当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。

2006年12月18日

教育基本法「復興」へ

「ああ共和国軍」さんとこに、「教育基本法「再改正」案をつくっちゃおうw」(http://blog.livedoor.jp/aara/archives/50455459.html)という記事が掲載されていました。
私もちょっと考えてみたんですが、なかなか難しいです。
「47年基本法の復帰」も大切ですが、「47年基本法の復興」、つまり47年基本法の精神を元に、それをさらに発展させることについても考えなくてはなりません。
というわけで、当ブログの「教基法改悪反対/47年法復帰」のカテゴリは、ただいまより「教基法改悪反対/47年法復興」に変更しますw

そういえば、民主党が「政権とったら教育基本法を再改正する」といっています。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20061218AT3S1701817122006.html
 民主党の鳩山由紀夫幹事長は17日、大分市内で街頭演説し、改正教育基本法について「いじめや未履修問題の解決策とはならない。政権を取れば、本当に教育に資する教育基本法をもう一度議論して成立させたい」と述べ、政権交代を実現させ、再改正したいとの考えを示した。
まあ、私としては、今回の改定問題におけるヘタレっぷりから、民主党中央にはもう殆ど期待していませんけどね。
posted by s19171107 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 教育基本法関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月17日

国民国家権力という幻想

新しい教育基本法が成立したのを受けて、所謂「右派」とか「保守派」と呼ばれたり分類されたりする方々のブログ等では、「これで公私のバランス、国家と個人のバランスの取れた教育になる」と言うような記事が挙げられていますが、果たしてそうでしょうか。

私としては、「国家と個人のバランス」が取れるどころか「国家」が前面に押し出され個人は抑圧されかねないと思っています。

こう書くと「左翼は国家と個人を分けてしか考えられない」とか「国民国家は"国民"という"個人"が作るものなんだから、そうはならない」というような反論を頂くであろうと思います。
たしかに仰るとおり、国民国家の国家権力は国民という個人が構成するものですし、私だって出来ることなら国民国家の権力を信用したいです。

しかし、今の日本の政府・国家権力は、果たして正常な国民国家の権力でしょうか。

実は私、11月ごろまで、今回の教育基本法改定問題に関して「現行法は非の打ちようが無い。それを急に改定しようというのは、なんか裏があるな。」程度の理由で改定反対の立場を取っておりました。

これは、改定問題に関する情報不足もさることながら、やはり私の中で未だに「国民国家権力」という、今となっては完全な幻想がどこか心の隅にあったからで、たとえ改定されたとしてもそこまで酷いことにはならないだろうと思っていたからです。

しかし11月の中旬ぐらいでしたか、タウンミーティングでのヤラセが暴露され、政府による世論捏造が明らかになってから、やっとこの「国民国家権力」という幻想に決別できるようになりました。

世論を捏造するような権力をどうして信用できましょうか。世論を捏造するような権力がどうして国民国家権力といえましょうか。
このような国民国家を装った反国民権力が教育に介入したらどうなるでしょうか。このような反国民権力が推進する「愛国心教育」など、どうして信用できましょうか。

今の政府が国民国家権力であるという幻想を未だお持ちの方は、そろそろ棄てないとまずい事になると思います。
そして、本当の国民国家権力の樹立のために、持っている政治的権利を全て活用いたしましょう。

幸いなことに制度的には、今国民が持っている政治的権利を大多数の国民がフルに活用すれば程なくして正常化できますが、こういった政治的権利もやがて制限されかねません。
既に参議院のあり方について、廃止を唱える論が本筋なら「参議院廃止」以前に「参議院権力強化」が先なのに湧き出てき、国民の選択の余地が狭まりつつあるからです。

まだ間に合います。しかし、すぐに動かないとそろそろ間に合わなくなりつつあります。
posted by s19171107 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(2) | 教育基本法関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月14日

偉大な池田先生のお言葉

偉大な池田先生のお言葉なり。大事な部分はs19171107が太字にしたので、学会員と公明党員は熟読するように。
http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/achievements/proposal_01_04.html
相次ぐ保険金がらみの殺人に象徴されるように、目的観、価値観を見失った社会が必然的に招き寄せる拝金主義の横行など、大人たちのスキャンダラスな体たらくが、子どもたちの心に影を落とさない訳がない。先達が魅力ある範を示すことのできないような社会に、教育力など期待し得べくもないのであります。

もとより、マスコミの興味本位の目など関係なく、山田氏の言うように「生きてみせるしかない」と、その人ならではの孜々とした営みを続けている人が、数多く存在しているにちがいありません。しかし、そうした人々であっても、面を上げ、背筋をピンと伸ばして生き抜いていくことが、なかなか困難になってきているようです。明治人の気骨のようなものが、しばしば実像以上にもてはやされ、懐旧の念で語られるのも、日本の社会の現状が、何を欠落させているかを物語っています。

一連の教育改革の動きの中で、戦後教育の柱となってきた「教育基本法」<注2>の見直しが浮上しているのも、そうした背景によるものと思われます。

首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」の7月の報告でも、「教育基本法の改正が必要であるという意見が大勢を占めた」とあり、「前文及び第1条の規定では、個人や普遍的人類などが強調され過ぎ、国家や郷土、伝統、文化、家庭、自然の尊重などが抜け落ちている」との意見も述べられていました。

「国民会議」の報告ではありませんが、そうした欠落部分を補うために「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ……」との「教育勅語」<注3>を見直すべきだとする復古調の動きもあります。

ちなみに「教育基本法」の1条では「教育の目的」について、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と謳っております。

この条文は、個人の尊厳に立脚し「人格の完成」を目指すという普遍的理念という限りにおいては、古今東西いかなる人にも妥当する、文句のつけようのないものであります。しかし、「教育基本法」制定の経緯を振り返ってみても、普遍的理念の正当性は、たえず風土や伝統を異にする土俗性という場で検証されなければならず、その点については、日本の教育関係者は、楽観的でありすぎたようです。

その結果、人間は"個"であると同時に"人倫"(人と人との秩序関係)であること、"個"が真の"個"たらんとする、つまり「人格の完成」をめざすための場は"人倫"の中にしかありえないこと、そして、"人倫"を形成していくには"個"は「名月を とってくれろと 泣く子かな」式のエゴイズムをどこかで制御する必要があり、それが人間が成熟することの謂に他ならないこと――こうした当たり前のことを実践していくことがいかに困難であるかが、その自明性ゆえに看過されすぎてきたとはいえないでしょうか。

ひとことでいえば、個性や自由をいうあまり、"個"を"私"へと矮小化させてしまう、人間のエゴイズムというものに対して、あまりにも無防備、無警戒でありすぎました。

戦後の「教育基本法」制定の過程で、「教育勅語」に強く反対し、個人の尊重という理念を教育目的の基軸に据えるよう尽力した森戸辰男氏が「期待される人間像」を打ち出した中教審(中央教育審議会)答申(1966年)の際、その会長をつとめ、戦後の平和教育の見直しなどを強調したことを、変節のように言う向きもありますが、私は、氏なりの反省に基づいた、内的な必然性があったのだと推察します。

先にあげた「国民会議」の「教育基本法」見直しの論議も、大きくくくればそうした流れに沿ったものといえるでしょう。

断っておきますが、私は「教育基本法」の見直しについては、拙速は慎むべきだと思っております。

前文や1条に謳われた理念は、それ自体文句のつけようのないものですし、また、条文に郷土や伝統、文化等の文言を盛っても、それだけでさしたる実効が期待できるとは思えません。

まして「教育勅語」の徳目の復権など、それらが戦前の天皇制、家父長制のもとでどのような役割を演じてきたかを考えるなら、時代錯誤以外の何ものでもないでしょう。

総じて、私は、文部省が音頭をとり続けてきた官僚主導型、政治主導型の近代日本の教育制度のあり方は、そろそろ限界にきているように思います。

戦前の富国強兵であれ、戦後の経済大国であれ、欧米先進国を目標に追いつき追いこせという"キャッチ・アップ"を至上命題としてひた走ってきた近代日本のあり方、そして常にその目標達成のために教育はいかにあるべきかという観点からの位置づけを強いられてきた明治以来の教育のあり方は、明らかに行き詰まっており、工業化から情報化時代への変貌とともに、軌道修正を余儀なくされているからであります。

そこで、私は、21世紀の教育を考えるにあたり「社会のための教育」から「教育のための社会」へというパラダイムの転換が急務ではないかと、訴えておきたいのであります。
posted by s19171107 at 06:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育基本法関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

やる気ない日教組中央

「全国労組交流センター」発行の「国会闘争速報」28号より転載
■教基法改悪ストップ11・25集会 「委員長は国会前に来い!」 組合員から次々と本部弾劾のヤジ
 「委員長は国会前に来い!」「国会前に座り込め!」
 11月25日、日教組など9団体によって構成される「教育基本法改悪ストップ実行委員会」が主催した全国集会で、改悪阻止のために何ひとつ行動しない日教組本部・森越委員長に、組合員の怒りのヤジが飛んだ。
 日比谷公会堂で開かれた集会に集まった3500人の大半が北海道から沖縄まで全国各地の日教組組合員である。集まった組合員のまなざしは真剣だ。単組ごとにそろいのゼッケンや鉢巻きをしめ、職場で改悪反対の思いをつづった寄せ書きの横断幕などを持ち、「なんとしても改悪を阻まなければ」という思いで集まってきた。
 しかしその対極で、集会内容はひどかった。主催者あいさつに続いて発言したのはEI(教育インターナショナル=世界各国の教職員の国際組織)のフレッド・ヴァン・リューエン事務局長だった。誰もが「一体なぜ?」と思った。
 しかし理由はすぐにわかった。10月26日の日教組集会で、8500人の組合員を動員しながら森越委員長が不在だったことに多くの組合員が抗議した。その言い訳をするためにEI事務局長を呼んだのだ。なんということか! 50分足らずの集会で、EI事務局長が15分も発言し、森越委員長が言い訳発言に終始した。
 森越の発言でも集会全体をとおしても、何ひとつ今後の行動方針はなかった。衆院段階では一応は国会前座り込み方針を出したが、参院段階ではまったく何もしないということだ。「具体的方針がないじゃないか!」「行動提起はないのか!」。集会が終わりに近づくと、さらに大きな声でヤジが飛んだ。
 集会後は銀座デモ。デモ行進中の組合員に集会の感想を聞くと、日教組本部への怒りの声が次々と返ってきた。
 森越はこの間、全国を動員した座り込みに一度も参加したことがない。教育会館からたった2`ほどしかない国会前に、なぜ顔を見せもしないのか? なぜ行動方針を出さないのか? このまま改悪されても構わないということではないか!
 「闘う日教組を再生しなければ、私たちは生きていけない」。集まった教育労働者は、怒りをあらわにしながら、新たな闘いへの決意を固めた。

■森越発言に怒りの声
◎大阪教組Mさん(男性) 森越発言は10月の日教組集会を欠席した言い訳に終始した。「そのためだけにわざわざ組合費を使って人をベルギーから呼んだのか」と言いたい。ストライキで闘ってこそ展望が開けるはず。職場の仲間はみな、教基法改悪を何としても阻止したいと思っている。その感覚とかけ離れている本部の姿勢は、怒りに耐えません。
◎大阪教組Tさん(女性) 何回か国会前座り込みに行っています。16日の採決の時もすっごい腹が立ったから無理して行きました。でも委員長の発言には「衆院採決弾劾」の一言もない。現場組合員の気持ちが全然共有されてない。すごくイライラしました。委員長ならば、自分が先頭に立って座り込みをして、スト指令を出すべき。こんな重大事態なのに粛々と授業が行われている方がおかしい。
◎大阪教組Sさん(女性) 「日教組をつぶす」と言われているのに、委員長には怒りがまったくない。そこに一番危機感を覚えます。教基法が変わると、学校と教育に関わる法律は全部変えられ、学校現場は180度変えられる。このすさまじさを日教組本部はとらえていない。日教組は何万という数を動員して闘うべき。本部は組織の力を生かそうとしていない。怒りを感じます。
◎神奈川県教組Sさん(女性) 「なんだ、森越の言い訳集会じゃないか」と思った。北海道や沖縄、遠くから来ている組合員に申し訳ない。私は貧乏で育ったけれど、今の教基法があるからみんなと一緒に教育を受けられた。改悪されたら、お金のある人たちだけの教育になってしまう。
◎神奈川県教組Oさん(男性) 教基法が変えられたら、市教委が「愛国心教育をやっているかどうか」を見に来て、「こいつはやってない」となって、教員免許更新制で「更新しない」。「日の丸・君が代」をめぐってやっていることを見ると、それは十分あり得る。それこそ軍国主義教育。怖いです。
◎都高教Uさん(男性) 日教組本部は国会闘争をまったくやる気がない。許せない。教基法が改悪された後の教育が、東京では先取りされている。改悪されたら、それが全国に広がり、もっとひどくなる。これまでは行政の不当な介入を禁じていたものが、今度は僕らの活動が「不当な介入」とされる。絶対に反対して闘う。
確かに日教組中央のヘタレっぷりは味方ながらイライラします。
私、日教組のメルマガを長いこと購読しているんですけど、先日の教育基本法「改正」法案の衆議院可決の日の前後は本当にひどかったです。
11月15日、16日発行の日教組メルマガの61号と62号を転載します。
■ No.61 目次 ■

□ 日教組「衆議院における教育基本法「政府法案」の強行採決に抗議し
国民的論議を求める声明」

――――――――――――――――――――――――――――――――
■□ 日教組「衆議院における教育基本法「政府法案」の強行採決に抗議し
国民的論議を求める声明」


日教組は15日、衆議院教育基本法に関する特別委員会で、教育基本法「改
正」案が強行採決されたことに抗議声明を発出しました。

各地のタウンミーティングで、教育基本法「改正」に賛同する意見陳述者
を、事前に準備するという与党に都合の良い世論形成が行われたことが、
明らかになりました。広範な国民から意見を聴くために多大な税金を投入
して行われたにもかかわらず、その責任は全く解明されていません。まさ
に国民を愚弄するものです。

さらに、衆議院教育基本法に関する特別委員会の理事会で、審議の進め方に
ついての与野党の合意のないまま、本日(15日)午後、与党が一方的に特
別委員会を開催しました。そして、野党議員が欠席するなか、各種世論調査
で慎重審議を求める国民の声が挙がっているにもかかわらず、法案が強行採
決されました。議会制民主主義を踏みにじる暴挙です。


〔衆議院における教育基本法「政府法案」の強行採決に抗議し国民的論議を
求める声明〕


本日、与党は衆議院「教育基本法に関する特別委員会」で教育基本法「政府
法案」を強行採決した。

国民の広範な声を聞く目的である「内閣府タウンミーティング」において、
政府は教育基本法「改正」を支持する「やらせ質問」をさせていたことが発
覚した。これまで教育改革フォーラムやタウンミーティングなどを通じて、
教育基本法「改正」が国民に浸透してきたとしていたが、世論操作をしてい
たことが明らかとなった。その内容解明・責任も明確に示さず、慎重審議を
求める国民にも目を向けることなく、数の力で強行採決したことは、国民の
願いを踏みにじる行為であり、強く抗議する。

私たちがとりくんだ「教育基本法調査会の設置に関する請願署名」は、日教
組以外の働くなかまや市民からも多くの支援・協力があり、わずか半年の間
に235万筆に及んでいる。数々の世論調査でも、教育基本法「改正」につ
いて「どちらともいえない」「今の国会にこだわらずに時間をかけて議論す
べき」という意見が多く、慎重審議を求める国民の声が確実に高まっている。
国民的合意がなされたとは、ほど遠い状況にある。

政府法案は、教育の目的を「人格完成」から「国に有益な人材育成」に転換
させ、「基本的人権の尊重」「民主主義」「平和主義」などに関わる事項を侵
害するとともに、憲法改悪につながりかねない。
私たちは、公教育を根本から変えようとしている教育基本法「政府法案」に
断固として反対する。
なぜ「改正」する必要があるのか、一からの審議のやり直しを強く求める。

2006年11月15日
日本教職員組合
■ No.62 目次 ■

□ 衆議院本会議、政府法案野党欠席のまま可決
□ 衆議院教育基本法特別委員会経過
――――――――――――――――――――――――――――――――
■□ 衆議院本会議、政府法案野党欠席のまま可決

衆議院は、本日(11月16日)1時から野党4党が欠席のまま本会議を開き
ました。
2本の法案の審議経過説明、可決をしたあと、森山眞弓教育基本法特別委員
会委員長が教育基本法「政府案」についての特別委員会での審議経過を説
明したのち、賛成討論を斉藤斗志二議員(自民)と西博義議員(公明)が
行いました。それぞれ、教育基本法「改正」の必要性を述べ、野党の求め
に応じて中央・地方公聴会、参考人質疑を行ない、100時間余の審議時間を
確保したにもかかわらず、採決を欠席したと野党を非難しました。

その後、法案は採決に付され1時32分、起立多数で強行採決・可決されま
した。

――――――――――――――――――――――――――――――――
□■ 衆議院教育基本法特別委員会経過

◆公聴会 15日9時〜12時15分
公述人:松下倶子(独立行政法人国立青少年教育振興機構理事長)
鹿野利春(石川県立金沢泉丘高校教諭)
西原博史(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
広田照幸(日本大学理学部教授)
出口治男(日弁連教育基本法改正問題対策会議議長、同元副会長)

質疑者は以下のとおり。自民=小坂憲次、公明=西博義、国民=糸川正晃、
民主=牧義夫、共産=穀田恵二、社民=阿部知子。


【松下倶子】
教基法は短期間にしばしば改正するべきではないが、近未来に対する新たな
教育理念を明確にするのは大切であり、新たに生涯学習の理念が加えられ生
涯を通じての向上、社会貢献を目指すことが明示されている。また、最終責
任を負う家庭についても記され、家庭、学校、地域の連携・協力、社会の一
人一人が子育ての主役であることも明記されている。教育振興基本計画も(社
会教育側の)事業計画方向付けの参考となることを期待したい。

教育の目的と目標が分けられていることに注目する。目的を大きく掲げ、具
体的目標を、という形はとりくみやすいものとなっている。教育の憲法とい
われる教基法と個々の問題の論議が混同されているように思う。(小坂憲次・
自民の質問に対して)。

【鹿野利春】
教育目的を明記すべきでないとの意見があるが、何もないところでは議論も
出来ない。生涯学習、家庭教育の責任については、学校教育にすべて押しか
ぶせられる状況があり、線引きしてくれるのはありがたい。学校、地域、家
庭の連携が明記されたことでそれが行われればと思う。教育振興基本計画で
のバックアップが必要だ。財源、人材の手当てを期待する。社会教育に踏み
込んで書かれており、教員も人が増えるなら、社会教育で何か行うことも出
来る。
いじめに対して、学校の人が増えるだけでよくはならないが、生徒に向き合
う時間がなかなか取れない現状だ。教師が目的意識を持つ余裕、制度があれ
ばありがたい。子どもと話す時間のため人を増やす体制を。

研修は役に立つものもあるがここではいえないようなものもある。精選して
子どもに向き合う時間を増やしてほしい、特に初任者は子どもと向き合う時
間がない(西博義・公明に)。

【西原博史】
改正案の理念に懸念を抱く。立法府から行政に実施が下りて法が執行される
場合の行政の乱用を許さないものとすべきだ。教育目標については国民の精
神ががんじがらめにされかねない。第2条の徳目についていえばたとえば国
際社会の平和について、政府がイラク戦争支持で、教室ではどう教えるのが
正解か、とならないか。核武装するか否かといった課題も教育課題にされう
る。これは個人が考える課題なのに国家権力によるひとつの価値観が強制さ
れかねない。政府案はこうしたことを排除しうるか。1条を受けた2条の目
標が実現されてやっと一人前、とされかねず、2条についての方法まで16
条で明記され、何が国際社会に対する「正しい態度」か文科省に密室で決め
られかねない。政府が社会において個別利害に基づき国民に影響を及ぼす誘
惑を否定するのが現行教基法だ。政府案では教育を政府に服従させてしまう。
政府・文科省は全知全能とすることを政府案は拒めない。

政府への反対を教育への不当な支配とみなして排除されかねない。たとえ
ばイラク戦争について、正義の戦争というものはありえるか、と問う教師
は10年の免許更新で排除してしまえ、となるのか。

内心を評価してはならないと答弁されてきたが、価値観を体現する態度を評
価することで、正しい「国を愛する」態度を直接評価できる。出来なければ
バツ、ということで事実上強制だ。準憲法的教基法において徳目を教育目標
にすれば(それが事実上強制でも)それは思想信条の自由の範囲の外のこと
にされかねない。文科省が指導要領で「正しい平和の作り方」から逸脱する
考えを否定することになるのがいったい正しいことなのか立ち止まって考え
てほしい。男女平等の正しい価値観とは、公共の精神の正しい考えとは、こ
れらをどれかひとつの考え方を正しいものとするのは民主主義政治の否定で
あるが、そのことが正しいか。教育の根本に関することが強行採決でもされ
れば後世から見て愚の骨頂であろう。少数の者が決めた意識を受け入れねば
ならない抑圧的社会を認めるのか。

教育を受ける側の主体性について政府案にはまったく見出せない。多文化共
生についてもわが国に育つ違う国の背景をもつ子どもの血に流れる文化を大
事にされることがないのが残念だ。現行法かですら教育への住民の意思は政
治を通じて反映されているか、政府案では国民の声は逆につぶされてしまう。
教育に素人は口を出させず国が決めてあげます、というものに見える(小坂
憲次・自民の質問に対して)。

政府案は90年代以降の数値化の流れを目指す方向にしており、子どもに向
き合えない先生を作り、子どもを逃げ場のないところに追い込む(西博義・
公明に)。

(東京地裁の先の都教委の日の丸・君が代指導に対する判決にかかわり)教
育目標で定めるのは諸外国にも珍しくないが、実現へ向けたコミュニケーシ
ョンを広げられるかが決定的で、上からの硬直的な流れが現場に直接降りて
きて、現場の工夫が極小化され、子どもの状況に対応したことも否定される
なら、これは教育でなく説教だ。基本的人権の侵害に当たる。こうした政府
案への問題点を浮かび上がらせることが(国会審議において)必要だ。(教基
法の目標を達成できない子どもが)早期にドロップアウトさせられ、競争の
激化どころか支援されなくなることが最大の政府案の問題点かもしれない。
(現行教基法下でさえ)行事で日の丸は会場のどこに掲げ、など微に入り細
に入りとなって、学習指導要領は大綱的なものでなくなっている。分を超え
た介入は政治的意図に基づくものが少なからずある。教育行政が介入を広げ
ようというのは本来適当でないことだ。


【広田照幸】
青少年の現状をもっと議論すべきだ。規範意識が身についてないからいろん
なことが起きるとされているが日本の教育は海外先進国の研究者からは「日
本の教育に学びたい」といわれているものだ。資料を見てほしい。殺人の人
口別検挙数の推移だが、最近になって青少年の殺人検挙数が増えているので
はない。50-60年代のほうが高く、近年低位で推移している。窃盗犯の検
挙数でも要は10代で自転車等や万引きしても20代ではやってない、まと
もになっている、というものだ。犯罪実数より報道がどんどん増えている構
造だ。ここからわかるのは規範意識が身につかないで大人になっているので
はなく、10代が大人になるまでのことに大人がいらだっているということ
だ。

政府案で現場がよくなるのか考えてほしい。面白くない窮屈な現場になりそ
うで心配だ。法案には「態度を養う」といっぱい出ている。さらにそれを「組
織的体系的に」とある。教育目標について現場は細かくなされなければなら
なくなって、「態度」でその教育効果が計られる。子どもたちはいろんなこと
で「態度」を要求され息が詰まる。生徒だって面従腹背する子もいるだろう
し、先生も行き過ぎた管理となり殺伐とした学校になる。先生は萎縮し、現
場は問題を抱えてしまう。教委のチェックに対して形だけつじつま合わせす
るようになって隠蔽体質は強まる。そもそも2条のようなことが教えられる
のか。「よい子」には教えられるだろう。多くの子どもが教育的関係自体に乗
ってこない現状をどうするかが問題になっているのに無理な要求であり、い
じめも非行もこれでなくなることはないだろう。

政府案に欠けているものとして、未来社会の像が狭い、グローバル社会での
柔軟な可能性に欠ける。2003年には日本は東アジア共同体へと動いてき
た。その前は一国主義で競争に打ち勝とうとしてきたが、違う像が出てきた。
民主案には外国人も(視野に)入っている。政府案にはIT化社会の情報交
換の問題はない。学ぶ者の権利保障、受ける側の主体性の明記もない。政府
案には条件整備の観点がほしい。金を出さず教育改革の成果が求められてい
る。

このように、現状認識、学校への影響、将来像について議論されていないこ
とが多い。審議は尽くされたどころではない。理想主義的であっさりしてい
て柔軟に事態に対応しうる汎用性もある現行教基法を選びなおすという道も
ある。

政府案と民主案がよく似ているという発言が国会であったが、未来社会のモ
デルが違う。共同体モデルか市民社会モデルか、ということだ(小坂憲次・
自民の質問に対して)
(引きこもりにかかわって)規範を教えても引きこもりを防げないだろう。
問題はそこから出て行くときの条件、機会をどう作るかだ(西博義・公明に)。
教育行政について責任の一元化がよいのか多元的に責任があるのがいいのか。
責任一元化は権限の一元化を生むことにもなる(同上)。

日本は高度成長を経て効率的教育システムを作ってきたが、そのいいところ
を忘れて米英の施策をそのプラスマイナスをよく検討せず進めよう教員の尻
をたたいて活性化、子どもの尻をたたいて競争、としている。長期的にはし
んどいシステムであり得策ではない。金をかければよくなる可能性はあるが、
(政府案は)金をかけず理念と競争でよくしようというものだ。80年代く
らいから(教育機会格差の)分断状況が懸念されてきた。教育における社会
の標準的なところにおいてはリスクを負うことなく機会が得られるようにし
てほしい。(阿部知子・共産へ)

あまり教育にスーパーパワーを望むべきではない。徳目を教え込んでいじめ
がなくなるというのは錯覚で良好なコミュニケーションのとれる学校、時間
のある学校、への条件整備が重要だ(同上)。

【出口治男】
教育基本法は憲法の精神の実現のための立憲主義的性格を持っている。国家
がしてよいことしてはいけないことを定めるものであり、政府の不当な支配
を可能にする仕組みと教育振興基本計画を合わせると、国家権力が教育を支
配する構造となり、立憲主義的教育基本法として疑問だ。愛国心、公共の精
神など多義的概念を一義的に教えることが可能となる。政府案16条はそれ
を構造的に支えるものだ。今国会での改正に限らずとの世論調査や東大の1
万人の校長アンケートでの反対の声もあり、さらに十分議論すべきだ。教基
法改正がいじめの処方箋足りうるか、むしろその理念をいかに強くしていく
かだ。

◆教育基本法特別委員会経過
15日13時〜
衆議院教育基本法特別委員会は15日午後1時に開会したが、野党4党欠席
のままで、1時10分から質疑に入った。質疑者は河村建夫(自民)、斉藤鉄
夫(公明)。

【河村建夫(自民)議員】午前の中央公聴会など、野党の要望に応じて、特
別委員会も合計105時間16分になる、野党の欠席は「党利党略」だ。

【安部首相】「志ある国民、品格ある国家」をつくるため教育基本法の改正が
必要だ。教育再生会議でスピード感を持って改革をすすめていく。また、未
履修問題、いじめ自殺などについて、規範意識を教えるべき学校が教えてい
ない。教師は崇高な使命をもっている。

【伊吹文相】法案16条(教育行政)について、現場教師には教育権のあり
かについていろいろな考えがあり、特定の組合に属している教師に(同条文
を)徹底する必要がある。また、教育における国と地方の役割について、安
倍首相の所信表明演説「すべての児童に基礎学力」を実現するのは国しかな
い。

【斉藤鉄夫(公明)議員】野党の、さらに議論を続行すべきとの態度につい
て、100時間を越える議論をしており説得力がない、民主党案は反対のため
の道具だったのではないか。また、政府案9条の「自己の崇高な使命を深く
自覚」にふれ、教師こそ最大の教育環境だ。

【安倍首相】教師の資質向上に免許の更新制、現職研修の充実、優秀教師の
表彰などが必要。

17時5分
鈴木恒夫(自民)議員より審議の終了動議。総員起立により動議を可決。

賛成討論を鈴木恒夫(自民)および西博義(公明)が行ったのち、森山特別
委員長が採決を行い、午後5時19分可決した。
革命的なまでのやる気の無さですね。
教育基本法「改正」案について、「メディアが報じないなら私達ひとりひとりがメディアになろう!」というスローガンみたいなのが今、唱えられていますが、この場合、「日教組中央がやらないなら組合員ひとりひとりがやろう!」ですね。
posted by s19171107 at 06:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 教育基本法関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

安倍晋三は教育基本法を読んだことあるのか?

最新版の安倍内閣メールマガジンより引用
● 教育基本法への想い

こんにちは、安倍晋三です。

北海道の佐呂間町で起きた竜巻の被害には、自然の恐ろしさを見せつけら
れました。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。政府は、
直ちに災害救助法を適用し、避難場所を設置するとともに毛布400枚を即
刻届けるなど、現地の支援体制を整えています。

被災された方々は、これから厳しい寒さともたたかわなければなりません。
一日も早く元の生活に戻れるように、政府として、地元と協力しながらでき
る限りのことをしていきたいと思います。

国会では教育基本法改正案の審議が行われています。今なぜ、教育基本法
を改正する必要があるのか、私の考えを改めてご説明したいと思います。

現在の教育基本法が制定されてから半世紀以上が経過しました。

戦後教育は、機会均等という理念のもとで国民の教育水準を向上させ、戦
後の経済発展を支えてきました。また、個人の権利や自由、民主主義や平和
主義といった理念についての教育も行われてきました。

しかし、他方で、道徳や倫理観、そして、自律の精神といったものについ
ての教育はおろそかになっていた点はやはり否めません。

現在、子供たちのモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下と
いった問題が指摘されています。こうした中で、いじめ問題や未履修問題が
相次いで表面化し、子供たちも保護者の皆さんも不安を抱き、教育再生の必
要性をさらに強く感じているのではないでしょうか。

海に平気で空き缶を捨てる子供に対しては、法律で禁止されていなくても
そうした行為は恥ずかしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を
身につけさせることが必要です。

さらに、利益にならなくても、海に捨てられた空き缶を見つければ拾って
ゴミ箱に捨てる、といった公共の精神を培っていくことも必要だと思います。

教育は学校だけで全うできるものではありません。道徳を学び、自分を律
し、人を思いやる心は、家庭や地域社会の中で人と人のふれあいを通して醸
成されるものです。

こうした教育に対する基本的な考え方や価値観を、まずはみんなで共有す
ることが大切なのではないでしょうか。毎日様々な問題が発生し、教育のあ
り方に対する危機感が広く共有されつつある今こそ、家庭が、地域が、学校
が、そして一人一人が、自ら何ができるかを考え、自覚することが教育再生
の第一歩であると考えています。

これが新しい教育基本法の意味なのです。最近起こっている問題に対応し
ていくために必要な理念や原則は、政府の改正案にすべて書き込んであると
思っています。公教育の再生や教育委員会のあり方など、具体的な教育政策
を今後検討する上でも、一刻も早い改正案の成立を願っています。

明日(17日)は、APEC首脳会議に出発するため、ベトナムに向かい
ます。太平洋を囲む21の国と地域のリーダーたちがハノイに集まります。

経済の協力関係のほか、北朝鮮問題、核やテロの問題など国際社会が直面
する課題について幅広い議論が行われます。責任ある国際社会の一員たるわ
が国のリーダーとして、世界に貢献し、日本の平和と繁栄のために力を尽く
してきたいと思います。(晋)
こいつ教育基本法読んだことないだろ。
読んでいたら
現在、子供たちのモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下といった問題が指摘されています。こうした中で、いじめ問題や未履修問題が相次いで表面化し、子供たちも保護者の皆さんも不安を抱き、教育再生の必要性をさらに強く感じているのではないでしょうか。

海に平気で空き缶を捨てる子供に対しては、法律で禁止されていなくても
そうした行為は恥ずかしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を
身につけさせることが必要です。
なんてこといえないわな。
だって、道徳意識・規範意識とかそういうのって第一条の「人格の完成」に含まれるでしょ。
第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
それとも、個人の価値をたつとびの部分が気に入らないのかな?また個人主義と利己主義をごちゃまぜにするつもりだろうか?
個人主義と利己主義が決定的に違うのは、個人主義は「私の意志を尊重してください。私も貴方の意思を尊重しますから。」で、利己主義は「俺様の勝手にやらせろ。」だったと思うんだけどな。
posted by s19171107 at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育基本法関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

朝日新聞夕刊一面連載「私の教育再生」

朝日が夕刊紙面で昨日から良特集を始めました。
題して「私の教育再生」。第一回の昨日は立花隆氏のコラムでした。
読み応えあるものでしたので、一部省略はしますが引用してご紹介します。

(原文では平仮名で書かれているところを漢字変換する、すなわち、たとえば原文では「するとき」となっているのを「する時」と打ち込んでいるくらいの差異はありますが、意味上問題は無いようにしています。)
・見出し
普遍的価値を持つ基本法
改正論の裏に国家主義

・本文
(前略)
 そもそも今なぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程されている「教育基本法改正」が「やっぱり必要だ」という空気を作りたいからとしか言いようが無い。
 しかし、今の教育が抱えている諸問題は全て教育基本法とは別次元の問題だ。教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決する問題でもない。
 教育基本法に書かれていることは(中略)すべて極めて当たり前のことだ。急いで改正しなければならない理由はどこにも無い。特に教育目的で書かれていることは、人類社会が長きに渡って普遍的価値として認めてきたことだ。
 そこにあるのは、「人格の完成」「平和国家」「真理と正義」「個人の価値」「勤労の責任の重視」「自主的精神」「心身の健康」など、誰も文句のつけようが無い目的だ。
 このような普遍的価値にかかわる問題を、なぜバタバタとろくな審議もなしに急いで決めようとするのか、不可解としか言いようが無い。
 政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由は見当たらない。
 考えられる理由はただ一つ、前文の書き換えだろう。
 教育基本法の前文は、「基本法と憲法の一体性」を明示している。まず新しい民主的で文化的な平和憲法ができたことを宣言し、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつ」として、新憲法に盛り込まれた新しい社会を実現してゆくことがこれからの教育の目的だとしている。
 憲法改正を真っ正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそれを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方が無いのだろう。憲法改正を実現するために、「将を射んとすればまず馬を射よ」の教えどおり、まず憲法の馬(教育基本法)を射ようとしているのだろう。
 教育基本法は何故出来たのか。制定時の文部大臣で後の最高裁長官の田中耕太郎氏は「教育基本法の論理」でこう述べている。先の戦争において、日本が、「極端な国家主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。
 教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。
 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位観念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。
 そのは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。
 教育は国家に奉仕すべきではなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。


ちなみに、今日の夕刊では、数学者のピーター・フランクル氏のコラムです。
打ち込む時間が無いので見出しのみお知らせしますと、「英語の前に自己表現力 愛国は国粋主義と違う」です。
興味のある方は、たぶん図書館に行けばおいてあると思います。
サンケイなんかだと図書館によっては置いていないこともありますけど、朝日は一応代表的な商業紙ですから、大抵はおいてあると思います。
posted by s19171107 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育基本法関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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