>>> 公共サービス 民間まかせ拡大「市場化テスト⇒サービス低下、低価格競争による官製ワーキングプア製造⇒中止こそ求められていることは明瞭」というのが、この記事の伝えるところということになるんでしょうかね。
政府が基本方針
菅内閣はこのほど、「市場化テスト」の名で行政サービスの競争入札・民間委託を大幅に拡大する公共サービス改革基本方針を閣議決定しました(6日)。対象を当初の6分野11事業から14分野90事業へと拡大。事業費ベースで自民党政権時代に比べて約3倍の1000億円台にのぼることになります。
「市場化テスト」は、安倍政権下の2007年度に開始。社会保険庁による年金保険料の徴収や法務局の証明書発行業務などで民間参入が始まりました。「官から民へ」といって国の責任を投げ捨て、公共サービスを民間まかせにするものでした。
今回の基本方針は、これまでの市場化テストの実績について「従来の質と同水準を概(おおむ)ね達成している」と評価。市場化テストに限らず、「より包括的な広義の公共サービス改革にも広げる」としているのが大きな特徴です。
地方自治体での委託拡大、行政刷新会議との連携もすすめることを打ち出しています。
サービス低下
しかし、市場化テストの3年間を見れば、拡大どころか中止こそ求められていることは明りょうです。
とりわけ民間委託で浮き彫りになったのは公共サービスの水準や質の低下です。
法務局の証明書発行業務では、参入業者による不適正な事務処理が発生。短期間で委託業者が入れ替わり、経験ある職員がいなくなって待ち時間が長くなるなどサービス低下が指摘されています。
一方、行政と民間企業を競争させる「市場化テスト」として行われたハローワークの求人開拓事業では、圧倒的に行政の優位性が明らかとなっています。
北海道と青森で行われた求人開拓(2008年度)では、開拓求人数でも充足数でも、1人あたり経費でも、すべてで行政が民間を大きく引き離し、すでに委託の対象業務から除外されています。
低価格競争
基本方針は、これまで入札を実施した事業では年間347億円かけていたのが157億円と半額以下ですませることができたと自慢しています。しかし、それは低価格競争によって不安定雇用に置き換えられ、賃金低下など労働条件が低下したからにすぎません。
法務局の証明書発行業務を担ってきた民事法務協会は、低価格競争で落札できなかったため全国的に職員の大量解雇や賃金切り下げが行われました。落札した派遣会社に雇用されても、不安定な有期雇用となるなど大幅な労働条件の低下が起きています。国土交通省の車両管理業務でも同様の事態が起きています。国が「官製ワーキングプア」をつくりだしているのです。
「官から民へ」の名で小泉政権下からすすめられた「構造改革」路線に対し、国民はノーを突きつけ、政権交代につながりました。しかし、基本方針は、政権交代があっても公共サービス切り捨ての自民党政治を民主党が引き継いでいることを示しており、この点でも国民の期待にそむく姿を示しています。(深山直人) <<<
市場化テストって、本来は、要するところ「官・民の垣根なく、一番うまくできる人にやってもらう」「民でできるものは民へ」であります。確かに「民でできるものは民へ」が、いつの間にか、単なる「官から民へ」の原理主義に摩り替わっていたりすることは否定できないわけですが、抽象的な理念としては、別に間違っちゃいないでしょう。公務員に限らず、全ての人に国家建設に参加する機会を保障する。国民が主人公。共産党の口癖ですね。
そういうわけで私なんかは、むしろ、「拡大か中止か」ではなく「原点回帰」こそ求められていることは明瞭だといいたいところですが、共産党は、「国家回帰」を主張しています。
かかる「国家回帰」に対する批判・反論は色々な立場から多様な内容でなされていますが、私としては、「『国民が主人公』と言っている『共産党』として如何なのか」という角度から検討したいと思います。
先にも書いたとおり、市場化テストは、使いようにもよりますが、「国民が主人公」を実現する条件を整備します。であるならば、今現在、市場化テストによって公共サービスを委託されている民間企業が、思うように職務を遂行できていないのだとすれば、それを理由に安易に「国家回帰」するのではなく、「志ある人全てに対してスキルアップする機会を与える」という方策もあり得ます。むしろ私はそっちのほうが筋が通っているし、筋云々は別にしても、現実的であり効果的であると思います。もちろん、その結果として、「官」が一番優れたていることが実証されたとするのならば、「官」に引き続きやってもらうということは、結構なことだと思います。「官・民の垣根なく、一番うまくできる人にやってもらう」ですから。しかし、「結果としての『国家回帰』」と、「スキルアップの機会」も与えないことによる「原理主義的な『国家回帰』」とは根本的に異なります。
このように考えると、前掲記事のような反応は、本当に「国民が主人公」と思っているのか、懸念を表明せざるを得ない反応であります。
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