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2010年08月16日

靖国神社へ人物ウォッチに行こう2010

 懲りずにやりました。去年と一昨年の記録記事は、そういえば未だに書いていないけどw写真とか何処にしまったか忘れたよ。。。

 チュチェ94(2005)年が丸一日、靖国にへばりついて観察、95年は、午前中、左翼のデモをヲチったあと、午後は靖国の観察、96年は靖国と千鳥ヶ淵の訪問者の違いの記録、97年(一昨年)がウヨサヨそれぞれの8・15、昨年がウヨサヨ戦争というテーマでやってまいりました。すべての過去ログはこちらのインデックスページ参照。

 今年は、原点回帰して、丸一日(といっても15時まで)、靖国にへばりついて観察しました。九段下交差点では、例によってウヨサヨ戦争やっていたみたいですが、今年は見ませんでした。以下は、終戦から65年の8・15の記録です。

 なお、以下、場所の名称が分からない場合は、こちらをご参考にしてください。靖国神社公式ページの境内案内図です。

 例によって6時の開門前に現地入りする私。前日、土曜日だったからそんなにキツくもないのは幸い。

 例年は神門前、ど真ん中で開門を待っている喪服隊が、今年は大手水舎のヨコにへばりつくように、つまりど真ん中を避けて待機している。いつもの場所には、別に誰が並んでいるわけでもなく、かといって誰もいないわけでもない。

 神門の開門と同時に無秩序的に吸い込まれる群集。無秩序というと聞こえが悪いか。でも、所謂「整列乗車」を「秩序的」とすれば、少なくとも「整列乗車」の「秩序」とは程遠い。そういう意味で「無秩序的」。だからといって、我先に人を掻き分けているわけじゃないよ。

 7時。参拝者人数は、普通の休日の昼間くらいかな。チュチェ96(2007)年の記録によると、その当年の早朝参拝者数は「平日の昼間くらい」とのことだから、例年よりは多いんだろうなあ。ただ、年齢構成は、やっぱり中高年の朝は早いなあといわざるを得ない。まあ、朝早く来れば良くて、昼間から来るのは悪いとか、そういう性質のものではないから別に構わないと思うけど。あ、ウヨさんたちは朝に弱いみたいです。気合入れて開門と同時に参拝するのもいますけどね。

 8時過ぎても、年齢構成は40〜65歳くらい(に見える)の層が一番多い。8時10分ごろから、「英霊にこたえる会」が、新しい国立追悼施設建設反対署名活動とアジをはじめる。調子よく色々まくし立てるも、「(民主党政権の)いかがわしい政策、、、」といいかけて途中でやめたのは何か意外だった。まあ、「新国立追悼施設建設反対」と「『いかがわしい政策』批判」って、悪いけど関連性ほとんどないからね。

 このことを筆頭に、8月15日の靖国神社って、本来的な「戦没者追悼」とは脱線した主旨の宣伝活動・署名活動が少なくありません。最たるものは、九段下駅から神社入り口(大鳥居)までの間の歩道、東京理科大前あたりでやっている、台湾・チベット・ウイグル関係、法輪功関係、外国人参政権関係の宣伝活動・署名活動でしょうね。こんな日にこんなところに来る人だから、署名活動も集まりやすいだろうと踏んでのことなんだろうけど、それにしても、「8月15日に靖国に参拝する人なら、きっと署名してくれるだろう」という、ある種の甘えというか、願望みたいなのが透けて見えます。もっとも、これらの宣伝活動・署名活動は、靖国神社の敷地外ですけどね。「英霊にこたえる会」は、敷地内でやっちゃったけどwだから、途中で打ち切ったのかな? 主旨は「新国立追悼施設建設反対」であり、神社もそういうことならってことで敷地使用許可を出したのであって、「民主党政権反対」ではないはずだからね。まあ、うっかりホンネが出てしまったというところでしょうか。

 あ、ちなみに、こういう願望的便乗の宣伝・署名活動は、なにも右派だけじゃないよってことは確認しておきたいと思います。免罪符的に。たとえば、5月3日の護憲の立場からの憲法集会では、毎年、会場周辺には、共産主義者(ちなみに、日本共産党みたいに、「資本主義の枠内での〜」みたいな甘っちょろい共産主義者ではなく、頭数さえ揃えばすぐにでも蜂起したがっているガチな人たちのほうですよ)が宣伝活動してますらね。私有財産制度を定めた日本国憲法と、それを否定する共産主義思想は、流石に両立しませんよね。きっと共産主義者の皆様におかれては、「護憲=左翼、左翼=共産主義」みたいな公式があるから、毎年毎年、本心では日本国憲法なんて支持してなくても、護憲集会にきているんでしょうけど。

 だいぶ脱線しました。話を元に戻します。

 8時30分にもなると、だいぶ人が増えてきます。とはいっても、今日は日曜日。日曜日にしては人数の伸びが少ない気もしなくもないが、日曜の朝は総じて遅いもの。まあそんなもんかな。年齢構成は、遺族会のバスが到着した関係もあって、70歳以上と見える方々も増えてきました。

 ふと街宣系ウヨさんを注視してみる。胸に日の丸がついているのは基本として、なぜか腕にハーケンクロイツをつけているウヨさんグループ(団体名までは見えなかった、、、)や、ドイツ軍の将校帽をかぶる中年男性が。やめろ、なんか色々と勘違いされるだろ。「英霊にこたえる会」が「良識ある日本国民は署名にご協力を」みたいなことを言っているけど、腕にハーケンクロイツをつけているようなウヨグループを叩き出すほうが先だぞ、「良識ある日本国民」よ。

 9時ごろになると、九段下方面から上がってくる参拝者が、願望的便乗の宣伝ビラを手にしていたりもする。目視確認しなかったけど、この時間帯から活動始めたのかな? 街宣車の音楽も聞こえてくる。

 10時前後。40歳以下と見える人たちも増えてくる。観光バスも増えてくる。変なのもパフォーマンスの準備を始める。「またおまえか」という面々に再会する。ある種の同窓会だな、これ。もっちろん、栗林白岳翁のグループや、71飛行ナントカ(正式自称はどうでも良くて忘れた)も着々と準備をすすめるが、あれ、、、翁がいなくない???

 経験則として、栗林翁のグループや71飛行ナントカといったコスプレグループの取り巻きから、その年の参拝者がどういう類の人たちなのかというのが、ある程度ではありますが、見えてきます。というのも、ああいう客寄せパンダは、最初のうちは物珍しくて写真にとりたくなるのですが、連中、毎年同じことしかしていないので、何年か足を運んでいるうちに、飽きてくるのです。「ああ、また今年もやってんのね」ってな感じで。つまり、コスプレグループへの取り巻きの数から、その年の新参者はどのくらいいるのかが、厳密さは欠いているのは百も承知(こんなもんテキトウでいいんだよ!)ですが、なんとなくわかってきます。

 昨年の雑感記事で、私は、この経験則から、靖国参拝者の質的変化の可能性を表明しました。今年はどうだったか。黒山の人だかりができるほど取り巻きに囲まれたかと思えば、まるで相手にされなかったり、かと思えば、また群集に囲まれたりと、取り巻きの人数に顕著な「波」がありました。まだ、結論を出せる段階にはありませんが、まるで相手にされないときは本当にまったくといってよいほど相手にされていなかった(2005年にはありえないこと!)ので、参拝者はリピーター中心にシフトしつつあるとはいえるのかな?

 11時です。暑いです。参拝者の年齢構成は、「神社ってこんなもんかな(初詣は除く)」。つまり、現代の若者は余り神社に参拝するという習慣がない(初詣は除く)ので、その人数も限られているが、それでもまあまあ、「こんなもんかな」と言えるくらいの人数は来ている、といったところです。やっぱり中高年が多いのは仕方ないよね。ただ、2005年にはそこそこ見られた、元兵士っぽいご老人たちの姿は、やっぱり明らかに減っているよね。。。人数は、ようやく「あっ、日曜日」って感じがしてくる。

 11時40分。栗林翁グループが行進を始めるが、いつも先頭に立っていた翁がいない。。。取り巻きは、2005年には遠く及ばず、例年より心なしか少ないかな。。。そして、行進中の取り巻きの数にも「波」が見られる。翁グループの行進なんて客寄せの最たるものなのに(少なくとも、2005年はそうだった)。

 12時。参拝者の行列は神門付近を最後尾とすることで安定。「安定」とは言っても、その混雑は、首都圏の朝の乗換駅並だけど。参拝者人数は、目視と私の感覚基準で、「2005年程度」かな。まあその辺は、靖国神社側が参拝者数をカウントしており、毎年、公表していたと思うから、もっと正確な統計をお待ちください。私は完全に経験則に基づくフィーリングでモノを言っているテキトウさんです。参拝者年齢構成は、特にどの年齢層が多いとは言えない気がします。朝の遅い若者も、ようやくやってくるようになって来ました。

 おなか空いたし、ちょっと飽きたので、買出しに、靖国を離れる。靖国通りだったか内堀通りだっか忘れたけど、平成同志会とかいう右翼団体の街宣車の車体に「世の不条理に天誅」と書いてあるのを目撃。「世の不条理」ねえ。

 「世の不条理」に「天誅」というと、まあもちろん「天誅」なんて言葉は使わないものの、なんとなく左翼っぽさを感じてしまいます。むしろ右翼は、そりゃ常軌を逸した「世の不条理」には立ち上がるだろうけど、どちらかというと現行システムの保守、それこそ保守を旨としている限りは、ある程度の「不条理」は止むを得ないという立場であるような。天誅ウヨさんも、サヨさんも、掲げる理想社会の青写真が違うだけで、心根はそう変わらないのかも。

 千鳥ヶ淵に行ってみる。あいわからず、靖国との参拝者数には雲泥の開きがあるが、珍しいことに街宣さんたちの小グループが千鳥ヶ淵参拝している! 実は毎年やっていたのかな? 私が確認しただけでも、10人程度のグループと、3人程度のグループが、千鳥ヶ淵に吸い込まれていきました。

 長い昼休みを終えて、14時ごろに靖国に戻る。もう結構、飽きてきたぞー

 あちこちで聞こえる軍歌の合唱、しかしそこには、2005年にはいた元兵士(と思われる)ご老人の姿はなく、戦中・戦後生まれ(と思われる)人たちが、「自分たちの歌」では無いのにもかかわらず、得意になって歌っているという、なんとも言えない光景が広がる。かくして、勇ましい軍歌が、その裏側に潜む苦労を置き去りにされて、「受け継がれてゆく」のであります。元兵士が軍歌を歌うのって、私は元兵士じゃないから知らないけど、つらい訓練やらなにやらも全て含めて歌っている、思った以上に「深い」行動と思うんだけど、戦中・戦後生まれの合唱からは、どうも、そういう「深み」を感じず、「ただ格好良いから」くらいの動機しか感じないんだよねえ。まあ、私の勝手な感覚ですけどね。

 参拝の行列は短くなり始めました。参拝者年齢構成は、11時の段階では「神社ってこんなもんかな(初詣は除く)」でしたが、14時の段階では、やっぱり初詣には及ばないけど、若い層もだいぶ増えてきて、髪の毛を金色に染めた人たちも見られました。金髪を目の敵にする爺さん婆さん! 金髪はその人を判断する基準にはならないこともあるってことを分かってね!

 ここで再び「英霊にこたえる会」のアジが聞こえる範囲に移動する。会曰く、「新しい国立追悼施設建設は中国政府のいいなりであり、精神的に中国共産党の支配下に入ること」(要旨)だそうです。確かに、新しい国立追悼施設建設は中国もよしとするところであり、結論だけを見れば、中国政府の意向どおりということになると思います。しかし、その結論に至るプロセスは、必ずしも中国政府の意図するプロセスどおりとは限らず、「精神的に中国共産党の支配下に入ること」とは限りません。また、たとえ中国政府の意図するプロセスどおりであったとしても、そのプロセスを主体的に選択したのであれば、やはり「精神的に中国共産党の支配下に入ること」とは限りません。

 彼らに限らず、どうも日本人(まあ日本人に限らないと思いますが)の言動・行動を見ていると、対立相手が主張していることと同じ結論に至ることは屈服であり、主体性の放棄であり、どうしても受け入れられないという頑なな態度が見られるように思います。しかし、今書いたように、対立相手が主張していることと同じ結論に至ったからといって、そのプロセスまでもが同一とは限らないし、同一だとしても、その選択が主体的になされたのであれば、「屈服」ではなく、「主体性の放棄」でもありません。「良いものは良い」として柔軟に受け入れる、それが日本人の良いところだと以前、耳にしたことがあるのですが、そういう「良識ある日本国民」はどこに行ってしまったのでしょうか。

 あ、ちなみに、それ以外の靖国の歴史的・宗教的性格を根拠にした「新国立追悼施設建設反対」は、それは良いと思いますよ。私が言いたいのは、「新しい国立追悼施設建設は中国政府のいいなりであり、精神的に中国共産党の支配下に入ること」は、必ずしもそうではない、ということであり、「新国立追悼施設建設」そのものについては、ここでは何も言っていませんし、何も言う気はありません。言えるほど色々調べているわけじゃないから。勉強します。

 15時です。参拝者行列は中門鳥居付近まで短くなりました。もうこれ以上、参拝者が増えるとは思えないし、飽きてきたので靖国を離れることにしました。九段下駅方面に歩くと、あいかわらず、願望的便乗の宣伝活動が展開されています。法輪功、この際、関係あるのかな。。。九段下交差点には大量の日の丸隊と機動隊がいる。あー、そういえば、在特会が反天連のデモを粉砕するとかしないとか言っていたなあと思い出すも、そういえば去年もやってたじゃん、と思い出したので、一通り情勢を確認して、帰路につきました。

 以上が今年の靖国取材でした。昨年の雑感記事で私は、「「8月15日の靖国神社」ってどうなっちゃうんだろう」と書きましたが、以上に書いたように、リピーターも定着し、頭数的には安定化の傾向が見えつつあるのではないでしょうか。昨年、表明した懸念は、少なくとも今年は深刻化しなかったようです。しかし、栗林翁に結局会えなかったのをはじめとして、その年代の人たちにお会いすることは、ほとんどできませんでした。にもかかわらず、「似たようなこと」(軍歌合唱とか)はカタチの上では続いている。まさにカタチだけの「8月15日の靖国神社」になりつつあるのかも知れません。まあ、その辺は、今後も継続して観察し続ける必要があると思います。

追記
※ あ、気がついたら写真とってなかったわw いまさら遅いw
※ ビラコレクションは、取り込むのが面倒なので、気が向いたらそのうち。
posted by s19171107 at 00:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

靖国取材雑感

 今年の靖国取材のテーマは去年(右翼・左翼それぞれの8・15)の延長線上(右翼と左翼の8・15の戦い)としました。ということはすなわち、今年の報告記事を書くにはまず去年の報告記事から書かねばなりませんが、2年分の報告記事を書くのには若干の時間的猶予が必要です。だって1年も前のこと覚えていないもの。そういうわけで、報告本編は後日(この「後日」が厄介なんだよねw)としますが、先に雑感を記しておこうかと思います。ちなみに、目標は達成されました。あとは私の文章力次第ってことですww

 今年、取材していて一番思ったのは、参拝者について。8月15日に靖国神社まで来て参拝する人のが少しずつ減ってきているらしいということは、皆様も報道等でご存知かと思います。今年の参拝者数についてはまだ公表されていませんが、減り続けるかどうかは知りませんが、激増するということもないと思います。

 しかしながら、今年は数の変化のみならず、の面でも変化が始まっているのではないかと思いました。といいますのも、例年、8月15日には、栗林翁を中心としたコスプレ連中が出没しているということは、当ブログでも例年報じているとおりですが、例年、栗林一味には数多くの参拝者たちが写真撮影のために取り巻きのように集まっており、その人だかりは常に途切れることはありませんでした。そりゃそーですわな。あんな格好しているのがいれば、あまり靖国神社に来たことのない人ならば、写真にも収めたくなりますよ。(ちなみに私も最初のうちは物珍しさから写真を撮りまくっていましたが、今年は一味が出没したことを記録するために1枚だけ撮った以外は全く撮りませんでした。だって毎年全く同じ格好、同じ行動だし)

 しかし今年は、確かに写真撮影目当ての取り巻きはいることにはいるのですが、例年よりも気持ち少なめだったように思えたし、さらに、本当に短時間ではあるものの、取り巻きがサッパリいなくなった瞬間がありました。私はこの現象を、一味に物珍しさを感じるような一般人や新参者が本当に若干数ではあるものの減ったということを示す現象なのではないかと解釈します(もちろん、それを証明するためには向こう3年間くらいは調べ続けなくてはならないわけですけどね)。

 14日にも靖国神社周辺に用事があったついでに様子を見てきたんですが、各県遺族会の名義の観光バスが相当数集結し、集団参拝していました。遺族会は15日ではなく14日に参拝に来、15日に戦友たちに会いにくる元兵士たちには続々と「お迎え」が来、その数を減らし続けている。栗林一味に物珍しさを感じ、興味本位で撮影する色んな意味で一般人も減ったかもしれない。その一方で、昨年、五星紅旗が踏みつけられ、切り刻まれた挙句に燃やされた低俗なパフォーマンスがあった(去年の雑感記事がすごい鬱だったのはそれを目撃したせいなんですけど)ように、アレな人たちが15日にやってくるようになって来た。「8月15日の靖国神社」ってどうなっちゃうんだろう。私に心配されているようじゃいよいよヤヴァいよー
posted by s19171107 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月22日

朝鮮民主主義人民共和国創建60周年在日同胞大祝典になんか紛れ込んでしまった記録

 去る9月9日、朝鮮民主主義人民共和国は創建60周年を迎えました。それを祝賀して、9月21日、東京・十条の東京朝鮮中・高級学校にて「在日同胞大祝典」が催されました。「在日同胞」でもないくせに逝ってきましたので、ご報告いたします。

 私が十条界隈に到着したのは12時ごろだったと思いますが、どこから本祝典を聞きつけたのか知りませんがウヨさんたちの害戦車が。。。やたら道路が渋滞していると思ったらこいつらのせいでした。

 通りから朝鮮学校入り口までの狭い道は訪問者が列をつくる。共和国旗がプリントされた運営Tシャツを着た運営の中の人が整理していました。

 なんとなく人の流れについていって入り込む。それまで日本語で会話していた人たちが門を入ると急に朝鮮語で話し始める。知っている単語は聞き取れるが知らない単語は右の耳から左の耳へ。「地理的には"日本"だけど、文化的にはもう"日本"じゃないんだなあ」という思いをしみじみと感じるが、周りの人の顔立ちを見ると、日本人と朝鮮人の区別はつけづらい。特に女性は。まあ、金英日ソンセンニムは「もう120%同胞と言っても過言でないくらい熱気がムンムン。チョッパリは目視観測でどうやらおいら一人のようである。 倭奴の血が流れていることに羞恥心すら感じる感じなのである」と自虐気味に書かれていらっしゃるので、単に私の修行が足りないだけなのかもしれませんが。

 タイムスケジュールをご覧になればお分かりいただけると思いますが、12時から開幕セレモニーが催されるとのことだったのですが、あいにくの雨のためか20分ほど遅れて始まりました。

 まず国旗掲揚・国歌斉唱。なぜか直前から急に雨足が強まるが、国旗掲揚・国歌斉唱のときは傘をたたむ人もみられる。壇上には金日成主席・金正日国防委員長の肖像画。

 つづいて開会宣言。もちろん朝鮮語で。断片的にしか朝鮮語が分からない私には何を言っているのか良く分からなかったのですが、最後「朝鮮民主主義人民共和国万歳!」の掛け声とともに爆竹が鳴り、会場からも「万歳!」の声が沸き立ち、風船が飛ばされる。つづいて「人民共和国宣布の歌」の生合唱が始まる。舞台脇の巨大スクリーンには建国当初のものと思われる白黒のフィルムが投影されました。

 その後は各地各界からの「メッセージ」としていろいろ読み上げられたり、あるいはビデオレターが放映されましたが、朝鮮語が分からない私には残念ながら良く分からん。アントニオ猪木氏、デヴィ・スカルノ女史、川上参議院議員(日朝国交正常化推進議員連盟)のメッセージは日本語で流されました。

 会場参加者の中からも何人か壇上に上がってスピーチしていましたが、やっぱり朝鮮語が(ry でも、「父なる首領様」「敬愛なる将軍様」「社会主義」「強盛大国」と、どっかで聞いたことのある単語が聞こえてきました。もちろん、文脈を無視して単語や短文だけで何らかの評価を加えることの危険性は、4月21日づけ「新潮の恣意的記事について(今更)」にて既に実例を取り上げていますので、朝鮮語の出来ない私としては特にコメントはしないでおきますが、実際にこういう単語が飛び出したことは事実ですので書きとめておきます。

 こういう集会は一人で行くと完全に浮きます。やることないけど、何かあるかもしれないという突撃取材者根性で居座る。実際、いろいろな集会の取材経験から「そろそろ帰ろうかな」と思う頃に事件が起きますから。結局最後まで何も無いことも多いんだけどwww

 写真展に入る。抗日武装闘争時代の様子を描いた絵画から始まる金日成主席・金正日国防委員長の時代ごとの写真や、新国旗を掲げて練り歩く平壌市民や金日成将軍の肖像画を掲げ建国を祝う特別仕様の路面電車の写真といった建国当初の共和国の様子、あるいは、建国後の土地分与の恩恵にあずかり笑顔で農作業をする農民、団欒する農民、「保守主義消極性をぶっ飛ばせ(←相当意訳)」の張り紙の下で真剣な顔で作業に従事する労働者といった一般人の様子、更に、日本国内の在日朝鮮人の60年間の歩みの写真記録といった、それぞれ資料性の高そうな品々が展示されていました。私の横で展示を見ていた女性曰く、「あっ、これなつかしい。昔、教科書にのってた!」と言っていました。

 ところで、修整写真らしきものがあったような気がするのは気のせいでしょうか。「私設 朝鮮民主主義人民共和国研究室」さんとこの修整写真集の一番下に掲載されている「最高人民会議第1次大会」に似た写真があったような無かったような。。。記憶が相当曖昧なので断言できないのですが、金日成首相と、なんか弱わっちそうなオッサンが並んで座っている写真があったと思うんだけど。。。金英日ソンセンニム、あのような写真が展示されていたご記憶はありますか?

 写真展も見終わってしまい、いよいよやることが無くなったので冷麺食べながら人物観察。やっぱり日本人と朝鮮人の違いが殆どつきません。強いて言えば、会場が朝鮮中・高級学校(日本の中学・高校にあたる)だったので学生も相当数参加しているのですが、昨今の日本の高校であれば必ずみられる、だらしない服装の男子生徒(「腰パン」している奴って頭に蛆でも沸いているんじゃないの?)や、無意味にスカートを短くしていたり、あるいは、「それもう化粧じゃなくてペンキでしょ」と言いたくなるほど化粧を塗ったくっている女子生徒が私の見る限り皆無でした(化粧については、学生以外では極一部見られた)。そういう意味では、「日本人と朝鮮人の区別」はつけられたかもしれません。

 ところで、この祝典に参加していたと思われる方々も今日の体験を思い思いに記録されているのですが、そのなかで以下のようなものを見つけました。
>>> つうか今日、東京朝高の学生と茨木朝高の学生が喧嘩になったらしい。
理由は茨城朝高のハッセンが少し茶髪なんだけど、チョッパリみたいと言う理由でいきなり顔面になぐりかかったらしい。血だらけだって…
ひどくね…マジ可哀相。
<<<
 で、そこのコメント欄。
>>> そいえばケンカみたわ
たぶん血だらけになったのゎ2回目のケンカ
ナァが見たのは1回目のケンカだけど、合唱のときナァの後ろにいた東京のくそ男子がその茶髪の子のことずっとチョッパリAって言ってて、茨城だけ遅れてきたんだけど「早くしろよ田舎っぺ」とか言ってて、てか日本語使ってるてめーがチョッパリだよってかんじだったんだけど、合唱の本番のときも、わざと歌詞ずらすわ勝手に1人でしゃべるわ観客指さすわで最悪だったよ
ナァがそいつ殴っときゃよかったー!!!!!
<<<
 (´・ω・`)
 確かに、昨今の日本で何故か注目されている、「ファッション」と「だらしない」&「化け物」の境界線の際どい所にあるシロモノ(一部は最早、頭に蛆が沸いているとしか思えないものもある)が今回の祝典では皆無に近かったことは事実であり、これは即ち、日本人と朝鮮人の感覚が違うということを意味しているものと思います。私としましては、昨今の日本のああいうシロモノを快く思わないことについては特に文句言うつもりはありません。
 
 しかし、昨今注目されているあの手のシロモノが「チョッパリ」すなわち日本人の形容とされることについては、ああいうものに対しては嫌悪感すら感じる一方で、今回の祝典に参加しておられた朝鮮学校生徒諸兄の身だしなみに大変な好感を抱いていた日本人の私としては、極めて心外であるといわざるを得ません。

 というか、「チョッパリ」って日本人の蔑称じゃない。チョンだ何だと言われ不当な圧迫を受けてきた在日朝鮮人が、今「茶髪はチョッパリ」だとか「日本語使ってるてめーがチョッパリだよ」という言うことの矛盾はどうしたものか(というか、あんたもそれ日本語で書いているじゃんwwwwwwwwwwww)。

 もちろん、たったこれだけのサンプルを元に数千万の朝鮮民族の評価を決定することは、「茶髪」という理由だけで1億数千万の日本民族の評価を決定する馬鹿者、「日本語使ってるてめーがチョッパリだよ」と日本語で書く困ったさん、更に言えば、どこからか朝鮮民族の醜聞を引っ張りだしては「チョンはクズ」だとか言ってチンケな優越感に浸っている、「自称愛国者」(実際は「日本の恥」)と同等になってしまうため、私としましては、上記コメントを以って「朝鮮人とはこういう民族だ!」と短絡的に評価するつもりは毛頭ありません。何処の国にもこういうのは一定数いますからね。中東の某国とか。

 しかしまあ、、、ふぅ。まあ一定数だしね。。。うん。。。馬鹿は鋼鉄の胆力で革命的にスルー(`・ω・´)

 まあそういうわけで、祝典会場では結局何も見出すものは無く、むしろ帰宅後にネタを見出した本件でした。

 最後に、先ほど金英日ソンセンニムの記事を一部引用しましたので、ソンセンニムの記事中から気になる部分を抽出させていただきます。
>>>  意外だったのは、将軍様のバッジをつけている人は見当たらなかった(もしかしたらつけていた人がいたかもしれない) <<<
 いました。総連関係者っぽい方々は、バッヂをつけていらっしゃいました。それ以外の下っ端運営は共和国旗がプリントされたTシャツでしたけど。

>>>  写真撮影のほうですが、撮影している人・カメラ持っている人はいませんでした。

 また撮影禁止とも書いてませんでした(みてないだけ?!)そういう環境下でデジカメ撮影したらボクシング部のイルクンにボコられても文句は言えないだろうな・・・・(確か強いんですよね?!)
<<<
 いえいえ、何枚か取りましたけど、大丈夫でしたよ。帰宅後によくよく吟味してみると使えそうな写真ではなかったので今回の記事では写真類は一切掲載しませんでしたが、取ること自体は問題なかったですし、在日の方々も特にシルムの会場では普通に撮っていらっしゃいました。
 単にわざわざ撮るようなものが無かっただけじゃないかと思います。

 以上、報告終わり。
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2008年03月30日

綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(5)

 第5回は質疑応答です。Q&A方式で報告します。

 最初に浦安市から来たという「サトウ」氏から質問がありました。

Q1―1
 2人の死因について鑑定書ではどうなっているのか、もう少し詳しく知りたい

A1―1.
 二人とも窒息死となっている。

Q1―2.
 被害者女性については、頚部への攻撃によるものか

A1―2.
 そうである。頚部圧迫による窒息死であると特定されている。しかし、被害女児については法医学的見地から行くと、窒息の原因は分かっていない。
 自白では頚部を強く絞めたとなっているが、その痕跡は無く、ただ弱い「ちょうちょむすび」の跡しか無い。上野氏の分析によると、赤ん坊の首はむくむので、弱い「ちょうちょむすび」が二次的に頚部を圧迫したのではないかとしている。しかし、それであっても、呼吸不全による窒息死なのか、血流不全による窒息死なのかまでは、やはり分からない。

Q1―3.
 スリーパーホールドの痕跡はあるのか

A1―3.
 ある。しかし、スリーパーホールドで死亡したわけではないことは、重ねて申し上げる。

 「サトウ」氏からの質問はここでおわりました。
続いて、50代くらいの青い服を着た男性が、司会担当の綿井氏から指名されたのちに、名乗りもせずにケンカ腰で質問をはじめました。

Q2―1.
 先ほど話題に上った「ちょうちょむすび」について、「ちょうちょむすび」であると分かる痕跡はあるのか。すなわち、普通に絞めたときと「ちょうちょむすび」で絞めたときの違いというのは分かるのか。

A2―1.
 「ちょうちょむすび」の状態で死体が発見された。

Q2―2.
 別の殺し方をして、そのあと「ちょうちょむすび」をしただけではないのか。

A2―2.
 法医学的には、首を10分ほど絞めないと絞殺できないのだが、10分も絞めれば当然、表皮剥奪や皮下出血がおきるのだが、そのような痕跡は無く、ただ「ちょうちょむすび」の痕跡しかなかった。

Q2―3.
 たとえば、手で口を覆って殺した可能性は?

A2―3.
 そのような痕跡は無い。

 つづいて、「チョウ」さんからの質問。
Q3―1.
 原告(原文ママ)の男性は死刑を求めているが、弁護団の「ゴール」はどこなのか。本件は少年に対する裁きとして活動しているのか、死刑問題として活動しているのか。

A3―1.
 まず、「原告」ではないことを指摘する。
 弁護団は、明確に少年事件としており、過去の少年事件の判例から、死刑ではなく無期懲役を求めて活動している。

Q3―2.
 綿井氏が光市裁判の取材をしようと思ったのは何故か。

A3―2.
 所謂「最高裁ドタキャン問題」以降、

1.何故「ドタキャン」したのか
2.最高裁以降の弁護活動を見て、それまで認定されてきた「事実」が客観的証拠と異なるのではないか
3.2人の人を殺した経緯を差し戻し審を追うことによって知りたい
4.「被害者遺族の男性vs弁護団」の構図の中で、被害者遺族男性側の情報が過多であり、場外乱闘が激しい一方で、裁判そのものの中身がいまいち分からない

以上の4点から、本件に関わることにした。

男性。
Q4―1.
結果的にふたりを殺めたのだから、そんな奴は裁判なんてなくても死刑で良いとする世論が大きいが、それについては?

A4―1.河井
 裁判は事実を確定させる。何があったのか確定させるのは人を裁く大前提である。Q4―1のような言説は裁判ではない。民主法治国家において、人一人を処刑台に送るかというときに、Q4―1のような発想は裁判では許されない。

 また、永山事件判決は総合的判断の下で、なお死刑が止むを得ない場合のみに死刑を認めるとしている。つまり、死刑を選択するか否かのときは、被告がどういう経緯、どういう対応、どういう心境で犯行に及んだのかについて分析することが不可欠である。法改正するならまだしも、現状においての手順はこうであるのだから、これに従わなくてはならぬ。弁護団は法律実務家なのだから、手順に従わなくてはならない。

綿井
 今の質問は本件に対する典型的反応である。たとえば、公判の日の広島高裁前での大騒ぎのとき、通行人は私(=綿井氏)に「これ何ですか」と聞く。「光市事件裁判です」と答えると、通行人は「判決は?」とか「死刑?」とか、結論ばかりを聞いてくる。傍観者は結果・判決にしか興味が無いが、これは裁判なのだから、死刑か否かという量刑の前に、事実関係の検査が先ではないのか。

 死刑か否かという量刑にばかり目が行く問題について、綿井氏が以下のように、河井氏に話を振りました。
 以前、会見で記者が弁護団に対して、弁護団は遺族の男性に対してどういう気持ちかと問うたことがある。そのとき、弁護団は事実を解明したいだけだと答えた。弁護団に対して遺族について問うというのは、立場上どうなのか。

 対して河井氏は、以下のように答えました。
 本村さんが死刑を求めるのは自然の感情としては良く分かる。「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いは、今まで何度もされてきた。もし自分なら、本村さんと同じく死刑を求めるかもしれない。しかし、やはり民主法治国家においては、被害者がそういっているからといって、決めてよいわけではない。
 また、「もし自分が」というのならば、もっと想像力を働かせて、自分が逆に心ならずも2人の人を殺めたときに、どうするのか。それも想像すべきだ。そのときには、きちんと自分の言っていることを伝えてほしいと思うはずである。
 自然の感情としての本村氏の主張は理解できるが、だからとって、弁護しなくても良いということにはならない。

 いやはや、感服しました。感情や思想と実務を峻別する。以前、安田弁護士も「法廷で思想闘争したら弁護士失格」と言明されていた東京新聞記事をご紹介しましたが、やはり弁護士というのは、こうでなくちゃいけません。

私は、第1回の記事において、以下のように書きました。
氏の死刑制度への賛否については、このトークショーにおいては明確に立場表明をしませんでした。今回の言動を聞く限り、私見では廃止論者ではないようなんですが、確実なことはいえません。
 この根拠というのが、上記太字部分です。
 といいますのも、ガチの死刑廃止論者というのは、「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いに対して、かなりの確率で、「死刑は誰も救わない」とか「たとえ凶悪犯でも、殺してよいわけではない」などのような、妙な人道主義に基づくお説教を始めるんですよ。で、明確に答えようとしないんです。
 しかし、今回のトークショーにおいて、河井氏はそういう死刑廃止論者的なお説教は一切せず、むしろ被害者遺族の男性の気持ちは理解できるし、自身もそういう境遇に陥れば、被害者遺族の男性と同じ行動をとるかもしれないと自らの口で仰いました。私には、河井氏が死刑廃止論者であるとは思えません。

 さて、ここからがリアル感情屋の発狂のお時間です。
 この発言について、先の「サトウ」氏が、「自分が加害者ならどうするのか」、名乗らない青服の中年男性が「心ならずもでなかったらどうするのか」と同時に、手も挙げずに発言しました。

 まず後者については、自分の言い分をきちんと主張したい、明らかにしたいと思うはずだと答えました。

 これに対して、「サトウ」氏が、自身に科されるべき量刑については如何思うかと問い、河井氏は、同じく、自分の主張に基づいて判断してほしいと思うはずであるとしました。

 「サトウ」氏しつこい。「それは自分に死刑を求めないということか」と食い下がります。河井氏は、死刑は嫌だという気持ちはあるだろうと答えました。

 さーまだまだ行きますよー「サトウ」氏。死刑になるべき犯罪を犯した場合、事件の重大性について「まともな倫理観」があれば「更生したのならば」、食事も喉を通らないだろうし、自分なら壁に頭をぶつけて自殺を図るかくらいのことは当然するはずだ、と自身の美学をご披露なさいました。つまり「サトウ」氏は自身に「まともな倫理観」があると思っているみたいです。

 えー、私から突っ込ませていただきますと、被告は検察官から再三の「生きての償い」の重要性を吹き込まれており、事件以前からの自殺願望や、逮捕直後の自殺計画については凍結したということは、当シリーズでご紹介しました。また、更生とかそういうのは、実際に禁固刑や懲役刑になって、更生プログラムを受けて初めてはじまるものです。このトークショーにおいても指摘されたように、被告は9年間も刑務所ではなく拘置所にいるため、更生プログラムは一切受けておらず、現に例の「不謹慎な手紙」を出した。しかし、差し戻し審弁護団との共闘によって「事実と向き合う」という更生の前提・スタートラインに今やっとついたばかりです。
 人間の更生や矯正というのは生半可なもんじゃありません。一種の思想改造であり、ある意味での「洗脳」なんですから。ゆえに「まともな倫理観」とかそういうの以前に、更生のプロたる刑務所の指導員の援助無しに、自力で更生できるなんてことはまず無いと考えたほうが良いです。
 それに、そもそも拘置所内で壁に頭なんてぶつけていたら巡回員にすぐに見つかるでしょう。刑務所・拘置所の自殺なんて脱走と同じくらいの大恥なんですから、そうそうさせませんよ。あんたアホじゃないですか。

 これに対して、ある参加者が「今法律の話をしているんだろう」と口を挟んだところ、「サトウ」氏火病。「あんたは司会じゃないんだから黙ってろ!」と怒鳴り始めました。また、仲介者が論点整理を試みると、それに対しても「勝手に整理すんなオラァ」と火病。質疑応答の時間に火病起こすような奴に「まともな倫理観」を語ってほしくねーなーw

 このやりとりについて、河井氏は「どちらの方が話されているんですか、、、」とかなり困惑気味。答えようとしても、答えきる前に「サトウ」氏がドンドンまくし立てて、それに対して仲介しようとした人に対して怒鳴るんですから。

 会場のしらけた雰囲気にちょっと気がついたのか「サトウ」氏、ちょっと冷静な口調で、以下のように続けました。

 曰く、マスメディアの演出については、今回のトークショーで良く分かった。事実関係についても綿密に審査すれば、傷害致死になるということは分かった(←今回のトークショーではそんなこと言っていない)。しかし、この犯人は死刑にすべきだ。傷害致死では10年程度で出てきてしまうが、何の罪の無い女子供を殺しておいて10年そこらの小便刑で出てくるというのは、市民社会的・一般的常識(←でました)から考えておかしいだろうと思うので、もし被告が死刑にならなかった場合、それは裁判所と弁護団が道徳的に間違っていると思う。(←道徳根拠の処罰は俺様正義の典型例で、歴史上、さまざまな恣意的処罰がなされました。だから法律ができたのを知らないんですか。)
 弁護団は事実関係どうこう言っているが、安田弁護士は「手段を選ばない死刑廃止論なのは周知」なので、安田氏の言う「事実関係の重要性」は方便にしか聞こえない(←はいはいわろすわろす)
 復活の儀式のよな、セクハラオヤジの言い訳みたいなことを公言することは性差別である。それについて綿井氏も問題にしないのは男としての性差別意識に無自覚なんじゃないか(←「女子供」という言葉も文脈次第では性差別ですよ。一方的な弱者認定はある意味の逆差別だって知らない?)。
 当裁判は死刑か否かの構図で世間を通っており、「良識ある」(本文ママ)マスコミ人は、死刑にしようということで活動している。確かに誇張はあるが、こいつは死ぬべき人間なのだから、結果的に正しい。自分は被告死刑の側に加担する。こいつが殺されることこそ正しい。

 私から一言。「ポル・ポト乙」。
「故意」と「未必の故意」(あるいは「過失」)の区別を敢えてつけず、民主法治国家の論理で動いている弁護団の主張をよく踏まえながらも、やはり死刑にすべきだという、狂信的な考え方、安田氏について「手段を選ばない死刑廃止論なのは周知」と、肝心なところを妄想で穴埋めして自論を正当化する、その独特の思考回路、そして何よりも邪魔者を殺すことには手段を選ばない、その反民主主義・反法治主義の考え方こそ、カンボジア200万人民を3年8ヶ月という短期間で虐殺した、稀代の凶悪殺人鬼集団ポル・ポト一味の思考回路と全く同一です。

 当ブログでは、私が「感情屋」と呼ばせていただいている、この手の方々の主張は、稀代の凶悪殺人鬼集団ポル・ポト一味の大虐殺の原動力となった極めて攻撃的な思想と類似していると再三、指摘してきましたが、今回もその現象がよく見えました。この方は、被告を処刑台に送るべきだと主張していますが、私に言わせれば、鏡に向かって「死刑だ死刑だ」と叫んでいるように見えます。

 さて、河井氏は時間がなくなってきたので手短に答えるとして、以下の返答をしました。

 そもそも、弁護団は政治活動ではなく、実際の法律に基づいて、判例に基づいて活動しているに過ぎない。傷害致死ならば、最高で無期懲役刑なので死刑は回避されることになるのは確かである。仮に傷害致死でなかったとしても、未必の故意ならば、永山判例基準から言うと、死刑にはならないと指摘しました。

 対して「サトウ」氏が割り込む。曰く、それはやはりあなたの政治判断であり、あなたは弁護団に入らないという選択肢もあったはずだ、とのこと。

 本当にこのひと狂信的ですね。河井氏が弁護団に入ったのは、前提となる事実の異なる状況において人一人を処刑台に送ることは民主法治国家においては許されない・看過できないからだと言ったじゃありませんか。

 河井氏、「サトウ」氏がホンマモンのアレであることにやっと気がついたらしく、「えー、分かりました。そういう風に受け取られるということは理解いたしました。よろしいですかね。」と打ち切りました。「サトウ」氏のほうは、「あたりまえでしょ」という、もう突っ込む気力すらなくなるような発言をしたものの、なんか納得したようです。もしかして、勝った気でいるのかな?悪いけど、「感情屋」を飛び越して、アレとしか思えないんですがね。

 さて、ここで綿井氏が来年から始まる裁判員制度について話題を振りました。このトークショー(2月2日)の直前、1月31日に『光市事件裁判を考える』という本が発売され、このトークショー会場でも何冊か売られていたのですが、その帯には「光市母子殺害事件裁判は裁判員裁判の実施前の大試練である」という風に書いてあります。
 さっきのアレを見る限り、「大試練」どころの騒ぎじゃないのですが、まあ正しい認識だと思われます。
 今回の裁判の法廷は、広島高裁ひとつのはずなのに、各地で私的裁判がなされている。しかし、公式の裁判の法廷である限り、双方の主張を公平にジャッジしてほしく思う。だから、被害者遺族の声だけが基準になることは果たしてよいのだろうか、と如何しても思う、とのこと。

 ここで時間、、、と思ったら、、暫く静かだった例の、名乗らない青服の中年男性が最後に質問とか言い始めました。
 曰く、アベック事件の元被告に対して、償いの仕方を教示してもらうために文通をしているということは、このトークショーのなかでもふれられましたが、それについて、どの段階から始めたのか、すなわち、死刑が見えてからなのか、それ以前からなのか、とのこと。
 河井氏返答。最高裁弁論開催決定前(=「死刑公算」についてまだ分からない時期)からとこたえました。
 男性、「あぶなくなってからってことですよね」。違いますよー最高裁で弁論が開かれることを以って、この事件の無期判決破棄が見えてきたのだから、それ以前ということは、まだ分からない状況ですよ。

 最後に、判決をどう受け止めるべきかという点について。
 既に法廷における活動は終了しており、弁護団としては判決を待つだけ。その前段階として、集会などに呼ばれれば参加してゆきたいと考えている。被害者遺族の男性は、殺害行為などについて議論すること自体に相当に不快感を示されていたので、河井氏としても、遺族男性の気持ちは理解するよう努めてきた。この事件が痛ましい事件であるということは、弁護活動をやってきた中で、よく分かっているつもりであるが、だからこそ、事実に真面目に取り組んできたつもりである。遺族の男性におかれては、こういう話をすること自体が不快感を与えているとしたら、それについては申し訳ないのだが、報道が余りに事実を伝えていない、誤った前提の下で議論されているがゆえに、こういう形で事実関係について話をすることについて、お許しいただければと思う。こういう形でしか、弁護団は遺族の方に向き合うことはできないと考えているそうです。

 おわり、、、と思ったらまた質問だよ、おっかさんwwwww

 1・2審の弁護方針について、今の弁護団の中で議論はあるのか、とのこと。
 河井氏は、当時の弁護人から話を聞いたことが無いので良く分からないので、コメントする立場に無いのだが、結論から言うと無期懲役ということで来ており、下手に争って批判を浴びるより、情状一本に絞ったのではないかと思うが、それが良いかどうかはクライアントたる被告人次第なので、やはり河井氏にとっては答えづらく、コメントする立場にないようです。
 綿井氏によると、1審当時の弁護人は父親がつけた私選弁護人で、事実関係について争わず早く終わらせるために情状弁護とするとように依頼されており、また、遺族から民事告訴されたないようにしてほしいとの要望だったそうです。

 別の男性から。
 この裁判の問題は、1.最高裁以前の弁護 2.検察がストーリーを作り上げた 3.被害者感情に便乗するメディア の3つがあると指摘した上で、もし裁判員になったときに、被害者感情に便乗するメディアの暴走を、裁判員が負う羽目になるのではないか、すなわち、メディアの恣意的報道によって形作られた「世論」の批判が、正しい判断を下に過ぎない裁判員に集中するのではないか、という危惧が述べられました。
 それに対して綿井氏は、被害者感情と処罰感情が一体化しうることは事実で、被害者にそれを区別しろというのは酷な話であるが、伝える側としては、これを一緒にして果たして良いのか。そして、事件がおきてから裁判が始まるまで相当期間があり、裁判員は裁判が始まるまで、自身が裁判員になることが分からないシステムなので、この間に犯罪報道を目にすることは当然ありうる。果たしてどのようにすごせばよいのか、という重大な問題があると指摘しました。

 以上、今度こそ、トークショーは終了しました。
2月2日のトークショーの報告記事完成が3月30日。。。本当に申し訳ありませんでした。改めて謝罪すると共に、深く自己批判します。

本トークショー関連の記事一覧
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司法関係関連記事一覧
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2008年03月29日

綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(4)

 第4回は所謂「不謹慎な手紙」について報告します。

 手紙の背景として、文通相手について説明がありました。曰く、相手は先に出所していた元同房者であり、度々被告を煽り立てる内容の手紙を送っていたそうです。被告は犯行当時18歳で、以降ずっと拘置所に収監されており、友人がおらず、唯一自分の相手をしてくれる、この元同房者に相手にされたいが為に、被告もその煽りに乗ったものであると考えているそうです。

 しかし、この手紙が不謹慎であり、酷い内容であることは確かであると言明しました。河井氏自身は、あの手紙が書かれた時点ではまだ弁護団にはいっていなかったので、あくまで推測に過ぎないが、という断りの上で、当時被告は所謂「反省」というものはしていなかったと思われるとし、その理由として、被告はあの段階では事実と向き合う機会を与えられていなかったからであるとしました。

 あたりまえですが、ある出来事に対して「反省」するということは、その出来事に対して真摯に向き合う必要があります。しかし、被告は当時18歳、精神年齢に至っては12歳以下程度と鑑定されていました。筆者自身が12歳だった時節のことを思い出すと、私も当時いろいろ「悪いこと」をやっていましたが、所謂「良心の呵責」による自主的な生活総括・自己批判よりは、親類や教師など、外部からの圧力による生活総括・自己批判の方が圧倒的に多かった記憶があります。少年事件における被告人については、弁護団も更新意見陳述書において、「少年はその能力の未発達から、自分の行為を正確に認識し理解することはもとより、これを表現し説明することも困難である」としているように、外的要因によって「事実と向きあわせる」ことが必要であります。

 その点、1審における被告人質問は20分余りと極めて短く、特に犯行についての質問は5分あったかないか程度であり、これでは「反省」の前提たる「事実と向きあわせる」としては、全く不十分であると言わざるを得ません。

 では、あの「不謹慎な手紙」からかなり時間のたった現時点では、被告はどの程度まで「反省」できているのでしょうか。

 その点について河井氏は、まず今回の最高裁審理・差し戻し審を通じて被告は初めて、自分の言葉で話すことによって、事実と向き合うことができ、更生の大前提には至っているとしました。今まで決して語らなかった、昔日に実父から受けたDVについて語り、あれが自分の人格形成に大きな悪影響をもたらし、今回の事件もあのDVの経験が影響していることを認識したが、しかし、いかなる理由があろうとも、人ふたりを殺めたことは許されないことであるということも認識したといいます。

 では、被告は現時点で既に真人間になったかといえば、そうではないく、被告は18歳の犯行当時からずっと拘置所におり、更生プログラムは一切受けていない。また、安田弁護士らが当裁判に弁護人として名乗り上げるまでは、裁判関連の資料を殆ど所持しておらず、全く裁判から疎外され、また「疎外された」裁判においても、「反省」の前提たる「事実」と異なるストーリーを軸として長いこと進んできたのだから、そう簡単に「反省」できるものではなく、今回の差し戻し審で初めて、反省のキッカケを得、償いの仕方を今まさに考え始めた段階にあるとしました。

 被告は死ではなく、生きることを望んでいます。その生きる目的については、まだ発見には至っていないようですが、今の段階においては、何故このような事件がおきたのかを示す生き証人となりたいそうです。そして、生きる目的を探し・贖罪の仕方を見つけるために、名古屋のアベック殺人事件の実行犯と文通をしているとのことです。

 ここで綿井氏も、自身が被告と接見した経験から、話をされました。
 曰く、被告は自身についての報道は、ラジオや新聞を通じて良く知っているとのこと。流石にテレビは無いそうですが。そして、そういうメディア報道を目に・耳にすることによって、自分の考えを如何伝えるべきか、何をやっても正しく伝わらないのではないか、またメディアの方で改変されてしまうのではないか、と悩んでいるそうな。

 最高裁弁論直前に安田弁護士らと接見し、その場において殺意の否定など、それまでの裁判の前提となっていた検察調書における「自白」と根本的に矛盾する発言を行ったことによって、当裁判は新しい局面に入ったことは皆さんご存知でしょうが、その前にまず教誨師に対して自分の行為を告白していたらしいことを明らかにしました。

 また、綿井氏は被告の内面について、小難しい用語を使う「大人の部分」と自分の言動に対する無防備さなどの「子供の部分」があると指摘。前者については拘置所房内における読書の賜物であろうとし、後者については、18歳の犯行当時からずっと拘置所にいることによって社会経験が無いことによるものであると推測しました。

 被告は自殺については何度も試みています。母の自殺後より自殺願望があり、事件直後も父親にバレるのが怖くて自殺を図ろうとしています。このように、自身の「生」についての意識が希薄であったのですが、取調べ官や検察官などから、生きて償うことの重要性を説かれたそうで(その検察官から今死刑を求刑されているのは、なんともまあ)、また判決が近いからか、「死」とは何かというようなことについて考えてるようです。

 これ以降、質疑応答に入りました。質疑応答の模様については別記事で。

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綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(3)

 検察主張と客観的証拠の乖離については、第2回の記事で報告しましたが、これらの情報についてメディアで報じられることは、まずありません。

 河井氏によると、弁護団はこの手の説明を今までメディアに向けてやってきたそうです(その点、橋下の懲戒請求は全く根拠が無かったことになります)が、報道関係者曰く、これを掲載すると視聴者の理解が得られず、社が攻撃の対象になってしまうため、幾ら現場記者が記事にしても、上層部がカットしてしまうそうです。
 この点について河井氏は特にコメントはしませんでしたが、弁護団が依頼した法医鑑定などの翌日はメディアは殆ど報じない一方で、被告人質問など翌日は洪水のように報道されることだけは事実であると仰いました。

 ここで、「洪水のように報道される」一例として、昨年9月の集中審理のときの、「私をなめないで戴きたい」のところを執拗に取り立てる、日テレの『ザ・サンデー』が参考資料として放映されました。

 これについて、実際に法廷で一部始終を見ていた河井氏は、「相当の脚色」があるとしました。

 まず、VTRでは被告が「全てにおいて証明しましょうか!」と怒鳴っているが、実際のセリフは「では、証明します」であり、怒鳴ってもいない。「異例の行動」というアナウンスがあったが、裁判長も制止しない程度の穏やかなものであったとか。(VTRどおりにやったら制止される)一方で、こういう発言をしたことは事実であると言明しました。

 その上で河井氏は、弁護団が後日、被告人と接見したところ、被告は反省の弁を述べていたとか。18歳からずっと拘置所に収監され、未熟なまま26歳(07年9月現在)になった被告であるが、反省の弁を述べられる位には成長したようです。

 なお、綿井氏がついでに、カメラアングルに噛みつきました。
 件のVTRでは、全ての視点が裁判長からの視点で撮影されていましたが、記者を含めた傍聴者は全員、被告人の背中しか見えないはずなので、一体、あのVTRにおける目を剥いた表情はどうやって「再現」したんだろう、とのことです。
 一見してどうでもいいことですが、こういうセコイ印象操作の積み重ねで今の被告の劣勢が形作られ、どっかのだれかさんはそれに便乗して言いたい放題言っているので、この事件の裁判においては、こういう印象操作こそ、見逃すことが出来ません。

 ここで10分間の休憩に入りました。
休憩時間中、何人かの参加者が綿井・河井両氏へ要望などを伝えていたらしく、休憩時間後は、所謂「不謹慎な手紙」について話が及びました。こういう、参加者の要望で色々と話が聞けるのが「トークショー」の良いところなのですが、結局、強姦の計画性の有無については、話すのを忘れてしまったようですね。。。

 続きは、日曜日に取材に行く関係で、今晩徹夜で書きますね☆
でもその前にちょっと一服。。。(←この「一服」が厄介者)

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綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(2)

 私は大変なことを忘れていました。「綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(1)」の続きを書くのをすっかり忘れていました。

 もう2ヶ月も前の出来事で、実は報告記事の原稿も出来ていたのに、なんか欲張って、別資料を織り合わせた「総合的な記事」とかいうのを書こうと思っていたんだっけ(←そこすら覚えていない)、3月の忙しさと「振られちゃった(´・ω・`)」で、すっかり忘れていました。申し訳ない。
 
 ということで、2ヶ月も前のトークショーの報告記事、誰も期待していないような気もしますが、とりあえず報告記事の続きを書いておきます。

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2008年03月23日

「チベット武力弾圧に対する中国大使館前アピール&周辺デモ」参加記録

 3月17日の日記のコメント欄にてちょっと触れた、3月22日に東京・六本木近辺で行われた「チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン」主催、「アムネスティ日本」・「チベット問題を考える議員連盟」などが参加した抗中援チベットデモに参加しました。

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2008年02月03日

綿井健陽の『逆視逆考』トーク 第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」参加記録(1)

2月2日、阿佐ヶ谷のロフトAにおいて、以下の要領で開催されたトークショーみたいなのに参加してきました。
綿井健陽の『逆視逆考』トーク
第1回「光市母子殺害事件〜裁判で何が争われてきたのか」
映画『Little Birds イラク戦火の家族たち』などでも知られる気鋭のジャーナリスト綿井健陽が、毎回多彩なゲストを迎えて送るトークライブ。

※「光市母子殺害事件」の差し戻し控訴審は、昨年合計12回の公判を数えて結審した。
これまで特にテレビでは、被害者遺族の会見・発言・物語を中心にした映像が公判の度に大きく報じられた。弁護士への懲戒請求問題なども含め、「法廷外」での話題は多いが、実際の裁判の法廷では検察と弁護側の間で何が争点とされ、どんな主張や立証が展開されたのか。被告の元少年の弁護団の一員を務める河井弁護士をゲストに迎え、この事件・裁判を振り返る。弁護団会見の映像やテレビニュース報道も交えながら、来る4月の判決言い渡しを前にもう一度冷静に考えてみたい。

【Guset】河井匡秀弁護士(光市事件差戻審弁護団)
【出演】綿井健陽(ジャーナリスト)
OPEN 18:30 / START 19:30
¥1,000(飲食代別)<当日券のみ>
http://www1.odn.ne.jp/watai/
 今回のトークショーの趣旨が、被害者遺族の会見が中心に報じられるこの事件の事実関係を今一度知るために、余り報じられない弁護側の主張を中心に学習するというものであっただけあって、検察側主張の矛盾を指摘がかなりあり、光市裁判関連の弁護団出版の本を所有しながらも、なかなか時間が無くて読めない私としては、この裁判を見る上で重要なポイントを、時間的負担無く得られた思いです。また、客席に典型的な「感情屋」の参加者がいたもんで、質疑応答の時間にその方が感情的になって怒鳴り始めたりして、当ブログで昨年から進めている感情屋習性研究の格好のサンプル収集の機会になりました。なんたって、たった数メートル先にナマの感情屋がいたんですからね。今まで感情屋のブログなどはサンプル集めのために沢山読んできて、一部は司法関連記事において収録してきましたが、やはりナマの感情屋の迫力はブログの文面よりも凄いですね。まあ、いい大人が怒鳴ったりしてバカ丸出しだけど。

 途中の10分の休憩などを含めて2時間30分以上もの長時間のトークショーであり、報告記事を書くのも一苦労ですが、東京・阿佐ヶ谷は遠すぎて参加することの出来なかった方々のために、記録を基に、トークショーの要旨を何回かに分けてご報告いたします。

 何回に分け、いつ終わるのかは決めていないのですが、どんなに遅くても2月中には終わらせる予定です。今回はその第1回

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2007年10月02日

『第6回 9・29反中共デー』観察記録

 当ブログでも何度かネタとして取り上げている『台湾の声』という台湾急進独立派のメルマガから、『第6回 9・29反中共デー』の開催宣伝が9月18日に来ました。
http://www.emaga.com/bn/?2007090056817141001781.3407
件名:「台湾の声」【デモ案内】第6回9・29反中共デー東京大会

《第6回9・29反中共デー東京大会》

昭和47年9月29日、我が国は中華人民共和国との国交を樹立しました。
その日から35年の年月が過ぎましたが、我が国と中共との関係が正常かつ友好的であった事はありません。
靖国神社に対する冒涜、歴史教科書への介入、尖閣諸島への侵犯…、さらに東シナ海における海底資源の盗掘、我が国の領土である沖ノ鳥島の存在の否定…など、我が国に対する中共による主権侵害や内政干渉が繰り返されています。
さらに中共は、我が国からのODAや円借款など多額の経済援助によって、軍備を増強し、我が国をはじめ周辺諸国に軍事的脅威を与えています。
「反日」「共産」「中華」の3悪国家である中共は、我が国にとって明確かつ危険な敵国です。
我が国は現在、中共による侵略という重大危機に直面しています。

我々は草莽の有志として、祖国の危機を坐視する事は、断じて出来ません。
平成14年9月29日、所謂「日中国交正常化」30年の秋、我々は中共との国交断絶を勝ち取る為、第1回9・29反中共デーを開催いたしました。
第5回の昨年は東京をはじめ神奈川(横浜)、中部(名古屋)、関西(大阪)、九州(福岡)と各地において大会を開催いたしました。
これは「中央での共闘」から「全国での連帯」への拡大であり、統合から連合への発展といえます。
北京オリンピックを来年に控えた今、「9・29反中共デー」の旗の下、「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を声高らかに叫び、勝利を目指して、同志同憂各位が共に起ち上がり、共に闘う事を熱望いたします。


             ☆☆☆記☆☆☆


☆日時

9月29日(土)午前11時〜集会開始/正午〜徒歩行進出発(雨天決行)

☆場所

三河台公園
東京都港区六本木4の2の27
六本木通り沿い/俳優座の横

☆合意事項

超党派の運動の為、次の行為はご遠慮下さい。
@会旗の掲揚
A車輛での参加
B隊服の着用


9・29反中共デー東京大会共闘委員会

(残り1行は電話番号が含まれているので省略)
「反中共」の運動なら何でもやる(参考)このメルマガらしい宣伝だな、と思って最初は読み流していたのですが、どうも9月29日が休日らしいので現場に行ってみました。あまりの電波な内容で、途中何度もおなか一杯になってしまったがために完成が今日までずれ込みましたが、写真と音声による報告をいたします。

 三河台公園ってのは地下鉄六本木駅の直ぐ近くの小さな公園です。
到着してみると、参加者と公安がだいたい同数。公安の人たちに向けて堂々とカメラを向けるわけにはいかないので写真が無いのが残念だけど、小さな公園に公安があふれかえっていました。

参加者たちの様子。
DSCN2856.JPG DSCN2857.JPG

もうちょっと近づいてみる。
DSCN2858.JPG DSCN2860.JPG

入り口近くで配られた集会案内
DSCN2897.JPG DSCN2901.JPG

 『決起集会』は予定の11時を10分近く過ぎて始まりました。
右翼系が多いので、当たり前のごとく、まず君が代斉唱。『台湾の声』編集部の台湾人も歌ったのかね?それとも日本人のパシリが派遣されたのか。

君が代斉唱の後はたしか開会挨拶。
開会挨拶
『同志』だってさ。最近は左翼の集会でも聞かないよ、『同志』なんて。

その次は連帯声明。
中部地方から
中国4000年の歴史というが中華人民共和国という新興国家ができて60年にも満たないのではないか
そんなこと言い始めたらエジプト共和国なんてもっと短いぞ。

文化の一貫性は無く侵略殺戮略奪の歴史だけではないか
じゃあ中国国宝展って何なのよw

この大陸に奇跡のような国家があったことも忘れてはならない。満州国である。
ああ満州国さえあれば
これ聴いた瞬間、大笑いしそうになった。
とくに代読者の棒読みっぷりとあわせて観賞すると、下手なコメディーよりずっと笑える。

この世界一民度の低い隣人達を国家としておとなしくさせるには、似非共産主義しかないのかもしれないが
既成社会主義国・東欧圏の共産党を否定する人が使いたがる『似非共産主義』という言葉が、右翼系の集会で飛び出したことが少々意外だった。

関西大会から
 尖閣諸島問題について、台湾も領有権を主張していることはスルー

 ガス田について、盗掘というけど、あの中間線は日本が一方的に決めたものなんよね。国際法的には中国の主張も有効だとか。
http://blog.mag2.com/m/log/0000071858/106631736.html
(一部引用)
中国の主張は、中間線よりも日本側に両国の境界はあるというも
のです。この主張は、大陸棚の存在に依拠しています。中国本土
から、東シナ海に大陸棚が延びています。これは、中間線を越え
て沖縄の近くまで続いています。

中国によると、自国は大陸国家だけど日本は島国なので、中間線
を境界とする訳にはいきません。両国の境界は、大陸棚で決まる
のです。

このように両国の主張は相容れないものになっていますが、国際
法の観点からは何が言えるのでしょうか。

端的に述べると、双方の主張が有効です。日本が主張する中間線、
中国が主張する大陸棚、それぞれ国際法で認められた原則です。
 私自身は中間線を境界にしようという日本の提案に賛成だけど、今あげた点をスルーするのも良くないと思う次第。

 産業の空洞化による日本製造業の衰退についても触れているけど、それは中国のせいじゃなくて資本主義のせいでしょ。私の知り合いに、共産原理主義者・ML主義訓詁学者ともいえるくらい原理原則に凝り固まった人がいるけど、その人も日本産業の空洞化を取り上げて、日本の計画経済化を訴えていたなぁ。

 あと、「ダンボール肉まん」について言及しているけど、あれ北京市内の屋台で売っていただけじゃなかったか?


4分34秒あたりで「共産支那をチョウ-ヨウせよ」って聞こえるけど、膺懲(ヨウ-チョウ)じゃね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E6%94%AF%E8%86%BA%E6%87%B2
暴支膺懲(ぼうしようちょう)は支那事変(日中戦争)期における日本のスローガン。暴虐な支那(中国)に報いを与えて懲らしめようという意味。


わが国を第二のチベットや東トルキスタン(ウイグル)にしてはならない
チベット・ウイグルが代表格なのは分っているけど、どうか、内蒙古・寧夏回族・雲南と貴州方面のミャオ族・広西チワン族のことも忘れないでね。

九州大会から
なんか東京裁判のことを話し始めたんだが、『反中共デー』じゃなかったのか。

しかしまあ、天ちゃんもこんな変なのにヨイショされて大変だねぇ。
天皇家以外の全ての日本人は、紛争地域に生まれなかった幸運と、天皇家に生まれなかった幸運の二つに恵まれていると思う次第。

続いて決議採択。
決議案は以下。
DSCN2901.JPG
 こんだけグローバル化した世界で国交断絶するって損得勘定はできんのかい? 北京中央人民政府と国交を結びながらも、適度に距離を保っている国を見習ったらいかがか。

 要求の第11項もアレだなぁ。中国政府による、日本の閣僚の靖国神社への参拝への抗議が「内政干渉」ならば、中国国内に政府のお墨付きで作られた抗日記念館の展示内容への是正工作も「内政干渉」にならんのかい?それに、これこそ国交あってこその是正工作だと思うんだが。まさか自衛隊を南京に派遣して抗日記念館を爆破するわけじゃあるまいし。

 要求第12項について。中共のせいで色々と苦しんでいるアジア諸民族との連帯は結構なんだけど、最大の被害者は中華人民共和国国籍の人たち。そういう人たちと連帯するには、ぜひ魏京生、王丹、柴玲、吾爾開希あたりの来日を歓迎すべきだと思うんだけど、どうなんだろ。特に吾爾開希は例のウイグル族だよ。また、今年6月に来日した魏京生を成田で追い返したこととかについてもどうなんだろ。

 大会決議は採択。まあこういう集会で用意された決議案が採択されないなんてことはないけどね。

 その後、デモ行進開始まで色々と準備が10分くらいかかったんだけど、この10分が面白かった。

というのも、三河台公園は小さいとは言えど公衆トイレが設置されており、便器が2つほどあるんですが、その片方が目に見えて詰まっていて、排泄物が便器内に溜まっているんですよ。常識的にはこういう場合、まあ便器が一つしかないならまだしも、複数個あれば詰まっていない方だけを使うじゃないですか。なのに参加者が次々と詰まった便器の方にも用を足すんですよ。散々中国人は民度が低いとか言っていたくせにこれです。

 その後はデモ行進でしたが、やり方もシュプレヒコールも左翼のデモと大差ない。

シュプレヒコール
DSCN2870.JPG DSCN2872.JPG DSCN2876.JPG
DSCN2878.JPG DSCN2882.JPG DSCN2881.JPG

かなり場違いな台湾関係も数人。
DSCN2871.JPG DSCN2877.JPG
 こんなウヨがウヨウヨしたデモに台湾独立がどうたらなんてプラカード掲げたら、台湾独立派のイメージダウンだと思うがな。いくら世が右傾化しているとはいえ、街宣右翼はやっぱりキチガイ扱いだから。この手の集会で台湾独立関係のプラカードを掲げることは、日台連帯どころか、むしろそれに水を差す行為かと思う次第。北京の中央人民政府はこの急進独立派に感謝状を贈ったら?w

 ここでちょっとデモ隊に飛び入り参加。「ここいいですか」って聞いたら「どーぞ」だってw 鞄の中に『毛主席語録』が入っていることは内緒です。携帯したMP3プレーヤーに『東方紅』など、中国共産党を称える音楽が入っていることも内緒ですw

 しかしまあ、本当につまらないデモです。三河台公園から広尾公園、地下鉄日比谷線で言えば六本木駅から広尾駅まで例のシュプレヒコールを2時間近くぶっ通しで唱えながら歩くんですから。何の修行だよ。

ときどき、「皆さん、私たちは別に中国人が嫌いだからやっているんじゃないんです。中国人のためにも日中断交を、、、」というような、とってつけたようなことも言っていましたけどね。

 途中で公安に写真撮られまくり。左翼のくせに右翼のデモに紛れ込んで写真撮られちゃいましたよw
DSCN2889.JPG

 先ほどの詰まった便器の件に続き、またも見苦しい出来事が天現寺交差点で発生。

デモ隊が天現寺交差点を右折するとき、ちょうど救急車がサイレンを鳴らして走ってきたんですよ。横断歩道なんかを渡ろうとしたとき救急車が接近してきたら、普通は駆け足で渡りきっちゃうか、救急車が通過するまで待つでしょう。それなのにこのデモ隊の参加者は駆け足しようとしない(少なくともそうは見えない)し、渡るのをやめようともしないんです。

誘導の機動隊員が慌てて後続隊列に向かって赤色誘導棒をかざして渡るのを阻止し、のろのろと歩く連中を急き立ててやっと救急車の通路を確保できたんですが、アレだけ中国人の民度がどうこう言っていた割には、身勝手なデモ行進を強行したもんです。

 やっと広尾公園に到着。
町内会の事務をやっている地元老人会の方々は、突然の機動隊と公安、そして色々な電波な幟を持った変な人たちの登場にビックリした顔。

そんなご老人などに目もくれず、広尾公園で総括集会。
DSCN2891.JPG DSCN2893.JPG
終了挨拶
もうつっこむの面倒だからパス。

 というわけで、『反中共デー』参加者は、口では偉そうなことを言う割りに行動は伴っていないことが良く分かったデモでした。ホント、時間と電車賃と労力を無駄にしました。そしてこんな記事を書くのに合計3時間もかけてしまった。。。

 『反中共デー』参加者にとっては課題だらけの集会でしょうが、同時に私も取材する対象を良く絞り、長くても2時間以内に記事執筆をしないといけないという大きな課題が残りました。

報告終わり。
posted by s19171107 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

劇場版『天国からのラブレター』を観て 酷い原作歪曲

 『天国からのラブレター』の劇場版を見てきました。酷い原作歪曲。

私は、ソ連など旧東欧スターリン主義諸国のデムパプロパガンダのファンです。旧東欧のプロパガンダの観賞のコツというのは、信頼できるソースを片手に観賞し、その現実とのギャップの酷さを楽しむというものなんですが、まさかこの映画の鑑賞中に、その楽しみ方が有効になるとは思わなかった。

 真っ暗な"なか"(←あえて平仮名)、必死にメモを取ってまいりましたので、そのメモと原作の書籍(2000年発行版)をあわせてご報告いたします。(以下、全て敬称略)

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2007年09月16日

劇場版『天国からのラブレター』を見るための書籍版での予習

 4日の記事でもご紹介した、山口光市母子殺害事件関係の映画『天国からのラブレター』が昨日公開されました。残念ながら初日である昨日は私はちょっと用事があって行けず、今日も恐らくいけないと思いますが、大体2週間くらいの公開期間のうち、いつかは必ず観にいきたいと思っています。

 というわけで、今日はまずその予習(?)として原作である書籍版を図書館で読んでまいりました。書籍版は2000年出版のと2007年出版のがあるそうですが、私の読んだのは2000年版です。

 読了の感想は、「これ公開してもいいんか?」
前書きに『ある日突然不慮の死を遂げた妻が、ただ単に殺人事件の被害者としてのみ人々に認識され、この事件の風化とともに、やがて人々の記憶から消えていってしまうのが、あまりにも哀れすぎて、どうにも忍び難い気持ちに急かされてのことでした』とあります。そう思うのは本村洋氏の勝手なのでとやかく申し上げませんが、この手紙って妻の弥生さんが本村洋氏に対して書いた手紙でしょう。勝手に公開していいのかなぁと思いますね。

 以前にも一度書いたので、当ブログの「常連」の方ならご存知かと思いますが、私にも思い人がおり、普段はメール、互いの誕生日などの節目には手紙を書いたりしています。まだ所謂「付き合う」段階には無く、おそらくそういう段階には行かず「仲の良い異性の友人」程度が限界かと思いますが、まあとにかくそういう人がいます。

もし今この段階で、相手の方が急死し、私が本村洋氏と同じ思いで、今まで交換してきたメールや手紙を勝手に書籍化したら、恐らくあちらさんは死んでも死に切れないと思います。逆に私が急死して、相手の方が同じことをやったら、公開の仕方によっては化けて出ます。なぜなら私は、相手の方に読んでもらうために書いたのであって、決して全国大公開されるために書いたわけじゃないからです。

 まあ、こういうのは個人の気持ちと感性の問題だし、ことに相手はもうあの世の住人なので、その意思を確認しようがありませんが、いいのかなぁ、と思った次第です。

 また、前掲の4日の記事の中で本村洋氏は映画について「こんな若者のラブストーリー」と仰っていますが、これは、まあラブストーリーといえばラブストーリーですが、どちらかというと昼ドラ向けじゃないかな。。。

だって弥生さんは本村氏との交際を始めたことによって女友達を沢山失った(55ページ)ってあるんですよ。詳しい描写は全くなく、ポンとその一節だけが挿入されていますが、これは尋常じゃありません。

 映画ではこのカオスを如何描いているのか、その辺を中心に観賞したいと思います。
yahooのブログ検索では、マンセー的感想が多く見受けられますが、基本的に私は極めて冷めた性格で物事に感情移入することは殆どないので、冷静に見て来たいです。


関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
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2007年08月16日

靖国神社へ人物ウォッチに行こう@終戦記念日2007

一昨年と昨年に続き3回目です。今迄で一番長く粘りましたが、正直あまり面白くなかった。去年は本当に面白かったのになぁ。

 参考:当サイト・ブログ内の靖国関連記事インデックス
http://www.geocities.jp/s19171107/KIKAKU/YASUKUNI/KIJYUTU-HENKOU2007-1/link.html

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posted by s19171107 at 19:22| Comment(8) | TrackBack(1) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月15日

毎年恒例、8・15靖国人物ヲチを今年もやります

 タイトルどおり。今年は神社開門前からやりますよ。ただし今年は残念ながら丸一日の休業は出来ず、なぜか午前9時〜午前10時30分までだけ来てくれとのこと。
 ということで、途中の移動時間含めて午前に2時間30分程度の空白が出来ますが、頑張ってきます。年に一度のキチガイウヨの集結を楽しみませう。
 なお、今年は移動日記(http://b19.chip.jp/s19171107/)がありますので、そちらも使う予定です。

(チュチェ96年8月12日記)

 今日(14日)は午後は下放させてもらって下見に行こうかしら。特に自宅以外のところから靖国に行くのは初めてで、使ったこと無い駅を使うことになるから乗り換えの仕方を練習しておきたい。
 また、ニワカ作りの「通信社」の社員を名乗って右翼に取材をかけるってのも面白いかもしれないと今思った。「ただの一般人」として声をかけるより、「通信社の社員」として声をかけたほうが、もっと面白いことになりそうだし、私自身、声をかけやすい。作るとしたら今日中に「通信社公式サイト」など、最低限の体裁整えて「社員としての名刺」っぽいの作らないと。。。
 何か特にこの辺を取材してほしいというのがあったら、明日午前3時までにご連絡ください。

(チュチェ96年8月14日追記)

 いよいよやってきた、き×がいウヨ祭り当日。
文化祭当日に期待に胸を膨らませる学生と同じ心境です。
 取材用の持ち物は、カメラ、ICレコーダー、スペア電池、携帯ラジオ、携帯電話、毛主席語録、そして暇つぶしの書籍類。過去2回の取材で分ったのですが、案外暇なんですよ。
 14日に書いた「ニセ通信社」については、「公式サイト」は昨日のうちに作った(と言っても同人誌サークルのサイトみたいな出来だけど)ので、今は名刺を作っています。100均で買った画用紙に印刷でいいよね?
 朝6時開門です。開門前に着くかは分らないれど、一応参拝はする方針なのでそろそろ出発の準備をしなくては。。。(3時40分)始発電車に乗ることになりそうです。

(チュチェ96年8月15日・"本番直前"追記)

※この投稿の投稿時間が2007年8月15日23時59分になっているのは、当日まで画面の2番目に出るようにするためであり、15日を過ぎたらこの記事は削除あるいは8月12日づけの記事に訂正します。
posted by s19171107 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月14日

き×がいウヨ祭り前日の靖国と信濃町

 今朝ブログ記事を書き終えたあと、15日のスケジュールを組もうと思って予定表をみたら、あらびっくり。今日も休みじゃないの。
 なして今日休みで明日は1時間30分だけという変なことになっているのか良く分からんけど、とにかく休みは休みなので靖国の下見と信濃町取材に行ってきました。

 まず靖国と千鳥が淵。
「き×がいウヨ祭り」前日にも関わらず、既に変なのが来ていますよ。




DSCN1629.jpg DSCN1627.jpg
お願いだからコスプレするのか参拝するのかどっちかにしてくれよ。

一応、格好はマトモな参拝客は結構居ます
DSCN1632.jpg DSCN1633.jpg

 一方千鳥が淵
DSCN1623.jpg
 明日の会場設営のための労働者以外は訪問者殆どなし。
 私と居合わせた数少ない訪問者家族は、日本語ではない言語をしゃべってました。あんだけ靖国に来ている日本人が千鳥が淵までは来ないのよ。
 明日が思いやられます。

 遊就館も久々に見学。あいかわらずの展示だけど、今回は記帳が以前と違った。今までは「日本人として誇りに、、、」とか言うのが殆どだったけど、今日は「平和について考えたい」とか「展示に違和感」とかそういうのも目についた。まあ、今までよく読んでいなかっただけなのかもしれないけど。
 そういえば、宣言していた「私家版遊就館ガイド」、プロジェクトの存在からして忘れていたwwwwwwwwww我ながら、これ完成いつになるのかしらwwwwwwwwww

 靖国に来たついでに直ぐそこの朝鮮総連本部参拝、、、と思ったら警察バスと柵でバリケードが出来ていて警官が突っ立っているw
 取り合えずバリケードの存在を脳内消去して気にせず前進すると「このまままっすぐ駅に行かれますか?」と聞かれる。「"行きません"といったらどうする?」と言いたかったけど、警官氏、暑くて不機嫌そうだったから「はい」と答えておく。なんとか通してもらい、JRの駅へ向かいました。

 続いて「通は稚内の最南端」さんのご期待に答えるために信濃町へ。
 すげえw信濃町駅のエスカレーターに人が集中して朝の乗り換え駅みたいな感じw
 創価の商店も人が多いwやっぱお盆休みだからかな。遠くから巡礼に来ているのかしら。店員氏すごく忙しそうで話しかけられそうも無かったので、参院選結果についての学会員の声の取材を断念。期待していた方ごめんなさいね。店員に声をかけられないとなると牙城会や創価班の連中に話しかけることになるんだけど、あいつら暑いからか建物の中から外を見ていやがる。牙城会・創価班の仕事は修行の一貫のはずだろう。
 先日、新風の信濃町自慰示威宣伝のときに話を聞いた学会員氏にも再会したけど、忙しそうだったから話しかけるのはやめた。でも、「またお前か」みたいな顔はされたwそんなに特徴的な顔ですかw

 ああそうだ、信濃町見聞録の続編も書かなきゃいけないんだっけ。『秋』になるまでには何とかしなきゃな。そうしないと来年の春になる。


 ちなみに、今後は取材で収録した動画類は全てyoutubeにうpすることにしました。長いことyoutubeアカウント持っているのに利用することに気がつかなかった。これで容量工作の苦心から解放される。
 今まで取材で撮ってきて、seesaaのスペースやgeoのスペースに置いてきていた動画類も徐々にyoutubeに移転させようと思います。
posted by s19171107 at 21:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

維新政党新風(笑)の信濃町街頭演説

 移動日記(http://b19.chip.jp/s19171107/)のほうでもリアルタイムでご報告した新風の信濃町街頭演説を本業の関係で総武線沿線に用があったついでに見てまいりました。
 大まかな流れは以下のような感じでした。

創価批判→既成政党の創価弱腰批判→在日外国人参政権問題→人権擁護法案と在日コリアンの関係→一部学会員批判→『創価は朝鮮宗教、池田は在日コリアン』→なんかゴニョゴニョ→今日の政見放送みてね

 上記の流れを以下で補足します。

 まず創価批判について。「宗教法人が税金を減免されているのは政府に出来ない社会的活動を代行してもらう見返りであるが、創価は社会に貢献していない。だから課税せよ」だって。
 新風嫌いの共産党支持者である私も賛同せざるを得ない正論。

 次に既成政党の創価弱腰批判について。
「自民党・民主党共に創価票が欲しいから創価を批判しないんだ」ふむふむ。「共産党は公明党は批判するが創価学会は批判しない。なぜなら共産と創価は密約を結んでいるからだ」。『赤旗』読め。

 在日外国人参政権問題について。地方自治は国民がどうのこうのと言っているけど、新風の憲法草案では表現弱いのは何で?
http://s19171107.seesaa.net/article/48144027.html

 ここで多分学会員による『公明党がんばれー』という掛け声が聞こえる。ちょうど、『サンタクロースなんていないよ』といわれた幼稚園生が『そんなことないもん!サンタさんはいるもん!』と大声で反論するのと同じ構造ですな。つまり、自分が信じているものを根底から批判されると躍起になって喚くというガキのメンタリティですわ。
 まあ、幼稚園生レベルのメンタリティだから創価なんかにたぶらかされるんでしょうけどね。

 人権擁護法案と在日コリアンの関係について。よく聞いていなかったからパス。

 一部学会員批判について。移動日記で『右翼のお家芸、「都合の良い一部を全体に」が炸裂wwww』と書いた部分です。
 芸能界に学会員が多いことは事実ですが、それに関して『芸能界でうまくやる為に学会に入っている人もいるけど信仰ってそういうもか』というようなことを言っていました。うーん、それって個人の問題じゃね?創価学会批判とは別問題だと思うけど。
 ああ、新風関係者がファビョると困るから言っておくけど、「都合の良い一部を全体に」というのは右翼だけじゃなくて左翼もやるよね。(←免罪符)

 『創価は朝鮮宗教、池田は在日コリアン』について。
移動日記のほうにも書いたけど、池田在日説は新風の演説によると、池田の思想は「小中華思想」であり、これは朝鮮人の思想だかららしい。数学的に書くとこんなかんじか。

池田の思考=小中華思想・・・@
小中華思想=朝鮮人の思考・・・A
@Aより池田=朝鮮人

 うーん、残念だけど小中華思想って朝鮮人特有の思想じゃないのよね。ベトナムにもあるし、日本にだってあったわけだから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3
 そういえばポルポトはベトナム人の覇権意識(おそらく、ベトナム小中華思想のこと)を『脅威』と誇張して内部の引き締めに利用していたね。カンボジア現代史に興味がある人は知っていると思うけど。

 私としては、むしろ池田は日本人的メンタリティが強いと思う。外国の有名な学者と『対話』して自分の経歴に箔をつけているし、創価学会教団も『外部から見た創価学会』とかその手の本を売っている。私は「民族性」というものは余り信用していないんだけど、もし「民族性」という点から池田を見ると、外部視点・外部評価ばかり気にする池田と創価学会教団は日本人的だと思う。中国人や朝鮮人など北東アジアの大陸系の人たちは根拠の無い自信に満ち溢れているから、もし池田と創価学会教団が朝鮮ルーツなら、そういうセコイ工作はせずにキチガイがかった自信で『ウィデハン イケダ ソンセンニム マンセー』(偉大な池田先生様万歳)しているとおもう。

 まー演説自体はこんな感じでしょうか。
 続いて周辺の様子を簡単にご報告しますと、新風の演説への拍手が無いに等しい。関係者が仲間の演説に拍手している以外は殆どが見ているだけ。近くにいた、多分学会員氏に『ふだんからこういうことあるんですか』と聞いたところ無いとのこと。信濃町は大体、創価の人しかいないし、今は選挙前だから各地に散らばっているから普段より静かなことが多いんだって。

 キチガイどうし非生産的なことをご苦労様でした。
 信濃町の創価関係者なんて、洗脳している側の人(学会幹部)と徹底的にされていて救いようの無い人(牙城会警備担当)しかいないんだから、いくら創価批判したところで意味ないでしょう。ネット上で『新風GJ』とか言われたいがためのパフォーマンスなんでしょうかね。

 ついでにこの後、信濃町創価施設の定期巡視に行ってまいりました。これについては後日、拙著『信濃町見聞録』(http://www.geocities.jp/s19171107/KIKAKU/KUTABARE-CULT/index.html)の続編として別に記事を書いてご報告いたします。


*追伸*
 今日は疲れていた上に、いつも携帯しているICレコーダ兼メモリースティックを自宅に忘れてきたもんだから、結構内容が飛躍しているかも。
 現場にいたほかの人や、あるいは関係者の中で補足してくれる人がいらっしゃいましたらコメント欄へ。
 なおコメント欄での選挙活動はおやめくださいw
posted by s19171107 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

『2007年5・3憲法集会』参加記録

 本日、日比谷公会堂で開かれた『2007年5・3憲法集会』と、その後の銀座パレードに参加しました。
 例によって、集会は音声ファイル、パレードは写真を中心に報告すると共に、参加できなかった護憲の同志たちと情報を共有します。

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posted by s19171107 at 21:17| Comment(1) | TrackBack(3) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

衆議院特別参観

5月3日・4日に行われている衆議院特別参観に行ってきました。
写真中心に、下記URLにて報告(記録)。
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/LOG/96.5.3.html
ブログスペース容量の関係上、このブログスペース内ではなく別ページにUPしました。
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2007年04月26日

『STOP ! 改憲手続き法  4・26国会へ行こうアクション』参加記録

 久々の突撃取材です。
 本日18時30分から、衆議院第二議員会館前にて開催された『STOP ! 改憲手続き法  4・26国会へ行こうアクション』に行ってまいりました。報告は、昨年冬の、教育基本法改悪反対集会参加報告と同じく、音声ファイル中心にお伝えします。
続きを読む
posted by s19171107 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(1) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

靖国神社遊就館訪問&教基法採決抗議国会前集会参加記録

本当はこの記事、昨晩のうちに作るつもりだったんですが、体調が悪くて今朝までずれ込んでしまいました。
病弱な体で申し訳ないです。
続きを読む
posted by s19171107 at 12:03| Comment(0) | TrackBack(2) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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