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2010年08月16日

靖国神社へ人物ウォッチに行こう2010

 懲りずにやりました。去年と一昨年の記録記事は、そういえば未だに書いていないけどw写真とか何処にしまったか忘れたよ。。。

 チュチェ94(2005)年が丸一日、靖国にへばりついて観察、95年は、午前中、左翼のデモをヲチったあと、午後は靖国の観察、96年は靖国と千鳥ヶ淵の訪問者の違いの記録、97年(一昨年)がウヨサヨそれぞれの8・15、昨年がウヨサヨ戦争というテーマでやってまいりました。すべての過去ログはこちらのインデックスページ参照。

 今年は、原点回帰して、丸一日(といっても15時まで)、靖国にへばりついて観察しました。九段下交差点では、例によってウヨサヨ戦争やっていたみたいですが、今年は見ませんでした。以下は、終戦から65年の8・15の記録です。

 なお、以下、場所の名称が分からない場合は、こちらをご参考にしてください。靖国神社公式ページの境内案内図です。

 例によって6時の開門前に現地入りする私。前日、土曜日だったからそんなにキツくもないのは幸い。

 例年は神門前、ど真ん中で開門を待っている喪服隊が、今年は大手水舎のヨコにへばりつくように、つまりど真ん中を避けて待機している。いつもの場所には、別に誰が並んでいるわけでもなく、かといって誰もいないわけでもない。

 神門の開門と同時に無秩序的に吸い込まれる群集。無秩序というと聞こえが悪いか。でも、所謂「整列乗車」を「秩序的」とすれば、少なくとも「整列乗車」の「秩序」とは程遠い。そういう意味で「無秩序的」。だからといって、我先に人を掻き分けているわけじゃないよ。

 7時。参拝者人数は、普通の休日の昼間くらいかな。チュチェ96(2007)年の記録によると、その当年の早朝参拝者数は「平日の昼間くらい」とのことだから、例年よりは多いんだろうなあ。ただ、年齢構成は、やっぱり中高年の朝は早いなあといわざるを得ない。まあ、朝早く来れば良くて、昼間から来るのは悪いとか、そういう性質のものではないから別に構わないと思うけど。あ、ウヨさんたちは朝に弱いみたいです。気合入れて開門と同時に参拝するのもいますけどね。

 8時過ぎても、年齢構成は40〜65歳くらい(に見える)の層が一番多い。8時10分ごろから、「英霊にこたえる会」が、新しい国立追悼施設建設反対署名活動とアジをはじめる。調子よく色々まくし立てるも、「(民主党政権の)いかがわしい政策、、、」といいかけて途中でやめたのは何か意外だった。まあ、「新国立追悼施設建設反対」と「『いかがわしい政策』批判」って、悪いけど関連性ほとんどないからね。

 このことを筆頭に、8月15日の靖国神社って、本来的な「戦没者追悼」とは脱線した主旨の宣伝活動・署名活動が少なくありません。最たるものは、九段下駅から神社入り口(大鳥居)までの間の歩道、東京理科大前あたりでやっている、台湾・チベット・ウイグル関係、法輪功関係、外国人参政権関係の宣伝活動・署名活動でしょうね。こんな日にこんなところに来る人だから、署名活動も集まりやすいだろうと踏んでのことなんだろうけど、それにしても、「8月15日に靖国に参拝する人なら、きっと署名してくれるだろう」という、ある種の甘えというか、願望みたいなのが透けて見えます。もっとも、これらの宣伝活動・署名活動は、靖国神社の敷地外ですけどね。「英霊にこたえる会」は、敷地内でやっちゃったけどwだから、途中で打ち切ったのかな? 主旨は「新国立追悼施設建設反対」であり、神社もそういうことならってことで敷地使用許可を出したのであって、「民主党政権反対」ではないはずだからね。まあ、うっかりホンネが出てしまったというところでしょうか。

 あ、ちなみに、こういう願望的便乗の宣伝・署名活動は、なにも右派だけじゃないよってことは確認しておきたいと思います。免罪符的に。たとえば、5月3日の護憲の立場からの憲法集会では、毎年、会場周辺には、共産主義者(ちなみに、日本共産党みたいに、「資本主義の枠内での〜」みたいな甘っちょろい共産主義者ではなく、頭数さえ揃えばすぐにでも蜂起したがっているガチな人たちのほうですよ)が宣伝活動してますらね。私有財産制度を定めた日本国憲法と、それを否定する共産主義思想は、流石に両立しませんよね。きっと共産主義者の皆様におかれては、「護憲=左翼、左翼=共産主義」みたいな公式があるから、毎年毎年、本心では日本国憲法なんて支持してなくても、護憲集会にきているんでしょうけど。

 だいぶ脱線しました。話を元に戻します。

 8時30分にもなると、だいぶ人が増えてきます。とはいっても、今日は日曜日。日曜日にしては人数の伸びが少ない気もしなくもないが、日曜の朝は総じて遅いもの。まあそんなもんかな。年齢構成は、遺族会のバスが到着した関係もあって、70歳以上と見える方々も増えてきました。

 ふと街宣系ウヨさんを注視してみる。胸に日の丸がついているのは基本として、なぜか腕にハーケンクロイツをつけているウヨさんグループ(団体名までは見えなかった、、、)や、ドイツ軍の将校帽をかぶる中年男性が。やめろ、なんか色々と勘違いされるだろ。「英霊にこたえる会」が「良識ある日本国民は署名にご協力を」みたいなことを言っているけど、腕にハーケンクロイツをつけているようなウヨグループを叩き出すほうが先だぞ、「良識ある日本国民」よ。

 9時ごろになると、九段下方面から上がってくる参拝者が、願望的便乗の宣伝ビラを手にしていたりもする。目視確認しなかったけど、この時間帯から活動始めたのかな? 街宣車の音楽も聞こえてくる。

 10時前後。40歳以下と見える人たちも増えてくる。観光バスも増えてくる。変なのもパフォーマンスの準備を始める。「またおまえか」という面々に再会する。ある種の同窓会だな、これ。もっちろん、栗林白岳翁のグループや、71飛行ナントカ(正式自称はどうでも良くて忘れた)も着々と準備をすすめるが、あれ、、、翁がいなくない???

 経験則として、栗林翁のグループや71飛行ナントカといったコスプレグループの取り巻きから、その年の参拝者がどういう類の人たちなのかというのが、ある程度ではありますが、見えてきます。というのも、ああいう客寄せパンダは、最初のうちは物珍しくて写真にとりたくなるのですが、連中、毎年同じことしかしていないので、何年か足を運んでいるうちに、飽きてくるのです。「ああ、また今年もやってんのね」ってな感じで。つまり、コスプレグループへの取り巻きの数から、その年の新参者はどのくらいいるのかが、厳密さは欠いているのは百も承知(こんなもんテキトウでいいんだよ!)ですが、なんとなくわかってきます。

 昨年の雑感記事で、私は、この経験則から、靖国参拝者の質的変化の可能性を表明しました。今年はどうだったか。黒山の人だかりができるほど取り巻きに囲まれたかと思えば、まるで相手にされなかったり、かと思えば、また群集に囲まれたりと、取り巻きの人数に顕著な「波」がありました。まだ、結論を出せる段階にはありませんが、まるで相手にされないときは本当にまったくといってよいほど相手にされていなかった(2005年にはありえないこと!)ので、参拝者はリピーター中心にシフトしつつあるとはいえるのかな?

 11時です。暑いです。参拝者の年齢構成は、「神社ってこんなもんかな(初詣は除く)」。つまり、現代の若者は余り神社に参拝するという習慣がない(初詣は除く)ので、その人数も限られているが、それでもまあまあ、「こんなもんかな」と言えるくらいの人数は来ている、といったところです。やっぱり中高年が多いのは仕方ないよね。ただ、2005年にはそこそこ見られた、元兵士っぽいご老人たちの姿は、やっぱり明らかに減っているよね。。。人数は、ようやく「あっ、日曜日」って感じがしてくる。

 11時40分。栗林翁グループが行進を始めるが、いつも先頭に立っていた翁がいない。。。取り巻きは、2005年には遠く及ばず、例年より心なしか少ないかな。。。そして、行進中の取り巻きの数にも「波」が見られる。翁グループの行進なんて客寄せの最たるものなのに(少なくとも、2005年はそうだった)。

 12時。参拝者の行列は神門付近を最後尾とすることで安定。「安定」とは言っても、その混雑は、首都圏の朝の乗換駅並だけど。参拝者人数は、目視と私の感覚基準で、「2005年程度」かな。まあその辺は、靖国神社側が参拝者数をカウントしており、毎年、公表していたと思うから、もっと正確な統計をお待ちください。私は完全に経験則に基づくフィーリングでモノを言っているテキトウさんです。参拝者年齢構成は、特にどの年齢層が多いとは言えない気がします。朝の遅い若者も、ようやくやってくるようになって来ました。

 おなか空いたし、ちょっと飽きたので、買出しに、靖国を離れる。靖国通りだったか内堀通りだっか忘れたけど、平成同志会とかいう右翼団体の街宣車の車体に「世の不条理に天誅」と書いてあるのを目撃。「世の不条理」ねえ。

 「世の不条理」に「天誅」というと、まあもちろん「天誅」なんて言葉は使わないものの、なんとなく左翼っぽさを感じてしまいます。むしろ右翼は、そりゃ常軌を逸した「世の不条理」には立ち上がるだろうけど、どちらかというと現行システムの保守、それこそ保守を旨としている限りは、ある程度の「不条理」は止むを得ないという立場であるような。天誅ウヨさんも、サヨさんも、掲げる理想社会の青写真が違うだけで、心根はそう変わらないのかも。

 千鳥ヶ淵に行ってみる。あいわからず、靖国との参拝者数には雲泥の開きがあるが、珍しいことに街宣さんたちの小グループが千鳥ヶ淵参拝している! 実は毎年やっていたのかな? 私が確認しただけでも、10人程度のグループと、3人程度のグループが、千鳥ヶ淵に吸い込まれていきました。

 長い昼休みを終えて、14時ごろに靖国に戻る。もう結構、飽きてきたぞー

 あちこちで聞こえる軍歌の合唱、しかしそこには、2005年にはいた元兵士(と思われる)ご老人の姿はなく、戦中・戦後生まれ(と思われる)人たちが、「自分たちの歌」では無いのにもかかわらず、得意になって歌っているという、なんとも言えない光景が広がる。かくして、勇ましい軍歌が、その裏側に潜む苦労を置き去りにされて、「受け継がれてゆく」のであります。元兵士が軍歌を歌うのって、私は元兵士じゃないから知らないけど、つらい訓練やらなにやらも全て含めて歌っている、思った以上に「深い」行動と思うんだけど、戦中・戦後生まれの合唱からは、どうも、そういう「深み」を感じず、「ただ格好良いから」くらいの動機しか感じないんだよねえ。まあ、私の勝手な感覚ですけどね。

 参拝の行列は短くなり始めました。参拝者年齢構成は、11時の段階では「神社ってこんなもんかな(初詣は除く)」でしたが、14時の段階では、やっぱり初詣には及ばないけど、若い層もだいぶ増えてきて、髪の毛を金色に染めた人たちも見られました。金髪を目の敵にする爺さん婆さん! 金髪はその人を判断する基準にはならないこともあるってことを分かってね!

 ここで再び「英霊にこたえる会」のアジが聞こえる範囲に移動する。会曰く、「新しい国立追悼施設建設は中国政府のいいなりであり、精神的に中国共産党の支配下に入ること」(要旨)だそうです。確かに、新しい国立追悼施設建設は中国もよしとするところであり、結論だけを見れば、中国政府の意向どおりということになると思います。しかし、その結論に至るプロセスは、必ずしも中国政府の意図するプロセスどおりとは限らず、「精神的に中国共産党の支配下に入ること」とは限りません。また、たとえ中国政府の意図するプロセスどおりであったとしても、そのプロセスを主体的に選択したのであれば、やはり「精神的に中国共産党の支配下に入ること」とは限りません。

 彼らに限らず、どうも日本人(まあ日本人に限らないと思いますが)の言動・行動を見ていると、対立相手が主張していることと同じ結論に至ることは屈服であり、主体性の放棄であり、どうしても受け入れられないという頑なな態度が見られるように思います。しかし、今書いたように、対立相手が主張していることと同じ結論に至ったからといって、そのプロセスまでもが同一とは限らないし、同一だとしても、その選択が主体的になされたのであれば、「屈服」ではなく、「主体性の放棄」でもありません。「良いものは良い」として柔軟に受け入れる、それが日本人の良いところだと以前、耳にしたことがあるのですが、そういう「良識ある日本国民」はどこに行ってしまったのでしょうか。

 あ、ちなみに、それ以外の靖国の歴史的・宗教的性格を根拠にした「新国立追悼施設建設反対」は、それは良いと思いますよ。私が言いたいのは、「新しい国立追悼施設建設は中国政府のいいなりであり、精神的に中国共産党の支配下に入ること」は、必ずしもそうではない、ということであり、「新国立追悼施設建設」そのものについては、ここでは何も言っていませんし、何も言う気はありません。言えるほど色々調べているわけじゃないから。勉強します。

 15時です。参拝者行列は中門鳥居付近まで短くなりました。もうこれ以上、参拝者が増えるとは思えないし、飽きてきたので靖国を離れることにしました。九段下駅方面に歩くと、あいかわらず、願望的便乗の宣伝活動が展開されています。法輪功、この際、関係あるのかな。。。九段下交差点には大量の日の丸隊と機動隊がいる。あー、そういえば、在特会が反天連のデモを粉砕するとかしないとか言っていたなあと思い出すも、そういえば去年もやってたじゃん、と思い出したので、一通り情勢を確認して、帰路につきました。

 以上が今年の靖国取材でした。昨年の雑感記事で私は、「「8月15日の靖国神社」ってどうなっちゃうんだろう」と書きましたが、以上に書いたように、リピーターも定着し、頭数的には安定化の傾向が見えつつあるのではないでしょうか。昨年、表明した懸念は、少なくとも今年は深刻化しなかったようです。しかし、栗林翁に結局会えなかったのをはじめとして、その年代の人たちにお会いすることは、ほとんどできませんでした。にもかかわらず、「似たようなこと」(軍歌合唱とか)はカタチの上では続いている。まさにカタチだけの「8月15日の靖国神社」になりつつあるのかも知れません。まあ、その辺は、今後も継続して観察し続ける必要があると思います。

追記
※ あ、気がついたら写真とってなかったわw いまさら遅いw
※ ビラコレクションは、取り込むのが面倒なので、気が向いたらそのうち。
posted by s19171107 at 00:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 突撃取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

「準備不足」

 気がついたら8月になっていました。。。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100731ddm008020019000c.html
>>> ゆうパック遅配:経営陣、見通し甘く 日本郵便、総務省に原因報告
 <分析>

 ◇社長ら報酬10%返納
 宅配便「ゆうパック」の大量遅配問題で、日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は30日、遅配の原因や対策をまとめた報告書を総務省に提出した。日本通運の「ペリカン便」との統合で荷物が倍増する一方で、経営陣の見通しの甘さから、従業員の訓練など統合準備が不十分だったと認めた。これを受け鍋倉真一社長ら日本郵便の役員6人と、斎藤次郎・日本郵政社長が報酬10%を3〜1カ月返納する。総務省は報告を精査して、業務改善命令などの行政処分を検討し、8月にも決定する方針だ。【望月麻紀】

 報告書によると、統合当日の7月1日夜、一部の集配拠点であて先別に荷物を仕分ける区分機の使用方法の誤りなどで機械が停止、荷物の処理に遅れが発生した。荷物が作業場をふさぎ手作業に切り替えるスペースも確保できず、さらに処理が停滞した。輸送トラックの遅延を招き、影響が全国に拡大したため業務がほぼ正常化した7日までに34万個を超える遅配が起きた。

 最初に混乱が起きた集配拠点は、ペリカン便を運営していた日本通運の拠点が多く、いずれも6月30日までペリカン便の業務に使用しており、従業員が区分機の訓練をする機会が不足していた。ペリカン便とゆうパックでは、集配拠点で使う区分機や作業手順が異なることは日本郵便も認識していたが、「(ペリカン便の)人や施設も合わせて引き継ぐため、特に大きな問題は発生しない」と判断したという。

 今回の統合は、通常期に比べ冷凍・冷蔵の荷物が1・5倍に増える中元期だった。増える荷物に対応するため、東京都内の集配拠点の近くに冷凍保管庫を借りたものの、狭くて荷物があふれるというミスもあった。

 報告書は経営陣の統合計画の見通しの甘さを浮き彫りにすると同時に、「区分機の使用方法や手順の確認などが現場任せで、要員確保などは外見的な確認にとどまり、集配拠点が現実に機能するかといった実態的なチェックは行えていなかった」とも認めた。

 さらに、顧客への公表遅れなど経営姿勢を問われる問題も発生。「本社・支社に認識の甘さがあった」と経営責任を認めた。旧郵政省出身の鍋倉社長ら官僚OBが名を連ねる経営陣に改めて批判の目が向けられそうだ。

 中元期の7月1日に統合したことについては、ゆうパックとペリカン便事業は、収益計画が不十分などとして統合が1年延期され、赤字が50億〜60億円発生しており、これを食い止めるため、最も早く統合準備が整う時期だったことを説明。さらに、荷物の取り扱い個数は、昨年末の歳暮期のゆうパックだけの実績よりも、統合後の中元期の総数の方が少ないことから、統合は「差し支えないと判断した」としたが、結果的にその判断が甘く、大量遅配につながった。

(中略)
 ◇ゆうパック遅配に関する日本郵便の報告書骨子
 ◆遅配の主な原因

・ペリカン便との統合で従業員と施設も継承するため「特に大きな問題は発生しない」と考えた本社などの認識が甘かった

・日本通運から引き継いだ、あて先別に仕分ける機器の使用の訓練が不足していた

・トラブル時の手作業を想定した人やスペースが足りなかった

・中元期に増える冷凍荷物のために借りた保管庫が狭かった

・混乱の中で各支店の状況が正確に本社に伝わらず、対応に遅れが生じた

 ◆主な対策

・要員配置の見直し

・集配拠点の管理者育成

・繁忙期の期間雇用社員を対象に区分機の訓練を実施

・集配拠点を模様替えして作業スペースを確保

・業務運行把握のための支店機能強化

毎日新聞 2010年7月31日 東京朝刊
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 現場の準備不足と、それに対する本社などの認識の甘さが、今回の大遅配に繋がったとのことで、対策として、現場スタッフの訓練の強化と業務運行把握のための支店機能強化を掲げています。はあ。

 「準備不足」と言ってしまえば、あらゆる不都合は、見た目上は解決します。なぜならば、「準備不足」というのは、「現在の情勢は、何らかの問題のせいで悪いだけで、我々の『路線』は間違っておらず、『未来』は間違っていないはずである」ということ、つまり、「現在、発生している何らかのノイズのせい」ということで片付けられるからです。

 しかし、そもそも、かかる統合そのものが無茶だったのではないか。今更こんなこと言っても仕方ないですが、ゆうパックを統合するとかしないとか揉めていたとき、だいぶ無理矢理に結論が出たような記憶があります。つまり、そもそも「路線」に誤りがある(あった)のではないか、「現在、発生している何らかのノイズのせい」ではないのではないか、という根本的な疑念が生じます。しかし、そこに対する言及は見られません。「路線」は正しく、「未来」は間違っていないはずだというのが、変わらぬ見解であるようです。

 この辺の、ある種「かたくなさ」は、本当に「『路線』は正しく、『未来』は間違っていないはず」である証拠なのかもしれませんが、あるいは、今更、「路線」の誤りを認められない証拠であるとも考えられます。であるとすれば、「準備不足」にこだわるのも、分からなくもありません。決して完了することのない「準備」ですけど。

 「準備不足」は、総路線に対する批判を、今の自分の至らなさに転嫁する、ある種の責任転嫁にも使える便利な単語ですよ、ということで。特に日本人は、ある問題を「他人のせい」にすると、それが本当に「他人のせい」であると言わざるを得ない事柄でも、当人に激しい批判が来る一方で、「自分のせい」にしておけば、それが本当に「自分のせい」か否かにかかわらず、なんだか話が済んでしまいますからね。
posted by s19171107 at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月24日

機械的単純勧善懲悪と宗教的発想

http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010071701000437.html
>>> 解雇の副操縦士を3カ月で再雇用 スカイマーク、地上職で

 巡航中の操縦室内で記念撮影をしていたとして、今年3月にスカイマークを諭旨解雇された30代の元副操縦士が、約3カ月後に同社に地上職員として再雇用されていたことが17日、分かった。

 同社は「本人から希望があり、採用試験をした上で雇った。今のところ操縦士にする予定はない」と説明。企業倫理に詳しい高巌麗沢大教授は「最初の処分が厳しかったかもしれないが、厳重に処分をしたとの姿勢を社会に示す意図があったなら、処分は演出で、社会をあざむいたと受け止められても仕方がない」と指摘している。

 元副操縦士は、昨年4月から今年2月にかけて、副操縦士として搭乗していた便の操縦室内で、機長や客室乗務員をデジタルカメラで撮影。同社は「航空法が定める操縦者の周囲の空域の見張り義務違反に当たる」として、3月9日に諭旨解雇処分とした。
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 この記事は何がご不満なんでしょうかね? 「約3カ月後」というところ? それなら、何ヶ月くらい緩衝期間があれば良いのでしょうか? 別に時間を置けば良いってもんでもありませんしねえ。それとも、「再雇用」の部分? でも、「副操縦士」として再雇用したならまだしも、「地上職員」として再雇用したのだから、それほど目くじらを立てるもんでもない気がしますし、再発さえしなければ、「副操縦士」として再雇用するもの良いと私は思いますよ。

 本件について意見を綴っている各方面をフラフラしていると、どうも、この元副操縦士氏が「見張り義務違反で論旨解雇」という「前科」を持っている人物であるという部分がご不満なようです。「前科者」云々というのは、この手の話題でよく俎上に載せられます。その点において、本件(に対する反応)は、「典型的」な事例であると言えるでしょう。

 私としましては、「前科者」問題については、以前から刑事事件関係の記事において繰り返し書いてきていますが、誰しも最初は「初犯者」なのだから、「前科者」への対策、特に「前科者排除」ばかりに心血注ぐのではなく、「初犯者」を含めた全ての「犯罪」の予防をしたほうが良いと思います。「前科者の口だけの反省は信用ならない」というのならば、「潜在的犯罪者かもしれない無犯歴者の口だけの順法誓約は信用ならない」とも言い得ます。最終的な目的は、「実際に問題が起きない」、逆に言えば、「問題が起きなければ何でも良い」という根本に立ち返らなければなりません。

 このように「初犯者」を含めた全ての「犯罪」の予防に重点を置くことは、より幅広い「予防」に資するし、また、ことさらに「前科者排除」をせずとも目標は達成されるし、更に、本当に改悛した「前科者」にもう一度機会を与えることにも繋がると思うのであります。

 私なんかは、こうやって、問題行動起こした人物をとりあえず解雇し、その後、別部門で試用的に再雇用し、そこでの働きぶりから改悛の有無を判断し、最終的には再チャンスを与えるか否かを判断するというのは、これはこれで一つの「けじめ」のつけ方だと思います。もちろん、現実には「身内の甘さ」とかそういうのもノイズとしてあり得る話ですが、あくまでそれはノイズであり、基本的な枠組みとしては正しいものと考えます。

 まあ、機械的単純勧善懲悪が趣味の方々には受け入れられないとは思いますがね。しかし、ここは異端者が思いをつらつらと綴る日記ですので、余り気にしない。

 ところで、機械的単純勧善懲悪が趣味の方々って、どうしてここまで機械的で単純なんでしょうか? 勧善懲悪にしたって、もう少し深みというか、熟慮があってもいいと思うんですけどね。

 最近、この手の方々の思考回路には「改悛」という概念がスッポリと抜け落ちている(まあ、これだけ再犯が騒がれているご時勢、分からないでもないけど)のと共に、「悪いやつは生まれつき悪いやつで、良いやつは生まれつき良いやつ」といった(いよいよ根拠のない)前提があるように感じます(無犯歴者だからって潜在的犯罪者じゃないとは限らないのに、こうやって「世論」を見ていると、なんか心配になるくらい無防備ですよね)。でもそれってなんか宗教的ですよね。「穢れた魂」とか「前世からの因縁」とか、そういうのの成れの果てみたいな感じがしないでもありません。一つの可能性として、今後の研究方針としてメモしときます。
posted by s19171107 at 18:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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