個人的にはアニメをやっているのに地図を消さないほうがよっぽど問題だと思うわ。アニメの絵の上に日本地図がかぶさっているのはちょっと笑えるけど、このアニメの愛好者にしてみれば堪ったもんじゃないだろう。
当ブログは移転しました。詳細はこちらに掲載してありますので、ご参照ください。
2010年02月28日
TBSの津波警報の日本地図に対馬がない件
という話を聞いたのでTBSにチャンネルを合わせると、たしかに対馬っぽい島が載ってない。まあ、対馬には警報出ていないみたいだから別に実害はないけど、その筋の方々は発狂なさっています。いちいち細かいところまでお疲れ様です。
個人的にはアニメをやっているのに地図を消さないほうがよっぽど問題だと思うわ。アニメの絵の上に日本地図がかぶさっているのはちょっと笑えるけど、このアニメの愛好者にしてみれば堪ったもんじゃないだろう。
個人的にはアニメをやっているのに地図を消さないほうがよっぽど問題だと思うわ。アニメの絵の上に日本地図がかぶさっているのはちょっと笑えるけど、このアニメの愛好者にしてみれば堪ったもんじゃないだろう。
2010年02月13日
事件報道の目的が
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100210-00000224-yom-soci
「宮城県石巻市の民家で女性二人を殺害し少女を連れ去って逃走していた少年ですが、先ほど身柄が確保されました」というスタジオでの一通りの状況説明まではまあ良いとして、すぐに「現場からの中継」に移ったのものの、この中継がひどい。のっけから「被疑者が逮捕されたとの(地元の宮城県警察からの)情報は現在のところ入っておりません」と口走ったかと思いきや、「被疑者2名逮捕という情報が入ってきた」「しかし誰なのかは分かりません」「複数犯という可能性も出てきたということです」と言ったりするなど、結局、誰が捕まったどころか、捕まったのか捕まっていないのかも混乱させるような内容でした。
そして再びスタジオに映像が戻って来、昨今の事件報道ではおなじみの「事件の相関図」がモニターに映し出されるも、人物間の関係が判明しておらず、一番大切な、身柄を確保された少年と次女(連れ去られた少女)との関係性に「過去に交際?」すなわち「?」をつけたり、あるいは「次女に娘がいるという情報が入ってきているが、容疑者の少年との間の子供なのかは分からない」などと、結局何なのかサッパリな報道に終始する始末でした。
で、こんなわけのわからない「まとめ」であるにもかかわらず、「考えたくは無い」と前置きしつつも「次女も何らかの形で関わっている可能性もありうる」(加藤譲 読売新聞編集委員)と言ってのけるコメンテーターたち。犯人を「減らす」方向のコメントならまだしも、「増やす」方向のコメントは、日本人視聴者の習性を考慮に入れる限りにおいてはやめておいた方が良いと思うんですけどねえ、、、新聞の編集委員やってんのに読者(視聴者)がどういう習性を持っているのかも知らないんですか?
さて、昨今のメディア報道が、まだほとんど分かっていない状態から、断片的な情報をつぎはぎして勝手なストーリーを作り上げるのみならず、それを前提として「スタジオ法廷」のごとくあれやこれやと言い立て、不十分な事実認定に基づく「スタジオ判決」を出しているというのは、皆様も良くご存知のことかと思います。あるいは、その「スタジオ判決」が、ホンモノの裁判にも影響を与えているのではないかというのも一部では囁かれているのもご存知かと思います。
おそらく上記10日づけ「ミヤネ屋」も、いつものパターンでやっていたつもりなんでしょうけど、今回ばかりは事件からまだ数時間しかたっていない段階で無理に「スタジオ法廷」を設置しようとしたためでしょうか、視聴者にしてみれば結局、何が起きたのかもいまいち分からない出来になってしまいました。
このような拙速に過ぎる「法廷」設置を見ていると、よく「スタジオ判事」たちは、自分たちが頼まれてもいないのに「法廷」を設置するときに、「被害者の無念さを、、、」とか「事件の真相を、、、」などと大義名分を立てますが、それがタテマエでしかないことが良く分かると思います。だってこの報道、真相究明にまったく資さないような混乱っぷりだし、それどころか、前置きは確かにあるものの、被害者を加害者グループとして扱っているし。
なんか、事件報道の目的が失われているような気がします。真相究明には資さないし、視聴率主義だとしても、報じている側も混乱しているようじゃ「ミヤネ屋は何を報じているのか自分でも分かっていない番組」と思われ、以後の視聴率に悪影響を及ぼすでしょうし。とにかく「速報すること」が目的になっているような。。。
>>> 宮城3人殺傷、逃走18歳少年の身柄を確保本件については、10日午後放送の読売テレビ(首都圏では日本テレビ)系『情報ライブ ミヤネ屋』で、番組開始直後のトップニュースとして、合計10分程度の時間枠で取り上げられたのですが、その内容が。。。
2月10日8時38分配信 読売新聞
10日午前6時50分頃、宮城県石巻市清水町、南部かつみさん(46)宅で、同市、職業不詳の少年(18)が、南部さんの長女・美沙さん(20)ら男女3人を包丁のようなもので次々に刺した。
3人は病院に搬送されたが、美沙さんと石巻市日和が丘、高校生大森実可子さん(18)の2人が死亡、男性(21)も肩を刺されて軽傷を負った。
少年は、南部さんの次女・沙耶さん(18)を連れて乗用車で逃げていたが、県警は同日午後1時過ぎ、少年の身柄を確保した。石巻署は殺人容疑で少年を調べる。
(中略)
最終更新:2月10日13時34分 <<<
「宮城県石巻市の民家で女性二人を殺害し少女を連れ去って逃走していた少年ですが、先ほど身柄が確保されました」というスタジオでの一通りの状況説明まではまあ良いとして、すぐに「現場からの中継」に移ったのものの、この中継がひどい。のっけから「被疑者が逮捕されたとの(地元の宮城県警察からの)情報は現在のところ入っておりません」と口走ったかと思いきや、「被疑者2名逮捕という情報が入ってきた」「しかし誰なのかは分かりません」「複数犯という可能性も出てきたということです」と言ったりするなど、結局、誰が捕まったどころか、捕まったのか捕まっていないのかも混乱させるような内容でした。
そして再びスタジオに映像が戻って来、昨今の事件報道ではおなじみの「事件の相関図」がモニターに映し出されるも、人物間の関係が判明しておらず、一番大切な、身柄を確保された少年と次女(連れ去られた少女)との関係性に「過去に交際?」すなわち「?」をつけたり、あるいは「次女に娘がいるという情報が入ってきているが、容疑者の少年との間の子供なのかは分からない」などと、結局何なのかサッパリな報道に終始する始末でした。
で、こんなわけのわからない「まとめ」であるにもかかわらず、「考えたくは無い」と前置きしつつも「次女も何らかの形で関わっている可能性もありうる」(加藤譲 読売新聞編集委員)と言ってのけるコメンテーターたち。犯人を「減らす」方向のコメントならまだしも、「増やす」方向のコメントは、日本人視聴者の習性を考慮に入れる限りにおいてはやめておいた方が良いと思うんですけどねえ、、、新聞の編集委員やってんのに読者(視聴者)がどういう習性を持っているのかも知らないんですか?
さて、昨今のメディア報道が、まだほとんど分かっていない状態から、断片的な情報をつぎはぎして勝手なストーリーを作り上げるのみならず、それを前提として「スタジオ法廷」のごとくあれやこれやと言い立て、不十分な事実認定に基づく「スタジオ判決」を出しているというのは、皆様も良くご存知のことかと思います。あるいは、その「スタジオ判決」が、ホンモノの裁判にも影響を与えているのではないかというのも一部では囁かれているのもご存知かと思います。
おそらく上記10日づけ「ミヤネ屋」も、いつものパターンでやっていたつもりなんでしょうけど、今回ばかりは事件からまだ数時間しかたっていない段階で無理に「スタジオ法廷」を設置しようとしたためでしょうか、視聴者にしてみれば結局、何が起きたのかもいまいち分からない出来になってしまいました。
このような拙速に過ぎる「法廷」設置を見ていると、よく「スタジオ判事」たちは、自分たちが頼まれてもいないのに「法廷」を設置するときに、「被害者の無念さを、、、」とか「事件の真相を、、、」などと大義名分を立てますが、それがタテマエでしかないことが良く分かると思います。だってこの報道、真相究明にまったく資さないような混乱っぷりだし、それどころか、前置きは確かにあるものの、被害者を加害者グループとして扱っているし。
なんか、事件報道の目的が失われているような気がします。真相究明には資さないし、視聴率主義だとしても、報じている側も混乱しているようじゃ「ミヤネ屋は何を報じているのか自分でも分かっていない番組」と思われ、以後の視聴率に悪影響を及ぼすでしょうし。とにかく「速報すること」が目的になっているような。。。
2010年01月28日
そして何も生かされなかった
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100128-00000634-san-soci
せっかく足利事件受刑者釈放に際して各社各局あんな立派な方針を立てたのに。あの方針に従えば、これこそ一番してはいけない報道手法になると思うんですがねえ。やはり発行部数稼ぎ・広告収入稼ぎ・視聴率稼ぎの誘惑に負けたのかな。産経記事なんて事件とそれほど関係なさそうな浪費癖云々といった耳目だけは集める部分も随分しっかりと「取材」しているし。
>>> 鳥取連続不審死 上田容疑者のウソで固めた人生先ほどのNHK「ニュースウォッチ9」でも本件はトップニュースで報じられ、時間枠(合計5分)の関係上、ここまで詳しく踏み込んだ内容・表現はしなかったものの、「人となり」とか「連続不審死との関連について」といった内容は織り込んで放送していました。
1月28日20時27分配信 産経新聞
強盗殺人事件に発展した鳥取の連続不審死。28日、電器店経営、円山秀樹さん=当時(57)=に対する強盗殺人容疑で再逮捕された元スナック従業員、上田美由紀容疑者(36)は「元看護師」を自称して大量の睡眠導入剤を持ち歩き、言葉巧みに男性に近づき金銭的な援助を求め、一部の交際相手には睡眠導入剤を飲ませていたという。6人の男性が謎の死を遂げた事件の真相解明が始まった。
「ちゃんと薬を飲んで!」。昨年10月26日夜。上田容疑者は、昏睡状態になった男性の口元へ多量の錠剤を押し込んだ。介抱と思える姿だが、一部始終を目撃した上田容疑者の知人は、錠剤が男性の常備薬だったカプセル薬と違うことに疑問を抱いたという。
男性は翌朝に急死。知人の話によると、上田容疑者は知人に警察に疑われていると打ち明けた上で、「薬は飲ませてないよね。警察から聞かれてもそう言って」と頼んだという。
急死した男性は無職の田口和美さん=当時(58)。捜査関係者によると、田口さんの遺体から、円山さんや昨年4月に水死したトラック運転手、矢部和美さん=当時(47)=と同じハルシオンなど睡眠導入剤2種類と風邪薬の成分が検出された。一連の不審死は連続殺人だった公算が大きい。
この知人によると、上田容疑者は「昔は看護師だった」と話し、持病や健康管理のアドバイスと称し、出所不明の薬を配っていた。しかし、県警によると看護師だった経歴はなかった。元看護師と信じ込んで薬を飲んだ人たちはその後、体調を崩したり、意識を失ったりしたほか、病院で治療を終えて帰宅すると財布の中身が無くなっていることもあったという。
上田容疑者は鳥取県北栄町出身。県内の高校を中退し、平成5年ごろ大阪で結婚して子供をもうけたが、離婚し地元に戻った。その後、鳥取市内のスナックで働き、最初の詐欺事件で逮捕された昨年11月当時は共犯として起訴された男(46)と5人の子供と一緒にアパートで暮らしていた。
死亡した6人とはスナックの従業員と客として知り合った。同僚によると、「ほれっぽいところがあり、よくしゃべり愛嬌があるので人気があった」。客と2人きりになると、「一緒に暮らそうか」などと甘い言葉をささやき、身の上話を聞かせたという。
交際が始まると、すぐに「結婚」を口にし、自分自身や家族の病気の治療費などの名目で金銭的な援助を求めた。中には別れるまでに渡した総額500万円相当の現金や貴金属が返済されず、民事訴訟を起こした男性もいる。男と共謀した詐欺事件では1千万円近い不正な利益を得たとみられる。
手に入れた現金は浪費された。毎日のようにアパートの隣人を夕食や銭湯に誘い、代金1〜2万円を負担した。また、近所のコンビニでは漫画本や菓子、飲料に毎回現金5〜6千円を使った。美容院では3女の七五三の際に子供全員に着物とドレスを着せると告げ、料金約6万円を提示したスタッフに、「安いわね」と大声で話しかけたという。
捜査幹部は「身の上話も経歴も全部うそ。でたらめだらけの人生」と断じた。 <<<
せっかく足利事件受刑者釈放に際して各社各局あんな立派な方針を立てたのに。あの方針に従えば、これこそ一番してはいけない報道手法になると思うんですがねえ。やはり発行部数稼ぎ・広告収入稼ぎ・視聴率稼ぎの誘惑に負けたのかな。産経記事なんて事件とそれほど関係なさそうな浪費癖云々といった耳目だけは集める部分も随分しっかりと「取材」しているし。
2009年09月21日
産経のレベルはネトウヨ「以下」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000530-san-pol
産経が社民党嫌いなのは分かりますよ。その主張を見れば分かるし、この記事にしても最初の書き出しを見れば分かりますから。ならば、「与党:社民党」の余りにもお粗末な組織的迷走を示すこの事態、もう少しおいしく調理したらどうかと思うんですがねえ。
というかそれ以前に、タイトルのピントと本文のピントが違わない?タイトルは辻元氏の言動にピントを合わせているかのような印象を受けるのに、本文は社民党の組織としての迷走っぷりにピントを合わせている。
「産経はネトウヨレベル」とか良く聞きますが、当のネトウヨならばおいしいネタはもうちょい上手く調理するんじゃないかと。文章の書き方、特にタイトルのつけ方がアレなのは類似するところがあるけど。まあ、それを言うなら私もそうだけど(´・ω・`)タイトルツケハムズカシイノヨ
>>> 社民・辻元氏が駄々っ子状態 民主ため息要するに、本人の意思確認というか連絡もせずに勝手に決定したから本人が嫌がっているという、辻元氏にしてみれば当然の反応、かつ、社民党組織のドタバタぶりを報じているわけですが、それにしてもタイトルだけみると何かぜんぜん違う印象をうけますねえ。
9月20日18時18分配信 産経新聞
頑固に「護憲」を掲げる社民党が、鳩山由紀夫首相が率いる連立政権でさっそく足をひっぱり始めた。社民党きっての論客である辻元清美衆院議員の国土交通副大臣起用をめぐっても大混乱。組閣翌日に副大臣辞任というハプニングが起きる寸前だった。社民党は衆参12人の小所帯だが、外交・安保政策だけでなく、政権運営面の「火種」となりかねないドタバタぶりに、民主党からは「付き合いきれない」(党幹部)とため息が漏れている。(原川貴郎)
18日午後、国会内の社民党控室で、辻元氏は国交副大臣就任を駄々っ子のように拒み続けた。
辻元氏「やだ、やだ、やだ、やだ!」
阿部知子政審会長 「そんなのダメ。やりなさい!」
辻元氏「(福島瑞穂)党首が閣議で署名しちゃってるんですよ。もうどうしてくれるんですか、幹事長!」
混乱は17日夜に始まった。前原誠司国交相から電話で副大臣就任の要請を受けた辻元氏は、社民党国対委員長であることを理由に断り、対応を重野安正幹事長に一任した。
これを受け、重野氏は党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相氏と協議しようとしたが、電話がつながらず、福島氏は18日午前の閣議で、辻元氏の名前が掲載された副大臣名簿に署名してしまった。
ところが、福島氏は閣議後の記者会見で「サインはしていない。平野博文官房長官からは『調整中の方がまだ何人かいる』とのことだった」と署名の事実を否定。最後は署名したことを認めたが、なぜ辻元氏の意向を踏まえず署名したのかは定かではない。
辻元氏の抵抗を受け、社民党幹部は18日夜の副大臣認証式までに閣議決定を撤回させようと動いたが、官邸サイドは「できません」ときっぱり拒否。重野氏は国民新党幹部に「連立政権として十分な意思疎通ができていない」と不満をぶちまけたが、もはや白旗を上げるしかなかった。
社民党の混乱に民主党幹部は「党内の連携ミスの責任をこちらに押しつけられても困る」とあきれ顔。辻元氏が国対委員長職に固執した理由は分からないが、辻元氏は平成15年に秘書給与流用事件で詐欺容疑で逮捕され、翌年2月に有罪判決を受けた。自民党幹部は「内閣に入ってくれた方が攻撃しやすい」とほくそ笑んでいる。 <<<
産経が社民党嫌いなのは分かりますよ。その主張を見れば分かるし、この記事にしても最初の書き出しを見れば分かりますから。ならば、「与党:社民党」の余りにもお粗末な組織的迷走を示すこの事態、もう少しおいしく調理したらどうかと思うんですがねえ。
というかそれ以前に、タイトルのピントと本文のピントが違わない?タイトルは辻元氏の言動にピントを合わせているかのような印象を受けるのに、本文は社民党の組織としての迷走っぷりにピントを合わせている。
「産経はネトウヨレベル」とか良く聞きますが、当のネトウヨならばおいしいネタはもうちょい上手く調理するんじゃないかと。文章の書き方、特にタイトルのつけ方がアレなのは類似するところがあるけど。まあ、それを言うなら私もそうだけど(´・ω・`)タイトルツケハムズカシイノヨ
2009年03月05日
「司法有識者」としての「元検察官」ってどうしたもんかね
民主党小沢代表炎上中の今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。
野党第一党の党首の突然の醜聞でメディアはメシのタネが見つかって大喜び、例によってテレビでは公安関係者を「有識者」扱いでゲストとして招いて色々と聞き出しているわけですが、4日夜の日テレ系『ZERO』における元地検特捜部の河上氏の発言には少し違和感を感じました。
曰く、「地検特捜部はかなりの自信がなければ行動しない」として、本件は被疑者は容疑を否認しているがクロであろうとした上で、今後、この手の「政治とカネ」の問題を解決するには、「議員本人が知っていたか否かの立証責任は議員本人に与えた上で、本人了解の不正ならば議員身分剥脱とすべし」というようなことを言っていたと思います。
まあ、氏は半生を検察関係者として捧げてきた方ですから、検察視点で語ってしまうのは仕方ありませんけど、逮捕は逮捕であって有罪確定ではないんですから、テレビのコメンテーターとしてはその辺を配慮した発言じゃないとまずいんじゃないかと。これじゃコメンテーターじゃなくて地検のスポークスマンじゃん。
また、「自身の無関係の立証責任は議員側」ってあんた、、、まあ、脳味噌がおやすみモードに入り始めた時間帯の放送だったので、あるいは聞き間違いor脳内情報混線していたかもしれませんし、そうであってほしいのですが、私の記憶によるとそんなことを言っていたみたいです。。。
しかしまあ、容疑者段階や被告人段階、つまり有罪確定では無い段階で検察関係者を「司法有識者」として呼ぶ昨今のテレビの編集って、どうにかならんのですかね。大学とかで純粋に法律や判例を研究している学者を呼ぶほうが中立的だし、見ている側としても、双方の視点を同時に捉えられるから、よっぽと有益じゃないかと思いますよ。繰り返しになりますが、長く検察で仕事をしてきた人じゃ、検察視点で語ってしまうのは仕方ありません。だからこそ。
ちなみに、いつのまにやらレギュラーコメンテーターみたいな顔している星野仙一氏が、「"政治とカネ"の問題は世界に対して恥ずかしい」としながら、本件について「まあ、まだ(クロかどうかは)分かりませんけど」と付け加えたのには感心した。いつもどっかピントがズレていたり、そもそも何で星野氏が政治・経済・社会・法律を語っているのかが良く分からないけど、今回ばかりは良く言った。
関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
野党第一党の党首の突然の醜聞でメディアはメシのタネが見つかって大喜び、例によってテレビでは公安関係者を「有識者」扱いでゲストとして招いて色々と聞き出しているわけですが、4日夜の日テレ系『ZERO』における元地検特捜部の河上氏の発言には少し違和感を感じました。
曰く、「地検特捜部はかなりの自信がなければ行動しない」として、本件は被疑者は容疑を否認しているがクロであろうとした上で、今後、この手の「政治とカネ」の問題を解決するには、「議員本人が知っていたか否かの立証責任は議員本人に与えた上で、本人了解の不正ならば議員身分剥脱とすべし」というようなことを言っていたと思います。
まあ、氏は半生を検察関係者として捧げてきた方ですから、検察視点で語ってしまうのは仕方ありませんけど、逮捕は逮捕であって有罪確定ではないんですから、テレビのコメンテーターとしてはその辺を配慮した発言じゃないとまずいんじゃないかと。これじゃコメンテーターじゃなくて地検のスポークスマンじゃん。
また、「自身の無関係の立証責任は議員側」ってあんた、、、まあ、脳味噌がおやすみモードに入り始めた時間帯の放送だったので、あるいは聞き間違いor脳内情報混線していたかもしれませんし、そうであってほしいのですが、私の記憶によるとそんなことを言っていたみたいです。。。
しかしまあ、容疑者段階や被告人段階、つまり有罪確定では無い段階で検察関係者を「司法有識者」として呼ぶ昨今のテレビの編集って、どうにかならんのですかね。大学とかで純粋に法律や判例を研究している学者を呼ぶほうが中立的だし、見ている側としても、双方の視点を同時に捉えられるから、よっぽと有益じゃないかと思いますよ。繰り返しになりますが、長く検察で仕事をしてきた人じゃ、検察視点で語ってしまうのは仕方ありません。だからこそ。
ちなみに、いつのまにやらレギュラーコメンテーターみたいな顔している星野仙一氏が、「"政治とカネ"の問題は世界に対して恥ずかしい」としながら、本件について「まあ、まだ(クロかどうかは)分かりませんけど」と付け加えたのには感心した。いつもどっかピントがズレていたり、そもそも何で星野氏が政治・経済・社会・法律を語っているのかが良く分からないけど、今回ばかりは良く言った。
関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
2009年01月07日
9条・25条
「派遣村」の会場に、護憲関係のアイテムがあったことに対して文句が出ているようです。以下より一部抜粋。
http://news.livedoor.com/article/detail/3962551/
「派遣村」は有志が集まって始めたものですが、本来はこの手の活動は行政がまずやるべき業務であり、その根拠は大元を辿れば憲法にたどりつきます。日本国憲法は、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を3本柱とし、その下に沢山の条文を引っさげていますが、ところで何故この3本柱を建て、あれだけ沢山の条文を引っさげているのでしょうか。これについて私は、国民が幸福を追求できる基盤を保障するための環境的条件を整備するためであると考えています。
つまり、憲法の各条文というのは、「幸福追求のための基盤を保障する」という目標を具体的なものとして変形したものにすぎず、その「根底」は全て同一であると考えます。また、憲法の各条文は「根底」の目標の変形であるという視点で考えると、憲法の各条文は互いに支えあって一つの憲法(目標)として成立していると言えると思います。たとえば、25条(以下、「〜条」は全て日本国憲法の条文を指す)の生存権を通しての「幸福追求のための基盤保障」は、戦争放棄という形を通しての「幸福追求のための基盤保障」を謳っている9条の環境的条件があってこそ正常に成り立つものですし、各個人の生存権が保障されていない社会では生活困窮者を中心に「新天地」を欲する傾向にあるという歴史的傾向をふまえると、9条は25条の環境的条件があってこそのものです。
本来は憲法の理念に沿って行政が行うべき「派遣村」は、有志が行政にかわって憲法の理念(たぶん25条あたり)を実行したものであるといえます。先にも書きましたが、25条は9条あっての25条です。その点、「派遣村」が25条の精神で開設されたものとするならば(←仮定条件)、それは9条(とその他)の環境的条件によって開設されたものですので、「9条擁護」あるいは広く「護憲」を掲げても何の不思議もないのではないでしょうか。
最初にも書きましたが、上記は全て私の無理矢理な解釈なので、本当に「派遣村」の中の人たちが、私の考えるような論理でやっているかについては、私は全く責任をもてません。本記事によってお伝えしたいことは、「考えようによっては、このような活動と9条護憲運動は結びつかないことはないよ」ということですので、参考程度に聞き流してください。決して「派遣村」の中の人に本記事の内容を問い合わせないように!
http://news.livedoor.com/article/detail/3962551/
>>> そして問題の思想宣伝だが、やはりいた。「9条改憲阻止!」のタスキをかけた男性が、ビデオカメラを片手に歩き回っているのだ。報道腕章や所属を明示するものは着けていない。明らかなルール違反。しかも、腕章をしている報道陣でさえいちいちスタッフから呼び止められるのに、記者が見た限り「9条改憲阻止!」男は誰にも呼び止められていない。これは“9条特権”なのか、それとも、みな気持ち悪がってかかわりあいになりたくないのか。それとも、すべてのボランティアに顔が知れているほどの「派遣村」幹部なのか?「派遣村と護憲活動は関係ないはずだ」という考えに基づく批判です。しかしながら、実は、「派遣村」的試みと護憲活動って、考えようによっては密接なかかわりが無いともいえなかったりします。以下、私の無理矢理な解釈を。
失業者支援は、関係者の思想を問わず、その活動自体に大きな意義がある。同様に、失業問題に便乗した思想宣伝行為は、その思想の内容を問わず愚かしく恥ずかしい。労組が一堂に会した「派遣村」だけに、なおのことそれに便乗した思想宣伝が見苦しく思えた。「派遣村」主催者は、報道陣を締め付けるなら、同様に“空気が読めない思想宣伝”も何とかしたらどうか。 <<<
「派遣村」は有志が集まって始めたものですが、本来はこの手の活動は行政がまずやるべき業務であり、その根拠は大元を辿れば憲法にたどりつきます。日本国憲法は、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を3本柱とし、その下に沢山の条文を引っさげていますが、ところで何故この3本柱を建て、あれだけ沢山の条文を引っさげているのでしょうか。これについて私は、国民が幸福を追求できる基盤を保障するための環境的条件を整備するためであると考えています。
つまり、憲法の各条文というのは、「幸福追求のための基盤を保障する」という目標を具体的なものとして変形したものにすぎず、その「根底」は全て同一であると考えます。また、憲法の各条文は「根底」の目標の変形であるという視点で考えると、憲法の各条文は互いに支えあって一つの憲法(目標)として成立していると言えると思います。たとえば、25条(以下、「〜条」は全て日本国憲法の条文を指す)の生存権を通しての「幸福追求のための基盤保障」は、戦争放棄という形を通しての「幸福追求のための基盤保障」を謳っている9条の環境的条件があってこそ正常に成り立つものですし、各個人の生存権が保障されていない社会では生活困窮者を中心に「新天地」を欲する傾向にあるという歴史的傾向をふまえると、9条は25条の環境的条件があってこそのものです。
本来は憲法の理念に沿って行政が行うべき「派遣村」は、有志が行政にかわって憲法の理念(たぶん25条あたり)を実行したものであるといえます。先にも書きましたが、25条は9条あっての25条です。その点、「派遣村」が25条の精神で開設されたものとするならば(←仮定条件)、それは9条(とその他)の環境的条件によって開設されたものですので、「9条擁護」あるいは広く「護憲」を掲げても何の不思議もないのではないでしょうか。
最初にも書きましたが、上記は全て私の無理矢理な解釈なので、本当に「派遣村」の中の人たちが、私の考えるような論理でやっているかについては、私は全く責任をもてません。本記事によってお伝えしたいことは、「考えようによっては、このような活動と9条護憲運動は結びつかないことはないよ」ということですので、参考程度に聞き流してください。決して「派遣村」の中の人に本記事の内容を問い合わせないように!
2008年10月24日
番組紹介
ご存知の方も多いかとは思いますが、東海テレビ製作の「光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜」が、少なくとも関東地方でも放送されます(他の地方は知らん)。
日時は、10月26日(25日深夜)午前3時5分〜で、フジテレビです。詳しくはフジテレビの週間番組表参照。
放送内容については、出来れば詳細な記録記事をうpしたいのですが、近頃は殊に忙しいので、かなり絶望的ではあります(´;ω;`)
まあそういうことです。お時間のある方、録画装置の余裕のある方、ぜひご覧ください。
日時は、10月26日(25日深夜)午前3時5分〜で、フジテレビです。詳しくはフジテレビの週間番組表参照。
放送内容については、出来れば詳細な記録記事をうpしたいのですが、近頃は殊に忙しいので、かなり絶望的ではあります(´;ω;`)
まあそういうことです。お時間のある方、録画装置の余裕のある方、ぜひご覧ください。
2008年04月21日
新潮の恣意的記事について(今更)
明日に迫った光市事件差し戻し控訴審判決を分析するための弁護団側の資料として、新たに光市事件弁護団は何を立証したのかを取り寄せました。この本は、私も参加した、3月15日に東京四谷で開かれたシンポジウムの内容を文字起こししたものです。今読んでいる最中なのですが、今のところ、「あれこんなこと言っていたっけ?」みたいなことは無く、内容に一部注釈が加わった編集となっています。
さて、件のシンポジウムといえば、週刊新潮4月3日号が恣意的記事を書いていることは、皆様ご存知かと思いますが、当日参加していた私としては、シンポジウムの主題である「検察主張と客観的証拠の矛盾」について一切触れずに、当日の会場の雰囲気だとか、あるいは弁護人の発言の前後の文脈関係を全く無視した、発言の恣意的切抜きばかりやっているなあ、と思うと共に、ある記事のコメント欄においても書きましたが、これこそ、逆説的に新潮が追い詰められている証左なのかもしれないと思う次第です。
件のシンポは5時間近くの長丁場でした。一応、全て録音してあるのですが、あれを全部文字起こしするのは、給料でももらえない限りなかなか出来ない仕事です。ゆえに、新潮の恣意的記事発売からかなり時間がたったものの、検証記事が書けずにいました。
しかし、今回、弁護団の方から文字にしてくださいましたため、面倒な手間なしで検証記事を書くことができるようになりました。今回はこのうち、特に2点について指摘します。
なお、現在ご覧になっているこのブログ記事は、元ネタこそ光市事件ですが、私としては、『週刊新潮』という雑誌のデタラメ性を指摘するためのものとしています。ゆえに、カテゴリは、テレ朝の電波報道をネタにするとき中心に使っている「メディア報道を見て思ったこととか」に設定しております。
まず、本文の問題箇所に赤傍線を引き、問題点を箇条書きにしたもの

(クリックで拡大)
では第一に、「死刑廃止論者が集まっただけ」という部分について。
当方は、今年2月2日に東京阿佐ヶ谷で開かれた、ジャーナリストの綿井氏と差し戻し控訴審弁護人の河井氏のトークショーに参加しました。そして、その内容を2月から3月にかけて全5回に分割してご報告しましたが、そのうち第5回報告記事においてもご紹介したように、弁護団の一員である河井弁護士は、本村氏が死刑を求める気持ちは分かるし、自分がそのような立場に置かれれば、本村氏と同じく死刑を求めるかもしれない、という発言をなさいました。
件の報告記事においても書きましたが、ガチの死刑廃止論者というのは、「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いに対して、かなりの確率で、「死刑は誰も救わない」とか「たとえ凶悪犯でも、殺してよいわけではない」などのような、お説教を始め、明確に答えようとしないんです。私も以前、光市事件とは無関係の死刑制度に関するシンポジウムに行って、死刑に反対する立場を取る参加者の話を聞いたことがあるのですが、「本当に幸せな思考回路した方々だ」と思わざるを得ないような「ありがたい説教」を賜り、それ以来、私の脳内における死刑廃止論に対する評価というのは、かなり落ちています。(もっとも、私は今現在は、死刑制度に対する明確な意見を確立するにいたって居ませんが 死刑制度についてじっくり考える時間が無いのです)
しかし、河井氏は2月2日のトークショーでは、本当に死刑廃止論者なら当然するはずの、死刑廃止論の「崇高さ」を説くお説教はせず、それどころか、本村氏の気持ちは理解できるし、自分もその境遇になれば本村氏と同じ行動を取るだろうと、本当に確固たる死刑廃止論者であるならば絶対に言わないであろう発言をされました。
そして、その河井氏もこのシンポジウムに参加されました。ということは、「死刑廃止論者が集まっただけ」という部分は誤りになります。
2点目。「ただ2人の方がなくなっているというだけで、死刑を適応してよいというわけではない」の部分。これは前後の文脈を見れば、主語が全然違うということがお分かりいただけると思います。というわけで、件のシンポの文字起こしである光市事件弁護団は何を立証したのかの69ページより、前後の文脈を引用します。
ちなみに、2月2日のトークショーにおいても、河井氏は、「民主法治国家においては、被害者が求めているからといって、ハイと決めてよいわけではない。永山事件判決においての判示では、死刑を選択するか否かのときは、被告がどういう経緯、どういう対応、どういう心境で犯行に及んだのかについて分析しなくてはならないとしているので、法改正するならまだしも、現状においての手順はこうであるのだから、法律実務家たる弁護士は、この手順に従わなくてはならない」という、シンポジウムにおいて発言したのと同趣旨の発言をなさっていました。
別に難しい言い回しをしているわけではなく、ごく普通の現代語を使っているに過ぎない河井氏の発言の主語を取り違えるって、『週刊新潮』編集部って本当に雑誌編集部ですか?それとも、あのシンポジウムが定員先着120名であったのにいい気になって、どうせ適当なこと書いてもバレやしないだろうということで、わざと主語を摩り替えたんでしょうか。
どちらにせよ、『週刊新潮』はアサヒ並みに捏造がお好きだということですね。
さて、件のシンポジウムといえば、週刊新潮4月3日号が恣意的記事を書いていることは、皆様ご存知かと思いますが、当日参加していた私としては、シンポジウムの主題である「検察主張と客観的証拠の矛盾」について一切触れずに、当日の会場の雰囲気だとか、あるいは弁護人の発言の前後の文脈関係を全く無視した、発言の恣意的切抜きばかりやっているなあ、と思うと共に、ある記事のコメント欄においても書きましたが、これこそ、逆説的に新潮が追い詰められている証左なのかもしれないと思う次第です。
件のシンポは5時間近くの長丁場でした。一応、全て録音してあるのですが、あれを全部文字起こしするのは、給料でももらえない限りなかなか出来ない仕事です。ゆえに、新潮の恣意的記事発売からかなり時間がたったものの、検証記事が書けずにいました。
しかし、今回、弁護団の方から文字にしてくださいましたため、面倒な手間なしで検証記事を書くことができるようになりました。今回はこのうち、特に2点について指摘します。
なお、現在ご覧になっているこのブログ記事は、元ネタこそ光市事件ですが、私としては、『週刊新潮』という雑誌のデタラメ性を指摘するためのものとしています。ゆえに、カテゴリは、テレ朝の電波報道をネタにするとき中心に使っている「メディア報道を見て思ったこととか」に設定しております。
まず、本文の問題箇所に赤傍線を引き、問題点を箇条書きにしたもの
(クリックで拡大)
では第一に、「死刑廃止論者が集まっただけ」という部分について。
当方は、今年2月2日に東京阿佐ヶ谷で開かれた、ジャーナリストの綿井氏と差し戻し控訴審弁護人の河井氏のトークショーに参加しました。そして、その内容を2月から3月にかけて全5回に分割してご報告しましたが、そのうち第5回報告記事においてもご紹介したように、弁護団の一員である河井弁護士は、本村氏が死刑を求める気持ちは分かるし、自分がそのような立場に置かれれば、本村氏と同じく死刑を求めるかもしれない、という発言をなさいました。
件の報告記事においても書きましたが、ガチの死刑廃止論者というのは、「もしあなたが、こういう犯罪にあったらどうするか(想像してみろ)」という問いに対して、かなりの確率で、「死刑は誰も救わない」とか「たとえ凶悪犯でも、殺してよいわけではない」などのような、お説教を始め、明確に答えようとしないんです。私も以前、光市事件とは無関係の死刑制度に関するシンポジウムに行って、死刑に反対する立場を取る参加者の話を聞いたことがあるのですが、「本当に幸せな思考回路した方々だ」と思わざるを得ないような「ありがたい説教」を賜り、それ以来、私の脳内における死刑廃止論に対する評価というのは、かなり落ちています。(もっとも、私は今現在は、死刑制度に対する明確な意見を確立するにいたって居ませんが 死刑制度についてじっくり考える時間が無いのです)
しかし、河井氏は2月2日のトークショーでは、本当に死刑廃止論者なら当然するはずの、死刑廃止論の「崇高さ」を説くお説教はせず、それどころか、本村氏の気持ちは理解できるし、自分もその境遇になれば本村氏と同じ行動を取るだろうと、本当に確固たる死刑廃止論者であるならば絶対に言わないであろう発言をされました。
そして、その河井氏もこのシンポジウムに参加されました。ということは、「死刑廃止論者が集まっただけ」という部分は誤りになります。
2点目。「ただ2人の方がなくなっているというだけで、死刑を適応してよいというわけではない」の部分。これは前後の文脈を見れば、主語が全然違うということがお分かりいただけると思います。というわけで、件のシンポの文字起こしである光市事件弁護団は何を立証したのかの69ページより、前後の文脈を引用します。
従前の最高裁の死刑の適用基準では、犯行の罪質、態様、あるいは故意はどの程度の故意だったか、計画性はあったか、こういった点を総合的に考えた上で死刑の適用を許される場合もある、こう言っているわけですね。ですから、ただ2人の方が亡くなっているというだけで、死刑を適用していいのではない。はい、この部分の主語は「最高裁の死刑の適用基準」であり、河井氏独自の法哲学ではないことは、小学生だって分かります。
ちなみに、2月2日のトークショーにおいても、河井氏は、「民主法治国家においては、被害者が求めているからといって、ハイと決めてよいわけではない。永山事件判決においての判示では、死刑を選択するか否かのときは、被告がどういう経緯、どういう対応、どういう心境で犯行に及んだのかについて分析しなくてはならないとしているので、法改正するならまだしも、現状においての手順はこうであるのだから、法律実務家たる弁護士は、この手順に従わなくてはならない」という、シンポジウムにおいて発言したのと同趣旨の発言をなさっていました。
別に難しい言い回しをしているわけではなく、ごく普通の現代語を使っているに過ぎない河井氏の発言の主語を取り違えるって、『週刊新潮』編集部って本当に雑誌編集部ですか?それとも、あのシンポジウムが定員先着120名であったのにいい気になって、どうせ適当なこと書いてもバレやしないだろうということで、わざと主語を摩り替えたんでしょうか。
どちらにせよ、『週刊新潮』はアサヒ並みに捏造がお好きだということですね。
2008年02月17日
誤報のメカニズムと捏造的思考をテレ朝の捏造疑惑騒動から見た
13日の日記でお伝えした、テレ朝の捏造疑惑について、遅ればせながら続報を保存しておきます。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/13/news114.html
一方で、数少ない朝日擁護書き込みについても、この場で取り上げておかなくてはなりません。以下をご覧ください。
ちなみに、この段階では、この話自体が誇張・捏造であったというのはまだ判明していません。
この件については、ニュー速の中での様子に限って言えば、とにかく何らかの形で朝日新聞グループを叩きたくてしょうがない連中が、待ってましたといわんばかりに、ろくな検証なしに飛びついた結果、「朝日の捏造」を捏造したという、笑えない結果となりました。一方で、朝日擁護言説について見る限り、ある程度の誇張や捏造は必要悪であるという認識を持つ人もいるそうです。
私としては、今回の一件で、誤報のメカニズムと事件を捏造してしまう思考をリアルタイムで見ることが出来、よい経験になりました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/13/news114.html
テレビスタッフが野生のサルを餌付けするなどして人里におびき寄せ、あたかもサルによる被害が頻発しているかのような“やらせ”撮影をしていた――とブログが指摘したことをきっかけに、ネット掲示板などで「やらせ」「ねつ造報道では」などと批判が相次ぐ騒ぎがあった。この問題について、私はニュー速で、リアルタイムで参加していた(13日の日記もその流れで書いた)ので、一連の騒動を目撃していました。感想としては、「朝日の捏造」を批判する側については、「投資が投資を呼ぶ」じゃないですけど、ひとつの憶測書き込みが、更なる憶測書き込みを呼んで、どんどん話が大きくなって行った記憶があります。つまり、「朝日の捏造」を批判している人たちが、結果的には「朝日の捏造」を捏造していたわけです。
撮影シーンを含む番組を放映した、とネットで名指しされたテレビ朝日は2月13日、「サルにえさを与えたり刺激するような取材は一切していない」と指摘を否定。ブログ作者も「誤解を与える表現があった。テレビ朝日などに迷惑をかけた」と同日、記事を削除した上で謝罪文を掲載した。
ブログは志賀高原(長野県)のホテルが運営。「TVやらせサル」というタイトルで1月20日に投稿された記事中に、サルをビデオカメラで撮影する人の写真と、「今シーズンに入り初めてサルが来ました。マスコミが連れてきました。やらせです。みんな迷惑しています。この番組、TV放映したら教えて下さい」という内容を記した。
記事に対して2月11日昼、「テレ朝系列のニュースでこのシーンを見た」というコメントが投稿された。翌日ごろから「2ちゃんねる」などで、「テレ朝がねつ造報道をした」と騒動になっていた。
ブログ作者は「サルの被害は事実だが、あまりにも反響が大きいため」と、記事を13日午前8時半までに削除。午後5時51分に「1月20日の記事で誤解を与える表現があり、大変お騒がせした事をおわび申し上げます。テレビ朝日様を始め報道各社、読者のみなさまには大変ご迷惑をお掛けし申し訳ございませんでした」とする謝罪文を掲載した。
テレビ朝日広報部は「昨年末から今年にかけ、志賀高原でサルの被害に関する取材を複数回行っているが、サルにえさを与えたり、刺激するような取材は一切していない」とやらせを否定。記事中の写真については「いつ・どこのものかも定かではない。カメラを構えていた人物についてディレクターに確認したが、該当者はいなかった」と話した。
また、テレビ朝日がホテル側に「スタッフがサルに餌付けをしていたと言える根拠はあるのか」と問いただしたところ、「ありません」という返答があったという。
ホテル側は「取材は受けられない」としている。
一方で、数少ない朝日擁護書き込みについても、この場で取り上げておかなくてはなりません。以下をご覧ください。
40 名前: こんぶ漁師(大阪府) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:37:03.19 ID:CRnAacj90「こんぶ漁師(大阪府) 」にとっては、インパクトのある報道のためには、これくらいは必要悪らしいです。
ここで合ってる?
このブログからじゃこのホテルの周りは無かったとしか読み取れないよ
その地域から猿害が払拭されたとは書いてない
「餌を撒くのがいけないのは誰でも知ってる」という状態は猿害がある限り報道されないと維持できないとも思う
52 名前: チャイドル(新潟県) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:38:08.49 ID:nlDcZX240
>>40
エサをまかないおかげで猿害が止まっています
って言う報道でいいじゃないか
どうしても猿害おこしたいんだなこんぶ
54 名前: 彼女居ない暦(愛知県) [sage] 投稿日: 2008/02/13(水) 01:38:18.90 ID:Abh1ISRj0
>>40
猿に餌を与えないと報道できないの?
エサ撒かなくても「エサを撒いてはいけません」って報道しろよ?
サスペンスドラマの撮影のために人殺すの?
なんで頭悪いの?
94 名前: こんぶ漁師(大阪府) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:41:42.15 ID:CRnAacj90
>>52
>>54
それだとインパクトがないし、むしろ「なら餌を撒いて猿害を起こしてやれ」って輩が現れるとも知れない
「ああ、猿害ってヒドいんだなぁ、餌を撒くのは本当にいけないことなんだなぁ」という
イメージを与えることの方がよほど効果的
116 名前: インストラクター(新潟県) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:43:17.41 ID:qtPzr/yX0
>>94
強姦がいけないことだと実感させるために
誰かを強姦したらインパクトは抜群だろうな
129 名前: 知事候補(愛知県) [sage] 投稿日: 2008/02/13(水) 01:44:11.15 ID:Rl22Phq00
>>94
なら殺人はいけないって事を知らしめるためにテロ朝に殺されてきてくれ。
そしたらお前の主張を認めてやるよ。
201 名前: こんぶ漁師(大阪府) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:49:06.41 ID:CRnAacj90
>>129
そんな極端な話じゃないだろ
203 名前: チャイドル(新潟県) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:49:21.17 ID:nlDcZX240
>>176
要するにあれだろ
珊瑚にKYって書いても、それで環境保護が訴えられればいいじゃない
っていうアサヒ的思考でしょ?
275 名前: トムキャット(滋賀県) 投稿日: 2008/02/13(水) 01:54:03.71 ID:tbO/XG4B0
>>201
被害の大小の問題か?
人殺して殺人はイケマセン
民家に火ぃ付けて放火はイケマセン
餌撒いて猿に餌付けしてはイケマセン
珊瑚に傷付けて自然を破壊してはイケマセン
どう考えてもインパクトとかそういう次元の話ではないと思う
ちなみに、この段階では、この話自体が誇張・捏造であったというのはまだ判明していません。
この件については、ニュー速の中での様子に限って言えば、とにかく何らかの形で朝日新聞グループを叩きたくてしょうがない連中が、待ってましたといわんばかりに、ろくな検証なしに飛びついた結果、「朝日の捏造」を捏造したという、笑えない結果となりました。一方で、朝日擁護言説について見る限り、ある程度の誇張や捏造は必要悪であるという認識を持つ人もいるそうです。
私としては、今回の一件で、誤報のメカニズムと事件を捏造してしまう思考をリアルタイムで見ることが出来、よい経験になりました。
お得意の「被害者の人権」はどうされたんですか
沖縄での米海兵隊による女子中学生強姦事件について、ウヨ方面から「被害者自業自得論」が出てきています。特に産経新聞花岡の鬼畜コラムとか、週刊新潮の2月21日号(2月14日発売)など。
これらの鬼畜発言・記事については、いちいち突っ込んでいても仕方ないし、こちらなど、随所にて批判されているので、私としては個別にはどーこー言いませんが、一言だけ。
『週刊新潮』さん、お得意の「被害者の人権」はどうされたんですか。また、「海兵隊員が危ないのは常識なのに、それでもついていった被害者が悪い」と言わんばかりのその論調、そのまま中国製毒餃子事件にも当てはめてみるといいですよ。中国製食品が危ないと、もう随分前から言われていたことを知らないとは言わせませんよ。
週刊新潮2月21日号については、福岡3児死亡事故裁判についても記事があって、きっと期待を裏切らないアレなのを書いてくれていると確信しているんですが、先日、mixi経由で、当裁判の判決文の提供を受けたので、とりあえず判決文を全部読み終わってから書く予定です。
これらの鬼畜発言・記事については、いちいち突っ込んでいても仕方ないし、こちらなど、随所にて批判されているので、私としては個別にはどーこー言いませんが、一言だけ。
『週刊新潮』さん、お得意の「被害者の人権」はどうされたんですか。また、「海兵隊員が危ないのは常識なのに、それでもついていった被害者が悪い」と言わんばかりのその論調、そのまま中国製毒餃子事件にも当てはめてみるといいですよ。中国製食品が危ないと、もう随分前から言われていたことを知らないとは言わせませんよ。
週刊新潮2月21日号については、福岡3児死亡事故裁判についても記事があって、きっと期待を裏切らないアレなのを書いてくれていると確信しているんですが、先日、mixi経由で、当裁判の判決文の提供を受けたので、とりあえず判決文を全部読み終わってから書く予定です。
2008年02月16日
「光市事件」と「八戸事件」のメディアにおける扱いの違い
2月15日のテレ朝系『スーパーモーニング』において、八戸母子3人殺害事件(以下、「八戸事件」)に関して、父親独占インタビューと、被疑者である長男(18)の生い立ちなどを洗い出す特集をやっており、録画しておきました。
私は、八戸事件については、光市事件と福岡3児死亡事故の追っかけで手一杯なので、殆ど接する機会も無かったのですが、今回のこの特集を見、その生い立ちなどを知ることによって、光市事件と似ているな、という印象を持ちました。
光市事件の被告人は、12歳のときに実母が自分の目の前で自殺し、また、父親は暴力ばかりふるうアル中で、妻(=被告人実母)死後はフィリピン人と再婚しました。たしか弁護団が依頼した精神鑑定では、精神年齢は11歳か12歳程度で、これは目の前で実母が自殺した衝撃のためではないか、と言われています。
対して、八戸事件では、右翼団体構成員の実父が被疑者小学2年のときに恐喝未遂で逮捕され、それ以降、実母が家計を支えるために夜の商売をはじめ、いつも酒臭い。子どもの面倒を見切れないとのことで、2年生から5年生まで養護施設に強制収容されていたそうです。
小学5年のときに被疑者は養護施設から帰ってきたそうですが、実母は夜の商売の関係で男が出来、交際。また父親はこの時期に2度目の逮捕を経験している。
さらに中学3年のとき、実母が交際している男に対して「うちの長男はちょっとアレだ」という会話を耳にしてしまい、自殺未遂を図っている。このように、「母親の愛情」というものが乏しかった。
そののち、引きこもりがちになっていたため、父親が右翼活動の傍ら営業している屋台で働いた結果、少しずつ更生しつつあったところで、実父が3度目の逮捕。父親も駄目人間。
全く同じとは言いませんが、環境的には光市事件とは似たようなものがあると思われます。
にもかかわらず、この二つの事件の取り扱い方は全く違います。
光市事件では、被告が何を言っても、それが逮捕直後の警察調書や家庭裁判所調書に書かれていることでも、はたまた証拠と検察主張の科学的矛盾が明らかでも、完全に無視されています。一方、今回の八戸事件に関する『スーパーモーニング』の特集におけるスタジオの出演者たちは、たとえば大谷氏の「こんなこと、大人でも耐えられるだろうか」とか「こんなことを「耐えろ」といっても無茶だ」といった、「犯罪は犯罪だけど同情を禁じえない」といわんばかりの発言に対して、誰一人として反論しませんでした。
はっきり言って、私は八戸事件と光市事件、どちらが凶悪性が高く、確たる犯意があるかといえば、現在分かっている範囲でいえば、八戸事件の方がより重大であると思います。一方、「犯人」の育った環境の劣悪さについては、アル中DV親父の暴力の日々と、実母が自分の目の前で自殺したということを考えると、光市事件のほうが劣悪な環境であったと言わざるを得ません。
八戸事件の被疑者に対して「同情」するなら、より劣悪な環境で育ち、犯行自体の凶悪性については八戸事件より低い光市事件の被告人に対しては、同等以上の「同情」をするのが筋ではないかと思いますが、現在執筆準備中の、綿井・河井トークショーにおいて、たしか河井弁護士が、「あるメディア関係者の発言」として、「いくら弁護団が精力的に情報公開しても、メディアはもはや報じることはできない。視聴者の反感を買い、弁護団に向いていた攻撃の矛先がメディアに向いてしまうからだ」という主旨のことを仰っていたことを考えると、光市事件については、世論が沸騰しすぎて、もはや振り上げた拳を絞首台の床を落とすスイッチの上に下ろすしかない状態なのでしょうが、似たような事件であるにも関わらず、ここまで扱いが違うというのは、メディア報道の信頼性にも関わる重大な現象であると思う次第です。
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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
私は、八戸事件については、光市事件と福岡3児死亡事故の追っかけで手一杯なので、殆ど接する機会も無かったのですが、今回のこの特集を見、その生い立ちなどを知ることによって、光市事件と似ているな、という印象を持ちました。
光市事件の被告人は、12歳のときに実母が自分の目の前で自殺し、また、父親は暴力ばかりふるうアル中で、妻(=被告人実母)死後はフィリピン人と再婚しました。たしか弁護団が依頼した精神鑑定では、精神年齢は11歳か12歳程度で、これは目の前で実母が自殺した衝撃のためではないか、と言われています。
対して、八戸事件では、右翼団体構成員の実父が被疑者小学2年のときに恐喝未遂で逮捕され、それ以降、実母が家計を支えるために夜の商売をはじめ、いつも酒臭い。子どもの面倒を見切れないとのことで、2年生から5年生まで養護施設に強制収容されていたそうです。
小学5年のときに被疑者は養護施設から帰ってきたそうですが、実母は夜の商売の関係で男が出来、交際。また父親はこの時期に2度目の逮捕を経験している。
さらに中学3年のとき、実母が交際している男に対して「うちの長男はちょっとアレだ」という会話を耳にしてしまい、自殺未遂を図っている。このように、「母親の愛情」というものが乏しかった。
そののち、引きこもりがちになっていたため、父親が右翼活動の傍ら営業している屋台で働いた結果、少しずつ更生しつつあったところで、実父が3度目の逮捕。父親も駄目人間。
全く同じとは言いませんが、環境的には光市事件とは似たようなものがあると思われます。
にもかかわらず、この二つの事件の取り扱い方は全く違います。
光市事件では、被告が何を言っても、それが逮捕直後の警察調書や家庭裁判所調書に書かれていることでも、はたまた証拠と検察主張の科学的矛盾が明らかでも、完全に無視されています。一方、今回の八戸事件に関する『スーパーモーニング』の特集におけるスタジオの出演者たちは、たとえば大谷氏の「こんなこと、大人でも耐えられるだろうか」とか「こんなことを「耐えろ」といっても無茶だ」といった、「犯罪は犯罪だけど同情を禁じえない」といわんばかりの発言に対して、誰一人として反論しませんでした。
はっきり言って、私は八戸事件と光市事件、どちらが凶悪性が高く、確たる犯意があるかといえば、現在分かっている範囲でいえば、八戸事件の方がより重大であると思います。一方、「犯人」の育った環境の劣悪さについては、アル中DV親父の暴力の日々と、実母が自分の目の前で自殺したということを考えると、光市事件のほうが劣悪な環境であったと言わざるを得ません。
八戸事件の被疑者に対して「同情」するなら、より劣悪な環境で育ち、犯行自体の凶悪性については八戸事件より低い光市事件の被告人に対しては、同等以上の「同情」をするのが筋ではないかと思いますが、現在執筆準備中の、綿井・河井トークショーにおいて、たしか河井弁護士が、「あるメディア関係者の発言」として、「いくら弁護団が精力的に情報公開しても、メディアはもはや報じることはできない。視聴者の反感を買い、弁護団に向いていた攻撃の矛先がメディアに向いてしまうからだ」という主旨のことを仰っていたことを考えると、光市事件については、世論が沸騰しすぎて、もはや振り上げた拳を絞首台の床を落とすスイッチの上に下ろすしかない状態なのでしょうが、似たような事件であるにも関わらず、ここまで扱いが違うというのは、メディア報道の信頼性にも関わる重大な現象であると思う次第です。
関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
2008年01月10日
「一視聴者」から先に言っておきます
西村真悟氏の息子が自殺したことは、皆様、もう報道でご存知かと思いますが、その件について西村氏がメルマガで以下のように書いています。
こういう滅茶苦茶な取材に対して抗議すると、大体の場合、メディアは「視聴者の知る権利」とか言って逃げますが、「そんなの興味ないし知りたくないから取材しなくて良い。人をダシにするな。」と、当の「一視聴者」から先に言っておきます。
私と妻伴子の息子である西村林太郎のことがニュースで報道されました。私は報道内容を知りません。しかし、報道された以上、事実を知っていただくことが必要と思い、この場を借りてお伝えします。私が気になったのは以下の部分。
昭和五十六年八月十四日に生まれた長男の西村林太郎は、
九日、衆議院赤坂宿舎二十階の私の部屋のベランダから転落し、同日十二時七分に医師により死亡が確認されました。
林太郎は、出版社に勤務しておりましたが、昨年末より、鬱状態に陥り、八日午後四時頃より、慶応大学病院精神科で診察を受け、強い鬱状態と診察されました。
私どもは入院させるつもりで、本人も入院も仕方がないという感じでしたし、医師も入院治療が適切と言われました。しかし、ベッドに空きがなく、その日入院することはかないませんでした。そして、九日の午前十時から十一時の間にまた慶応大学病院に来て受診するようにと指示されました。
そこで、本人と母親は医師から薬をもらって宿舎に帰り、私は一旦離れて所要を済ませて後に合流し、林太郎をよく知る友人を交えて楽しく食事をしました。友人と別れるとき、林太郎は笑ってありがとうございます、と言っていました。そして、宿舎に帰って本人は薬を飲み就寝しました。
私は、九日の朝九時半に宿舎を出ましたが、その際、林太郎によく眠れたか、病気と分かれば、おおらかに立ち向かおうよ、と声をかけました。本人は、子供の時に戻ったような穏やかな表情をしていました。
その後、十時二十七分頃、本人を慶応病院に連れて行くために、三十五分頃に車を付けると妻の携帯に電話すると、妻は、林太郎が居なくなっていると叫びました。その時私は、日枝神社付近から議員会館の方に向けて走っていましたが、驚いて直ちに宿舎に向かいました。
そして、宿舎のベランダから身を乗り出して真下を見て、仰向けに横たわっている林太郎の姿を認め、妻が119番通報をした次第です。
その時、宿舎には、妻と本人の妹がおり、林太郎は、病院に行くために服を着替えていました。そして、妻がおよそ二十秒ほど林太郎から目を離した間に、忽然と姿が消えていたといいます。ベランダは高く、腹のところまで身を乗り出さなければ真下が見えないので、妻らはベランダから下を見ても林太郎の姿を発見できず、ドアから廊下へ出て行ったのではないかと切に願って探していました。
その後、救急隊により、林太郎は慶応義塾大学病院に搬送されました。搬送されるまでの救急隊の懸命な救命活動、病院に着いてからの、救急医学チームの懸命な救命活動、それらを経た十二時七分、私どもの立ち会いの下、医師により林太郎の死亡が確認されたのです。
私どもは、この突然の取り返しのつかない悲しみのなかで、何故、林太郎の転落を止められなかったのかと、きつい、痛い、自責の念にかられています。そのなかで、あの目を離した二十秒足らずのなかでの、林太郎のことを思うとき、あの瞬間、鬱の苦しみから解放され、永遠の安らぎに向かって神に召されたのだと確認しあっています。
神が、彼に、もういいよ、と語りかけてくださったのではないかと。
林太郎は、母親には、鬱状態が現れてから、死にたい、というようなことを時々言っていたようです。そのように言った後では、また、ケロッとした様子なので、妻は、あまりその言葉に強く反応して反発しないようにしていたようです。
しかし、林太郎は、そのなかで、僕にもしものことがあったら僕の臓器を提供して欲しい、と言っていたのです。そして、その言葉を妻が私に伝え、私どもは、林太郎の最後のこの世への思いを残すため、角膜と心臓弁の提供を慶應義塾病院に申し出ました。林太郎の角膜は、二人の方の目に光を取り戻し、林太郎の心臓弁も二人の人の命を守ることになると告げられました。
私どもは、九日、午後八時五十分過ぎ、臓器提供の最後の手術を終えた林太郎を、学習院大学の多数の同窓生が涙して見送ってくれた後、林太郎の郷里である堺に向けて慶應義塾病院をあとにして、十日午前四時半に堺の自宅に到着しました。
林太郎は、多くの人に愛されていた子であることを確認できて、私たちは嬉しかったです。
以上が、私たちの息子である林太郎のことです。
場所が衆議院宿舎であったことで、大変ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
東京都救急隊の皆さま、慶應義塾大学病院救急医学チームの皆さま、まことにありがとうございました。
また、マスコミの関心が集中して、カメラが救急車の窓から中を写そうとして、救急車の前進が阻まれました。さらに、病院の救急措置室や霊安室のまえにもマスコミの皆さんが長時間にわたり詰めかけていました。私たちは、外へ出ることができませんでした。
このような状況の中では、事実に反することが流布されかねないと危惧されましたので、林太郎のプライバシーに係わることではありますが、父として、午後二時過ぎ頃、マスコミの皆さんの前で手記を読み上げ、さらにここに公表させて頂くしだいです。
皆さま、ここまで林太郎のことをお読み頂いて
まことにありがとうございます。
いずれに、今や神に召され永遠の安らぎのもとにある息子である林太郎こことを、さらに詳しくお伝えする余裕も生まれると思います。
マスコミの関心が集中して、カメラが救急車の窓から中を写そうとして、救急車の前進が阻まれました。さらに、病院の救急措置室や霊安室のまえにもマスコミの皆さんが長時間にわたり詰めかけていました。私たちは、外へ出ることができませんでした。マスコミはどういうつもりで、こういう行動に出たんでしょうか。自殺者まで野次馬根性で追っかけまわすという恥知らずな行動に憤りを覚えるのは当然なんですが、それ以上に、26歳の鬱病自殺者の救急車の中の様子なんか興味ないし、まして病院の霊安室なんかにゃ、正直、これっぽっちも興味ないゆえに、この取材自体が理解できません。何のために?
こういう滅茶苦茶な取材に対して抗議すると、大体の場合、メディアは「視聴者の知る権利」とか言って逃げますが、「そんなの興味ないし知りたくないから取材しなくて良い。人をダシにするな。」と、当の「一視聴者」から先に言っておきます。
2008年01月09日
福岡3児死亡事故:判決とメディア報道
最初に報道紹介から。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080108-00000034-nnp-l40
さて、今回の記事は予定としては、「時事」カテゴリの「裁判関係」所属の記事として、この事故と判決を刑法的に見、また時間的余裕もあれば「世論」収集も入れる予定でした。その一環として、資料として本日も例によって、夜の「報道ステーション」(テレ朝系列)、「ニュース23」(TBS系列)の録画予約をしておきました。起床後、これらの番組をまとめて視聴したのですが、余りに落差が激しかったため、予定を急遽変更し、「メディア報道を見て思ったこととか」カテゴリとして、テレビメディアの事件・裁判の報道姿勢をメインにお送りします。
まず、「報道ステーション」。
判決の内容を、批判的な印象を持つような編集手法を以って伝えたうえで、「危険運転回避の主な要因を3つだけ取り上げてみました」という古館放送員のセリフと共に以下のような内容のフリップを放映しました。
(※似たような感じの画像がこれしかなかったので、イメージ画としてみてください。笑わないでください。)
ちなみに、このフリップ自体が既にアレです。朝日新聞夕刊の社会面に判決のポイントとして、上記フリップの要素のほかに、「事故直前には衝突回避措置を講じた」とありますからね。たぶんこれ重要。
一応、「危険運転致死傷罪」の不備という論点についても話題になりましたが、本当に最後の最後にちょっとだけでした。
一方の「ニュース23」では、裁判長の「飲酒運転の発覚を恐れて逃亡を図るなど、誠に身勝手で、自己中心的。酌量の余地は微塵も無い。3人の子どもを失った遺族の悲しみや喪失感は筆舌に尽くしがたく、癒される日はくることは無い」という裁判官の発言を踏まえたうえで、「しかし判決は業務上過失致死でした」というような構成の事実報道につづき、交通事故に詳しい高山という弁護士による、判決を妥当であるとする意見もちゃんと放映したうえで、現行の「危険運転致死傷罪」はどうあるべきなのか考えなくてはならない、という内容の特集を中心に報じました。
高山氏の発言要旨を含む産経記事
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080108/dst0801081427021-n1.htm
片や判決のポイントの一部を隠蔽し、背景には被害3児の大きな写真まで据え付けて、判決に対して終始ブーブー言うだけ。最後の最後に申し訳程度に「危険運転致死傷罪」の不備について触れる。片や「危険運転致死傷罪」の不備をメインに、判決を評価する言説も紹介してから、今後どうあるべきかを提起する。
まだ、私は判決文を見ていないので、この判決についての断定的評価は差し控えますが、「今、報道などで分かっている範囲内で良いので、この判決のどこに問題があるか言ってみろ」と問われれば、「そもそも、刑法208条の2で定められている「危険運転致死傷罪」という法律の条文自体に不備があるのではないか」と答えます。今回の判決に際して、今、報道されている範囲内で我々が第一に考えなくてはならないことは、「危険運転致死傷罪」の今後のあり方であり、判決についてブーブー言うことではないと思います。というか、文句あるならテレビでブーブー言っていないで検察に控訴するように求めればいいじゃない。
その点、今後を見据えた報道をした「ニュース23」は評価したいですし、判決のポイントの一部を隠蔽したフリップを放映し、また、遺影まで掲げたのにブーブー言うことに終始した「報道ステーション」は、どんなもんかと思います。
関連記事一覧
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080108-00000034-nnp-l40
福岡市東区で2006年8月に起きた飲酒運転3児死亡事故で、危険運転致死傷罪などに問われた元同市職員今林大(ふとし)被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁であった。川口宰護(しょうご)裁判長は同罪の成立を否定、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転など)を適用し、業務上過失致死傷罪の併合罪の最高刑にあたる懲役7年6月を言い渡した。検察側は危険運転致死傷罪などの併合罪の最高刑である懲役25年を求刑していた。危険運転致死傷罪をめぐる司法判断が割れる中、飲酒運転追放の機運を高めるきっかけとなった事件は「故意犯」ではなく「過失犯」と認定され、刑が大幅に減軽された。私も私なりに、報道で分かっている範囲内の事実でこの事故について考え、記事を書きましたが、実際に出た判決の要旨とは似ても似つかないものとなりました。やはり、事実のごく一部を掻い摘んだにすぎないメディア報道で全てが分かるわけないということを改めて感じたことを、まず最初に正直に申し上げるとともに、分からなかったから仕方ないとはいえ、結果として、いい加減な予測記事を書いたことを自己批判します。
川口裁判長は「今林被告は酒に酔っていたが(事故前に)蛇行運転や居眠り運転はしておらず、正常な運転が困難な状態だったとは言えない」として危険運転致死傷罪の成立を否定。「漫然と進行方向の右側を脇見していたことが事故の原因」と結論づけた。弁護側が事故の一因とした、被害者側の居眠り運転については否定した。
また、業務上過失致死傷罪などの併合罪の最高刑を科した理由について「3児を愛し慈しんでいた両親の悲しみが癒やされる日はこないと言わざるを得ない。救護義務も尽くさず、ナンパ目的で酒気帯び運転した動機に酌量の余地はない」とし、「家族の幸せを一瞬にして破壊した本件のような交通事故が繰り返されないよう願わずにいられない」と付け加えた。
判決の言い渡し後、川口裁判長は今林被告に「これから一生をかけて償ってほしいと思います」と語りかけた。閉廷後、今林被告は収監された。
公判では検察側が「酩酊(めいてい)状態で車を運転した」として故意犯である危険運転致死傷罪の適用を主張し、弁護側は過失犯の業務上過失致死傷罪が妥当としていた。
この日は、冒頭に弁論を再開し、訴因を追加する手続きがあり再び結審、判決が言い渡された。
判決によると、今林被告は06年8月25日夜、同市東区の海の中道大橋を酒気帯びの状態で車を運転し、大上哲(あき)央(お)さん(34)=福岡市城南区=一家5人が乗る多目的レジャー車(RV)に追突。車ごと海中に転落させ大上さんの3人の子どもを死亡させた。
× ×
●3児死亡判決骨子
◇被告は事故当時、酩酊(めいてい)状態とはいえず、アルコールの影響で正常な運転が困難な状況にあったとは認められない
◇被害者の車を事故直前まで発見できなかったのは、脇見が原因
◇危険運転致死傷罪は成立せず業務上過失致死傷と酒気帯び運転の罪に当たる
◇結果の重大性、悪質性などから業務上過失致死傷罪の併合罪の最高刑に当たる懲役7年6月の実刑で臨むのが相当
さて、今回の記事は予定としては、「時事」カテゴリの「裁判関係」所属の記事として、この事故と判決を刑法的に見、また時間的余裕もあれば「世論」収集も入れる予定でした。その一環として、資料として本日も例によって、夜の「報道ステーション」(テレ朝系列)、「ニュース23」(TBS系列)の録画予約をしておきました。起床後、これらの番組をまとめて視聴したのですが、余りに落差が激しかったため、予定を急遽変更し、「メディア報道を見て思ったこととか」カテゴリとして、テレビメディアの事件・裁判の報道姿勢をメインにお送りします。
まず、「報道ステーション」。
判決の内容を、批判的な印象を持つような編集手法を以って伝えたうえで、「危険運転回避の主な要因を3つだけ取り上げてみました」という古館放送員のセリフと共に以下のような内容のフリップを放映しました。
・接触事故を起こしていないで、このフリップを使って、延々と「裁判所の判断が納得いかん」という主旨の発言を続け、また、被害者側弁護士を呼んで弁解させているです。もちろん、背景にはこんな感じ※に、亡くなった3児の大きい写真が飾られています。
・呼気1リットル中のエタノール濃度は0.25mg
・80km/h-100km/h、12秒のわき見は異常ではない
(※似たような感じの画像がこれしかなかったので、イメージ画としてみてください。笑わないでください。)
ちなみに、このフリップ自体が既にアレです。朝日新聞夕刊の社会面に判決のポイントとして、上記フリップの要素のほかに、「事故直前には衝突回避措置を講じた」とありますからね。たぶんこれ重要。
一応、「危険運転致死傷罪」の不備という論点についても話題になりましたが、本当に最後の最後にちょっとだけでした。
一方の「ニュース23」では、裁判長の「飲酒運転の発覚を恐れて逃亡を図るなど、誠に身勝手で、自己中心的。酌量の余地は微塵も無い。3人の子どもを失った遺族の悲しみや喪失感は筆舌に尽くしがたく、癒される日はくることは無い」という裁判官の発言を踏まえたうえで、「しかし判決は業務上過失致死でした」というような構成の事実報道につづき、交通事故に詳しい高山という弁護士による、判決を妥当であるとする意見もちゃんと放映したうえで、現行の「危険運転致死傷罪」はどうあるべきなのか考えなくてはならない、という内容の特集を中心に報じました。
高山氏の発言要旨を含む産経記事
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/080108/dst0801081427021-n1.htm
飲酒運転の元福岡市職員、今林大被告(23)の判決で危険運転致死傷罪の適用が見送られたことに、専門家らから「妥当な判決」との声が上がる一方、適用基準のあいまいさを指摘する意見も出た。さて、何でしょうね、この落差は。
交通事故裁判に詳しい高山俊吉弁護士は「刑法の構成要件に沿った妥当な判決だ。事件のポイントは、被告が本当に泥酔状態だったかどうかだが、事故後に検知した被告の呼気1リットル中のアルコールは酒酔いではなく、酒気帯び状態だ。科学的にみて、危険運転致死傷罪を適用するのは難しく、裁判所は法律をきちんと判断した」と評価した。
元最高検検事の土本武司白鴎大法科大学院長(刑事法)は「国民感情からすれば、酒を飲んで起こした事故で量刑が大きく違うと公平に反すると感じるだろう」という見解を示す一方で、「現在はアルコールの影響で正常な運転が困難な状態と、そうではない状態との境界が明確ではなく、検察官の立証範囲も明確ではない。司法が基準を早期につくることが望ましい」と指摘した。
東名高速道路の事故で幼い娘2人を亡くした千葉市の井上保孝さん、郁美さん夫妻は「あらゆることを被告に有利になるよう解釈し、情状理由を無理やり探して並べた判決だ。脇見運転がまかり通るならば、すべての飲酒運転は軽い刑罰になってしまう」と批判。
飲酒事故の根絶に取り組む特定非営利活動法人(NPO法人)「MADDジャパン」の飯田和代理事長も「飲酒運転を許してはいけないという認識が社会に広がり、厳罰化にもつながった事故だっただけに、決して世論に受け入れられる判決ではない。危険運転致死傷罪の適用条件はハードルが高すぎる」と疑問視した。だが「今回の判決を感情的に議論するのではなく、適用条件も含め、飲酒運転をなくすにはどうしたらいいのか、みんなで考えてゆくきっかけにしなければならない」とも。
今林被告の弁護人、春山九州男弁護士は「非常に重い判決で厳粛に受け止めている。主張が受け入れられていない点も多々あり、残念だ。控訴については、判決文を検討したうえで判断したい」と話した。
片や判決のポイントの一部を隠蔽し、背景には被害3児の大きな写真まで据え付けて、判決に対して終始ブーブー言うだけ。最後の最後に申し訳程度に「危険運転致死傷罪」の不備について触れる。片や「危険運転致死傷罪」の不備をメインに、判決を評価する言説も紹介してから、今後どうあるべきかを提起する。
まだ、私は判決文を見ていないので、この判決についての断定的評価は差し控えますが、「今、報道などで分かっている範囲内で良いので、この判決のどこに問題があるか言ってみろ」と問われれば、「そもそも、刑法208条の2で定められている「危険運転致死傷罪」という法律の条文自体に不備があるのではないか」と答えます。今回の判決に際して、今、報道されている範囲内で我々が第一に考えなくてはならないことは、「危険運転致死傷罪」の今後のあり方であり、判決についてブーブー言うことではないと思います。というか、文句あるならテレビでブーブー言っていないで検察に控訴するように求めればいいじゃない。
その点、今後を見据えた報道をした「ニュース23」は評価したいですし、判決のポイントの一部を隠蔽したフリップを放映し、また、遺影まで掲げたのにブーブー言うことに終始した「報道ステーション」は、どんなもんかと思います。
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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/saiban.html
2008年01月01日
新年早々、説得力の無いことを
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzv000027122007
(一部引用)
筆者氏は中国人らしいので、中国式に考えてしまうのも無理もありませんが、ここは日本です。「格差社会」「格差問題」という単語は日本語の文脈で使っています。日本式に解釈してください。
つねに、貪欲に「より贅沢な生活」へ邁進している、投資家・投機家・資本家御用達の『日経』に「年収300万も捨てたもんじゃないよ」なんていわれても、全然説得力ないんですが。
また、「格差問題」で特に問題視されている「ワーキングプア」の人々は、好きであの生活やっているわけじゃありません。人生選択の機会すらなく、あの生活、あの立場に追い込まれているのです。
「地方間格差」については、都会に出ればある程度是正されますが、「地方で職が無いなら都市に出ればいい」という考えは、人間の存在を経済的観点から見すぎているように聞こえるので、個人的には嫌いです。人間が生きることの本質に立ち返ることの重要性を訴える、引用元記事筆者氏なら、きっと分かってくれると思いますけど。(←嫌味)
いやはや、『日経』も新年早々、頓珍漢な記事を公開したもんですね。
これ、ネタとして書いてネタとして載せたんだよね?かなり早いエイプリルフール。
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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/kakusa.html
(一部引用)
格差を云々という人も多いと思いますが、そもそも「格差」という言葉はほとんど所得差のことを指しています。ただの収入の差なのになぜわざわざ大げさに「格」をつける必要があるでしょうか。人を差別する時に「格が違う」というように、「格」は人間の価値に階級をつける意味が付随しています。yahoo辞書:大辞林
同類のものの間における、価格・資格・等級・水準などの差。確かに、中国語では「格」の字には「人間が、しんに持つ本質」という意味があるけど、日本語ではそこまで意識して使いません。
―が拡大する ―が生じる 賃金―
筆者氏は中国人らしいので、中国式に考えてしまうのも無理もありませんが、ここは日本です。「格差社会」「格差問題」という単語は日本語の文脈で使っています。日本式に解釈してください。
300万円の年収で美しい田舎に住み、きれいな空気を吸い、ストレスもない、コストもかからない生活を営んでいる人たちがいます。彼らの人生価値と2000万円の年収で家族とめったに会えない大手企業のエリートサラリーマンの人生価値を比較してどちらが上なのでしょうか。で?
つねに、貪欲に「より贅沢な生活」へ邁進している、投資家・投機家・資本家御用達の『日経』に「年収300万も捨てたもんじゃないよ」なんていわれても、全然説得力ないんですが。
私は決して田舎暮らしのほうが上だとも言いませんし、大手企業のエリートのほうが上とも言いません。しかし、間違いなく言えるのは彼らのどちらも自分が選択している人生を送り、どちらも生の意味を噛み締めながら懸命に生きているのです。人間の格として比較できるものではないし、比較する必要もありません。じゃあ書くな
「格差」という言葉はしらないうちに人々の人生選択に差別の意味を与え、経済の差を人間の差とリンクしてしまいます。2008年は人々が人間が生きることの本質に立ち返り、人生の選択の相違(差、Difference)をもっと尊重する年になってほしいと思います。えー、所謂「格差問題」を重視している左派の端くれである私から言わせて貰いますと、現在の日本資本主義における「経済の差」は、特に「子供への教育」などへの差を生み、結果的に「人間の差」に直結します。所謂「格差の固定化」の問題ですね。
また、「格差問題」で特に問題視されている「ワーキングプア」の人々は、好きであの生活やっているわけじゃありません。人生選択の機会すらなく、あの生活、あの立場に追い込まれているのです。
「地方間格差」については、都会に出ればある程度是正されますが、「地方で職が無いなら都市に出ればいい」という考えは、人間の存在を経済的観点から見すぎているように聞こえるので、個人的には嫌いです。人間が生きることの本質に立ち返ることの重要性を訴える、引用元記事筆者氏なら、きっと分かってくれると思いますけど。(←嫌味)
いやはや、『日経』も新年早々、頓珍漢な記事を公開したもんですね。
これ、ネタとして書いてネタとして載せたんだよね?かなり早いエイプリルフール。
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http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/BLOGINDEX/kakusa.html
2007年12月27日
民放の報道特集番組の構成について
25日夜に日テレ系で放映された報道系の特別特集番組を見ました。
放送の内容は、所謂「社会の不正」を「告発」するタイプで、社会保険庁関係、介護保険料を不正請求する悪質業者、はたまた「イマイ」なる、一歩間違えればただの池沼が悪質業者に電凸する一部始終のまとめなどで、報道といいつつも一種のバラエティーのような番組でした。
私は、ふだんはテレビを殆ど見ず、見たとしてもNHKニュースやNHKスペシャル程度しか見ないため、久々に民放の報道特集番組を見たのですが、違和感ばかり感じました。
最大の違和感は、「告発」の対象―単刀直入に言えば、相手が公務員(社会保険庁)と民間企業(介護保険料を不正請求する悪質業者)―によって取り上げ方に大きな差があるということです。
とにかく、こういう番組では公務員はドンドン叩きます。「真面目に働いている公務員なんて居ない」と言わんばかりの勢いです。一方で、介護保険料を不正請求する悪質業者、即ち民間企業が「告発」の対象になると、ガラリと変わって、必ず「まじめに働く企業もあります」という注が入るのです。
また、民間企業を「告発」する場合では、なぜか大企業やグループ企業の不正は取り上げられません。今回の番組では、捏造した記録を元に介護保険料を不正に請求する悪質業者を取り上げていたのですが、その業者というのが常磐線荒川沖駅(茨城県土浦市)からしばらく行った住宅街の中でひっそりと営業している、職員数20人余りの「荒川沖介護サービス」なる聞いたことの無い事業所なんですよ。
もちろん、この「荒川沖介護サービス」なる事業所の所業だって不正には変わりないのですが、もっと社会的に大きな影響を及ぼし、一時期、一般商業紙の一面においても連日報じられた「コムスン」の問題は何処に行ってしまったのでしょうか。「コムスン」の「コ」の字も出てきませんでした。
この二者の扱いの落差は、昨今の公務員の不祥事とそれに伴う公務員バッシングに乗じた、せこい大衆迎合的番組構成であるな、と思います。
また、この番組そのものとは直接関係は無いのですが、昨今の公務員バッシングの中でも、防衛省とそのほかの官庁へのバッシングにも差があるような気がします。守屋の一件なんて防衛省の官僚、それも事務次官の億単位の汚職であり、且つ防衛省の官僚組織図も犯行の土壌になったと言われているのに。
第二に、番組構成が水戸黄門型というか、単純な善悪二元論の図式を全般的に用いていたことにも違和感を覚えました。
17日の日記において、『年報・死刑廃止2006』を購入したと書き、現在読んでいます。この本は、光市事件に関する弁護団の主張や死刑廃止運動の宣伝など、読み応えのある数多の論文や記事が詰まっており、定価2200円出した甲斐のある本だと満足しているのですが、安田弁護士の『光市最高裁判決と弁護人バッシング報道』というのが収録されています。その中で安田氏は光市事件に関するメディア報道、つまり「被告を殺せ」の大合唱について、「いわゆるポピュリズム、大衆迎合主義と言われるようなものもテレビメディアなのではないかという実感をたいへん強くしている」と書いておられます。そして、その原因について氏は「テレビメディアはわずか24時間しか時間を持っていない。(中略)送る側としては、常に、すべてを捨象して単純明快な図式、つまり善悪という価値のデジタル化、論理ではなく感情というわかりやすさに収れんしなければならない」と書いておられます。
この番組は、一応、独自ではあるものの取材をしているわけですから、「論理ではなく感情というわかりやすさ」とはちょっと違いますが、たとえば、インタビューのやりとりの前後関係をバッサリ切り捨てて、相手方が感情的になった部分だけを切り張りして「逆切れ」とテロップをつける点では、単純明快な図式化に類似するものと言えると思います。そして、こういう傾向はここ数年で、いよいよ進行しているように思います。
以前、確か戴いたコメントへの返信においてだったと思いますが、「庶民の感覚」にウケようとして作られた番組が、「庶民の感覚」の劣化を促し、劣化した「庶民の感覚」に、、、と悪化の一途であることを指摘しました。このきっかけは「庶民の感覚」が不良品だったのか、はたまたメディア報道など、身の回りの諸々の情報が不良品だったのかは分かりませんが、少なくともこの悪循環は間違いなく続いています。画面の前のあなたも、そして私もその悪循環に少なからず影響されているはずです。
この悪循環を断つためにも、得た情報を安易に単純な図式に収めることなく、話の前後の文脈を押さえて適切に消化する能力がいよいよ、必要とされてきているように思います。
放送の内容は、所謂「社会の不正」を「告発」するタイプで、社会保険庁関係、介護保険料を不正請求する悪質業者、はたまた「イマイ」なる、一歩間違えればただの池沼が悪質業者に電凸する一部始終のまとめなどで、報道といいつつも一種のバラエティーのような番組でした。
私は、ふだんはテレビを殆ど見ず、見たとしてもNHKニュースやNHKスペシャル程度しか見ないため、久々に民放の報道特集番組を見たのですが、違和感ばかり感じました。
最大の違和感は、「告発」の対象―単刀直入に言えば、相手が公務員(社会保険庁)と民間企業(介護保険料を不正請求する悪質業者)―によって取り上げ方に大きな差があるということです。
とにかく、こういう番組では公務員はドンドン叩きます。「真面目に働いている公務員なんて居ない」と言わんばかりの勢いです。一方で、介護保険料を不正請求する悪質業者、即ち民間企業が「告発」の対象になると、ガラリと変わって、必ず「まじめに働く企業もあります」という注が入るのです。
また、民間企業を「告発」する場合では、なぜか大企業やグループ企業の不正は取り上げられません。今回の番組では、捏造した記録を元に介護保険料を不正に請求する悪質業者を取り上げていたのですが、その業者というのが常磐線荒川沖駅(茨城県土浦市)からしばらく行った住宅街の中でひっそりと営業している、職員数20人余りの「荒川沖介護サービス」なる聞いたことの無い事業所なんですよ。
もちろん、この「荒川沖介護サービス」なる事業所の所業だって不正には変わりないのですが、もっと社会的に大きな影響を及ぼし、一時期、一般商業紙の一面においても連日報じられた「コムスン」の問題は何処に行ってしまったのでしょうか。「コムスン」の「コ」の字も出てきませんでした。
この二者の扱いの落差は、昨今の公務員の不祥事とそれに伴う公務員バッシングに乗じた、せこい大衆迎合的番組構成であるな、と思います。
また、この番組そのものとは直接関係は無いのですが、昨今の公務員バッシングの中でも、防衛省とそのほかの官庁へのバッシングにも差があるような気がします。守屋の一件なんて防衛省の官僚、それも事務次官の億単位の汚職であり、且つ防衛省の官僚組織図も犯行の土壌になったと言われているのに。
第二に、番組構成が水戸黄門型というか、単純な善悪二元論の図式を全般的に用いていたことにも違和感を覚えました。
17日の日記において、『年報・死刑廃止2006』を購入したと書き、現在読んでいます。この本は、光市事件に関する弁護団の主張や死刑廃止運動の宣伝など、読み応えのある数多の論文や記事が詰まっており、定価2200円出した甲斐のある本だと満足しているのですが、安田弁護士の『光市最高裁判決と弁護人バッシング報道』というのが収録されています。その中で安田氏は光市事件に関するメディア報道、つまり「被告を殺せ」の大合唱について、「いわゆるポピュリズム、大衆迎合主義と言われるようなものもテレビメディアなのではないかという実感をたいへん強くしている」と書いておられます。そして、その原因について氏は「テレビメディアはわずか24時間しか時間を持っていない。(中略)送る側としては、常に、すべてを捨象して単純明快な図式、つまり善悪という価値のデジタル化、論理ではなく感情というわかりやすさに収れんしなければならない」と書いておられます。
この番組は、一応、独自ではあるものの取材をしているわけですから、「論理ではなく感情というわかりやすさ」とはちょっと違いますが、たとえば、インタビューのやりとりの前後関係をバッサリ切り捨てて、相手方が感情的になった部分だけを切り張りして「逆切れ」とテロップをつける点では、単純明快な図式化に類似するものと言えると思います。そして、こういう傾向はここ数年で、いよいよ進行しているように思います。
以前、確か戴いたコメントへの返信においてだったと思いますが、「庶民の感覚」にウケようとして作られた番組が、「庶民の感覚」の劣化を促し、劣化した「庶民の感覚」に、、、と悪化の一途であることを指摘しました。このきっかけは「庶民の感覚」が不良品だったのか、はたまたメディア報道など、身の回りの諸々の情報が不良品だったのかは分かりませんが、少なくともこの悪循環は間違いなく続いています。画面の前のあなたも、そして私もその悪循環に少なからず影響されているはずです。
この悪循環を断つためにも、得た情報を安易に単純な図式に収めることなく、話の前後の文脈を押さえて適切に消化する能力がいよいよ、必要とされてきているように思います。
2007年12月03日
ベネズエラ憲法改定投票とNHKBS報道
2日(現地時間)に行われたベネズエラ憲法改定に関する国民投票は、僅差で否決という結果になり、チャベス大統領は「敗北宣言」をとりあえず出しました。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200712030010.html
まず、「チャベス“独裁”の行方〜ベネズエラ憲法改正国民投票〜」という題名からしてアレなんだけど、内容はもっとすごい。
問題の改正案は、改定前憲法350条中、約5分の1にあたる69条なんですが、その『内容の骨子』というのが、以下3つしか紹介されませんでした。
1.大統領の再選制限撤廃
2.(公共性の高い)私有地の接収
3.中央銀行の政府管理化
しかしながら、改正案の骨子は更に、労働時間の短縮と住民自治組織(estructuras comunales)に基礎をおく人民権力の樹立という、NHK番組が取り上げたのと同じくらい重要なものが含まれています。ベネズエラを敵視する米国の民間メディア・CNNですら『労働時間の短縮』は取り上げたのに、別に対立も何もしていない日本の(一応)公共放送・NHKがスルーするのには、ちょっと驚きますね。
また、「大統領の再選制限撤廃=終身大統領=独裁」という微笑ましいほど単純すぎる論理を何度も何度も展開。番組最後のほうで、ラテンアメリカ研究者が出てきたのですが、「長期政権を狙うための布石とはいえるが、終身大統領は言いすぎ」と、この手の特集番組に出てくる文化人からとしては異例の指摘をされてしまっていました。
もし、この図式を持ち出したいのなら、大統領が非常事態を宣言すれば、治安当局は裁判所の令状なしに市民を拘束できると明記しており、野党のほか人権擁護団体も批判している。という部分を踏まえた上で、論理展開するまらまだしも、そこをすっ飛ばして「大統領の再選制限撤廃=終身大統領=独裁」と展開するのは素晴らしいほどの論の飛躍です。
ちなみに、大統領再選制限の無い国は、フランスなどがあります。
フランスは、2002年の憲法改定で任期5年に短縮されましたが、それ以前は7年で、任期としてはベネズエラと同じだったし、大統領は非常事態宣言を出せるし、国民議会の解散権すら持っており、「大統領大権」という点では似たようなもんです。
フランス非常事態宣言発令例(2005年11月)
(この記事自体は延長の為の議会議決ですが、もともとは政府命令であり、また内容的には大差ありません)
http://web.archive.org/web/20051125004646/http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20051116/eve_____kok_____001.shtml
(文字化けの場合はエンコード調整が必要です)
そのほかにも、特集中には何度か「市民の声」みたいなのを挟んでいるのですが、どれもこれも反政府派の人のインタビューばかり。もちろん、チャベス派のインタビューもありましたが、やはり反対派が主軸です。
それにしても、NHKって面白いですね。
昨年だったかは、「ラテンアメリカの挑戦」とか言って、散々チャベスをヨイショしたかと思えば、今度はただの独裁者呼ばわり。チャベスが「独裁者」なら、何で朴正煕は未だに「権威主義」扱いなんだろうね。朴の旦那に比べればチャベスなんて可愛いもんですよ。
まあ、「ラテンアメリカの挑戦」も、今回の放送にも一貫して言えることは、論の飛躍があるという点ですがね。こちとら受信料払っているんだから、もうちょい綿密な特集組めよ。これじゃフジテレビと同レベルだ。
しかし、この扱いの酷さはNHKの番組編集の無能さもさることながら、やっぱりベネズエラが「21世紀の社会主義」を標榜しているからでしょうか。確かにこの番組中でも、大地主から没収した土地の協同農場化や、油井の国有化を取り上げて「生産性低下」として紹介していましたし。
そりゃ協同農場や国有企業の「生産性」とやらが、資本主義的所有に劣るのは不思議は無いでしょうよ。そもそも経営の目的と着眼点が違うんだから。
ところで、「生産性低下」という言葉のイメージから、視聴者にソ連・東欧経済を連想させようと画策しているんだと思いますが、所謂「(ソ連型)社会主義体制」下における「生産性低下」ってのは、基本的に国家計画委員会主導の集権的命令経済に起因するもの(だからこそ、利潤追求の容認と市場原理の一部導入を柱とするリーベルマン理論を取り入れても、ハンガリーの新措置を以ってしても、東欧は駄目だった一方で、同じ「社会主義」でも、労働者自主管理を取っていたユーゴスラビアはまた別の道を歩んだ)であって、まだ集権的命令経済を始動させず、民間企業もあれば私有財産だってあるベネズエラは、ソ連でいう「生産性低下」とは別問題です。さしずめ、今のベネズエラの「生産性低下」は、なれない協同化作業に起因するものと利潤第一主義ではなく、実際に現場で働く労働者の生活を重視する経営に起因するものでしょう。
そして、さらに興味深いのは、「チャベス“独裁”の行方」といいながら、チャベス登場までのベネズエラがいかなる国であったのか、即ち新自由主義のせいで格差拡大が日本の比じゃなかったという点はどうしても報じようとせず、ただ「チャベスは貧困層向けに市場価格の半値程度の生活物資供給と無料食堂経営をしている」という、ただのポピュリストというイメージを作ろうとしているんですね。物事の「行方」を考える際には、必ず「その前」を見なきゃいけないって小学校で習わなかった?
かなり乱暴な解釈ではあるけど、チャベスは、貧困層は新自由主義のせいでどうにもならなくなったから、当面の解決策として、これらの政策を日本の生活保護と同じような感覚でやっている。それを、ただのポピュリストと暗に言う構成は、「お前ら本当に報道機関?」といいたくなります。
冷戦が終わり、「社会主義は終わった」と言われて随分たちましたが、「終わった」割には結構、この手の話題は取り上げられるもんですね。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200712030010.html
南米ベネズエラで2日、大統領の再選制限撤廃などを盛り込んだ憲法改正法案に対する国民投票が実施された。即日開票の結果は3日未明に判明し、反対51%、賛成49%の小差で改憲法案は否決された。http://jp.reuters.com/article/domesticFunds/idJPnTK004404920071203
中央選管によると、全投票数は900万2439票で、棄権率は44.11%。有効投票数は888万3746票で、無効投票が11万8693票だった。
投票結果は、Aブロックが反対50.70%、賛成49.29%、Bブロックが反対51.05%、賛成48.94%と、小差だった。
改正法案は69条あり、大統領の再選制限の撤廃のほか、労働時間の短縮、中央銀行を大統領管轄下に置くといったものだった。事前の世論調査や出口調査などでは、賛成が優勢だった。
ベネズエラで2日行われた大統領の無期限再選を可能にする憲法改正案の是非を問う国民投票で、反対票が僅差で賛成票を上回り、権力強化を狙ったチャベス大統領の試みを砕く結果となった。この結果自体は如何でもいいんですが、11月30日のNHK(=自民党放送)BS「今日の世界」の、この件に関する特集が、チャベス贔屓どうこう以前に、客観報道として酷かった。
選挙管理当局者によると、反対票が約51%だったのに対し、賛成票は約49%だった。
チャベス大統領は敗北を認めながらも、「社会主義建設に向けた闘いを継続する」との考えを表明。改革は「とりあえず」失敗したが「依然として生きている」と述べ、再び憲法改正を目指す意欲を示した。
まず、「チャベス“独裁”の行方〜ベネズエラ憲法改正国民投票〜」という題名からしてアレなんだけど、内容はもっとすごい。
問題の改正案は、改定前憲法350条中、約5分の1にあたる69条なんですが、その『内容の骨子』というのが、以下3つしか紹介されませんでした。
1.大統領の再選制限撤廃
2.(公共性の高い)私有地の接収
3.中央銀行の政府管理化
しかしながら、改正案の骨子は更に、労働時間の短縮と住民自治組織(estructuras comunales)に基礎をおく人民権力の樹立という、NHK番組が取り上げたのと同じくらい重要なものが含まれています。ベネズエラを敵視する米国の民間メディア・CNNですら『労働時間の短縮』は取り上げたのに、別に対立も何もしていない日本の(一応)公共放送・NHKがスルーするのには、ちょっと驚きますね。
また、「大統領の再選制限撤廃=終身大統領=独裁」という微笑ましいほど単純すぎる論理を何度も何度も展開。番組最後のほうで、ラテンアメリカ研究者が出てきたのですが、「長期政権を狙うための布石とはいえるが、終身大統領は言いすぎ」と、この手の特集番組に出てくる文化人からとしては異例の指摘をされてしまっていました。
もし、この図式を持ち出したいのなら、大統領が非常事態を宣言すれば、治安当局は裁判所の令状なしに市民を拘束できると明記しており、野党のほか人権擁護団体も批判している。という部分を踏まえた上で、論理展開するまらまだしも、そこをすっ飛ばして「大統領の再選制限撤廃=終身大統領=独裁」と展開するのは素晴らしいほどの論の飛躍です。
ちなみに、大統領再選制限の無い国は、フランスなどがあります。
フランスは、2002年の憲法改定で任期5年に短縮されましたが、それ以前は7年で、任期としてはベネズエラと同じだったし、大統領は非常事態宣言を出せるし、国民議会の解散権すら持っており、「大統領大権」という点では似たようなもんです。
フランス非常事態宣言発令例(2005年11月)
(この記事自体は延長の為の議会議決ですが、もともとは政府命令であり、また内容的には大差ありません)
http://web.archive.org/web/20051125004646/http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20051116/eve_____kok_____001.shtml
(文字化けの場合はエンコード調整が必要です)
フランス各地で続く暴動を沈静化するため、仏政府が発動した非常事態宣言の有効期限を三カ月延長する法案が十五日、国民議会(下院)で審議され、賛成三百四十六票、反対百四十八票、棄権四票の賛成多数で可決した。さて、「フランス大統領“独裁”の行方」とか聞いたことないんだけど。
十六日に上院で可決されれば二十一日から延長される見通し。夜間外出禁止令の発令や令状なしの家宅捜索など、長期間にわたって市民の自由や権利を制限することが可能になり、先進国では極めて異例の事態となる。
サルコジ内相は「暴動は沈静化しているが、まだ元に戻っていない。必要な時に限って予防手段として適用する」と説明。野党側からは、乱用を不安視する声や「(暴動の舞台の)都市郊外の住民の疎外感を助長し、国内を分断する」といった反対意見が相次いだ。
そのほかにも、特集中には何度か「市民の声」みたいなのを挟んでいるのですが、どれもこれも反政府派の人のインタビューばかり。もちろん、チャベス派のインタビューもありましたが、やはり反対派が主軸です。
それにしても、NHKって面白いですね。
昨年だったかは、「ラテンアメリカの挑戦」とか言って、散々チャベスをヨイショしたかと思えば、今度はただの独裁者呼ばわり。チャベスが「独裁者」なら、何で朴正煕は未だに「権威主義」扱いなんだろうね。朴の旦那に比べればチャベスなんて可愛いもんですよ。
まあ、「ラテンアメリカの挑戦」も、今回の放送にも一貫して言えることは、論の飛躍があるという点ですがね。こちとら受信料払っているんだから、もうちょい綿密な特集組めよ。これじゃフジテレビと同レベルだ。
しかし、この扱いの酷さはNHKの番組編集の無能さもさることながら、やっぱりベネズエラが「21世紀の社会主義」を標榜しているからでしょうか。確かにこの番組中でも、大地主から没収した土地の協同農場化や、油井の国有化を取り上げて「生産性低下」として紹介していましたし。
そりゃ協同農場や国有企業の「生産性」とやらが、資本主義的所有に劣るのは不思議は無いでしょうよ。そもそも経営の目的と着眼点が違うんだから。
ところで、「生産性低下」という言葉のイメージから、視聴者にソ連・東欧経済を連想させようと画策しているんだと思いますが、所謂「(ソ連型)社会主義体制」下における「生産性低下」ってのは、基本的に国家計画委員会主導の集権的命令経済に起因するもの(だからこそ、利潤追求の容認と市場原理の一部導入を柱とするリーベルマン理論を取り入れても、ハンガリーの新措置を以ってしても、東欧は駄目だった一方で、同じ「社会主義」でも、労働者自主管理を取っていたユーゴスラビアはまた別の道を歩んだ)であって、まだ集権的命令経済を始動させず、民間企業もあれば私有財産だってあるベネズエラは、ソ連でいう「生産性低下」とは別問題です。さしずめ、今のベネズエラの「生産性低下」は、なれない協同化作業に起因するものと利潤第一主義ではなく、実際に現場で働く労働者の生活を重視する経営に起因するものでしょう。
そして、さらに興味深いのは、「チャベス“独裁”の行方」といいながら、チャベス登場までのベネズエラがいかなる国であったのか、即ち新自由主義のせいで格差拡大が日本の比じゃなかったという点はどうしても報じようとせず、ただ「チャベスは貧困層向けに市場価格の半値程度の生活物資供給と無料食堂経営をしている」という、ただのポピュリストというイメージを作ろうとしているんですね。物事の「行方」を考える際には、必ず「その前」を見なきゃいけないって小学校で習わなかった?
かなり乱暴な解釈ではあるけど、チャベスは、貧困層は新自由主義のせいでどうにもならなくなったから、当面の解決策として、これらの政策を日本の生活保護と同じような感覚でやっている。それを、ただのポピュリストと暗に言う構成は、「お前ら本当に報道機関?」といいたくなります。
冷戦が終わり、「社会主義は終わった」と言われて随分たちましたが、「終わった」割には結構、この手の話題は取り上げられるもんですね。
2006年12月02日
きんもーっ☆な作り笑顔
昨日だか一昨日だか忘れたけど、秋篠宮の旦那の誕生日だったらしく、極めてどうでもいいことながら報道されていたのですが、TBSの朝のニュース番組の女性アナウンサーの滅茶苦茶わざとらしい笑顔で凄く気持ち悪かった。
いやね、普通に笑えばたぶん可愛いんですよ。特別ブサイクな顔ではなかったし。でも、明らかに無理して作った笑顔だったもんだから、もう引きつってて引きつってて。朝からdでもないもの見てしまったもんです。
そもそも、いつまで皇族の誕生日なんて報道してんでしょうね、朝から。
天皇、皇太子くらいまでならまだしも、秋篠宮なんてねぇ。
この貴重な朝のニュース番組の時間枠、教育基本法関連報道に使って欲しいと心から思う今日この頃です。
いやね、普通に笑えばたぶん可愛いんですよ。特別ブサイクな顔ではなかったし。でも、明らかに無理して作った笑顔だったもんだから、もう引きつってて引きつってて。朝からdでもないもの見てしまったもんです。
そもそも、いつまで皇族の誕生日なんて報道してんでしょうね、朝から。
天皇、皇太子くらいまでならまだしも、秋篠宮なんてねぇ。
この貴重な朝のニュース番組の時間枠、教育基本法関連報道に使って欲しいと心から思う今日この頃です。
2006年11月27日
壷三の引越し報道
これじゃ聖教新聞の池田先生の動静報道記事じゃねーかw
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061126-00000027-mai-pol
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061126AT3S2600R26112006.html
さらに、これを「主要ニュース」カテゴリに分類した日経担当者も、なんか腑に落ちない気分で処理したに45ルーブル。
しかし、このニュース、どうせ世耕あたりがまた絡んでいるんだろうけど、あいつはプロパガンダが上手いのか下手なのか分からんな。
こんなアホニュース流させるなんて。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061126-00000027-mai-pol
安倍晋三首相の首相公邸への引っ越しが26日午後に終了した。昭恵夫人とともに公邸に入った首相は「今日から24時間勤務の態勢という覚悟を決めて移ります。週末はたまには自宅に戻ろうと思ってます」と記者団に語った。
昼過ぎまでにトラック2台で荷物が公邸に運ばれ、首相夫妻は午後1時過ぎに東京・富ケ谷の私邸を出発して1時半ごろ公邸に到着。首相はその後、東京・渋谷の雑貨店や百貨店、書店を訪れ、約1時間半かけて工具セットや書籍を購入し新生活に備えた。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061126AT3S2600R26112006.html
安倍晋三首相は26日午後、東京・渋谷を訪れ、ショッピングを1時間半近く楽しんだ。この日、引っ越しをした首相は昭恵夫人を公邸に残し、百貨店でブレザー、スラックスなどを試着、購入した。一般客に支払い方法を聞かれ「カードです。普通は家内(が払うの)ですが」と応じる場面も。記事を打ち込んだ、yahooニュースと日経ニュースの担当者も、「何のためにこんなもの打ち込んでいるんだろう、自分」と思いながら仕事したに50人民ウォン。
お目当ては首相公邸で使う新生活グッズ。大型雑貨店でシャンプー、入浴剤からホチキス、ボールペンまで買い、書店では国語、漢和、英和など各辞典をそろえた。店外では予想外の首相訪問に驚いた買い物客らの握手攻めにも応じ、親しみやすさをアピールしていた。
さらに、これを「主要ニュース」カテゴリに分類した日経担当者も、なんか腑に落ちない気分で処理したに45ルーブル。
しかし、このニュース、どうせ世耕あたりがまた絡んでいるんだろうけど、あいつはプロパガンダが上手いのか下手なのか分からんな。
こんなアホニュース流させるなんて。
2006年10月11日
民放は朝鮮労働党を援護射撃しています
昨日の朝だったでしょうか、不治テレビ(←意図的誤変換)の朝のニュース番組で「今回の核実験は多分、構造が簡単なプルトニウム型だろうけど、もし作るのに高い技術の要るウラン型だと大変だね」という、この際どうでもいい専門家の意見を流しとりました。
今回の共和国の「核実験」に関する報道、とくに民放は危機感を煽るような構成であったように感じられるんですが、これって無意味どころか有害なんですよね。
今回の共和国の「核実験」は、いろいろ目的はあるんでしょうが、ひとつに「核保有国」になったことによって危機感、脅威感、恐怖感を煽って諸々の交渉を有利に進めよう、というのがあるんだと思うんですよ。
その点、さっきの不治テレビの一件のように、この際無意味な危機を煽る報道ってのは、まさに共和国側に利する行為であるのではないかと思う次第です。
今回の共和国の「核実験」に関する報道、とくに民放は危機感を煽るような構成であったように感じられるんですが、これって無意味どころか有害なんですよね。
今回の共和国の「核実験」は、いろいろ目的はあるんでしょうが、ひとつに「核保有国」になったことによって危機感、脅威感、恐怖感を煽って諸々の交渉を有利に進めよう、というのがあるんだと思うんですよ。
その点、さっきの不治テレビの一件のように、この際無意味な危機を煽る報道ってのは、まさに共和国側に利する行為であるのではないかと思う次第です。
2006年09月23日
都教委の都脅威
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-22/2006092201_01_0.html
東京都教育委員会が「日の丸・君が代」を強制する通達を出したことは違憲・違法だとして教職員四百一人が訴えた裁判で東京地裁は二十一日、「日の丸」に向かっての起立と「君が代」斉唱の義務はないとする原告の主張を全面的に認める判決を言い渡しました。難波孝一裁判長は、通達は教育基本法一〇条の「不当な支配」に該当し、教職員には憲法一九条の思想・良心の自由に基づいて起立・斉唱を拒否する自由があるとのべました。続きを読む
予防訴訟といわれる同訴訟は、都教委が二〇〇三年十月に「日の丸・君が代」の実施方法を細かく定めた通達(10・23通達)を出して教職員に起立・斉唱を強制したことに対し、その義務はないことの確認を求めて都立学校の教職員らが都と都教委を相手に起こしたものです。都立学校では通達にもとづいて校長が職務命令を出し、従わなかった教職員が毎年大量に処分されています。
判決は、通達とこれにともなう都教委の指導は「教育の自主性を侵害するうえ、教職員に対し一方的な理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しい」とし、教育基本法一〇条一項の「不当な支配」に該当する違法なものだと判断。「日の丸・君が代」が「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱」として用いられてきたことは「歴史的事実」と指摘し、懲戒処分までして起立・斉唱させることは思想・良心の自由を侵害するとのべ、違憲判断を示しました。
教職員には起立・斉唱の義務やピアノ伴奏の義務はないとし、起立しないことなどを理由に処分してはならないとしました。さらに、都教委の通達とそれにもとづく各校長の職務命令によって原告らが精神的損害を受けたことを認め、都に一人あたり三万円の賠償を命じました。
中村正彦都教育長は同日、「これから検討するが、控訴することになる」と語りました。
判決の骨子
東京地裁判決の骨子は次のとおり。
【起立、斉唱義務】
国民の間には国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なくなく、こうした主義、主張を持つ者の思想・良心の自由も、憲法上、保護に値する権利。起立、斉唱したくないという教職員にこれらの行為を命じることは自由権の侵害だ。
【都教委の指導の是非】
都教委の一連の指導は「不当な支配」を廃するとした教育基本法一〇条に違反。憲法一九条の思想・良心の自由に対し、許容された制約の範囲を超えている。
【学習指導要領】
学習指導要領の条項が教職員に対し、一方的な理論や観念を生徒に教え込むよう強制する場合には「不当な支配」に該当する。