当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2008年12月03日

「競争」と「平等」と「個性」

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2008/12/post-041a.html
>>> 平等なんてあり得ない。人それぞれ顔が違うように、個性もあるし能力の違いもある。個性や差別があるから芸術や文化が成り立つ。絵画や書道の展覧会に行けばそれは自明のことだ。運動会だけ一等賞、二等賞、三等賞をなくして、平等な社会になるなどと考えるのは、愚の骨頂だ。 <<<
 人にはそれぞれ個性もあるし能力の違いもあるからこそ、運動会での順位付けなんて意味が無いからやめましょう、というのがこの手の動きの主旨だったと思うんですがねえ。どちらかというと、この手の動きの主体("しゅたい"。"チュチェ"と読まないように!)は「平等尊重派」というよりも「個性尊重派」に属するはずです。

 また、「個性や差別があるから芸術や文化が成り立つ。絵画や書道の展覧会に行けばそれは自明のことだ。」と4様は仰っていますが、ならばなおさら順位付けなんてできないのでは?

 この手の話題は「競争」と「平等」と「個性」という、どれか一つを過度に尊重すると他の2つが成り立たなくなる問題を含んでいるために、本来的には結構深い話題であり、私としても、「個々人の自主性の尊重」と「社会集団の秩序を守るための集団主義」という、本来的には対立する場面も多い概念を同じ思想の中に同居させているチュチェ思想の研究とも通じるところが無いことも無いがために、時間的余裕と体力的余裕が出来た暁には是非、追究したいと思っているところなのですが、さすが4様、話題の表面を右斜め上に向かって滑走していますwwwwwwwwww

2008年07月27日

素直な4様

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2008/07/post_6694.html
千駄木庵日乗七月十八日

午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後一時より。有楽町電気ピルの日本外国特派員協会にて、「EISセミナー講演会」開催。榎泰邦三井物産顧問(前駐インド大使)が講演し、「京都の祇園祭はインドの神様への奉納の祭り。九世紀に疫病退散のために牛頭天王を祀ったのがその起源。牛頭天王は南インドの山の神で祇園精舎の守護神。ジェンナーの種痘も彼がインドを訪問した時に発見した。インド更紗が京都祇園祭の南観音山の胴掛けとして用いられている。

日本語の五十音図の排列はサンスクリットの伝統的な音韻表の排列にそっくり倣って作られたものである。日本の吉祥天・帝釈天・金毘羅様も、もともとインドの神。

現代社会は大変な地殻変動が起っている。現在の日本ビジネスの国際展開の拠点は、中国・インド・ベトナム・湾岸国・ブラジル。

二十一世紀はアジア三国志の時代。あと八年で日本はGNP世界第二位ではなくなる。これからは世界第二位の経済大国ではないという前提で物事を考えるべし。今までは豊かな経済大国の時代だったが、これから貧しい経済大国が登場する。中国人一人当たりの国民所得が日本の十四分の一になった時、中国のGDPが日本を追い抜く。

これからはインド市場が大事。有望な投資先としてインドのパーセンテージが上がって来る。中国は落ちる。今のインドは日本の池田内閣の高度成長期と似ている。インドには無尽蔵なインフラ整備がある。昔は南インドは貧困の象徴だったが、今は経済成長を牽引している。

インド経済は内需主導。中国経済は輸出主導。中国の共産党一党支配が今のまま行くとは思えない。法の上に共産党がある。官僚が腐敗している。政治が安定していない。インドは法治体制が優れていて安定している。中国で経済活動をするには、まず共産党幹部と人間関係を作らねばならないが、インドでは弁護士を雇い訴訟対策をすればいい。

インドは識字率七〇%だが、一方でエリート教育を相当やっている。インドは頭と口の文化。日本は目と指の文化。インド人は抽象的思考に優れている。」と語った。

家から電話があり急遽帰宅。父の容態に変化があったので、訪問看護師の方と共に看護。何とか回復し今日は病院に行かずに済む。

その後、「政治文化情報」発送準備。
         ○
私はインドのことは支那のことほどには勉強していない。しかし、日本の信仰精神は、支那よりもインドの方に近いのではないかと思う。古代インドの自然神秘思想は、儒教の合理主義より日本に近いと思う。地理的に支那大陸の方が近いので、どうも支那のことを重視する傾向があるが、やはりインドを大切にしたいと思う。

戦前の日本はインドと反英興亜運動を共に戦ったが、支那とは敵対関係になってしまった。今日も、何かというと反日の姿勢を示す支那よりも、インドに親近感を持つのは致し方のないことである。
 日本保守派による、インド(特にインド経済)マンセーについては、反中国の文脈において「中国経済は遠からず美味しくなくなるからインドに乗換えだ」というふうに語られてきました。
 しかしながら、たとえ中国経済が「美味しくなくなった」としても、公称13億の人口がある限りは、その重要性が多少劣ることはあっても、依然として世界有数の市場であることには変わりなく、日本経済にとって重要であることには変わりはありません。
 その点、私としては、日本保守派の「中国経済は遠からず美味しくなくなるからインドに乗換えだ」という言説については、これは経済的な視点によるものではないだろうな、と思っておりましたが、今回ご紹介した4様の言説を見る限り、やはりそうであるようです。

2008年06月13日

珍しく4様と同意見

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2008/06/post_d250.html
午前は父母のお世話。訪問看護師の方と共なり。

午後二時より、永田町の村上正邦氏の事務所にて、「日本の司法を考える会」開催。

魚住昭氏が講演し、「裁判員制度実施一年前になって、新聞が非常に批判的になった。新潟県弁護士会ともう一カ所の弁護士会が『延期決議』をした。『私たちがあんたらのために税金を払っているのに、なんで私らがせなあかへんの』という疑問に答えることが出来ない。市民の法律に関する常識が感情に流されてしまう。

地裁段階でしか裁判員制度は適用されない。地裁の結論に対して検察が異議申し立てをして高裁に行くと、八〇%以上検察の主張が通る。

無罪を主張すると何時までたっても拘置所を出ることが出来ないので、早く出たいために有罪を認めてしまう。この問題に何の対策も講じないで、裁判員制度を認めるとどうなるか。拘置されていると、被告人はろくに弁護士と相談できないし、自分の無罪を証明する活動も不自由になる。

裁判官は中立公正・自主独立の立場であらねばならないのに、常に上を見ている。最高裁の人事政策が問題。平目裁判官を重用する。

司法改革はアメリカの要求で始まった。アメリカの要求を奇貨として、官僚がトクをするシステムにするのが司法改革。感情だけを刺激し視聴率を稼ぐテレビ番組が横行している中での裁判員制度導入はうまく適用できるとは思わない。

情報を握っているところが情報を欲しがる所をコントロールする。検察・警察担当の記者は検察・警察の批判を書きにくい。裁判の何処が悪いのかを全く議論しないで、全く別の所から別の制度を持って来ても解決しない。」と語った。

夕刻、衆議院第二議員会館の同志事務所訪問。懇談。

帰宅後は原稿執筆。

         ○

裁判員制度についてはよく分りませんが、日本人のような情緒的な国民には不適切な制度だと思います。集団催眠にかかりやすく、こいつは極悪だと思ったら、冷静な判断せずに重刑を言い渡す危険があります。

メディアがもっとしっかりしなければ日本は良くなりません。逆にいえば、日本を悪くしているのはメディアです。今日は時間がないので詳しく書けませんが、今度の秋葉原の事件に関しても、テレビは一日中と言っていいくらい、繰返し繰返し扇情的な報道しています。

こういう報道が、さらに凶悪な犯罪を誘発するということが分からないのでしょうか。魚住氏の言う「感情だけを刺激し視聴率を稼ぐテレビ番組の横行」が諸悪の根源であります。
 いやあ、珍しいこともあるもんだ。

2008年05月18日

4様ファンクラブ時報

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2008/05/post_9218.html
今朝の「サンデープロジェクト」に中曽根康弘・不破哲三・土井たか子の三氏が出て色々話していた。不破と土井は「戦争は良くない」とか「人殺し」は良くないとか言って現行占領憲法擁護論をぶっていた。共産党と社民党は、国際テロ国家でありわが国国民を拉致した人さらい国家である北朝鮮と緊密な関係にあった国である。そのような政党の党首を務めた人物が、「平和」や「人命」を語る資格は毛筋の横幅ほどもない。

私の学生時代、すなわち昭和四十年代前半、民主青年同盟という共産党の青年組織が学校の内外で活発な運動を展開していた。彼等は、北朝鮮を理想国家のように宣伝していた。そして北朝鮮の歌曲「イムジン河」というのを盛んに歌っていた。歯の浮くような北朝鮮礼賛の歌であった。また日本共産党は、北朝鮮を「地上の楽園」であるかのごとく宣伝し在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動に全面的に協力した。

社民党は、社会党時代から朝鮮労働党と「友党関係」にあり、北朝鮮礼賛を繰り返しその手先となっていた。社民党・土井たか子は、拉致問題を無視してきただけではなく否定してきた。社民党は、拉致の事実が明らかになった後も日本人拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」などと否定していた。そして社民党は機関紙で北朝鮮による拉致事件を、「(韓国)安企部の脚本、産経(新聞)の脚色によるデッチあげ」、「日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された」などと主張し(平成九年七月号)、一貫して北朝鮮を擁護し続けてきた。

不破や土井がノコノコと出て来て平和を説く資格などありはしないのである。
 4様曰く、『臨津江』は、実は共和国を賛美する曲だったそうです。

 いやはや、長いこと『臨津江』を聴いてまいりましたが、初めて知りました。『臨津江』は色々な和訳がありますが、おおもとの、朴世永同志が作った朝鮮語の歌詞を見る限り、いまいちピンと来ませんねぇ。何のこと言っているんでしょ。

 ところで、「イムジン河」という読み方は、南の読み方(ソウル標準語)であります。『臨津江』は1957年に朝鮮民主主義人民共和国で作られた曲ですので、共和国の読み方(平壌文化語)、すなわち「リムジン河」と読んであげてください。

 ちなみに、「歯の浮くような北朝鮮礼賛の歌」というのは、『社会主義祖国賛歌』とか『愛そう我が祖国』とかのことを言うんですよ。たぶん。(←共和国音楽の聴きすぎで、段々感覚が鈍ってきている)

 しかしまあ、4様のこの記事、今だから言えることですよね。昭和40年代前半というと、1960年代後半。当時から主張してきたことならまだしも、今になってから「そらみたことか」と声高に主張するって、還暦のおっさんのやることですかねぇ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー

2008年03月04日

「自由は國を亡ぼす 推薦で行きませう」

久々に、4様ファンクラブのページ4様ファンクラブ時報のカテゴリを整理していたら、いろいろ面白いもんが出てきた

まず何よりも、もう還暦過ぎているのにウヨ被れ高校生みたいなこと言っている、救いようの無い電波が一躍有名になった以下の動画。

何度見ても笑えるわー

つぎ。無礼なmp3
http://www.geocities.jp/s19171107/KIKAKU/SHINOMIYA/159.mp3
よく作ったもんだ。

さらに、4様と直接関係ないけど、4様ファンクラブ時報において使用した戦前の選挙ポスター。
DSCN1492.jpg
(クリックで拡大)
「自由は國を亡ぼす 推薦で行きませう」。すげーなー。

推薦のあげく、火の車じゃなくて火の玉になって、本当の意味で国土が燃え尽き、結果的に「国の自由」が失われたわけですね。

2007年12月29日

4様ファンクラブ時報

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2007/12/post_5f20.html
私が読んでいる日刊・週刊新聞は「朝日」「日経」「世界日報」「聖教新聞」「赤旗日曜版」「神社新報」であります。「朝日」「赤旗」を読むのは、「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という諺に従っているからであります。

「朝日」は、読むと腹が立つ記事が多いのは言うまでもありません。ただし、紙面の作りや情報量の多さは、やはり他紙より優れていると思います。國體破壊勢力・反日勢力が何を考えているのかを知るために読んでいます。

「聖教新聞」は最近飽きてきました。何しろ池田大作礼賛記事と敵対勢力に對する罵詈雑言しか載っていないと言って良い内容なのですから、もう飽き飽きしました。そろそろ購読をやめて、「サンケイ」に切り替えようかと思っています。ただしある事態が起こるまでは読み続けねばならないとも思います。

「世界日報」は、統一教会系の新聞ですが、韓国に対する姿勢を除いてはまあ妥当な内容だと思います。最近は沖縄県のいわゆる「集団自決」については正しい主張の連載を行っています。

「神社新報」は勉強になる記事もありますが、神社界の業界紙というイメージが強すぎます。もっとダイナミックな記事を多くして神社界以外の保守層の読者開拓を行うべきだと思います。

「赤旗」は文字通り敵方情報を取るためです。「日経」は文化欄が優れていると思います。「私の履歴書」はなかなかおもしろいと思います。
(太字は当方編集)
4様も統一教会と思想的なつながりがあったのかー

2007年12月12日

4様ファンクラブ時報

最近忙しく、溜めておいたネタを記事化して処理する時間も無く、頂いたコメントにお答えする時間もありません。「ネタ切れ人民共和国」ではなく、「時間切れ人民共和国」状態です。申し訳ない。

そんなこんなで、自称民族派右翼の4様(四宮正貴氏)のブログを生暖かい目で見守る企画:「4様ファンクラブ時報」も半年振りとなってしまいました。

半年振りの4様の言説でしたが、相変わらずでいらっしゃるようです。

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2007/11/post_ae63.html
今日は次のようなことを話しました。

戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値として押し戴いた。「平和と民主主義」は、弱者の思想である。國のために戦うという強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・平和・歴史・伝統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する弱者の思想である。

弱者であるから徒党を組む。即ち集團で運動をせざるを得ない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の生き方しかできないのである。弱者は弱者なるがゆえに、常に「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはおれない。これが「いじめ」である。

「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追いかけ回して責め苛む。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

武を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかったような凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

魂の腐敗は、軍國主義國家であったという戦前の日本にはあり得なかったような、人命軽視という言葉すら空しくなるような、残虐なる殺人が日常茶飯事の現代社會を現出させた 

崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥っている青少年によって、凶悪無比なる犯罪が繰返されている。

われわれ神洲清潔の民は、強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神・もののふの心に回帰しなければならない。
うーん、「戦後日本」の「平和主義」を批判して、4様の脳内お花畑をご披露なさっているけど、自衛隊はどうしちゃったんだろう。

私も4様追っかけはじめて、そろそろ4年か5年になり、段々と4様の脳内世界が見えてきた(4様同じ事しか言わないし)んだけど、4様の自衛隊の位置づけが未だ持ってよく分からない。

「自分は絶対に銃を取らない(4様、御歳60歳くらい)くせに、"強者の思想"とかいうのを語るな」という、ありきたりの指摘は勿論のこと、それに加えて4様には「同じこと自衛隊員に言ってみろ」と言いたくなる。

ちなみに、武士道精神・もののふの心に回帰と仰いますが、日本人の多くは農民の子孫であり、アイヌ系・琉球系にいたっては、文化圏からして違うんですが。

2007年05月05日

4様ファンクラブ時報

1年ぶりの『4様ファンクラブ時報』。やっと第3回です。
もう一月ほど前になりますが、長崎市長が射殺された件について、4様がトチ狂ったことかかれていますので保存。

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2007/04/post_14e8.html
長崎市長が狙撃されました。まだ事件の全容が明らかになっていませんから、迂闊なことは書けません。ただ、テレビ報道が、今回の長崎市長銃撃事件といわゆる「右翼テロ」とを一緒くたにした報道が見られ、被爆者団体や加藤紘一氏のコメントを流していたのはどうかと思います。

いわゆる「民族派のテロ」は、国家の大義のため、民族の危機を救うための万止むを得ざる直接行動です。無い方がいいに決まっていますが、全面否定はできません。しかし、今回の二つの事件はそれとは次元を異にしています。とくにアメリカの乱射事件と「民族派のテロ」を一緒にされてはたまりません。


http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2007/04/post_fd39.html
長崎市長射殺事件が起ったため、テレビなどで、「テロ」の問題が報道されています。今回の事件は、いわゆる「右翼テロ」とは全く関係ありません。しかるに、なぜか「右翼テロ」と関連させて論じられるのは困ったことです。「右翼テロ」は国家国民のためという大義に基づいて行われるのであります。

「右翼テロ」が起ると必ず「言論の自由への挑戦だ」「民主主義への挑戦だ」の大合唱が起ります。それでは「民主主義」「言論の自由」とは一体何でしょうか。どういうことを言うのでしようか。何でも自由に勝手気ままにしゃべったり書いたりしていいということが「言論の自由」なのでしょう。何でも多数決で決めることが「民主主義」なのでしょう。それはそれで結構なことだとは思いますが、戦後六十数年間、我が国のはこの「言論の自由」と「民主主義」を謳歌してきました。その結果が今の日本なのです。

私はもう一度現代日本の「民主主義」と「言論の自由」について深く考え直さなければいけないと思います。別にこの二つを否定するわけではありませんが、この二つを守ってさえいれば日本が良くなるとは決して思えません。それは現状の日本が証明しているではありませんか。

いわゆる右翼とやくざの関係についても、いろいろ議論されています。確かにやくざと関係のある右翼も存在するでしょう。しかしそれは右翼に限ったことではないのです。最近の週刊誌をにぎわせているように、日本を代表する芸能プロダクションもやくざと関係があるのです。企業も政治家も芸能関係もスポーツ関係も陰でヤクザとのつながりがあることは周知の事実です。なにゆえに右翼との関係のみがことさら大きく取り上げられるのか不思議です。

たとえやくざとの関係があったとしても、国家国民のために真面目に運動に取り組んでいる民族運動団体を否定することはできないと思います。
 4様はよく、ソ連や中国、ポルポトのカンボジアを『人殺し』と非難しているけど、ソ連・中国、ポルポトのカンボジアが、その殺人を正当化するために使う(使った)言説と4様のこの言説が殆ど一緒な件について。
 以前、反米嫌日戦線さんだったかな、4様のことを「一水会の恥さらし」とか書いていらっしゃったけど、本当にその通りだわ。

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2007/04/post_2e3c.html
「言論の自由」と「民主主義」が金科玉条・錦の御旗になっています。戦後日本はこの二つを最も大切なものとしてきました。「言論の自由」とは、人々が自由にものを言ったり書いたりすることができるということだと思います。ところが「民主主義」とは一体どういうことかがはっはり分かりません。辞書によると「人民が権力を行使するという政治原理。権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態」ということだそうです。しかし、日本国民は実際に権力が与えられその権力を行使しているでしょうか。選挙権を行使することがそれに当たるということなのでしょうが、実際には権力によって支配されて規制されているというのが実感ではないでしょうか。

しかし、「言論の自由」と「民主主義」は当然守られなければならないと思います。大切にすべきです。しかし今日の日本の現状を見ますと、それだけでは駄目だと思うのです。一昨日も書きましたが、「言論の自由」「民主主義」を謳歌するあまり、かえって国家国民の生存と安全が脅かされているという状況があると思います。「国民が主権者だ」と言い張って、全体の利益を損うようなことが平気で行われています。「言論の自由」を振りかざして多くの人々の人権が侵害されるようなマスコミの報道や取材が行われています。

こうしたことの歯止めと自制が必要であると思います。「言論の自由」「民主主義」を最高の価値する社会では、選挙で選ばれた政治家やマスコミ人は権力者です。その権力者が権力を駆使して国家国民を危うくするような言動を行った場合、それを食い止める手段が必要であります。それがテロであるなどと短絡的なことは申しませんが、「言論の自由」「民主主義」を謳歌し続けてきた日本の現状があまりにもひどいことは確かです。
 憲政記念館にあった、戦前の翼賛選挙のポスターを思い出した。
DSCN1492.jpg
(クリックで拡大)

 確かに民主主義にも欠陥があるし、4様の記事は問題提起としては悪くはないけど、しかし4様の対策は電波すぎだし、こんなので多数派の支持を得られるわけがない。

2006年12月28日

珍しく4様に同意

以下二つの4様の日記に同意する。

ttp://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2006/12/post_5f20.html
不思議に思うのは、公明党の竹入義勝元委員長と、矢野絢也元委員長があれほど、創価学会公明党が非難攻撃され、罵詈雑言を浴びせかけられているのに、マスコミが一切その事を報道しないことである。矢野氏はついこの間まで、TBSの筑紫哲也の報道番組に出て政治評論をしていた。しかるにぷっつりと出て来なくなった。仮にも、野党党首として、一定の政治的影響力を持っていた人物二人が、所属政党及びその最大の支援組織から追放され、手ひどい人身攻撃を受けている事について、マスコミが全く報道しないのは異様としか言いようがない。

自民党と連立を組んで政権の一翼を担っている政党の異常体質について、正しく分析し報道するのは、マスコミの使命であり役割ではないのか。それが行われていないという事は、創価学会・公明党のマスコミ対策が功を奏しているのであろうか。

池田大作に逆らえば、犬畜生だとか地獄におちるなどと罵声を浴びせかけられ、組織内では生きていけなくなるというのは、完全に北朝鮮と同じ独裁専制体質である。この事の危険性をマスコミは正しく追及すべきである。


ttp://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2006/12/post_ee82.html
マスコミとりわけテレビと週刊誌は、視聴率と購読者を増やしたいがために、煽動的な報道を行います。大した問題でもないのに興味本位の報道をします。そのことがどれだけよの中を悪くしてゐるか計り知れません。

知る権利とか知らせる義務とかを振りかざし正義の味方面をして、弱い者いじめとしか思えない取材や報道を繰り返しています。いまのテレビを一日中子供に見せたら確実にその子供は悪くなります。週刊誌も同じです。日本の国を悪くしているのは、マスコミであると言っても過言ではありません。そしてそのマスコミが正義の味方面をし、言論の自由を主張するのですから、困ってしまいます。

しかも、いまのマスコミは国家社会のために、このことはどうしても追及してほしい、報道してほしいということを無視する場合があります。テレビのチャンネルがとてつもなく増えても、言論機関としての使命を正しく果たしているとは思えません。

テレビや週刊誌は、言論によって国家社会に貢献するという使命感は希薄なり、視聴率稼ぎ、販売部数の増加がその最大の目的となっているのです。つまりは、営利至上主義であります。実態はそういうことであるにも関わらず、正義の味方面して言論の自由を言い立てるから腹が立つのであります。マスコミはよく「言論には言論を」と言いますが、それを言う前にまともな言論活動を行ってもらいたいと思います。

2006年11月17日

4様また言っている

ttp://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2006/11/post_1970.html
今日の「朝日新聞」の夕刊で、評論家の立花隆氏が、「教育が国家の手段になったので、日本は全体主義国家となった。その役割を果たしたのは『教育勅語』である。『教育基本法』は、教育を、国家以前から存在し国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。それは人格主義であり個人の尊厳である。教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきである。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者にしようとしている」と語っている。

私は立花氏を、田中角栄批判などなかなか鋭く緻密な評論活動をしていると評価していたのですが、この発言は全くお粗末です。左翼の権力国家観に縛られた全く幼稚な発言であります。第一、日本国の本質をまったく理解していません。日本国の本質は、権力国家ではありません。天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体です。権力機構としての国家は教育に奉仕すべきであります。しかし、個人とか人格を至上とする考え方は誤りです。個人も人格も共同体の中において育まれるのです。たった一人の人間そしてその人格が共同体国家を度外に置いて生きていけるはずもないし、育まれるはずもないのであります。立花氏の論は空想であり空論であります。一体立花氏の言う「国家主義」とは如何なるものを言うのでしょうか。
また言っている。

ちなみに、4様(四宮正貴氏)の主張を知らない方に簡単に解説しますと、4様は日本国家の本質は、天ちゃんを中心とする「信仰共同体」であって、権力国家ではなく、ゆえに欧州のような契約論はいらねぇそうです。国民主権もないようです。凄いですね。

よし、創価学会・公明党さん、天ちゃんをヨイショして独裁権を握りましょう!
日本は信仰共同体です。国民主権もいらないんです。世間知らずの天ちゃんを言い包めて信任を得て、創価独裁政権をうちたてましょう。
もちろん、天ちゃんは飾りで実際は大作センセイの指導な。

いやー天ちゃんって便利だねー。独裁指向の人間には。

2006年11月02日

4様がブチギレた時の朝生の書籍版を手に入れた!

4様の名前が全国的に広まった、2004年6月の朝生ですが、その回の書籍版を某所経由で入手(貸借)しました。今更ですが。
いやあ、ワクワクです。聖徳太子の部分が削除されていなきゃいいんですけど。
この連休中、ゆっくり読もうと思います。

(直後追記)
載ってました。148〜149ページに。
「バカにしている」や「冷静になりましょ」など、どうでもいいボヤキにカットされていますが。当然「チュー」もねw
でも、文章だとやっぱり迫力ないですね。動画と比べると。
http://www.youtube.com/watch?v=Nq91ThP902E

2006年08月20日

4様、テロ是認

http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2006/08/post_e46a.html
直接行動・テロというものは、現状変革の起爆剤となったり、政治家などの権力者に反省を促すための大きなきっかけなることは歴史が証明しております。確かにテロなどの直接行動や他人を傷つけたりすることは、第一義的には「善」とは言えないでありましょう。しかし、国家国民の為にならない人物に反省を促したり、あるいは国家の現状を打破するという大きな目的の爲にはテロ・直接行動が必要な場合があります。

実行者が本当に命懸けであった時、その心情を思うと、何とも言葉で表現のしようのない粛然とした気持ちになります。

警察は、あることないことマスコミに流して事件の矮小化を図ります。新聞やテレビなどは、警察の発表をそのまま報道します。特に所謂『右翼テロ』には情容赦のない非難攻撃を加えます。くやしい限りです。
こりゃ4様んとこも公安の連中に監視されるかもな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%96%B9%E8%AB%96
「白色テロに訴えない限り」に着目し、公安調査庁は、日本共産党が武装闘争の危険性を残していると判断し、2006年(平成18年)時点では調査対象団体から外していない。
http://www.moj.go.jp/KOUAN/
公安調査庁は,テロ組織など,暴力で自分たちの主張を押し通そうとする団体などから,国と国民の安全を守る仕事を行っている行政機関です。

hahaha!!!

2006年07月31日

2004年6月25日、朝生で何があったのか

http://sskkyy81.blog4.fc2.com/blog-entry-46.html
ネット巡回中に発見したブログ記事。なんと、我らが4様(四宮正貴氏)が公共電波でブチ切れた2004年6月25日の「朝まで生テレビ」の番組まとめです。
4様のことだから、あの動画の時間帯のみならず、きっと何かやらかしているだろうと思っておりましたが、案の定、千里馬もビックリな速度で吹っ飛んでいます。

さすが4様。これこそ4様。
勝手ファンクラブ会長として、民族派右翼の真髄を見せつけた4様の醜態勇姿を末永く伝えたいと思う所存です。
事実上、「朝生」を追放された4様ですが、今後も是非、朝生に復帰し、その醜態勇姿を公共電波に乗せられるように、当勝手ファンクラブをあげて電凸します。
全ては4様朝生復帰のために! 4様マンセー!

2006年05月03日

4様ファンクラブ時報

久々の「4様ファンクラブ時報」。第2回です。
アクセス解析を見ると、「4様ファンクラブ時報」の更新のために、前回(2月19日)より何度かご訪問いただいた方もいらっしゃるようです。長らく更新しておらず申し訳ありませんでした。
今回は、4月14日〜5月3日までの4様のblog(http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/)から適当に拾い読みいたします。
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2006年02月19日

4様ファンクラブ時報

4様こと四宮正貴氏のファンクラブ時報を始めました。
(四宮正貴氏に関しては当方が会長を務める「4様(四宮正貴)ファンクラブ」に詳細があります)
この企画は、「4様(四宮正貴)ファンクラブ」と連動して、四宮正貴氏のBLOGやサイトのコラム等をヲチするものです。
また、「聖徳太子知らない? のガイドライン」(http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1134147948/l50)の面白記述を保存いたします。
更新頻度は、ネタ発生次第&気分次第。 つまり、超不定期ってことです。
とりあえず、2006年2月1日分から拾い読みします。
なお、時報執筆者が誰かってことを忘れないように。ポリティカルコンパス(本家)が-6.00、-4.10の人間が執筆してます。

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