないのでしょうか?

 「そもそも」論と、「たしかにそうだけど、それだと〜とは限らなくない?」という場合分け。単純ではありますが、要するに一息おくことも必要だと思います。こんなこと、こんな暇つぶし日記で言われているようじゃお終いですよ、皆さん。
posted by s19171107 at 22:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月15日

「違法だから」

 昨今、新聞紙面等を騒がしている角界の野球賭博問題に関して、Yahooニュースで「賭博」と入れて出てきた幾つかの記事とそのコメント欄を2〜3分程度で読んだ限りにおいて、例によってコメ欄の動向について。

 コメ欄に常駐している方々は、たとえば人命に関わる刑事事件において、自分の感覚(感情)にそぐわない処分がくだされたりすると、「庶民感覚」なるものを、法律よりも優越する概念として持ち出します。つまり、彼らにとっては「自己の感覚・感情>法律」です。しかし今回の一連の問題においては、「違法だから」という理由を以って、関係者への厳しい処分を求める声が少なくありません。

 この現象は2つの点において興味深いです。すなわち、ひとつに、彼らの法律観が透けて見えているところ、そしてもうひとつに、彼らの賭博観についてです。

 法律観について。先にも書いた通り、コメ欄の中の人たちは「自己の感覚・感情>法律」です。なのに今回は、「違法だから」と口にしています。この矛盾している行動の違いからは、彼らの、自説に都合の良いものならば何にでも、たとえ普段は省みもしないものであっても、飛びつくという性質が良く現れていると思われます。

 賭博観について。確かに賭博にはしばしば893の影がちらついているので、反社会的かといえば反社会的である可能性は決して低くないのですが、しかし必ず893が絡んでいるかといえば、そういうわけではなく、ただ単に、仲間内で金銭を賭けていただけかもしれません。賭博罪には、賭博行為を違法とすることによって保護される法益があると説明されていますが、一見する限りでは、殺人罪のように万人が認めるほどの保護法益ではないようにも思います(「違法だからやんないけど、別に良くね?」という人は少なくないと思います)。しかし、コメ欄は非難一色。実はコメ欄の中の人たちが法律をものすごく勉強している人たちだったというのならば話は別ですが、そんなわけないことはいつもの調子を見ていれば分かります。果たして彼らの、ここまでの強硬姿勢と何なのでしょうか? 今日の段階では私には分からないです。
posted by s19171107 at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月02日

「障害者の犯罪」と「世論」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100528-00000013-mai-soci
>>> <詐欺罪>無賃乗車の男性 障害考慮し逆転無罪…東京高裁
5月28日2時33分配信 毎日新聞

 タクシーに無賃乗車したとして、詐欺罪に問われた千葉県香取市の無職男性(52)に対し、東京高裁が1審の有罪判決を破棄し、無罪を言い渡していたことが分かった。金谷暁(かなやあきら)裁判長は「1審は精神障害を考慮せずに詐欺の故意を認めた点で誤りがある」と指摘した。検察側は控訴期限の26日までに上告せず、男性の無罪が確定した。

(以下略) <<<
 リアルでタブー視されていることがネット上では大々的に取り上げられるということは往々にしてあります。障害者に関する話題もその一つです。「障害者の犯罪」ともなると、責任能力の問題から、リアルで話題にすることは一層のタブーとなり、その反動からか、ネット上での言説はますます過激で攻撃的なものになります。

 本件は、そんな「障害者の犯罪」であり、そのネット世論については、「普段、口にすること自体が抑圧されているが故の反動」という要素を考慮に入れ、ある程度、その表現の毒々しさを差し引かなければならないと思いますが、しかし、それを差し引いてもなお、指摘しなくてはならないことがあると思います。

 すなわち、少なくない「世論」曰く、「障害があるからといって許されるのはケシカラン」と。おなじみの勧善懲悪です。確かにそういう角度から「障害者の犯罪」を見ることは、妥当かどうかは別にして、可能であります。しかし、別の角度から「障害者の犯罪」を見ることも可能なはずです。すなわち、「善悪の判断もつかないような障害者を、ちゃんと鎖に繋いでおかなかったのは誰だ!」という角度です。

 この角度は、触法障害者本人の行為責任は問わず、その監督者の監督責任を問うものです。まさか、この手の人たちが「障害者を鎖に繋げなんて人権侵害だ!」などと言い出すとは考えられないので、やはり妥当かどうかは別として、出てきてしかるべき角度だと思います。しかし、実際はそれほど多くは見られない。何故でしょうか?

 私としてはこれは、「怒り」を、問題の構造的な部分に注目せずに、分かりやすくて手身近な対象にぶつけているがゆえではないかと考えます。すなわち、犯罪において、分かりやすくて手身近で「怒り」の対象として妥当な存在は、「犯罪実行者本人」です。しかし、実際は「犯罪実行者本人」は、問題の構造の中では「発動機」(←決定的役割を果たす)ではなく「歯車」(←決定的な役割は担わず、他の要素の作用次第では現象化しないことがあり得る)でしかないということは往々にしてあります。彼は「発動機」なのか「歯車」なのかを見極めるには、問題の構造を見なければなりませんが、彼らはそれを見ようとしません。だから、彼らは短絡的に怒りをぶつけているのではないのでしょうか?

 ではなぜ、問題の構造を見ようとしないのでしょうか? 分かりやすくて手身近な対象に感情をぶつけたほうが手っ取り早いという単純明快な理由ももちろん考えられますが、そのほかの理由も考えられると思います。そのヒントは光市事件場外乱闘にあると思います。すなわち、光市事件では、被告側の主張に対しては、賛同するか否か以前に、その主張を聞こうとすること自体が悪とされていました。つまり、事件の背景・構造を知ろうとすること自体が「禁止」されていたのです。

 なぜ、事件の背景・構造を知ろうとすること自体が「禁止」されていたのか、いるのでしょうか? それは、事件の背景と構造を探り、そこに原因を求めることは、行為主体を免罪することであり、彼らの機械的単純勧善懲悪趣味に対立するからではないでしょうか? たとえばそれは、「派遣村」に代表される昨今の雇用問題をめぐる原因論争において、「自己責任」論者が、ほんのわずかにでも原因に「社会構造」を持ち出されると、徹底的な「自己責任論」の立場からの、しばしば根性論(=当人の根性が足りないのが悪い、当人が100%悪いのであり、同情や免罪は、してはならない)すらも含む「反論」を見せる(昨今の雇用問題の原因は「自己責任論」にも「社会構造責任論」にも一元的還元にはできず、複合的な現象だと思います)ことからもお分かりいただけるのではないでしょうか。

 もちろん本件のように、「障害」という背景・構造をもとに行為主体を「免罪」するという場合だってありえます。しかし、それは当然にあり得ることです。人間が自己の意識を常に、完全に統御統制できるというのは思い上がりです。

 このように考えると、結局、「障害者の犯罪」の「世論」において、「善悪の判断もつかないような障害者を、ちゃんと鎖に繋いでおかなかったのは誰だ!」ではなく、「障害があるからといって許されるのはケシカラン」がもっぱらである理由というのは、分かりやすくて手身近にいる対象に短絡的に怒りをぶつけているから、あるいは、問題の背景や構造に原因を求めることは行為主体を免罪することであり、機械的単純勧善懲悪趣味に対立するから、というのが考えられると思います。そして、この機械的単純勧善懲悪趣味の背後には、人間が自己の意識を常に、完全に統御統制できるという思い上がりが潜んでいると考えられます。
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2010年05月16日

おもいこみ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100514-00000065-mai-soci
>>> <中国毒ギョーザ>千葉の被害者が食べた2袋にも穴 科警研
5月14日19時24分配信 毎日新聞

 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件で、千葉県の被害者計7人が食べた中国・天洋食品製「CO・OP手作り餃子」2袋の包装袋に、ともに小さな穴が開いていたことが警察庁科学警察研究所の鑑定で分かった。同県警捜査1課が14日、明らかにした。

 これまで同県警の科学捜査研究所による鑑定では穴はないとされ、有機リン系殺虫剤・メタミドホスを注射器で混入させたとする中国側の捜査結果との矛盾が指摘されていた。今回の鑑定で矛盾は解消する一方、同県警の捜査の質が問われそうだ。

 穴の大きさは1〜2ミリで、2袋とも開封時に切り離した包装袋の切れ端で見つかった。県警は「当時は目視とルーペで調べ、発見できなかった。今回の鑑定は電子顕微鏡が用いられた」と釈明した。【中川聡子】
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 毎日新聞は本件について「同県警の捜査の質が問われそうだ」としています。まあそれもそうなんですが、私としてはより注目したい点として、事件当初において日本当局が「製造過程で混入で間違いない」としたのに対して中国当局が「外部からの注入の可能性」としたとき、メディアを含めて多くの日本人が、日本当局の見解を正しいと思い込んだ点です。つまり、「日本当局の見解は正しく、中国当局の見解は怪しい」という「前提」「思い込み」です。

 この「前提」「思い込み」はその後も基本的なところでは変わらず、たとえば先日の「容疑者逮捕」においても、通常、日本当局が被疑者を逮捕したときは当局発表を垂れ流すに終始する日本メディアが、今回ばかりは中国当局見解に対して噛み付いていました。もちろん「中国当局の見解を垂れ流せ」と言っているわけではありません。私が言いたいのは、中国当局の見解に噛み付くならば同様に普段から日本当局の見解にも噛み付いてしかるべきなのに、日本当局の見解については垂れ流しに終始する何故なのか。あるいは、「日本当局の見解は正しい」という「思い込み」なのではないか、であります。

 警察庁長官銃撃事件が公訴時効を迎えてしまったとき、たとえばNHKは『クローズアップ現代』で、諸悪の根源を「公安的捜査手法」に求め、足利事件なども類似ケースであると言えるのではないかとしました。その見解は正しいと思います。しかし、とんだブーメランになってしまったようです。

 いくら科学技術が発達して実証的な分析の精度が向上しても、それを分析する人間の側の「分析の精度」に問題があっては、科学技術的分析精度は意味を成しません。その点において日本人の「分析の精度」は未だお話にならない程度であるといわざるを得ません。

 ところで先日、一部の犯罪に対する公訴時効が廃止されましたが、一連の公訴時効廃止運動が一層の盛り上がりを見せたのは昨年春ごろだったかと思います。そのとき「公訴時効を廃止しても問題とならない理由」として、廃止推進派は(「遺族感情」を別にすれば)「DNA鑑定をはじめとする科学技術の発展」を主要な理由として持ち出しました。

 しかし既に述べたように、人間の側の「分析の精度」に問題があっては、科学技術的分析精度は意味を成しません。たとえば、足利事件はDNA鑑定の精度が予想以上に悪かったから起きた冤罪ではありません。当時からそんなに信頼の置けるシロモノではないことは分かっていたのに、「科学技術は絶対に正しいという『思い込み』」(+「自説に都合がよければヨタにでも飛びつく」習性)が、そのほかの状況証拠を見れば冤罪であることは明らかであったにもかかわらず、菅家氏を有罪に仕立て上げたのです。

 その点を考えると、今更言っても仕方ないような気もしますが、人間の側の「分析の精度」に問題がある今の日本が公訴時効を廃止することは、「科学技術」の暴走をもたらしかねず、危険なのではないかと思うのであります。本当に悪い人なら、他人が出したゴミ袋の中から「使用済みティッシュ」を取り出して事件現場においておくことくらい普通にすると思いますよ。どっかの誰かさんみたいに。

 果たして日本人は「思い込み」を乗り越えることはできるのでしょうか? 日本人は「中国」を半ば冤罪被害者にしたわけですが、これが本当の冤罪だったら、、、
posted by s19171107 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

政権交代によって「変わったこと」と「変わらなかったこと」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100317-00000101-jij-soci
>>>> 「非正規」男性、結婚に困難=子どもの有無も「正規」と開き−厚労省
3月17日16時27分配信 時事通信

 2008年までの6年間に結婚した独身男性の割合は、正規社員より非正規社員で低く、約1.8倍の差があることが17日、厚生労働省が公表した「21世紀成年者縦断調査」で分かった。
 子どもを持った割合も約2.6倍の開きがあり、雇用形態の違いが結婚や出産に与える影響の大きさが改めて浮き彫りとなった。
 同省は少子化対策の一環で、02年10月末時点で20〜34歳だった男女を追跡調査しており、今回が7回目。
 02年の調査時に独身だった男性約4000人のうち、6年間で結婚したのは正規社員が32.2%だったのに対し、非正規17.2%。子どもが生まれたのはそれぞれ12.8%、4.8%だった。
 結婚の割合は収入に比例して高まる傾向があり、年収400万円台の男性は26%だが、100万円未満では8.9%にとどまっている。
 また、子どもを持つ意欲と出生の関連では、夫婦ともに望んでいた家庭の68.3%で子どもが誕生。両者とも「欲しくない」としたケースでは5.5%だった。
 子どもが生まれた割合は、夫だけが望んだ場合は24.1%。妻だけだと11.6%で、夫の意向に左右される傾向が見られた。
<<<
 随分前から語られていた話だったと思うんですが、まあまさに「改めて浮き彫りとなった」んですね。

 この話題に対する「世論」は、かつては「非正規雇用を選んだお前が悪い」といったふうな、所謂「自己責任」論に基づく言説が多かったと記憶しています。特に自民党政権が有効な対策を打てず末期症状を見せるようになってからは「自己責任」論は一層、あらゆる場面において吹き荒れるようになったような覚えがあったりなかったり。

 自民党政権は崩壊し、かわって民主党政権が成立しました。最近余りニュースを細かく見ていないので、もしかしたら違うかも知れませんが、今回が、民主党政権成立以降初の非正規雇用男性労働者の結婚事情についての報道ではないでしょうか。

 そのような状況下における本記事に対する「世論」はどういうことになっているでしょうか? 以下、例によってコメ欄を見てまいります。
>>> 2010年3月17日 16時31分nas*****さん
私もそう思う12,921点 私はそう思わない617点

すごく当たり前の結果でしょう。
数字が逆だったら心配する必要あり。

要は非正規社員や派遣社員を容認した法規を見直す必要があるってことでしょう。
<<<
>>> 2010年3月17日 16時31分nij*****さん
私もそう思う11,157点 私はそう思わない586点

そりゃそうだろ。今更かよ。
役人どもはさっさと馬鹿な現政権に知恵を付けさせてまともな経済対策をさせろよ。
子ども手当てのようなバラマキとか正気とは思えん。
<<<
>>> 2010年3月17日 16時34分shi*****さん
私もそう思う11,070点 私はそう思わない968点

だからぁ、子供手当だとか高校無償化だとかお茶濁しの政策じゃなく、「経済対策」をやれよ!
景気が上向けば、正規社員の雇用も増えるし、少子化問題も解決するんだよ、ボケ!
お前等、本当に、この国を良くしようって気があんの?
まあ、やってる事みれば、とてもそーには思えないがな。
<<<
 現時点で賛同ポイント数が1万ポイント以上のもののみをご紹介しますが、「自己責任」の「じ」の字も無く、むしろかつてならば「甘え」だとか、ひどい場合だと「アカ」呼ばわりすらされる勢いだった「(政府の)経済対策」を求める声が上位を占めています。

 チュチェ98年10月13日づけ「政権交代の思わぬ変化」にて私は、かつてYahoo!ニュースコメ欄にお住まいの「自己責任」論者の皆様が唱えていた「雇用対策」と殆ど変わりない内容の政策案を民主党政権が提案したところ、なぜか彼らは反対に回ったことを書きましたが、今回の一件もまた、その再来なのかもしれません。

 その原因については、「勉強して認識を改めた」ということ(そうであるならば結構なことだと思います)でもない限り、前掲過去ログにおいても触れたように、とにかく民主党政権を批判したくて仕方ない人たちが、自分たちがかつて言ったことを思い出すこともせずに民主党政権を批判できるネタに飛びついたによって生じた事態、「批判のための批判」を最優先したがために起きた事態なのではないかと考えます。「自説に都合が良ければヨタにでも飛びつく」という以前より指摘してきた傾向の亜種だと思います。この点の真偽については、今後も継続して研究してまいります。

 まとめます。本記事のタイトルは『政権交代によって「変わったこと」と「変わらなかったこと」』ですが、そのうち「変わったこと」とは、政権交代によって「自己責任」論一辺倒からは変化が見られるようになった点、「変わらなかったこと」とは、その「変化」をもたらした要因は「相変わらずの習性」だったということです。
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2010年03月14日

捕鯨反対派の”論理”レベルに堕ちた捕鯨擁護派

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100311-00000100-jij-int
>>> 鯨肉を違法提供、高級すし店訴追=「コーヴ」スタッフが検察と連携−米加州
3月11日15時46分配信 時事通信

 【ロサンゼルス時事】米ロサンゼルスの連邦検察当局は10日、違法食材の鯨肉を客に提供したとしてロス近郊サンタモニカの高級すし店「ザ・ハンプ」の運営会社と調理人の日系人男性(45)を海洋哺乳(ほにゅう)類保護法違反容疑で訴追した。有罪の場合、調理人に禁固1年と罰金10万ドル(約900万円)、運営会社に同20万ドルがそれぞれ科される可能性がある。

 検察当局は5日に同店を捜索し、証拠書類などを押収。発表によると、絶滅危惧(きぐ)種に指定されているイワシクジラを昨年10月から提供していたという。米国ではクジラやイルカなどの海洋哺乳類の所持、売買が禁じられている。

 発覚の発端は和歌山県太地町のイルカ漁を批判し、先にアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲得した映画「ザ・コーヴ」の制作スタッフの調査。情報を基に客を装い食材を持ち帰るなどし、当局と連携して専門家のDNA鑑定を行い、クジラと裏付けられた。
<<<
 久々に捕鯨論争。

 以前にも書きましたが、捕鯨反対派は決して一枚岩の思想で動いているわけではありません。たとえば、観光産業への悪影響を懸念するがゆえに日本の南海調査捕鯨に反対する人もいれば、自己の信念に基づきあらゆる捕鯨活動に反対している人もいます。

 しかしながら、昨今の日本では、おなじみの「敵味方単純二分法」にもとづくキャラクター設定と、これまたおなじみの「インパクト偏重」思考ならびに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」思考があいまって、何かと話題になる「シー・シェパード」型の抗議論理が捕鯨反対派の総意であるかのように認識されています。

 このような認識に基づく日本国内の捕鯨擁護派曰く、「捕鯨・鯨肉食は日本の文化である!」「『捕鯨規制』は文化抑圧である!」「文化の多様性は保障されるべきだ!」「日本は自国の文化を防衛しなければならない!」と。これが何よりも先立って目立つと言ってよいと思います。

 確かに、捕鯨と鯨肉食は古くから日本に伝わっています。もっとも、日本の「伝統」的な捕鯨は「沿岸捕鯨」であり、現行の捕鯨、すなわち、南海に遠征してとっ捕まえてくるのとは違うような気もするんですが、まあ「伝統」なんて、その人が「これは伝統!」といえば伝統になってしまうというのは以前にも書いたとおりなので余り深く突っ込まないことにします。

 また、文化というものは、当地の人間の感覚に基づくところも大きく、「文化の多様性」は当然に保障されなくてはなりません。その点において、ある文化について部外者の感覚のみを以って断じようとすることは、感情屋的「オレ基準」とかなり通じるところがあると言わざるを得ず、かなり乱暴な、「文化抑圧」といわれても仕方ないレベルだと思います。よって私は、「シー・シェパード」型の論理を以ってあらゆる捕鯨活動に反対することを強制せんとする立場に対しては、批判的であります。

 しかし、「捕鯨・鯨肉食は日本の文化である!」というのならば、当然に「クジラを殺さない・食用としない文化」の理解もしなくてはなりません。日本が「捕鯨文化」を盾に全世界に乗り出すのならば、それは同時に非捕鯨国にとっては「文化抑圧」にほかなりません。

 本件は、「クジラを食用としないアメリカ文化」において、鯨肉を食用として供していた寿司店と調理師が、その文化を体現している「海洋哺乳類保護法」によって訴追されたという話、「クジラを食用としないアメリカ文化」が「『鯨肉食』という文化抑圧」に対して、「自己の文化を防衛する」ために動いたという話です。アメリカ側は、日本国内の捕鯨擁護派たちが「捕鯨文化防衛」のために持ち出した論理と全く同様の構造の論理を持ち出したのです。

 完全にブーメランを食らった日本側であり、「確かにアメリカで鯨肉を食用に供するのはダメだよね、アメリカはクジラを食べない国だもんね。」と返すのが筋です。この際、「でも日本の鯨肉食文化に文句つけるなよ」くらい付け加えても良いでしょう。「相手に言い負けたくない」という、先日も書いた「論破を目的とした議論」という姿勢がミエミエですが、あまり最初からハイレベルなことを要求するのは酷ですからね。

 にもかかわらず、実際には以下のようなコメントが出てきています。
>>> 2010年3月11日 15時49分hid*****さん
私もそう思う1,842点 私はそう思わない41点

盗撮映画 人種差別

イルカは頭がいい、牛や豚はそうじゃない、だからイルカやクジラを殺すのは駄目だという理屈、誰が理解できようか。

生きとし生けるものに命の価値の差はないだろ。イルカを食べるのもクジラを食べるのも、そして豚や牛を食べるのも食文化だ。命に差はない。

まぁ命の価値に差をつけるから、日本の文化を見下し揶揄する人種差別を平気で出来るんだろうな。
<<<
>>> 2010年3月11日 15時52分hid*****さん
私もそう思う1,401点 私はそう思わない84点

フランス料理のウサギや、豪州のカンガルーを食べる文化、こっちの方が気持ち悪い。可愛い動物だろ?

人種差別も甚だしい。 追訴された日系人というのも気の毒だ。 日本食、日系人に対する差別だろこれも。
<<<
 前者ならば、「誰が理解できようか」、後者ならば「こっちの方が気持ち悪い」。そう思っている主体はあくまで日本人のあなたであり、当地の文化では、それは容易に理解できるし、気持ち悪くも何ともない当たり前の感覚であるはずです。

 「シー・シェパード」型(=オレ基準のみでの思考、その結果の押し付け・異質なものへの抑圧)の捕鯨反対派に「多様性」を盾に対抗してきた捕鯨擁護派だったのに、いつの間にか自分たちも「シー・シェパード」型の主張をするレベルに堕ちていた。いや、彼らの言っていた「多様性」だって「オレ基準を認めろ」という意味であり、徹頭徹尾「オレ基準」だったのかもしれません。
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2010年03月05日

リスクと人間と思想、左翼崩れなわたし

 先日の津波警報に際しては、発表された予想を大きく下回る程度の津波しか来ませんでした。このことについて、警報を発令し、予想を発表した気象庁は謝罪しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100302-00000054-sph-soci
>>> 気象庁が謝罪「津波予測は過大だった」
3月2日8時0分配信 スポーツ報知

 南米チリの大地震(マグニチュード8・8)による日本の津波で、気象庁は1日午前10時15分に、東北太平洋側や高知県に出していた注意報を全面解除した。気象庁地震津波監視課の関田康雄課長は記者会見で、三陸沿岸に大津波警報(予想最大津波3メートル)を出したことなどについて「予測が過大だった」と謝罪した。

 同庁は海外での津波観測データやシミュレーション結果を検討し、三陸の津波を予想。関田課長は「警報が長時間続いて、不便をかけたことをおわびしたい」と述べた。ただ、最悪のケースを想定した結果で「現時点で判断ミスがあったとは考えていない」と強調した。


(以下略) <<<
 これに対して「気象庁擁護論」が出ています。曰く「過小評価より過大評価のほうが良い」「結果的に被害が出なかったから良い」と。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100301-00000587-san-soci
>>> チリ大地震 気象庁擁護論「過少予測の方が問題」
3月1日22時17分配信 産経新聞

 「津波の予測が過大だった」。気象庁は1日、南米チリで発生した巨大地震で日本列島に押し寄せた津波が予測を大幅に下回り、警報も長引いたことを謝罪したが、避難住民や避難勧告を出した自治体からは「むしろ過少な予測の方が大問題」などの擁護論が目立った。ただ、同じような事態が続けば、住民が「今回も大丈夫だろう」と受け流しかねず、予測精度の向上を求める声も多い。

 「予測が過大だと非難しているのは内陸の人たちでは」。津波で店舗が浸水した宮城県気仙沼市の斎藤吉郎さん(54)は、気象庁の津波情報は適切だったとみる。これまでに大小4回の津波を経験している斎藤さんは、気象庁の情報をベースに地元の言いつたえや経験則で判断し、「情報はおおげさなくらいがちょうどいい」というのが率直な感想だ。

 岩手県山田町の団体職員、佐々木生太郎さん(59)は高台の神社に地域の約50人と避難した。佐々木さんによると、町の避難指示が夜遅くまで続くなか、勝手に自宅に帰った人も多かった。「万一のこともあるのだから、指示は守るべきだ」と振り返った。

 宮城県石巻市防災対策課の平松進危機管理官(56)は「避難解除の時間について住民からの苦情はなく、個人的には気象庁の判断は最善だったと思う」と評価した。

 東名高速や国道1号といった幹線道路が一時通行止めとなり、10万世帯以上に避難勧告が出された静岡県では、最大60センチの津波が記録されたものの、大きな被害はなかった。62人が登庁した同県危機管理局の担当者は「最大のリスクに備えるのが行政の役目。過小予測であれば大問題だが、少し大きめに警告してもらうぐらいでいいのでは」。

 約1万5千世帯に避難勧告を出した同県焼津市も同様の見方を示す。「昭和35年のチリ地震の津波では国内で多数の死者が出た。今回の予測は空振りだったとしても被害がなくてよかった。ある程度の注意喚起は必要だ」(市防災課)。

 警報・注意報の解除を受け、住民には安堵(あんど)とともに疲労感も漂った。

 岩手・釜石港近くの自宅で過ごした自営業の女性(68)は「浸水するかもしれないと心配していた。目が覚めたら、警報が解除されていたので安心した」と笑顔。岩手県久慈市内の避難所で一夜を過ごした無職の欠畑キクノさん(80)は「おっかないと思い、すぐ避難所へ向かった。(1日の)朝5時すぎに帰宅したが、疲れた」と話した。

 一方で、気象庁への手厳しい批判もある。静岡市葵区の主婦、大石美帆さん(30)は「警報は大げさだったと思う。実家が海辺なので親族は避難したが、被害はなかった。こういうことが続けば、絶対に避難しなければならない災害時に、(住民が)今回も大丈夫だと決めつけることになりかねない」と予測の精度向上に注文をつけた。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100302-00000041-scn-int
>>> 気象庁による津波警報の謝罪、米専門家は擁護
3月2日12時32分配信 サーチナ

 気象庁の関田康雄・地震津波監視課長は1日午前、17年ぶりに発令された大津波警報が過大であったと謝罪し、今後の改善を表明した。

 気象庁は先月28日午前、日本沿岸に最大3メートルの高さの津波が到着する恐れがあるとし、青森県から宮城県の三陸沿岸に大津波警報を発令した。しかし、実際には予測を下回り、同日午後に岩手県久慈港と高知県・須崎港で1.2メートルの津波が観測された。

 米MSNBCニュースは、米ハワイ太平洋津波警報センターの海洋学者のコメントとして「気象庁の発令は正しく、実際に3メートルの津波がきた可能性がある。事態を軽視しないで、必要な警告をすることが大切」と気象庁を擁護する見方を伝えた。

 また、同氏は「津波の高さを予測することは、地震のマグニチュードだけでなく、海底の揺れや海岸線の詳しいデータに基づいてなされる複雑な作業。しかし、予測が外れることで、住民が警報を無視するようになる恐れがある」と述べた。

 日本では1960年のチリ地震による津波で、142人もの死者・行方不明者を出した。また93年の北海道南西沖地震では、奥尻島に大津波が発生し約200人もの犠牲者を出したこともある。津波予測の精度向上や警報のあり方は、今後の課題ともいえる。(編集担当:桐山真帆子・山口幸治)
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100302-00000065-jij-pol
>>> 前原国交相、津波予測は謝罪に当たらず=首相も「同感」
3月2日11時26分配信 時事通信

 前原誠司国土交通相は2日の閣議後記者会見で、チリ大地震に伴う津波への対応に関し、気象庁が「予測が過大だった」と謝罪したことについて、「果たして謝罪すべき問題なのか」と述べた。その上で、同庁に対し同日朝「謝罪するに当たらない」と伝えたことを明らかにした。
 前原国交相は「しっかり準備するには過小であるより過大であったほうがいい」と指摘。同相によると、同日の閣僚懇談会でも同様の発言をし、鳩山由紀夫首相から「同感だという趣旨の話があった」という。 
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 時事通信配信記事のコメ欄
>>> 2010年3月2日 11時29分nob*****さん
私もそう思う21,074点 私はそう思わない266点

これに関しては同意

被害がなくて良かったね状態
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 私としては、今回見られた「過小評価より過大評価のほうが良い」と「結果的に被害が出なかったから良い」は、今の日本社会における2つの問題ある思考回路を端的に言い表していると思います。

 まず、前者について。

 もちろん、過小評価よりは過大評価のほうがまだマシです。技術的な問題から正確な予測が難しいというのも、素人にも理解しやすい話です。しかし、我々が備えるべきリスクは津波だけではなく、また、我々が持ち合わせているリスク対策の資源は有限です。限られた資源を如何に有効に配分するかという課題においては、「過大評価」もまた重大な問題です。「過小評価より過大評価のほうが良い」でピリオドを打ってしまう発想は、あるリスクに対する妥当な対策費用の計算ができていないことを予感させる発言であり、これは有限資源の浪費をもたらしかねない兆候であるとも読み取れます。以前にも書きましたが、非合理的且つ非効率的な「リスク対策」を防ぐためには、リスクを正しく判断しなくてはなりません。「過小評価より過大評価のほうが良い」でピリオドを打つべきではありません。

 恐らく、気象庁は、その辺をご理解なさっているがゆえに謝罪しているのだと思いますので、今後も予想技術の進歩に邁進なさるのだと期待しているのですが、果たして、一般人のリスク判断は進歩するんでしょうか? 牛肉の全頭検査にしつこくこだわり、莫大な税金を湯水の如く投入し続けている点、少なくともここ数年間は余り進歩していないみたいですけど。

 後者:「結果的に被害が出なかったから良い」について。きっと「だからと言って、予測技術の進歩を軽視しているわけではない」という反論を頂くと思うのですが、まあ3日もすれば、そんなこと忘れますよね。「危なかったけど、結果オーライだったから良かった良かった」から教訓を汲み取り、忘れないで居続けられる人はそんなに多くないですからね。私を含めて。

 リスクの判断は、技術的問題や判断主体である人間の性質によってなかなか正確には下しづらいものですが、先にも書いたように、数多のリスクに対して持ち合わせている資源は有限である以上、なるべく正確な判断が必要です。まあ、「人間の性質」が絡んでいる以上、この辺りはもう、「人間の理性を信じる」「人間の力を信じる」というレベルにも達しつつあるんですけどね。

 物質的条件を生かすも殺すも最後は思想。ちゅちぇささん。そんな私はちょっと「人間の理性」に自信がなかったりもします。理性を信用しきれない点において「左翼崩れ」。
posted by s19171107 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

「理不尽に耐えてこそ大人だ(キリッ」

「世の中は理不尽だ。その理不尽に耐えてこそ大人だ(キリッ」などと、雇用問題をはじめとした社会の理不尽な話に関して偉そうに言っていた人たちが、先日のオリンピックのフィギュアスケートの採点について、八百長だ何だとネチネチと発狂しつづけているのが何だか笑える今週です。

それとも、せめて理不尽とは縁遠い存在であってほしかったスポーツ界も実は例に漏れず理不尽な世界であった、ということを認めたくないがゆえの抵抗? とても「大人」とは言いがたい振る舞いだなあ。

理不尽な目にあっている他人に対しては「それくらい耐えろ」「耐えられないのは甘え」などと説教する一方で、同程度かそれ以下のレベルの理不尽な目に自分(自分が一体化させている対象)が遭うと一転して「ケシカラン!」と抵抗しだす。毎度のことながら流石です。
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2010年03月02日

PTA

 モバゲーの「怪盗ロワイヤル」のCM、「お宝ほしいなー この人からなら盗れるかな?」(←正確には覚えていないけどこんな感じだったと思う)というセリフが公共電波で流れているけど、PTAは、かつてのように抗議しないのかな? けっこうまずくね? この発言。

 最近、所謂「モンスターペアレント」が、結果的に合同で発狂することはよく聞いても、事前に互いに調整しあって発狂するということは余り聞かない気がするのですが、何でなんでしょう? いや、私の調査がまだまだ甘くていい加減だから、実は減少していないのに減少しているように見えているだけなのかもしれないけど。

 仮にそう(事前調整型の保護者合同要求の減少)だとすると、「自分(自分の子供)さえ良ければ」が深化したのかなあ? そうでもなきゃ、こうも連帯が希薄化するとは考えにくいしねえ、、、

 、、、最近、疑問提起の記事が増える一方で、その疑問を解決する研究記事を余り書いていない気がする。疑問は溜まる一方。まあ、何を見ても疑問が沸かなくなるよりは良いんだけどね。
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2010年02月28日

「老人性の ア レ 」と「感情屋」の関連性

http://news.livedoor.com/article/detail/4615194/
>>> 石原知事、高橋の銅メダル「まあ、銅から始めようだな」
2010年02月19日23時22分 / 提供:産経新聞
【石原知事会見詳報(2)】

 −−カナダではバンクーバーオリンピックが熱気を帯びて、日本人も大活躍をしていると…

 「してる?」

 −−してます。

 「してないじゃないか」

 −−まあ、一応がんばってると思います。

 「あ、そう?」

 −−真剣に。本番に向けて今までやり遂げてきたことを披露しようと。力を出しきれない人もいるかもしれないが…

 「なぜ出し切れないのかね?」

 −−もしかすると、それは日本国内の教育の問題で、ゆとり教育というか、学校の週5日制などが十数年にわたり行われてきている。そろそろ見直すことも考えられるのではないか

 「まあ、日本勢が不振であることは誰が見ても確かだと思いますね。でね、アスリートの世界、競技の世界ってのは、横並びってのは絶対あり得ないですよ。0・01秒の差でも1位2位が決まるわけですよね。でね、横並びってのを是とする風潮てのは論外だと思うけど。わたしね、やっぱり選手たちがね、思ったより高く飛べない、思ったほど速く走れないのはね、重いものを背負ってないからなんだよ。国家ってものを背負ってないからね、結局高く飛べない、速く走れないと私は思いますね」

 「でね、今、教育の問題が出ましたがね、修身の復活なんてのは非常に陳腐なように思えるけど、考えてみたらこのごろ、しみじみ…、その、何も教育勅語を復活するなんてバカな…、あんなものは日本人で読める人間は、総理大臣だって読めないだろう。前の総理大臣なんか」

 「ただね、やっぱ刷り込みなんだね。子供のころからね、九九と、要するに九九算と同じようにね、刷り込みでね、責任であるとかね、義務であるとかね、友情であるとかね、奉仕であるってものはね、やっぱり分かりやすくね、その、ほんとに幼児のころから…、ま、昔は教育勅語がそうだったんでしょうけども。別にあんな表現は必要としませんけどね。やっぱり、基本的な人間社会の中に人間が連帯して生きていくときに心得なくちゃいけないいくつかのルールってあると思うんだけど、そういったものをね…、やっぱり修身って言葉がいいか悪いか知りませんがね、その、九九算と同じように刷り込みをしていくってことをしない限りね、やっぱりいくら大人になって理屈で説いてもダメですよね。私はそういう感じが、このごろ改めてしてきてるんですけども」

 「ま、それからね、その一つのきっかけになると思うけどもね、自分つい近い先祖のじいさんばあさん、ひいじいさんひいばあさんがですね…、まあトインビーが言ってるみたいにね、人類の歴史の中で奇跡っていうのはちょっと、なんて言うのかな、彼自身が日本の可能性を知らないからバカなこと言ったんだけれども。でも、注目すべき近代化ってのをね、有色人種の中で、要するに植民地化されずに逆にですな…、植民地を持つようになったことはいいか悪いかは分からんが、そういう仕事をなし終えたね、なんて言うんでしょうね、事実っていうものを、近代史、現代史を知ることでね、『へえー、何でこんなことできたんだろうか。なるほど、こんな日本人がいたか』ってことのね、認識のよすがに僕はやっぱり…、その、自分のじいさんばあさん、ひいじいさんひいばあさんがやった、近い先祖のやった仕事の…、評価は別にしてですね、とにかくそういうものをこう体得することのよすがに僕は、さっき言ったみたいな、修身っていうんでしょうかね、基本的なね、高等教育というか、責任教育というんでしょうか、そういったものがやっぱり必要なんだなということを改めて感じていますけど。私、今感じても遅いわね」

 「ま、東京の教育委員会、頑張ってくれてね。都立高校では近代史、現代史、必須にしました。とにかく大学生がね、60年前の太平洋戦争があったってことを知らないでいるような時代ですから。まあ、そういう国はやっぱり非常にいびつだとしか言いようがないと私は思いますね。その結果が今度のオリンピックですよ」


(以下略) <<<
 何だか年々、残念なことになりつつあると思えてならない石原都知事ですが、いよいよ、オリンピック参加選手は「国家ってものを背負ってない」から、力を「出し切れない」などと口走るようになったようです。

 飲み屋での愚痴レベルのことを会見で口走るのは昔からずっとなので、今更、そのこと自体を云々するつもりはありませんが、しかし、その内容にあえて相手すると、今回のオリンピックに参加した参加選手のコメントを見る限りにおいては、少なくない選手は、「国家ってもの」を明白に意識した発言はしていないものの、「応援してくれた人への感謝」を筆頭に「応援してくれた人」を意識したコメントを述べています。では、その「応援してくれた人」とは? 家族、コーチ、友人、学校、そして各種費用を提供する国家も含まれることでしょう。そう、彼らは「国家ってもの」明白には意識した発言はしていないものの、しかし、念頭にはおいていると考えて良いのです。

 しかし、その辺を読み取らず(読み取れず?)に言葉の表層だけでガタガタ文句を抜かす石原知事。では何故?

 何が言いたいのか良く分からない会見内容を「解読」する限り、彼はどうやら「教育」にその原因の一端を求めているようです。要するに「最近の若いモンは、、、」ということです。(文脈ぐっちゃぐちゃで読むのも苦痛なレベルだから、今回の読解にはいつも以上に自信ないけど)

 もちろん、石原知事がケチをつけたくなるような若者がいないとは言いません。しかし、先にも書いたように、今期オリンピック参加選手はどうやら違うらしい。にもかかわらず、その辺を区別せずに「最近の若いモンは、、、」で一括りにして処理しようし、実際に処理してしまい、かつ、その処理に疑問を感じないところに、石原知事の、老人に顕著なアレ:「根拠無き演繹」思考が見えると思います。

 ところで、なんでまた石原知事の老人性戯言をわざわざ取り上げたのかというと、ここからが本題です。

 先に私は「老人に顕著なアレ:「根拠無き演繹」思考」と書きました。なんとなく読者の皆様におかれましてもお分かりいただけるのではないかと思うアレです。ほんとね、アレな老人の相手するのは苦労しますよね。自分の知っている世界で完結しているんだから何言っても効かない(聞かない)んですから。

 しかし、ネット上で活動していると、言葉遣いや流行の知識から推測するに、明らかにまだ老人ではない年齢だと思われるユーザーが、なぜか老人性のアレと殆ど違わない振る舞いを見せてくれことがあります。その典型例が、当ブログでも繰り返しその習性について取り上げてきた所謂「感情屋」の皆様です。何を言っても自分の世界・自分の基準で完結し、そして、新しい情報の取り入れ・既存知識の更新をしようとしない(演繹が帰納を阻害している)。なぜか妙に偉そうでお説教好き。(私、今ブーメランを投げました!)

 「老人性のアレ」と「感情屋」の関連性を研究すると、あの独善的な「感情屋」が如何にして形成されるのかが見えてくるかもしれません。(今回はこれが書きたかっただけ)
posted by s19171107 at 11:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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